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楽曲解説

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楽曲解説
11th Album『風神界逅』
“風”をキーワードとして制作された、陰陽座の 11 作 目となるアルバム。優しいそよ風から凶
悪な暴風まで、風という言葉から連想されるイメージ同様、このアルバムに収録されている楽曲の
振り幅は非常に広く なっています。しかし、これまでも様々な要素を楽曲に取り入れながらその
音楽性を拡大させてきたのが陰陽座です。振り幅の広さ自体は今さら言うほどのこと ではないか
もしれません。むしろ、振り幅をいかに拡げようとも決して失わない核たる部分に陰陽座の矜恃を
感じていただけると思いますし、のみならず、新た な陰陽座の音楽世界の幕開けをも感じていた
だける、そんな作品に仕上がっていると断言したいのがこの『風神界逅』です。
『風 神界逅』『雷神創世』両方に言えることですが、それぞれ風か雷に関係している楽曲しか
入っていないというわけではありません。あくまでも創作上のキーワー ドとしての風と雷であり、
イメージを限定するためではなく拡げるためのキーワードですので、一つのイメージに凝り固まっ
た楽曲ばかりが入っているのでは、 という心配はご無用です。安心してお楽しみください。
01.風神
凪からそよ風、そして何かの始まりを感じさせるように吹き抜ける一陣の風をイメージした、
『風
神界逅』という作品全体のオーバーチュア(序曲)です。さらに、今回の 2 作を同時に買ってくだ
さった方の大半が『風神界逅』から聴き始めることを想定した上で、新作(2 作)の幕が開く瞬間
に抱く期待感を最大限に盛り上げるための序曲、という気持ちも込めました。
メロトロンの穏やかな音色を中心に展開する前半部分は古き良きプログレッシヴロックを彷彿
とさせ、風が吹き込むが如きオーケストレーションを中心とした後半部分は何かしらの劇中音楽の
ような高揚感を感じます。
『風神界逅』の曲作りに於いては比較的序盤に完成したこの曲ですが、曲作り期間の間、毎日こ
の曲のデモを聴いてから「よし、始めるぞ!」と気持ちを盛り上げていました。
02.神風
「風神」の余韻を切り裂いて飛び出してくるイントロ、サビ、ギターソロと、まさに陰陽座の直
球と言うべき楽曲。“神風”とは神の威により吹く超常的な風のことですが、神という存在を自分
自身の中にあるものと位置付けた場合、それ(神風)を吹かせるのは自分の意志と信念次第という
ことになる、という理念を歌っています。
も ちろん、神が自分の中にあるなどと考えるのは罰当たりなことだという教義もあるでしょう
し、何教のどんな教えを基にした理屈かと言われると何教でもない自 分の考え、としか答えよう
がありませんが(僕自身は必要がないので一切の信仰を持っていませんが、人知を越えた力や現象
は確実に存在していると思うので“神”と いう言葉にも存在意義があるというスタンスです)、
なぜそう位置付けたかと言えば、神が天に在ろうと海に在ろうと山に在ろうと、その存在を自分自
身が信じ ることで初めて自分にとってのそれがそこに在る、つまり信じないならばどこにもない
ことになる、という理屈から、在ると言えるのは自分自身の心の中なので は、という考えが浮か
んだのです。
物の本によると、お釈迦様も「神は自分の心の中にある」と唱えられたそうですが、同じことを
言っていてもお釈迦様のは本物の悟りであり、僕のは屁理屈の類です。
03.然れど偽りの送り火
疾走するシンプルなビートとリフに哀愁を湛えながらもキャッチーな歌が乗るという、ブリティ
ッシュな……いや、“UK”な曲と言ったほうが近いでしょうか。こういうのも大好きなのでいつか
やりたいと思っていました。
歌詞の内容は、宗教そのものをどうこう言う意図が一切ないことを示すためにあえて平たく言う
なら「ちゃんとしないお坊さんにちゃんとしてほしい」という内容です。ちゃんとしないお坊さん
のせいで本当にちゃんとしたお坊さんに迷惑がかかるのはいけません。
仏 教徒か否かに関わらず、大抵の日本人は最期にお坊さんのお世話にならないとあの世に行け
ない、または行けないような感じになっています。それ自体は社会の 成り立ちとして特段の理由
がない限り拒絶する必要もないと思いますが、お坊さんに最期を委ねるときは無条件の信頼を寄せ
ざるを得ないわけですから、お坊さ んにも無条件でちゃんとしてほしい、というお話です。タク
シーに乗ったら運転手さんに運転を委ねなければならないのだから、運転手さんにはちゃんと運転
し てもらわないと困る、ということと同じです。
誤解しないでいただきたいのは、お坊さんそのものを批判したり貶める気持ちは一切ないという
