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第9回 - NSRI 日建設計総合研究所

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第9回
『都市デザインのプロセス~変わりゆく渋谷を通して』
内藤 廣 氏
建築家・東京大学名誉教授
岸井 隆幸 氏
日本都市計画学会前会長・日本大学教授
日時 2013 年 10 月 4 日(金
日(金)
場所 NSRIホール
オリエンテーション
2
渋谷再生と都市デザインのフレーム
6
建築と都市デザイン
17
フリーディスカッション
30
講師紹介
内藤 廣(ないとう ひろし)氏
ひろし)氏
建築家/東京大学名誉教授
1950 年生まれ。1976 年早稲田大学大学院修了。フェルナンド・イゲーラス建築設計事
務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て、81 年内藤廣建築設計事務所を設立。2001 年
から東京大学大学院教授、副学長を歴任後、2011 年に退官。現在、東京大学名誉教
授、総長室顧問。日本建築学会賞作品賞(1993)、吉田五十八賞(1993)、村野藤吾賞
(2000)など受賞多数。
岸井隆幸(
岸井隆幸(きしい たかゆき)
たかゆき) 氏
日本都市計画学会前会長/
日本都市計画学会前会長
/日本大学教授
1953 年生まれ。1977 年東京大学大学院都市工学専攻修了。同年建設省(現国交省)
に入省。1992 年から日本大学専任講師、助教授を経て 1998 年より日本大学理工学部
土木工学科教授。2010 年~2012 年日本都市計画学会会長。都市交通システムや施
設計画、都市整備プロジェクトの歴史、理論、制度、効果を幅広く研究。日本都市計画
学会年間優秀論文賞(2009)など。
ファシリテータ紹介
大松 敦(おおまつ あつし)
あつし)
日建設計 執行役員プロジェクト開発部門代表
1
都市デザインのプロセス~変わりゆく渋谷を通して
木村
大変長らくお待たせいたしました。ただいまより第9回 NSRI フォーラムを開
催させていただきます。本日は、お忙しい中、お集まりくださいまして、まことにあ
りがとうございます。
本日のファシリテーターは、日建設計執行役員プロジェクト開発部門代表・大松敦
です。よろしくお願いいたします。
オリエンテーション
大松
ご紹介いただきました大松です。本日は、
「都市デザインのプロセス」というテ
ーマで、スピーカーに岸井先生、内藤先生をお迎えして行っていきたいと考えていま
す。
本日のプログラムをご説明いたします。まず最初に私から今回の渋谷駅周辺開発の
経緯を簡単にご紹介させていただいた上で、都市デザインを考えるに当たっての大枠
のフレームの部分を岸井先生からご紹介いただきます。その後、具体的に建築のデザ
インにつながっていくところを内藤先生にお話しいただく予定です。最後に、30 分ほ
ど質疑や意見交換の時間をとっています。
それでは最初に私のほうから、今回の渋谷の都市デザインの今までの経緯をご紹介
していきます。
(図1)
今回、渋谷駅がこのような大規模な再開発を始めることになったのは、2001 年5月
に地下鉄 13 号線、現在の副都心線の都市計画決定がされ、渋谷駅にターミナルが来
るというルートが決定したということが大きな契機でした。翌年1月には、東急東横
線と相互直通運転することを東急電鉄が発表しました。
これは昔の渋谷駅です。ここにあった東横線の渋谷駅が明治通りの下に移ることに
なります。これまで東横線で来たお客さんは必ず渋谷で乗りかえてくれていたわけで
2
すが、直通運転が始まると、このお客さんたちは渋谷に魅力がなければそのまま原宿
や新宿に流れてしまうという意味で、渋谷のまちにとって非常に大きな危機感を持つ
契機になったわけです。
(図2)
また一方、物理的には東横線の渋谷駅の場所が空くわけですから、ここを利用して
大きな再開発の拠点ができるのではないかというアイデアも出てきました。
この機会を最大限に生かそうと、2005 年の6月には、都市再生緊急整備地域に指定
されています。その間にも色々な検討が行われてきたわけですが、こういった検討の
1つの決着点として緊急整備地域に指定され、このエリアで都市再生特別地区の提案
ができるようになったわけです。
緊急整備地域の指定方針の中でも、渋谷については、駅施設の機能更新と再編とい
うことが大きなテーマになっています。それを契機に魅力ある商業・業務・文化交流
機能などの充実を図っていこうということが記されています。
(図3)
ところが、渋谷駅の周りは、地形が非常に複雑な上、首都高速道路や鉄道などでま
ちが大きく分断されていて、駅周辺の地区計画は5つの区域に分かれています。それ
だけ地区が細分化されて、それぞれの地区ごとに魅力が違うと言えばそうなんですが、
一体的にまちづくりが検討されることが余りなかったという状況でした。
(図4)
緊急整備地域に指定もされ、まちづくりを一体的に考えていこうということで、
「渋
谷駅中心地区まちづくりガイドライン」というものの検討が始まり、2007 年の9月に
は一旦取りまとまりました。
今日お話しいただく両先生は、この頃から渋谷駅のまちづくりにご参加され、ご指
導をずっといただいてきています。
ここでは、渋谷駅の中心地区のアメーバ状に囲ったエリアにある大きな5つの再開
発、これを軸にして、その周りの地区のあり方を考えていこうということで検討され
てきています。
(図5)
こういったまちづくりを検討してきたプロセスの成果として、鉄道駅の改良のあり
方が鉄道事業者間でおおむね合意形成がなされたのがこの頃です。
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左側が従前の渋谷駅の駅構造、右がこれから変わっていく駅構造になっています。
ポイントの1つは、東横線が相互直通になること、それに伴って銀座線をヒカリエの
ほう、明治通りの上空に移動します。JRの上から銀座線が抜けたことを受けて、J
Rの埼京線が山手線とほぼ並行になるようなレイアウト変更を行っていこうというこ
とです。こういった非常に大規模な鉄道改良についての計画的なレベルの合意形成が
おおむね 2007 年ごろできてきました。
(図6)
そうした鉄道事業者間の合意形成がなされたことを受けて 2007 年 10 月にはヒカリ
エの都市再生特別地区の提案がなされました。こちらは銀座線の移設を将来含みにし
た非常に大規模な再開発になっています。
(図7)
翌年の 2008 年6月には、鉄道改良を軸にした渋谷駅街区基盤整備の方針というも
のが取りまとめられています。こちらが従前の渋谷駅、先ほどご説明いたしましたが、
鉄道がこのように変わる。それに合わせて駅前広場もいろいろ整備をしていこう。そ
4
の上空でのネットワークも拡充していこう。まちづくりガイドラインの考え方を実際
の基盤の計画に落とし込んだものになっています。
(図8)
その翌年、2009 年に都市基盤施設の都市計画決定がされました。これを受けて、具
体的に基盤整備をするための区画整理事業の認可が 2010 年 10 月に行われています。
左側が従前宅地、現在もこういう宅地形状ですが、それをこういう形に宅地の形状を
大きく変えます。これによって駅ビルを建てる場所が大きく変わってくるわけです。
逆に言うと、公共空間のあり方、位置というものも大きく変わってきます。現在認可
を受けてすでに具体的に基盤整備事業が始まっているという状況です。
(図9)
そうした基盤の整備がなされていくことを受けて、いよいよ本格的に、ヒカリエ以
外の再開発が動いていきます。その対応のために 2011 年1月に、渋谷駅中心地区の
デザイン会議というものを渋谷区が設置しました。その2カ月後、2011 年 3 月にほぼ
同時期に検討が進んでおりましたが、「まちづくりガイドライン 2007」を具体的に深
度化した「渋谷駅中心地区まちづくり指針 2010」というものが公開されています。
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(図10)
この「渋谷駅中心地区デザイン会議」というものは、これからいよいよ本格的に大
規模建物の設計が始まり、都市基盤施設についても具体的な整備が始まっていくこと
を受けて、
「渋谷駅中心地区まちづくり指針」の考え方に基づいて、具体的にデザイン
がきちんと進められていくように協議、調整していく場として設置されています。
(図11)
2012 年4月、昨年の春にはヒカリエが無事開業し、その後、東横線も相互直通運転
が開始されて現在に至っています。その間、今年の初めに、渋谷駅の駅街区も、都市
再生特区の提案がなされ、都市計画決定されています。こういった都市計画各事業が
進んでいくことをずっとこれまで岸井先生と内藤先生が調整をされてきましたので、
この後の話については、まずは岸井先生から、まちづくり指針を中心とした都市デザ
インのフレームのお話、その後、内藤先生に建築デザインの調整についてお話をいた
だきたいと考えています。
それでは、岸井先生、よろしくお願いいたします。
渋谷再生と都市デザインのフレーム
岸井
ただいまご紹介いただきました日本大学の岸井と申します。内藤先生がデザイ
ンの具体的なお話をされる露払いで 30 分ほど、どういうことが起きていたのかとい
うことをご紹介する役割かと思っています。
(図12)
先ほどご紹介がありましたが、これは渋谷駅のヒカリエができる前の状態です。鉄
道がJR、メトロ、東横線、井の頭線と、複数、多層に組み合わさっていて、そこに
張りつくように、デパートが西館、東館と、小さく分断されて広がっていました。こ
の渋谷駅がそれなりの問題を含んでいるということは皆様よくご存じのとおりです。
(図13)
上から見たところです。東口も西口も非常に多くのバスが行き来をしています。山
