以下の文章に関しては、無断転載を禁じます。 稲 葉 ゆ り 1933年6月28日生まれ。30歳から38年間、飲み屋のママをやっている。現在 も東武東上線上のふじみ野駅から、徒歩2、3分のところにある『つくし』というお店を 旦那さんと二人で切り盛りしている。68歳になるママは、毎日人の心を癒している。 佐藤(以下 S):まず、お名前は? 稲葉(以下 I) :稲葉です。 S:ひなばさん?ひなばさんって言うんですか? I:稲葉。稲の葉っぱ。 S:あっ、稲葉さん。稲の葉っぱ・・・。 I:稲葉ゆりです。 S:ゆりさんって、どういう字なんですか? I:ゆーり。 S:あっ!平仮名の。 I:うん。 S:へえ∼初めて聞いた。 I:あ、そう? S:じゃあ、生年月日は・・・聞いても良いですか? I:良いですよ。昭和8年6月28日生まれ。 S:昭和8年って・・・千九百・・・えっと、西暦で言うと何年ですか? I:知らない、わたし。 S:あっ、ほんとに? I:うん、知らない。 S:私も今わからないんだ。あはははは。 I:う・・・ん、昭和8年・・・・。 S:いつだろうな、昭和8年・・・。 I:歳? S:あっ、歳!あっ、歳、歳いいですか? I:68。 S:68歳・・・ふふへ・・若い!68歳なのかぁ。じゃぁ今2001年だから・・・ I:うぅん、68引くと? 1 S:1933年生まれだって。 I:あぁそうなの? S:みたい。うん。そか、じゃぁ、早速・・・では、二十歳の誕生日は、何をしていまし たか? I:二十歳の誕生日は結婚して・・・う∼んと・・・ S:誕生日に? I:誕生日の前に結婚してたね。 S:前の日? I:前の日でもないよ。3月頃。3月じゅう・・・何日だったかな? S:へぇ∼、じゃあ、6月28日は結婚してたの? I:うん、してた。 S:旦那さんにお祝いしてもらったの? I:お祝いとかそういうのはなかったから、昔は。 S:そうなんですか? I:うん、その頃は、お祝いしようとか、旅行に行こうとかなかったから、家で。 S:「おめでとう」とか言う感じ? I:そうだね、そのくらいはあったかもしれないけど、だから、そんな派手なことはなか ったの。しなかったの。 S:そうか・・・、じゃぁ言葉だけ。 I:そうだね、言葉だけ。 ・・・・ケーキ買ったりとか、そういうことはなかったの。まぁ、 お酒の一杯ぐらいは飲んだかな。 S:えっ、お酒お酒って何飲むんですか? I:旦那が日本酒だったから、一緒に日本酒飲んでた。 S:旦那さんは好きな人ですか? I:好きな人でしたよ。 S:本当ですか!何で結婚したんですか? I:恋愛結婚です。 S:はぁーー!!恋愛・・・・! I:恋愛結婚です。 S:二十歳の結婚っていうのは、当時は早い方ですか? I:普通くらいなもんかな。私らの年代の時は。もうね、16で子供産んだ人いた もの。お嫁に行って。 S:16歳で子供生んだ人はいつ結婚したんですか? I:この人なんかは、中学校卒業してすぐ結婚したみたいだったから、だから、15か 16だと思うよ。成人式の時には子供連れてきたの。 S:えー、成人式には行かれたんですか? 2 I:行ったわよ。成人式があったから。・・・それもね、今みたいに派手じゃないから、 普通・・・まぁちょっといいお洋服着て、公民館で。集まったの。 S:どこに住んでいらっしゃったんですか? I:飯能。 S:飯能!私の大学ある所ですよ。 I:あ、そう。うん、飯能。今はきれいになっちゃったけど、もう今から三十・・ん年前 でしょう?だからもう、何にもないところだった。今みたいにきれいな建物・・駅は こんなにちっちゃい駅だったし、うん。 S:どんな成人式でしたか?・・何人くらい集まったんですか? I:五十人ぐらい来たかしらね、うん。そして、広い公民館でこうして輪になってね、係 りの人がここにいて、ジュースかなんか飲んだんだね、みんなで、公民館のコップで。 S:お酒とかは飲まなかったんですか? I:お酒・・・は男の人だけだったね。男の人はお酒を。 S:昔から、やっぱりお酒も煙草も二十歳からだったんですか? I:う∼ん、そうね。私タバコ嫌いだから。お酒だって飲んだことなかったんだから。う ん、その頃はね。 S:そうなの?フフフ・・・ I:だから、もーう・・・でも18くらいから飲んだのかなぁと思う気がするよ。 S:あっ、気がする?フフフ。 I:神様にあげるお酒とか、あるじゃない?家でね。うん、そんな事もあったかもしれな い。口にしたぐらいでね。神様の御下がりをさ。ハハハ。 S:ハハハ。神様って言うとどんな神様? I:神棚。神棚あるでしょ?何処の家にも。昔は、古い家には神棚があったのよ。そのお 下がりを飲んだの。ホントは兄貴が飲むんだけどね。フフフ。 S:へぇ・・・兄貴・・・。あっそうだ、家族のことについても聞こうかな。結婚したん ですよね、二十歳の頃。じゃぁ、もう二十歳の頃は両親とか兄弟とかは別? I:うん、別。家には兄貴やらお母さんやら皆いたけどね。妹もいて。 S:あ、妹も・・兄弟は何人だったんですか? I:五人兄弟で、長男、次男、三男、私、妹。 S:へぇ、なんか中途半端な位置ですね。 I:真ん中の下! S:一番難しいですよね。 I:そうかなぁ?何ともなかったけど。女の子が初めてだったから大事にされてたし。 S:あ、そっか。じゃぁ、末っ子みたいな感じ? I:うん、末っ子とはまたちょっと違うけどねぇ。うん・・威張ってた!フフフ。 S:ハハハ。えっと、それで、二十歳で家を出たと。 3 I:うん、二十歳で家を出た。 S:二十歳で色々な経験して? I:うん、だけどね、家出たって言ったってね、お嫁にいったんだからね、どうってこと ないけど。 S:飯能に住んでて違う所に行ったんですか? I:そう、池袋。 S:旦那さんが池袋に住んでたんですか? I:勤めてたの。 S:勤めてたの?じゃぁ旦那さんの実家に行ったわけじゃ、ないんですか? I:実家は群馬で、次男だから家出てきて。 S:で、恋愛して・・・ I:フフフ。 S:両親は結婚は反対されなかったんですか? I:うん、そうだね、最初はねぇ、 「そんな知らない男連れて来て」って怒られたけどね。 しょうがないよね、好きになっちゃえばさ。だから、うん、東京の人にね、仲人になっ てもらってね、会社の・・・ S:同僚・・・? I:同僚じゃない、部長さん。仲人・・・フフフ。 S:結婚式とかはしたんですか? I:うん。結婚式は、うん、部長さんの奥さんの実家がお魚屋さんだったから、そこから 仕出ししてくれて、部長さんの家で。 S:うれしかったですか? I:そうだね、大事にしてもらえたからね。うれしかったね・・・ S:寂しくなかったですか? I:う∼ん、寂しいって言ったってどうしたって、自分が好きで一緒になったんだからさ。 うん、 「よーし!一生懸命やろう」っておもって。ガッツで!!フフフフ・・ S:ガッツで!!そっか、じゃぁ、とてもうれしい感じの結婚式だったんですか? I:うん、そういう感じだったかな。 S:だって昔って、お見合い結婚みたいな感じが多かったでしょ? I:うん、多かったもんね。でも、もう・・・何て言うかなぁ・・終戦後だから、結構も う、進駐軍なんかも入ってきたし・・ S:進駐軍? I:うん、アメリカさんがいっぱい入ってきてたでしょう?ジョンソン基地へ。だから、 結構、出逢いって言うのは・・流行ってたのよね。 S:あっ!!流行ってたんですか? I:流行り始め。だからね、まぁ、良かったんじゃない、そんなことで。うん・・・・・・・ 4 S:進駐軍かぁ・・・二十歳のとき、客観的に見てどういう時代だったんですか? I:うん・・・まだ終戦間もないから、殺伐としてたっていうかね、それから・・・アメリ カさんがゴロゴロね、家の近所にはいたから。 