2016年 12月18日 聖書:マタイ福音書2章 1-12 節 タイトル:「東方の

2016
2016年 12月18日
18日 聖書:マタイ
聖書:マタイ福音書
マタイ福音書2
福音書2章 1-12 節
タイトル:「
タイトル:「東方の博士たちが求めたもの」
東方の博士たちが求めたもの」
序 論
●最近の日本の様子は余り分からないが、昔から、
最近の日本の様子は余り分からないが、昔から、アメリカでも、日本でも、子どもたちの世界で、お
昔から、アメリカでも、日本でも、子どもたちの世界で、お
友達の誕生パーティーに招かれるということは大きいことである。
●誕生パーティーの主催者である親にとっても、誰を招いて、誰を招かないか?は頭の痛いことであり、
誕生パーティーの主催者である親にとっても、誰を招いて、誰を招かないか?は頭の痛いことであり、
招かれる方でも、誰が招かれて、招かれないか?!は、結構気になることである。
●特に、それが有名人・著名人の場合は、きっと、
●特に、それが有名人・著名人の場合は、きっと、もっと大きいこと
もっと大きいことだと
大きいことだと思うし、みんなの関心の的で
だと思うし、みんなの関心の的で
もあろう。
●しかし、実際
●しかし、実際には、
実際には、ほとんどの場合、私たちとは
には、ほとんどの場合、私たちとは直接
ほとんどの場合、私たちとは直接関係ない世界
直接関係ない世界のこと
関係ない世界のことだから、気にしていないが、
のことだから、気にしていないが、
もしもっと近くで
もしもっと近くで知って
もっと近くで知っている世界のことだった
知っている世界のことだったら、気になって気になってしかたがないと思う。
いる世界のことだったら、気になって気になってしかたがないと思う。
●しかし、そんなな中で、非常に興味深いことは、世界の救い主として神様が地上に赤ん坊として送ら
れたイエス様の誕生日に、神さまがお祝いのために招待したのは、わずか二つのグループ
れたイエス様の誕生日に、神さまがお祝いのために招待したのは、わずか二つのグループだけ
のは、わずか二つのグループだけであっ
だけであっ
たことである。
●しかも、それは、
しかも、それは、
1.貧しい、どちらかと言うと当時の社会では軽蔑されていた「羊飼い」たちの数
1.貧しい、どちらかと言うと当時の社会では軽蔑されていた「羊飼い」たちの数人のグループ
の数人のグループと
人のグループと
2.ユダヤの人々が軽蔑していた異邦人、「博士」と呼ばれていた東方からの外国人たちであった。
●この事実は、世界の救い主の誕生を祝うには、余りに寂しく、
●また、長くユダヤ人たちが待望していた救い主の誕生には、余りに意外なことであった。
●しかし、これらの事実を通して、神さまは、私たちに何を語っておられるのだろうか?
●今日は、特に、東方からの博士たちの来訪と礼拝を通して、神さまからのメッセージを頂きたい。
本 論
Ⅰ.まず、彼らは、どんな人であったのか?を学びたい。
A. まず、第一に、彼らは、「博士」たちであった。
1.英語では、
1.英語では、wise
英語では、wise man であるが、原語ではマゴス(
であるが、原語ではマゴス(複数マギ
複数マギ)
マギ)である。
2.彼らは、
2.彼らは、中近
彼らは、中近東の世界でよく見られた社会的階級であるが、星を研究する学者、知識人であ
中近東の世界でよく見られた社会的階級であるが、星を研究する学者、知識人であ
りつつ、それを通して王様に仕え、様々なアドバイス、進言をする立場にあった、いわば、
りつつ、それを通して王様に仕え、様々なアドバイス、進言をする立場にあった、いわば、
高級官僚、或いは閣僚級の人々、米国なら大統領特別補佐官的な人々であったと思われる。
3.そのような立場にあった人々であることは、役職名のために用いられたマギと言うことばか
らだけでなく、
(1)持ってきた高価な贈り物からも
(1)持ってきた高価な贈り物からも
(2)また、ヘロデ王
(2)また、ヘロデ王が、恭しく、丁重に応対したことからも分かる。
また、ヘロデ王が、恭しく、丁重に応対したことからも分かる。
B. 次に、彼らは、東方から来た人たちであった。
1.2
1.2 節「見よ。東方の
節「見よ。東方の博士
東方の博士たちがエルサレムにやって来て」とある。
博士たちがエルサレムにやって来て」とある。
(1)彼らは、「東方」からの人たちであった。
(1)彼らは、「東方」からの人たちであった。「東方」とはどこか?
