『南ドイツ新聞』 2013年8月27日 美しい暗黒の夜 細川俊夫はザルツブルク音楽祭のためにトラークルの詩に作曲 魔法。1955年広島生まれの日本で最も有名な存命の作曲家、細川俊夫の音楽を聴いたり、 彼の過去の作品、オペラ《松風》(ブリュッセル)や《斑女》(ルールトリエンナーレ)の上演時の 批評を読むと、すぐにある言葉に行きあたる:魔法。 それは響きの魔法であり、繊細な極東の成分に満ちている。細川の音楽は聴く芸術である。 ドナウエッシンゲンや1998年のミュンヘン音楽劇ビエンナーレ《リアの物語》など殆どすべての 関連フェスティヴァルで好評を得ている。ことによると、作曲家の素姓の受容において、ヨーロ ッパではほとんど信用されていなかったり、希薄化された美的趣味が、正当なものとして認め られているのかもしれない。 細川の音楽は秘教的でもなく、光明に満ちたものでもなく、瞑想的な安ぴか物でもない。この ことをちょうどザルツブルク音楽祭でのシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団の公演で体験 することが出来た。音楽祭のこの委嘱作品において細川はゲオルク・トラークルの詩に曲を付 けた。ザルツブルクのいくつかの建物では、死に陶酔した麻薬患者の詩人の詩を読むことが 出来る――実際この作曲家は町のぶらぶら歩きで彼の作品「嘆き」のための題材を見つけた。 それはメロドラマと表現主義に揺れているモノドラマの間のソプラノとオーケストラのための作 品である。 細川はその作品で詩の音楽化をひとつのやり方に制限していない。まず彼は、短い切りつめ た思索的前奏の後一通の手紙に没頭する。この前奏は特に25分間に渡りゆっくりと測り知れ ぬ深さで演奏される脈動を確立することに使われている。トラークルは1913年に彼の死のちょ うど1年前にこの手紙を友人で出版者のルートヴィッヒ・フォン・フィッカーにあてて書いた。そ の中で彼は「名前のない不幸」と「石のように冷酷な暗闇」について、彼の存在の終わりにつ いて書く。そして細川はこれらの言葉から、シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》に似たレ チタティーヴォを形作り、これをクリスタルのようなオーケストラの噴出でもって細かく刻む。フ ェルゼンライトシューレの中でオーケストラの波は氷のような精確さでアンナ・プロハスカの演 奏に押し入る。ソプラノの伝説的存在である彼女は夢、トランス、エクスタシーの間の響きの世 界を素晴らしく自分のものにしている。細川は個々の言葉のために繰り返し極度に誇張した アリオーゾを要求し、「嘆き」の詩の音楽化への先手を打つ。この詩は、寓話的で、悲しく、は ちきれんばかりの表現にあふれ、喧騒に満ちた孤独で暗黒な夜と、しめつけるような静寂へ の想像力の大胆な飛躍である。 10日前のザルツブルクのモーツアルテウムで彼の木管五重奏の《古代の声》を体験した時の ような、響きの瞬間のための細川の感性豊かな表現はここでは殆ど隠ぺいされている。《古代 の声》も委嘱作品であり、最小の不等質の粒子のくいちがいから生じる、極度の集中力を要 求する緊張に満ちている。アンサンブル・ウイーン・ベルリンはそれぞれのこの構成要素をは っきりと表した――度を失わせるような明確さの体験である。 エクベルト・トル
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