S:近所に? I:そう、ほら、飯能ってさ、ジョンソン基地からすぐでしょ?駅で言うと、三つめぐら いじゃない?だから、結構ね、終点だったし。だから、色んな・・来てた。だから、な んつうかな・・・結構派手だった。そういう面ではね。そして、後ほら、芸者町がその 辺にあったから、駅にはね。だから、それも結構・・・ S:じゃぁ、飯能じゃなかったら、そんな派手じゃなかったんですかね? I:さぁねぇそこんとこは良く判らないけど。でも、なんつうかな、駅から離れればもう 田舎なんだよぉ。畑があったり、今は家だらけになっちゃったけどさー。すごいよねー、 だって、駅はもう、ほんとに、でっかくなっちゃってさー。ほんとすごいよねー。私が 子供のときなんか、二十歳ぐらいのときなんか、まるでもう錆びれたような殺伐とした あれだったね、でもそれでも、ほら、ジョンソン基地がそこだったから、電車乗って来 るでしょう?だから派手・・・っていうか、反面ある種の色事に関してはね・・・ S:色事・・・・ I:うん、そんなんだったかな。でも普通のあれは地味だったの。住んでる人は地味でし ょ?駅だってこのぐらいしかないしさー。昔の鶴瀬駅※ 知らないよね?(※ Sが住んで いるところ) 山のほうにほら、みすぼらしい、一軒だけしかないような駅だけで、人がいないで、自 由に切符置いて帰るような駅あるじゃない?あぁいう風が飯能だったの。それがいつの 間にかね、私のいない間にあんなんなっちゃったの。 S:ずっと池袋にいたんですか? I:うんずっと池袋にいて、それから∼・・10年くらいいたかなぁ・・・それから、上 福岡※ に、団地に住んだの。団地に当たってね。それで移り住んだの。 (※ 8年程前、 鶴瀬駅の隣にあった駅。今は上福岡駅と鶴瀬駅の間にふじみ野という駅がある。) S:池袋ではどんな生活だったんですか? I:池袋ではねぇ、旦那が、日本交通のハイヤーの運転手してたから、うん。そこの、部 長さんの紹介だったの。 S:ハイヤーの運転手って、変ですけど、お給料は高かったんですか? I:良かったですよ。うん、良かった。昔ね。 S:池袋って、物価高かったんですか? I:うん、そうだね、高かったんだろうね・・・高い・・高いっていうかでも、その日暮 らしっていうか、二人きりだったからね、ほんのちょこっと買えば済むわけだし、別に 気になんなかったけど。 S:お仕事はしたんですか?おばちゃん※ は。(※ 稲葉さんのことを失礼ながら、おばちゃ 5 んと呼ばせてもらっている。初めて会ったその日から。) I:だから、お仕事は、何だったかな、何理髪って言ったけな?その・・忘れちゃったけ ど、昔のことでさぁ。西武の・・あそこのビルのどっかの所にあったんだ・・よね。そ こまでとっとこ歩いていって、頭洗っていって、セットしてもらって、パーマかけたり、 練習に頭を台にしてたわけ。アルバイトで。 S:じゃぁ、お洒落になれるじゃないですか。 I:そうだね。 S:池袋では、派手な暮らしだったんですか? I:いや、私は派手じゃないよ。だって、ただのアパートに住んでただけだから。 S:あぁ、結婚してるし? I:うん、そうそう、ただバイトで頭貸しに行ってただけだからね。ふふふ。 S:毎日何をしてたんですか? I:亭主の御飯の仕度と、それから、アルバイト。頭の。アルバイトに行ってたんだよ。 ふふふふふ。 S:おばちゃんのアルバイトのお給料はいくら位だったんですか? I:いくらだったのかねぇ∼・・・いくらだったんだろう・・・忘れちゃったねぇ。千円、 2千円もらえたかなぁ。 S:えっ、1ヶ月? I:1ヶ月。うん。 S:今で言うと、いくらぐらいですか? I:今で言うと・・・2万円くらいかなぁ・・・ S:えっホントに?すごい! I:うん、今で言えばね。うん、1万か2万じゃない?もっとかもしれない、今のお金で 言ったら。 S:歩いて行ってるから電車賃もかからないしね? I:うん、そうね。 S:へぇ、いいアルバイトだなぁ。 I:だから、一ヶ月、少なくて700円か千円くらい・・多いときで2千円くらい取れた ような気がするその頃。 S:じゃぁ旦那さんはどのくらいの給料だったんですか? I:いくらだったろう・・・3万円ぐらいだったかなぁ。 S:当時で?えっと、じゃぁ今で言うと・・30万くらい? I:今?今だったら50万くらいじゃないかねぇ・・ S:50万?すごい!じゃぁ貯金とかしてたんですか? I:貯金してたよ。保険もかけてたしね。 S:保険もかけてたの? 6 I:保険かけてたよ。あの頃、なに生命だっけなぁ・・・ヒノモト生命だったけなぁ・・ 確かそんな様な名前だった気がした。忘れちゃったけど。 S:じゃあ、今度調べておきます。 I:保険かけてたよ。そして、郵便局が近かったから、貯金して。 S:旦那さんと一緒に・・飲みに行ったりとかは? I:飲みに・・・はあんまり行かなかったけど、お寿司屋さんが近くにあったから、お寿 司屋さんは何回か行ったね。 S:お寿司はどの位の値段だったんですか? I:わからないなぁ・・・・ S:値段ばっかね・・ダサいけど。 I:忘れちゃったね。 S:その頃は何が貴重な食べ物だったんですか?贅沢? I:贅沢っていったら、ラーメン屋かお寿司屋さん行くくらいだったかな、私らの中では。 お給料は少ないしさ、自分のアルバイトも安いしさ、そんな無駄遣いできないでしょ、 これから子供も生まれるし。 S:そっか! I:そうでしょ?貯金もしておかなきゃいけないし。そんな贅沢できなかったね。 S:そうか、子供かぁ・・。贅沢しないのは子供の為みたいな感じですかね? I:そうだねぇ。うん。 S:じゃぁ・・・えへ。これ、おかしいかなぁ・・・ I:なぁに? S:結婚したじゃないですか。どういうところが好きになったんですか? I:やさしかったのかな?うん。 S:飯能と池袋って遠いじゃん? I:いや、一直線。西武線で。 S:どういう風に知り合ったんですか? I:だから、お友達が紹介してくれて。そうしてお友達とみんなでこう・・グループでね。 うん。知って、それで付き合ったの。だから、気が合ってたんでしょうね。 S:今も一緒でしょ?旦那さん。 I:違う。 S:違うの?!あっそうなんだ。 I:二十歳頃の話でしょ。今の旦那さんはずっと後。あはは。 S:あっそうなんだ。そっか、知らなかった。違う旦那さんだったんだ・・・ I:うん。 S:え、でもその二十歳の頃の旦那さんの子供は? I:二人。二人いて、もう孫も。お姉ちゃんのほうは中学・・・今2年生の女の子。弟の 7 ほうはね、今、3つかな?4つかな?男の子。すっかり忘れちゃった。3つかな? S:いいな、二人もうお孫さんもいるんだ。 I:1人ずつしかいないの。 S:えっ、あぁそっか、上の子が一人産んで、下の子が一人。 I:うん、そう。 S:今の旦那さんのお子さんは? I:いないの。主人に連れ子二人いるけど。 S:そうなんですか。 I:お兄ちゃんが50。下の子が46ぐらいかな。こっちも子供二人。 S:じゃぁ子供が4人。いいなぁ。・・では、次の質問。健康でしたか? I:そうだね。今からね、あの子が小学校・・・だから、10年くらい前かな、扁桃腺の 手術して、後はお産くらいで病気はしてないかな。後は、風邪ひいて熱が出たくらい。 後は、ずーっとお仕事してるの。30から40、50、60・・・38年目。 S:仕事って、やっぱりママ? I:そう、ママばっかり。 S:何歳のときからお仕事始めたんですか? I:30。 S:じゃぁ、二十歳から十年間は子育てとか。 I:うん、そうそうそう。 S:旦那さん・・・元旦那さんは? I:うん、癌で死んだから。 