ことです。むしろその逆で、基本的にはお坊さんに敬意を抱いているからこそ、それが揺らぎかね
ないことをするお坊さんに「ちゃんとしてほしい」と思ってしまうのです。
04.一目連
“一目連”は 暴風の神と言われる妖怪です。陰陽座の楽曲には「目々連」という、途轍もなく
テンポの遅いアンニュイな楽曲がありますが(メンバーは全員その曲を大好きで すが)、名前は
似ていても楽曲のタイプはそれとはまるで正反対で、暴風の如きリフとギターソロが吹き荒れる、
『風神界逅』きってのヘヴィな楽曲に仕上がっ ています。対照的なニュアンスを醸し出す男女の
歌声の絡みが楽曲にもたらす“陰陽座らしさ”も聴き所。イントロのリフに関しては手前味噌なが
ら出色と自負していて、思いついたときの僕の鼻息はまさに暴風の如き荒々しさでした。出来の良
いリフに“一目連”と名付けたのではなく、“一目連”のリフよ来い!と思いながら作っていたこ
ともあり、狙い撃ちが決まったという感動も大きかったようです。
歌 詞は、暴風を司るが故にあまり歓迎されない存在である一目連に、音楽シーンに於ける陰陽
座という存在を重ねた内容になっています。通常は陰陽座の信念や歩 むべき道など、極めてポジ
ティブな視点から自身のバンドを捉えた歌詞が多いので「たまにはネガティブな視点で書こう。そ
れでこそ陰と陽」と思って書き始め たにも関わらず、結局は“そのネガティブな状況すら暴風の
如き信念で吹き飛ばし、前に向かって歩む!”という内容になってしまったという……これはつま
り、“信念は曲げることなどできない”ということの証明ですね。
05.蛇蠱
ある地方に伝わる、蛇の“憑き物筋”と憑いた蛇のことを“蛇蠱(へびみこ)”と言います。こ
の蛇は、蛇蠱の家筋の者が憎いと思った相手の内臓に食い入って死に至らしめるほどの力を持つの
ですが……さて、恋をしてそれが叶わぬと分かったとき人は恋しいはずの相手を“憎い”と思って
しまうことがあります……こ れだけで、この楽曲で描かれる悲劇が想像できてしまったことでし
ょう。恋しい相手を殺めてしまうという意味では「道成寺蛇ノ獄」と共通するテーマであると 言
えますが、決定的に違うのは「道成寺蛇ノ獄」の清姫は明かな殺意を持って行為に及んだのに対し、
この曲のヒロインはただ「憎い」と“思った”だけなのにも関わらず、特殊な境遇がゆえに悲劇が
起こってしまいます。「殺人」と「過失致死」ですから、似ているようでまったく違う話ですね。
蛇蠱自体の伝承は実在のものですが、上記の“恋をして~”というくだりからはもちろん僕の創作
です。
躍動するリズムに透明感のあるギター、そして情感溢れる黒猫の歌が心地好いほどに狂おしい、
そんな楽曲に仕上っています。歌詞の韻を踏んだ部分のまとまり方と機能性もなかなかの出来では
ないでしょうか。
06.飆
“旋風”とも書き、“せんぷう” 、“つじかぜ”とも言う“つむじかぜ”がテーマの楽曲です。
これも「神風」同様、どこかでそれが吹くのを期待するのではなく、己の中で信念を渦と化し、す
べてを巻き上げて吹き飛ばすような風を起こさんとする意志を歌っています。もちろん吹き飛ばす
のは外的なものではなく内的な迷いや憂いです。
“つむじかぜ”自体は、人間にとってはほとんどの場合、単なる自然災害であってありがたがる
ものではありませんし、間違っても人工的に発生させる必要性などないはずのものですが、この楽
曲で前向きなものとして取り上げているのは、その“つむじかぜ”が起こるに至る自然というもの
の力の漲りを、自分の中で奮い起こす力とその漲りに例えて捉えてみた、ということです。
パンチの効いたリフとツインリードギターが高速テンポで猛り狂う、“ヘッドバンガーズさんい
らっしゃい”な一曲。その舞台で蝶のように舞い、蜂のように刺す黒猫の歌声が鮮烈を通り越して
戦慄です。力任せでもなければ口先での誤魔化しでもない、れっきとした“歌声”をヘヴィメタル
に乗せるとこうなる、という陰陽座の神髄が満開に咲き乱れた快作だと確信しています。
07.無風忍法帖
“無風”とは単に風のない状態の他に、波瀾や影響がないことも指します。
“影響がない”とは、
およぼすこともおよぼされることもない、という意味です。いてもいなくても音楽シーンに何ら影
響を及ぼさず、面白い波瀾の一つも起きない。まさに陰陽座は “無風のバンド”と 評するのが相
応しいと常々思います。そして、他からの影響や波瀾からも無風状態であることが好ましいという
気持ちも込めたのがこの楽曲です。自嘲気味に感 じるかもしれないこの歌詞のテーマですが、楽
曲そのものが発する弾けた雰囲気からはそれを極めて好もしく思っているということがうかがえ
ると思います。実 際、無風状態を好もしく思うどころか“無風でなければ無理”とすら思ってい
ます。無風、最高!