手線の駅でバス利用者数が一番多いのがこの渋谷駅です。さらに言うと国道 246 号線
が南北を分断するかのごとくに存在をしているという状況があります。また、西口広
6
場を見ると、歩道があって、タクシー乗り場、バス停、さらに車道があって、バスが
縦方向に並んでいます。十分な歩道もなくて、バス会社の人が歩行者をかき分けるよ
うにして案内をしているというのが現状です。
(図14)
こんな渋谷駅を何とかしなければいけないということで、副都心線が入ったころか
らいろいろな議論がされてきました。今日ここで話をするために、私がいつ頃から渋
谷に関わりだしたのかなと思って確認してまいりましたが、渋谷の実務にかかわり出
したのは恐らく 2006 年からだと思います。「ガイドライン 2007」をつくり出した時
からです。この時から内藤先生とご一緒させていただいてお手伝いをしてきました。
その前に、実は「渋谷駅周辺整備ガイドプラン 21」というのが 2003 年にありまし
た。覚えている方もいらっしゃるかもわかりませんが、その時の雰囲気を映して、将
来は首都高を3階に上げるという案や、国道の下に回遊性のある大規模地下空間を実
現できないか、また、広場の下は大きな地下駐車場にするなどのプランがありました。
ハチ公前の広場にもデッキがかかるという絵が一時期ありました。地元でもいろいろ
問題提起されて、結局、都市再生緊急整備地域の指定を受けて、もう一度見直しをす
ることになったものが「ガイドライン 2007」だと思っています。
その時から今日までずっとかかわっていますが、その間には、後でご紹介しますが、
西口広場の上にふたをかけてみたいとか、西口広場は半地下にしたほうがいいとか、
突然、色々な思い付きを言う方が出てきます。大変複雑な場所ですから、新しい人が
来るたびに自分の新しいアイデアを組み入れたくなるのはやむを得ませんが、結局、
西口の広場を半地下にするという提案を取り下げてもらうのには1年かかりました。
西口広場の上に全面的にデッキをかけるという議論には半年かかっていまして、今ち
ょっと休憩中です。相変わらず私は否定をして戦っています。こんなことをやりなが
ら、今日進んでいるという状況です。
(図15)
これは、ここが変わりますよという絵です。おおむねご理解いただいたとするなら
ば、そもそも何でこんなことをするんだという話に立ち返りたいと思います。私が最
初に都市再生の話を受けて、ガイドラインをつくる作業にお邪魔をしますと、人がす
ごくたくさんいるわけです。渋谷をどうするこうするという議論がされ出したとして
も何でそんなにたくさん集まって渋谷の議論をするんだ、どうも聞いているとたかが
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デパートの建て替えじゃないか、そんな議論だったら自分たちでやってもらったらい
い。それなのに、東京都や国の人もいる。こんなに大勢集まってやる必要ないのでは
ないかというのが第一印象でした。実際そう申し上げた記憶があります。
「何をするん
ですか。駅前広場の街区が広がるわけでもない。容積率が上がるということを受けて
何かしたい気持ちはわかるが、皆さんのお話は単なる建て替えじゃないか」、そもそも
渋谷にみんなの力を注ぐ必要があるんでしょうかねという話をした覚えがあります。
(図16)
その頃考えていたのは、東京をこれからどうするかということです。東京自身を戦
える都市圏、魅力ある都市圏に変えていく必要があるのではないかと個人的に思って
おりました。そのためにはいろいろなキーワードがあるだろう。
(図17)
安全、効率、文化、環境、それをどうやって東京の中に埋めていくのかという時に、
東京の都心部、大・丸・有を初めとする地域は国際金融ビジネスというもので頑張っ
ていこう、これは大いに結構だ、日本を引っ張ってもらおう。ただ、日本の国際的な
評判の中で、生活にかかわる部分が余りうまく評価されてないのではないかという気
持ちを私は持っておりました。日本の、東京の生活の質は決して世界に劣るものでは
ない。魅力的なものとして世界に発信することが東京にとって日本にとって必要だろ
う、という気持ちを持っておりました。それをもしするならば、渋谷を中心としたに
エリアあたりがいいのではないかとおぼろげながら考えていたところであります。
(図18)
実際、渋谷の周辺には大使館と文化施設が多く整っています。前々から有名な住宅
地も多々あり、そういった方たちのお買い物をする場でもあったでしょうから、それ
なりに憧れの場でもあったのかと思います。
最近ですと、コギャルが出てきて以来、各国のメディアでも、渋谷のファッション
が大きく取り上げられています。昨今の英語のガイドブックを見ますと、ハチ公前の
クロッシングはマストで行けとなっています。
こんな国際的な可能性も含んでいて、文化の薫りもする地域で、実際文化を反映す
る施設が多々ある渋谷だからこそやることがあるのではないか。
8
(図19)
その結果、内藤先生な
どとお話をしながら、ガ
イドラインの一番最初の
ほうにこの図を描いたわ
けであります。無理がな
いかと言われれば、やや
無理しているかもわかり
ません。東京の両輪とし
て、グローバルビジネス
の拠点である大・丸・有
と対比するように、生活文化の拠点がこのエリアにできる。東京の都市としての力、
魅力を世界に訴えるためにはこの2つが不可欠なのではないか。そのための渋谷だと
いうぐらいの話にしないとみんなで協力する意味がないのではないか。実際にそうい
う可能性はある。ならば絶対それで頑張ろうというのが最初の頃の気持ちであったと
思います。
(図20)
ただ、渋谷のエリアの中で開発をするのはごく一部、駅の周りだけでした。その外
側に都市再生のエリアがあるわけですが、この中にあるさまざまな基盤施設の取り扱
いについては、私どもがかかわった時点では、まだ十分に方針すら決まっていません
でした。東横線が副都心線につながるということだけは決まっていました。これも実
は、そこの部分はかなりの議論があったようですが、私どもはそこには直接かかわっ
ておりません。それを前提として考えようということでした。先ほど埼京線をJRの
山手線のホームに並べるようにしますというご説明がありましたが、その時にはまだ
本当にやるという最終意思決定はされておりませんでした。あるいは渋谷の東口の駅
前広場の下に流れています渋谷川をどう取り扱うのかということについても、議論が
整理されておりませんでした。
そのような極めて基礎的な部分の方針が決まらない中で、ガイドラインの話を始め
ました。広場の交通処理をどうするか。246 という大きな幹線道路によって地域が分
断されているような気分になっているが、これを何とかしなければいけない。渋谷は
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谷だから雨が集まってくる、雨水対策もやらないといけない。渋谷には地下街がある、
そっちのほうが危ないのではないか。渋谷の真ん中だけやっても渋谷のプラスになら
ない。周辺部とつながってこそ渋谷である。渋谷の周辺部の開発をどうするんだ。一
体この渋谷に生活文化というけれど、何を持ってくるのか。これらいろいろなことを
同時多発的にやらなければいけないということになったわけであります。
(図21)
2006 年に実務としてのこの会合に参画をしてそういった話をしはじめたわけです。
ただ、実は 2003 年頃、多分ガイドプランというのを受けた後だと思いますが、渋谷
区内で筑波大学の大村先生を座長にする渋谷の研究会ができ、そこで一緒にやろうと
呼ばれたことがありました。渋谷をどうしたらいいか、という議論を勝手にする会で
した。そういう会ですから、何か話せということになりました。おまえは交通が話せ
るのではないか、渋谷の交通について語れという話になってつくったのがこの辺のパ
ワーポイントです。
これは戦後すぐの戦災復興都市計画の図面です。ここが渋谷です。246 は 50 メー
トル、環六が 80 メートル、道玄坂とか宮益坂は 40 メートルといった広幅員の計画が
戦災復興直後はあったということです。
(図22)
ご存じのとおり、ドッジライン等々もあって、大きく計画を変更しました。それが
昭和 26 年(1951 年)の戦災復興変更都市計画で、その際に渋谷駅はこうなりました。
246 は 40 メートル、こちらの青山通りから 40 メートルで来て、30 メートルでぶつ
かる。一方、道玄坂は 20 メートルにぐっと減りました。神宮通りも 25 メートル、明
治通りは 30 メートルぐらいでしょうか、そんなプランに変わったわけです。
(図23)
この図とこの図、似たような図ですが、この段階で明らかに、道玄坂や、神宮通り
などの道路は、東京の大きな幹線道路とは違う位置づけを与えられている。私はその
ように理解をしたわけであります。
(図24)
このとおり実際にでき上がってくるわけです。昭和 33 年ごろの写真があります。
戦災復興土地区画整理事業でこうして駅前広場ができ上がってくる。
10
(図25)
その後も、都市計画とし
ては鉄道など入ってきて、
今日の渋谷になっている、
それならば、将来の渋谷を
どう考えるかといったとき
に勝手に描いたのがこの絵
です。
(図26)
2005 年3月は、まだ渋谷の実務にかかわってない頃です。これとこれとこれが大幹
線、神宮通りとか道玄坂は地区内道路。そこに今たくさんの通過交通が走っていたり
するが、それははやめたほうがいいのではないのかなと。駅前広場も、本当ならば 246
から入りたくない、ということも考えながら、ハチ公前広場と渋谷のまちをつなぐな
ら一気につないで、これは簡単に補助線にしたらどうかなどという絵を勝手に描いて、
勝手な研究会で言っていたわけであります。
(図27)
そのうちに渋谷の実務に正式にかかわるようになってきた。当時、渋谷のまちの全
