[新連載!]海の軍歌のアンソロジー

 新連載!
海の軍歌のアンソロジー
ANTHOLOGIES OF NAVY SONGS IN JAPAN ① ─ PROLOGUE by Masajiro Tanimura
横須賀海兵団における軍歌演習の一齣。
第1回 海の軍歌の基礎知識
谷村 政次郎
(元海上自衛隊東京音楽隊長)
今月から 12 回にわたって,日本の代表的な海
の軍歌とそれにまつわるさまざまなエピソード
を,海上自衛隊東京音楽隊第 11 代隊長だった筆
者が蘊蓄を傾ける。俎上に上す軍歌は帝国海軍
が主体になるが,海上自衛隊の隊歌にも言及す
る。まず第1回は連載のプレリュードである。
が講話の中で披露された。「南風が吹く頃村上水軍がや
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この句に関する資料を確認できなかった旨の丁重な回答
ってくるぞ」という意味だと記憶しているが,
「あの歌は」
が気になっていた。
日本民謡にも「舟唄」はあるが「シャンティ」のよう
な歌が,村上水軍でも歌われていたのだろうかと,愛媛
県今治市の村上水軍博物館に問い合わせた。残念ながら,
欧米には「シャンティ」(Shanty,Chanty)と呼ば
を館長からいただいた。
れる船乗りたちによって歌われる歌がある。帆船時代の
「軍歌」と一口にいってもかなり幅は広いが,一般的
水夫が綱を引き,キャプスタンを回して錨を巻き上げる
には軍人が歌うために制作されたものを「軍歌」,軍隊
時などの協同作業の際に歌う仕事歌で,音頭をとるソロ
を題材にして民間で作られたものを「戦時歌謠」,ある
の後に長いコーラスが続く形式が多い。
いは「軍国歌謠」と大別して呼んでいる。
帆船から動力船に移行するに伴い,作業歌としての色
本連載では帝国海軍軍人に愛唱された軍歌を中心とし
合いは失せたものの,一部は船乗り歌として,あるいは
て,その制作過程,背景,その他のエピソードを個人的
海軍軍人の愛唱歌として現在も歌われている。欧米の港
体験も含めて紹介する。
町には,これらのシャンティを収録した歌集や CD が多
く販売されている。
◆『海軍軍歌』の制定
「南吹く 村上水軍ぞ あの歌は」という句を,海上自
日本の「海の軍歌」に関しては,大正3年1月に海軍
衛隊幹部候補生学校在校中,当時の学校長今井梅一海将
教育本部から発布された『海軍軍歌』と題する軍歌集を,
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そのバイブルといっていいであろう。この『海軍軍歌』
者に関しては,不明の部分もあったが,各種の資料から
を制定発布することになった経緯は,明治期の海軍軍人
かなりの曲の作者が明らかになったので,少しずつ紹介
に愛唱された軍歌の中に「国賊が作ったものがある」と
することとしたい。
いうことから,整理統一せざるをえない事情があった。
“汽笛一声新橋を…” で歌いだされる「鉄道唱歌」の
明治 37 年1月,任地のロンドンから軍艦購入代金 29
作詞者としてよく知られている大和田建樹が「海軍軍歌」
万円を拐帯逃亡した海軍主計少監竹内十次郎は,文筆に
作詞の依頼を受けた時は,脊髄炎にかかり腰部以下が不
優れていて多くの軍歌の作詞をしていた。どの程度海軍
随という状態であった。
部内で歌われていたかは定かでないが,そのような事情
明治 43 年3月に海軍教育本部から「海軍軍歌」の制
の軍歌を歌わせておくわけにいかないことから,軍歌集
作を嘱託された大和田は,同年 10 月1日の逝去一週間
発行が計画され,結果的には立派なものを後世に残すこ
前までに後世に残る名曲を書き上げ,力尽きて永眠する
とになった。
という壮絶な最期を遂げている。
『海軍軍歌』の初版は,
「頌歌」
(7曲),
「海軍軍歌」
(11
明治の軍歌は叙事詩的なものが多く大和田が残した軍
曲),附録「唱歌」(2曲),「軍歌」(7曲)に区分して
歌も,日時,場所,天象,気象,海象,人名,艦名,戦
収録されている。非常に紛らわしいので軍歌集は『 』で,
況その他がふんだんに盛り込まれている。しかし,いか
この軍歌集のために新たに作られたものを「 」で括る
なる天才歌人でも,専門的な基礎知識がなければ,想像
こととする。
だけでは詩作できないであろう。
大正3年8月 25 日発行の『海軍軍歌』初版本には,
弟子の福島四郎が書いた「大和田先生終焉の記」には
次のような例言が付いている。