ヨコに揺れながらタテにノリたくなるゴキゲンなリズムに、これまたゴキゲンなギターのリフ。
この曲はとにかく演っても聴いても気持ちがいいです。黒猫の歌の弾けっぷりもまさにゴキゲンと
しか言いようがありません。
“ゴキゲン”は恐らく死語だと思われますが、僕自身が好きな言葉であることと、それに代わる
言葉が見つからないため、ゴキゲンの死を 3 年隠すことにしました。ですのでここで使われている
ゴキゲンは、ゴキゲンの影武者です。
08.八百比丘尼
人魚の肉を食べてしまったことで不死となった少女が比丘尼になり八百年生き続けるほうの“八
百比丘尼”ではなく、マンガの神様、手塚治虫(おっと、やはり神はいますね)の不朽の名作『火
の鳥』の中でも異彩を放つ中編『異形編』をテーマにした楽曲です。是が非でも『火の鳥 異形編』
をお手元にご用意ください。それを読み、これを聴くことで楽しさは 800%に跳ね上がります。読
まなくても 100%の楽しさはもちろん保証しますのでご安心を。
ちなみにこの『火の鳥 異形編』は八百比丘尼とまったく無関係のお話というわけではなく、“不
死が人間にもたらすものと示すもの”という共通したテーマを持つ 2 つの物語を巧みに絡み合わせ、
SF 的な味付で昇華させた、死生の深淵に臨む神の大傑作です。
漫画の解説しかしていないと怒られそうですが、まさにこの「八百比丘尼」という楽曲はその『火
の鳥 異形編』そのものを音楽化し(ようとし)たものですので、漫画の解説そのものが楽曲の説
明になってしまうのです。神の大傑作をそのまま音楽へと昇華できたのかという客観的な評価につ
いてはさて置き、主観としては『火の鳥 異形編』の物語とテーマをそのまま音にするという試み
は成功したと自負していますし、その物語を音として具現化するのに不可欠な黒猫の歌も、登場人
物の心情を見事に表現していると思います。少なくとも僕の頭の中では、黒猫の歌と共に出現する
火の鳥の姿が確認できました。
蛇足ですが、この曲の演奏時間を確認できる機会があったらよく見てみてください。“八百”比
丘尼だからこの演奏時間……やっぱりこいつは変態だな、と思っていただけると思います(CD プ
レイヤーなどの表示は機種依存の部分ですので、もしもブックレットの表記とズレがあった場合は
「仕様です」ということになりますが、大抵の機種では大丈夫だと思います)。
09.眼指
この楽曲はお久しぶりの、否、お久しブリーフの狩姦作の曲です。実は 10 年 近くも前に狩姦か
らデモが手渡されていた楽曲ですが、収録すべきアルバムの到来を待ち続け、ようやく今回の『風
神界逅』に収録と相成りました。最初にデモ を聴いたときから「これは良い曲だ!」と思い、夜
な夜なデモを聴き返したりしていましたので、僕がこの曲のファン第一号だと思っています。
狩姦が作ったデモはメモ録りに近いシンプルなものでしたが、今回収録されているような仕上り
を予見させるポテンシャルを秘めていたということですね。この楽曲が今回収録の日の目を見たこ
とで、一番嬉しいのは僕かもしれません。
歌詞は“眼指”が持つ力とその重要性についての内容です。“目は口ほどにものを言う”と言い
ますが、時として口よりも目こそがものを言うこともあるのではないかという着想を基にしていま
す。これは人にもよりますが、
“じっとこっちを見てはくれるが、一切口をきいてもらえない状況”
と、“会話はいくらでもしてくれるが、ただの一瞬たりともこちらを見てもらえない状況”。どち
らがより耐えがたく、相手の自分に対する気持ちが毀れていると感じるか……場合によっては、後
者なのではないかというお話です。穏やかな曲調と黒猫の歌声がとても心地好いですが、とても遣
る瀬無い場面を歌っているのですね。
10.雲は龍に舞い、風は鳳に歌う
“雲は竜に従い風は虎に従う”という諺をもとにして黒猫が命名したこのタイトルには、陰陽
座の家紋が表す陰陽座の信念と結束への想いが込められています。歌詞の内容もまさにそれを歌っ
たものです。
と にかく壮大にして繊細、勇壮にして華麗なこの楽曲の世界観と雰囲気は、これを着想した黒
猫の底知れぬ感性を証明していると思います。最初僕に手渡されたデ モはピアノの伴奏に歌メロ
が乗っただけのものでしたが、黒猫からリズムやオーケストレーションのイメージを説明してもら
うことでかなりイメージが拡がった ため、それを脳内で膨らませ、最終形に近いアンサンブルを
想像することもさほど難しいことではありませんでした。デモを受け取ったあとは僕が実際に各楽
器 パートをプログラミングし、バンドのパートを重ね、イントロや間奏その他のセクションを追
加してオケを仕上げました。そのオケを聴きながら黒猫自身が改め て拡げたイメージをもとに歌
が吹き込まれて完成したわけですが、本人がこだわりぬいただけあり、この楽曲での黒猫の歌は言
葉では表現しきれないほどの絶妙 な表情や響きを持っています。