S:癌か・・・おばちゃんが何歳のときに亡くなったんですか? I:私が?・・・私が・・32くらいの時。 S:お店始めたのが? I:30※ 。旦那が死んでから。(※ 計算が合わないが、大きな支障はないと思うので、聞 き直すことなく、先に進む。) S:その時お子さんはいくつだったんですか? I:う∼んとね、お兄ちゃんが6つ。うん下の子が年子だから5歳。男の子がね。 S:えっじゃぁ、チョー大変じゃん? I:でも母が預かってくれたから、一時ね。お婆ちゃんがまだ生きてたとき。だから、そう いう方は心配なかった。 S:お店はいつからやりたいなとか、興味持ってたんですか? I:えっ、そんなのない。食う為にやり始めたの。 S:場所とかは借りて? I:うん借りて。 S:お金とかは? 8 I:お金は貯めてたから。少しあったから。それで。使わないうちに始めた。うん。だか ら、貯金は大事よね。 S:ホントだぁ。 I:ヘソクリ持ってないとダメよね。 S:だね。 I:うん。ヘソクリ持ってたから何とか始まった。 S:保険かけてたから、お金、おりたの? I:そうだね、いくらかはいったね。 S:お客さんいっぱい来ました? I:いっぱい来ました。やっぱりねぇ。 S:どこでやったんですか? I:その時は鶴瀬でやったの。うん。(鶴瀬は、S が住んでいる所。) S:そのときって、そのお店、やっぱ、飲み屋なの? I:うん、飲み屋さん。こういうお店。 S:小料理とか? I:うん。一品料理。焼き鳥屋だったの。 S:えっ、おばちゃんが自分で作ってたの? I:うん。刺して。買って、自転車しか乗れなかったから、くしを自転車で買いに行って ね。今ならバイク乗れるようになったけど。そうして、こう、一生懸命、刺してね。 S:それで、お客さんはいっぱい来たと? I:うん、いっぱい来た。あの頃ねぇ・・・最初のほうは、商売下手だったから・・・1 00万くらいだったかなぁ・・・年収。 S:年収100万?チョーすごいじゃん! I:う∼ん・・・そんなんだったっけ。それから、一生懸命やって、もうやめる頃には3 00万くらいになってたの。 S:ずっと鶴瀬でやって? I:そう。15年くらいやって。 S:もう子供も、一緒に住むようになって? I:そう。家から学校通うようになってね。 S:すっごーい。 I:はははは。そうしてね、今度そこが立ち退きになってね。その前に、もうこの家建てと いたから。 S:ぷフフフフ。建てといたの? I:うん。建てといたの。この家を。土地買って、七万円で。 S:七万円? I:そう。ふふふ。あったの。 9 S:えっ鶴瀬と上福岡の間になるんですか、このお店は? I:そうそうそう。今はね、ふじみ野駅ができたけどさ。買ったの。 S:それで家を建てて。 I:だから、こんなね、もう、何十年も30年も経ったからこんなにボロになっちゃった けど、もう、40年も経つでしょ?三十何年も。だからもう・・・いつからこんなにぼ ろになっちゃったのか。 S:全然ぼろじゃないよ。すごいイイところ※ に建ってる!!(※ 今から8年程前に「ふじ み野」という駅ができてたくさん人が入ってきた。その駅の徒歩2、3分の所にこの店 があるから。) I:そうなの!!運が良かったのよ! S:超すごいー!! I:チョー運が良かったのよ!アッハッハハハハ・・・ S:すごいよホントに。何か、何かあるのかもしれないね! I:何にもないけどさぁ、チョー運が良かったんだよね。だから、私も「あぁチョー運が 良かったんだな」って思ってるよ、今さぁ。人には言わないよ?そんなこと言ったら自 慢になると嫌だから。私、ちょっと控えめだから。 S:ね。こういうお店やってる人って控えめですよね。自分の事を・・ I:そう、表出さない、控えめだからうまくいったんじゃない?多分そうだと思う。がん ばって仕事したから。 S:今の旦那さんとはいつ結婚したんですか? I:だから、旦那が死んでから、お店もって、それで今の旦那と知り合って、それで一緒 になったの。 S:すぐ・・・。その時旦那さんは何歳だったの? I:いーくつだったけなぁ・・・ S:あはは。おばちゃんが30の時でしょう? I:うん31だから、四十・・・48くらいだったかな。 S:えっすごい年上じゃん? I:うん、八個上。 S:八個上・・・8個・・・8個・・?・・38じゃん。 I:そう、38。私が31だから・・・そう、38。 S:そのくらいなら、ちょうどいいね。・・・カッコ良かったの? I:そんなことないよ。もう、どうでもよかったんだよ。暮らしに疲れて。 S:疲れた!? I:疲れるよ、やっぱ毎日仕事してると。そう、そうだったの。 S:そうか・・・・すごいいっぱい話し出てきちゃったね。おもしろ∼い! I:疲れちゃって、どうでも良かったのよ。 10 S:え∼・・・死にたいとか思った? I:思わない!もう、なんとしてでも生きなきゃって思って、お金貯めなきゃって思って。 S:お金を貯めなきゃって思ったの? I:思った。お金が頼りだと思った。お金がなきゃ生きられないと思って。だから、私が お店始めるとき母に子供預かってもらったとき、母が、ここん所※ に(※ おでこを指差 しながら。) 「お金」って言う字を書いとけって、金の為に仕事をするんだっ!って。 S:それはどういう意味で言ったんだろうね? I:だから、飲み屋なんかやってると、男狂いするでしょ?そんなことになったら子供が かわいそうだから、お金と、生活って。子供なんてね、変なことしたら家で面倒なんか 見ないで、店へほっぽり投げてやるから!って言われた。そう・・・ S:お母さんて、いい人でしたか? I:いい人だったよ。本当に、うちの母はいい人でね。苦労人だから。とってもいい人で ね、人に嫌なことは一切しないし、言わないし。控えめだし。もう、何て言えばいいん だろう、器用だし、物が良くできたし。編物でも、お裁縫でも・・・・いい人だった。 S:その母親に育てられた? I:私?う・・ん、育てられたって言うか、産んでもらったというか。ただ、それだけだ ね。だって、父が早く死んじゃったから、私が小学校のときに死んじゃったでしょ?う ん、六年生のときにね。だから、あとは働かなきゃいけないんだから。家中で働かなき ゃならないんだから、そいじゃなきゃマンマ食っていけないんだから。昔は貧乏だった から。 S:そうか、お母さんと、兄弟5人で暮らしてたから・・・ I:そう、6人で暮らしてたわけだからね、頑張って働かなくちゃ。食べていけないから。 そうやってね、まあ大人になってからは、まあ、30からは、まぁなんとかこうやって 自分で仕事やり始めてからは、楽になったけど。まぁ自分の行いも良かったんじゃな い?好きな・・・自分だけ好きなことしなかったから、周りに善くしてもらったと思う んだ。 S:何か、二十歳二十歳って、申し訳ないんですけど、二十歳の頃は、お母さんとかとの 関係は・・? I:お母さんも働いていたし、自分も働いていたし、遊んでいる人なんて1人もいなかっ たから、うちは。 S:どういう感じでお母さんのこと見てました?やっぱり、いい人だなぁって? I:うちの母はとってもいい人だよ。他のお袋と比べると。うちの母が一番いい人だった ような気がする。他のお母さんなんて、子供のことよく怒ってたし、隣のおばちゃんな んか男狂いしちゃったりしたからさぁ。だから、隣でもあったの、そういうのが。どう して、違うおじちゃんとこ行っちゃったの?って、知らないからねぇ、言うでしょ。そ したらね、うちの母が口抑えたの。余計なこと言うなって、意味なんでしょ?後家婆が 11 育てた子供だって言われないように!恥ずかしいことはしてはいけない!って言われ たの。