close

Enter

Log in using OpenID

沖縄観光産業における新たな旅行パッケージによる観光振興

embedDownload
沖縄観光産業における新たな旅行パッケージによる観光振興
~経験価値型観光パッケージの推進~
Promotion of tourism with new travel packages in the tourism industry in Okinawa
~ Promoting the packages of tourism with the experience value ~
1
3年 1組 3番
秋元
香穂理
3 年 11 組 12 番
久野
沙吏奈
3 年 11 組 34 番
望月
一馬
3 年 23 組 24 番
新田
宗志
3 年 25 組 24 番
藤田
勇輝
沖縄観光産業における新たな旅行パッケージによる観光振興
~経験価値型観光パッケージの推進~
Promotion of tourism with new travel packages in the tourism industry in Okinawa
~ Promoting the packages of tourism with the experience value ~
2
沖縄観光産業における新たな旅行パッケージによる観光振興
~経験価値型観光パッケージの推進~
Promotion of tourism with new travel packages in the tourism industry in Okinawa
~ Promoting the packages of tourism with the experience value ~
キーワード
沖縄
観光産業
経験価値
要旨内容
今日、沖縄県は経済振興の積み重ねにより、社会資本の整備、就業者数の増
加、観光産業の成長など、総体として着実に成長を遂げている。一方、依然と
し て 、沖 縄 県 が 内 包 し て い る 発 展 可 能 性 を 十 分 に 引 き 出 せ て い な い 状 況 が あ り 、
課題が残っていることも事実である。
本稿では、沖縄県の観光産業に焦点をあて、観光の歴史や形態の変化に注目し
て い く 。 そ の 後 、 実 際 に 沖 縄 県 に FW を 行 い 、 そ こ で 得 た 意 見 と 我 々 の 考 え を
もとに新しい観光パッケージを提案し、今後の沖縄県の観光モデルについて考
察する。
以下、第1章では沖縄県の特性や観光の歴史を概観し、第2章では沖縄県の観
光 産 業 が 有 す る 問 題 と FW で の イ ン タ ビ ュ ー を 総 括 し な が ら 、新 し い 観 光 パ ッ
ケージの提案を行い、第3章は、本論文のまとめをする。
3
目次
序章
第一章
沖縄県のすがた
第一節
地域特性
第二節
沖縄県における観光
第一項
リーディング産業としての観光
第二項
観光産業の移り変わり
第三項
リピーターの推移
第四項
観光産業の問題
第二章
~入域観光客数の伸び悩み~
県政の動きと我々の提案
第一節
県の取り組み
第二節
真のリピーター
第三節
経験価値の創出
第四節
生涯観光パッケージの提案
第三章
まとめ
第 1章
沖縄県のすがた
本章では沖縄県の特性と現在までの観光産業の移り変わりをみて、沖縄県に
お け る 観 光 産 業 の 重 要 性 を 明 ら か に す る と と も に 、第 4 項 で は 観 光 客 数 の 伸 び
悩みによる沖縄経済への影響を考察していく。
4
第1節
地域特性
地 理 的 に 本 土 か ら 遠 隔 地 に あ り 、 東 西 約 1,000km、 南 北 約 400km に 及 ぶ 広
大 な 海 域 に 散 在 す る 160 の 島 々 か ら 成 り 立 っ て い る と い う 特 性 は 、高 コ ス ト 構
造をもたらし経済発展にとって大きな制約としての側面を持つ。一方、視点を
変えると、東アジアの中心に位置し、広大な排他的経済水域及び海洋資源の確
保、領海・領空の保全、安全な航行の確保に貢献している面をも有している。
加えて、中国をはじめとするアジア諸国の伸長、情報通信技術の進展とも相ま
って、人、物、金融、情報などアジアとの懸け橋としての役割を果たしていく
可能性がある。
<自然環境的特性>
我が国唯一の亜熱帯・海洋性気候にある南西諸島は美しいサンゴ礁、貴重な
野生生物など優れた自然環境に恵まれ、観光資源としてはもとより顕在化する
世界的環境問題に対する課題解決のために大きく貢献する可能性がある。1
<人口的特性>
人口増加と豊富な労働力は失業率を押し上げる側面はあるものの、我が国に
おいて数尐ない人口増加地域であることは、投資環境としての魅力を増す側面
を 持 つ 。ま た 、中 南 部 都 市 圏 は 本 土 の 政 令 市 に 匹 敵 す る 100 万 都 市 で あ り 、 交
通体系の整備や基地跡地利用を促進することにより、その都市機能を十分に発
揮する可能性を持つ。2
<歴史的・文化的特性>
古 く は 中 国 や 東 南 ア ジ ア 諸 国 等 と の 交 易・交 流 を 通 じ て 多 く の 文 化 を 吸 収 し 、
調和させ、独自の文化を形成してきたことや、幾多の困難を克服し、個性豊か
な独特の文化を発展させてきたことは、魅力的な観光資源になるとともに、ア
ジア各国とつながりを確保する磁力としての可能性を持つ。3
<社会的特性>
沖 縄 は 27 年 間 に 及 ぶ 米 軍 施 政 権 下 で 広 大 な 米 軍 基 地 が 形 成 さ れ 、 今 な お 本
5
県の振興を進める上で大きな障害となっている。とりわけ、過密な中南部圏域
における基地の返還跡地は環境保全・産業振興・交通体系整備などの有効利用
がなされることによって、県土構造の再編につながる大きなポテンシャルを持
つ。また、戦争体験やその後の米軍施政権下の歴史を通して平和を希求する心
が育まれており、国際協力・貢献活動の拠点としての可能性も持っている。4
第2節 沖縄県における観光
第1項
リーディング産業としての観光
沖縄県は、日本に復帰してから長い間、県収入の大部分を軍関係の収入に頼
ってきたという基地経済依存の状況があった。沖縄県には、在日米軍専用施設
の 75% が 集 中 し 、県 土 面 積 の 10.3%( 沖 縄 本 島 の 18.1% )を 米 軍 施 設 が 占 め
ており、これらの米軍施設には、軍人、軍属及びその家族約 5 万人が居住し、
8 千人余りの駐留軍従業員が雇用されている。5
県民所得統計をみると、
「 軍 関 係 受 取 」と い う 項 目 を 設 け て 基 地 関 連 の 収 入 を
整理しており、
「 軍 人 軍 属 等 消 費 支 出 」、
「 軍 雇 用 者 所 得 」、
「 軍 用 地 料 」か ら な っ
て い る 。 平 成 9 年 度 の 軍 関 係 受 取 は 、 1,827 億 円 で あ り 、 県 民 総 支 出 に 占 め る