いわゆるバラードと言い切れるものではなく、かといってロックと呼ぶのも憚られる……ジャン
ルやカテゴリーという視点では捉えようがないにも関わらず、どこからどう聴いても“陰陽座”を
感じるというこの楽曲は、間違いなく陰陽座の信念そのものを照らし、陰陽座の音楽性を拡げ、そ
してその可能性を示すかのように響き渡っていると僕は思います。
11.故に其の疾きこと風の如く
就寝前に“人生は何故にかくも疾く過ぎゆくのか”などと考え始めるとあっという間に太陽が子
午線を通過しますが(何時に床に就いている?)、明確な答えは有り得ないながらも自分だけが納
得できる屁理屈をひねり出すことくらいはなんとかなることがあります。その成果がこの楽曲です。
『孫子』の軍争篇の一説を取り入れたこの楽曲のタイトルは、作曲するより先に決めていました。
“こういう名前の曲を作ろう”と意図して制作に臨んだということですが、まず僕はタイトルの“其
の”という部分に着目しました。そして“何が風の如く疾いのか”と自分に問い掛けた直後、前述
の通り夜な夜な考えていた話題に思い至り、“疾いと言えば人生だ”と結びついたわけですが、そ
れだけでは不十分です。“故に”というからには、少なくともこの楽曲の中では“人生がかくも疾
く過ぎゆく理由”を見つけなければなりません。
そこで僕はこう考えました──前もって付け加えますが、これは飽くまでもこの楽曲という単位
で成立させた一つの考えに過ぎず、人生はこういうものだと言い切ったり、答えを見つけたかのよ
うな気になっているわけではまったくないという前提でのお話です──人生が風のように疾く過
ぎることに納得のいく理由があるとすれば、それはその速さそのものを愛おしみ、感謝できるよう
な理由でなくてはならないはずです。もしも人生が誰にとっても“いつまで経っても終わらない長
い(遅い)もの”であり、誰もが今わの際に“ようやくこの長すぎる人生が終わる。せいせいする”
としか思わないとしたら、それは不幸なことだと言わざるを得ません。もちろん、実際にこのよう
に感じてしまう人生もあるでしょう。しかしだからこそ、その逆、つまり“人生はあっという間だ
った”と思えることは、そう感じるに足る人生を歩めた証拠であり、それこそが幸福なことである。
故に、そう感じられるために人生は疾い……のでは、というのが僕の、この楽曲に於ける持論です。
人 間、有り余っているものへの感謝はしづらいですが、稀少なものを有り難がることは言われ
なくてもできます。それを人生やその絶対時間になぞらえただけの、 極めてシンプルな考えです。
言われてみれば何のことはない、当たり前の話じゃないかと思うかもしれませんが、当たり前のこ
とほど改めて意識する機会がない ものです。“何故それが当たり前なのか”をあえて掘り下げる
ことがあってもいいと、僕は思います。
疾ければ疾いほど、それを愛おしみ、感謝する気持ちは強くなる。“だからこそ人生は、風のよ
うに疾く過ぎ去る”。これが、この楽曲のテーマです。このテーマを、憂いあるメロディックなヘ
ヴィメタルへと昇華したこの楽曲は、『風神界逅』のハイライトの 1 つだと思っています。
12.春爛漫に式の舞う也
過去のツアータイトルを、後に発表する楽曲のタイトルにするということが陰陽座ではままあり
ますが、これは陰陽座で唯一、発表後に中止になったツアーのタイトルです。中止の経緯を説明す
ること自体がそれを“売り”に することになるので控えますが、この楽曲は、そのツアーが中止
になったときにファンの皆さんが陰陽座に向けてくださった、惜しみない慈しみと労りの心に対
して陰陽座が感じた気持ちと、それとは関係なく常日頃から感じている感謝や親愛の気持ちを臆面
もなく歌にしたものです。
日 頃から、ライヴの関係者などから「陰陽座のファンみたいな素敵なファンを見たことがない」
と、よく言われます。そのたびに僕たちは、自分たちが褒められる よりも嬉しく誇らしい気持ち
になるのですが、このことには本当に感謝してもしきれません。なぜなら、ファンはバンドを選べ
ますが、バンドはファンを選べな いからです。なのに僕たちは、望んでも決して得られないほど
の素晴らしいファンの皆さんに支えられています。このことに感謝せず、何に感謝をすれば良いの
か。そういう気持ちで書いたのがこの歌詞です。いつものように古語や方言をまぶして照れ隠しす
ることすらやめたのは、たまには真っ直ぐ感謝の気持ちを書い てみたらどうなのか、と自分に対
して思ったからです。そしてそれを実行して良かったと、完成してから確信しました。
僕たちのこの気持ちが、すべてのファンの方に届くことを願っています。
12th Album『雷神創世』
“雷”(いかづち)をキーワードに制作された、陰陽座の 12 作目となるアルバム。“雷”とい
う言葉から想起される激しいイメージの楽曲が収録されているのは当然ですが、そこは陰陽座の作