体の構想に関してはこんなことを言っておりました。今の駅前部分は渋谷のコアとし
て、何となく渋谷と呼ばれているが、我々が狙っている渋谷はそうではないのではな
いか。世界に生活文化を発信するのはこんなところだけでできるものではない。青山
通り、原宿、松濤、中目黒、代官山といった地域も含めて、これが我々の意識してい
る大きな渋谷なのではないか。この渋谷こそ、世界に発信できるものである。そこが
新宿とは違う。新宿はこうはなってない。南口はある、西口はある、東口はあるけど、
地域独自の個性を持ってまとまって大きな大新宿をつくっているわけではない。渋谷
とそこが違う。
(図28)
このように3段階ぐらいで物事を考えて何かやったらどうかということを勝手に言
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っていた時に、たまたま 2006 年からお手伝いをするようになりました。ラージ渋谷
というのは一番大きなところですが、渋谷のいろいろなストリートを大事にしたほう
がいいのではないかということをその時は考えていたわけです。
(図29)
2007 年、まちづくりガイドラインをつくる作業のお手伝いをすることになりまして、
いろいろと議論を重ねて、今日の渋谷の計画の骨格ができ上がってくるということで
す。
(図30)
簡単に言うと、
「世界に開かれた生活文化の発信拠点」ということです。先ほどもあ
ったように、丸の内と渋谷の両輪で東京を国際的に発展させる、それぐらいの話をぶ
ち上げた。一方で、広場・坂・路面店を生かしためぐり歩ける環境と共生するまちを
目指して、“渋谷”のリーディングコアをつくる、といったことをキャッチフレーズに
して、戦略としては7つ考えましょうということにしました。
「渋谷を発信する」、
「谷
を冷やす」、「都市回廊の創出」、「人間中心のまち」、「安全・安心なまち」、「渋谷らし
さの強化」、「みんなで育てるまちづくり」といったことを内藤先生にいろいろ指導を
いただきながら、みんなで言葉にしてきたわけであります。この戦略に従ってそれを
形にすると何が起きるのかということを解いていったらいいのではないか。
後ほど細かくご紹介がある各建物のデザインにつきましても、当然こういった基本
的な渋谷に対する思い、考え方をできるだけ反映してもらおうということで取り組ん
できたつもりです。もちろん個々の建物がどういうデザインになるかという前に、渋
谷のまちというのがどういうふうに構成されるのかを決めなければなりません。その
ときにも、こういった戦略は当たり前のごとく生かさなければいけません。
(図31)
「渋谷を発信する」ということで言うと、丸の内とは違うアーバンデザインが重要
です。渋谷というのは、先ほど言ったとおりいろいろな地区があり、個性がある。そ
れをみんなが楽しんでいる。変化もある。決まったものがバチッとあって、それにみ
んなが従ってというのとは違う。渋谷を発信する機能が絶対要るよね、そのためには
せっかく近くにあるNHKを使わなければいけないだろうなんてことも議論しており
ました。色が変わっているところがまだ思い半ばにしてできてないところであります。
発信機能のしつらえは、もちろん空間ができていませんから、これからかもわかりま
12
せん。NHKとの連携もまだ十分ではありません。
「谷を冷やす」ということになると、渋谷川をもう少しきれいに使えないか、緑を
確保したい、建築物の環境性能を高める、一時期はごみ焼却場の熱を使って何とかで
きないか、などが議論になりました。その他、いろいろなことが議論にはなりました
が、結果的には各ビルごとでそれぞれの環境性能を高めることになりました。
また、風の道というのが、鉄道の線路を通って、当然南のほうから来るだろう。鉄
道の上だけは低くしたいということをずっと言っておりましたが、これは思い半ばに
して敗れています。一部下げましたけれども、鉄道事業者、開発者のほうとすれば、
その部分を分断されるのは非常につらいというので・・、私自身は今でも十分ではな
いと思っています。
「都市回廊の創出」という意味では、アーバンコアという概念を入れ込みました。
命名者は内藤先生です。都市のさまざまなところにコアを置きます。
そのほか、246 の分断を何とかしなければいけない。南口の設置はできないか、さ
らには東西南北の連携の空間をいろいろ評価しましょうという話になりました。先ほ
ど4階部分をデッキでつなぐという話がありましたが、JR線の上に床を張りますと、
スーッと青山方面まで行けるようになります。それを使って人々が安全・安心に歩け
るという工夫もあるだろう。あるいは今の渋谷駅の東西を結ぶ通路は非常に混んでい
ますので、あの辺をもう少し広くしたり、さらには 246 を越えるデッキをどう考えた
らいいだろうなど、そんなこともいろいろ議論しながら、今日に至っています。
「人間中心のまち」の中では、最初に開発の皆さんから出てきた絵はごく普通の駅
前広場でした。駅前広場を少し南側に持ってきていましたが、今、車道を挟んで真ん
中にあるバス停が単に建物側に寄っただけという駅前広場の設計で、これでは何をし
ているか全然わからない。先ほどお話ししたとおり、私自身は駅前に通過交通を入れ
なくてもいいだろうと思っていましたので、今の神宮通り(西口のところを通過して
いる6車線か8車線)の車線数を大幅に削減しました。結果的にハチ公前広場は広が
ることになります。それと、附置義務の駐車場、もちろんそれ以外にもさまざまな駐
車場は要るだろうということで検討しましたが、最近東京では駐車場は余りぎみです。
駅前に無理に持ってきて、そこに無理やり車を引き込むのはいかがなものかというこ
とで、都市計画的な駐車場は移動制約者の方に限ろうということで現在進んでいます。
移動制約者向けの駐車場として都市計画駐車場は駅前に用意はしますが、基本的には
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公共交通を使って来ていただくということを考えました。
そのほか、多様な歩行経路、広場、駅の改良といったことをやるわけですが、何せ
周辺の街区には手を触れておりません。今ある西口と東口の広場は面積的には何も変
わっていないんです。そこで何か新しく人間中心の歩行空間を入れようとしても、そ
う簡単にできるものではない。何かをいじめないとできない。
そこで、建物の下を使わせていただくということになりました。立体都市計画でビ
ルの下の部分にバスが入るような工夫になりました。西口のところは、タクシーがず
っと並ぶ状況でしたので、タクシー乗り場を地下に持っていく。ちょっと無理をして
いるかなと思いながら、そんな工夫もしています。
(図32)
「安全・安心なまち」という意味では、当然、老朽施設の更新が必要です。また、
雨に関しても対策を施したい。西口のほうには下水管の太いのが入っていますので安
心ですが、東口のほうはない。そこで、駅前広場の地下に雨水貯留槽をつくることに
しました。最初の頃に工事をしていたのは、全部雨水貯留槽の工事であります。
そのほか、246 は拡幅されますし、バスも従来よりははるかに乗りやすくなる。渋
谷の地下街もいずれ更新をしなければいけないと思っています。これは今後の課題の
1つで、まだできてないということであります。
「渋谷らしさの強化」という意味においては、ハチ公前広場をもっと魅力あるもの
にしたい。いろいろなところに小さな広場ができます。これをそれぞれの管理者が自
分のために使っていては何をやっているかわからない。そこで、全ての公共貢献の空
間は、エリアマネジメント組織で一括管理をしてほしいということをお願いしました。
つまり、JR駅の上の広場であってもそれはJRさんのものではない。みんなのため
の広場として公共貢献に出している以上、エリアマネジメントとして全体で管理をし
ましょう、そういう発想でお願いをしています。それによって渋谷全体の渋谷らしい
演出がもっと可能になるのではないかと考えたわけであります。
周辺地域の整備はまだこれからというところです。
エリアマネジメントの組織もでき、SHIBUYA1000 というイベントが数年続きまし
た。これも、内藤先生が組織された若い人たちが渋谷のまちで少し元気を出そうとい
うので、あちこちのあいている空間を利用させていただきながら、イベントをやって
います。こんなことをやりながら、ここまでに至っているということです。その中で、
14
これからご紹介があります駅周辺の建物のデザインの議論が本格化してくるというこ
とです。
(図33)
その中で、1つだけあらかじめ紹介しますのは、結節の立体化に対する対応です。
副都心線に相直する東横線はかなり下に潜りました。銀座線は相変わらず上にいます。
7階ぐらいの差があるものをどうやって結ぶのかということが大変大きな課題です。
そこで、縦方向に人々が安全に移動できるシャフトが要るだろう。このシャフトはた
だ交通機能だけではないのではないか。我々は、それをアーバンコアと名づけて、人々
の動きが見える、そこへ行けば渋谷が感じられる、そういうものにしたい。それが開
発の中で幾つかでき上がることが、ほかにはない渋谷らしさを演出することになるの
ではないかということを考えました。
109 の円柱形がガラスになっているようなものだと思ってもらってもいいんです。
人々が動いているのが見える。人々の動きが見えて、そこに行けば渋谷が把握できる。
安全に、下から上まで移動もできる。
(図34)
そんなものを開発とともに幾つかつくっていけないだろうかということで、ヒカリ
エに関しましても、円柱形のところについてはその第1号として、ちょっと無理して
いれていただきました。
これからのさまざまな開発においても、このとおりやるというわけではないですが、
そういう考え方をそれぞれの開発の中で生かしていただくということをずっとお願い
しています。
(図35)
これから動いてくる駅街区あるいは西側の道玄坂のプラザ街区、南側の東横線の跡
