1. 貧困と不平等

―貧困と不平等の関係―
1. 貧困と不平等
(1)貧困概念の展開
①絶対的貧困と相対的貧困
19 世紀イギリスのロンドン調査、ヨーク調査を経て「貧困線」と言う概念が確立され、
貧困とは貧困線を下回る低所得状態として概念付けられた。今日も厚生経済学的な貧困概
念は、貧困線以下の低所得問題であるとして考えられていると言えよう。
しかし貧しい社会であれ豊かな社会であれ、貧困という人間生活の困窮は、生活財の調達
関係の困難を抱えているので、生活財交換に係る社会システムと個人の間の齟齬を主とす
る社会関係的側面での不具合、その積み重なりを抱えていると考える事ができよう。
戦後復興なった 1970 年代、欧州世界での相対的貧困の議論は、生物学的生存を脅かす程
の人間生活の困窮である絶対的貧困の議論から、社会的側面の不具合、その様態へと貧困の
議論の対象領域、視点を広げていった。豊かな時代の到来の中で、生物学的生存は果たせて
いても、低所得故に、その人の生活様式が社会の平均的水準から乖離している事、それゆえ
の社会生活全体への負の影響、その総体としての「相対的貧困」の議論がおこった。社会的
であり社会関係的に表れる貧困へと、貧困概念の議論は視点を広げていったと言えよう。
こうした相対的貧困の議論は、生活様式と言う最も文化事象的な問題、その様態の平等を
軸にして、低所得故の「物資的剥奪」と表現された生活物資の欠乏、そしてこれに対峙する
人間の心理的衰弱(無力感)
、その心理的実在にまでに視野を広げており、この心理的実在
ともいうべき「剥奪概念」に枠づけられた新しい貧困が提示された。「剥奪」概念により絶
対的水準を示すことができるとする「相対的貧困」である。
貧困概念の枠組みは低所得による生活財の窮乏、窮乏をベースに置いて、次第に社会心理
的問題へとその範囲をひろげていったと理解される。
②新しい貧困「社会的排除」
20 世紀末にはフランス由来、EU 社会政策改革のキー概念であるもう一つの新しい貧困
「社会的排除」が提起された。この貧困はその人の生活を構成する主要な社会関係(職場、
家族、地域社会)からの排除という、社会関係上の問題、齟齬、劣勢、不平等を、その過酷
な結果である生活困窮として、時系列的変化、深まりゆく過程を含めて力動的に捉える貧困
概念である。EU 社会政策の課題は「脱社会的排除」=「社会的包摂」とされた。
1
社会関係上の問題とは、その社会の心理社会的問題のベースに横たわっているので、人間
生活の社会関係的な側面、その不都合、劣勢に対峙する人々の生活上の困難から貧困を捉え
ようとする事は、人間生活の困窮状態を、社会関係上の劣勢とともに現れるものとして、社
会的存在としての人間存在へと視点を移動し、広げてゆかざるを得ないのであろう。
人間が歴史的経過の中で生じせしめた社会の機構、習俗、慣習、制度、階層関係、諸権能
を含む、人間の観念活動が生み出した有形、無形の事象、人権、参加、自由なども含むとこ
ろの、文化人類学的に表現すれば、人間の象徴機能が生み出した、社会的で文化的な諸問題
に係る劣勢、生活場面での不具合、さらにこれに対峙して生きる人間には剥奪感情が生じて
おり、それら総体を根拠とする生活問題を、
「新しい貧困」として捉えられたと考えられる。
③貧困概念の相対性
19 世紀的な貧困概念は、生物学的生存を果たせないほどの低所得を「絶対的貧困」とし
て、この貧困の範囲を確定する所得水準を貧困線(絶対的貧困線)としている。この所得ラ
イン、絶対的貧困線は、今なお人間生活の必要最低額に違いない。
しかしながらこの絶対的貧困線は、人間の生物学的生命維持のための必要カロリー量を
ベースに算出される絶対的な水準として構成されつつも、その所得額を各地域共通の普遍
的なラインとして確定する事は困難であり、各社会における主食の違い、その価格変動、食
料の交換システムの違い、また男女、体格等の個人差などにもより変動する人間の生存のた
めの必要額として、地域性や歴史的変化の影響を受けざるを得ない問題であった。
たとえば最低生活費は、食費以外の必要な生活財として何をどの水準で積算すべきか、そ
の必要な生活物資を賄う最低生活費の総額は、社会の経済、産業構造や文化事象から全く独
立ではありえず、絶対的であるべき絶対的貧困線もまた相対性を抱えざるを得ない。こうし
て貧困線所得以下の低所得問題である貧困とは、常に相対性を避けられない構成であり、絶
対的貧困概念さえもが、厳密には相対性を抱えていると言わねばならないのであった。
相手のある社会関係における問題、相手次第で変化を余儀なくされる「新しい貧困」はも
とより、19 世紀以来の「絶対的貧困」もまた相対性を抱えざるを得ないのであった。
(2)生活問題と「新しい貧困」
人間は集団や社会の一員として生活を営む存在であり、社会生活なくしては生活が成り
立たず、社会と言う箍(たが)の内側で生きている。箍(たが)の外では生活は成り立たず、
生命を維持する事は難しいであろう。
2
そうした人間における貧困状態は、その社会の中で生活財を獲得するための社会関係、生
活財交換に係る社会システムと個人の間の、多重層的に人間同士が形成する社会関係、社会
という箍(おり)の中の事情に影響をうけている。その中での、各場面の関係的な不具合、
齟齬の帰結として表れる生活問題と考える事ができよう。
社会的交流―家族、親族との交流関係、労働市場への参画、地域社会、財市場への係り等
―の中での不具合、齟齬、不自由にさらされる人々、社会的な交流関係の中で、対等性、互
酬性を失う人々が表れ、その人々には剥奪感情、心理的衰弱(無力感)があり、それら総体
が生活問題として捉えられた時に、その過酷な状態が「新しい貧困」として俎上にのせられ
たと考えられよう。
(3)生活問題と不平等問題の範囲
ところでレヴィ=ストロースは「親族関係の生成こそ人間の生成すなわち、人間の自然状
態から文化の状態への移行を記しづけるもの1」として、親族関係の生成を人間の集団形成、
文化状態への移行のベースに置いている。
人間の集団の形成、親族関係の生成は、集団の規律の生成を促し、人間はそれを受け入れ
つつ社会へ文化へと移行し、社会の内側で生活する存在となった。そしてその社会内に生起
する諸事項の分かち合い、互酬的な交換関係を求め合い、自らの命と家族、血縁集団、社会
の継続を互いに託しあう関係を形成しつつ、人間は社会へ、文化へと移行してきたと言う。
人間のさまざまな生活要求は社会的に満たされるより他はなく、生活物資の充足に裏打
ちされた生活様式の平等に限らず、人間の観念作用が生み出した総体、人権、自由、共同体
への帰属、交換権限、参加等の社会的権能を含む、いわば有形無形の社会文化的事象におけ
る分かち合い、互酬性な交換関係が求められ、それをもって生活要求は叶えられ充足され得
たのであろうか。
それら当然の要求が、充足される社会であればこそ、社会の内側にある人間集団は継承さ
れ、社会へ、文化へと移行して生き続けたと思われる。この関係において、何だかのずれ込
み、齟齬を生じ、要求が円満に充足されがたい場合に、人間は物質的にも窮乏を来し、さま
ざまな葛藤を生じて心理的に衰弱するのでもあろう。
①
モースの「全体的社会的事実」
レヴィ=ストロースは、モースの贈与論の結論を引用して「適切にもモースが『全体的社
会的事実』と呼ぶところのもの、つまり、同時に社会的にして宗教的、呪術的にして経済的、
1
渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』P125 平凡社新書 498 2009 年 11 月
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公理的にして情緒的、法的にして道徳的な意味を併せ持つ事実を我々の前に示すもの2」と
述べるところの、未開社会において重要な位置を占める交換活動は、経済的目的で行われる
のではなく、互酬的な交流関係であり、経済的な意味での交換活動には該当しないという。
交換によって「誰も相手からいかなる真の物質的利益をも得ない」のであり、「その目的と
するところは、何よりもまず精神的なものであり、交換の目的は、それにかかわる当事者間
に親愛の情を産み出すことなのである・・・3」という。
このような互酬的な交換活動の誘引であり目的でもあるところの人間の精神活動の一切、
それらを抱えて交換し交流しあうシステムとしての社会、その内側を生きる人間の生命活
動、生活の在り様は、「全体的社会的事実」と表現された交換、交流関係が示す原初の人間
の精神機能の展開課程、交流を求め確かめ合う関係、社会関係生成過程そのものであろう。
社会的諸権能を背景にする生活財の交換関係を擁して動いてゆく社会であり、社会の存
在理由であり目的でもある所の、人間の精神機能が生み出した総体、社会文化的な事象に包
まれている人間生活であり、人間は自然的生物的存在でありながら社会文化的存在でもあ
ると言う、その双方を抱えつつ社会の内側でしか生きられない存在である。そして社会とは
そうした交流関係の網とも言えよう。
近代科学的な学問分野、その範疇が生成分化する以前の、人間の象徴機能、観念作用の総
体、精神的、観念性とも形容されるところの、社会を生成する動因であって、目的、その結
果でもあるところの文化的事象の全てが、社会の内側で行われる諸生活物資、情報、婚姻の
相手の互酬的な交換、交流関係を覆っており、そうした交流のシステムである「社会」は、
物質的、精神的生活総体が「全体的社会的事実」と共に動いていると言う事であろうか。し
かしやがてその中のずれ込み、齟齬という不平等関係を生じる場面でもあった。
社会という箍(たが)の内側において生を営み、生活の全体、生活財の調達はもとより、
生活文化の全て、社会心理的な問題、家族関係、親族関係を包み込んでいる「社会文化的事
象」を生きる人間存在は、それ故に人間の観念作用の産み出した全て、社会関係、権能、人
間の生とその生きるモチーフ、人間を捉えているすべてを、「社会的全体的事実」=交換活
動が示している、その誘因であり結果であるところの「社会」を生成して世代を重ねている。
社会生成の目的であり、結果でもあるところの、社会的交流関係の中に、生物学的生存で
ある己達の生命を託さざるを得ないと言う緊張関係の故に、人間は社会文化的存在を選び
2
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レヴィ=ストロース 馬淵東一・田島節夫『親族の基本構造(上)』P132
昭和 52 年 11 月 20 日
同上 P134
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番町書房
取り、互酬的な交換関係、インセスト・タブーを互いに受け入れて、社会へ、文化へと移行
したのでもあろうか。
社会を形成する誘因でもあり結果でもあり、この双方、人間の社会の在り方、構成員の心
性、象徴機能、文化的事象の全て、人間を捉えている全てを含んで求め合う社会関係性、そ
の中の不平等感、心理的衰弱、それらを呼び起こし、立ち現れるところの全分野において、
不平等問題が表れていると思われる。
②
センの飢饉へのエンタイトルメント・アプローチ
ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、自身が 10 歳の時に目撃体験をした
ベンガル飢饉を分析するにあたり、
「エンタイトルメント」概念を創出、この概念によって
飢饉の原因に迫っている。
エンタイトルメント(entitlement, 権原)とは、
「ある社会において正当な方法で『ある財
の集まりを手に入れ、もしくは自由に用いる事の出来る能力・資格』4」さらには「私的所
有制度を前提に,社会において当人に開かれたいろいろな合法的ルートを経て取得し得る,
交換可能な財の組み合わせ5」と定義される。このような財取得の合法的ルートには資本市
場における売買の他に、交換・生産・移転(自家生産、労働の現物対価、贈与等の市場外の
物資取得交、交換等)を含むのであろう。
(センは 1983 年には、「開発:今何処に」と言う発展途上国の経済開発に関する論文の
中で、その後のセンの貧困概念を構成する中心的なターム「ケイパビリティ(潜在能力)」
と、この「エンタイトルメント(権限)
」という二つの概念を用いているが、この二つの概
念の関係について、
「エンタイトルメントは『ケイパビリティの導関数にとどまる』6」とし
て、
「ケイパビリティ」が「エンタイトルメント」より広い概念であることを示している。)
絶対的貧困の窮まった状態である飢饉の分析が、エンタイトルメント(権原)の崩壊過程、
食料や財の交換のための社会的権能の崩壊過程として分析され、飢饉という人間の生物的
生存を脅かす絶対的貧困でさえもが、その 地域への 食糧の 供給の不 足-FDA( Food