割 合 は 5.2% と な っ て い る 。 う ち 、 軍 人 軍 属 等 消 費 支 出 は 556 億 円 、 軍 雇 用 者
所 得 は 529 億 円 、軍 用 地 料 743 億 円 で 、そ れ ぞ れ 1.6% 、1.5% 、 2.1% の 割 合
となっている。6
軍 関 係 受 取 の こ れ ま で の 推 移 を み る と 、復 帰 時 の 昭 和 47 年 度 に は 、780 億 円
と 県 民 総 支 出 の 15.6% を 占 め て い た が 、そ の 後 そ の 割 合 は 徐 々 に 低 下 し 、現 在
で は 5.2% と な っ て い る 。 軍 関 係 受 取 の 規 模 を 復 帰 直 後 と 平 成 9 年 度 で 比 較 す
る と 約 2.3 倍 の 増 加 と な っ て い る が 、そ の 間 、観 光 収 入 は 10.4 倍 、公 的 投 資 は
11.1 倍 と 拡 大 し 、 県 民 総 支 出 が 全 体 と し て 約 7.1 倍 に も 拡 大 す る 中 で 、 軍 関 係
受取の県経済に占める比重が相対的に低下してきた。7
軍 関 係 受 取 の 推 移 を 内 訳 ご と に み る と 、 軍 人 軍 属 等 消 費 支 出 は 、 昭 和 47 年
度 に は 、 軍 関 係 受 取 の 過 半 を 占 め 、 県 民 総 支 出 に 占 め る 割 合 も 8.3% と 高 か っ
6
た が 、 そ の 後 一 貫 し て 低 下 傾 向 に あ る 。 平 成 9 年 度 に は 1.6% と な っ て い る 。 8
軍 雇 用 者 所 得 の 割 合 に つ い て は 、昭 和 47 年 度 に お い て 4.8% で あ っ た が 、そ
の 後 駐 留 軍 従 業 員 数 の 大 幅 な 減 尐 も あ っ て 低 下 し 、昭 和 58 年 度 以 降 、概 ね 1.5
~ 1.6 % の 水 準 で 推 移 し て い る 。 他 方 、 軍 用 地 料 の 支 出 に 占 め る 割 合 は 、 昭 和
47 年 度 に お い て は 2.5% と 軍 関 係 受 取 の 中 で は 最 も 低 か っ た が 、 そ の 後 の 単 価
の改善を背景に軍関係受取の中では最も高い伸びをみせ、県民総支出に占める
相対的な割合も大きく変化せず推移してきている。平成 9 年度においては、先
に み た と お り 2.1% を 占 め て い る 。 9
以 上 の よ う に 、沖 縄 経 済 の 特 色 の 一 つ と さ れ て き た 基 地 経 済 は 、復 帰 後 、徐 々
にその割合は低下していった。これとは逆に、復帰後から徐々に割合を伸ばし
てきたのが観光収入である。
図 ― 1 沖 縄 県 の 収 入 内 訳( 2009)
年度)
その他
4,355億円
20%
県収入 2兆2,498億円
国からの
助成金
11,085億円
49%
軍関係受取
2,084億円
9%
石油製品
674億円
3%
観光収入
4,299億円
19%
10
図 -1 は 、県 の 収 入 を 種 別 ご と に み た も の で あ る 。収 入 に お い て 最 大 の も の は
他の地方と同様に国からの助成金であるが、次に大きいシェアが観光収入であ
り、本県は観光事業を最大の産業としている点が明らかである。観光産業は現
在、基地経済からの脱却を推進する沖縄県のリーディング産業になっている。
第 2項
観光産業の移り変わり
7
沖縄県の観光産業は、日本の発展と共に成長を遂げる。その変遷を、我々は
大 き く 分 け て 3 つ の 時 期 か ら な る も の と し 、 戦 前 か ら 戦 後 1972 年 ま で の 時 期
を 単 発 型 観 光 、1972 年 ~ 1990 年 ま で を 大 量 生 産 型 リ ゾ ー ト 観 光 、そ し て 1990
年から現在に至るまでを文化型観光と位置付け、それぞれの特徴を明らかにし
ていきたい。
沖縄県における観光産業の移り変わり
発展史
特徴
事例
戦 前 ( 1 945 年 ま で )
・ 沖 縄 観 光 は 体 系 化 さ れ ず 、企 業 、団 体 の 分 野 で 散 発 的
な形で実践されてきた。
・企業による観光ツアー
・( 航 路 )
単発的観光
( 1972 年 ま で )
戦後
・沖 縄 政 府 は 観 光 地 と し て の プ ロ モ ー シ ョ ン を 行 っ て い
・遺族団の戦跡参拝
なかった。
・本土客のショッピング
・観光商品が未発達
・観光インフラ不足
・航路から空路中心へ
・沖縄県で観光が体系化された時期
大量生産型観光
( 1972 ~ 199 0 年 )
・国、県が観光に力を入れ始める。
・団体旅行
・「 沖 縄 観 光 」 と い う 製 品
・リゾート型の旅行
=「南国の島、青い海、白い砂浜」
・沖縄国際海洋博覧会
・観光客の増加
・第一回世界のウチナーン
8
文化観光
( 1990 ~ 現 在 )
・ 沖 縄 県 政 が 「 平 和 的 」「 歴 史 的 」「 文 化 的 」 イ メ ー ジ を
チ ュ 大 会 ( 19 90)
盛り込んだ観光に力を入れ始める。
・
「 か り ゆ し ウ ェ ア 」の 推 進
( 1990 )
・大 琉 球 ま つ り 王 国( 199 5)
・修学旅行の成長
11
a.単 発 的 観 光 ( 1972 年 ま で )
ま ず「 単 発 的 観 光 ( 1972 年 ま で )」 で あ る が ,戦 前 に も 沖 縄 観 光 は 存 在 し て
いた。例えば明治時代から太平洋戦争前にかけて本土,沖縄航路間をほぼ独占
していた大阪商船が沖縄観光ツアーの募集を行い,そのツアーの中で首里城と
いった歴史的建造物等の文化遺産,地域の博物館,武道,舞踊,三線鑑賞,景
観地見学を行った。しかし,沖縄県政は観光に対してそれほど経済的利点を見
出しておらず,観光では利益を得ることはできないと考えていた。沖縄県政は
沖縄を観光地としてプロモーションを行わず,沖縄経済は農業,特にサトウキ
ビ生産が中心であった。さらに,観光客に買ってもらうお土産等,観光商品の
開 発 も 行 わ れ て い な か っ た 。 12
戦 後 に な る と ,沖 縄 観 光 の 中 心 は ,
「 遺 族 団 の 戦 跡 参 拝 」か ら 始 ま っ た 。戦 後 ,
沖 縄 県 民 は 日 本 軍 戦 没 者 10 万 人 ,一 般 市 民 13 万 人 の 遺 体 収 容 作 業 を 摩 文 仁 ,
首里方面で始め,その後、沖縄を訪れた他府県の遺族団がこれらの実情を欠く
都道府県の議会に訴え,慰霊塔をそれぞれのゆかりの地に建設した。沖縄戦で
戦死した親族の霊を慰めるために,沖縄を訪れるという旅行のパターンが多か