お父さんが早く死んじゃって、女1人で暮らしているでしょう?そうするとね、 近所のおじさんがたに・・・間男って言うか、こう・・うわさがたつと大変でしょ? S:マオトコ? I:間男。こう・・後家で、1人でいると、よその男の人が、夫がいないからって寂しい からって、ね、おばさん遊ぼうよって。ね、誘惑しにくるわけ。だから、母は家に入れ なかった、男の人を。うん。 S:へぇ・・・・・ I:そういう時代だったの。だからね、自分のことより母がね、後家婆がね、育てた子だ って言われるような、ふしだらな子にはなるなって。 S:その通りにした? I:その通りでもないけどね、でも、親の言うことだけはいつもここ※ には(※ 胸の辺りを 手で押えながら)入れておいた。お金のことと、ふしだらと、礼儀作法だけはここに入 れてた。ね、それだけはいつも。 S:じゃ、もう・・・その頃は、反抗とかなかったの? I:反抗する間がない。お仕事しなきゃなんないし、お金稼がなきゃなんないし、お裁縫 も習いに行かなきゃなんないし。だから・・・反抗する暇がなかったね。母1人だから かわいそうで反抗なんかできない。 S:しかもお母さんも一生懸命・・・ I:働いてるし、助けなきゃなんないし。お風呂沸かしたり、御飯炊いたり、母が疲れて 帰ってくるから。昔、母親が働くところは百姓だったから。 S:百姓って言うとどういう仕事? I:う・・・ん、昔は耕耘機がないから、策きりしたり、草取りしたり、種まいたり、そ ういうことするの。 S:それで、お金がもらえると・・・ I:お金がもらえるの。一日。だから、暗くなんないと帰ってこない、手や草が見えるま で仕事してるから。真っ暗になるまで働いて帰ってきた母に、御飯炊いたり・・・。昔 は。お新香と、梅干と、味噌汁があって、そのくらい・・あと、納豆売りがきたら朝買 って食べられるっていう、母がもらってきたお金で。そのくらい。んふふふふ。 S:えっ、でもそれが普通だったんだよね? I:よそのうちは違うよ?よそのうちは、もっといっぱいお肉があったりしたろうと思う よ?ん・・私ん家は、お婆ちゃん家で、鳥を殺したときしかもらえないから、お肉が。 S:お婆ちゃん家・・・? I:ん、お婆ちゃん家って言うのは、うちの母の旦那だから、私たちの父親のお母さん。 お婆ちゃんが傍にいて、お婆ちゃん家で、鶏飼ってるでしょ?そしたらそこで、殺した ときもらえるの。 「鶏殺したから持って来たよ。」って。持ってきてくれるの、お婆ちゃ 12 んがね。 S:お爺ちゃんは? I:お爺ちゃんは死んじゃっていないの。お婆ちゃんだけがいて。あと、おじさんとおば さんがいて。父親の兄弟と住んでたから。んで、私たちは、道路のこっち側に住んでい て、道路の向こうとこっちにね。 S:別々なんですね。 I:兄弟だからね、みんな所帯持ちでしょ?お婆ちゃんは、おじさんの家に住んでたから、 鶏を持ってきてくれたの。うちは父が死んじゃって、買えないから。父が生きてるとき は良かったけどね。 S:やっぱり、父親がいるといないじゃ、違いますよね・・・ I:違うね。今度、でも、兄貴が働くようになってから、よくなったけどね。だんだん子 供は大きくなるから。んふふふふふ。 S:そういうもんなんだなぁ。 I:うん。そういうもんなの。 S:だって、ね、お母さんと一緒にいたの20年間だけですよね? I:うん、そうそう。ね、ずっと暮らせたのはね。そういうもんなのよ。今はね、あなた たちは、学校でるまで、23,4まで一緒にいられるかもしれないけど、昔は貧乏だっ たから、早く、一人でも早く出せば楽になれたの、食べる物でもなんでもね。その頃は ね。今はもう、物が豊富だから、そんな馬鹿なことはないけどさぁ。 S:逆に、家の外に出すと危険とか言いますよね? I:う∼ん、出したくないよね∼。・・・そういう時代だったの。・・・だから、青春時代 って何だったのって考えても、働く為に生きてたんだなって思うよ。 S:お金のために・・・? I:うん、お金の為・・・。だから、正直言って、今が一番楽かな? S:楽?贅沢とか? I:贅沢はしたいとは思わないから。贅沢・・・って言ったら、30代、40代、50代 かなぁ。50までに、ん・・・指輪から、着物から・・ねぇ、洋服はあんまり好きじゃ なかったけど。だから・・・そんなものは手にはめ切れないほどあるし、ネックレスで もプラチナのこーんな長いのもあるし、それからあと、真珠やら、指輪だって、こんな でっかい真珠にダイヤがくっついたような・・・みんなあるけども、していく所もない し、買うだけは買ったけど。 S:えっ、お店でするんじゃないんですか? I:お店でなんかしないよー。壊れちゃうでしょ、こんなところで水ジャージャーやった ら。そりゃ、ママだけやってて、後は板さんにお任せっていうならいいけど、全部自分 でやるんだもの。 S:人雇ったときって、どういう人を雇ったんですか? 13 I:そりゃ、やっぱり、お姉ちゃんたちがお店で動くから。私は中で、作るもん作ったり しなきゃなんないでしょ?焼いたりなんか。だからお洒落なんかしてられない。お姉ち ゃんにはお客さんの相手してもらったり、帳面つけてもらったり。私は中で、お料理作 ったりね。 S:え、そんな健気だったら、男の人からモテたでしょう? I:そんな、健気でもないんだけどさ、それが自分の課せられた仕事だと思えば夢中にな ってできるでしょ?若いときは。今はもう不景気で暇だからどうでもいいけど。フハハ。 S:今はやっぱり不景気なのかぁ? I:そーよー。不景気でこんなに人来ないじゃない。昔はこのぐらいの時間※ (※ 21時く らい)にはもう、いっぱいだったわよ。もうね、不景気になったのは、3年・・4年前 くらいかなぁ・・。 S:じゃぁ、急に? I:そう、急に不景気になった。ここ2年ばかりね。だから・・・こんなに人がいないな んて・・・変よ。 (しばらく景気の会話が続く) S:あぁっ、何か随分話が膨らんじゃった。ちゃんと二十歳の事聞かないと・・・ I:二十歳の頃はね、ただ働くばっかりで、青春時代っていうのは、ただ元気健康で、き れいにしてお勤めをして、う∼ん・・・たぶんそれが私たちの青春時代だったと思うよ。 うん。たまには、映画にも行ったけど。 S:映画?映画ってどんな・・・? I:『君の名は』※ 。毎週ラジオで聞くんだよ。一生懸命、夜ね。(※ 菊田一夫作の連続放 送劇。NHK ラジオで 1952∼54 年放送。氏家真知子と後宮春樹の非恋を描く。のち映 画・テレビドラマ化。) S:ラジオで?映画は? I:ラジオで。映画は、映画館で。 S:おもしろかった? I:面白かった・・・ていうか、良かったよ。泣き泣き見てたから。 S:ラジオは声だけ? I:そう。ラジオは毎週泣き泣き聞いていた。あの佐田啓二※ っていう。今、いるじゃない、 息子が。なんつったかな・・・何とかキイチ。 (※ 俳優で、同じく俳優の中井貴一、中 井貴恵の父。 『君の名は』 『喜びも悲しみも幾歳月』等に出演。1964年、交通事故死。 享年37歳。) S:中井貴一? I:そう、その人のお父さん。 S:その人が映画に出てたの? I:そう。だから、30・・・いくつで死んじゃったの。そうして、子供産んで・・・お 14 姉ちゃんと二人・・・そうそう・・・。そういう映画がちょうど私達の青春時代だった かな。うん。まだ、だから、そう。家のほうは田舎だから、洋画なんか来ないで・・・ うん、そういう・・・ S:テレビとかは? I:テレビなんて無いよう!!なぁに、言ってんの!!全然ないよテレビなんか。ないな いないない。ラジオがある家は上等なほう。今みたいにカセットとかそんなの何もない んだから。うん、貧乏人の家には、ラジオもなかったの。 