山崎中佐という名前が登場する。海軍兵学校第 15 期の
山崎米次郎だと思われるが,それぞれの題名の軍歌につ
例 言
一 本書ハ艦團隊等ニ於テ使用スヘキ軍歌ノ標準トシ
いて,情景,用語等の題材を提供して詩作を助けたのだ
テ編纂セルモノナリ
ろうと推察する。
二 「君が代」外六篇ノ頌歌ハ國民一般ニ須知スヘキ
大和田の新作になる海軍軍歌の作曲は,瀬戸口藤吉軍
モノナルヲ以テ之ヲ巻頭ニ掲ク
楽長が一人で受け持っていた。行進曲「軍艦」をはじめ
三 本書所載海軍軍歌ノ歌詞ハ主トシテ文學博士佐佐
多くの行進曲を残した瀬戸口にして,同じく後世に残る
木信綱及大和田建樹ニ囑託シテ成リタルモノニ基キ
名曲を作りえたのであろう。作品の一部については改め
本部ニ於テ査閲ヲ遂ケタルモノニシテ之ニ從來艦團
て紹介する。
隊各部ニ於テ使用セル唱歌軍歌中ノ九篇ヲ附録トシ
●『海軍軍歌』の変遷
テ加ヘタリ
制定後昭和 18 年 11 月までに 11 回の増補改正,増補,
四 本書所載海軍軍歌ノ曲譜ハ海軍軍樂隊ノ作ナリ
改正,訂正,増補改訂が行なわれた。最終的に増補改訂
五 本書所載海軍軍歌ノ曲譜ハ孰レモB「フラット,
されて残されたものは,次のとおりである。
テノールホルン」所用ノ樂譜トシテ其ノ調ヲ定メタ
儀制歌は「君が代」
「國の鎭め」
「水漬く屍」
「海行かば」
ルモノナリ
例言 二の「頌歌」は「君が代」
「大
君の」「國の鎭め」「水漬く屍」「海
行かば」「皇御國」「命を捨てて」,
例言三の「海軍軍歌」は「國旗軍艦
旗」「艦船勤務」「楠公父子」「黄海
海戰」「威海衞襲撃」
「閉塞隊」「日
本海海戰」「日本海夜戰」「第六潜水
艇の遭難」「別れ」「勝いくさ」,そ
して附録の「唱歌」は「訣別」「明
治天皇奉頌唱歌」,「軍歌」は「軍人
勅諭」「軍艦」「元寇」「黄海の大捷」
「勇敢なる水兵」「赤城の奮戰」「如
何に狂風」の全 27 曲である。
●「海軍軍歌」の制作者
例言 三の作詞者および四の作曲
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海軍省教育局発行の「海軍軍歌」
。左は昭和7年,右は同 19 年の発行である。
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「命を捨てて」の5曲,頌歌は「海行かば *」「靖國神社
た。
の歌 *」の2曲,軍歌(「海軍軍歌」の区分なし)「軍人
同月 26 日に八方園で催された歓迎会には東京音楽隊
勅諭」
「艦船勤務」
「國旗軍艦旗」
「軍艦」
「楠公父子」
「如
も参加した。宴も酣の頃,ドイツの士官候補生がコーラ
何に狂風」
「敵は幾萬 *」
「櫻花」
「元寇」
「黄海海戰」
「黄
スを披露したが,豊かな声量と見事なハーモニーに圧倒
海の大捷」
「豊島の戰 *」
「勇敢なる水兵」
「赤城の奮戰」
「水
された。その時の一曲「ヴィア・ラーゲン・フォア・マ
雷艇の夜襲」「凱旋 *」「日本海海戰」「日本海夜戰」「閉
ダガスカル」という歌が強く印象に残った。
塞隊」
「廣瀬中佐 *」
「熱誠なる水兵」
「決死隊」
「上村將軍」
ドイツ行進曲愛好会の後藤修一会長によると,この歌
「第六潜水艇の遭難」「勝いくさ」「皇軍の歌」「愛國行進
はドイツの流行作家で俳優でもあったユスト・ショイ
曲」
「海の護り *」
「觀艦式 *」
「護國の軍神東郷元帥 *」
「精
(Just Scheu,1903-1956)によって 1934 年に作詞作
鋭なる我が海軍 *」「空ゆかば *」「太平洋行進曲」「護れ
曲された歌だという。題名は「我らマダガスカルに停泊
太平洋 *」「大東亞決戰の歌 *」「ハワイ大海戰 *」「マレ
せり」という意味で,戦前からドイツの船乗りや水兵に
ー沖の凱歌 *」
「勝鬨 *」
「大東亞戰爭海軍の歌 *」の 39 曲,
歌われ,今では半ば民謡化して一般にも愛唱されている
唱歌は「大詔奉戴日の歌 *」「國民進軍歌 *」の2曲であ
らしい。
った(新たに制定されたものには「*」を付した)。
日露戦争の際,バルチック艦隊がマダガスカル島ノシ
◆印象に残る外国の海軍軍歌
ベに約2カ月滞在した時の模様を,次のように歌ってい
るという。
海上自衛隊音楽隊在職中,練習艦隊の遠洋練習航海,
我らマダガスカルに停泊せり
外国軍艦の訪日等でいろいろな国の軍楽隊と接触するこ
艦にはペストがはびこり桶の水は腐る
とができた。その中でも特に印象の強かったものを紹介
多くの戦友は逝き水葬に付されたり する。
アホイ! 我が戦友よ アホイ! アホイ!