っ た 。 ま た , 米 軍 統 治 下 の 沖 縄 で は , 1958 年 か ら ド ル 通 貨 が 使 わ れ る よ う に
なると,沖縄では高価な外国商品を安く買え,本土客のショッピング観光も盛
ん に 行 わ れ る よ う に な っ た 。 13
1954 年 ,日 本 航 空 が 当 時 の 大 型 旅 客 機 、DC 6B を 使 用 し て 那 覇 線 の 営 業 を
開始し,これまで沖縄,本土間を航路で結んでいたのが,沖縄に旅客機で来る
9
よ う に な っ た 。 1960 年 代 に な る と , 日 本 航 空 に よ る ジ ェ ッ ト 機 の 導 入 も 開 始
し た 。 沖 縄 に 訪 れ る 交 通 手 段 は , 1954 年 の 段 階 で , 空 路 が 3 分 の 1, 海 路 が
3 分 の 2 で あ っ た が , 1958 年 に な る と そ の 割 合 が 半 々 に な り , 日 本 復 帰 直 前
に な る と 空 路 が 3 分 の 2, 海 路 が 3 分 の 1 と 空 路 で 沖 縄 を 訪 れ る 割 合 が 高 く
な っ た 。1960 年 の 沖 縄 観 光 客 数 は 20,811 人 で あ る が ,5 年 後 の 1965 年 の 観
光 客 数 は 64,278 人 で あ り , 約 3 倍 強 の 伸 び を 示 し て い る 。 こ れ は , 日 本 航 空
の那覇線の営業,そして航空機の技術的革新により,これまで物理的に日本本
土から離れていた沖縄へアクセスしやすくなったことが観光客数の増加の理由
の 1 つ で あ ろ う 。 14
ただし,この時期の沖縄は徐々に観光客数が増加してきたが,沖縄に来るため
にはパスポートが必要であり,観光地としてはそれほど認知度がなかった。さ
らに,未舗装道路の多さ,トイレの未整備というインフラ面,料亭や土産物販
売店の店員の態度の無愛想さ等,観光客を受け入れる体制は整っておらず,琉
球 政 府 は 観 光 政 策 を 積 極 的 に 行 っ て い な か っ た 。 15
このように,この時期の沖縄観光は沖縄県政が観光にあまり力を入れず,観
光地,観光商品のプロモーションは企業や,例えば農協のような団体独自で行
っ て お り , こ の 時 期 の 沖 縄 観 光 は ,「 単 発 的 」 観 光 で あ っ た 。 し か し , 沖 縄 が
1972 年 に 日 本 に 復 帰 し 、 軍 関 係 の 予 算 が 次 第 に 日 本 国 政 府 へ 転 嫁 さ れ 、 ま た
ドルの下落、変動相場制への移行が進むと、県として収入を確保する必要が次
第 に 大 き く な っ て い っ た の で あ る 。 16
b.大 量 生 産 型 沖 縄 リ ゾ ー ト 旅 行 ( 1972 ~ 1990 年 )
「 大 量 生 産 型 リ ゾ ー ト 観 光( 1972 ~ 1990 年 )」に な っ て か ら 沖 縄 の 観 光 客
数 は 増 加 し 始 め る 。こ の よ う な 観 光 客 の 右 肩 上 が り の 成 長 を 遂 げ た 理 由 と し て ,
沖 縄 振 興 開 発 計 画 に よ る と こ ろ が 大 き い 。特 に ,第 1 次 沖 縄 振 興 開 発 計 画 で は ,
第 9 章 に「 余 暇 生 活 の 充 実 と 観 光 の 開 発 」に 掲 げ ,観 光 を 沖 縄 の 主 要 産 業 と 位
置 づ け て お り , さ ら に , 当 計 画 で は 1975 年 に 開 催 さ れ た 「 沖 縄 国 際 海 洋 博 覧
会 」,「 ホ テ ル , 旅 館 , 国 民 宿 舎 」 等 の 宿 泊 施 設 の 整 備 に 力 点 を 置 い て い る 。 こ
10
の政策の下,石川市,名護市間を結ぶ沖縄自動車道を始めとする交通機関の整
備 ,大 型 ホ テ ル の 建 設 と い っ た ホ ス ピ タ リ テ ィ 産 業 に 必 要 な 要 素 が 開 発 さ れ た 。
さ ら に 1975 年 ,
「 海 - そ の 望 ま し い 未 来 」を テ ー マ に 開 催 さ れ た 沖 縄 国 際 海 洋
博 覧 会 に よ り , 沖 縄 観 光 地 の イ メ ー ジ は 南 国 イ メ ー ジ に 変 化 し て い く 。 17
沖縄観光が南国イメージに変化していくことにより,観光客数が増加した。
その理由として,1 つは,沖縄の日本復帰により,沖縄 入域手続きの自由化と
通貨の持ち出し制限がなくなったこと,もう1つは旅行代理店が沖縄観光の団
体旅行を企画し,多くの観光客が団体旅行に参加したことが挙げられる。これ
まで観光客に馴染みのなかった沖縄へ制度的自由化,旅行業者のツアー企画に
より,観光客が沖縄を訪れるようになり,沖縄観光産業が成長したと考えられ
る 。 そ の 証 拠 に , 観 光 客 が 沖 縄 を 訪 れ る 旅 行 形 態 は 2000 年 に パ ッ ケ ー ジ 旅 行
に逆転されるまで団体旅行の割合が高く,団体旅行が沖縄観光の「大量生産・
大 量 消 費 」 を 可 能 に し て い た と 言 え よ う 。 ま た , 1970 年 代 中 頃 か ら 1980 年
代前半にかけての大型ホテル建設により,ムーンビーチや万座ビーチホテルと
いったホテルでの滞在が人気を呼び,沖縄のリゾートホテルで滞在するリゾー
ト 型 の 旅 行 パ タ ー ン が 出 始 め た 。 18
沖 縄 の 日 本 復 帰 後 の 1972 年 か ら 2007 年 の 中 で , 観 光 客 数 の 増 加 率 が 最 も
高 か っ た の は , 沖 縄 国 際 海 洋 博 覧 会 が 開 催 さ れ た 1975 年 で あ り , 観 光 客 数
1,558,059 名 ,前 年 比 増 加 率 は 193.5% と 約 2 倍 に 増 加 し た 。し か し ,翌 年 1976
年 に は , 836,108 人 と 観 光 客 数 が 沖 縄 国 際 海 洋 博 覧 会 前 の 1974 年 の 水 準 に 戻
っ た が , そ の 後 成 長 に 転 じ る 。 19
1972 ~ 1990 年 の 間 の 沖 縄 を 訪 れ る 観 光 客 の 訪 問 回 数 を 見 る と , 1983 年
は 沖 縄 を 初 め て 訪 れ る 観 光 客 の 割 合 は 80.3% ,リ ピ ー ト 客 19.7% ,1987 年 は
沖 縄 に 初 め て 来 た 観 光 客 77.5% ,リ ピ ー ト 客 22.5% で あ る 。こ の 期 間 の 観 光 客
は新規顧客の比率が高く,この時期は沖縄観光の成長期であったと言えよう。
沖縄観光プロモーションと沖縄のイメージ形成について
こ の よ う に ,単 発 的 観 光( 1972 年 ま で ),大 量 生 産 型 リ ゾ ー ト 観 光( 1972 ~
11
