吉本隆明さんの追悼に代えて ∼失礼を顧みず∼ 吉本隆明さんが亡くなった。私は何か書かな 少女たちの遊びの輪を蹴散らしてあるき くてはならない。なにしろ彼は、私の青春時代 ある日とつぜん一人の少女が好きになる に圧倒的な影響を与えた。 きみが背っている悔恨はそれに似ている 私は高校生運動を圧殺されたあと、新左翼の 党派活動に参加した。それ以外には私の道はな きみが首長になると世界は暗くなる いかのように思えていた。しかしそれは、私の きみが喋言ると少年は壁のなかにとじこもり 中の何かを意識的に断念することで成立する世 少女たちは厳粛になる 界だった。 その断念したものを、せめて忘れないために、 吉本隆明さんの詩を、紙片に書き写して常時身 きみが革命というと 世界は全部玩具になる ( 『定本詩集』212 頁より) につけることにした。『贋アヴァンギャルド』 という詩である。アヴァンギャルドとは「前衛」 のこと。大衆に対する革命の指導部といった意 この詩を身につけてなくても、この詩や吉本 さんに共感しつつ党派活動をやっていた奴はた 味である。 はたして現在、この詩は、どんな本に収録さ れているのだろうか。私の本棚の中では「吉本 くさんいたはずである。意志的に生きるという ことはあえて矛盾を背負うということだ。 隆明全著作集」の 1「定本詩集」の中に収録さ しかしそんな矛盾はいつまでも背負えるもの れている。けっして詩的ではない私が、生涯忘 ではない。党派の論理は“内ゲバ”に至り、と れえない詩がいくつも入っている本である。 てもついていけない私たちは、活動からの離脱 を選ぶことになる。 贋アヴァンギャルド きみの冷酷は 向”であるという罪悪感から救ってくれたのは 少年の時の玩具のなかに仕掛けてある 吉本隆明さんだった。そんなことを言ってくれ きみは発条をこわしてから悪んでいる少年に るのは他には誰もいなかった。 あたえ 6 そのとき、私たちを、それは“背教”であり“転 吉本さんは、自分の著作にふれることで自死 世界を指図する に至った若者について責任を感じているという 少年は憤怒にあおざめてきみに反抗する 文章を書かれたことがあった。だが、私も私の きみの寂しさはそれに似ている 周りにも、吉本さんの文章によって自死しなく きみは土足で てすんだという人はたくさんいたと思う。 『マチウ書試論』『転向論』(講談社文芸文庫)、『共同幻視論』(角川ソフィア文庫)。※ 解説を中上健次が書いている。(三好) それくらい私たちに、“それでいい”という メッセージを与えてくれた人であった。私が特 場を持してきました。いろんな反原発の言説 がある。そこの違いには耳を傾けなかった。 に影響を受けた彼の文章や本を挙げてみたいと (略)何もしなかった。何ということをしてし 思う。まず、『マチウ書試論』。『マチウ書』と まったか、させてしまったか。強い自責の念 は「マタイ伝」のこと。文庫本で読めるはずだ。 に襲われました。 『芸術的抵抗と挫折』 『転向論』 『共同幻想論』 『心 的現象論序説』『母型論』などなど。 これは、3. 11 以降、数多く出版された本の ずいぶん厚かましい話で、私自身が吉本さん 中で一番まともだと思えた『思想としての 3. の自宅に何度か訪問して『老いの現在進行形』 11』(河出書房新社)に収録されている。ちな あたる (春秋社)という対談集を出させてもらったの みにこの本の冒頭に、佐々木中の講演録が載っ は、おそらく私の生涯を通しての最大の自慢で ている。これは 3. 11 以降の私の最も大きな影 ある。 響を与えた文である。 吉本隆明さんは、私の父親と同じ齢である。 この間の吉本隆明さんの著作は、編集者やジ そういう意味では私にとっての吉本さんはアン ャーナリストのインタビューに応えるものが大 ビヴァレンツ(=両価的)な存在でもある。 半だった。そんな本の 1 冊で老いをテーマにし 圧倒的な影響力を与えたこの人は、でも晩年 には私に違和感を増大させる存在であった。 た新書の中で、私は吉本さんから名指しで批判 を受けた。ある雑誌のインタビューで特養入所 高校生のとき以来、吉本さんが書き、語って 者の老人を笑い物にしているという批判であっ いたことは、そのときにはさっぱりわからなく た。だが、あきらかに吉本さんの誤読もあっ ても、何年かあとには了解できることであった。 て、私は私の発言を誤ったまま引用して本にま しかし、何年経っても違和が残り、それが拡大 でした編集者の怠慢だと思った。もっと名の知 していくということが現れてきた。 れた人の発言ならちゃんとチェックしたのだろ 最初は『反核異論』であった。これはかつて うが、私ごときだから手を抜いたのだろう。 吉本さんが、核兵器を廃絶しようという運動に ちょうど同じ時期に、雲母書房で吉本さんを 対して違和を唱えたものである。このとき、広 著者の一人とした本を編集中だったのだが、突 島在住の被爆詩人である栗原貞子さんが激しく 然吉本さんから編集部にクレームが入るという 吉本を批判した。私は高校生の頃に栗原貞子さ ことがあった。編集者には身の覚えのない吉本 んにある恩があった。どちらにもつけない私は、 さんの一方的な思い込みであった。 態度を留保することにした。 そしてずっと留保を続けて、3. 11 と原発事 故である。そのときの私の思いは文芸評論家の 加藤典洋が代弁している。 そんなことが重なって私は吉本さんにも「老 化に伴う人間的変化」が生じているのだろうと 推察してきた。 今回、3. 11 にともなう原発事故という事態 に際しても吉本さんは自説を変えることはせ 原発については、僕は吉本隆明さんの考え ず、反原発は縄文時代に帰るようなものだ、と に説得されてきた人間です。科学を進めて起 主張し続けた。果たしてそれは、彼の「老化に こってくる問題には、さらに科学を進めるこ 伴う人間的変化」によって現実を見ることがで とで克服していくしかないという考え方です。 きなくなったせいなのかどうか、私は判断を留 (略)その意味で、情緒的な反科学は反動で 保している。 すから、情緒的な反原発には反対、という立 7 約1年半前からブリコを定期購読していますが、今度電子書籍になりましたので、創刊号からさかのぼって購読しようと思い ます。(神奈川県 もんちっち)
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