Availability Decline)を主要な原因としているのではなく、食料供給の不足の影響を最も大
きく被る人々、影響の少ない人々、階層間の格差、不平等の構造があり、それに従って階層
毎に異なった深刻さをもって影響を示すという社会的事実が証明された。
絵所秀紀 山崎幸治編著 『アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋―』
P88
晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
5 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1980/8100sa.htm
2016/08/01
6 絵所秀紀
「後期アマルティア・センの開発思想」P13
repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/1433/1/69-2esho.pdf 2016/08/01
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5
この事は、その地域で発生した飢饉の影響さえもが、社会的文脈の内側に、社会的権能の
分配動向によるという、人間における絶対的貧困の現実もまた社会関係性という文化事象、
社会の機構との関係、権能の配分状況、不平等さに規定されている事、社会文化的な問題と
不可分である事を示したと言えよう。そしてこの事からは、不平等問題とは、社会関係性と
表現され得る人間生活の全分野を覆いつくす問題である事が示されていると思われる。
②
分析枠としてのジェンダー概念のユニヴァーサル性
ところで先天的・身体的・生物学的に個体が具有する男女の性別に対し、「社会的・文化
的に形成された性別」をジェンダーという。
上野千鶴子は「経験的に知られるジェンダー現象とは、生物学的性差の諸次元を含む重層
的 ・複合的な現象であるのに対して、カテゴリーとしてのジェンダーはそうではない。」と
して、「社会的文化的カテゴリーとしてのジェンダーは、知られている限り厳格な性別二元
制のもとにあり、連続性や中間項を排除する性格」を有する事を指摘する。
「ジェンダー概念」は、ジェンダー現象とは全く同一ではなく、そのさまざまの傾向を精
査検討してその共通項を取り出し、それらの構成、特徴を整理統合した上で、ジェンダー概
念が枠づけられたと思われるが、不平等概念もまた、経験的に知られる不平等現象と不平等
概念の間には、概念の構成課程での、社会的公正という規範性から一定の整理が入るなどを
経た、概念構成上の経過、課程が存在しているのであろうと思われる。
社会文化的カテゴリーであるジェンダーの議論の開始時点、1970 年代以降の展開は「70
年代に女性学が成立したが、それが 80 年代にジェンダー研究へと転換するにあたって研究
領域は各段に拡大し、アプローチは女性という「項」から性別という「関係」へ、さらに女
性領域というローカル(局地的)から学際横断的にあらゆる分野へジェンダーという分析カ
テゴリーを導入するユニヴァーサルなものにかわった。」と説明されている。
「社会的、文化的に形成された性別」であるジェンダーとは、ジェンダー二元性、男女の
役割期待における峻別等が規範化されており、生物学的な男女差とは異なって強調される
差異を産み出し、この傾向は一方の男性性を主として、他方の女性性を従属的な地位とする
男女の非対称性、「女性への差別」と結びついている所に、それらが社会公正に反する所か
ら、今や広く社会的に受け入れられている概念といえよう。
このようなジェンダーと言う概念、人間社会、人間の観念世界、レヴィ=ストロース流に言
えば象徴機能が生み出し展開する、眼前の事実を越えて広がる認識構造、その産み出した観
6
念であるところのジェンダー概念、それを分析カテゴリーあるいは分析軸として様々な分
野、ユニヴァーサルと言うべき全分野にわたって、既成の概念が検討されている。その議論
の展開のされ方、その有効性が指摘されている所である。
生物学的な個体としての生物から社会関係を形成する人間へと移行する契機であり動因で
もあるところの、生殖の相手たる異性との係り合い、その中での非対称性を生じせしめられ
ている事、「ジェンダー」とされる社会文化的な事象が気付かれた。その影響下にある様々
な常識、概念構成に対する、「分析カテゴリ-」としての「ジェンダー」は、多様な展開を
なして広がり、様々な修正を求めつつ、学問の全分野に及んで広がっている。
その有効性自体が人間存在における社会文化的事象とは、かくも眼前の事実を越えて無限
定的に広がり得る、人間生活の全体をカバーしているという事実の証左でもあろうか。
2.不平等問題の議論
ところで人間生活は社会という箍(おり)の中で営まれ、社会関係によって動いていると
すれば、人間は社会の生成と発展の中に己の生存、種の継承を託する存在であり、その社会
の中の関係性に己を託さざるを得ない存在でもあろう。その事が、人間存在は社会的関係に
おける互酬的関係、対等性を求めざるを得ない存在としての自らを、生存のための形式とし
て互酬的な社会関係を選び取った存在と言わなければならない所以でもあろう。
そのような人間の存在様式からの要求に目をむけるならば、人間は社会の中でどのよう
な関係において、何の対等を問題にするのであろうか。比較する相手、問題にする領域によ
っては、その議論の枠、評価も変化するのが不平等問題である。アマルティア・センが、そ
の著書『不平等の再検討』の中で繰り返し、そう指摘する所である。
(1) 社会の平均的な人々との関係
まさに生きる上での箍(たが)であるところの社会において、社会内の人々の生活を規定
する、その集団の社会的な交流の質との関係の中で、その社会における平均的、代表的、主
流にある人々との比較において浮かび上がるのが、個々人の劣勢、不平等であろう。自らの
形成する社会関係には、平均的な人々との間に差異があり対等性が失われている事、その個
別的な事実とその多様な事象集合たる不平等問題として気付かれざるを得ないでのあろう。
不平等は、ついには生活財、食料の配分上の偏りとして表れるのであろうが、その背景た
る個人における社会関係上の劣勢、不平等、社会文化的要求における欠乏、窮乏が人々に感
じられて、そのような非対等的な関係性に対峙する人々の剥奪感、無力感などの、社会心理
的問題をも抱える人間社会の状態、その状態を概念化しているのが不平等概念と思われる。
7
不平等問題は、その社会には平均的な生活様式との比較において、負の逸脱がある人々がい
て、さらにその状況に対峙する人々の心理的衰弱があって、生活資源の調達や、社会的権能
の分かち合いの上で、その社会の平均的な水準を生きる人々と比較する時に、対等な社会関
係とは異なる、負の逸脱が求められる場合に、その負の逸脱、偏りについて、社会的公正を
欠く事柄として気付かれ、それらが切り取られ、概念として抽象化されているのが不平等概
念であろうか。
そしてこの比較すべき社会の平均的な水準を、対照集団をどのように考えて、特定するのか、
ここにも多様な見解があり得て、不平等問題を複雑にしている訳である。
(2)不平等問題の対象領域
①人間存在と不平等
この内容は文化人類学的、レヴィ=ストロース的に言えば、象徴機能に係る側面、それが
生み出した有形、無形の事象における要求への窮乏、無形的な文化事象(自由、人権、参加、
交流等)の要求への窮乏も含み、人間が形成する社会関係上においては、互酬性や、分かち
合いの要求が満たされずに、財の交換権限の崩壊、物質的剥奪、心理的衰弱、無力感が生じ
ている事態、それらを引き起こす諸場面をカバーする領域全体に係るであろう。
物質的剥奪ばかりでなく、心理的実在と言うべき事態をも根拠とする、
「全体的社会的事
実」を覆いつくし、時代の流れ、変化進展の中で生じる生活問題的な広がりをもって拡大、
あるいは縮小しているところの「不平等問題」というべきであろうか。
②不平等問題のひろがり
その対象範囲は、所得の不平等、物質的剥奪を含み、その人の生きる社会内での不自由さ、
社会関係における劣勢、それに向き合う個人の心理的衰弱(無力感)、心理的実在をも根拠
にして、文化人類学的に表現するところの社会文化的事象のすべてにおける劣勢を包含し
うるのであろう。
従って人間の観念作用、象徴機能の産み出した全て、社会参加、役割分担、権利義務、自由
などの対等な分かち合い、人間の存在様式からの要求、社会の文化全体、有形無形の文化事
象をも分かち合うべく要求への窮乏、その中での負の偏りの大なるところを取り込むと考
えられる。モースが言う所の「全体的社会的事実7」を覆いつくして及ぶのであろう。
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レヴィ=ストロース 馬淵東一・田島節夫『親族の基本構造(上)』P132
昭和 52 年 11 月 20 日
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番町書房
レヴィ=ストロースの神話論理の展開をみれば、人間の象徴機能は、類推(アナロジー)の
さまざまな様態、隠喩(近い意味において連想)、換喩(遠い意味同士の類似性がある類推)、
反転(真逆の意味へと展開する連想)、そして両義的な意味を持つ自然の動植物を媒介にす
る項などを重ねて多方位への類推(アナロジー)が展開するのだが、そのようないわば 360
方位の広がりであるところの観念作用の広がり、人間の文化の広がりにおいて展開する、社
会文化的範疇とされるところの広がりのままに、不平等の対象領域は広がりつつあると考
える事ができよう。
不平等は、人間の象徴機能が産み出した全て、社会文化的な事象における、互酬性、対等性
の齟齬、ずれ込みとして、その場面に向き合う人間における互酬性、対等性への要求が満た
されずに、社会関係上の齟齬、ずれ込みを生きる状況が概念化されていると考えられ、従っ
てこの対象領域は、ユニヴァーサルに及ばざるを得ないのであろう。
3.厚生経済学の貧困、不平等への数理的アプローチ
(1)厚生(welfare)と社会的厚生関数
ところで「厚生」とは、[welfare]の訳語の一つであり、[welfare]とは、旧厚生省の「厚生」
であり、幸福,健康,安寧,繁栄,福利,福祉(well-being)、社会の物質的または精神的繁
栄などと訳されている。
この厚生を軸にする厚生経済学は、厚生とは財貨や社会状態などから得られる心理的満
足感と定義した上で、人間の幸せを「厚生」の量として測定可能と想定し、その多寡によっ
て社会状態(貧困状態、政策効果の良し悪しなど)を評価できると構成している。
厚生経済学的な貧困、不平等へのアプローチは、所得の多寡が基本的には「厚生の量」を
なぞる事ができるとして(さまざまな変換式を想定している)
、所得情報を情報的基礎とす
る関数関係、社会的厚生関数を構想し、
「厚生の少なさ」を軸にして貧困、不平等の度合い
を算出するものである。
「厚生」が多い社会は幸せが多い社会なので、
「最大多数の最大幸福」
が求められる。
(2)不平等測度
①さまざまな不平等測度
所得不平等を焦点にして、その程度を測る社会的厚生関数、不平等測度が多数開発されて
いる。上記のように所得の多寡はその人の幸せ、「厚生」を基本的には決定すると言う前提
を立てて、「厚生」の量、あるいは所得額自体から、その社会の不平等度を数量化し、指数
として求めようとする。この形式をもって進められた厚生経済学の不平等測度の研究の延
長上に、国連の不平等、貧困問題への取り組み(人間開発)に、大きな影響を与えた系譜も
9
生れている。
古くは「マックス・O.ローレンツが 1905 年にアメリカで発表した曲線は、ウィルフォ
ード・I.キングによって 1912 年ローレンツ曲線と命名8」されており、1914 年のイタリア
では「のちに『ジニ係数』と呼ばれ、所得分布の不平等度を統計的に計測するに重視される
ようになった『集中比』が始めて公表された9」という。ローレンツ曲線を抱えるジニ係数
は後に、厚生経済学的に評価されて今日に至っている。
(ローレンツ曲線は「不平等測度に関する研究において中心的な役割を担ってきた重要
な概念」であり、ジニ係数はローレンツ曲線と均等分割線との差から、不平等を測定する測
度である。)
これらは大まかに言えば比較する相手を、社会の平均所得額、あるいは社会的厚生を最大
にする平等な所得状態として、その仮定的な所得額(全員が同じと仮定)と、現実の社会の
所得分布との違い、
「差の大きさ」からその社会の不平等の大きさを指数化するものである。
また情報理論で検討される、ある事象の起こりにくさと、その事象が実際に起こったと言
う情報価値との関係は、起こる確率が低いほど情報価値は高まるという関係なので、この関
係を対数変換させてから、平等な所得状態の社会がエントロピー(状態量・変化しにくさ)