品。“陰”と“陽”の要素はしっかりと盛り込まれていますし、むしろ「なるほど、雷という言葉
や現象にはそういう捉え方もあるのだな」と発見していただけるような楽曲もあると思います。そ
して何より、それらすべての要素が陰陽座という雲から雷となって放たれるこの作品は、12 作目
にしてなお滾りに滾った陰陽座の魂の熱さを感じていただけると確信していますし、『風神界逅』
で示した新たな陰陽座の音楽世界と変わらぬ核の部分を、さらに強固に束ねるような力を持った強
力無比なアルバムだと自負しています。
01.雷神
『風 神界逅』の「風神」がインストゥルメンタルだったので、この「雷神」もそうだろうと予
想して当然ですが、こちらは歌入りの楽曲です。人類が此の世に誕生 し、一番最初に雷を見たと
きと、人類が此の世で最後の雷を見るとき。その風景は、同じものなのではないかという想像が着
想となりこの楽曲へと発展しまし た。「どこまでも続く荒野に人々が佇む。雷雲立ち籠める空を
見上げるその表情には、諦観とも畏怖とも取れる色が浮かぶ。やがて雲を裂き、すべてを震わせる
一筋の雷光が大地を打つ」……なんて言うと、“原始の風景”でもあり“終末の風景”でもあるよ
うな気がするではないですか。
“神”が“鳴る”から“かみなり”。この発想と音の響きの美しさ、そして圧倒的に漲る力と、
無条件でおぼえる畏怖の念。その化身を“雷神”と位置付けた、『雷神創世』の序曲であり、ある
意味で象徴でもあるのがこの楽曲です。
ループするようなリズムの上で、歌とその他の楽器が雷鳴が轟く瞬間までの緊張感を高めていく
ような、独特の雰囲気と空気感を持った楽曲に仕上がっており、まさに“創世”を感じさせる力に
満ちていると思います。
02.天獄の厳霊
西洋の考えですが、地獄と天国の間に煉獄というものがあり、天国に昇る前に魂の浄化をしてく
れるそうです。この楽曲で歌われる“天獄”は僕が勝手に創作した施設(?)ですが、真逆の役割
を持っています。絶対に地獄に落ちるべきなのに天国へと昇ろうとする魂を未然に捕らえ、その兇
状と同等の方法で贖いをさせる、それが天獄です。
具体的に何のことを言っているのかについては、こういう場では書き切ることができないことを
含んでいるので割愛しますが、むしろ、歌詞を読んで感じたことがたまたま僕の真意と同じならそ
れはそれで嬉しいことですし、違ったとしても、その人の中での“天獄”がその人にとって機能す
るなら、それはそれで有意義なことです(本来は、すべての楽曲に対してこう言うのがミュージシ
ャンとしてあるべき姿だと思うのですが)。
シ ンフォニックかつメタリックな曲調に、狂おしく叫ぶような狩姦のギターソロ、そして黒猫
の哀絶を湛えながらも厳然とした歌声。空想とはいえ、天獄の存在を 少しだけ信じられるような
威光を放つ楽曲だと思いますし、陰陽座としては新しいとも言えるし、らしいとも言える、という
絶妙なバランスに仕上がっていると 思います。
03.千早振る
『風神界逅』の「神風」が“己の中で神風を起こす”というものであるのと同じく、この楽曲は
“己の中で雷にも似た力を漲らせる”という意志を歌ったものです。“千早振る”は“神”などに
かかる枕詞ですが、強い勢いや荒々しさも意味しますので“かみなり”にもピッタリの枕詞だと思
います。自己の中で漲らせた雷ではためかすのは鬨の声と信念の旗手です。
まさにストロングスタイル、黒パンレスラーと言うしかないギターリフが、陰陽座の“懐古も革
新も関係なし!清濁併せ呑む!やってやるって!”と いう心意気を表明していると思います。個
人的には、このリフが出来たときはかなりの手応えを感じましたし、単なるイントロのリフという
位置付けに止まら ず、そのままサビを背負って立つ男(?)になり得るという直感もありそのよ
うに構成してみたわけですが、それをバックに雄々しく歌い上げる黒猫の歌の男 前っぷりに痺れ
ます。男性が歌う場合、こういうものはただただ力強く荒々しく歌ったほうが効果的な場合が多い
ですが、女性が歌うなら絶妙なバランスが命だ というのが僕の持論であり、個人的な嗜好です。
それは歌い方云々よりも持って生まれた声の力によるところが大きいため、黒猫がこういう声を持
って生まれて きてくれたことに感謝するしかありません。
04.人首丸
攘夷の名のもとに非業の死をとげた、まつろわぬ民の美少年“人首丸(ひとかべまる)”を 題
材にした楽曲です。人首丸を本気で掘り下げようと思ったら、組曲仕立てで大作が書けてしまいそ
うな物語があるわけですが、今回のこの楽曲では敢えて一族 の誇りを賭して果敢に闘う様とその
意志のみを抽出し、それを直接的に音にすることでシンプルな楽曲に仕上げました。人首丸の父親
は “悪路王”であるとする説が有力だそうですが、「道理で!」と膝を打ってしまうような、そ
んな楽曲です。親父の背中を見て息子が育つということでしょう!