S:そか。無いか。ごめんね。・・本とかは? I:本なんかは本屋さんに売ってたよ。でも、なかなか本なんかもお金に余裕がないから 買えないでしょ?だから、お友達が読んだカスを借りて、ね、そんで、こういうのを読 んだから貸してあげるよって、それを借りて、読んだわけ。 S:心に残ってる本とかありましたか? I:心に残ってる本・・何かあったかな?・・忘れちゃったな。本読む時間もなかったし ね。ちょっと記憶にないなぁ。 S:じゃぁ、やっぱり、『君の名は』って言う映画が頭に残ってる・・? I:残ってるねぇ、映画だけはねぇ・・・うん・・ S:その頃、趣味とかは? I:趣味は編物。母が好きだったから。着物縫いに行ってたから、仕事で。 (90分の半分使い切って、テープが切れた) S:テープも変わったから、質問も変えて・・・天皇陛下ってどういう存在だったんです か? I:天皇陛下?その頃?もうまぁ、天皇陛下は大切な象徴でした。はい。雲の上の人でし た。もう、この世に、あんな偉い人はいないと思ってました。えぇ。 S:二十歳の頃は、終戦後ですよね? I:終戦後。 S:その時も天皇陛下は雲の上の人だったんですか? I:そう、その時も。 S:戦争に負けても? I:うん。 S:天皇陛下のために戦うようなものだったの? I:そうだよね、そういう風だったよね。 S:日常には関係あるの? I:ん・・・関係ないけど・・・写真が飾ってあったし。神棚の横に。 S:横に?すごい。 15 I:昭和天皇のね。だから、それでいいもんだと思ってた。偉い人だと思ってた。母なん かもちゃんとお辞儀してたしね。 S:そうなんですかぁ・・・。あの、宗教とかってあったんですか? I:宗教?家は、宗教とはいえないけれども、あの・・木曾の御嶽山を信じてたから。 S:木曾の御嶽山?えっどういう人ですか? I:どういう人だったんでしょう。うちは、父が生きてるときから木曾の御嶽山は飾って あったね。 S:え、どういう人なんですか?私、全然知らないんですけど、有名な人なんですか?誰 かに聞けば分かりますかね? I:そうね、聞けば分かるかな・・・。 「木曾の御嶽山木曾の御嶽山」って言って、真っ黒 い「百草」って言う薬があったの百の・・草が入ってて、煎じて、煮詰めた真っ黒けの、 クマノイ 硬い苦い薬が。熊胆みたいな。 S:漢方みたいなものですか? I:うん、漢方だよね。それは、もう何でも効いた!効くって言われて、それがこう・・ 丸いたまっころが竹の皮に包まれててねぇ、そんで、ここんところを折ってね、ぽちっ とちぎってもう、このくらい・・おなか痛いと飲まされ、頭痛いといったら飲まされ・・・ S:治った? I:治ったような気がする。うん、そういう風に思ってたんだね。治ってたと思ってたん じゃないの?今みたいな薬はないからねぇ。そういう家だったの。それも、その頃より、 何年か経ってから、今の天皇陛下、平成天皇が美智子さんと結婚するとき。今のよ?今 の天皇陛下が結婚したときよ?今の皇太子がうまれるときよ。そして、それを一生懸 命・・・それがテレビが家になくってね、そんで、前の家で見せてもらったの。前の家 で。あはははは。 S:どういう気持ちで見るんですか? I:だってさぁ、みんな馬車で通るんだけど、そこへ、見に行けないから、それをテレビ で映すでしょ?だから、テレビで見たの。(女性客が1人来た。)あらぁ!おかえり。 S:うれしかった? I:うれしかったね。きれいで。きれいだった。 女性客:私、コーラ。 I:はい。・・・・・・ S:こんにちは。 女性客:こんにちは。 I:どうだった?用事は済ませてきた? 女性客:あぁ・・・ (一旦、テープを切る。しばらくしてお客さんが帰ったので) 16 S:二十歳の頃は、好きな音楽とかありましたか?ラジオはあったんですよね。 I:ラジオはあったんだけど、 ・・その頃は、流行とかそういうのが全然なかったの。聞か ない・・・・家にはラジオがないから、テレビもないでしょ?だから、鳴ってる物が何 もないんだから。 S:誰か奏でてたりしなかったんですか? I:ギターなんか貧乏で買えなかったんだから。でさ、そういう若いときの話・・二十歳 前だとないんだよね。 S:じゃぁ、一番驚いたり、感動したりしたことはなんだったですか? I:感動?いやぁ、終戦後でうれしくて、それが一番うれしかったんだろう。戦争がなく なって。 うちの家から軍事工場をさ、機銃操作っていって、 「バババババー!!」ってアメリカ の飛行機が、撃つの!それが家の、屋根の家の後ろっからサツマイモ畑に「バラバラバ ラー」って落ちるのね。それでおわったから、そういうのがなくなって、すごくうれし かったね。それが・・・感動かな・・あぁいうのって感動って言うのかなぁ?子供の時 だから、もう色気がついて、年頃だからねぇ、うれしかったね、自由になれるって。 S:そうだよね、ずっと自由じゃなかったんだもんね。 I:本当にうれしかった!そういうのが感動っていうのかな?あの頃だったらば。今はも っと色んな感動あるけどねぇ。 S:男の人っていうのは、やっぱ、終戦っていうのは悲しかったんですか? I:男の人もうれしかったんじゃない?もう兵隊っていうのがないから。戸主が赤紙が来 て、すぐ連れて行かれたから。 S:じゃぁ、戦争の価値観は、反対って言う感じだったんですか? I:いや、その時は戦争反対なんかできない。だ、みんな軍事工場に働きに行ってたから、 兄たちは。戦争反対なんかとんでもない。 S:でも、頭の中では思ってたんですか? I:そんなこと考える頭がない、今みたいに。今の子達だったら、他からたくさん知恵が 入ってくるでしょ?その頃はもう、本当に兵隊に行って、女の子はちゃんと旗を持って 送って、で、あの、家で畑仕事をして、百姓して色んなものをとって、食べて、ってい う風に決まってたから。そんな考えはなかった。そんな人がいたら、すぐ、連れてかれ ちゃう。憲兵に! S:ケンペイ? I:憲兵って言うのがいたの。兵隊さんで。憲兵っていうのは昔・・・今でいうと、何な んですかね? 父:う・・・ん、憲兵って言うのは・・要するに今で言う・・警察・・自衛隊にも警察あ るんですけど、そんなようなもの・・・(父は自衛官。少し前に、心配して稲葉さんの お店に乗りこんできた!仕事帰り。) 17 I:あぁ、そうですか。その憲兵って言うのがきてね、すぐ連れて行かれちゃったの。私 達、憲兵って言ったら、兵隊さんのおまわりさんだと思ってたの。 父:うん、そうですね、あの頃は、軍が仕切ってたから・・・ I:そう、兵隊さんのおまわりさんだと思ってたから、母が「兵隊さんのおまわりさんが 来るとおっかないんだからね、もう「何にも余計なことを言っちゃいけない」って言っ て、そんなことは一切言わなかったし。 父:言うことも考えられなかったんですよね?ちっちゃい頃からそういう教育受けちゃっ てるから? I:考えられなかった。もうね、『修身※ 』って言ってね、国で決められたことが全部書い てある本があってね、それを読んで、いい子ぉにしてた。 (※ 旧制の学校の教科の一つ。 天皇への忠誠心の涵養を軸に、孝行・柔順・勤勉などの徳目を教育。1880 年(明治 13 年)以降重視され、第二次大戦後廃止。) S:それが普通だった? I:普通だった。 S:そういうのに反発する人はいなかったの? I:いない、いない、いない。あれ、でも昔に・・・赤旗って言うのがあったんですよね? (父に対して。 ) 父:そういう学校の先生みたいのがいたんですよね。 I:でもそういうのは目立たなかった。 父:でも、あれは、他の国から来た間接侵略みたいなもので、敵国のほうから、スパイが 入ってきて、何ていうのかな、教育する人間に対してね。 