「永遠の命を得るには①~人の功績か?」 マタイ 19

「永遠の命を得るには①~人の功績か?」
マタイ 19 章 13~ 22 節
~マタイ福音書連続講解説教 51~
イントロダクション
1) ペレヤ伝道での文脈
 エルサレム途上の約半年ほどの出来事
 主イエスの覚悟(十字架)と、人々の期待(王権樹立)の乖離した期間
 19 章は人々との出会いを通じて、神の国の到来を教える
2) 「神の国」に関する主の教え
 1~12:結婚についての教え~パリサイ人の陰謀との出会い
 13~22:永遠の命についての教え①~富める青年との出会い
 23~30:永遠の命についての教え②~ペテロの質問との出会い
3) 「永遠の命」について
 「神との隔てない十全なものであり(質)、かつ来るべき時代にも継続される
恒久的(量)な交友」
 現在体験していると同時に、将来完成される 2 面性を併せ持つ
 この記事において共観福音書で初めて出現する
 ヨハネ福音書では多用されている
 「神の国に入ること」と同義語。 16 節と 23 節の比較
 当時のパリサイ神学と主イエスとの対立
 ユダヤ人なら誰もが自動的に神の国の住人であるとした
 主は悔い改めと信仰なくして神の国には入れないと説いた
人の努力や功績は神の国に入る条件となりうるのか?
Ⅰ
子供たちとの出会い
1. その背景
 ラビに祝福を祈ってもらうため、子供を会堂へ連れて行くのはユダヤの習慣
 そのときは、手を子供の頭に載せて祈る
 親たちはこのとき、その子供たちを主の下に連れて来た
2. 叱責する弟子たち
 子供に神の国が理解、経験できるとは考えていない
 それらは大人に関しての専有事項であり、子供はその邪魔をしてはならない
3. 主イエスの弁護
 子供の人権を認める~祝福を求め、受ける権利がる
 天の御国の模範である~子供は自らには与えるものを持たず、保護者にすがる
他ない。素直であると同時に、他者への信頼がある。
 彼らに手を置いて祝福された
Ⅱ
富める青年との出会い
1. 青年の質問:「永遠のいのちを得るためには、どんな良い事をしたらよいのでしょ
うか」
 財産家の青年(22)であり、役人(ルカ 18:18)であった
 真面目な求道者~パリサイ神学では飽き足らず、救いの確信がほしかった
 「尊い先生」(マルコ 10:17)=「良いこと、良い方」(16,17)
 「良い」:アガソス(ギリシア語)は、ユダヤでは神にのみしか用いられなか
った。人を形容するそれは、カロスである
 青年の背景にあるのは、良い行いが天国での位置を保障するとするパリサイ神
学である
2. 主イエスのお答え
① メシア信仰へのチャレンジを与えるもの
 なぜ私を「尊い」とするのか。神のみが尊い方である(マルコ 10:18)
 誤解を生み易い箇所である。主の意図を理解して釈義する必要がある。
 「あなたはわたしをメシア(神)であると信じるのか」との問いであった。
② 告白できなかった青年
 17 節の質問と答えの間に、沈黙の数秒間があった
 彼は信仰告白ができなかった
 ゆえに、主は言葉をつづけられた
③ 青年の信奉する神学(土俵)へ降りてこられた主
 「いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい」
 カトリック教会による功績による救いの教理の根拠として用いられた聖句
 文脈を理解する必要がある
 信仰のない彼に、律法による救いはあり得ない事を教えるための導入
 律法は人を信仰へと導く養育係りである。
「こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となり
ました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。」
ガラテヤ 3:24
Ⅲ
主と青年との問答
1. 語気を強める青年:「どの戒めですか」(18)。自信を持っていた現われ。
2. 主のお応え
 十戒の第 6、第 7、第 8、第 9、そして第 5 とそれらの総括を示した
 これらは対人関係の戒めである
 第 1~第 4 までの対神関係の戒めをあえて避けておられる
 彼は第 1 を明らかに破っていた
3. 胸を張る青年
 みな、幼いときから(マルコ 10:20)から守っている
 何がまだかけているのか?
 律法的生き方に救いがないのを経験し、さらに別の律法を知りたかった
4. 主のお招き
 「完全になりたいのなら」=「欠けたことが一つあります」(マルコ)
 「あなたの律法主義生き方を完全にしたいのなら」という意味
 文脈に注意して釈義せよ。良い行いが完全をもたらすと教えていない。
 「天に宝を積む」~神への信頼の実践
 「持ち物を売り払い、貧しい人たちに与えよ」~隣人愛の実践
 「その上で、わたしにについてきなさい」~イエスをメシアであると受け
入れること
5. 立ち去って行く青年
 「悲しんで去って行った」~永遠の命をあきらめざるを得ないゆえに
 富を選ぶか、神を選ぶかの選択を迫られた瞬間である
 彼を見つめる主の慈しみ深い目(マルコ 10:19)
結論
人の造った宗教と神の啓示された宗教の相違
1. 善行とその結果として祝福がある=人に根拠を置く神学
 パリサイ神学である。現在の異教徒や異端の抱く神学でもある。
 人間理性として納得しやすい~地に属する教えゆえに
 青年はその筆頭であったが、「完全」には至らずに落伍して行った
 私たちの努力では天国は勝ち取れない
2. 主イエスをメシアと受け取る信仰=主にだけ根拠を置く神学
 聖書の神学
 私たちにはなじみにくい~天に属している教えゆえに
 「良い方は、ひとりだけ」(17)
 この一人に信頼を置こう
 救いに至る道は唯一である