最大(平等な社会)として、所得をある事象の起こりにくさとを対応させて、情報理論を不
平等測度に転用するのがコルム指数である。この指数は政策対応において期待される不平
等概念の構造を、良くなぞっている。
③ 不平等測定に影響を与える事象
このような所得に関する不平等測定(測度)においては、
「所得額の実際のばらつき額」
は、
「所得額の平均、またはその社会の代表的な人々の所得」と実際の分所得分布の差によ
って測られるのだが、現実の社会の不平等度は、所得分布状態、バラツキの実際の額、数値
が、各社会の人口規模や平均所得によって、影響を受けるので、影響は標準化されている。
また実際の所得額のばらつき額に加えて、その詳細、貧困者内部の各階層を構成する人数、
極貧者が多いか、比較的裕福な貧困線近傍の人々が多いかなど、貧困階層内部の階層構造、
自分の「社会内の順位」の様相からも不平等度は影響を受けるとの考え方も支持されている。
後者については剥奪感情について考えれば良く分かるように、その社会内での自分より
貧しい人の人数、「社会内の順位」によってその人の「みじめさ」や「剥奪感」は左右され
るであろうから、貧困者内部の階層構造を勘案する不平等測度には説得性がある訳である。
8木村和範『ジニ係数の形成』P153
9
北海道大学出版会 2008 年 3 月 10 日
同上 P213
10
これら所得不平等を軸にした測度では、一つには所得分布における所得額の絶対的低さ、
偏りを問題にし、二つ目には社会内順位の動向(階層構造)という二つの要因から不平等を
把握すると言う手順となり、
「不平等測度に関する研究において中心的な役割を担ってきた
重要な概念」であるローレンツ曲線でも、この二つから不平等が捕捉されている。そしてロ
ーレンツ曲線と均等分割線との差から、不平等を測定するのがジニ係数である。
所得不平等測度の構成は、比較する標準値、あるいは仮定的に想定された平等状態にある
所得を比較してその差を測ると言う構成だが、不平等とは相手のある、他者との比較によっ
て初めて明らかになる概念である事の数理的な表現である。加えて社会内の所得順位を捕
捉して所得不平等を把握する、あるいは順位関係により並べて不足を捕捉する構成(ジニ係
数)は、
「社会内での貧困順位」、すなわち自分より貧しい人の人数、社会の階層構造に規定
されるのが不平等の度合いである事の数理的な表現といえよう。
この二つの観点を様々に調整しつつも、所得不平等度の計測は、人口規模、平均所得、バ
ラツキ度合によって、調整される必要があり、なお完備的な測度は特定できないのであった。
④ 各不平等測度が想定している不平等
不平等とは、人々の社会内での対等な分かち合いの要求(社会文化的要求)が満たされず、
社会生活上の齟齬、不具合が生じる生活状態であるとすると、この問題を一般的な欲求とし
てではなく、先ず所得の不平等問題として限定し、一般的な齟齬としてではなく、社会内の
ある他者との比較と言う軸足を定めた上で捉えようとするのが、不平等測度の構成である。
この構成は、比較すべき相手との比較で、どれだけどう劣っているのか、その様態、現実
の社会の所得分布上の不平等の様態に即して、積算される数値の動きから不平等概念の輪
郭を描き出そうとしていると言えよう。この比較する相手を設定する事によって、不平等は
事実関係であり、主観性を可能な限り脱した、社会科学概念としての不平等概念に迫ろうと
する訳である。
そこで不平等測度とは、その構成において、均等分割線が表現するところの、比較する平
均的な人々、理想的仮定的な所得状態の人々をどう選び取り、その人々との関係において、
どれ程の負の偏りにあるのか、その集計値としての不平等度の計測であり、多様な類型が産
み出されている。それら様々な不平等測度が想定している各「不平等」概念の特徴が、所得
不平等問題を軸にして、「公理」という解析枠によって分析的に検討されている訳である。
④
多軸情報で不平等問題にアプローチする
これら所得を軸にする厚生主義的な不平等評価に対して、相対的貧困や社会的排除と言
11
う不平等問題においては、生活様式と表現される多軸的な生活情報により不平等にアプロ
ーチしており、その多軸的な諸項目はそれぞれの中央値などと、比較すべき社会的水準との
関係をもって考察されている。
相対的貧困(剥奪)と言う不平等の状態を把握する指標は、この概念の提唱者である T.
タウンゼント自身が最初に開発しており、阿部彩は「12 の生活活動を行うために必要と考
えられる 60 の項目をリスト アップし、それらの所有(項目が活動の場合は、その活動を
しているか否か)を調査対象 者に問い、yes の場合は1、no の場合は0とした二値変数の
リストを得、それらを単純に 加算したもの」と紹介しており、60 項目によるアプローチで
ある。
またアマルティア・センのエンタイトルメント概念は「購買力ないし実質所得と言った経
済学の概念を包含すると同時に、政治的、社会的権利などに基づいた食料入手能力をも含ん
でいる10」との指摘も見られるように、所得ではなく、多軸項目に渡る生活情報による貧困
原因へのアプローチであり、この手法は国連の人間開発計画指数(HDI)、人間貧困指数(HPI)
の創出に大きな影響を与えている。
さらに EU(ヨーロッパ・ユニオン)は、前述のように 21 世紀の初頭に多様な生活場面(生
活物資の調達の市場、家族、地域、職業生活等)での、諸社会関係上の齟齬を「社会的排除」
とする不平等問題を新しい貧困「社会的排除」としており、排除指標の調査項目は、生活の
多軸性をなぞって、生活全分野、7 次元、50 項目11に及んでいる。
さらに欧州 2020 戦略以降の現在の EU は、金融危機以後の欧州社会の貧困化を受けて、
「社会的排除」などの貧困(新しい貧困としての不平等問題)への対応について、物質的剥
奪、低所得問題と諸生活問題との相関を把握する傾向となっており、各種社会調査の綜合的
把握を通しての、物質的剥奪重視への回帰も読み取れるわけである。(当ブログの「欧州
2020 戦略下の貧困指標」を参照下さい)
そして橘木俊詔は、社会的排除指標と相対的貧困指標の調査項目の傾向を分析して「貧困
と言う金銭的な問題のみならず、市民としてあるいは社会人として、人々がどのような不利
益な状況に置かれているかを明らかにしている12」としており、社会的排除は相対的剥奪の
延長上にある13と述べ、二つの概念の違いを 5 つの項目(次元・必要財・サービス・分配と
他人の関係・時間の長さ・対照の人)を縦軸にする「表」として整理し比較対照をしている。
絵所秀紀 山崎幸治編著 『アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋―』
P286 晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
11 安倍彩
「日本における社会的排除の実態とその要因」P32
12 橘木俊詔
浦川邦夫『日本の貧困研究』P298 東京大学出版会 2006 年 9 月
13 橘木俊詔
浦川邦夫『日本の貧困研究』P282 東京大学出版会 2006 年 9 月
10
12
この「表」は、
「相対的剥奪」、「社会的排除」と命名された新しい貧困は、時代の動向、
経済的、社会文化的条件によって焦点を変化させる不平等問題に他ならない事を示してい
ると考えられ、この不平等は社会文化的存在としての人間の生活要求、その窮乏と捉えられ
よう。
(3)貧困測度(指標)
①セン測度の開発まで
1960 年代から 1970 年代にかけて、先進国では「社会指標運動」とも呼ばれる、社会指
標の研究と開発が行われた14が、その時期は、「絶対的貧困の問題は現代ではもはや消滅し
た。それに変わって登場したのが相対的貧困・剥奪の問題である」と言う声が高まった時期
15、1970
年代と符号している。
『貧困と飢饉』(1981 年)までのアマルティア・センの貧困研究は、「所得や消費支出に
よって個人の厚生を計測するという伝統的経済学の枠組みで、貧困の概念化・指標化を厳密
に行うところに力点があった 16」とされて、前述「セン測度」という貧困測度(pov erty
measure)を 1973 年-76 年にかけて完成させている17。
それまでの貧困を測定する方法としては、多用されている 2 つの測度があり、一つは貧
困者比率(その社会で貧困線以下の所得で生活する人の占める比率)であり、もう一つ所得
ギャップ比率(貧者の所得が貧困ラインからどれ程平均すると下回っているか)である。こ
れらの測度では何%の人が貧困であるのか、そして貧困者達の所得は平均して貧困ラインか
らどれ程低いのかから、その社会の貧困の度合いが示される。
しかしセンは、この二つの測度では把握出来ない、貧困者内部の異質性に注目し「貧困者
内部でも様々な状況の人々がおり、それゆえに社会・経済的変化による影響も一様ではない
18」事に関心を抱いた。貧しい人々の間にも所得の格差があるので貧困ラインからずっと下
野上裕生 絵所秀紀 山崎幸治編著 『アマルティア・センの世界―経済学と開発研究
の架橋―』 P202 晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
15
鈴村興太郎 後藤玲子『アマルティア・セン 経済学と倫理学』P207
実教出版 2005 年 11 月 25 日
16 絵所秀紀
山崎幸治編著 『アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋―』
P83 84
晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
17 絵所秀紀
山崎幸治編著 『アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋―』
P86 晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
18 絵所秀紀
山崎幸治編著 アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋―
P84
晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
14
13
の所得水準で、貧困ギャップの大きい、深刻な貧困者の状態が反映されること19を求めて、
それを可能にするように工夫された公理(必要条件)を編み出して、『順位付けされた相対
的剥奪』つまり相対的剥奪の程度を順位付けする測度、「セン測度」を開発した訳である。
②
セン測度という貧困指標(poverty measure)
この有名な測度は、1970 年代から 80 年代前半にかけての貧困計測において集中的に用
いられ、貧困概念の数理的分析、精密化に大きく貢献したとされる。この成果は多くの貧困
指数の開発を促し、近年とりわけ幅広く活用されている一群の貧困指標、FGT 指標 20群の
開発へと向かった。
センが開発した新しい貧困測度には、有名な不平等測度「ジニ係数」が内包されており、
そのジニ係数の均等分割線は、貧困者と非貧困者を分ける貧困線所得、貧困者の最高所得額
である。貧困者内部の異質性、格差に注目するこの測度の展開式は下記の通りである。
センの貧困測度 :(セン測度のジニ関数の均等分割線は貧困ラインである)
P(貧困の度合い)=
H(I+(1-I)×貧困者内部のジニ関数)
展開すると: P(貧困の度合い)=HI +
H
(貧困率) :
H(1-I)×貧困者内部のジニ関数
(貧困線以下の人数/全人口数)
I (所得ギャップ比率):(貧困線-貧困者所得の平均/貧困線)
上記セン測度の前項は、貧困率と所得ギャップ比率を掛けた値であり、貧困者全体の富
(累計所得額)の不足量であり、いわば貧困者の人数とその低所得の度合い、貧困の深さの
値である。そして後項は貧困者の所得不平等を示すジニ係数に貧困者の富(累計所得額)に
比例する値を係数としてかけているので、貧困者の不平等について、貧困者全体が貧しけれ
ば貧しいほど小さくなる値である。
そこでこの測度全体は、絶対的貧困を反映する前項と、相対的貧困を反映する後項とを加
法的に合計した値と考えられ、先進国型、後進国型の相体的貧困、絶対的貧困の様相、その
関係をよくなぞっている。
(このブログ上で図解合として検討しているので参照ください。)
セン測度は、各社会の貧困状態を数量化し、基数的に序列化して比較できるので、集団間
で貧困度の比較ができる事、また同一集団内の貧困状態の改善や悪化の度合い、貧困政策の
効果測定ができると言う利点を有しており、この点が貧困計測において集中的に用いられ
た理由である。セン測度は『公理的に導出されたという理論的アピールに加えて、貧困層内
部の不平等をジニ係数という形で取り込んだものと解釈できる為、直感的にも理解しやす