1990 年 ) を 考 察 し た が , こ れ ら 2 つ の 時 代 は 観 光 形 態 の 内 容 が 大 き く 変 化 し
ていることが特徴的である。
「 単 発 的 観 光 」で は ,戦 前 に お け る 文 化 遺 産 ,博 物
館,武道,舞踊,三線鑑賞等,戦後の戦跡巡り,ショッピング観光という各企
業が提供していた観光が主流であったが、
「 大 量 生 産 型 リ ゾ ー ト 観 光 」に な る と ,
各企業が提供していた「単発的観光」から大企業,国の政策で力が入れられた
リゾート観光、つまり本土から同じ程度の時間で行けるグアム、サイパン、台
湾などと競合するマリンレジャーなどアクティビティを中心としたものへ変化
しているのである。
観光地の観光商品,イメージは,政府・自治体,企業等が行うプロモーショ
ン に よ っ て 形 成 さ れ る が , 1972 年 の 沖 縄 の 日 本 復 帰 以 降 , 沖 縄 観 光 の 発 展 は
本土企業の大規模なマーケティング戦略の力が大きく,そのマーケティング戦
略により,本土観光客が沖縄に対して「南国イメージ」を持つようになったの
で あ る 。一 つ の 例 と し て 、
「 日 本 復 帰 以 降 」か ら 行 わ れ た 日 本 航 空 と 全 日 空 の イ
メ ー ジ 戦 略 が 挙 げ ら れ る 。 1979 年 の 日 本 航 空 の 沖 縄 キ ャ ン ペ ー ン ・ ソ ン グ は
山 下 達 朗( 愛 を 描 い て ~ Let’s Kiss the Sun~ )で あ り ,歌 詞 の 中 に ,
「 Let’s Kiss
the Sun」「 輝 き 」「 大 空 」「 炎 」「 銀 色 の 翼 で 遥 か 飛 び 立 と う 」 と い う 単 語 や 文
句 が 全 体 に ち り ば め ら れ て い る 。 全 日 空 は 1983 年 , 沖 縄 キ ャ ン ペ ー ン ・ ソ ン
グとして山下達朗の「高気圧ガール」を使った。日本航空,全日空はキャンペ
ーン・ソングだけでなく,青い空とビーチを背景にビキニの女性をモデルとし
たポスターを用いることにより,沖縄観光は,他の地域とは異なる「南国イメ
ー ジ 」 を 持 つ よ う に な る 。 20
本土企業が行った沖縄観光に「南国イメージ」を持たすような戦略は,現在
の沖縄のイメージにも大きな影響を残している。本県は,沖縄観光のイメージ
に関して本土観光客,そして沖縄県民が考える観光客の沖縄の対するイメージ
に 関 し て ア ン ケ ー ト 調 査 を 行 っ た 。こ の 結 果 ,観 光 客 か ら 見 た 沖 縄 の イ メ ー ジ ,
沖 縄 県 民 が 考 え る 観 光 客 の 沖 縄 の 対 す る イ メ ー ジ と も 1 位 は「 空・海 が き れ い 」
であった。しかし,観光客と沖縄県民が考える沖縄のイメージにギャップが存
在 し て い る 。観 光 客 側 が イ メ ー ジ し て い る の が「 温 暖 」
「沖縄が好き」
「工芸品」
12
「 エ キ ゾ チ ッ ク 」「 シ ョ ッ ピ ン グ 」, 一 方 沖 縄 県 民 が 抱 い て い る イ メ ー ジ は 「 マ
リ ン ス ポ ー ツ 」「 の ん び り さ 」「 リ ゾ ー ト ホ テ ル 」「 琉 球 料 理 」「 離 島 」 等 で あ っ
た。この結果は,これまで行われてきた観光イメージ戦略により,沖縄が「青
い 海 ,白 い 砂 浜 ,南 国 の 島 」と い う イ メ ー ジ を 持 た れ て い る と い う 証 拠 で あ り ,
それと同時に,観光客受け入れ側である沖縄と日本本土から来る観光客の沖縄
に 対 す る イ メ ー ジ が 違 う と い う こ と も 表 さ れ て い る 。 21
このような調査のように,沖縄観光はイメージによって影響された。その理
由として,観光商品の無形性という特徴が挙げられる。観光の場合,食べ物,
飲み物,お土産という有形性を含んでいても,観光商品としてそれらを述べる
ことは意味を成さず,休養,教育,娯楽,優れていると感じるという無形の長
所 を 本 質 的 に 提 供 す る こ と で あ る 。そ う い う 特 徴 の た め ,
「 観 光 商 品 」を 販 売 す
る 前 に ,視 覚 で 観 光 地 を 訴 え る 。沖 縄 の 場 合 も 例 外 で は な く ,
「 沖 縄 観 光 」と い
う製品=「南国の島,青い海,白い砂浜」というイメージは前述した本土企業
の マ ー ケ テ ィ ン グ 戦 略 に よ っ て 作 ら れ た 要 素 が 強 い と 言 え よ う 。 22
c.文 化 観 光 の 提 供 ( 1990 年 ~ )
1990 年 代 の 時 期 に な る と 、沖 縄 を 初 め て 訪 れ る 観 光 客 が 減 り ,リ ピ ー ト 客 が
増 え 始 め た 。1990 ~ 2000 年 の 間 に 沖 縄 を 訪 れ た 観 光 客 の 訪 問 回 数 を 見 る と ,
1994 年 は 沖 縄 を 初 め て 訪 れ る 観 光 客 の 割 合 が 55.7% ,リ ピ ー ト 客 44.3% と な
り , さ ら に 1997 年 に な る と 沖 縄 を 初 め て 訪 れ る 観 光 客 49.3% , リ ピ ー ト 客
50.7% と ほ と ん ど 両 者 の 割 合 は 5 対 5 と な る 。23 ど う し て こ の よ う に リ ピ ー タ
ーの確保が成功したかというと、これまでの沖縄観光のプロモーションの中心
が本土企業であったのが,沖縄県政が独自に沖縄観光をアピールするようにな
っ た こ と が 、 主 な 理 由 と し て 考 え ら れ る 。 24
沖縄県政は,沖縄観光の今後の発展,観光客の維持のために,沖縄独自の観
光商品の創造として,沖縄の「文化観光」を強調するようになった。例えば,
1990 年 の「 第 1 回 世 界 の ウ チ ナ ー ン チ ュ 大 会 」,め ん そ ー れ 県 民 運 動 推 進 協 議
会 に よ る 「 か り ゆ し ウ ェ ア 」 の 推 進 , 1995 年 の 「 大 琉 球 ・ ま つ り 王 国 」 等 ,
13
沖縄県政はリゾート地としての側面とは異なる面をこの時期から強調し始めた。
特に沖縄県が文化型観光として力を入れ始めたのが「修学旅行」である。何故
なら,修学旅行は教育的配慮の強い旅行であり,その旅行内容に,沖縄県が打
ち 出 し た い 「 平 和 的 」「 歴 史 的 」「 文 化 的 」 イ メ ー ジ を 盛 り 込 ま れ て い た か ら で
あ る 。 25 最 も 現 地 を 知 る 県 や 市 な ど が 本 土 企 業 の 画 一 的 な プ ロ モ ー シ ョ ン で は
ない沖縄の魅力を消費者に見せることに成功し、リピーターが沖縄料理や沖縄