S:あ、革命みたいなものかな? I:だから、そういうのが怖いから、そういう人は、だ∼れもいなかったのよ、田舎だか ら。どっかにいるうわさは聞いたって、子供だから教えないし、終戦後になってね、あ の人は赤だったとか・・っていうのが出てきたりしたけどね。でも、そんなこと戦争中 に言ったら、すぐ連れて行かれちゃう。おっかないからね。だまって、ちっちゃくなっ て、 「お国のおっしゃる通り」って生きてたの。だから、そんな頭があるもんだから、 青春時代なんかみんなそうだったの。でもさ、アメリカのB‐29 が来なくなったのが うれしかったわねぇ。 S:そういううれしさ・・・ I:そう。そういう・・・そうして、その後、きれいな色のお洋服が着られるようになっ た。 S:色の洋服着ちゃ、いけなかったんだ。 I:そう、着ちゃいけなかった。いつもカーキ色のお洋服着てたの。 S:カーキ色って? I&父:カーキ色ってねぇ・・・ 18 S:黒と白? I:違う・・・こんな色・・・うん・・北朝鮮のあの人が着てる色! S:ぎゃはは。分かる!分かった! I:そう、着てるでしょ?あの北朝鮮の一番偉い人が。そう。昔の軍服。あの色。 S:わはは。そういうの着てなくちゃいけないんだね。 I:そう、派手なのはいけない。茶色とか、黒とか、カーキ色・・・ S:それは何のためですか? I:何のためって言われたら・・・・・う・・・ん、目立たない為!! S:何に対して? I:う・・・ん、何に対して・・・・B‐29!派手なの着てると周りもうるさかったし ね。国でも決まってたし、だから、カーキ色って決まってた。 S:みんな? I:そう、みんな。もう・・・着られなかったの。 父:昔はアスファルトなんてないから、地面は土だから、生きる為に。 I:昔はね、生きる為には目立たない。 ・・っていうのがね、鉄則だったねー!私達二十歳 ごろまでは。うん。でももう18くらいになったときに、あの、今言った通り、あの・・・ 『君の名は』がね、流行った頃だったから。それがうれしくて、楽しかったかな。 あとは、近所に桜が咲いたらお花見。それまでも咲いたらうれしかったけど、それまで 眺める時間がなかったからねぇ。お月様だって、眺める余裕なんてなかったからねぇ。 子供のときなんかあれでしょ?遊びに夢中だったからもちろん見なかったし、ちょうど 年頃になって、15,6過ぎてからそういうおっかない思いばっかりだったから。だか ら、青春時代っていうのは地味だった。でも・・・それでも、若さだよね、楽しかった から。ウキウキしてたから、いいんじゃないかな。戦争終わって。 S:なんか、やっぱり、がらっと変わるじゃないですか? I:変わるね。 S:今まで、こうやってきたのに・・・って・・・? I:子供だからね、半分ね・・・ 父:お母さんに電話してきたから。ゆっくり。 S:あっ、はい。ふふふふ。ありがとう。 I:ふふふ。半分大人になりきれない。あの、ほら、今みたいにませてないから。何にも 知らないで大人になってるから。ほら、情報もないからね。本だって、女の子は色気の 本だって読まないから、今みたいに無いんだから何にも。あるのは『ノラクロ』の漫画 くらい。 S:のらくろ!ふふふふ。 父:のらくろ一等兵。 S:のらくろって犬じゃないの? 19 父:犬だよ。 S:のらくろって一等兵なの?ははは!知らなかった! I:そういう・・アニメっていうか、漫画とかあったけど、そういうふうだったんですよ。 父:もう一杯ください。 I:はい。 ・・・・・・だから、今じゃ・・・なんかなぁ・・信じられないような話だけど、 そうだったの。 S:その時、憧れてた人って、どんな人だったんですか? I:憧れってどういう?その、好きだった人とか? 父:尊敬できる人? S:うん、尊敬できる人。うん。 I:尊敬できる人・・・学校の先生だったのかな。 S:どういう人だったんですか?その先生は。 I:ん、ただの受け持ちの先生とか。 S:どういうところが尊敬できたんですか? I:やっぱり、ほら、知らないこと教えてくれるから。知らないこと。 S:先生は世の中から見てもすばらしい人だったんですか? I:いやぁ、それはわかんない。今考えたら。素晴らしくなかったのかもしれない。ただ、 ちょうどね、その先生が自分の好きな「社会」の先生だったから、そういうので好きだ ったんじゃないかなぁ。 私、音楽好きだったけど、音楽の先生には嫌われてたからダ メだったけどね。そういうこともあったよ。社会の先生はいい先生で、私は好きだった んだよね。だから、その頃尊敬する人っていったら、学校の先生だったんじゃないかな ぁ。身近にものを教えてくれる人がそういう人しかいなかったから。今だったらね、知 識一杯だから、そんな馬鹿なこと無いけどね。うん。 S:世の中から否定される人って、いたんですか?あいつは、馬鹿だとか。 I:される人?その頃?・・・・わからないなぁ・・・ 父:今で言う、あれでしょ?御免なさい・・・口挟んで。あれでしょ?誘拐とか。 I:情報がね、今みたいに何にも無いんだから、新聞に、新聞は家は貧乏だったから取れ なかったから、おじさんちに行ってもらってきてね、古新聞を。それを読んだぐらいだ から、どっかの子・・・そこの子が何か悪いことして逮捕されたってよって、村でそう いう話があると、新聞をもらってきて、読んだぐらいで、後は・・・何にも無かった・・・ S:じゃぁ、平和だったんかなぁ・・・ I:そうだね。でも、平和っていっても、ん・・・ジョンソン基地が近かったから、アメ リカの兵隊さんがいっぱい入ってきてたから、その人たちが、近所の娘さんを監禁しち ゃったりして、そういうのがいっぱいあったの。だから、夜はもう外へ出ちゃいけない とか、黒い人がくるとか、来てるとか。だから・・・電車に乗ってきて、遊ぶ・・・指 定地って言って、芸者町があったわけ。そこへ、みんな遊びに来るでしょ?だから帰り 20 に、いいのが当たんない人は・・来るとかって、だから、女の子は外に出ちゃいけない って。 S:あれか・・芸者町で女の子がいないと? I:犯されたり・・・ S:あぁ、怖い怖い!! I:だから、今でも沖縄とかであるでしょ?だから、あぁいうのと同じよ。だから、昔は 家の近所なんかはジョンソン基地があって、今はもう、進駐軍の人は来ないけど、所帯 持った人ばかりだけど、昔はそうだったの。怖かった。だから、今の沖縄のあれは、よ く解るよ? S:怖いよね・・・・ I:そういうのは、やっぱりね、今でもね、忘れられないね。 S:芸者さんの友達とかいたんですか? I:いや、まだこどもだったから、でも、今考えると、やっぱり、芸者さんに相手にされ ないと、だから、帰りに襲ったんじゃないの?沖縄だってそうでしょ?自分の思い通り にならなければね、そういう夜遊びしてる子を襲っちゃうんだから。だから・・・私た ちの頃は、夜、外に出なかったね。だから今は自由よ。ねぇ。そういうこと考えると。 S:今考えるとですよね? I:今考えるとよ?だから、今こういう話が出てこなかったら、思い出しもしなかった。 忘れちゃってるからねぇ。 S:つらいしね・・・・ I:そう・・・・・・・ S:・・・ I:ははは。話がそれちゃったわね。 S:んんん。じゃぁ、ちょうど、出たから、外国に対してはどのような思いがあったんで すか? I:二十歳頃?外国の事なんか考える余地無かった。知らないしね、外国がどういうとこ ろだかも知らないし、行けなかったし、海外旅行なんかも無かったしね。 S:じゃぁ、外国って言うと、頭に浮かぶ代表的な国は? I:二十歳の頃?アメリカ!それしかなかった。 