19
20
同上 P86(「順位付けされた相対的剥奪」の公理
同上 P86
14
く、優れたものであった。21』とされている。
③
セン測度以後の動き
セン測度の開発の後、セン測度に触発され、貧困者内部の所得分布に感応的(不平等の動
向に反応する)貧困測度の研究はその後、量的に膨大で質的に緻密な文献を誕生させている
22と言う。そしてそれらは「S
測度の依拠するジニ係数の使用を他の不平等測度によって置
き換える事ができると言う事実23」によるセン測度の拡張であり、セン測度内のジニ係数を
さまざまな不平等測度に置き変えた上で、その傾向を各公理によって分析している。
この「公理分析」とされる手法による不平等指数、貧困指数の開発は、それまでの貧困概
念が持っていた含意としての規範的判断を、公理として取り出し、その焦点を明示化してい
るので、貧困についての議論の水準は精密化され、その規範的判断をめぐる理解が進んだと
言う。
(4)ケイパビリティとエンタイトルメントによるアプローチ
ノーベル経済学賞を受賞したアマアルティア・センが、セン測度(貧困指標)の開発、検
討の後に飢饉の分析に用いた概念が「エンタイトルメント(権限)
」であり、有名な「ケイ
パビリティ(潜在能力)」概念の導関数であると24の表現である。
後にアマルティア・センが提起した、
「厚生」という心理的な満足感に変わる幸せの基準
が「ケイパビリティ」であり、この幸せの基準によって、幸せの不足状態である貧困を測定
しようとする。「ケイパビリティ」の定義は、『人が自ら福祉を実現する自由度25』とされ、
後藤は「諸財の有する特性を個々人の財(特性)利用能力・資源で返還する事によって達成
される諸機能の選択可能集合26」とされる。
この概念は、その個人が、その社会で、将来において確かに達成可能な生活の豊かさとさ
れており、その社会の豊かさはその社会でのケイパビリティの構成要素「機能」の集合とし
絵所秀紀 山崎幸治編著 アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋―
P86 晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
22 鈴村興太郎
後藤玲子『アマルティア・セン 経済学と倫理学』P223
実教出版 2005 年 11 月 25 日
23 アマルティア・セン
鈴森興太郎・須賀晃一訳『不平等の経済学』P194 東洋経済新報
社 2008 年 9 月 9 日
24 絵所秀紀 repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/1433/1/69-2esho.pd P167
2016/08/01
25塩野谷祐一/鈴村興太郎/後藤玲子編
『福祉の公共哲学』 P77 3 行 東京大学出版会
2005 年 5 月 30 日
26 後藤玲子
アマルティア・センの潜在能力アプローチと社会保障 P1
www.rengo-soken-.or.jp/dio/No149/k_hokoku1.htm 0702/11
21
15
てイメージされている。機能(ファンクションズ)とは、幸せな生活を構成する諸機能であ
り、
「
『適切な栄養を得ているか』
『健康状態にあるか』
『避けられる病気にかかっていないか』
『早死にしていないか』
『幸福であるか』
『自尊 心をもっているか』
『社会生活に参加してい
るか』27」など生活の質に関連する内容であり、これら諸機能を実現するための自由度が「ケ
イパビリティ」である。
これら「諸機能」の量の集計をもって「ケイパビリティ」の量は測定できるとされており、
それぞれの個人の境遇、持って生れ、その中で生きるところの個人の制約条件、貧富、障害
や病弱の有無、出自、就労能力等の度合いを測り比べる事ができる量とされる。その人が、
その条件下で、その社会の中で、その人の福祉を実現するための自由度をケイパビリティと
しており、このケイパビリティに対して「所得、基本財の充足」は幸せを達成するための手
段と言う位置付けとなる。こうして「幸せの少なさ」である「ケイパビリティの少なさ」に
よって「貧困」にアプローチしようとする訳である。
(5)国連の人間開発指数
アマルティア・センが主導した国連の貧困指標の開発は、上記多元的に貧困を測るという
考え方で進められ、人間開発計画指数(HDI)、人間貧困指数(HPI)もまたケイパビリテ
ィの主要な要素である「保健、教育、所得」で測るものとして、平均寿命、識字率、GDP の
3 側面をもって算出されている。センの思想は国連の貧困への対応、人間開発に大きな影響
を与えたものであり、この手法の吟味の中から「貧困とは多次元的な問題構造である」事は
広く浸透していった。
① 2011 年の改訂
この人間開発指数は、2011 年に改訂28されて、貧困を把握する三側面の中の一つ「教育の
側面」は「就学予測年数(現在、就学開始年齢の子どもが生涯を通じて受けると予測される
学校教育の合計年数)および、25 歳以上の成人の平均就学年数を組み合わせて算出する」
へと改訂、
「平均寿命」は「平均余命」へと改訂された。
また所得の側面は、
「米ドル建て PPP 換算済みの 1 人当たり GDP に代えて、米ドル建て
PPP 換算済みの 1 人当たり GNI を用いるようにした。GNI は、海外送金の影響を考慮に
入れることが可能なデータなので、多くの途上国の経済状況を GDP より的確に描き出すこ
とができるからである。29」として改訂への議論、その経過も公開されている。
アマルティア・セン『不平等の再検討』P59 岩波書店 2000 年 12 月
www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/library/human.../human.../QA_HDR1.html
2016/08/01
29 同上
27
28
16
所得の不足という側面から貧困を捉える厚生主義的アプローチに対して、人間開発の視
点は、貧困は多次元的な生活問題であり、所得ばかりでなく、社会生活場面において、社会
的権能の獲得を軸にするエンタイトルメント概念をも広げて、保健そして教育の水準にも
焦点をあてている。各社会の貧困の状態は、ケイパビリティ(潜在能力)の平等と言う視点
によって構成されている「人間貧困指数」、
「人間介達指数」の動向によって、各国の国民生
活、開発の効果が比較検討されつつ、国連の「人間開発」は展開している所である。
② 所得情報は GDP から GNI へ
ここで注目されるのは、所得についての指標が GDP [Gross Domestic Product (国内総生
産)]から GNI[ Gross National Income (国民総所得)]へと改訂されている事であろう。
国連のホームページ上の説明では「ある国で生み出されたモノとサービスの金銭的価値
を評価する指標であるが、その金額のうちのどれだけが国内にとどまったかは考慮しない。
一方、GNI は、ある国の住民が得た所得の金額を評価する指標である。つまり、GNI の値
には、国外から流入した金額が加算される半面、国外に流出する金額は差し引かれる。この
点で、GNI は GDP より正確に、一国の経済的な豊かさを描き出すことができるのである。
(下線は筆者による)2010 年版の人間開発報告書で示したように、GNI と GDP の値の間
には、ときとして際立った違いがある場合もある。30」としている。
グローバル経済が席巻する今日、国境を越えて資本が寸時に移動する時代を迎えており
GDP から GNI への改訂は、国民生活の実態の把握上の不可欠な海底であろう。
貧困は 19 世紀には生活財(食料等)の過酷な窮乏状態として概念付けられたが、21 世紀
の今日では次第に多軸情報でとらえる生活の全分野に及ぶ生活問題、生活困難、生活様式や
社会関係上の劣勢、不平等を抱えた、多次元的な窮乏状態として捉えられており、グローバ
ル経済席巻の中で、国境を超え得た富の移動に対応する指標の開発、選択も行われている。
4.社会的存在である人間にとっての不平等問題
(1)生活の全分野をカバーする不平等問題
自然的、生物学的存在として生を営む野生の動物たちにおいては、運の悪さ、偶然的事象
のところが重なり合いがあっても、その動物種における固有の生態的特徴において、その中
から不平等が抽出される事はあり得ないに違いない。
ところが人間生活は社会という箍(たが)の中にあり、その事がホモ・サピエンスとして
www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/library/human.../human.../QA_HDR1.html
2016/08/01
30
17
の生態的特徴というべきであろううか。その社会における人間達の交流の仕方、交換関係の
在り方、各小社会集団の文化、慣習などの影響下にある、その箍の中での生活全体は、社会
関係の坩堝でもあり、その社会で営まれている平均的な社会的交流の質に対して、自らに負
の逸脱、齟齬、劣勢が生じている場合に、やがて人間は社会的な諸権能の欠乏と共に、生活
財の調達困難等の生活問題を抱えざるを得ないであろう。
ホモ・サピエンスにおいては、社会習慣、規範、規制が重なる社会の中での他者関係にお
いて規定される生活を営み、生活の各分野は互いに重層的に重なり合い影響しあうので、不
平等の影響もまた部分的問題にはなりえず、生活の多様な側面に及ぼさざるを得ない。
生物学的(自然的)存在でありながら社会文化的存在として生活を営む人間、社会文化的
側面の拡大深化を生きる人間存在ならではの、社会文化的側面における齟齬、格差、窮乏が、
「新しい貧困」として提示されざるを得ないのであり、このような社会関係的事象、社会的
場面における不平等問題は、貧困概念における主要な構成要素として生活の全分野に及ぶ
と思われる。
(2)社会の機能から考える、生活問題としての不平等
自然から文化へとの移行を生きた人間、ホモ・サピエンスにおける、社会と文化の生成に
ついて、世界の諸地域の民族学的調査を読み解くレヴィ=ストロースは、婚姻規則(インセ
スト・タブー)とは自集団の女性を「交換せよ」という「文化的規制の生成31」の問題であ
るとしている。人間存在は生物としての自然であった生殖、その相手という自然に、インセ
スト・タブーという要請、規制を受け入れ、社会文化的規測を刻み、生成した訳である。
自然状態においては、婚姻の相手とは生物学的存在における生殖行動の相手に違いない。
しかしここに刻まれた婚姻規則(インセント・タブー)において、人間は人間同士のコミュ
ニケ-ション、互酬的な交換関係を求めて社会の形成へと向かい、それが人間の自然から文
化へと移行する動因でもあり、結果でもあるところの婚姻の相手の他集団への「贈与」だと
レヴィ=ストロースは言う。
この規則は、自集団の女性を、他集団へと贈与する事で、その不足を他集団から贈与され
ると言う交換交流関係を巻き起こす動因ともなって、人間と人間集団は社会へ、文化へと移
行をしたと捉える訳である。
人間は社会という箍(たが)の中で、社会的な行為としての交換、交流を通して、社会へ
と文化へと移行してきたのであるとすれば、この集団内、あるいは集団間の互酬性、対等な
31
渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』P129 平凡社新書 498 2009 年 11 月
18
交換関係に、何だかの変質があれば、その事は生活場面における様々な齟齬、劣勢、多様な
社会的権能に係る「不平等」となって、これに対峙する人々の生活の全分野に影響が及ばざ
るを得ないのであろう。
社会と言う箍(たが)の中で生きる人間存在は、社会的行動における対等性、互酬性を求
めざるを得ず、この社会文化的な側面での諸要求が満たされず、不都合、劣勢、窮乏を生じ
つつ、この社会関係的な諸要求への窮乏が感じられた時に、不平等問題は発生し、気付かれ、
概念化されたと考える事ができよう。
(3)過酷な不平等問題としての貧困問題
低所得としての貧困概念においても、社会関係的な齟齬、劣勢などの不平等問題は、低所
得状態という貧困の原因でもあり結果でもありつつ、そのベースに横たわっていると思わ
れる。そして人間は社会集団内で生活財(食料等)を調達するのであり、財市場、非市場的
な交換関係などの多重層的な社会経済システムの中での交換関係に対峙している。このよ
うな場面での劣勢、排除といった不平等の影響は、不平等が極まるにつれて、さまざまな生
活要求を引き起こし、それら相互が生活問題構造であり、不平等を形成する事となろう。
こうして、時代性、地域性をもって拡大、あるいは縮小しつつある不平等問題は、その社
会の特徴ある生活問題を構成しつつ、その過酷な部分が生活困窮として表れ、生活財の窮乏