この曲はとにかく突進するギターリフとその原動力たる強力なドラムが聴き所ですが、招鬼・狩
姦のギターソロがめちゃくちゃ格好良いです。それぞれの持ち味を前面に押し出しながら、最後の
一人になるまで戦い抜こうとする一族の結束や覚悟がビンビン伝わってきます。
そしてヴォーカルパートはほとんど咆哮のみ、という感じなので「これは黒猫不在か?」と思っ
てしまうと思いますが、リードヴォーカルではなくサブ的な叫び声の中に猫が 3 匹(3 箇所)隠れ
ていますので、是非探してみてください。黒猫が、ライヴでたまに信じられないほどブルータルな
叫び声を発することがあるということを知っている方なら、よく聴けば見つけられると思いますよ。
05.夜歩き骨牡丹
有名な鳥山石燕画の“骨女”は『牡丹灯籠』の弥子を描いたものだそうですが、この曲の題材は
それとは別の“骨女”です。生前醜いと蔑まれた女性が、死んでから骸骨の容姿がいいことに気づ
き、人に見せるため町をそぞろ歩いたというものだそうです。この妖怪に言いしれぬ女性の性(さ
が)と良い意味での滑稽味、そして凄絶な色気を感じ、この楽曲が生まれました。
恐ろしさすら感じさせる女性の美への執着をヘヴィメタルなリフで、客観的にそれを見たときに
禁じ得ない滑稽さを軽快なリズムとメロディで、そして匂い立つような凄みのある艶っぽさを歌声
で、それぞれ狙い通り形にすることができました。
随 所で聴ける黒猫独自のコブシを活かした歌唱と和音階を敢えて多用したフレーズが非常に効
果的なフックになっており、和音階さえ使えば日本的になる、という 考えを持たない陰陽座の楽
曲の中では異彩すら放つ楽曲になっていますが、それでいてむせかえるほど陰陽座らしいという絶
妙な仕上りであると確信していま す。
実は変拍子が繰り返される楽曲構成でありながら、難解さや複雑さは微塵も感じず、ただただ楽
曲や歌が表情豊かに展開する、という気持ちで聴けるように仕上がったことにも手応えを感じてい
ます。
06.神鳴忍法帖
陰 陽座の「卍」という楽曲(シングル『甲賀忍法帖』のカップリング曲)は、戦闘マシーンと
して作り上げられた無敵の女忍者の苦悩を歌ったものですが、その女 忍者が「卍」の中で「名乗
る必要はない、二秒で終わりだ」と雑魚敵に言われるまでの、少し遡ったあたりの心情を描いたの
がこの楽曲です。「卍」では苦悩し ながらも闘いに身を投じることで吹っ切ろうとする雰囲気も
垣間見えますが、この「神鳴忍法帖」ではその境地に至る前の、遣り切れなさを抱えた状態の心情
が 切々と語られています。
キャッチーなリフがフックになっていながらも、とにかくこの楽曲は黒猫の歌の表情の変化によ
る展開が楽曲を支配しています。闘いたくなどないのに闘うしかない宿命を嘆き、呪う彼女(女忍
者)の悲痛な心の叫びが聞こえてくるようです。その話に“神鳴(かんなり=かみなり)”がどう
関わるのか、歌詞の中で解明されますよ。
ヘヴィメタル然としたリフが歌謡的なロックと何ら違和感なく融合するこのような雰囲気の楽
曲は、陰陽座が結成時からヘヴィメタルを“囲い込む”のではなく“押し広げていく”ことを信条
として活動してきたことの賜物だと思っています。
07.天狗笑い
骨太かつ軽快なこのイカした楽曲は、『雷神創世』の収録曲の中で非常に重要なフックになって
います。こういう感じにイナたさとポップさを融合させる招鬼の持ち味には、この兄も「フ…母に
感謝せねばなるまい…わが前にこれだけの弟を送り出してくれたことを!! (from 世紀末救世主伝
説)」と思ってしまいます。
招鬼の曲なので当然のように天狗絡みの内容になっていますが、今回の題材は天狗の中では地位
は最下位、ゆえに多忙な“狗賓(ぐひん)”と いう天狗です。下っ端ならではの悲哀と、それで
もめげない健気な姿を滑稽味たっぷりに描けたと思います。同音異字の偏(へん)と旁(つくり)
を口頭で説明 することの歯痒さをそのまま歌詞に取り入れた部分は、ロック史に於いて完全無視
されることが決定しているとはいえ、極めて画期的かつ痛快だと思っていま す。ちなみに狗賓く
んがそんな説明を余儀なくされるのは、姿形が犬(狼)に似ているから犬呼ばわりされることに不
満を覚えて…という設定です。
ハ ネたリズムとズ太いリードギターの絡み、そしてそれを煽り立てる阿部(雅宏)さんのダー
ティーなオルガンがとても美味しい楽曲ですが、作曲者である招鬼の ワウを所々に挟んだギター