S:宇宙とか考えなかったんですか? (・・・・と、これを打ってる時(23 時 30 分くらい。 )に、ワシントンの国防総省と、ニ ューヨークの世界貿易センターが、テロにあった!すごい。戦争になってしまうのだろう か・・・怖い。嫌だ。このレポートも出せるのだろうか・・・みんな死んでしまうのでは ないだろうか・・・・・・まあ、とりあえず、続けよう。) I:宇宙なんてとんでもない。知らなかった。月だ、太陽だ、お星様だくらいだね、あと は、雲と風くらいだね。あとは、何にも知らなかった。 21 父:随分難しい質問ばっかりだね。 S:おもしろくて、すごく!えへへ。あと、ちょっとです。えへへ。 その時、 ・・満足していましたか? I:それなりに満足していたと思います。うん。 S:満足できなかったことはありましたか? I:うん、今考えれば、もっと飛び跳ねて遊んで歩きたかった。 S:今考えると・・? I:うん、ね、でもそのときはそれで満足してた。知らないんだから、世の中を。ね。そ れでまあ、いい着物が着られるようになったし、いい帯を締められるようになったか ら・・・それで良かったね。 父:そうですね。 I:生きてきて、それで今幸せなら、それでいいのかな、って思ってるの。今、健康だか ら、どうやら。糖尿病だけど。ほほほほほ。 S:糖尿病か・・・週に何回も病院行かなければいけないんですか? I:んン。二週間に 1 回。 S:あっ二週間に 1 回?いいな。すごくいい。ホントに!なんだぁ、そっかぁ。健康だね。 I:うん。二週間に 1 回。糖尿病でも、週に 2 回も 3 回も透析する様になったら大変だけ ど、だから、そういう風にならないように努力してるの。 S:どんな努力? I:お医者さんの言うとおり、お酒もほどほどにして、無理しないように、薬をきちっと 飲んで、二週間に一回ちゃんと病院行って診察してもらって、血を採って、検査して。 S:ちゃんとやってますね、って。 I:はい、ちゃんとやっています。そういう、ね、してるわけ。 S:やっぱね、病気になりたくないですものね。 I:なりたくない。死ぬまで元気でいたい。ころっと死にたい。 S:ね!!ころっと死にたい!! I:はははははは。そう願ってるの。二回ぐらい寝てもいいな、って思うけどね。でもそ れ以上は。ころっと死にたい。でもね、ヨボヨボになってね、馬鹿になって判んなくな んないと、死ねないのよ。 S:ころっと死ねるよ!きっと。たぶん、ここら辺で(カウンターで)死ぬんだよ。 「やだ ーお客さん。」って言いながら、ころころっと。 I:それなら尚うれしいけど、そうはいかないよねぇ・・うん、息引き取るには結構時間 かかる・・うちの母もそうだったの。 S:そうなの?・・・お母さんはいつ亡くなったんですか? I:うんとね、97で死んだの。 S:ふふふ。長生き∼! 22 I:うん、97。長生きした。 S:ずっと元気だったんですか? I:うん、ずっと元気だったんだけど、最後の半年ぐらいにヨレヨレになって、やっと死 ねたね・・・。心臓が丈夫で死ねなかったの。だから、お粥をこうやってたらすように なって、物が口、入んなくなっちゃってね。だから、重湯をたらすのね、点滴で。そう して、生かしてたの。そういうことしなかったら、もっと早く死ねたんだけど!だから、 早く死なせてやりたかったね。 S:病院行かなきゃ早く死ねたのにね。 I:そうだよねぇ、病院行かなければねぇ。でも、入院させずにはいられないでしょう? 見てて、可哀相で。ね。どっちがいいかってね・・・ 父:難しいですよね、医者っていうのは人の命を・・ I:生かしますからね。そうです。だからね、それをしちゃったから、入院させてね、で、 もう、兄が大事な母だったから、母しかいなかったからね、兄が入院させたんだけど、 途中からもう「これ(重湯)外してくれ」って頼んだら、自殺行為だから、一回始めち ゃったらね、外せないって断られたの。だから、病院に入院したら、そういうものを入 れますか?っていわれた時そういうことしないで、自然のままがいいですって、言わな きゃダメだって。 はっきりとね。点滴は仕方ないけど。口から食べたいから、そういうものを入れますか? って言われたら、それは反対するの。それしないでも点滴でいいんだから。そうすると、 心臓が丈夫でもそれなりに弱ってくるから。体力がなくなるから。そうでないといつま ででも生きてて、生きてるのはうれしいよ?親だから。でも可哀相で、そばで見て、可 哀相で。人間には本当に、 「私は死にたい」って言ったら死ぬ権利を与えなきゃ可哀相。 父:その時は、見てるほうが。本人は苦しいかもしれない。でも、その苦しいのを見て・・ I:助けてあげなきゃいけない。 父:助けるのは、生かすのより、その苦しいのを、楽させてあげることがね。 I:そうそう、だからね、死ぬ手伝いもしてあげなくちゃ。と、私は思いますね。 S:楽させてあげることがね、死ぬことだったら。 I:そう、死ぬことだったら。生きてたって、しょうがないんだから。いいのよ死んだほ うが。でも、死ぬまで、頭が狂わなくて、元気だったから、無意識の内に・・・何てい うんですか?あれ・・・こう生きてるだけ。 S:植物人間・・・? I:植物人間みたいになるでしょ?最後は。そういう風になったときに、もう殺してあげ たほうが。それが、子供が、親孝行だと思う。私はね、そう思った。 S:自分が死ぬときも?そういう風になったら、殺してほしいと思いますか? I:殺してほしいじゃなくて、重湯を垂らさないでいてくれればいい。栄養をね、そうす ればそのまま死ねるんだから。・・・・・まだ若くて、解らないだろうけど。現実にぶ 23 つかんないと、ちょっと解らない。現実にぶつかったときじゃ遅いんですけどね。 父:現実にそうなったときに、子供たちが生かしてくれたなら、身体的にはつらいかもし れないけど、精神的には、子供たちに、こうまでして、生かしてくれてありがとうって 気持ちでいれればいいと思う。 I:そうですね、そういう気持ちで死にたいですね。 父:一つは楽さしてあげたい、でも子供から、そこまで一生懸命、色んな手を尽くしてこ れからがきつくて、苦しくて、死にたいんだけど、一生懸命生かしてもらってる、精神 的なうれしさって言うのはあると思うよ。 I:判るうちはいいけど、判んなくなったら生きてる必要ないでしょ?でも、最後は判ん なくなんなきゃ死ねないから。 父:だから、そういうのを、医者が判断してくれればいいんですけどね。 I:ところが、医者は切らないんです。だから、私はね、「医者の金儲けだ!」って言った んです。 父:医者は最終的には、命を助ける使命がありますからね。 I:そう、医者はそう言うんですけど、私は、兄に「医者の金儲けだ!」って言って、食 って掛かったんですよ。「だって、しょうがないだろ!医者は・・」って兄は・・もう 喧嘩ですよ。だけど、兄はお医者さんに言われてきたんだからしょうがない、私と妹は、 直接聞いたわけじゃないんだけど、 「こんなことしてたら可哀相なんだから!重湯、止 めればいいじゃない!重湯はいらないのよ、もう!」って言ったら、「解ってる!俺も そういう風に医者に言ったんだ!」言ったんだけど・・・ね、「お医者さんがダメだっ て言うんだからしょうがないんだ。 」って。だから、最後、生きられるだけ生きて、や っと死ねたっていう。だから、その、死ねるのに半年かかりましたね。可哀相だったね、 半年間は・・ホントに。 S:その半年までは、元気だったのにね。 I:半年まではね。だから、そうなってからの半年間は、殺してやりたかったねぇ・・・ 私は母を。死んじゃったら悲しいけど、97だったから・・あと一週間で、98だった の。