とともに心理的憂鬱を引き起こして、不平等であって貧困であると言う状態が現出して行
くと考えられる。
近代の夜明け、産業革命以降の社会の中で、地縁的、血縁的な共同体を離れて、都市への
流入を余儀なくされた都市生活者への戸別訪問として組織化された私達のソーシャルワー
ク活動は、貧困者への相談として開始して展開をしている。その当時から、ソーシャルワー
ク活動においては、貧困は過酷な生活問題として、常に多軸的(住宅問題、栄養不足、傷病
等)な様相を呈しており、不平等問題と同様の範囲をカバーする「過酷な部分」であり、友
愛訪問やセッツルメント活動の対象であったわけである。
5.貧困、不平等への厚生主義的アプローチへの批判
この生活の全分野に及ぶ貧困、不平等問題を、「厚生」を物や財から得られる人間の心理
的満足感と定義した上で、「厚生」を媒介にして測定する手法、厚生経済学的手法に対する
アマルティア・センの批判、その観点は、厚生情報の指し示す範囲の限定性に対して、貧困、
不平等問題の対象領域、「全体的社会的事実32」というべき無限定的な全体性からの、当然
32
レヴィ=ストロース 馬淵東一・田島節夫『親族の基本構造(上)』P132
昭和 52 年 11 月 20 日
19
番町書房
の限界性指摘、批判と考える事ができよう。
さらに不平等問題は、相手のある問題であり、他者との比較、他者との関係性において生
じ、始めて気付かれる問題であり、社会を営む人間存在における他者関係とは、「関係の世
界においては個は存在しない33。」と表現される問題として表れている。
(1)厚生主義について
その社会の望ましさや、社会的厚生(効用、満足度)を考えるのが厚生経済学である。旧
厚生経済学は、「最大多数の最大幸福」を求めて、社会的厚生の最大化をもたらす財の配分
を最適な分配とする。社会全体としての厚生(社会的厚生)は社会を構成する個々人の効用
を加法的に集計して測る事ができると考えた。
この思想に従えば、もし個人1に生来の障碍が有って、個人2と所得が同じでも個人2と
比べると効用は常に2分の1であるとする。この場合、社会的厚生は、個人1よりも、個人
2により多い所得を配分する方が、個人 2 の所得は個人 1 より多い効用を生むので、その
逆よりも、全体の効用野総量は多くなる。つまり障碍ある人には少ない配分とする事が望ま
しいとならざるをえない。このような配分原理が社会福祉の価値に反する事は言うまでも
無い。
また個人の効用とは「ひとびとがある経済メカニズムの帰結から受ける主観的満足(効用
或いは厚生34)」ともされており、万人に共通な尺度はありえない。個人と個人の間で効用を
比較する事、加法的集計も論理的に不可能であるとの批判がなされた。この当然の批判を容
れて、効用の個人間比較ができないと言う前提に立つ、序数的効用をもって新厚生経済学が
開始している。の
この「序数的効用」
「厚生」を人間の幸せを測り比べるための単位、基準値とすること、
その不足を貧困として貧困の程度を測り比べる事の限界、測定不能の領域がむしろ膨大で
ある事が指摘されていると考えられる。
(2)個人の境遇、生きる条件の違い
厚主義的な不平等へのアプローチに対する批判の、貧困概念との関係で重要な一つは、
所得を活用する個人の境遇(身体、精神的障碍、出自など)の違いを、厚生情報では捕捉
できない事であろう。
33
丸山圭三郎『ソシュールを読む』P79 岩波セミナーブックス2 岩波書店 2009 年 3 月
34
鈴村興太郎 後藤玲子 アマルティア・セン 経済学と倫理学 P12
実教出版 2005 年 11 月 25 日
20
人間は個々人が同じ所得であっても、その所得から得られる満足度(厚生)はその境遇、
社会的な条件によっては違いが生じ、同じ所得があっても障害をもってする生活では厚生
は低くならざるを得ない。にも拘わらず厚生(効用)を軸にする判断においては個人の境
遇、生きる諸条件の違いからのマイナスの影響は捕捉する事ができないのであった。
その人の出自、出身世帯の貧困は、学歴や社会的立場の劣勢を引き起こし、障碍や病弱
を抱えての生活は、同じ所得、財の配分があっても、その人の厚生(効用)、満足感は常
に少なくならざるを得ない。この少ない厚生しか生じる事ができない人達への財の配分問
題において、社会的厚生の増大を軸にする厚生主義においては、この障碍、病弱などを抱
える人々への配分を少なく、境遇の優っている人々には多く配分する事が、社会的厚生最
大化に叶う配分であった。
そのために人生のスタートを、人生を大きく左右する個人の境遇への補償を、厚生を軸
にする厚生経済学的枠組みにおいては否定されざるを得ないのであった。
この点が社会福祉の価値に反する事は言うまでもないが、センはこのような厚生を軸に
する判断に対して、「衡平性の弱公理(weak equity axiom) 35」という弱い平等主義的な要
請、平等性に関する道徳判断の枠組みを公理として課している。この要請は、「常に厚生
(満足度)の低い人にはより多くを配分せよ」という要請である。しかしこの公理は「厚
生主義的な社会的厚生関数はこの公理を侵犯する可能性をもつ36」事が示され、厚生主義
的なアプローチの限界を露呈しているとされる。
(3)厚生情報ではとらえきれない不平等問題
もう一つの批判的観点は、個人の所得から直接導かれる厚生、効用をもっては、他者と
の社会関係上で問題になる不平等、格差をトータルには捕捉できない事であろう。人間の
多様性は、そもそもひとつの平等と他の側面の平等との衝突を生み出すと指摘される。
厚生経済学的な不平等問題は、その社会内の他者の所得との比較、所得格差の問題とし
てアプローチされるのだが、近代以降の市場経済の席巻を考えれば、財市場での交換関係
が生活財調達の主要な場面として拡大し続けているので、所得による貧困へのアプローチ
35
同上 P88
2005 年 11 月 25 日
衡平性の弱公理「所得のどの水準に対しても、個人iの効用は個人jの効用を下回るものとせ
よ。その時、所与の総所得をiとjを含むn人の間で分配する際には、最適な所得分配は個人
jに対するよりも個人iに対してより多くの所得を与えなければない」
36 同上 P88
21
は、今尚、生活の多面的な側面での生活物資の窮乏、その直接的、間接的な影響を捕捉す
るための、有効な手法であり続けていると言えよう。
しかしながら一方では、社会という箍(たが)の内側に生きる人間存在とっては、所得
だけでは捉える事ができない問題、社会心理学的領域が横たわっている。社会という箍
(たが)、クリフォード・ギアツの文化定義によれば、人間の行動を支配する制御装置、
それが文化だという。
たとえばその時代、その社会に生きる人々の「人間の幸せ」にとって大切な事柄とは何
か、何の平等が大切なのか、富か自由か人間かなどと、不平等問題は人間生活、人間の幸
せの評価の根幹に係る問題、価値規範性にも影響をうける。そして「人間の幸せ」は人間
の心理過程という見えざる事実によっても左右される問題である。
人間の幸せの平等配分を求めようとすれば、不平等に向き合って生きる人々の物質的剥
奪、さらにはその心理的衰弱(憂鬱)、社会の慣習、習俗上の重要課題(人権、職業選択
の自由、男女差別、身分制、生活様式等)
、病への対処、職業能力の獲得などの社会保障
の影響などと、文化次元と言うべきさまざまを含む重要な問題が横たわっている。
そこでその社会の経済システムや文化傾向、生活財の交換の様態、政治的安定性へと議
論の範囲が動かざるを得ないのが不平等の議論であり、時代の進展とともにその射程の範
囲を拡大、縮小せざるを得ないといった、いわば無限定性を抱えていると言えよう。
この点が不平等の把握のための情報的基礎の多次元性、重層性として表れており、不平
等問題をどの観点、何との比較において捉えるのかという、評価する側の視点、社会の文
化、産業構造をも斟酌せざるを得ないと言う問題となり、不平等問題とはその概念構成
上、厚生では覆いきれない問題、対象領域を抱えて広がり展開していると考えざるを得な
いのであろう。新しい貧困と言われる貧困が提示され、そして受け入れられる下地はここ
にあると思われる。
6.不平等問題の曖昧性、相対性について
(1) 国家政策の対象たる貧困との関係
21 世紀の今日、新しい貧困が提唱され、貧困は人間社会が克服すべき社会問題として政
策的な取り組みが行われ、各国社会保障制度、社会政策上の目的は脱貧困となっている。と
ころが不平等とは否定さるべき問題ではなく、その克服のために人を活動的にさせるとの
評価もあるように、社会の中に必要な問題であるとする論者も少なくはないわけである。
さらに不平等問題は、例えば国家政策的に克服すべき問題として登場すべく要請される
22
貧困概念との関係において、国家政策、公的扶助制度(生活保護制度)の基準、国家的な「貧
困線をどこに設定するのか」という議論の中では、相対性、曖昧性故に、一定の留保が求め
られざるを得ないと言う、「懐疑主義につながる要素37」が指摘されている。
19 世紀に興隆した科学観に従えば、科学的な営為は「一つの真実」を求めるものであり、
近代的理性の指し示すべき「真実・真理」は、曖昧性や相対性は、払拭さるべきであった。
この中で不平等問題は、国家予算を充てて対応さるべき貧困との関係においては、絶対的な
基準をもって概念付けらるべき貧困概念に対して、誰との比較において、何を比較するのか
によって、議論の枠組みも評価も異なると言う曖昧性、相対性を抱える構成であった。
生活財の不足をベースに置く「剥奪」という概念により絶対的に必要な水準を求め得る貧
困と構成されつつも、「相対的貧困」は「絶対的貧困」と対比されて、曖昧性相対性を抱え
る問題設定として、普遍的真実を突いているとは言い難いという不平等問題同様の特徴を
抱えており、「懐疑主義的」な受け止め方がなされたとの指摘である。
(2)必要な観念装置としての絶対と相対
時は 19 世紀、貧困概念にも科学性が要求されて、
「絶対的貧困」か「相対的貧困」かとい
う二項対立的な論点の設定の中で、
「二者択一的争い」の中での論争が引き続き、不平等問
題の抱える相対性は科学的真実に背離するなどの印象を免れなかったと思われる。
(※相対的貧困線については、現在の国際標準の相対的貧困線は、OECD 基準であり「等
価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出)が全人口の中央値の半
分未満」としており、その社会の平均所得の動向で左右される。)
ところでレヴィ=ストロースは、自身が創り出したターム、「熱い社会」「冷たい社会」に
ついて、この言葉は必要な理論的観念装置であり、限界事例を考えているのであって、 絶
対的に熱い、あるいは絶対的に冷たい社会はどこにも存在しない、熱冷どちらかの両端に位
置する社会はひとつもない38と説明している。
貧困概念における「絶対的」「相対的」という二つの対立的な概念設定もまた、「必要な理論
的観念装置」という意味合いで捉える事ができるであろう。近代の夜明けの時、19 世紀的
科学主義・近代的理性への期待、科学的世界には絶対的的真理があって、それを明らかにす
るのが科学的営みであり、それを行う事ができる近代的理性といった、期待と希望が渦巻く
時代状況であったと思われる。
37
38
藤村正之『貧困・不平等と社会福祉』P23 有斐閣 1997 年 4 月 20 日
レヴィ=ストロース/エリボン 『遠近の回想』P225 みすず書房 1991 年 12 月
23
近代の夜明け、その延長上には、相対的であることは真実ではなく、社会科学的、自然科
学的真実はひとつ、それを顕かにせんとする近代人の理性、そして科学の営みといった近代
主義的世界観の内側で、厚生経済学も動いていたと思われる。
(3)「準順序」の考え方について
「アーサー・セシル・ピグー(1877-1959)の記念碑的な著作[Pigue(1920)] 39」である『厚
生経済学』」によって開始し、「誕生からわずか 10 年余りでライオネル・ロビンズの批判
に直撃されて瓦解した」とされる旧厚生経済学。そして「1930 年代を席巻した序数主義的
経済学の情報的基礎と接合した、ジョン・ヒックスらの補償原理学派やケネス・アローらの
社会厚生関数学派40」は、やがてパレート原理の適用可能性を前提にバーグソン―サムエル
ソンの社会的厚生関数までたどり着いた。そしてそれからアローの一般不可能性定理、アマ
ルティア・センのリベラル・パラドックス(impossibility of a Paretian Liberal)を迎えた
訳である。
「厚生」をもってして、人間の社会の「善」、あるいは「人間の幸せ」を測る事、そして
それをもって各社会状態を比較して、優劣をつける事はできるのだろうか?個人間で比較
可能な「人間の幸せの量」とは、どのように構成され、どんな形式を採るのだろうか?