県人との交流に大きな魅力を感じていったことが類推できよう。
第 3項
リピーターの推移
26
前 述 し た よ う に 、1983 年 当 初 は 、沖 縄 県 が 観 光 地 と し て 発 展 し 始 め た 頃 で あ
り 、 新 規 の 観 光 客 が 8 割 を 占 め て い た の に 対 し 、 2006 年 に は 新 規 観 光 客 は 3
割程度となり、リピーターの割合が約 7 割に逆転しており、近年はさらにリピ
ー タ ー の 数 と と も に 観 光 客 数 も 増 え 続 け て い る 。 27
こ れ は 長 年 に 渡 り 、国・県 が 積 極 的 に 観 光 政 策 に 力 を 入 れ て き た 結 果 で あ り 、
その維持に関しても、沖縄県の持つ「文化的・歴史的・平和的」な魅力を引き
出す新しい文化観光の提供に成功してきたということが分かる。リピーター獲
得の成功は、本稿で提案していく、沖縄県の観光産業の方向性を考える上で重
要な要素のひとつになる。
14
第 4項
観光産業の問題
~入域観光客数の伸び悩み~
28
沖縄県の観光は、以上のような経緯から紆余曲折もありながらも一応順調に
観光客数を増やしてきたが、ここで近年の観光客数の動向を上のグラフから見
て み る と 、 ほ ぼ 頭 打 ち の 状 況 に あ る こ と が 判 明 す る 。 と く に 2009 年 に は 、 こ
こ 4, 5 年 で 順 調 に 伸 び て き た 観 光 客 数 が 前 年 を 割 り 込 ん で し ま っ て い る こ と
が読み取れよう。これは、リーマンショックの直接的な影響からであったが、
2010 年 に は 、再 び プ ラ ス に 転 じ た も の の 、2 年 前 の 2008 年 の 605 万 人 か ら 20
万 人 も 尐 な い 586 万 人 と 客 数 自 体 も 伸 び 悩 ん で い る こ と が 明 ら か で あ る 。こ の
観光客数の落ち込みとそれに伴う観光収入の減尐は、観光を主産業とする沖縄
県 の 所 得 に 直 接 ダ メ ー ジ を 与 え 、こ の 間 、沖 縄 県 の 失 業 率 は (2008)20 年 に 7.4%、
21 年 に 7.5%、 22 年 に は 7.6%と な り 、 本 土 の 平 均 ( 5.1%) と 比 較 し て も 極 め
て 高 水 準 で 生 活 し て い る 。 国 と の 所 得 格 差 は 2008 年 に 74.0%に な り 、 県 が 一
人 当 た り 204 万 円 、 国 の 平 均 が 275 万 円 で あ り 格 差 縮 小 が 急 務 と さ れ る 。
我々は、この沖縄県の危機的状況を打破するための手法を新たな観光の形態
として「経験価値」型の観光パッケージの推進により考察していくために本稿
15
を 用 意 し た 。 29
第2章
県政の動きと我々の提案
ここまでは、県の特性と、観光産業の移り変わりを見ながら、リピーターの
獲得に成功している一方で、近年では観光客数が伸び悩んでいるという事実を
確認してきた。
本章では、県の取り組みを概観し、我々の提案を行っていく。
第1節
県の取り組み
沖縄経済に直接ダメージを与える観光客数の伸び悩みは、県政としては早急
に打破したい問題である。しかし現在、頭打ちの状況にある沖縄観光には、前
述した問題を解決する為に今までとは違う沖縄ブランド戦術が必要であること
は明らかだ。
県はこれに伴い、主たる解決策として、観光客の滞在満足度向上の為のイン
フ ラ の 整 備 30 と 、 カ ジ ノ ・ エ ン タ ー テ イ メ ン ト 検 討 事 業 と い う 大 規 模 な エ ン タ
ー テ イ メ ン ト 事 業 を 推 進 し て い る 。 31
前者のインフラの整備は、多くの観光客の滞在に伴う交通渋滞を緩和するた
めに、道路の拡張工事や、沖縄県においてバス・車に次いで第 3 の交通手段で
ある都市モノレールの延長工事検討、より多くの海外観光客を受け入れるため
の空港の整備、アジアにおける貨物のハブ空港化の実現などが挙げられる。
後者のカジノ・エンターテイメント検討事業は、海外外国人観光客の誘致と
1 人 当 た り の 観 光 消 費 額 の 増 加 を 目 的 と し て 、2006 年 の 仲 井 眞 知 事 の 就 任 以 来 、
県が大々的に推進している事業であり、カジノを筆頭とするさまざまなアミュ
ー ズ メ ン ト 機 能 と 、 MICE 誘 致 機 能 を 有 し て い る 統 合 リ ゾ ー ト を 建 設 し て い く
と い う も の で あ る 。 こ れ は 運 営 効 果 の 試 算 と し て 、 最 大 で 約 2, 190 億 円 の 利
益 、 約 54,000 人 の 雇 用 誘 発 効 果 が 望 ま れ て お り 、 観 光 収 入 の 落 ち 込 み と 雇 用
問 題 を 抱 え る 県 に 経 済 発 展 を 促 し 、 活 性 化 さ れ る こ と が 期 待 さ れ て い る 。 32
16
県政は、インフラの整備とカジノ・エンターテイメント検討事業の 2 つを推
進 す る こ と に よ っ て 経 済 発 展 を 期 待 し て い る が 、ど ち ら の 取 り 組 み に お い て も 、
多額の投資が必要とされているため、コスト面での大きな問題があると考えら
れる。沖縄経済の現状を考えると、大規模な開発を軸とする計画は、逆に県経
済を圧迫させてしまうのではないか。
我々は、特にカジノ事業について、コスト面の問題以外にも様々な問題が生
じると考えている。なぜなら、カジノ導入により懸念される諸問題や、大規模
な開発事業が及ぼす環境問題への沖縄県民の反対意見が否めないからである。
当事業を推進している沖縄県文化観光スポーツ部の観光政策統括監である下
地芳郎氏は、
「 カ ジ ノ を 有 す る 大 型 施 設 導 入 に よ る 治 安 悪 化 や 、環 境 破 壊 等 へ の
懸念事項が問題視されているため、地域の理解が得られず、現時点ではあくま
で も 検 討 段 階 に あ る 。」 33 と 述 べ て い る 。ま た 、沖 縄 県 の 観 光 教 育 に 尽 力 し て い
る 、琉 球 大 学 観 光 産 業 科 学 部 長 の 牛 窪 潔 氏 に よ る と 、
「ハワイと姉妹都市を結ぶ
計画があったが、カジノの話を聞いたハワイ州知事が、そんな事をするならた
だちに姉妹都市を取り止めると言っているし、沖縄県の持つ癒しのイメージ的
にも相応しくないであろう。もっとも大学側から言わせてもらえば、高レベル
でクリエイティブな人材育成を実現していくことが最重要項目であるし、カジ
ノ・エ ン タ ー テ イ メ ン ト 事 業 に は 一 切 反 対 す る 姿 勢 で あ る 。」と し て い る 。 34 当
事者と教育者の双方の意見からも、カジノ・エンターテイメント検討事業は実
