2015年 4月 切磋琢磨

2015年
4月 10 日
第 277 号
発行所 石 井 記 念 友 愛 園
宮崎県児湯郡木城町椎木 644 番地
ゆうあい通信
〒884-0102 ℡ 0983-32-2025
切磋琢磨
園長 児嶋草次郎
桜吹雪の中で、吹きだまりの花びらを小さな手で大事そうに集めると、キャッ
キャッと満面の笑顔で互いにかけ合う子ども達の姿は何と美しいのでしょう。園
長室からしばらく見とれてしまいます。自然と人間との共生などと言うけれど、
散りゆく最高に華やかな花の命が、躍動する子ども達の心のエネルギーへと吸収
される一瞬のようにも私には感じられて来ます。桜が散り終えると、この大自然
の中で生きる木々達は、一斉に芽を吹き出し始めます。私達も新しい年度を迎え、
それぞれに新たな気持でスタートしています。
この 1 ヶ月ほどは、あわただしく日が過ぎていきました。過ぎ去ってしまえば
あっという間ですが、それぞれが気の抜けない大事な行事でした。まだ一段落と
言える状況ではありませんけれども、今回は二つの行事について書かせていただ
きます。
一つは、3月 15 日(日)の夜、食堂兼ホールで行われた卒園式です。今年は
9名の高校卒業生が、後輩達、職員達、そして後援会関係の方々の前で、一人ひ
とり「卒業論文」を読みました。長い子で 15、6年間の園生活でした。それぞ
れにしっかりとここでの生活を振り返りながら、様々に関わって下さった方々に
感謝し、新たな世界に挑戦しようとする心強い内容ばかりであり、壇上の彼らを
見つめながら、頼もしくまばゆく感じました。9名それぞれに色んなことがあっ
たけど、個々に与えられた試練や課題を乗り越えながら、一人も落伍することな
く園の修行を終えることができたことが、一番うれしいことです。
私は園長として一人ひとりに励ましの言葉を送ることになっております。毎年
堅苦しくならないように、メモなしで壇上に上がり、私の思い出をまじえながら
語りかけるようにしているのですが、今回はメモを用意しました。9名の高校生
が一度に卒業するなどということは、長い石井記念友愛園の歴史の中でも初めて
です。おそらく、今後もないでしょう。65 歳をすぎ脳の劣化・老朽化も始まっ
ており、一人でも名前が出て来なかったら大変申し訳ないことになりますのでメ
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モは必要でした。以下、私の送る言葉をここに再現します。9名はその後次々に
巣立っていきました。7名は就職、2名が大学進学です。
卒園おめでとう。長い友愛園の生活、それぞれによく我慢して修行して来まし
た。学校の友人達のようにケイタイを持ちたい、自由に遊び回りたい、恋愛もし
たいと何度も思ったことだろうと思います。辛抱し、「なにくそ、なにくそ!」
と自分に言い聞かせているうちに高校3年間が過ぎ去り、今日が来たのだと思い
ます。何のために辛抱して来たのか。すべては今日の日を迎えるためです。胸を
張って進学・就職していくためです。9名ともこうして今日を迎え、3月末まで
にはここを巣立っていきます。おめでとうございます。
みんな、親をあまり頼れない立場でここで生活しました。学校の友人達は皆、
何かあれば親が助けてくれます。自由気ままにやって高校を退学しても、すぐに
家を出ていかなければならないわけでもなく、次の仕事も親が見つけてくれるで
しょう。しかしここにいるみんなは、これから長い人生、ほとんどすべて道は自
分の力で切り開いていかねばならない立場です。親に「助けて」と言っても、親
も余裕のない生活をしているのです。お金だってほとんど親を頼りにはできませ
ん。表面的には学校の友人達と同じように学校生活を送っているけど、じっくり
自分の回りを観察してみれば、学校の友人達と自分の立ち位置が、今言ったよう
に違うのです。冷静にその立場の違いを見つめる余裕がなくなれば、どんどん表