①
公理的方法(axiomatic method)
人間の心理的満足感である「厚生」を数量化し、その多寡から社会や人間の貧困状態、不
平等状態を把握、計測しようとする厚生経済学において、社会の状態を評価するツールとし
ての社会的厚生関数が多数開発されている。その研究において、各時代や地域を超えて、す
べての社会を比べる事ができる完備的な貧困測度が求められた。
ここでアマルティァ・センは、貧困、不平等のような複雑な社会状態の評価においては、
価値自由な事実判断を求めても、評価する側の一定の価値基準、視点から全く自由はありえ
ない事を認めた上で、それぞれの社会的厚生関数に、その内包する価値判断を明示する「公
理」を課し、あるいは「公理」によって分析する事によって、多様な貧困測度、不平等測度
の弾きだす貧困度、不平等度を比較検討してすり合わせる手法、「準順序」を提案するわけ
である。
そこで用いられる「公理」とは、「貧困指標に求められる条件を公理として立て、従来の
貧困指標をその観点から再検討して特徴と問題点を抽出、その上で、それらの公理を満たす
39
40
鈴村興太郎 後藤玲子『アマルティア・セン―経済学と倫理学』P11 実教出版
2005 年 11 月 25 日
https://ja.wikipedia.org/wiki/
厚生経済学 2016/05/01
24
ような新しい貧困指標を導出した41」という記述が示すように、ある貧困指標、あるいは不
平等指標が暗黙の裡の想定している貧困概念、あるいは不平等概念を分析し、その特徴を確
認できるような、各測度、社会的厚生関数に課せられる「条件(しばり)
」と考える事がで
きるであろう。様々な「公理」を満たす事ができるか否かによって、いろいろな貧困測度、
不平等指数は、その特徴を把握され、分類されることができる。
② 不平等(貧困者内部の所得分布)に感応的な貧困測度
不平等指標の「公理(条件)」につては、①「対称性」
(構成員同志を入れ替えても、不平
等指標が変化しない事)、②「複製・規模に関する不変性」
(ある分布を複製してもとの分布
に加えても、不平等指標が変化しない・各所得水準に属する人口が同一比率で変化しても、
不平等の測定値は不変に留まる42)、③「平均からの独立性」
(ある正の数によって計測の単
位を変更しても不平等指数が変化しないこと)、④「移転感応性(逆進的な所得移転によっ
て不平等指標は増加する)等を満たすものとされてきた43という。しかしマルティア・セン
は「移転感応性」については疑問を呈している。
貧困者の所得分布に反応する、所得不平等に影響を受ける貧困測度、つまり貧困と不平等
の関連性を前提にする貧困測度の分析において、大きな役割をもつ公理のうちの二つを考
察したい。
ⅰ)移転感応性、移転公理について
不平等概念に必要とされ、妥当とされる性質、傾向性として、
「貧困者内部のより所得の
低い個人から、高い個人に所得の移転があった場合には、不平等度は増大すべき」とする要
請を体現する公理が「移転公理44」である。
この公理による分析は、
「所得分配の動学45」に依存するとの表現のように、
「長期にわた
る不平等の変化に関係する」事象を明らかにすることができる。
たとえば、その社会の実際の所得データによって算出される不平等度をとり、そしてある
時間経過後に想定されるような所得移転があった場合、変化したデータによって算出され
る不平等度が、どのように変わったかを把握して、その変化の様相からその不平等測度の特
絵所秀紀 山崎幸治編著 アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋―
P84-85 晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
42 鈴村興太郎
後藤玲子 アマルティア・セン 経済学と倫理学 P84、95
実教出版
2005 年 11 月 25 日
43 絵所秀紀
山崎幸治編著 アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋―
P96 晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
44
注)移転公理 同上 P82
45 松本保美『社会的選択と厚生経済学ハンドブック』12 章不平等の測定 P703
丸善株式会社 平成 18 年 6 月 30 日
41
25
徴を確認し、他の形式の測度との違い、共通性を検討すると言う手順が用いられる。
。
ⅰ)-1 移転公理を満たさない場合
しかしこの時に、移転後の所得が貧困線を越えて脱貧困する人々が発生する場合は、貧困
者の範囲や所得階層の構成と言う基礎的なデータの変更を引き起すので、移転後の貧困度、
はこの公理の要請を果たすことができず、公理を満たさない事がある。所得移転によって均
等分割線を超えて、脱貧困する人々がおり、貧困者データ総数自体が変化する事態である。
ⅰ)-2 ピグー・ドルートマン条件(PD 条件)について
移転に関する公理の中の、有名なピグー・ドルートマン条件(PD 条件)とは、所得分
布の全ての領域の格差を平等に扱っているが、「人口と総所得が一定である場合に、低所
得者から高所得者への所得移転は、他の条件に変わりがない限り、不平等の測定値を増化
させる46」事を、その不平等測度に求める「公理(条件)」である。
これに対して、「貧困者階層内部の所得水準に対する感応性条件47」と言う条件は、
『同
一規模の所得移転であっても、低所得水準に有る個人間の所得移転は、高所得水準にある
個人間の所得移転と比較して不平等の測定値の変化に対する効果が大きい』と言う事を求
めることになる。
PD 条件という(公理)は、より貧しい人々の困窮度に重きを置いて不平等を捉えなけ
ればならないとする「規範的な内容」を測度に要求していると考える事ができよう。この
内容は高所得階層と低所得階層では、同じ金額の所得移転があっても、生活への影響は同
じではなく、低所得であればある程同じ金額でも影響は大きいとする立場に立っている。
このピグー・ドルートマン条件(PD 条件)と二つ目の「所得水準に対する感応性条
件」の違いは、低所得階層と高所得階層の所得移転の効果の違いを受け入れるか否かであ
り、同時に双方を満たす不平等測度は存在不可能である。そこでこの 2 つの公理は多くの
不平等測度を分類する際の分水嶺であると説明されている。
ⅱ)「分解可能性4 8 」について
この公理は「グループ全体の不平等指標が、サブ・グループの不平等指標の加重平均で表
され、そのウエイトがそのサブ・グループの全人口に占める人口比に比例するような性質」
鈴村興太郎 後藤玲子 アマルティア・セン 経済学と倫理学 P82
2005 年 11 月 25 日
47 鈴村興太郎
後藤玲子 アマルティア・セン 経済学と倫理学 P82
2005 年 11 月 25 日
48 注)分解可能性
同 P96
46
26
実教出版
実教出版
を求める公理である。不平等との関連を有する貧困指標では満たさないことが多い。
例えば、その集団を人数が異なる様々な単位の集団に分割しても、どのような単位の集団
でも母集団の貧困度、不平等度を反映する事、また母集団の所得分布の変化と下位集団の所
得分布の変化とはプラスの相関関係があると言う条件を求める訳である。この条件を満た
すためには、社会内の階層分化が少ない均質な社会、あるいは階層構造があっても、その構
造が全体的に均質、安定的である事が想定される。
そのような社会では、年齢、男女、居住地、職業などの多様な軸で分割した集団において
も、その所得分布が母集団の所得分布を反映するのだから、格差が階層間で大きく、下位集
団の中に、押しなべて低所得層で構成されているような身分的特徴を持つ集団が存在する
場合、所得のばらつきが社会の様々な小集団で入り組んでいる社会には当てはまらないで
あろう。そこで格差に感応的な貧困測度においては、この公理を満たさない事が多いのは大
いに頷けるのではないだろうか。
この公理は政策策定のための調査では、効率性ある、望ましい特徴であり、社会調査指標
や測度がこの条件を満たしている事は望ましいのだが、セン測度はこの公理を満たすこと
ができない。この点がセン測度に変わって、FGT 指標群が開発された理由ともなっている。
ⅲ)準順序(共通部分アプローチ)が語っている事柄
このような「公理分析」による様々な不平等指標や貧困測度の検討の後に、センは時代や
地域性を超えて社会の不平等度、貧困度を比較する事ができる、完備的な測度は特定できな
い事を示していった。
その上でそれぞれの不平等指数の示す値、複数の不平等測度のはじき出す不平等度の値
を調整する課程を明示し、その調整を経た柔らかい不平等順位を求める考え方「準順位(共
通部分アプローチ)」、各不平等測度の値を「すり合わせた上での順位」を示していった。
複数の測度について、調整における条件の明示をした上で、「各測度の適用範囲を適切に
限定する事によって、両者を部分的に両立させる可能性がひらかれる。49」と、説明される
手法が共通部分アプローチ(準順序)である。
伝統的な経済学では、貧困測定や政策判断においては、価値中立的な事実判断を求めて、
鈴村興太郎 後藤玲子 アマルティア・セン 経済学と倫理学 P81
2005 年 11 月 25 日
49
27
実教出版
異論やズレ、重なりを捨象し、厳密な順序付けを求めてきた訳である。それに対して、判断
に際しての多様な価値の存在を認め、さまざまな評価形式の間で、評価のすり合わせの可能
性をさぐり、評価の質を考察するというこの手法、発想自体が、厚生による価値判断に対す
る、意味深いアンチテーゼであろう。
不平等の構造は社会文化的事情に規定されており、社会の動態的な構造(経済動向、政治
的、社会的動向)の影響下で動いており、時代や地域性により異なり、さらに今なお新たな
要素が構築されていると考えられる。
不平等とは、いわば構築の途上にある概念として、不平等評価には曖昧性や相対性を抱え
ざるを得ず、そしてその不平等を抱えている貧困概念もまた、緩やかな順序を持ってしか評
価に及べない、完備的に測る事ができない概念構成である事を「準順序」という方法論が語
っていると思われる。
7.アマルティア・センの貧困研究の地平
(1)セン測度をめぐって
1976 年に公刊された論文「貧困:測定への序数的アプローチ [Sen(1976b)] 」に於いて、
センは上記、新しい貧困測度「セン測度」を発表する。この貧困測度が「公理的に導出され
たという理論的アピールに加えて、貧困層内部の不平等をジニ係数という形で取り込んだ
ものと解釈できる為、直感的にも理解しやすく優れたものであった。50」とされ、
「貧困と不
平等と言う相互に関連してはいるが異なった二つの関心を統合する最初の試み51 」 として
評価された新しい貧困測度である。これ以降、所得分配の不平等に反応する貧困測度の研究
は膨大に進んだ52 と言う。
① セン測度という関数の組み立て方
不平等問題と貧困との違いは、貧困は低所得者層の問題であるのに対して、不平等問題は
社会全体の問題であり他者との比較が必須となる点であろう。この貧困と不平等の概念構
成上の違いにも拘らず、センの貧困測度は、関数関係の中に貧困と不平等測度を抱え込んで
おり、この間のズレ、違いを調整する必要が生じる。この矛盾の調整の為に、不平等指数(ジ
ニ係数)を抱き込んでいるセン測度は、以下の特徴を抱えざるを得ないと考えられる。
ⅰ)打ち切り
50
絵所秀紀 山崎幸治編著 『アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋― 』
P86 19 行 晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
51
52
鈴村興太郎 後藤玲子 『アマルティア・センー経済学と倫理学』P223 実教出版
2005 年 11 月 25 日
アマルティア・セン著 鈴村興太郎・須賀晃一訳『不平等の経済学』P185
28
セン測度は、相対的貧困(不平等問題)と絶対的貧困の関係を数理的に示しているのだが、
この側の特徴としては、貧困度を算出するための所得情報が、貧困線以上の非貧困者(富裕
者)の所得については、貧困線ラインに留めて(貧困線所得で打ち切り)、非貧困者(富裕
者)の貧困線以上の所得は無視して貧困度を析出している事である。この手法は所得の「打
ち切り」と呼ばれている。
この事が貧困とは社会の中の低所得層の問題である事、不平等問題は社会の全体構造の
問題であると言う相違点についての、ひとつの数理的調整と考える事ができるであろう。
ⅱ)セン測度が抱えるジニ係数
二つ目の特徴は、上記の結果といえるのだが、セン測度のジニ係数を抱える項は、不平等
を反映する部分だが、この数値の算出は貧困者のみの所得によっており、かつそジニ係数の
均等分割線、比較する相手方は、貧困線所得である。
つまり貧困と不平等と言う異なる概念を一つの社会的厚生関数内部に組み込むに当たっ
ての調整形態として、富裕者(非貧困者)所得は貧困線で打ち切り、不平等問題を表すジニ
係数の算出も貧困者階層のみの所得による数値として構成しているのであり、つまりここ