現困難であることがいえるだろう。
また、カジノ・エンターテイメント検討事業の目的の 1 つである外国人観光
客 誘 致 に つ い て 注 目 す る と 、外 国 人 観 光 客 の 来 沖 状 況 は 、2011 年 現 在 で 年 間 約
25 万 人 前 後 で あ る 。こ れ は 年 間 の 観 光 客 数 全 体 (580~600 万 人 )の 約 4%で あ り 、
そ の 約 8 割 強 は ア ジ ア 圏 か ら の 外 国 人 観 光 客 で あ る 。 35
県 の 外 国 人 観 光 客 満 足 度 調 査 報 告 書 の ア ン ケ ー ト 36に よ る と 、 外 国 人 観 光 客
が沖縄に求めるものの中には、
「 外 国 語 の 案 内 標 識 が 尐 な い 」、
「外国語をしゃべ
れる人が尐ない」などの意見が多数あったことから、沖縄県が国際的な観光地
になるための課題が浮き彫りになっていることが分かる。しかし、一方では、
17
「寿司が食べたかったのに寿司屋がなかった「
」プルコギバーベキューに塩が付
いていない」
「 温 泉 が 尐 な く て 残 念 で し た 」な ど 、沖 縄 県 に 関 し て の 感 想 と い う
よ り も 、沖 縄 県 が 持 つ 独 自 の 魅 力 を 理 解 し て い な い 見 当 違 い の 解 答 が 目 立 っ た 。
これは外国人観光客が、沖縄独自の魅力を求めて観光に訪れたわけではなく、
単に日本観光として沖縄に訪れているといえる。
すなわち現時点では、外国人観光客が沖縄文化の魅力を求めて観光に来るよ
うになるには時間を有するのではないかと我々は考える。逆に、そこにカジノ
という単純明快な目的があれば、文化を理解することなく興味本位で観光に来
てしまう外国人観光客が増えるのではないかとも考えることができる。仮にカ
ジノ事業が成功したとしても、文化を理解していない外国人観光客で沖縄県が
溢れかえってしまう恐れがあり、県民と外国人観光客の間には深い溝ができる
はずだ。
以 上 の こ と か ら こ こ ま で を 整 理 す る と 、県 が 打 ち 出 し て い る イ ン フ ラ の 整 備 、
カジノ事業などの政策は、どれも莫大な費用がかかるため、県経済を圧迫する
恐れがあるために危険だということ、特にカジノ・エンターテイメント検討事
業に関しては、懸念される様々な問題があるとともに、沖縄文化を理解してい
ない外国人観光客を生んでしまう恐れがあり、県民との相互理解が危惧されて
し ま う と い っ た 可 能 性 が あ る た め 、も う 一 度 考 え 直 す べ き で あ る こ と が 分 か る 。
以後、県の政策に代わる新たな観光のあり方として、我々の提案を行ってい
く 。我 々 の 提 案 で は 、国 内 観 光 客 、特 に リ ピ ー タ ー の 存 在 が 中 心 と な っ て く る 。
なぜなら、国内観光客は沖縄県の持つ「文化・歴史」を理解するうえで外国人
と比べると困難な部分がないうえに、沖縄の良さを肌で感じて既存のリピータ
ーとなっている人が圧倒的に多いことが最大の強みであるからだ。よって今後
沖縄県は、この国内のリピーター客とどう向き合っていくかが重要になると
我々は判断し、それに対する新たな可能性を提案したい。
第2節
真のリピーター
18
県はこれまでの観光政策の成果により、リピート客を創出し、文化観光の提
供に成功したことでその維持を実現してきた。我々は今後、沖縄県はその既存
のリピーターの質を向上させるべく、従来よりもさらに一歩踏み込んだアプロ
ーチをしていくことが必要であると考えた。そこで、まず初めにリピーターの
定 義 を 「 前 回 訪 れ た 時 か ら 1~ 2 年 以 内 に 再 訪 し た 観 光 客 」 と 定 義 づ け 、 そ の
リピーターよりもリピートする期間の間隔がさらに短いリピーターを生むよう
な取り組みを推進していくことにした。なぜなら、通常のリピーターよりも訪
れる間隔が短いリピーターの獲得は、その分の観光客数および観光消費も増え
るので、県の財政に直接影響すると言えるからである。
我々は、この従来のリピーターよりも質の高いリピーターのことを「真のリ
ピーター」と名付けることにした。
ま た 、沖 縄 県 文 化 観 光 ス ポ ー ツ 部 観 光 政 策 課 統 括 監 で あ る 下 地 芳 郎 氏 も 、我 々
が FW で イ ン タ ビ ュ ー を 行 っ た 際 、我 々 の 考 え と 同 じ よ う な 意 見 を 述 べ て お り 、
それは我々のリピーターに対する取り組みに、
「 滞 在 期 間 に お い て も 、よ り 長 く
なるようなリピーターの創出もまた必要である」という趣旨を付け加えたもの
で あ っ た 。 37 つ ま り 、 従 来 の リ ピ ー タ ー を 「 真 の リ ピ ー タ ー 」 へ と 昇 華 さ せ る
よ う な 取 り 組 み は 、県 に と っ て も 今 後 必 要 と さ れ て い た こ と な の で あ り 、
「真の
リピーター」の創出は実際に必要なのだ。
我々は、
「 真 の リ ピ ー タ ー 」を 獲 得 す る た め に は 、観 光 客 に「 も う 一 度 来 た い 」
と思わせる感動を提供し、そこから生まれる経験的な価値を強化していくこと
が 1 番効果的なアプローチだと考えるに至る。それについて下地芳郎氏は、沖
縄県が「真のリピーター」の獲得に対する取り組みとして考えている、新しい
観光のあり方をいくつか提示してくれた。そのどれもが、やはり観光客に感動
を与え、思い出や経験を強化していくことを目的としているところが共通して
言えることであった。一見して非常に抽象的な取り組みであるが、これらは、
従 来 の マ ー ケ テ ィ ン グ が 見 落 と し て き た 、経 験 か ら 得 ら れ る 、感 覚 的 、肉 体 的 、
情緒的感覚に訴える経験価値マーケティングという新しい観点からのアプロー
チであると考えた。また、我々の持つ意見、下地氏、牛窪氏の意見を総括して
19
みると、やはり三者とも経験価値を重要視していると考えることもできる。
第3節
経験価値の創出
経 験 価 値 マ ー ケ テ ィ ン グ( Experiential Marketing ) 38 と は 、バ ー ン ド ・ H・
シ ュ ミ ッ ト が 2000 年 に 提 言 し た 新 し い マ ー ケ テ ィ ン グ の 手 法 で あ り 、 従 来 の
マーケティングが見落としてきた、顧客の様々な経験から得られる感覚的、肉
体的、情緒的価値に訴えるものである。
従来のマーケティングとは、端的に言うと、ものが売れるしくみを創りだす
と い う こ と で あ る 。従 来 の マ ー ケ テ ィ ン グ は 、商 品 の 差 別 化 や 、4P な ど の 効 果