面的な誘惑に流されていきます。グチや不満も次々に湧き上がって来ます。9名
とも色々と悩んだり葛藤もあったことでしょう。よくここまでたどり着くことが
できました。よくがんばって来ました。今日のこの日のために、みんなはじっと
我慢して頑張って来ました。
問題はこれからです。社会人になれば、あるいは大学生になれば、今までの守
られる立場から一挙に開放され自由になります。1日に1万円使おうが2万円使
おうが、誰も文句は言いません。学校の友人達とも同じように行動できます。
しかし、社会人になれば自分のやった行動の責任はすべて自分で取っていかね
ばならなくなります。失敗した場合、友人達は親が尻ぬぐいをしてくれるのかも
しれませんが、みんなは自己責任として、自分で負っていかねばなりません。そ
ういう意味では、やはり立場の違いは続いていきます。せっかく園で辛抱して生
活して精神力や忍耐力を身につけたはずなのに、社会人になったとたんに解放感
から誘惑にどんどん流され転落していく者もいます。
みんなは自分の運命を変えるためにここで修行してきました。静養館で論語の
勉強もして来ました。この前3月7日の「明倫塾」の時に、卒園する者には自分
の選んだ論語の言葉を五つずつ朗唱してもらいました。今日私は三つを選んで皆
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にプレゼントします。
止むは吾が止むなり。進むは吾が往くなり。
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
遠き慮(おもんぱかり)無ければ、必ず近き憂い有り。
社会に出ても、本質的にはこの園の生活と変わりません。自分の運命を変える
努力はこれからもしていかねばなりません。もうちょっとの所で、その努力を止
めるのかさらに続けるのかは、結局自分の判断になってしまいます。止むは吾が
止むなり、進むは吾が往くなりなのです。自分の判断を間違えないようにしてほ
しいし、誘惑に流されないように、しっかり自己コントロールしていってほしい
と思います。
誘惑の前で一番恐いのが、友人とのなれ合い関係です。なれ合いになってしま
うと自己判断ができなくなってしまいます。そうなったら崩壊の始まりです。君
子は和して同ぜず、小人は同じて和せずの言葉を、なれ合いになりそうな時は思
い出してほしいと思います。
そして、三つ目の言葉が、遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有りです。将来の
夢や計画がしっかりないと、目先の小さなトラブルに振り回されそれが憂いとな
って前へ進めないぞ、と孔子は言っているのです。必ず5年後 10 年後の自分を
イメージしながら前進していってほしいと思います。
次に9名一人ひとりに対する私からの言葉です。
コースケ、ここに来る前の家にいた頃の生活を覚えているかな。お母さんが帰
って来なくて、随分ひもじい思いをしたことがあると兄のユースケから聞いたこ
とがあるけど、コースケはその頃の恨みつらみをずっと引きずっていたのだと思
う。その結果大きな失敗もした。そして目覚めて大きく変わった。これから自信
を持って生きていってほしい。お前にできないものはない。
ユータ、小さな頃から個性の強い少年で、私はふざけているお前にカンチョウ
をされたことがある。今も恨んでいるぞ。高校を卒業できるなんて、みんなあま
り予想できなかったのではないかと思う。しかし、ユータの努力でここまで来た。
多くの人達の支えにも感謝してほしい。時間をキチンと守ることが今後の課題だ。
自分でも言ったように、どんな壁も乗り越えていってほしい。
タツヤ、中学1年生の頃はあまりスポーツも得意ではなくて、園芸部で活動し
ていたね。夏、ホースで花に水かけしていて、ホースがからまってほどけなく泣
いていたね。泣き虫タッちゃんだった。それから、自分から野球部に入りたいと
言い出し、随分体も大きくなったし、たくましく成長した。これからも自信を持
