「赤ちゃんポスト」と「匿名出産」についての法的検討 平成18年12月 弁護士 由 井 照 二 熊本市の病院で提案された「赤ちゃんポスト」設置問題と、これに関連する「匿 名出産」についての法律問題の検討内容を以下のとおり検討いたします。 1はじめに ①この検討書は、いわゆる「赤ちゃんポスト」との関連で「匿名出産」の問題 を、日本の現行法制度で純法律的な見地で、以下のとおり検討した。 なお、「赤ちゃんポスト」はヨ-ロッパにおいて「捨て子ボックス」と呼ば れるものであり、「匿名出産」は女性が匿名で病院で出産し預けることがで きる、という制度(考え方)である。 また、「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」については平成18年 12月18日に、厚生労働省医政局は「医療法では病院施設構造の変更を安 全、衛生面から審査するものであって、目的によって許可、不許可の判断は 変わらない」と説明し、同省児童家庭局は「ゆりかごの設置で子どもの遺棄 が助長されることがあってはならない。出産や育児に悩む保護者には児童相 談所など既存の相談機関の利用を勧めてほしい。」とのコメントがなされた (熊日新聞記事)。監督(許認可)庁の熊本市では、「今後、申請について、 医療法上の問題の有無、 医療法上の問題がない場合、他の法律に照らし て赤ちゃんポストの是非を考慮した上で申請の許可・不許可を判断すること になるが、『国内法では想定していない。総合的な検討が必要』とするにと どまり、判断の時期も『見通しが立たない』としている。」と報道されてい る(朝日新聞記事)。 ②日本法制下での「赤ちゃんポスト」と「匿名出産」を検討するについては、 既に2001年に立法化したオーストリアの「捨て子ボックス」と「匿名出 産」の内容を参考とすることが有意義であると考えた。 このオーストリア法での「匿名出産」は、「(年少の)女性が特別な困窮状 1 況のために身元を明らかにしないでいることを望み、子どもに最善の配慮が 払われること、特に、的確な養子縁組斡旋が行われることを意図して、自分 の子どもを病院のような施設に委託する場合、例え子どもの戸籍上の身分を 確定するためであれ、子どもの出産や看護費用を保障するためであれ、当の 女性は身元を暴かれることはない。なぜなら、子どもの保護は、そうするこ とによってのみ可能だからである。青少年福祉担当者の一定の関与と連携の 下で、子どもの受入れ、または引き取りの準備が整った施設等において、子 どもの母親の身元に該当するデータがないことは支障にならない」、という ことを骨子とするものであり、その「内密性の保護」と「治安当局の非調 査」が保障されているが、「母親または子どもの健康もしくは生活が不可避 の危機に晒されると懸念されるといった困窮状況がある場合」にのみ「捨て 子ボックス」と「匿名出産」は正当化される。 また、日本での「赤ちゃんポスト」と同一の この「捨て子ボックス」と 「匿名出産」を比較した場合、出産前後に対話を確保して女性(母親)に熟 慮の時間を与えることのできる「匿名出産」の方が「捨て子ボックス」より 望ましい、と考えられている。実際にも、「捨て子ボックス」の利用はゼロ に近く、合法的な匿名出産の方が選ばれており、当該子どもは青少年福祉担 当者に正式に委託され、身分登録局における手続がなされている。 ③ドイツやフランスでは立法化されていないが、オーストリアに近い取扱いが されている。 これらは、日本における今般の「赤ちゃんポスト設置」の適法性を検討する 際や、同ポストの適法性が認められた場合の「匿名出産」の 法律的検討に ついての比較法的資料である。 2日本法制度での出産と戸籍の原則 ①日本における親子についての基本法は民法第3章「親子」の第772条から 817条の11である。そのうち、子どもの幸福を中心とし、子どもに恵ま れない夫婦と子どもを育てることが困難な親とを結びつける制度が「特別養 子」として民法第817条の2から817条の11に規定されている。 ②出産と親子関係を公証する日本の制度は「戸籍法」である。戸籍法での出産 の取扱いは次のとおり規定されている。 2 戸籍法49条第1項 「出生の届出は、14日以内(国外で出生が あったときは3カ月以内)にこれをしなければならない。」 同49条第3項 「医師、助産師等が出産に立ち合った場合には出 生証明書を届出書に添付しなければならない。但し、やむを得ない事由が あるときは、この限りでない。」 戸籍法52条第1、2項 「この出生の届出は、父または母がこれ をしなければならない」 同52条第3項 「前2項の規定によって届出をすべきものが届出 をすることができない場合には、第1同居者、第2出産に立ち合った医師、 助産師等の者、がその順序に従って届出をしなければならない 。」 