的手法を用いて顧客に満足してもらうことを目的としていた。しかしシュミッ
トの経験価値マーケティングは、顧客が実際にそのブランドを使用している時
や使用後も残る経験価値こそ意味があり、顧客に満足してもらうことを目的と
し て い る 。 39
経験価値マーケティングは、未だ研究過程にあるが故に、その実例と効果の
数が尐ない。確かに、消費者の経験価値は数値化できず、数値化するのが困難
なために、企業では実施されにくい。
し か し 琉 球 大 学 の 牛 窪 潔 氏 に よ る と 、経 験 価 値 マ ー ケ テ ィ ン グ だ け に 限 ら ず 、
マーケティングでは、すべての企業において、顧客の立場に立って、顧客の声
(本音と生の姿)に真剣に耳を傾ける志向が基本原則だとしている。
「企業は(企業人)は、社会の主人公である市場および顧客の本音および生の
姿を正確かつタイムリーに把握し、そのニーズや願いに適う商品やサービスを
創造・提供することによって、市場および顧客の満足を実現する担い手(プロ
フ ェ ッ シ ョ ナ ル と し て の 貢 献 者 ) で あ ら ね ば な ら な い 。」 40
上 記 で わ か る と お り 、経 験 価 値 の 創 出 は 、
「 顧 客 の 立 場 に 立 っ て 顧 客 の 声( 本
音と生の姿)に真剣に耳を傾けることを継続していくこと」から始まるのだと
言える。
これらを踏まえると、
「 真 の リ ピ ー タ ー 」の 創 出 に は 、経 験 価 値 の 概 念 に 基 づ く
20
観光客へのアプローチが必須であることがわかる。
そこで我々は、経験価値の観念に基づき、人の一生つまり生涯を通して観光
が可能なパッケージを提案したい。
第4節
生涯観光パッケージの提案
「生涯観光パッケージ」
④家族旅行
①家族旅行
(休養・保養)
②歴史学習
③レジャー
(修学旅行)
上図は、我々が提案する新たな観光パッケージである「生涯観光」という旅
行形態である。これは人の一生を考えた時に、沖縄県にはどの時期、どの年齢
であっても、それぞれに適した観光形態、観光資源があり、生涯を通じて沖縄
を楽しむことのできる観光をあらわしたものである。各時期にはそれぞれに経
験できることがあり、県や企業はこの枠組みの中で、それぞれに対応した新た
な観光のあり方を探すヒントにすることができるであろう。
以 下 、一 人 の 人 間 の 生 涯 と 照 ら し 合 わ せ て 述 べ て い く 。
(
)内 は タ ー ゲ ッ ト
である。
① 家族旅行(幼尐期)
これは子供のころに家族旅行で初めて沖縄を訪れ、沖縄はどういったとこ
ろなのか知ることができる時期である。沖縄の暖かい気候や青い海・白い砂
浜などの豊かな自然を感じてもらい、沖縄に対して国内のリゾート地である
21
というイメージを最初に植え付けることになる。
例)毎年暖かくなる春、夏などに家族でリゾートホテルに滞在し、ビーチや
水族館、北部に広がる広大な森林地帯でキャンプを楽しむなど。
② 歴史学習(小~高校生)
現 在 、 年 間 約 300 万 人 ( 全 体 の 約 6~7%前 後 ) の 学 生 が 本 土 か ら 修 学 旅 行
で 沖 縄 県 に 訪 れ る よ う に な っ て い る 。*沖 縄 に 修 学 旅 行 で 訪 れ る こ と は 、今 ま
で単に家族旅行で経験したような観光ではなく、文化観光ができるメリット
がある。戦争などの歴史に触れることで、平和学習ができることや、伝統工
芸体験など沖縄の文化に触れるプログラムに参加できることが多いので、幼
尐 期 に 芽 生 え た「 リ ゾ ー ト 」の イ メ ー ジ に 加 え 、
「 平 和 的 ・歴 史 的 に 魅 力 あ る
土地」や「本土にない独特の文化を持った土地」などの歴史的、文化的な観
光地としてのイメージが付加される。
例)平和記念公園での平和学習、琉球ガラスや壺屋焼きづくり体験、沖縄村
で琉球時代の沖縄県の人々の暮らしを学習する。
③ レジャー(大学生~社会人)
幼 尐 期 で 植 え 付 け ら れ た「 リ ゾ ー ト 」、中 学 高 校 生 期 に 植 え 付 け ら れ た「 平
和 的 ・ 歴 史 的 」、「 独 特 の 文 化 を 持 っ た 土 地 」 と い う イ メ ー ジ を も と に 、 青 い
海・白い砂浜やいつもの生活とは違う雰囲気の場所へ休養・レジャーに訪れ
ることを示している。国内でリゾートかつ異文化を体験できるという特性を
生かす。また、大学生や社会人になると ①や②の時期と比べて、フリープラ
ンで好きな場所を回ることが幾分可能となる年代であるので、地元民との交
流や社交場などに行くことも可能となり、地元の文化をより近いもので感じ
ら れ る 機 会 が 増 え る 。よ っ て ① の 時 期 よ り も 深 く 沖 縄 に ふ れ る こ と が で き る 。
この時期になると、結婚をするカップルが増えるため、リゾートウェディ
ングを挙げる人々も期待される。
例)友人関係、居酒屋などの社交場での地元住民との交流
22
穴場スポット巡り、リゾートウェディング
④ 長期滞在(夫婦、定年後)
こ の 長 期 滞 在 と は 、年 配 に な っ て き た 夫 婦 が タ ー ゲ ッ ト で あ り 、主 に 保 養 ・
休養を目的とした長期滞在を促すものとする。これから更に高齢者が増加し
てくことが見込まれる中、ゆったりとした時間の流れる沖縄で老後を静かに
過ごしたい方に最適である。また、牛窪氏によると、近年では学習意欲の高
いお年寄りが増えてきており、大学の夜間のオープン講義を受けにくる方が
多いようなので、沖縄の伝統にふれるツアーなどで歴史に触れる機会を設け
るのも良い。
また、もう尐し若い夫婦では、自分の子供を①の家族旅行に連れていくこ
とで、家族間の生涯で沖縄観光を浸透させることができる。
例)歴史学習をもとにした本島・離島の名所めぐりツアー
保養施設を備えたホテルでの長期滞在観光パック
このように沖縄県には、それぞれのライフサイクルに適合した観光が存在し、生
涯観光パッケージを実現する事ができる可能性があることが分かる。これはすなわ
ち、その分だけ経験価値が得られるチャンスが存在するともいえる。
逆に、それぞれの時期に十分な経験価値が創出されないことには、①から④まで
の一貫性を持ったパッケージの実現は不可能であることも露呈してしまっている。
この生涯観光パッケージを実現することにおいて、経験価値の創出は必要不可欠
であり、
「 真 の リ ピ ー タ ー 」の 獲 得 に は 、生 涯 観 光 パ ッ ケ ー ジ と 、顧 客 の 立 場 に 立 ち 、
顧客の本音に耳を傾ける経験価値の概念の両方からの取り組みが必要となる。
図
真のリピーター獲得実現への取り組み
23
生涯観光
パッケージ
真のリピーター
獲得
経験価値
第 3章
まとめ