彼らは、「東方」からの人たちであった。「東方」とはどこか?
(2)多くの聖書学者たちはほ
(2)多くの聖書学者たちはほぼ異口同音にこれはバビロン、ペルシャ等の地域を指すと言う。
(3)即ち、今で言うなら、イ
ち、今で言うなら、イラン、イラクに当たる地域である。
(4)その地域は、ユダヤ民族の歴史と深い関係があった。
●そもそも、伝説的に、エデンの園は、この地域に流れるチグリス川、ユーフラテス川流
域のどこかに存在していたのではと言われる。
●ユダヤ民族の始祖とも言うべき、アブラハムの出身地もこの地域である。
●南北に分かれたユダヤ民族が、次々に戦争で負け、滅ぼされ、捕囚民族として、強制的
に移住させられたが、それが
られたが、それが、
が、それが、東方の地、即ち、アッ
ち、アッシリヤ、バビロン、ペルシャの
地域であった。
●移住させられた捕囚民の中心は、ユダヤ人の中でも、
の中心は、ユダヤ人の中でも、政治的、経済的、社会的、宗教的
にも、有
にも、有力・有能かつ有為な人物たちであった。
1
●即ち、彼らは
ち、彼らは影響力をもった人物たちであった。その影響力はユダヤ人の間に留まらず、
外部社会であるバビロン、ペルシャの世界にまでも及んだ。その
んだ。その典型が、バビロン、
ペルシャ、それぞれの帝国の王に側近として仕えたダ
近として仕えたダニエルであった。
●彼らは、異教の大帝国の支配下にありながら、その異教の専制君主をして、「…」(ダ
ニエル 6 章 26 節)と言わしめたほどに、
と言わしめたほどに、異
ほどに、異教に妥協したり、屈することもなく、明確
な信仰の証しをはばからなかった。
●だからこそ、バビロン、ペルシャの指導者層から始まって、社会のあらゆる階層にまで、
聖書の信仰が広がって行ったと言われる。更には、
には、それが、やがて、ギリ
それが、やがて、ギリシャ帝国、
ローマ帝国と歴史が進む中、当時の世界全体に救い主待望信仰として広がって行った。
った。
●この事実を裏付けるように、ウィリアム・バークレーは、その注解書の中で、次のよう
に記している。
・イエスが誕生された頃、不思議にも、世界中に王を待ち望む機運が満ちていた
・歴史家スエトニウス:東方諸国一帯には昔から揺るがぬ信仰があった。それは、そ
の頃、ユダヤから世界を支配する者が出現するということであった」
・もう一人の歴史家タキトゥスもこのように記している:人々が
している:人々が固く信じていたこと
は、・・・その頃、東の国が強力になり、ユダヤから出た支配者が、全世界を包括す
る帝国を築くということである。
2.これらから何が言えるか?
2.これらから何が言えるか?
(1)神様は、イエス様が、ユダヤに人
(1)神様は、イエス様が、ユダヤに人間として誕生す
として誕生する前に、このお方は、単に「ユダヤの
救い主」
救い主」として生まれるのではなく、「
として生まれるのではなく、「世界の救い主」
世界の救い主」として来られるのだという期待
と信仰を、すでに当時の世界に広げられていた。
(2)その結
(2)その結果として、或いは、その具体的な現れとして、この東方からの博士たちは、
れとして、この東方からの博士たちは、イエ
は、イエ
ス様の誕生を喜び、礼拝しに来たことが分かる
、礼拝しに来たことが分かる。
ことが分かる。
Ⅱ.彼らは、世界を救うために、人々の王となるために生まれたイエス様を礼拝するために何をしたか? 具体的
には、彼らが、そのために払った犠牲について学びたい。
A. まず、彼らが払ったのは「時間」の犠牲であった。
1.彼ら
1.彼らの
彼らの旅は、恐らく 2000 キロメートル以上で、1
上で、1 ヶ月以上かかる旅であったであろう。
(1)それ
(1)それゆえ時間的には、往復だけでも最低 2 ヶ月、3 ヶ月はかかったであろう。