●「ブラサス・ア・セニール」(Brazas A Señir)
さらば! 愛しき娘よ さらば! さらば!
数多くの国の練習艦の送迎を行なったが,チリ海軍の
(アホイ! はドイツ水夫特有の掛け声)
練習帆船エスメラルダ Esmeralda を東京晴海に迎えた
なぜバルチック艦隊の悲劇が,ドイツで題材となり海
時ほど衝撃的だったことはなかった。初めて見たのはレ
軍軍人に今も歌い継がれているのか不思議である。御存
インボー・ブリッジなどまだなかった昔のことである。
知の方の教えを乞いたい。
はるかかなた羽田沖のあたりから来航する帆船のマスト
Hiev Rund ! (ヒーブ・ルント「もやい綱を巻き上
には,等間隔に水兵が並ぶ登檣礼(登桁礼)での入港で
げろ」)と題するドイツ海軍軍歌集にはコード(和音)
あった。
記号が付けられており,楽譜は二部または三部で歌うよ
接岸するまで沈黙していた軍楽隊が突然演奏を始める
うに書かれている。ドイッチュラントの候補生の合唱が
と,マストの上,上甲板に整列している候補生そして入
示したように,ドイツ人にとって歌うということは,単
港作業中の水兵が,すばらしい声で歌い出した。まるで
旋律ではなく必ずハーモニーをつけるものであるらし
帆船の形をしたステレオを聞いているような感覚であっ
い。
た。
●「シスネ・ブランコ」(Cisne Branco)
この曲は「ブラサス・ア・セニール」というチリ海軍
昭和 43 年6月 24 日,ブラジル軍艦クストディオ・デ・
の軍歌である。意味は,帆船が針路を変えるときの模様
メーロ Custódio de Mello が東京晴海に入港した。同艦
を歌っているらしい。
はブラジル政府の発注により石川島重工が建造したもの
出港の際も,見送りの東京音楽隊が盛んに演奏しても
で,昭和 29 年 12 月に回航のため出港していることから,
沈黙を守り,船が前進を始めた瞬間に軍楽隊が演奏を始
14 年ぶりのお里帰りであった。
める。上甲板,マストに並ぶ水兵達が歌いながら遠ざか
この軍艦には 30 名ほどの海兵隊軍楽隊が乗り組んで
っていく情景は,他のどの国の軍艦の出港風景よりも感
いた。寄港中,NHK の日曜の夜の音楽番組「歌の祭典」
動的である。
に出演することになり,東京音楽隊のバスを移動に提供
●「ヴィア・ラーゲン・フォア・マダガスカル」
することになった。日曜日だったが助手を買って出て,
(Wir lagen vor Madagaskar)
行動をともにする機会を得た。
昭和 40 年3月 24 日,当時はまだ西ドイツの練習艦
この番組は,千代田区内幸町にあった NHK ホールの
ドイッチュラントDeutschlandが東京晴海に入港した。
公開生放送 45 分の中に,ソロ,コーラス,演奏とバラ
海上自衛隊がドイツの軍艦を迎えたのは初めてで,軍楽
エティーに富んだものであった。軍楽隊は客席からゆっ
隊が乗り組んで来ることを期待したが残念ながらはずれ
くりしたテンポの演奏で行進してステージに上がり,一
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曲披露するというものであった。
リハーサルではウンザリするほど待たさ
れ,本番はアッという間に終わってしまった
が,それでも帰りのバスの中は陽気であっ
た。昭和 40 年の練習艦隊がブラジルを訪問
した際に演奏して大好評だったというブラジ
ル海軍の歌「シスネ・ブランコ(白鳥)」を
歌うようにリクエストしたところバス中が大
コーラスとなった。歌に合わせて,汽笛の擬
音,軍艦旗を上げるジェスチャー,その他い
ろいろとパフォーマンスを行なっていた。
昭和 59 年度の練習艦隊がブラジルを訪問
した際,随伴艦 “なつぐも” の艦長付福本出
2等海尉(現呉地方総監部幕僚長,海将補)