戸籍法第57条第1項、第2項 「棄児を発見したもの又は棄児発 見の申告を受けた警察官は、24時間以内にその旨を市町村長に申し出な ければならない」「前項の申出があったときは、市町村長は、氏名を付け、 本籍を定め 、本籍を調書に記載し、その調書をこれを届出書と看 做す。」→就籍 戸籍法第59条 父または母による棄児の引き取りと出生届け、戸 籍訂正 →上記各届出違反については戸籍法第120条で「正当な理由がな くて期間内にすべき届出または申請をしない者は、これを3万円以下の過料 に処する」と規定されている。 ③棄児(置き去りや迷子を含む保護者のいない児童)についての法制度 児童福祉法第25条本文 「要保護児童を発見した者は、これを 市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所または児童委 員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に 通告しなければならない。」 同法第25条の7、8、第26条、第27条、第33条 要保護児 童等に対する各機関の措置 →上記各法条の基本は一時保護である。 なお、同法第36条 (助産施設)、37条(乳児院)、38条(母子生 活支援施設)、41条(児童養護施設)の各制度施設がある。 3 棄児、置き去りを発見した場合の就籍、出生届けについては、上記 戸籍 法57条、52条に従って警察官や医師等がこれを行う。 3いわゆる「赤ちゃんポスト」の法律問題 ①医療機関(病院等)が「赤ちゃんポスト」を設置したとしても、妊娠診療や 出産に関与していないので、医師法や健康保険法等の問題は本来的には生じ ない。 ②次に、刑法第218条「保護責任者遺棄罪」の問題が考えられる。 この(保護責任者)遺棄罪は、「遺棄とは、人を現在の状態から保護を欠く 状態に移すことである。心身の欠陥によって他人の保護がなければ生存を完 うできない人(嬰児・乳児も)を保護のない状態に置くことにより、その人 の生存に脅威を及ぼす罪である」、とされている。そこで、「生存に脅威を 及ぼさない環境に置く場合は、遺棄罪にはならない」、と解される。即ち、 赤ちゃんポストを設置した病院等が嬰児・乳児の生命・健康に支障のない設 備、対策をしている場合は、刑法の保護責任者遺棄罪に該当しないと考えら れる(棄児をする母親だけではなく設置者側[暗黙の共犯関係として]の否 定)。しかしながら、「遺棄の罪は、抽象的危険犯であって、遺棄行為があ れば、それだけで犯罪が成立する。例えば、母親が捨て子をし、その子が確 実に保護されるのを見届けてから立ち去り子の生存に具体的危険が生じなか ったとしても、本罪は成立する。」と解する考え方もある。これは、「保護 責任者」という立場を重視する考え方とも共通するものであり、赤ちゃんポ スト設置については留意すべきである。 ③民法第820条「親権を行う者は、子の監護および教育をする権利を有し義 務を負う」と規定され、児童福祉法第1条~3条で「児童の福祉と親の養育 義務の理念」が規定され、[児童虐待の防止等に関する法律]も平成12年 に成立・施行されている。 「赤ちゃんポスト」は、確定的意思に基づく行動としての棄児を受け入れる 施設ないし装置である。設置者側からすれば、誰が、何時、行うか分からな いということで、当該棄児自体は偶然の出来事である、と考えられるとして も、当該施設ないし装置の設置は、棄児を前提とするものであり、単なる偶 然の出来事と解することは再考の余地がある。そうであれば、「赤ちゃんポ 4 スト」と上記民法、児童福祉法、児童虐待防止法との相互関係も検討すべき こととなる。 厚生労働省が「赤ちゃんポスト」の法適合性で問題としているのは、捨て子 等の助長になるような施策を認めることは、児童福祉法等の理念や法体系に 反することとなり、この考慮を無視(軽視)して施設変更の許可をすること はできない、ということと考えられる。 ④「赤ちゃんポスト」で最も懸念されることは、その赤ちゃんに関する医療情 報が極端に不足することである(母親の医療情報も含めて)。当該赤ちゃん の現在の健康状態や疾病、障害等の対応には、事前の医療情報が有益である ことは論を待たない。 更に、妊娠から出産に至る間に当該母親が医療機関での受診をしていない可 能性も高く、そのリスクも懸念され、危険な自己出産等の蓋然性も高くなる ことが懸念される。 また、妊娠から出産(ないしその直後)の間に、遺棄の翻意や特別養子制度 の利用等の医療機関からの説明・説得の機会も失うこととなる可能性が大き い。 ⑤上記①から④は、当該医療機関等が「赤ちゃんポスト」の医療対応設備・装 置を充実し、「相談センター」的なものを併設することにより除去できるも のもあるが、残存するものも大きいと考えられる。 