地、さらには、その西側の再開発(桜丘地区と呼んでいます)部分も含めて、今のよ
うなことを守っていただいて、何となく渋谷らしい空間をつくっていけないか。それ
も、規模が結構大きいので、設計がすべて日建設計というのもつまらないのではない
か。素直にみんなそう思ったわけです。それを何とかしなければいけないので、いろ
いろ工夫をしました。
(図36)
開発プロセスは何ステップかあるだろうなと思っておりましたし、今もそう思って
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います。副都心線が相互直通運転を開始しました。ヒカリエもオープンしました。そ
こが第1期かもしれません。銀座線の駅を今移しつつありますが、あわせて東口に超
高層タワーが出来てきます。2020 年にオリンピックが来ることが決まりましたので、
当然それに向かって議論が進むであろうと思います。
さらには、同時ぐらいに道玄坂街区と南街区が進みますが、その後に多分桜丘も出
てくる。そうすると、今は余りつながっていない 246 の南側も東西につながることが
できて、より渋谷らしい空間が広がっていくのではないかということを期待していま
す。
(図37)
ただ、課題がまだ残っています。真ん中辺では、渋谷の地下街の更新。東横デパー
トがなくなるので、地下街にとって大変大きな問題を抱えます。あの部分は地表から
かなり浅いところにありますので、そういう意味も含めて地下街の更新を考えるべき
時ではないかと思っています。
さらには、南口に改札口ができると、その関連で、鉄道施設の動きが出てきます。
そうすると、今日考えているさまざまな基盤施設のあり方も、もう一度考え直す機会
が生まれるかもしれません。
それから、せっかく広がるハチ公前広場のようなところについて、具体的にどのよ
うにしようかという詳細デザインはこれからです。風の道は十分ではないかもしれま
せんが、環境性能の高い広場をつくっていくことは課題であろうと思っています。何
よりも、2020 年、世界に渋谷を発信するためには、渋谷の開発の過程(プロセス)自
身を見ていただくということは絶対に必要だろうと思っていますので、エリアマネジ
メント組織の中で、インフォボックスを早くつくろうということをお願いしていると
ころです。
駅街区の外の、宮益坂や道玄坂といったところで、歩道をもっと広くできないか。
今は駐車帯があるけれど、特定の車がとまっているケースも多いので、そんなことだ
ったら、いっそ歩道を広くしたらいいのではないかということも考えています。沿道
を開発しなければ、まちとして魅力はなくなるだろう。東急本店エリアもいろいろや
ってきましたが、そこと駅前街区とのつながりはどうするのか。一応、駅街区を中心
にしたエリアマネジメント組織はできましたが、その外側の地域とはまだつながって
いません。外側の地域とつながって、外側にもはっきりした魅力的な歩行者の空間を
16
つくるためには、まちの中にパラパラとある駐車場の再整理をする必要があるという
ことも考えなければいけません。
さらに、外側を見ると、NHKの建て替え問題などが一時期騒がれました。区役所
も建て替えするとかしないとか言っています。2020 年の代々木体育館をどうするんだ。
青山には余裕の土地がある。国連大学も移ってしまうらしい。まだまだ周りは動き出
す。そういうところと重ねて、渋谷の文化創造発信の仕組みをつくっていく必要があ
る。この地域は居住をしていただくにはとてもいい地域だと思っていますので、国際
的な人々が安心して住めるように、病院、学校などもっと強化する必要があるのでは
ないかと思っています。
私のほうは専ら基盤のことをお手伝いしてまいりました。大きなデザインのガイド
ラインと渋谷のガイドラインというのは同じ戦略です。公共空間あるいは交通施設を
軸に考えてきた全体像の中で、開発の絵が具体的に動いてきました。その絵をさらに
質の高いものにするためにさまざまな仕組みがありますが、その1つが内藤先生が主
導されていたデザイン会議であると思っています。その中身につきましては、内藤先
生のほうからご紹介いただきたいと思います。
建築と都市デザイン
内藤
内藤です。よろしくお願いします。
岸井先生に大体説明していただいたので、私が説明することはほとんどないんです
が、説明を聞かれていておわかりのとおり、岸井先生は非常にデジタルに、正確に説
明されましたが、私はどちらかというとアナログでアバウトなほうなので、アバウト
な説明をしたいと思います。
ずっと、岸井先生と私は二頭立ての馬車だと言っています。私たちの上に森地茂先
生という全体をまとめる総大将がいます。二頭立ての馬車の馬は必死に馬力で走らな
ければいけないんですが、その後ろで手綱を引いているのが森地先生ということにな
っています。
基本的には森地先生を総大将にして、都市基盤系の委員会を「まちづくり調整会議」
の下にぶら下げてもらって、その委員長を岸井先生がやられて、私が副委員長をやる。
17
定量的な話だけではだめなので、定性的な話をやる委員会をもう1つぶら下げてもら
い、それが「渋谷デザイン会議」。そこの委員長を私がやりまして、岸井先生には副委
員長になってもらっているという相互乗り入れです。岸井さんと一蓮托生でやってき
た8年間と言ってもいいのではないかと思います。時に私は基盤に対しても口を出し
ますし、岸井先生はデザインについても口を出すという関係でずっとやってきていま
す。
僕の最初の印象は、
「このままでは渋谷はつぶれる」というものでした。そう思わな
いとここまではやらない。とにかくこの8年間は大変でした。私の持ち時間の3分の
1ぐらいは渋谷に割いていた時期もあります。それぞれの街区の事業者が来る。東京
都が来る。渋谷区が来る。委員会も3つありますから、その事前の打ち合わせがそれ
ぞれある。表と裏と合わせると、私の持ち時間の3分の1ぐらいは渋谷に投入された
のではないかと思います。なぜそうしたかというと、このままじゃまずかろうと思っ
たからです。
始まって3年目ぐらいだったと思いますが、委員会のメンバーで、今、富山の副市
長をしている国交省の神田昌幸さんが、委員会が終わってから駆けてきて、
「内藤さん、
このままでは渋谷はだめになる」と言ったのが印象的でした。でも、私も神田さんも、
なぜだめになるのか、これをはっきりとは言えないんです。計画の先を読んでいくと、
漠然とですが、何故かあまりよい街にならないような気がしたのです。これはプラン
ナーの勘です。都市再生特区そのものの動かし方が非常に大きい。単純に言うと、容
積率を上げるので、その分公共貢献してくだいね、という基本的にはアメとムチの関
係で引っ張るわけです。アメは容積、ムチは公共貢献です。ただ、アメとムチですか
ら、キツネとタヌキの化かし合いみたいな格好になって、どこまでが本当でどこまで
が嘘なのかもわからない。先を読んでいるほうが勝ちだ、ということになります。岸
井さんも私も、どこまで先が読めるか、そういうことでやってきました。
それから、私は、少なくとも多分3回はプロジェクトから降りる、と言っているは
ずです。特に 3.11 以降は、岸井さんも三陸のことにかかわっていらっしゃいますが、
私も三陸にかなりかかわっています。だから、このプロジェクトで組織的な駆け引き
をするような話が続くと、本当に嫌になります。「そんなにぐずぐず言うんだったら、
おれは三陸に向かう」と、たんかを切ったこともあります。
「渋谷は別に人が死んだわ
けではない。向こうでは街が壊滅して人がたくさん死んでいるのだから、そっちに行
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く」と言ったこともあります。事業的な駆け引きばかりで、よりよい街を作るという
方向に足並みをそろえることが出来ないなら、勝手にやればいい。
本気でやるんだったらやりましょう。それだったら男気を感じてやりますが、本気
でやらない、いいかげんなことだったら、わざわざ僕らがかかわってあれこれ言うこ
とはない。勝手にやってくださいと言うしかないと思っています。
(図38)
岸井さんと重複しますので、重複しているところは飛ばします。
この「渋谷駅中心地区まちづくり調整会議」、名前は何回も変わっていますが、座長
は森地先生、副座長に私と岸井先生という格好で、ここに国交省と東京都と渋谷区と
事業者などいろいろな人が入ってきます。いろいろな人というのは、今日もたくさん
お見えですが、JR、東急、メトロ、組合でやっているところは組合の方などが入り
全体を調整しています。大変な会議で、森地先生が「ともかくこの全体はガラス細工
ですから」と、最初のころの委員会で言われたのを覚えています。どこかの一角が崩
れると、渋谷の再開発全体が成り立たなくなるということで、インフラ系と都市系、
建築、三位一体でいかなきゃいけないということです。
この調整会議の下に先ほど説明した基盤系の調整部会とデザイン会議をぶら下げて
もらって動かしてきました。これまでの間に上物の調整は大体ついてしまったので、
これからは公共空間が中心になる。各街区の落ち着きどころが見えてきたので、公共
施設調整分科会というのを新たに作ってもらい、東大で私の後任の中井祐教授に公共
空間をまとめてもらうことにしました。出来上がるまでにおよそ 20 年かかるので、
私もこのプロジェクトを完遂するまで生きている自信がない。適当なところでできる
だけ若い人に渡したほうがいいと考えたわけです。先ほど岸井先生が言われたエリア
マネジメント分科会、公共施設調整分科会というものが基盤系の分科会の下にぶら下
がっています。
(図39)
それぞれの街区にデザインアドバイザー(AD)をつけて、組織事務所と組んでもらう
という格好にしました。これは日建設計は嫌だったと思うんです。そんな面倒くさい
ことをやらないで、日建にも人材はたくさんいるんだから設計させてくれ、と思った
でしょう。私は、これをかなり強引に入れてもらいました。かなりご無理を申し上げ