ソロがかなり聴き所です。ずっとワウワウさせず、所々というのがポイントですね。このソロに往
年のブリティッシュハードロックの 薫りを感じるのは僕だけではないはずです。
08.青天の三日月
すでに発売済みのシングル楽曲ですので説明は不要だと思いますが、仮想歴史的解釈による伊達
政宗と徳川家康によるもう一つの“関ヶ原”が描かれています。「蒼き独眼」「紺碧の双刃」に続
く“政宗三部作の完結編”と言うべき成り立ちですが、同じ戦国武将の曲を 3 つも作ったわりには、
3 曲通して伊達政宗という武将の生き様や心意気をしっかり描けたと自負しています。
今回『雷神創世』というアルバムに収録するにあたり、音像を他の収録楽曲と合わせるため抜本
的なリミックスが施されています。シングルバージョンとの比較という意味では“少し顔つきが違
うな”という部分で楽しんでいただけると思いますし、純粋に『雷神創世』の中の 1 曲という意味
では、他の楽曲と何ら違和感なく聴けるものになっているはずです。
この曲に限った話ではありませんが、陰陽座が何かとタイアップするときは、ほとんどの場合単
に楽曲を提供するというものではなく、“陰陽座の音楽をそのままこの物語にもたらして欲しい”
という熱意を持ったオファーをいただいています。それがアニメであれパチンコであれゲームであ
れ、名前を貸すだけのタイアップではなく“その信念で熱い楽曲を書き下ろしてほしい”と いう
気持ちに応える形でタイアップしているわけですので、余っている楽曲を割り振って提供すること
は皆無です。ということは、そのオファーがなければ生ま れてこなかった楽曲ばかりということ
になりますので、この「青天の三日月」をはじめとする数々のタイアップ楽曲を生み出すきっかけ
を与えてもらえる機会に は感謝するばかりです。
09.累
13 分 に迫る大作ですが、題材はもちろん、江戸時代に大流行した物語『累ヶ淵』です。さらに
言えば、そのお話の元となった、実際にあったとされる事件とその登場 人物の心情を主題とした
楽曲です。当然のことながら、単なる怪談的に語るのではなく累(るい)や助(すけ)といった登
場人物の気持ちになって物語を紡ぎま した。
『累ヶ淵』の筋については本やインターネットなどで触れてみていただきたいと思いますが、語
弊を恐れず要約すると、
“顔が醜いというだけで疎まれ、実母あるいは義父に命を奪われた少女(助)
と、まったく同じ理由で夫に殺害された、少女(助)の妹にあたる女性(累)が、後に血縁の少女
を憑代に化けて出るも、偉いお坊さんの念仏と説教により成仏する”というお話です。多少ディテ
ールに差はあるものの、大筋ではこれが『累ヶ淵』という物語です。僕はこの『累ヶ淵』をずっと
楽曲の題材にしたいと構想を温めていましたが、時代性などを考慮すれば一概に現代の我々が非難
することができないはずの“親による子殺し”にも、絶対に許しがたい例というものはある、とい
う点に最も拘って物語りを脚色しました。
その昔、生んでしまったもののどうしても喰わせていくことが困難で、泣く泣く我が子を手放す
(生死は別として)ということは決して珍しいことではなかったようですが、その根底にあるのは
「むざむざひもじくて辛い思いをさせるくらいなら…」という慈悲や哀れみでなければなりません。
しかし『累ヶ淵』の資料には(少なくとも僕が参照した多くの資料はすべて)助が殺された経緯に
ついて“顔が醜いことを“疎ましく”思った義父(実母)がその命を…”と記述されています。そ
れはつまり、その子のことを哀れに思っての行為ではなく、単に利己的な、それも容姿などという
くだらないことの優劣のみで命を破棄したということを裏付けています。“疎ましい”とは何事か
と。そのような行為に、言葉にもできないほどの凶悪さと下劣さを感じるのは僕だけではないでし
ょう。助の妹である累も、命を助けたことが縁で夫婦になった夫に、同じような理由で殺されてし
まうのです。
僕がこの「累」という楽曲で果たしたかったのは、そんな理由で殺された助と累という 2 人 の
女性の仇討ちです。最後にお坊さんの念仏で除霊されてメデタシメデタシ、という筋にもまったく
納得がいきません。贖うべき殺人者が守られ、殺された者が 悪霊として退散させられるとは何事
なのかと。その理不尽さを、せめて自分の楽曲の中だけででも改め、化けて出てきた累と助に、思
いを遂げる自由を与えてあ げたいと願って完成したのが、この「累」です。