での不平等の計測は、社会の全構成員ではなく貧困者のみの所得の不平等としており、その
上でこの所得不平等を示す、所得の偏りの算出(ジニ係数)は、貧困線所得との差(貧困ギ
ャップ)
、その集計値から捉えるという、つまりその均等分割線は貧困線としている。
この事が、
「所得水準に関する感応性条件」と言う公理を満たし、
「サブ・グループに関す
る整合性」、「分解可能性の公理」を満たさない事の理由である。
ⅲ)貧困線水準の影響の大きさ
セン測度は、この構成で上記貧困線を均等分割線とするジニ係数を抱えていながらも、
「貧困率」が前項、後項関数の全体をカバーしており(前項、後項双方をカバーして掛けら
れている)、結果としてこの指標は、全人口が貧困線所得を達成する状態、社会の脱貧困の
ための最低所得累計(社会全体が脱貧困できる富)を軸にする指標、測度となっている。
そのためセン測度は、貧困線の動向によって、基礎的なデータ(貧困者数、社会の脱貧困
の為の所得累計額)が変動するという特徴を抱えており、恣意性、相対性を完全に払拭でき
ない値である貧困線をどう設定するのか、その水準に大きく影響を受ける貧困測度となっ
ている。この点が貧困線付近で「連続性の公理」を満たさず「強移転公理」を満たさない理
由である。
この三点がセン測度の関数の構成上の特徴と考えられる。さらに 3 点目の貧困水準の影
響について考察しよう。
29
② 貧困線水準が及ぼすセン測度への影響
セン測度は、貧困率が関数の全体(前項、後項の双方)に掛けられており、この事の影響
が「貧困線に対して非常に重要な意味を付して、貧困率(頭数比率)に本質的な役割を指定
している53」と指摘され、貧困線をどう設定するのかが測度の全体を規定する。
ⅰ)移転公理に関連して
貧困者内部での階層変化をあとづける機能を持っている「移転公理」については、貧困
線の水準によっては移転後に貧困線を超える人々が発生する事もあり、セン測度において
貧困者数(貧困率)という最も基礎的な情報が変化する。
このためにセン測度においては、
「強移転性の公理」とは「たとえ移転によって貧困線を
超える人々が発生しても、貧困度が増加する事」を求めるところから、この「強移転の公理」
を満たすことができず、また貧困線付近では関数の「連続性」が保障されないと言う特徴を
もっている。
この事から貧困概念は、不平等の過酷な部分を孕みこんでいながら、同時に貧困線所得者
と言う他者との比較において浮かび上がる概念、切り取られた概念でもあり、いいかえれば
貧困概念もまた、貧困線所得と言う他者との比較において概念枠を決定する概念であると
いえよう。
不平等概念が均等分割線という、比較する他者との関係で浮かび上がる概念であるのと
同様に、貧困概念もまた「関係の世界においては個は存在しない54 。」と言う表現に当ては
まる関係的な概念といえるのであり、貧困と不平等を一つの数式に取り込むにあたり、その
比較する他者は双方において共通的に貧困線所得とならざるを得ないのである。
ⅱ)貧困と不平等の重なり合い
セン測度が抱えている不平等指数(ジニ係数)は貧困者内部の不平等を示すものであり、
かつその不平等における比較する他者とは貧困線所得の人々である。この事が象徴的に示
しているのは、この二つの概念における比較する他者とは、貧困線と言う一点に収斂せざる
を得ないのであって、貧困概念も不平等概念も、他者との比較において概念を画する関係的
概念であって、その比較する他者とは双方ともに貧困線として構成されざるを得ないとい
う事であろう。
新しい貧困、過酷な生活問題、絶対的貧困、相対的貧困、社会的排除などと表現される問
53
54
アマルティア・セン著 鈴村興太郎・須賀晃一訳『不平等の経済学』P196
東洋経済新報社 2008 年 9 月
丸山圭三郎『ソシュールを読む』P79 岩波セミナーブックス2 岩波書店 2009 年 3 月
30
題は、貧困と不平等問題の重なり合いを示しており、不平等問題を抱えている貧困概念の輪
郭は、低所得問題でありながら、生活様式、住宅条件、そして社会関係的な齟齬、社会的権
能の劣勢などの様々な不平等を抱えた、結果としての低所得などの生活困難であろう。
貧困概念もまた貧困線との関係で可塑性があるというべきであろうし、貧困線所得者と
いう他者との関係において、概念を形づくっており、その貧困線もまた完全には恣意性を免
れないといった、むしろ弾力性を有している概念であろうと思われる。
このところに不平等に影響を受ける貧困測度(分配感応的な貧困測度)の議論は、膨大にな
らざるを得なかった事情があり、貧困と不平等は互いに独立した別概念であると言うより
は、重なり合いを有して影響しあう概念と考えられるのではないだろうか。
不平等問題は生活の全分野に及ぶ問題であり、不平等のうちの過酷な部分、貧困を深める
事象、生活問題として重要な側面は、貧困概念の内側であり、歴史性、時代性により特徴的
な形をもって貧困概念の内側にあって、貧困概念との重なり具合を変化させながら全体を
形づくっていると考えられる。
(2)ケイパビリティ概念に関連して
人間の幸せを構成する諸機能の達成を求めて、その為に行動する「自由」であるところの
人間において、センが提示する人間の幸せの基準「ケイパビリティ(潜在能力)」は、この
概念構成自体の「意志の自由」が、どの程度まで万人において援用できるのか否か、この観
点で世界の思想は、近代的な自我の理性的な働きを前提にする近代主義への対抗的な思考、
あるいは修正の為の哲学的思考提起されて、フランス現代思想、構築主義、ポストモダンな
どの哲学の諸潮流が展開している訳である。
このようなケイパビリティ概念においては、近代的自我作用への信頼をベースに置いて
構成されており、この構成に対してさまざまな議論、思潮が渦巻いている 21 世紀であろう。
しかしながら人間の多様性、社会文化の多様性を前提としているセンの思想が、近代主義の
枠内一杯、ぎりぎりにまで言及、到達している批判的観点は、多くの示唆を含んでいると考
えられるところから、センの厚生主義批判を肯定的に受け止めつつ、
「ケイパビリティ概念」
について検討をしたいと思う。
① ケイパビリティ概念への批判について
センは、人間の幸せの量を考えるにあたっては、前述のように、個々人の境遇(出自、病
弱、障害の有無、貧富など)を重要な問題としており、ケイパビリティ概念は、個々人の生
きる境遇を測り比べる事が出来る概念として構成されている。
31
この観点は序数的効用によって構成されたバーグソン・サミュエルソンの社会的厚生関
数の限界、個人間での比較不可能な序数的効用を前提する枠組みへの対論として理解せね
ばならないであろう。そこでは各条件下で人生を生きる個々人の間での「比較可能な幸せ量」
を追求しており、境遇からの制約を測り比べる事ができる量として、社会政策的な配慮をし
ようとする志向性を持つ。この体系において、未来において達成可能な「幸せ」の量として
構成されたケイパビリティ概念である。
この概念は人々の個人的な条件からの制約をカバーする事を目指すべき、社会政策の検
討ができるよう、そのベースに置く事を想定する、人間の多様性を前提にする概念である。
ⅰ)実務上の問題
しかしながら、ケイパビリティ概念においては、資源配分問題と個人間の潜在能力の分配
問題とが論理的にどうかかわるのかと言う点が問われずじまいであるという指摘がなされ
ており、また政策策定への応用など実務的な場面においては、各社会、国家における基本的
ケイパビリティの特定が困難であり、その測定、評価も困難とされている。
「可能性の集合
を評価する際の問題など、その枠組み実用性に疑問が指摘されている55」とも指摘される。
またケイパビリティの政策への応用である国連の人間貧困指数においても、これまでの
貧困へのアプローチと大きな違いは認められないとの指摘もあり、ケイパビリティ概念を
構成する諸機能について、各国、各時代において選定するする事には、相対的貧困指標や社
会的排除指標の項目選定の困難性との同様な問題が持ち越されているとも考えられる。
そこで「ケイパビリティの比較のみに基づいて貧困指標を作成する事が困難56」とされて
いるのだが、この事に関連しては「貧困層内部の不平等を考慮した貧困指標を作成するため
には、ケイパビリティの剥奪の程度をウェイトづけして集計する必要があるが、そのような
剥奪の度合いを、常にどのファンクショニングに関しても計測できるとは限らない。」との
指摘もあり、これらは尤もな指摘ではないのだろうか。
これら指摘は、貧困概念を閉じられた概念、低所得問題、あるいは生活困難として措定し
て、不平等概念とは区分けした別概念としているところから、不平等概念における、比較す
る他者を捨象した上で構成された「ケイパビリティ概念」であり、その構成要素「ファンク
ションズ・機能」が抱え持つ概念構成上の抽象性が齎す矛盾状況なのではないだろうか。
55
絵所秀紀 山崎幸治編著 『アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋― 』
P92 晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
56 絵所秀紀 山崎幸治編著 『アマルティア・センの世界―経済学と開発研究の架橋― 』
P93 晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
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幸せな生活自体が抽象概念であり、現実の人間の生活実態との間での接点「現実課程」で
ある、人々の生活問題、困窮という現実課程とを繋ぐ、いわば足場のようなものを失い、ケ
イパビリティの構成要素においても、抽象性が肥大しているという傾向と考えられる。
ⅱ)ケイパビリティの「観念性」と国連の「人間開発指数」
おそらくは、所得貧困であっても、関係的排除などの新しい貧困であっても、基準となる
人々、対照集団との関係を介して概念が形成されているのであろうが、「ケイパビリティ概
念」の概念構成は、社会という箍(おり)の中での規制、規則という社会文化的な関係にお
いて他者に規定されつつ営まれている人間生活の現実課程に対して、理想的な人間生活と
言う抽象概念として対置されているのではないだろうか。そのために「関係の世界において
は個は存在しない57。」と言う指摘のように、概念自体が、存在し難いといった隘路を抱え
るのではないだろうか。
だがこの構成ゆえに、
「ケイパビリティ概念」
「機能ファンクショニングズ」概念において
は、現実の社会の平均所得等の低さ、生活水準の標準が低下、飢饉や暴動状態が現出する社
会においても、それに影響を受けずに基準値の低下を来さない事ができる構成となり、相対
的貧困線が抱えた絶対的貧困線との逆転状況と言う問題は生じ得ない構成となっている。
このような隘路と特徴を抱えているのが、センの貧困への「ケイパビリティ・アプローチ」
であろうが、その応用である国連の「人間開発指標」の改訂において、さまざまなデータの
処理手法、技術によってこの隘路について改善の工夫がなされていると思われる。各事項の
標準値、上限、下限などの設定がこれに当たるのであろう。
そして国連の「人間開発指標」改訂の議論の中では、一方の貧困は人間生活を構成する多
側面の中で、主要とされる 3 分野(平均寿命、識字率、GDP)から捉えようとする。
国連の開発とは、産業の開発を焦点として進める貧困撲滅である。そこで各地域に暮らす
人々の貧困の実態を他地域と比較衡量して、各開発プロジェクトの効果測定、比較を行う得
る指標といった目的に沿って考案されているのだが、
「人間開発指標」はこの目的と間で整
合性の採れた指標であると言う事ができよう。
(3)不平等問題の対象領域の広がりと文化事象
各社会の貧困線を定めた上で、貧困概念を枠づけると言う、貧困概念の構成が物語ってい
る事は、貧困概念もまた相対的であって、貧困線所得者と言う対照集団との比較によって浮
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丸山圭三郎『ソシュールを読む』P79 岩波セミナーブックス2 岩波書店 2009 年 3 月
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かび上がる関係的概念であると言う事ではないだろうか。
対照集団である貧困ラインとは、生物学的な生存維持が困難なラインとする絶対的貧困
線の場合にも、それ以下の所得状態の人口、絶対的貧困線以下で生活する人々が生命維持を
果たして、社会内で相当数、人口パーセントを有しているとして進められている訳である。
そしてしかしと言うべきであろうか、現実の生物としての人間に訪れる死は、さまざまの
様相である。戦後混乱期の日本の配給制度だけの食料量をもって餓死した裁判官は有名だ
が、この方の死は生物学的な死でありながら、最も文化的な彼の信念が齎した死であり、最
後までその死は文化的な死であったと言わざるを得ない。また高度先進医療の医療装置に
囲まれて、最後まで明晰なる意識を保ちつつ迎える死も、生物学的な死でありつつも、社会
文化的な死といえよう。