たということは自覚しています。ただ、森地先生と岸井先生と相談もしましたが、ど
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う考えても、渋谷というまちのあり方としては、整理がついたまちづくりだと勝ち目
がない。都市間競争に勝つための数少ない手段として AD を付けることにして、今で
は基本的には、私はよかったと思っています。
(図40)
森地委員会というか全体をまとめる委員会はこんな感じです。先ほど岸井先生が何
でこんなにたくさん集まっているんだと言いましたが、森地先生がいて、横に私と岸
井先生がいて、こっち方に国交省の各部局、こっち方は東京都の各部局、事業者が後
ろのほうに座っていて、事務局として渋谷区が向こう側に座っているというとんでも
ない委員会です。私も幾つも委員会に出ましたが、これだけメンバーがそろう委員会
というのは余りない。それだけみんな本気だったということだと思っています。
(図41)
これは先ほど岸井先生が説明をされた図です。新宿もありますし、これからリニア
の受け口として品川の開発もあります。幾つもあるんですが、一応それらは見ないこ
とにする。大丸有がまちづくり協議会をつくって手がたくやってきて1つの形になっ
てきています。僕は、あれはあれで大したものだと思っています。大丸有がビジネス
の発信拠点だとすると、渋谷は生活文化の発信拠点と考えようということで、こうい
う図になりました。おおむね間違ってはいないと思っています。新宿の目鼻がつくの
はもう少し先ですし、新宿はどんどんわかりにくくなってきている。かつて超高層街
区をつくりましたが、あそこが本気でビジネスの拠点になってきているかというと、
そういう気もしない。渋谷のほうが若者に愛されて、そういう意味では支持者がはっ
きりしている。
田舎から高校生ぐらいが出てくると丸の内には行かない。ディズニーランドに行く
か、渋谷の交差点に立つかです。渋谷の計画をやっているので、私も時たま渋谷の交
差点に立ちます。あるとき、高校2年生か3年生か、学校をサボってこんなところで
何しているのかなと思うのですが、2人連れの女の子が、渋谷の交差点の手前に立っ
て、
「これが渋谷だよね」と言っている。そういう場所なんです。この活力がなくなる
ような開発をやったら罰が当たると僕は思うんです。若者からの支持がなくなったら
渋谷はおしまいです。もちろん、渋谷の飲み屋街には疲れたおじさんも行く。丸の内
だとちょっとそういうわけにいかないですね。あまり弱音を吐けない、醜態をさらせ
ない。渋谷だったら何でもありだという感じがあります。
20
(図42)
これを東京都の景観審議会というところに、都市計画手続きに入る前に出さなけれ
ばいけないんです。景観審の座長は岸井さんで、その手前に計画部会というのがあっ
て、私はそこのメンバーです。具体的な計画内容については、この計画部会で審議す
ることになっています。
大丸有と渋谷を比較して出したらどうでしょうかという話をして、その時に事業者
の方に出していただいたのがこの下のほうに書いてある図です。大丸有は碁盤目にな
っているのでキッチリと計画を立ててスタティックにつくっていく。首都の中心の開
発としてふさわしい、かたい開発。それに対して渋谷は谷の中心に向かって放射状に
地域が形成されていて、都市構造としても対照的です。キチンと整理された計画はや
りにくい。何よりも強調したのは、それぞれの街区がかなりプロセスを追ってでき上
がってきますので、動的な計画である、プロセス型の計画であるということです。委
員の皆さんもそういう認識で、渋谷はデザイン会議や基盤部会でしっかりやって、そ
の動的なプロセスを管理しているという前提で、それぞれの街区を見てくださいとい
うことをお願いして、今のところ比較的順調に進んでいます。
(図43)
これは大丸有と渋谷を比べて景観審に出した図です。この中で AD を付けてやって
いくということもプレゼンテーションしてもらいました。ですから、景観審を通す前
提条件として AD が含まれているわけです。模型のこっち方に立っているのが隈研吾
さん、こちらに妹島和世さんがいます。彼らは駅街区の AD です。そのほかに駅南街
区は小嶋一浩さん、桜ヶ丘街区は古屋誠章さん、道玄坂一丁目街区は手塚貴治さん。
彼らにも出てきてもらって、いろいろプレゼンテーションを繰り返しながら行政手続
の関所を越えてきたという経緯があります。
(図44)
そもそもアーバンコアを何で言い出したかということを申し上げますと、もともと
この渋谷の谷地形を利用して、歩道系の水平ネットワークをつくるべきだというのが
森地先生の考え方でした。基本的にはペデストリアンデッキですが、その水平ネット
ワークを今度は縦につながないといけない。縦につなぐ部分に名前を付けた方がよい
と考えました。それで、アーバンコアと銘々しました。まず言葉をつくったわけです。
各事業者からは、アーバンコアを定義してくださいと要望されましたが、
「これは都市
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施設ですから、基本的には公共貢献メニューの中に入るので、それを定義してくれな
いと困ります」ということでしたが、頑として定義しませんでした。それはそれぞれ
の事業者が考えることで、事業者がベストと思うアーバンコアを提案してください、
そう言ってきました。
アーバンコアというのをなぜ無理してやったかというと、先ほど岸井先生が説明し
てくださいましたヒカリエの手前のところに出てきているものがありますね。あれは
設計は日建です。初めて出来上がってくるものですから、みんな見当がつかない。ア
ーバンコアって大体このあたりだよねと、岸井さんと僕で赤鉛筆で描きました。強引
だったと思います。
だけど、その心はどこにあるかというと、僕の知る限り、巨大開発あるいは超高層
の建物はコアを内側に抱え込むんです。人の流れが余り表に出てこない。プランニン
グ上そういう格好になります。どちらかに寄せるか、真ん中のほうにシフトする。都
市側に出てこないわけです。それぞれの街区がそういうつくり方をした場合は、人の
流れはほとんど地上から見えない。渋谷というのは人のアクティビティが常に表に出
てきている。それが今の渋谷のよさですから、巨大開発とはいえ、できるだけ上下の
アクティビティを都市側に出してもらう。これがこのアイデアの肝です。皆さん思い
浮かべてください。そういうまちは実はないんですよ。丸の内でもない、新宿でもな
い、上海でも香港でもソウルでも、ない。アーバンコアというかなり強引なことをお
願いしましたが、これがうまくできると、世界中どこにもない都市ができ上がるはず
です。
(図45)
この模型は、何年につくったか、かなり昔だと思いますが、それぞれ何階建てぐら
いになるかという容積カウントをして
やってみたら、これはとんでもない景
色になる。うちの事務所でアルバイト
を頼んで、ともかく積んでみてくれと
言って、積んだ時の模型です。以後こ
れを眺めながら、岸井先生とあれこれ
相談してやってきました。
22
(図46)
こんなふうになるわけです。もちろん実際の形は変わってきていますが。これがヒ
カリエです。ヒカリエよりも高い東口の街区が立ち上がる。そのときに言われていた
板を積むとこんな感じになります。山手線のところから見ている南口のあたりです。
(図47)
上から見たところです。私がまず考えたのは、汐留の轍を踏んではいけないという
ことです。汐留と渋谷の超高層街区の何が違うかと考えた時に、これだけの超高層の
隣棟間隔の中に、JRや 246、首都高というマストランジットやマクロな交通体系が
入り込んでいるというダイナミズムだと僕は思うんです。これが全部でき上がると、
首都高速で渋谷のところまで来ると、ワーッと見えてくるわけです。JRからでも渋
谷の街区に入っていくと、非常にダイナミックな景観の中に入っていくことになる。
ただし、これはみんながそのことをわかってうまくやったという前提です。それぞれ
が勝手バラバラにやったらそんなふうにはならない。でも、それがうまくできれば、
世界中どこにもないダイナミックな都市空間ができるのではないかと考えました。
(図48)
これは、一応渋谷区にもお願いして、最終的に出してもいいよとそれぞれ言われて
いるものを出しています。ハチ公前広場がここです。駅街区と言われている、先ほど
の岸井先生の図にあったTの字形のところに建つのがこれです。岸井さんが、もうち
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ょっと真ん中を落としてほしかったんだけどと言ったのはここの部分です。JRがこ
こを通っています。西口の広場を挟んだ反対側に、僕らはプラザ街区と言っています
が、道玄坂1丁目のプロジェクトが立ち上がっています。ゴーストみたいになってい
るのは桜丘の開発。これは結構大きい街区開発です。これがセルリアンですね。セル
リアンタワー、高いなと皆さん思ったかもしれませんが、あれよりも結構高いものが
林立してくるまちになります。これは、昔、跡地街区と言っていましたが、今は跡地
街区というのはどうも名前が悪いということで、南街区となっていますが、東急線の
プラットホームがあったところに建ち上がる建物です。
私が無理を言ってお願いした AD の選定には、基本的にはいくつか条件をつけまし
た。僕より年上の人は要らない。どうしてかというと、文句を言いにくい。僕より下
だったら何か文句のあるときは言いようもあるかなと。何人か候補を挙げて、事業者
の方とお見合いをしてもらった。それぞれ1人ずつ決めてもらいました。この駅街区
は隈さんと日建のチーム。ここは妹島和世です。ここは手塚貴晴。桜丘は早稲田の古
谷さん。跡地街区はシーラカンスの小嶋さん。今のところうまくいっていると聞いて
います。彼らもよくやってくれたと思います。フルターンキーで設計をして自分の作