ってがんばってほしい。
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ミライ、心やさしい少年であった。よく気がきいて、何ごとに対しても嫌がら
ずによく働いてくれた。しかし、高校になって大きな失敗を二度した。人生の中
で挫折はだれにでもある。お前には、それが早くやってきたのだ。そう思おう。
これからしっかり自己コントロールして生きていってほしい。
アキヒコ 小学生の頃、お母さんがよく面会に来てくれていたけど、お母さん
が不安定で大声で叱られることもあったね。涙を流してじっと耐えているお前を
見ていて、すごく心苦しかった。中学校になり学年が上がるごとにグングン成長
しリーダーになった。大学に行って福祉を学ぶけど、弱い人の心が思いやれる人
間になってほしい。
アヤミ ミライやアキヒコに比べると随分遅れて友愛園にやって来た。目立た
ないけど目配り気配りできる人間で、高校3年間で随分成長した。職員達もアヤ
ミの前向きの考え方に色々と助けられたと思う。自衛隊の生活もこの園の生活の
延長だと思う。しっかり国を守ってほしい。
ミツル
お母さんが友愛園の卒園生でお母さんに抱かれて友愛園に帰って来
た。いつもお母さんと一緒で随分甘えん坊だった。小学高学年から園で生活する
ようになっても甘えは抜け切らなかった。これから、それぞれに自立してがんば
らねばならない。お母さんを支える女性になってほしい。
マユミ 姉のユウコさんと一緒に入って来たね。淋しそうな笑顔が印象的だっ
た。ずっと遠慮して生活しているようにも見えた。卒業論文でお母さんが家出し
たと言ったけど、家で淋しい生活をして来たのだろうと思う。これからは、もっ
と自信を持ってよい。今のマユミだったらやれる。
アサミ 幼児の時代から常に優等生で、他の子ども達に模範を示す立場を要求
されて来たね。あまり保母さん達にも甘えられなかった。じっと我慢して生きて
来たのだろうと思う。高校に入っても気を抜くことなくコツコツと努力して来た。
いつかきっとアサミを甘やかしてくれる人との出会いがあるからね。大学に行っ
てもリーダーシップを忘れずがんばれ。
最後に、みんなにもう一言。みんな近々、石井十次のライオン教育の絵のよう
に崖から突き落とされる。自分ひとりで頑張らなければならない。しかし、精一
杯がんばっても崖を這い上れない時、つまりどうしても仕事が続けられそうにな
い時、悪い友人関係から抜けきれない時、誘惑から逃げられない時等は、勇気を
出して「助けて」と言える人間でもあってほしいと思います。
もう一つの行事は、3月30日(月)から4月1日(水)にかけて2泊3日で行
った「高校生自覚旅行」です。新高校1年生も含めた19名の高校生と職員合わ
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せて25名で、山口県萩市の「松下村塾」を訪ねて来ました。出ていく高卒生が
いれば新たに上がってくる高校生もいるのです。友愛園の新たな歴史を作ってい
くのは今年度の高校生達であり、リーダーとしての責任の自覚が必要です。その
自覚を促すための旅がこの自覚旅行なのです。
岡山孤児院発祥の地である岡山市門田屋敷、坂本竜馬の巨大な銅像のある高知
県桂浜、そして「松下村塾」の3か所を高校3年間で回れるように、毎年この時
期に実施しています。石井十次の「旅行教育」にもつながる友愛園の伝統行事で
す。この3か所を3年周期で回っていますので、私はもう何度かこの「松下村塾」
を訪れています。行く度に新しい発見をし、友愛園の教育に生かしたいと思った
りしています。
3月30日、午後2時10分、貸切バスで友愛社を出発。新しい高速道を疾走
し、5時前に別府湾サービスエリアに到着。別府湾は黄砂でも舞っているように
もやがかかっていました。山々の山桜は満開。太陽は雲に隠れ肌寒い。トイレを
済ませてさらに北上。6時半、関門海峡の見下ろせる和希刈パーキングエリアの