は実習幹部で編成した「なつぐも少年合唱団」
を指導し,海軍とのレセプションの際,この
米海軍の軍歌をまとめた「Navy Song Book」
(左)と「The Book of Navy Songs」
。
歌をコーラスで披露して大好評を博したという。
7月1日の出港の際,東京音楽隊は東郷神社のお守り
を用意して軍楽隊員に贈った。ブラジル側からいただい
モニーが付けられ,
ピアノ伴奏譜もきちんと付いている。
◆江田島の軍歌教育
た同艦のキーホルダーは,今も大切に所有している。
「軍歌樂典・軍歌譜集」と題する「昭和 13 年3月海軍
●「Navy Song Book」と「The Book of Navy Songs」
兵学校」と表紙に書かれた B6 判の冊子がある。
米海軍には 1958 年に刊行された「Navy Song Book」
「軍歌樂典」第 1 章總論の書出しは,次のとおりであ
という 100 曲収録の隊員向けの軍歌集がある。国歌から
る。
始まり,海軍軍歌,愛国歌,陸軍・空軍・海兵隊・沿岸
海軍々隊ノ軍歌唱歌(以下單ニ軍歌ト稱ス)奏唱ノ目
警備隊の各隊歌,
「アロハオエ」「蛍の光」などの愛唱歌,
的ヲ凡ソ次ノ三種トス
「ジングルベル」などのクリスマス・ソング,世界各国
一 軍隊ノ士氣ヲ鼓舞スルコト
の歌として 10 カ国の代表的な歌が収録されている。
二 儀式トシテ奏唱スルコト
93 曲目の「Moon Over The Ruined Castle」は,日
三 情操敎育トシテ奏唱スルコト
本の曲として選ばれた「荒城の月」の英訳である。誰が
海軍軍楽隊が編纂したのであろう。以下はかなり専門
訳したのであろうか “春高楼の花の宴” のローマ字の下
的で,調子,拍子,速度,発想の各記号等,これ一冊で
に “As I gaze on ancient walls Moon-light covers
楽譜に関してはすべてを網羅している内容である。
all” とちゃんと韻を踏んだ英語の歌詞が付けられてい
第9章練習隊形は,他の楽典には絶対に載っていない
る。他の国の大部分の歌にも,同様に訳詩が付けられて
記述なので紹介する。
いる。
軍歌奏唱ノ爲特ニ隊形ト云フモノアラザレドモ平素
全曲男声四部合唱で歌うように編曲されているが,か
多人數練習ノ便宜上二三ノ隊形アリ密集隊形,圓陣,散
なり専門的な訓練を受けなければ楽譜どおりに歌うこと
開隊形(各個練習隊形),スコッチバンド隊形等之ナリ
はまず困難であろう。半世紀も前に作られたものである
以下それぞれの隊形の練習方法が記されているが,ス
が,ドイツ海軍軍歌集と同じようにコード記号,ギター
コッチバンド隊形のみ運動法として図が付いている。
とウクレレのコードの指使いまで付いている気の配りよ
「軍歌譜集」は『海軍軍歌』所載のもののほか,主要
うである。入手したのは作られてからかなり後のことで
国の国歌(原語歌詞付)や愛唱歌に「江田島健児の歌」
あるが,その後改訂版が出たのかどうかは確認していな
や「我は海の子」など,単旋律ながらすべて楽譜付きで
い。
収録されている。
「The Book of Navy Songs」という軍歌集もある。
ドイツ,アメリカの海軍軍歌集と比べて,日本の海軍
こちらは “Naval Academy Songs” と副題が付いてい
兵学校の音楽教育は基本的な楽理から始まる本格的なも
るように海軍兵学校軍歌集といったところで,歌に合わ
のであった。当時の唱歌教育,日本国民の音楽性では,
せて気の利いたイラストが各所に配してあるハードカバ
コーラスの面では両国と比べようがないが,全般的には
ーの立派な装丁の本である。やはりメロディーにはハー
けっして劣ってはいなかった。
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