品をつくることに命をかけている人たちですから、巨大な開発ですから全部思ったと
おりにならないわけです。当然、組織事務所とも協力しなければいけないし、いろん
な協力体制をとっていかななければいけない。言ってみると、ちょっと中途半端な設
計行為を強いるわけです。だけど、みんなやりましょうと言ってやってくれているの
は、やはり渋谷という街の魅力なのだと思います。渋谷でなかったらこれだけのメン
バーが集まったかどうかわかりません。
(図49)
これがハチ公前です。まだ検討中もいいところで、ハチ公前広場は随分大きくなり
ますけれども、先ほど岸井さんが言った地下街の入り口なんて邪魔で、これをどうす
るかという地下街の再編の問題などがいろいろあります。ここの提案は妹島さんです。
なかなかおもしろい提案で、ハチ公前広場を奥に引っ張り込むようなデザインです。
これはなかなかいけているのではないかと思っています。
24
(図50)
上がつくられてないんですが、こ
れが東口の超高層。多分、今回の開
発の中で一番背が高くなるところで
す。隈さんに頼んでいるところです。
隈さんと日建とのチームが一番最初
に建ってくる一番高い街区の担当を
やっています。JRの上空と西口の
建物は、大分先になると思います。
(図51)
これが駅街区を見たところです。超高層ですが、超高層の下をえぐるような形をし
ています。これは隈さんの提案でこういうふうになっている。どうするかと思いまし
たが、さすが日建、何とか胃袋の中におさめてくれたようです。この高層部に関して
は、隈さんというよりは、どちらかというと日建の亀井さんがこの形を提案しました。
超高層の端っこのところが全部欠けて、抜けているんです。そのところが多分、空調
などで使ったり、夜は光ったりと、新しい形の超高層の提案になると思います。
岸井さんと、この下のところ、もうちょっと抜けないか、本当はこれをツインタワ
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ーみたいにして、ここのところを抜きたいと随分言ったんですけど、これがなかなか
無理でした。最初の頃は、低層部に土台のような板状のものが建っていて、むしろ板
状の建物の上に高層部を乗せるという提案が中心でした。真ん中のところを少しでも
下げて、2つに見せることが何とかできないかと言ったんですが、なかなか事業者の
方がうんと言わない。
ここからが裏わざです。うんと言わないのは誰か。もう退任されましたけど、JR
の新井副社長だということがわかりました。新井さんとはちょっと面識がありました
ので、新井さんのところに行って、
「あなたがうんと言わないと、事業全部が飛んでし
まうという局面に来ていますが、どうしますか」と言ったら、
「わかった」と一言。そ
れでなんとか少し下げてもらいました。本当にデッドラインで、あのとき新井さんが
イエスと言わなければ、多分これは全部飛んでいたのではないかと思っています。
こちらのほうは妹島さんのデザインで、壁面がクネクネ波打つようなデザインにな
っています。ここの下のところ、僕は渋谷のえり巻きと言っていますが、ウネウネと
しているのも妹島さんのデザインででき上がった。妹島さんのデザインは、若い人を
惹きつける空間としては優れているのではないかと思います。渋谷の若さとかフェミ
ニンな女性に対する感性ということに関すると、妹島さんに一日の長があると私は考
えていて、それはなかなか鮮やかで、このままできるかどうかわかりませんけど、今
のところはうまくいっているのではないかと思います。
(図52)
これはハチ公前広場から見たところです。こ
れが隈さんで、これが妹島さんで、両方ともお
守役としては日建がついています。こちら側に
手塚さんの設計したプラザ街区があります。こ
れも結構おもしろい建物になってきています。
このJR線の駅ビルのファサードは妹島さんで
すが、これに関してはもう少し考えてくれとい
う話をしています。かかるのは 15 年後から 20
年後ぐらいになると思います。
「一体全体あんな
クネクネしたやつを何でやるつもりですか」と言ったら「チタンでやりたい」と言う
から、駅街区ですが、「それだと、多分カネがないと思うよ」という話をした。ただ、
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構造技術も日進月歩ですので、10 年後ぐらいをにらんだら別にどうっていうことのな
い技術になる可能性もあるので、これは継続して検討していってもらおうと思います。
(図53)
これが手塚貴晴さんが担当するプラザ街区で
す。ごらんになってわかるように、ヒカリエの
アーバンコアとは違いますが、ともかく縦動線
を表に、都市側に出してくれということで、そ
の要求を全部聞いてもらい、アーバンコアとい
う格好で、特別な場所をつくってもらいました。
これは恐らく商業ビルとか、オフィスビルの床
のつくり方でいうと邪道なんでしょうね。なか
なかきついんだと思います。それでも表に出し
てほしいということ。これができ上がると、ここを行き交う人が常に表に見えている
ので、これはこれで1つの役割を果たしていると思います。先ほど岸井先生が言われ
た下のところはバスターミナルになります。バスターミナルは、丸の内の八重洲のバ
スターミナルを私も景観審で審議したんですが、出来がもうひとつだったので、丸の
内よりいいやつをつくろう、というのを合い言葉にやっています。羽田あるいは成田
に着いたらここにバスが来るという場所になると思います。
(図54)
これが最後の南街区です。小嶋一浩さんが
AD としてついてやっています。小嶋さんの提
案は、この超高層を割と分節化して、分節化し
たデザイン構造が低層部までおりてくる。低層
部は非常ににぎわいのあるバナキュラーな場所
ができる。そういう提案で基本は進んでいるよ
うです。これは小嶋さんと東急設計がチームを
組んでやっています。これの向こう方に、今日
はまだご説明できませんが、桜丘街区が立ち上
がります。桜丘街区と南街区はJRをまたいで
自由通路があって、そこに南口ができるという格好になっています。
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説明は、アバウトですが、これで終わりたいと思います。それぞれの技量も持ち味
は違いますが、なぜ AD に入ってもらったかというと、渋谷のもともとのよさは、皆
さんご存じのように、あの雑居性です。いろいろな価値がゴチャゴチャと寄せ集まっ
ている、それが渋谷のよさだった。だから、それぞれのデザインアーキテクトの個性
を発揮してもらうことによって、多様性、違ったものが共存する、それが新しい渋谷
の個性になっていくのではないかと思っています。
時には、あいつがやるより俺がやったほうがうまくやれるのになと思うことがない
わけではないのですが、そこは、行事役のほうに回ってしまったので、仕方がないで
すね。そういう言葉は吐かずに今までやってきています。時に厳しいことを言ったり
もしますが、このままでき上がると、私は、渋谷は都市間競争にも勝てるのではない
か、と思っています。先ほどの首都高速やJRのマストランジットが入ってきている。
岸井さんは、超高層が建つけれども、1人で建つのではなくて、隣り合っている街区
のことを気にしながらやってほしいと言っています。それぞれの超高層が気にし合い
ながら連携をとって、それでもそれぞれが個性的、そういうまちはおそらく世界にな
い。今のところは、上海にも香港にもソウルにも勝てるというつもりでいます。
私の説明はこのくらいにしておきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
(拍手)
28
― 内藤
廣 氏 ―
― 岸井 隆幸 氏 ―
29
フリーディスカッション
大松
最初に、私のほうから少し話題を提供したいと思います。今回、プロセスと
してご説明いただきましたように、いわゆるまちづくりのガイドラインという全体の
フレームワークを行って、その後、それぞれの建築のデザインというものになってい
ったわけです。これは、多かれ少なかれ、都市デザインのプロセスとしては一般的に
行われています。大きく1つ違っているのは、ガイドラインをつくるプロセスに建築
家としての内藤先生が当初からかかわってこられたということだと思っています。通
常、建築家の方がガイドラインの段階からかかわるのは余りない。最初の3年、4年
は、俯瞰した議論、概念図ばかりの議論で、内藤先生はかなり退屈だったのではない
のかと思うのですが、そのあたりのご感想をお願いします。だからこそアーバンコア
みたいなものが提案できてきたんじゃないかとも思っています。
また、内藤先生のご意見、ご感想と、あわせてそのときにずっとご一緒でやられて
きた岸井先生のほうからも、そのことについてのご意見をいただければと思いますの
で、よろしくお願いいたします。
内藤
退屈ではなかったですよ。めちゃくちゃおもしろかったです。僕が大学に呼ば
れて大学の教官の立場になったのは土木です。渋谷のプロジェクトが始まるのは大学
の先生になって5年目ぐらいでした。だから、およそのことはわかっていたので、河
川の話が出ても、道路の話が出ても、一応予備知識があったということです。
それから、今は三陸の委員会にも出ていますが、このぐらいの人数がいると、委員
会席も含めてほとんど土木出身なんです。建築はまったくといっていいほど、いない。
私は、建築が果たせる役割はかなりあると思っています。社会システム上、土木、都
市計画という形でマクロから攻めていく視点と、生活者の視点というか、最後に、そ
こに歩いて生きている人間の視線から見返すという意味においては、建築家が非常に
大切な役割を果たせるわけです。鳥瞰的に都市を捉えてコントロールしていく視点と、
その中に住んでいるアリの視点からまちを見返す視点、その両方ないと、私は計画と
しては不十分という気がしています。そういう意味で、渋谷の場合、僕の役割として