以上を、「緊急性」「緊急避難」という超法規的な考え方のみで結論付ける ことも注意を要することである。 ⑥「赤ちゃんポスト」の設置は、現在の医療法においては「病院等施設の改 修」というハード面での許認可事項とされている。既存の病医院について (開設の場合も同様)、施設の改修は、原則的にその目的は許認可の考慮事 項とはならない。しかしながら、医療法第1条の2には「医療提供の理念」 が規定されており、これとの関係で上記①~⑤の諸問題につき許認可官庁等 が検討すべきことと思われる。 4いわゆる「匿名出産」の法律問題 ①特別な困窮状況のため匿名での受診、出産および相談を希望する女性につい てのいわゆる「匿名出産」の内容は次のとおりである(前記のオーストリア 5 法での「匿名出産」参照)。 匿名での受診、出産を容認するシステムである。「赤ちゃんポスト」と異 なり、病院等での母子の健康管理が可能であり、出産の危険を回避、低減 できる。 その赤ちゃんについての医療情報の提供が可能であり、疾病、障害の対応 を適切にとることができる。 受診から出産までの期間において、匿名出産(遺棄に至る場合を含む)の 翻意や特別養子制度の利用等の医療機関からの説明、説得の機会が十分あ り、当該女性に適切な選択をすることの余裕を作ることができる。 匿名での健康保険利用ができないので、受診、出産費用は自己負担ないし 病院負担となる。 オーストリア、ドイツでの実態からすれば、「赤ちゃんポスト」の利用を 少なくし、そのマイナス面を少なくすることができる。 ②しかしながら、「匿名出産」は、医師ないし医療機関が受診、出産当時から 関与するため、「赤ちゃんポスト」とは異なり、医師法その他の法律問題の 検討が必要不可欠となる。 ③まず第一に、受診段階、即ち入口部分での匿名性の法律問題を考えなければ ならない。 医師法第19条第1項には、「診療に従事する医師は、診療治療の求めがあ った場合には、正当な事由がなければ、これを阻んではならない。」と規定 されている。この医師の診療に応ずる義務は、罰則規定はないが、行政規律 上の義務と解されている。そこで、「匿名」であったとしても、いわゆる自 由診療取扱いで、他に特別の弊害がない限り、その患者の診療、治療に応ず るべきものである。匿名受診が匿名出産に至る可能性があるとしても、相当 期間のある出産ないし出生届期限までの間に当該女性が翻意をする可能性、 特別養子を選択する可能性があり、匿名であるということのみで診療拒否の 「正当事由」に該当するものではない。 また、医師法第24条第1項には、「医師は、診療したときは、遅滞なく診 療に関する事項を診療録に記載しなければならない。」と規定されている。 この条項は、医療行為の適正、安全と質の向上を図るとともに、医療過誤等 6 での患者の権利を確保するためのものと解される。そこで、患者名を診療録 に記載することが、絶対的に必要かどうかは検討の余地がある。医療情報と しての他の記載があれば、「匿名」も最小限認められるとも考えられる。な お、診療録に患者名を記載しても、これを外部に開示しない、という見地で 検討することも必要である(以下に記述)。 ④第二に、「匿名出産」においては出産ないし退院までの間に、当該診療、入 院医療機関は、母体保護法や児童福祉法、戸籍法、特別養子制度等の基本的 な内容を骨子とした棄児意思の翻意や子どもの健全な養育についての説明や 本人の困窮状態に関する相談等を行い、母子の心身の健全化を図ることがで きる。 この病院や医師のあり方は、棄児を積極的に勧めたり、それを唯一のものと して共同作業をする、というものでないことを示すこととなる。即ち、刑法 第218条「保護責任者遺棄罪」や戸籍法第49条1項、52条1項、2項 「出生届」違反と正反対の対応であり、これらの法規の共同正犯、教唆犯、 幇助犯にならないことを表しているものである。 なお、将来母子関係の存在を証明する情報(DNA鑑定に必要な生体資料)を 残すかどうかも「匿名性」の関係で検討されなければならない。 ⑤最後に、「匿名出産」の出口としての、出生届や出生証明書の法律問題を検 討する。 戸籍法第52条第3項に、「前2項の規定によって届出をすべきものが届 出をすることができない場合には、第1同居者、第2出産に立ち合った医 師、助産師等の者、がその順序に従って届出をしなければならない 。」 と規定されており、この条項により「匿名出産」は不可能(違法である) と解される余地が大きい。 これは、「受診から出産までの長期間に当該母子に医師が関わっており、 実母を知らないと言うことはできない」「相当期間の入院であり実親不祥 の置き去りと解することはできない。」