そうなるとあと一週間生かしてあげたかったけどね。ふふふふふ。矛盾してるよね。 うん。そういう、可哀相だったの。そうだったんだよ。 S:人を殺したいって思ったことはありますか? I:殺したいって、思ったことはないねぇ。ぶっ飛ばしてやりたいって思ったときはあっ たけど。 S:そのぶっ飛ばしてやりたいって、思った人はどういう人? I:酔っ払って、グズ言ったから。お客さんが。ふふふふふふ。 S:え・・あの、お客さんのことは、あんまり話せないですよね? I:話しますよ。うん、いろんな人がいたって言うことをね。今だから話せるって言うか ね、ここんとこ10年くらいは、ああいうこととかこういう人がいたとか、話せるよう 24 になりました。60過ぎてからね。 S:周りの人たちの娯楽ってなんだったんですか? I:娯楽!娯楽・・・あの頃は何だったろう。 ・・・娯楽なんかあったのかなぁ。娯楽・・・ 二十歳過ぎてからかなぁ。22、3の頃・・昔のあの、歌を歌うようなところがあった よねぇ、「山小屋」って言うのがあってさ、広いところでねぇ、大勢いて、そこでみん なで歌を歌ったて言う、そういうことがあったねぇ。そんなんが娯楽かなぁ。後は、映 画館と、うん、そんなものだったねぇ。 S:おばちゃんは何やったの? I:私は地味だから、そういうのを横目で見てるだけ。ははは。 S:ははは。でももう、好きな人いたんだもんね。それ、娯楽だね、きっと。 I:そうだね。きっとね。それが娯楽だったのかな。それで結婚したから。それでいいん じゃない?ふふふふ。他に何にもないから。でもそれで楽しかったから良かったのよね。 ダンスホールっていうのもあったわよ。派手なところには書いてあったりしてたんじゃ ない?。ただ私たちは貧乏人の子供だったから、行けなかったけど。そういうのもあっ たね。 S:そういうところに、アメリカの人達とか来てたんですか? I:うん、来てたましたよ。 S:その頃、何か、大切なものとかあったんですか? I:大切なもの?その頃は、お友達お友達とかなかったからねぇ。だから、お友達が大切 だ、とかなかったし、うん、大切なものって言うのは、自分じゃなかったのかなぁ。 ・・ 自分だったわね。あとは・・家族。うん。あと、大切なものね、うん・・・いい着物!! あは。どっか着て行くのにね!いい着物がないと。あと、桐のいい下駄と・・。うん、 いい着物だったね、大事だったの。ちゃんとタンスにしまってたから。うん。ほら、宝 石も持ってないしね、その頃ね。だから、大切なものって言ったら、そんなとこだねぇ。 父:お母さんが着てた着物とか。 I:そうそう、自分の着物が・・・帯と着物とね、白足袋と、桐の下駄と。それが、大事 なものだったのかもしれない。今みたいに、あの・・・バックのいいのだとかさ、そん なの無いんだから。風呂敷だから。ふふふ。 S:かっこいい! I:ははは。風呂敷だったの。それだけ。その頃はね、紫の風呂敷が流行ってたの。 S:あぁ∼!何か、昔の映画とかで出てくる風呂敷って、だいたい紫ですよね。あれ、流 行ってたんですか?! I:流行ってたの。とても大事なものだったのよね、今考えると。 S:その頃は、自分のことは、どう思ってたんですか? I:私?二十歳頃?多分私・・・おとなしいと思ってたんじゃないかなぁ。あんまりでし ゃばりじゃなかったしぃ。でも、おしゃべりだったの。 25 そう、自分に対してのね。親に言われたらその通りにする・・・。そういうところはあ オ ハ ネ ったね。誰も見てないときは御跳ね※ だったの!一人で!縄跳びしたりした!!あはは ) はは。木登りしたり。すごいね、おてんばだったの。 (※ おてんば娘。はねっかえり娘。 S:友達は? I:友達がいるときは、いい子にして。おとなしくして。誰もいないとね・・裏のね、イ チジクの木登ったり。うん、柿の木登ると折れるから怒られるから。そういう風だった ですよ。 S:二十歳くらいのときは、友達って言うのはいたんですか? I:いましたよ。小学校から、中学校から全部一緒。一緒なの。他にはいないから。みん なほら、田舎だから、全部一緒。 S:じゃぁ、池袋に一緒に行った友達も? I:いやぁ無い。それはもう別だね。それは、向こう行ってからできたお友達。 父:もう一杯飲んだら帰るからな。 S:一緒に帰るの? 父:一緒に帰るよ。 I:もう・・・お父さん心配だから。 S:お父さん大丈夫なの?こんな遅くまで。ごめんね。 父:いやいや、大丈夫。 I:だって、もう終わるでしょ? S:うん。 父:昔は何も無かったから。今はものがありすぎる。昔は何か変わったものがあるだけで うれしかったんだ。いけないことも今は、テレビを見て、好奇心でやりたがる。 S:そうだね・・・悪いことっていえば、麻薬とか、覚醒剤とかあったんですか? I:ない!ない! S:アメリカの人もやってなかったんですか? I:知らない。そういう人と付き合ってなかったから。ただ、来ただけだから。 S:二十歳の頃と、今の性格って、変わりましたか? I:そうね、今は、もう、人のことは大きなお世話だし、自分が病気しないようにって、 自分を管理するのに夢中だし、昔は、どんどん思い切ったことができたしね、若いから。 木にも登れるようだし、あと、畑もできたし。何でもできたから。自分・・・が今は、 何でも進んでやるほうじゃなくなったし、かったるいから、やりたくないし、なるべく やんないように。しなきゃなんないことだけはするけど。だから穏やかになっちゃった。 あと、一言。性格変わるかな。やさしくなるって言うかな。 S:気が長くなる? I:そう。気が長くなる。今はもう、引っ込み思案になっちゃた。でも・・昔からおしゃ べりだったの。そっれは変わんない。おしゃべりは、いいんですって。長生きには。あ 26 と、寝ないとだめなんですって。いいんじゃないんですか?それでね。眠れれば。しゃ べり疲れて。あとは? S:じゃ、最後に。今の二十歳ぐらいの人に対して、何か、不満か、誉めることは? I:今の二十歳ぐらいね、うらやましい。男の人で人殺ししたりする人はね、あぁいうの は別として、普通に生きてる人たちは、うらやましい。なんでもできて。 S:本音で? I:本音で。勉強もできるし、遊ぶこともできるし。自由にできるでしょ?おいしいもの も食べられるし、ね、昔はなかったから。だから。今なんか捨てるほどあるじゃない? S:捨ててるしね。 I:だから、そういうのを考えると、そういう面ではうらやましい。いいお洋服だって、 派手なのをいっぱい着られるでしょ?私たちの頃はなかったから。だから、そういう面 で。ね。あと、健康でもあるし、車にも乗れるし、何でも乗れるしで、そういうのもう らやましいし、みんなうらやまし。 S:その、うらやましい人たちに対して、なんか言いたいことはありますか? I:何にもない。好きにしなさい。自分をね、自分を大切に、好きにしなさい。だって、 できなかったんだから、できたほうがいいじゃない。生きてるんだから。ね。ただ、自 分の体を大事にしなさいっていうことは言いたいね。自分の身を大事にしなさいってい うことは言いたい。何を一生懸命遊んでもいいけど。ね。それだけです。 S:ありがとうございました。 I:お役に立てて、何よりです。昔話だからもの足んないところはいっぱいあったかもし れないけれど。 S:うぅんぅうん。超面白かったです。 I:そう?・・・ S:ありがとう。 終 2001年9月1日。稲葉さんのお店『つくし』にて。 インタビュアー佐藤文子 27
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