は、むしろ利用者側がどう考えるかという建築家の視点から、都市、土木をできるだ
け見るようにしてやってきていますので、余り違和感はありませんでした。
岸井
土木と建築の話題で言うと、内藤先生は、徹夜して一晩で模型をつくってくる
30
んですね。これは我々とは違う。つくったほうが空間がよくわかるんだよとおっしゃ
います。そういうものを見ながら議論させていただいたというのは、私としては非常
にいい経験になりました。
言っていいのかどうかわかりませんが、ガイドラインがあればいいというものでも
ないんですよ。ガイドラインは文言ですから。その後、気持ちをどういう形にするの
かということです。具体的な空間像をいろいろ議論しながらガイドラインをつくって
います。ガイドラインのときは抽象的で空しいということも、特にここの場合にはな
かった。つまり、解けてないものがたくさんあったんです。解きながら方針を決めな
くてはいけなくて、そういう意味では、言葉が先に走っているような場面ではないと
思っていました。
大松
土木と建築という話が出ましたので、それに関連してお話ししますと、確かに
土木や都市計画の世界では、委員会を開いて、議論していくということが多く見られ
ると思います。一方、通常の場合、建築デザインというのはかなりクローズな世界で
す。建築家とクライアントという関係、少し大きなものであると、事前に景観の相談
に行政に行かなければいけなくなる。それも限られた行政の関係者と相談をしてとい
うことで、建築のデザインというのは比較的クローズな環境の中で行われるケースが
多い。そういった関係を今回はデザインアーキテクト、デザインアドバイザーという
方々を入れて、比較的オープンな場の中で建築のデザインの議論をされてきたと思い
ます。そのあたりのご苦労や狙いみたいなものがあれば、これも内藤先生のほうから
一言お願いできればと思います。
内藤
私は基本的には建築家ですから、もし僕が彼らだったらということを考えるわ
けです。ちょっと呼ばれてアドバイスしてバイバイと言われたらつらいなと思ってい
ます。各街区の事業者の方にお願いをしているのは、どこかの部分はできるだけフル
ターンキーで、彼らが、これは私のつくった場所だと言えるような場所をつくってく
ださいということを言っています。このあたりがまだ先行き不透明ですね。例えば汐
留の計画で、世界的な建築家であるジャン・ヌーベルというフランスの建築家を呼ん
できて、電通ビルをデザインしました。ところが、ジャン・ヌーベルの雑誌の特集が
組まれていて、それを見ると載ってないんですね。ちょっと座敷に呼ばれて出稼ぎに
来て帰っちゃいましたみたいな、そんなデザインアーキテクトの使い方ではもったい
ない。やはりやる以上は、私がやったと言ってもらいたい。日建設計も東急設計も、
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事業者の方も、あれはみんなおれがやったと言える人数が多いほうが、僕は計画とし
ては成功なのではないかなと思うんです。だから、間違ってもデザインアーキテクト
が、「あれはあなたの作品ですか」と聞かれたときに、「あれは違います」と言わない
ようにするために、これからもう一手、二手必要なのかなと思っています。
そのかわり、ひどいものができたときはちゃんと責任をとってもらう。公共のプロ
ジェクトである以上はそうだと思います。苦労といえば、彼らのやる気を出させ続け
るところが、今まで苦労したところかなと思います。
大松
今、内藤先生から、ここは自分の作品だと言える場所をつくる。そのかわりき
ちんと責任をとらせるというお言葉がありましたけれども、都市計画、都市デザイン
のほうは匿名性が強く、この場所はおれがやったと言わないかわりに、比較的責任も
とらないと言われることも多いと思います。そのあたり、いかがでしょうか。
岸井
場所が渋谷であるということを考えたとき、いろんなものがたくさんあったほ
うがいいなというのが基本としてあります。ある人が自分の考えで空間をつくってい
くことに関して言うと、私はまだかなり心配しています。これはまだ絵に描いただけ
なんです。実際、物にするためにはまだ十何年かかる。これまでのこういう組織がず
っと続いているかどうか。人はかわる、意思決定者もかわる、デザイナーもかわって
くると、その時には自分で新しいものをやりたがるに違いない。そういう嗜好を持っ
ている人たちだと思うんです。だから、都市計画的に言うと、コントロールしなけれ
ば危ない。でも、渋谷は全部コントロールしてしまうと渋谷でなくなってしまうので、
そこが難しい。そういうのが私の印象です。
内藤
1つ補足します。全く岸井先生の言われたとおりで、私も都市計画的なプロジ
ェクトに幾つか巻き込まれていますが、一番長いのは旭川です。駅の設計は私がやり
ましたが、この間、市長は4回かわっている。JRの担当者は最後のところで亡くな
ってしまって、JRの社長さんは3回かわりました。ずっと一気通貫でそれを見てい
たのは篠原修と、この間亡くなった加藤源さんと私の3人だけ。会社の仕組みも行政
の仕組みも変わっていくので、まちづくりの非常に長い時間をどう過ごすかといった
ときは、委員会なりシステムなりで残していくしかないのかなというのが僕の印象で
す。
大松
そういう意味では、渋谷は今のところ、非常にいいシステムができて進んでき
ていると思います。デザインアーキテクト、デザインアドバイザーについては、先生
32
から候補者が示されて、それぞれの事業者側がお見合いをしてということで1つ1つ
決まってきたプロセスのご紹介が先ほどありました。そもそも最初の候補者を先生の
ほうで選ばれるに当たって、自分より年下というガイドラインもありましたが、それ
以外にどんなことを悩まれて選定されたかということをちょっとお話しいただければ
と思います。
内藤
あまりないんですよ。各街区のところに僕が名前を書いて渡したかな。ざっく
りですけが、若手、40 代、50 代でこの手のプロジェクトに柔軟に発想ができる人間
で、第一線で活躍している人間となると、20 人挙げるのは難しいと思います。今の建
築界で 10 名から 20 名の間ぐらいだと思うんです。その方たちの名前を挙げた。これ
は独断と偏見です。複数挙げて、それでそれぞれ協議していただいたという経緯があ
ります。
大松
会場からの質問が出ています。
内藤先生ご自身、旭川のお話もありましたけれども、そのほかにも数多く駅の設計
をされてこられたと思います。渋谷の今回の駅のデザインに関して、行事役というお
話もありましたが、ご自身でどの程度かかわられたんでしょうかというご質問があり
ました。そこの部分、いかがでしょうか。
内藤
誰か内藤さんに設計してもらったらと言ってくれるかな、と 10 年間思い続け
てきましたが、誰も言ってくれない。(笑)
今のところ、私が直接手を下すところは
街区に関してはありません。ただ、今ヒカリエから出ている連絡橋はデザイン委員会
が立ち上がる以前に、大型のトラスの提案がされていて、渋谷の公共空間で初めて出
てくるもので、これはまずいと思って、火中の栗を拾うようなつもりで、それをやる
と言いました。やりたくてやるというより、僕がやらざるを得なかったということで
す。その横にメトロの駅ができ上がりますが、跨道橋と並ぶような格好になりますの
で、それも私が設計をすることになっています。歩道橋係という感じですね。
大松
ヒカリエへ向かうデッキの部分ですね。
それから、岸井先生への質問かと思いますが、今回のプロジェクトは、ネットワー
クをきちんとつくっていくというのが非常に大切だということですが、その中でアー
バンコアと周辺のラージというよりはミドルエリアぐらいの関係性みたいなものが、
ガイドプランやまちづくり指針で初めてできたものなのか、もう少し大きな上位計画
がその前にあったのかというご質問が出ていますが、いかがでしょうか。
33
岸井
私自身は、そういう上位計画があったということを承知していません。もちろ
ん前から、外側の環状線の中はなるべく車を入れないようにという大きなプランがあ
りましたが、アーバンコアを取り上げた上位計画を私は見ていない。アーバンコアも
とりあえずまだ1本なんですが、イメージとしてはこういうところにそれぞれの小さ
な広場がつながっていたりして、そこに行くと、ラージ渋谷ぐらいまでの情報が手に
入るぐらいの仕掛けが本当は要るのではないかなと。今、ヒカリエの円柱は、中に入
ると、はっきり言うとつまらない。あれは半公共空間なので、広告やさまざまなもの
を今のところ規制しているわけですよね。それならエリマネを組織してちゃんと管理
して、みんなが必要な情報をもっとあそこに出していくようにしないといけない。そ
れと同時に、あれから横へ出ていくつながりをもっとつくっていくことが多分これか
ら必要なんだろうと思っています。
大松
そういった公共空間の使われ方などについて岸井先生が話しながら合図をされ
ていましたが、会場にきていただいた渋谷区の須藤さん、突然のご指名で申しわけあ
りませんが、渋谷区さんのほうから、今後の考え方とか、もしあればお願いします。
須藤(渋谷区都市整備部)
今のピンポイントのお答えではないんですが、今までの
お2方の先生のお話を伺って、行政としてこれから何をやっていくかということで申
し上げれば、まさに、こんなによくなるんだよと。内藤先生に、これが全部うまくい
けば勝てるとおっしゃっていただいた情報を発信すると言い続けているんですが、こ
れをいかに正確に、よくなるんだよということを、区民、都民、世界に向かって発信
する方法、内容を早く詰めて発信していきたいと思っているところです。それには先
ほど申しました屋外広告物の話、それも情報発信の1つとして、エリアマネジメント
協議会が立ち上がったということもありますが、行政がどうしても手をつけなくては
いけない部分もありますから、東京都さんや区民とも協議しながら早く進めていきた