、という考え方で、戸籍法第52 条第3項に抵触し、児童福祉法第25条本文 (要保護児童の発見)の適 用がないと帰結されるものである。 これについては、まず次のことを検討しなければならない。 7 最初に、当該母親が出生証明書を求めずに子どもを連れて退院した場合の 問題である。 戸籍法49条第1項は「国内での出産の出生届は14日以内にしなければ ならない」と規定され、同第3項は「医師等の出生証明書の添付が原則的 に必要である。」と規定されている。また、医師法第19条第2項は「診 察もしくは検案をし、または出産に立ち合った医師は、診断書若しくは検 案書または出生証明書若しくは死産証書の交付の求めがあった場合には、 正当の事由がなければ、これを阻んではならない。」と規定されている。 そこで、要求がなければ医師は出生証明書交付の義務は具体化しないもの であり、また、退院(通常出産後14日未満)までに出生証明書の具備が 必要な訳でもない。よって、匿名出産で受診、入院し、出生証明書の交付 を求めないまま退院した母子があるとしても、未だ当該母親らが出生届出 をしないことが確定したわけではなく、この時点での、戸籍法第52条第 3項の医師の出生届出義務が発生することにはならない。 母子共に退院した後、一定期間が経過した場合でも、当該母親らが出生証 明書の交付要求をし、更に出生届をすることが可能であるため(法定期限 に遅れてはいるが)、戸籍法第52条第3項本文「届出をすべき者が届出 をすることができない場合」に該当すると断定できないので、やはり戸籍 法第52条第3項の医師の出生届出義務が発生することにはならない、と 考えられる(実際上は、届出をしなかったことの連絡がないものであり、 或いは赤ちゃんポストに移ったり、児童福祉法の一時保護等に該当したり しているとも考えられる)。 次に、「匿名出産」のまま、いわゆる病院への「置き去り」的な事態とな った場合を検討しなければならない。 この場合は、戸籍法第52条第3項「医師等の出生届出義務」、同法57 条第1項「棄児発見者の申出義務」、児童福祉法第25条本文「要保護児 童発見者の通告義務」が発生することとなる。 この医師等の出生届出義務と「匿名出産」との関係が考えられなければな らない。戸籍法第49条第2項には「出生の届出書には、父母の氏名およ び本籍等が記載されなければならない」と規定されているからである。 8 当該医師等がこの戸籍法各条項に従った出生届をすれば、「匿名性」は維 持できないことになる。 そこで、父母の氏名や本籍等の親の特定性を秘匿できる法律上の根拠の有 無を検討する。前記のとおり、受診から出産まで長期間があるため、「匿 名」としても、当該医師や医療機関が当該妊婦の氏名を知りうる可能性が あるからである。 これについての関連法律条項は、刑法第134条秘密漏示罪「医師、薬剤 師、助産師ら(法定列記)は、正当な理由がないのに、その業務上取り扱 ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6カ月以下の懲役 または10万円以下の罰金に処する」と規定し、医師らの秘密保持義務を 定めている。またこれに関連して、刑事訴訟法第149条で「医師らの業 務上知り得た事実で他人の秘密に関するものについては証言を拒絶するこ とができる」との規定がある。更に、個人情報保護法で、本人の承諾のな い個人情報の利用、取得、第三者提供は禁じられている(公益目的での例 外規定は存在する)。 医師の秘密保持に関する上記各法律条項により、戸籍法所定の医師の出生 届出における「親の氏名等の秘匿」が肯定されるか(適法と解されるか) は極めて難しい問題である。また、戸籍所管官庁が「親の氏名や本籍を空 欄とした出生届」を受理するかどうかについても大きな問題がある。 このように戸籍法第52条第3項(および同法第49条第2項)に関して 監督行政庁の公式見解や裁判所の判例の確定がなければ、「匿名出産」に ついての医師、医療機関のリスクはなくならない。 勿論、立法化されれば(匿名出産の適法性)問題がなくなることは当然で ある。 5おわりに この検討書は、平成18年12月にマスコミ報道された直後に作成したもので あり、弁護士の立場で純粋に法律的見地から検討したものである。 なお、「赤ちゃんポスト」設置、運営が監督官庁で認められるかどうか現時点 (平成18年12月当時)では確定していないが、仮に、これが認められると するならば、より良く母子の支えとなる「匿名出産」を認めるかどうかについ 9 て行政や専門家と市民が考えるべきであると思われる。 [追記] その後、赤ちゃんポストが「こうのとりのゆりかご」との名称になり、行政か らも認められ、一定の社会的機能と評価を受けています。 10
© Copyright 2024 Paperzz