(2)更には、旅が今のような気軽なものではないことを考えると、準備や、帰ってからの疲
労回復の期間のためにかなりの日数を要したであろう。
(3)それらを合計するなら、彼らは、少なくとも「半年」と言う期間を、救い主の誕生を祝
い、礼拝するために犠牲にしたと言える。
2.今
2.今の時代、神様を礼拝し、神さまに近づくための最大の問題は何か? 時間である。
(1)皆、忙しくて、「時間がない」と言って、教会に来ない。集会にでない。聖書を読まな
い。祈らない。
(2)しかし、時
(2)しかし、時間がないのではない。時間を犠牲にしてまで、神を礼拝する意志はないとい
うことである。
(3)もっとはっきり言うなら、神さまを礼拝し、聖書を学ぶ、祈るより、もっと大事な他の
ことがあると言うことである。
3.しかし、この博士たちは、
3.しかし、この博士たちは、他のことをする時間を、半年もの時間を犠牲にしても、神さまを
求めた、御子を礼拝することを優先したのである。
したのである。
B.第二に、彼らは、「経済的な犠牲」を払って御子を礼拝した。
1.彼らがどのような旅をしたかは分からない。何人で旅をしたかもハッキリしない。伝統的に
しばしば「3 人の博士たち
人の博士たち」と言われるのは、
たち」と言われるのは、「
」と言われるのは、「三つ」の高価な贈り物の「数」からである。
2.しかし、高
2.しかし、高貴な人々の旅であったことは間違いない。伝説をもとに想像した数々の絵画があ
るが、その中に、まるで、日本の昔の大名行列を思わせるような旅をしている絵もある。
3.徳川幕府の政策でもあったが、大名行列は、実に莫大なお金のかかる旅であった。
2
4.いずれにせよ、今でもそうであるが、旅にはお金がかかるものである。特に、この何か月に
もわたる砂漠の旅のコストは、かなりのものであったであろう。
(1)自分たちと恐らくいたであろう召使いたちや
たちや護衛の人たちの食糧品、らくだのエサ代
(2)彼らの
(2)彼らの給与だけでも、それが数か月となると、かなりのものになるである。
C.第三に、彼らが払った犠牲は、「命と安全」であった。
1.言い換えるなら、それは、「御子の誕生を祝い、礼拝するためなら、命と安全を危険にさら
しても良い」と言う覚悟を意味した。
2.彼らの旅は、命がけのものであった。
がけのものであった。
(1)砂漠の旅は、昼は、太陽の灼熱の暑さ、夜は正反対の冷え込み、砂嵐しの害、野獣たち
やサソリのような生き物の害、
(2)慣れない地での、様々な病いとの戦い
(3)更には、盗賊たちの襲撃と強奪の危険である。
3.この博士たちは、それらすべてを犠牲にすることも覚悟して、出て来たのである。
D.第四に、彼らが払った犠牲は、「キャリア」であった。
1.最初に触れたが、彼らは誇るべき、立派な「職業」を持っていた。それは、学者でありなが
ら、同時に政治や経済に介入して国を指導する社会的にも重要な仕事であったと思える。
な仕事であったと思える。
2.彼らのユダヤ来訪は、恐らく「
らく「公的な仕事」
的な仕事」ではなかった。なぜなら、ユダヤの国の王室が、
彼らの国に「王子誕生祝賀パーティー」の招待状を送ったようには思えないからである。
3.もし、そうなら、彼らは、「仕事」を長期にわたって休むことになり、それを他の人々に託
す、譲ることになったはずである。
4.何か月も経っては、元に戻ることは難しかったかもしれない。即ち、彼らは仕事を、キャリ
アを犠牲にしても御子を礼拝したいと思ったのである。
Ⅲ.これらの犠牲は、尋常なものではない、大きな犠牲であった。彼らが、なぜ、そこまでして、イエス様のところに
来たのか? しかも、高価な贈り物を携えて。彼らが求めていたものは一体何であったか?