こ れ ま で 我 々 は 本 稿 で 、沖 縄 県 が 今 日 ま で 、豊 富 な 観 光 資 源 を 生 か し な が ら 、
国と県が一体となった観光政策の成功により観光産業を発展させてきたこと、
1994 年 頃 か ら の リ ピ ー タ ー 増 加 に 伴 い 、「 平 和 的 、 歴 史 的 、 文 化 的 」 な 文 化 観
光 を 推 奨 す る こ と に よ り 、そ の 維 持 に も 成 功 し て き た こ と 、観 光 産 業 の 発 展 が 、
基地依存型経済からの脱却も促し、観光産業が沖縄県における重要なリーディ
ング産業になるまで成長してきたことを検証してきた。
そ の 後 、近 年 に お け る 観 光 客 数 の 落 ち 込 み と い う 危 機 的 状 況 を 踏 ま え な が ら 、
県がカジノ・エンターテイメント検討事業を大々的に推進し、それによる外国
人観光客の誘致を期待していることを取り上げた。しかしカジノ・エンターテ
イメント検討事業は、現実的に実現が困難であることを指摘し、我々は、これ
まで県が獲得してきたリピーターおよび国内観光客に目を向けることが望まし
いとした。
これまで県が取り組んできたリピーターの維持から、次のステップとして 、
「 真 の リ ピ ー タ ー 」の 獲 得 と い う 目 標 に 対 し て 、
「 生 涯 観 光 パ ッ ケ ー ジ 」に よ る
ア プ ロ ー チ を 推 奨 し て い く こ と を 提 案 し 、「 生 涯 観 光 パ ッ ケ ー ジ 」 の 実 現 に は 、
24
経験価値の概念に基づく取り組みが必要不可欠であるとした。
今後、沖縄県の観光産業は、大規模な開発を軸に発展していくことよりも、
その豊かな自然と魅力ある文化を大切にしつつ、顧客の立場に立ち、顧客の生
の声を尊重していきながら、ひとりひとりの生涯に根ざした新しい、沖縄らし
い観光を目指していくべきである。そしてそれが、日本の中で観光立県として
ある沖縄が担う責務なのかも知れない。
注
同 上 P.5~7
同上
3 同上
4 同上
5 沖縄県沖縄政策協議会著
『 沖 縄 経 済 振 興 21 世 紀 プ ラ ン 』( 2000 年 9 月 10
日 ) … 沖 縄 県 庁 HP よ り 引 用
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/okinawa/21century/21plan.html
6 同上
7 同上
8 同上
9 同上
10 沖 縄 県 文 化 観 光 ス ポ ー ツ 部 観 光 政 策 課 著 『 平 成 22 年 度 観 光 統 計 実 態 調 査 』
( 2010) P.1 参 照
11 宮 城 博 文 著 「 沖 縄 観 光 に お け る リ ピ ー ト 客 獲 得 の 取 り 組 み 」 第 47 巻 、 第 6
号 、 P.137 の 図 を 参 照 し 、 作 成
12 同 上 著
P.137~ 8
13 同 上 著
P.138
14 同 上 著
P.138
15 同 上 著
P.138
16 同 上 著
P.138
17 同 上 著
P.139
18 同 上 著
P.139~140
19 同 上 著
P.140
20 同 上 著
P.141
21 同 上 著
P.141
22 同 上 著
P.141
23 沖 縄 県 文 化 観 光 ス ポ ー ツ 部 観 光 政 策 課 著 『 平 成 18 年 版 観 光 要 覧 』
( 2009 年 1 月 ) … 沖 縄 県 庁 HP よ り 参 照
1
2
25
http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/16154/mokuzi.pdf
同 上 著 P.142
25 同 上 著
P.142~ 143
26 沖 縄 県 文 化 観 光 ス ポ ー ツ 部 観 光 政 策 課 著 『 平 成 19 年 度 カ ジ ノ ・ エ ン タ ー
テ イ メ ン ト 検 討 事 業 調 査 報 告 書 』( 2009 年 7 月 ) P.7 図 1- 6 よ り 参 照
して作成
27 同 上 著
P.7
28 沖 縄 県 企 画 部 企 画 調 整 課 著 『 お き な わ の す が た 』
( 2011 年 3 月 ) よ り 参 照
… 沖 縄 県 庁 へ の FW 時 に 、 観 光 政 策 統 括 官 の 下 地 芳 郎 氏 よ り 頂 い た 資 料
29 同 上 著
P.12~15 参 照
30 同 上 著
P.11
31 沖 縄 県 文 化 観 光 ス ポ ー ツ 部 観 光 政 策 課 著 『 平 成 22 年 度 カ ジ ノ ・ エ ン タ ー
テ イ メ ン ト 検 討 事 業 調 査 報 告 書 』( 2011 年 3 月 )
32 同 上 著
P.3
33 県 庁 へ の FW 時 に お こ な っ た イ ン タ ビ ュ ー ( 2011 年 8 月 4 日 午 前 11 時 ~
正午 沖縄県庁にて 観光政策課統括監下地芳郎氏と)
34 琉 球 大 学 へ の FW 時 に お こ な っ た イ ン タ ビ ュ ー ( 2011 年 8 月 3 日
午 後 2 時 ~ 午 後 4 時 30 分 琉 球 大 学 に て 琉 球 大 学 観 光 産 業 科 学 部
学部長牛窪潔と)
35 沖 縄 県 文 化 観 光 ス ポ ー ツ 部 観 光 政 策 課 著 『 平 成 19 年 度 カ ジ ノ ・ エ ン タ ー
テ イ メ ン ト 検 討 事 業 調 査 報 告 書 』( 2009 年 7 月 ) P.1
36 ( 財 ) 沖 縄 観 光 コ ン ベ ン シ ョ ン ビ ュ ー ロ ー 著 『 平 成 22 年 度 那 覇 空 港
観光案内所(国際線)機能強化事業 外国人観光客満足度調査報告書』
( 2011 年 3 月 ) よ り 参 照
37 県 庁 へ の FW 時 に お こ な っ た イ ン タ ビ ュ ー ( 2011 年 8 月 4 日 午 前 11 時 ~
正午 沖縄県庁にて 観光政策課統括監下地芳郎氏と)
38 バ ー ン ド ・ H・ シ ュ ミ ッ ト 著 『 経 験 価 値 マ ネ ジ メ ン ト 』 2004 年 、 ダ イ ヤ
モンド社
39 バ ー ン ド ・ H・ シ ュ ミ ッ ト 著 『 経 験 価 値 マ ー ケ テ ィ ン グ 』 2000 年 、 ダ イ
ヤモンド社
40 琉 球 大 学 へ の FW 時 に お こ な っ た イ ン タ ビ ュ ー ( 2011 年 8 月 3 日 午 後 2 時
~ 午 後 4 時 30 分 琉 球 大 学 に て 琉 球 大 学 観 光 産 業 科 学 部 学 部 長 牛 窪 潔 と )
24
26
Author
Document
Category
Uncategorized
Views
3
File Size
723 KB
Tags
1/--pages
Report inappropriate content