レストランで夕食。民宿に着いたのは9時前でした。
3月31日、いよいよ萩見学です。私は一人、朝食前に民宿を抜け出し近辺を
歩いてみました。地図を見ると、萩の城下町は、北に向かって流れている川の河
口に広がる中州に作られています。お城は突端にある指月山の手前に築かれ、そ
のさらに手前に扇型に広がっているのが、上級武士達の町。もちろん高杉晋作誕
生地もこの一角にあります。私達の民宿は寺町付近にあり、古い寺を巡りながら
お城の「北の総門」あたりまで歩いてみました。路地に入ると荒れ果てた屋敷や
朽ちかけた土塀がけっこう見られます。放置されたままの実をつけた夏ミカンの
木があわれです。
7時半にみんなで朝食を食べ、8時半に民宿を出発。まず萩城跡に向かい散策
しました。染井吉野が満開。吉田松陰は藩主の前で兵学の講義を何度もしていま
すので、この城内を確かに歩いています。その後、萩博物館へ行き吉田松陰関連
について一通り学んだ後、高杉晋作誕生地、木戸孝允旧宅、藩校明倫館跡等を歩
いて見て回りました。藩校跡にはまだ有備館という武道場や水練池(遊泳術や水
中騎馬を学ぶ)もそのまま残っていて、その歴史とスケールの大きさには圧倒さ
れました。この武道場では、来萩した坂本竜馬も剣術の試合をしたとか。
今回新たに認識できたことは、この藩校明倫館あっての「松下村塾」だったの
だろうということ。つまり日本文化の「守・破・離」の流れから言うと、
「守」
の部分はこの藩校明倫館が担ったのだろうということ。高杉晋作、久坂玄端(く
さかげんずい)等多くの逸材の輩出について、松陰の功績ばかりが取り上げられ
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がちですが、その教育の基本の部分にはこの明倫館教育があったのだろうと思え
てきます。
歴史の大きな節目、つまり内憂外患の状況に即応できなくなった部分を、松陰
が引き受けたと言うこともできると思います。ちなみに、松陰もこの明倫館で講
義したことがあります。
さてその後、私達はバスに乗って「松下村塾」に向かいました。先ほどの中州
の城下町の外にあります。お城からはかなり遠く、それだけ身分の低い下級武士
の家系だったということになります(二十六石)。育った家はさらに離れた城下
町を見下せる山の中腹にあり、「半士半農」の生活と資料にありますが、ほとん
ど農家と変わらない青春時代だったようです。
多くの観光客に惑わされながら、私達は松下村塾、松陰神社、松陰墓地、松陰
誕生地と回りました。子ども達は何を感じ取ったのでしょうか。
私が今回新たに得た知識は、
「飛耳長目(ひじちょうもく)
」です。耳を飛ばし、
目を長くして多くの情報を集めるという意味だそうです。松陰だけではなく弟子
達も全国各地を飛び回り、その情報を松陰に書き送ったそうです。そしてそれを
松陰はノートにまとめ、弟子達とともに読み合い議論し合ったのです。松下村塾
の教育は一方通行ではなく、ともに学びともに論じ合う、つまり切磋琢磨し合う
教育だったと言われていますが、その叩き台になったのがこの「飛耳長目帳」な
のでしょう。
友愛園でも小規模のじゅうじの家でも子ども達は「館日誌」を日々つけていま
すが、これをもっと充実させていく必要があります。じゅうじの家でやっている
新聞の切り抜きを館日誌に張り付けるのも、飛耳長目の一つになるのだと思いま
す。子ども達の志を育てるには、それだけではなく、もっと広く情報収集が必要
なのかもしれません。
4時すぎ、私達は萩を出発し、2日目の宿のある下関に向かいました。自覚旅
行に出発する時子ども達に言った、
「松陰の生きた地に立ち歩いて、体で感じ取
り、それをこれから生きていくためのエネルギーとすること」が、この旅行に参
加した子ども達職員それぞれの課題となります。
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