いと思っています。決意表明みたいになりましたが。
大松
また、デザイン会議のシステムの話に戻りたいと思います。今回、ああいう形
で非常にオープンにデザインアドバイザーを入れてデザイン会議の場で、かなり多く
の非常に難解なデザインをオープンにして議論をしてきていただいたわけです。1つ
残念だったかなという気がしていますのは、他の街区のデザインアドバイザーが意見
を言う場が余りなかった。駅街区のデザインに対して、手塚さんや小嶋さんが意見を
言う場など、それぞれ同じ時期に同じようにでき上がってくるデザインをやるに当た
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って、事業者間の都合もあって実現できなかったところがありますが、そのあたりの
先生方の印象としては、本来そういう場があったほうがいいのか、そこまでやるとか
えって混乱するのか、その辺いかがでしょうか。
内藤
多分、日建がいないところで。
(笑)建築家というのは狭いコミュニティですし、
パーティーで会ったり、いろんなことがありますので、隣でやっていることはみんな
知っていると思います。
都市計画、まちづくりというのは表わざと裏わざがあるんですよ。表わざは委員会。
でも、それは半分で、実はヒューマンコンタクトとコミュニケーション。水面下の見
えないところで大事なことは決まってくる。僕は、建築家の連中はそれぞれ隣で何を
やっているのか、よくよく知った上でやってきたと思っています。
大松
建築のほうは大分片がついてきて、いよいよ公共空間のデザインがこれからか
なり注目を浴びてくると思います。今日は、公共空間のデザインそのものについての
お話は余りなくて、いわゆるアーバンコアや、建築物の中の公共的な部分のお話が多
かったわけです。今後公共空間のデザイン調整みたいなものについてのお考えなどあ
れば、できれば岸井先生のほうからお話を伺えますでしょうか。
岸井
先ほど、広場のデザインの詳細はこれからですと言ったので、公共空間のデザ
インはこれからと思われたかもしれないですが、僕はそれは違うと思います。公共空
間のデザインはどういうふうに配置するかというレイアウトから始まるわけで、ここ
までの過程こそ、ある意味では公共空間のデザインで非常に重要だったところです。
その上でさらにもっと詰めなければいけないところがたくさんあるのは事実で、今回
の場合は、それを建築物ができてくると同時にやらなければいけない。
建築家が2人いてなかなか話が合わないかもわからない、あるいは遠慮して言わな
いかもわからない。遠慮しなくて俺がやると言ってもいいんです。ただし、今は建築
物もつないで全体のまちにしようとしている。つなぐところをどちらかの建築家にや
らせると、正直言ってなかなかうまくいかないんですよ。そういう懸念を大変強く持
っている。そういうところはやはり内藤先生にやっていただくしかない。
大松
先ほどの橋のような。
岸井
そういうつなぎのところは、内藤先生のような両方のことがちゃんとわかって、
何でつなぐか、全体のバランスを見ながらできる人でないといけない。建築の人はみ
んな、どうしても自分の中の一部にしたがるんです。それは違うと僕は思うんです。
35
だから、そんな人には絶対やらせない。公共空間、これからの広場の話などは、趣味、
嗜好だけで決まってはいけないと思うんです。いろいろな人の意見も聞かなければい
けないし、そのプロセス自身をまちの活性化につなげなければいけないので、デザイ
ンという意味の次のフェーズとしては、色、形を決めるという以上にプロセスを決め
ることが大事だと思っています。
内藤
公共空間の質に関しては、岸井先生が言うように、もっとみんな真剣に議論し
ないと味気ないものになってしまうような気がします。私の経験では、計画的に余り
やり過ぎると、街区の設計もそうですが、計画全体が「乾いてくる」感じがあるんで
す。乾き物になってくる。そうすると、何となく人が感情移入しにくいようなものに
なる。皆さんご存じのように、ニュータウンの広場のようになる。戦後の都市計画は、
建築も含めてそういうふうに捉えてこなかったけれど、計画には「湿り気」が必要な
んですね。今のハチ公前広場というのは十分湿っていると思うんです。あの湿り気が
何となくいい。スパッと鮮やかに解決して、メディアに乗って1年もたったらみんな
忘れるという話ではなくて、あそこはどういう場所だったらいいのかということをみ
んなで議論して、まさしく広場こそが渋谷の文化を受けとめる場所であってほしいと
思います。これはなかなか難しいですね。時間がありますので、これから 10 年、15
年で結論をゆっくり出していく場所かもしれないと思っています。
大松
最後に時間のお話が出てきました。確かに、これから渋谷が完成するまで 15
年、20 年、時間がかかる。今は各開発が一斉に都市計画を出そうという時期ですので、
かなり密度の高い時間を協議、調整に費やして、そこにエネルギーを投入できている
わけですが、これから 10 年、15 年、20 年というのは、そういう意味で、乾いたと先
生がおっしゃいましたが、少し密度感の薄い時間が過ぎていく。街区についても随分
と意欲的なデザインになってきています。ああいうものが本当に 15 年後に実現して
いくのかどうかというのは、何らかの形で、そこをマネジメントしていくようなプロ
セスが要るという気もしています。そのあたり何かアイデアなりお考えがあれば教え
ていただければと思いますが、いかがでしょうか。
岸井
既にエリアマネジメントの組織というのが駅街区に関してはでき上がったんで
す。これも実はかなり強引に、とにかくエリアマネジメント組織をつくれと、それぐ
らいの書きっぷりでペーパーを事業者の方に配った。それがないと、先に絶対に行か
せないというぐらいの言いっぷりでつくっていただいた。
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相直が完成した。人々がワッーと変化し出した。使い勝手悪い、どこに行ったらい
いかわからない、それ見たことか。社長も怒るわ。急にみんなでやらないといけない
となってきました。エリアマネジメントにとって今はそういう状態なんです。まだ本
当によちよち歩き。その次はもっと周りとの関係をつながなければいけないと思うん
です。駅がひとり勝ちする世界は、渋谷としてもあまりうまくない。周りと今のこの
エネルギーとをいかにつなぐのかということをこの 10 年間真剣にやらないといけな
い。渋谷ができ上がるころにリニアは来てしまいますよ。先ほど品川は目をつぶって
いたと言いましたが、つぶっていたわけではなくて、向こうは向こうで動こうとして
います。国内でもそういう競争の中でやっているということを、我々も含めて関係者
が意識して、今までかけてきたエネルギーがとまらないようにしなければいけないと
思います。また、外からの刺激を常にいただくような仕掛けにしないといけないので
はないか。渋谷はこれで計画が決まったから後はやればいいんですよ、という話では
ない。それだと渋谷はまただめになってしまう、こう思っています。
内藤
エリアマネジメント分科会というのを作るように進言したのは私です。そこか
ら上の委員会に話を上げてくれと基盤部会で何回も言っていたんですが、なかなか上
がってこない。それで、実は「潰せ」と言ったんです。何をやっていたかというと、
それぞれの事業者が権利調整をやっているだけ。それも分科会の機能の一部かもしれ
ないですが、そんなものはエリアマネジメントの本質ではない。そんなことをやるた
めに部会をぶら下げているのだったら潰してくれと渋谷区にもお願いをした。委員会
でも言いました。ようやく慌てて、これからマネジメントするのにどうしたらいいか
ということを議論してもらっているはずです。ここのところ余り聞こえてこないので、
また同じようなことをやっているかもしれない。ただ、先ほど景観審の計画部会の話
をしましたが、あそこで承認して、都市計画決定に移っていくわけですが、あそこで
承認した内容の中に、先ほどお見せしましたが、渋谷は動的な開発計画でいきましょ
うとあります。その中にマネジメントも含まれているんです。だから、一応言ってあ
りますが、もしそこのところをほっておくのだったら、もう一度行政手続を初めに戻
してくださいという話はおどし文句で言っています。実は東京都の幹部にも、そうい
う話をしてもいいよねと言ったら、大いにしてくださいと言っていましたので、計画
部会に出したものがただの紙だったら、行政手続のプロセスをもう一回戻ってもらう
と考えてもらってもいいぐらいのことだと思っています。エリアマネジメントを本当
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に真剣にやってもらいたい。難しい問題が山積みです。
広場のエリアマネジメントは、まだきっちりこの国でなされたことがないんです。
行政上、広場というのは定義されていないので、やられている前例はないと思うんで
す。これから東京駅前の 100 メートル角の広場ができますが、あれは一応大丸有協議
会でやって、JRが中心になって管理することになっています。そういう管理主体と
協議会という体制を渋谷方式で編み出さなければいけないですね。恐らく大丸有のよ
うにはいかないと思うんです。発明しなければいけない。そのためのエリアマネジメ
ント協議会であってほしいと思っています。
大松
我々日建設計も引き続き、そういうことをきちんと実現できるように力を尽く
していきたいと思っています。また、先生方に引き続きお力添え、ご支援をいただき
たいと思います。
時間もちょうど5時になりましたので、きょうのNSRIフォーラムを終わりたい
と思います。ご清聴ありがとうございました。(拍手)
木村
以上をもちまして本日のフォーラムは終了とさせていただきます。
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