一方では例えば現代社会の繁華街の路上で死を迎えるホームレス状態の人も散見される。
最後の時にシラミがたかって痒いと訴える事もあるのだが、それは人間の身体もまた動物
の死骸として、他の生物種の食料として、植物連鎖の中の存在となり、血中の二酸化炭素濃
度が異常な高さをもって徘徊していれば、近在のシラミが集まってくるのかもしれない。
その場合でも、その死は全くもって野生動物同様の動物生態学的な食物連鎖の一地位に
ありながらも、一方では彼の意識は故郷の情景を彷徨うのかもしれず、社会的排除とされる
不平等問題において、稼得不能、住宅の喪失、低所得、社会的排除、という社会関係性に規
定された、社会の中での死でもあろう。
そこで人間に死をもたらす、絶対的貧困の定義上の生命維持ができない程の低所得状態、
そして他方の相対的貧困という物質的剥奪、不平等問題の双方を抱えている貧困概念にお
いて、絶対的貧困、相対的貧困という二つの貧困の主従関係は、絶対的貧困が核であって、
それを補完する相対的貧困と言う図式は、妥当なのだろうか。貧困概念の中の不平等問題は
消し得ない要因として、貧困の全事象を覆っているといえるのではないだろうか。
(4)絶対的貧困が貧困の核であって、相対的貧困はその保完物なのか
センの議論は、貧困概念を不平等概念とは区分けした別概念としており、ケイパビリティ
概念は、ケイパビリティの構成要素「ファンクションズ・機能」の集合であり、
「人が自ら
福祉を実現する自由度58」とし、その不足から貧困を捉えようとする。センは、自由の内在
的価値を認めるが故に、自由自体の価値を認めるが故に、現在の諸機能の達成度を超えて、
自由自体として「ケイパビリティ(潜在能力)」としているとの見解59が示されている。
58
59
塩野谷祐一/鈴村興太郎/後藤玲子編 『福祉の公共哲学』 P773 行 東京大学出版会
2005 年 5 月 30 日
同上
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そこでこの概念構成は、ケイパビリティの定義である幸せな生活自体が、抽象概念であり、
さらに未来の達成量の可能性が問題にされるところからは、現実の人間社会、人間生活実態
とケイパビリティ概念の間を繋ぐ、
「眼前の事実」や「現実課程」とを繋ぐ、いわば足場の
ようなものを失っており、抽象性が増大しているという結果を生じていると思われる。
ある意味では、ケイパビリティ概念の観念性は、貧困概念から不平等問題を捨象した結果
でもあり、貧困の全てを覆いつくす不平等問題に対して、相対的貧困について補完的な位置
を指定している所で、貧困と不平等問題を別個の概念として規定する事の矛盾状況として
生じているのではないだろうか。その結果ともいえる内容が、さまざまな批判的な論点とな
っていると理解され得ると考えられる。
不平等問題の過酷な部分は、貧困概念の内側である。しかしながら飢饉、飢餓が蔓延する
社会においては不平等無くして、全員が餓え、餓死も現出するであろう。これは絶対的貧困
線と相対的貧困線の逆転と言う事態であり、絶対貧困概念の概念規定上の論理矛盾、抽象性
から引き起こされていると言えようか。
しかしセンにおいては、飢饉のような場合であっても、不平等の構造に従って、順次生物
としての人間の生命危機が及び、死に至るという事実をエンタイトルメント概念による飢
饉分析によって明らかにしている訳である。
絶対的貧困以下の人口数を想定する絶対的貧困概念の論理矛盾こそが、貧困概念におけ
る観念性を示しており、その貧困の核であるとされる絶対的貧困の不平等問題との重なり
は、この双方の概念の複合状態をもってしか、貧困測度が機能できないという、準順序とい
う数理調整の、その背後の過程を要請する所以ではないのだろうか。
これら不平等問題の対象領域の広がりは、、貧困概念の全分野に及んでおり、不平等概念
の構成、貧困と不平等の重なり合いの全体性、そして不平等問題の過酷な部分を抱え込んで
いる貧困概念の構造を前提にすると、貧困と不平等は分かちがたく重なっている概念同士
であり、主従関係を採れない、近接する概念同士なのではないだろうか。
まとめ
(1) 20 世紀の初頭、貧困概念は、その社会の貧困線という所得水準を下回る低所得問題
として定義された。貧困線とは生活財(食料等)の不足により、生物学的生存を脅
かす程の低所得額、絶対的貧困線であり、
この貧困線は絶対的と形容とされつつも、
男女、個人差にもより、その社会の主食、生活財の交換システムの動向にも規定さ
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れる、歴史的、地理的、社会文化的な条件によって変化を余儀なされる所得額であ
った。
絶対的貧困は、絶対的とされながらも、相対性を完全に払拭する事はできない概念構成と言
うべきであろう。
(2) 社会的厚生関数である貧困測度(指標)のうち、
「1970 年代から 80 年代前半に集中
的に用いられた60」というセン測度、その改良型である「近年とりわけ幅広い支持を
得ている」という FGT 指標群は、貧困測度の中に不平等測度を抱え込んでいる。貧
困とは不平等問題を内包している事の数理的表現に違いない。
(3) 厚生経済学の領域での貧困と不平等の関係の数理的な研究は、セン測度提示以後の
「分配感応的な貧困測度」の膨大な研究として行われている。これらの研究は結局
貧困を測る完備的な測度、各社会の貧困度を比較して順位づける事ができる測度は
特定不可能であるために、これを踏まえて、アマルティア・センによる貧困や不平
等の柔らかい順序関係「準順序」の提示を導いている。
(4) 「準順序」とは各社会、各集団の間の貧困度、不平等度の優劣を明確につけて、い
わば数直線上に順を追って一列に並べようとする試みが不可能であるために、柔ら
かい順序付けをもって各社会の不平等度、貧困度を順位づけるものである。この順
序は優劣、同等が明確(完備性、推移性を満たす)なものではあり得ず、
「同程度に
不平等」である事を含む幅のある緩やかな順序関係であり、いわば「少なくても同
程度に不平等」な場合を含む順序関係、「準順序」である。
不平等とは、比較する相手である対照集団や、問題にする事柄、そして論じる側の価値観
によって評価の変わる問題であり、各社会の不平等度を比べようとしても完備的な測度を
構成できない概念であった。いわば相対性を抱えている概念であり、社会科学の概念として
は「懐疑主義につながる要素61」を有しているとの指摘もなされた。
しかし不平等概念は、概念を構成する各部分集合の総和、あるいは何だかの統合形式をも
って把握できると言った、19 世紀的な科学主義が想定した社会科学的概念枠に収まり切れ
る概念では無く、各要素間は重なり合い、新たな要素が産まれ、消えていくと言った、その
概念枠はいわば三次元的に膨らみ、弾力を持っており、その全体像を各構成要素の単純集合
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絵所秀紀 山崎幸治編著 『アマルティア・センの世界―経学と開発研究の架橋― 』P86
晃洋書房 2005 年 2 月 25 日
61
藤村正之『貧困・不平等と社会福祉』P23
36
有斐閣
1997 年 4 月 20 日
として覆いつくすことができない概念ではないだろうか。
不平等概念は、現在も新たな構成要素が構築されつつある、構築途上の概念であり、隣接
概念、上位概念の中に広がっているような概念と考えられる。
(5) レヴィ=ストロースは、人間存在は自然的生物学的な状態から、集団を形成して生
きる社会文化的な状態へと移行を進めたとしている。人間は社会と言う箍(たが)の
内側での生活を生きるのであり、社会の中で生活財、婚姻の相手、各情報を求め
あって動く社会的関係の中に、自らの命、子孫、集団の存続を託す存在である。
そこでそれらの互酬的な分かち合いが求められた。人間の要求は人間の思い、観念、
象徴機能の展開が生み出した文化的な事象、有形無形を問わず、参加、人権問題、自
由と言った事象、社会文化的な生活場面において、その願い、要求に向かい合う場面
での劣勢、不利に直面する人々には、心理的な憂鬱、衰弱などの心理的事実が生じて
いる。それらをも根拠にして、文化状態を生きる人間であればこそ、人間に特有の生
活問題である不平等問題が表れると考えられる。
人間の生活は、食料の調達、生活資源の調達をベースに置き、家族、親族、地域、労働市
場や財市場との係り合いの中にあり、社会的関係性を抜きに、その全体像を捉える事は出来
ない。人間存在は、さまざまな社会関係の場面で、生活財調達上の不利、さらには社会的活
動上の不利、齟齬に向き合い、それら社会関係的側面での平等な分かち合い、互酬的な交流
関係の要求を抱えていると考える事ができよう。
社会関係の中での不利や互酬性の変質、不平等が表れ、生活財調達の困難、社会的権能の
不平等をかかえた人間生活の困窮が、生物学的存在(動物)でありながら社会的存在でもあ
る人間生活の困窮として「貧困」と表現されていると考えられる。この生活の困窮状態は社
会文化的要求への欠乏であり、剥奪、排除、新しい貧困として提示されたと考えられる。
(6) EU(欧州共同体)では欧州 2020 戦略を合意して社会経済の改革に挑んでいるが、
その貧困調査の動向は、一つあるいは複数の貧困測度によらず、貧困測定を含む多
次元的な生活実態調査の相互関連性、多軸項目の社会調査による評価へと向かって
いる。この事は不平等問題を主要な領域とする貧困の対象領域の無限定性、文化的
要求の人間生活に於ける広がりの重層性への対応関係として捉える事ができよう。
(7) 貧困概念においては貧困線をもって概念枠が浮かび上がり、不平等概念においては
均等分割線(対照集団)をもって概念枠は浮かびあがる。この事実は貧困概念も不
平等概念も、それぞれの概念を形づくるにあたって、貧困や不平等を表す標準的な
人々との間での、関係的な概念である事を示しているのではないだろうか。
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(9) 二つの概念は、その社会の標準的、平均的、主流にある人々の実態との接点、ある
いは現実との足場と言うべき事実との関係から概念枠を採るという形式をとって
おり、貧困概念ではその足場を「貧困線」、不平等概念では「均等分割線」として、
その所得状態の人々、他者との関係から、概念枠を切り取っていると考えられよう。
双方の測度における「貧困線」
「基準値・標準値」
「均等分割線」は、その数値的表
現として捉える事ができると思われる。
貧困概念も、不平等概念も、どちらの概念も対照集団との関係において自らを画する、関
係的な、あるいは相対的な概念構成と言わなければならない。
(10)絶対的貧困線と相対的貧困線(不平等水準)の逆転現象が起こる状況は、飢饉、飢餓
の蔓延する社会の状況である。そして貧困の核とされている絶対的貧困は、飢餓、飢
饉の中では広く発生するのだが、その原因を含めた動態的な調査が、アマルティア・
センの「飢饉へのエンタイトルメント・アプローチ」である。
センはこの中で、その地域での食料の供給状況から、食料を獲得する社会的権能の
偏りへと視点を移しており、その中で生物学的生存を脅かす絶対的貧困でさえも、
社会的権能の偏り、社会文化的な要因に規定されている事実を示している。この社
会文化的要因の偏りは不平等問題そのものである。
以上貧困と不平等は、互いに分かちがたく互いを抱え合っている概念同士であり、貧困を
主にして眺めれば、不平等の極まった状態を抱えているのが貧困であり、不平等を主にして
考えれば、その過酷な所得不平等の部分が貧困として表れる。互いに互いを抱え合った状態
がイメージされる。
不平等問題は人間の存在様式からの要請でもある、社会文化的要求の拡大の様相を背景
にして、その平等性への要求への欠乏、窮乏であり、この要求とその窮乏は深化拡大の途上
にあり、その過酷な部分が貧困概念を覆いつくしていると思われる。
そして貧困概念は、新しい貧困とされる不平等問題と絶対的貧困の双方を含む概念とし
て、生活困難のうちの、生物学的であって社会文化的存在が脅かされるところの、生活上の
要求への窮乏の過酷な部分として考えられる。
こうした貧困概念と不平等問題は互いに抱き合ってイメージされる、柔らかい順位付け
によってしか順位づけられないところの、二つの近接概念であろうと考えられる。
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終り
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このような貧困と不平等の関係をイメージすると、貧困に対応しようとする政策におい
ては、かつては絶対的貧困とされた、生活財(食料等)の不足に対応する所得保障制度と、
かつては相対的貧困への対応とされた、貧困の予防、社会関係的な要求に対応する医療介
護、教育制度、生活相談やその他対人諸社会サービスは、混然一体的、同時並行的に実施さ
れることが求められている。
貧困概念と不平等概念の関係図
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