A. 彼らが求めていたものは、ユダヤ人の王として生まれた方を、政治的な意味で礼拝することではなかった。
1.即ち、彼らは、ユダヤに来て、次の王となるべくそこに生まれた王子の前にひれ伏して、故
国とその王への忠誠を捨て、ユダヤこそ世界を
て、ユダヤこそ世界を治める国として、同国に帰化しようとした
のではなかった
のではなかった。
かった。
2.また、
2.また、そのことに関連して、ユダヤの政治と密接に関係していた宗教、ユダヤ教への改宗を
も、彼らは全く考えていなかった。
えていなかった。
3.もし、そうであったら、
(1)彼らは、その
(1)彼らは、その生まれた
彼らは、その生まれた子が、
生まれた子が、首都エルサレムの宮殿で生まれたのではなく、王の家族に
とっても、従者たちにとっても、王子が生まれると言う話は全く「寝耳に水」であった
と分かったとき、間違いだったのかとガッカリしたに違いない。
(2)更には、ベツレヘムだと言われて、そこに行ったときでも、その
ったときでも、その町の有力者の家の跡取
り息子か、誰かなら良いが、そこにいたみすぼらしい、たまたまそこにいたナザレから
の田舎者の若夫婦とその子どもを見たら
とその子どもを見たら、
たら、キッと困惑したであろう。
4.しかし、聖書を単純にそのまま
にそのまま読むとき、彼らは、
(1)彼らが求めていた王子の誕生の場
(1)彼らが求めていた王子の誕生の場所が、エルサレムでも、宮殿でもないことが分かった
ときでも、
(2)更には、むしろ、その子の両親は、ベツレヘムにたまたま来てた名もない田舎者の夫婦
であることが分かったときでも、
(3)少しもガッカリした様子はなかった
ッカリした様子はなかったと言うことが分かる
した様子はなかったと言うことが分かる。
と言うことが分かる。
(4)それ以上に、彼らは、そのどう考えても、人間的には、王様になるべく生まれた王子と
は思えない赤ん坊に、高価な三つの贈り物を、全く疑いもなく、喜んで捧げた。
(5)そして、思い・願・目的を果たした満足感をもって、自分たちの
分たちの故国と王の元へ戻って
行った姿が見えて来る。
3
(6)いわんや、亡命計画に失敗した者たちの姿ではなかった。
5.これら彼らの姿・行動の様子は、明らかに、彼らが求めていたのは、政治的な意味でのユダ
ヤの王、或いは、故国の王とコンフリクトする新しい、別の地上の王を求めていたのではな
かったことが分かる。
B. ここで、むしろ、彼らが求めていたものは、ユダヤの国の王という、地上の王ではなかった。
1.神様は、それ
1.神様は、それぞれの地域、それぞれの国に、摂理のうちに、それぞれの王を立てておられ、
私たちにその
私たちにその権威を尊重し、従がうように勧めている(
ている(ローマ 13 章 1 節)。
2.しかし、
2.しかし、それら地上の王たち
しかし、それら地上の王たちの
それら地上の王たちの治世は、不完全そのものであった。な
そのものであった。なぜなら彼らの王は:
(1)短期であり、(2)
であり、(2)不完全であり、(
であり、(3)間違いも多く、(
いも多く、(4)支配者のエゴが
者のエゴが一杯あった。
3.それ
3.それゆえ、私たちには、これらの王を超えた、王の王
えた、王の王 King of Kings、主の主 Lord of
Lords、永遠の王が必要であった。
(1)現れては消え、現れては消える王ではなく永遠に生きる王、個人のエゴや
人のエゴや野望を超えて
治める王、各国の利害問題を超えて世界を治める王、
める王、その時
その時代、その時代の価値観を超
えて治める王が必要である。
(2)イ
(2)イザヤは、そのような王として、
ヤは、そのような王として、一人の赤ん坊が生まれて来ることを預言した。それが、
言した。それが、
イザヤ 9 章 6—7 節であり、その赤ん坊こそがイエス様であった。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えら
れる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の
君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、
その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、と
く立て、これをささえる。今より、と
こしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。』」
4.更に大切なことは、私たち
なことは、私たちは、
私たちは、そしてこの博士たちも、
は、そしてこの博士たちも、政治、経済をリードする王以上に、
私たちを、人
私たちを、人種と文化、時代をも超えて、『人間』として、実
として、実存的に、霊的に導いてくれ
る王が必要であることである。即ち、
(1)私たちは何者で、
(1)私たちは何者で、
(2)どこから来て、
(2)どこから来て、一体何のために生まれ、人生の目的は何か?
(3)そして、死んだらどこへ行くのか?
(4)何が善で、何が悪なのか?
5.王とは Ruler である。それは「支配する」者であると共に、Ruler として、基準を与える
ものである。人生に、人間に、『基準』を与えることができるのは『王』だけである。
6.これらの
6.これらの質問に答え、それらの点において私たちを教え、導き助けて下さるお方、救い主、
牧者のようなリーダー、王なるお方
者のようなリーダー、王なるお方が、私たちには
王なるお方が、私たちには必要である。それがイエス様である。
である。それがイエス様である。
結 論
●あの博士たちは、そのお方を求めて遥々と東の国から大きな犠牲を払ってやって来たのである。
●そのお方の誕生に対する感謝とそのお方に会える喜びを、あの高価な贈り物をもって表したかったの
である。
●如何でしょうか? 私たちの生涯に、人生に、イエス様をそのような王としてお迎えしたでしょう
か? かつてはしたかもしれないが、今はどうでしょうか? 今もイエス様はあなたの人生の王でし
ょうか?
●世界の王なのに、馬小屋のような私たちの心に生まれて下さったイエス様に、この博士たちのように
感謝を捧げる者でありたい。このお方に会うために、彼らのように犠牲を払う者でありたい。
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