2 人(累と助)が憑依したかのような圧倒的な説得力を持った黒猫の歌声といい、それをギター
で表現した招鬼・狩姦のソロといい、物語に魂の鼓動を刻む誠さん のドラムといい、場面ごとに
必要不可欠な雰囲気を演出する阿部さんのピアノといい、すべての面で、実際の言い伝えや伝承を
もとにした陰陽座の大作的楽曲の 中でも出色の完成度だと確信していますし、これこそ陰陽座に
しかできないタイプの音楽だと言い切りたいと思います。
10.蜩
“ひぐらし”は夏の終わりを想起させることから秋の季語になっている蝉ですが、確かに、どん
なときに聴いてもあの鳴き声にはもの悲しさや寂しさを感じさせる響きがあります。その響きと、
盛んなる時期を“夏”に例えるという前提で捉えた“秋”を 想うということ。さらに秋を意識す
ることでやがて来る冬(終わり)に想いを馳せること。そこにある無常の念をそのまま楽曲にして
みました。未だ人生が春の 段階にある方やまさに夏真っ盛りと言える方よりも、僕と同じように
そろそろ秋を迎え入れなければならない、という方に共感していただけそうな内容ですが、 どの
ような段階にある方にも、
“季節は必ず過ぎゆく”ということを想ってみていただければ幸いです。
阿部さんによる空気を編むような繊細でしっとりしたピアノをバックに、黒猫の歌がまさにその
無常の念を切々と歌い上げており、叙情的かつ普遍的な趣を持ったこの楽曲のテーマを見事に歌へ
と昇華させています。“最初の一言目を発するときの気持ちの入れ方にすべてをかけた”とは黒猫
本人の言葉ですが、まさにそれは成功しており、歌い出しの声がまとう空気がこの曲の“ひぐらし
感”を完成させていると思います。
11.而して動くこと雷霆の如し
『風神界逅』の「故に其の疾きこと風の如く」と対を為すようなタイトルですが、それもそのは
ず。こちらも『孫子』の軍争篇の一説を取り入れたタイトルです。(“動くこと雷霆の如し”のく
だりは、“知り難きこと陰の如く”と共に、かの有名な“風林火山”の旗では省略された部分です。
“而して”はタイトルとして付け足した部分で“しこうして”と読みますが、“しかして”、“そ
して”とも読み、意味も“そして”と同じです)「故に其の疾きこと風の如く」で人生の疾きこと
を理解(納得)した後は、その疾き人生を“どう歩むか”を再確認したいという気持ちから生まれ
た楽曲です。今回の 2 枚のアルバムで、唯一相互の関わりがある楽曲ですね。一瞬の刻も無駄にで
きない人生に於いて、何かを行う(動く)ことがあるのならば、その覚悟と勢いは雷霆の如き強力
なものでなければならない、という解釈です。
“その雷霆の如き力を以て一歩一歩着実に踏みしめ、
上ではなく前に向かって進む”という風に、結局は陰陽座の信念に直結する話でもあります。
重 厚な構えのまま突き進むようなイントロと、漲った力が放たれる瞬間を切り取ったような歌
の流れ、鮮烈で高揚感のあるサビ、とヘヴィメタルバンドとしての面 目躍如と言えるとともに、
陰陽座ならではとも言えるキャッチーさも備えた楽曲。雷霆の如く放たれる狩姦のギターソロにも
惚れ惚れしてしまいます。
12.雷舞
陰陽座的な言い回しとしてライヴを“雷舞”と 表記することがありますが、まさにそのものズ
バリ、ライヴの情景や心境をそのまま歌った楽曲です。曲も音も歌詞も、すべてがライヴの空間を
想起させる活力 に満ちていると思います。なんといっても誠さんのドラムが最高に気持ち良く、
他のどの曲でもそうなのは言うまでもないことながら、とにかく叩いている姿が ダイレクトに目
に浮かぶという意味で、思わず“誠、最高!”と叫びたくなるようなドラムです。その他の楽器も
歌も、すべてがライヴの風景しか見えない!という弾けた勢いに満ちていて、特に歌からはメンバ
ーだけでなくファンの皆さんも含めた、ライヴ会場を埋め尽くす“笑顔”を感じてしまいます。
出身である愛媛県八幡浜市の方言を最大限に開放した歌詞も、楽曲の雰囲気やリズムとのマッチ
ングが抜群だと思います。この八幡浜弁の独特な語感が、普通の日本語より遥かにロックっぽい響
きをもたらしているところが愉快・痛快です。
こういう楽曲は、理屈はさておき一刻も早くライヴで実際に演りたくなってしまいます。同じよ
うに皆さんにも「早くライヴで聴きたい!観たい!歌いたい!」と思ってもらえますように。
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