「第 2 次アフマディネジャード政権下のイランが直面する動揺と危機」 田中

第 3 回 IIST 国際情勢研究会
2009 年 9 月 18 日
「第 2 次アフマディネジャード政権下のイランが直面する動揺と危機」
田中 浩一郎/たなか こういちろう
(財)日本エネルギー経済研究所理事 兼 中東研究センター長
はじめに
第 2 次アフディネジャード政権が誕生し、彼の下で、次の 4 年間のイランがどうなるのか
ということをお話したい。イランは今年、革命から 30 周年を迎えたが、これまでの期間は最
初の 10 年、真ん中の 10∼20 年目、そしてこの直近の 10 年という風に 3 つに区切ることが
できる。最初の 10 年はホメイニ師が生きていた時代で、イラン・イラク戦争がそのうち 8
年を占めていた。革命による混乱、戦争による災害なども加わり、また総力戦になったよう
なこともあり、イランはホメイニ師という非常に強力な指導者がいたが、そのときは実は、
かなり危機を迎えていた時代が長かった。ところがホメイニ師が亡くなった後、むしろその
ときに危機が発生するかと思われたにもかかわらず、後継者になったハーメネイ師の下で、
この 20 年間は比較的、大事がないままやってくることができた。もちろん湾岸戦争やイラク
戦争があったし、周辺ではきな臭いこともたくさんあった。現在もイラン自身の核開発疑惑
の問題で、国際社会との間で軋轢があるが、実はイラン国内に目を向けた場合、そんなに大
きな問題はないまま、この直近の 20 年間、つまりハーメネイの 20 年間は割りと安定してき
た。しかしながら、今回の大統領選挙でいろいろ起きたことを見ていくと、この次の 10 年な
いしは 20 年かもしれないが、少なくともこれまでの 20 年間とはかなり様子が違い、イラン
が国内的に再び不安定に戻る局面を迎えるのではないかと思っている。これは雑感なのだが。
それについて、実はこういうタイトルの下でお話したい。
まずは大統領選挙のことに触れ、それをめぐって国内のパワーバランスに変化が生じてい
ること、そして 8 月の冒頭にアフマディネジャードの政権 2 期目が始まり、つい先日、新内
閣が国会で承認を受けたところだ。その内容について、少し触れたい。またイランが再選さ
れた政権とは関係なく日常的に進めているのが核開発で、その進捗状況、つい最近、イラン
が国際社会、とりわけ P5 とドイツの計 6 カ国に対し、交渉の枠組みに関する新たな提案を
出したので、それについての見方、そしてオバマ大統領が今年ワシントン、ホワイトハウス
に誕生したが、そのオバマ氏のいうところの対イラン交渉というものがどういう展開を迎え
るのか、ということでも話をしてみたいと思っている。
1. 大統領選とアフマディネジャードの再選
今回の大統領選挙では、ハーメネイ最高指導者にはアフマディネジャードの再選しかシナ
リオとして受け入れられなかったということがそもそもある。その結果、
「どうも数字がおか
しい」ということで、市民の街頭デモが生じ、介入することになった。選挙の有権者総数は
4620 万人で、現職のアフマディネジャード大統領とムーサヴィ元首相、この両名の間の競争、
1
ライバル関係がデッドヒートになった。投票は 6 月 12 日に行われ、翌日の 13 日夕方にはそ
の結果が出ていた。そのときにアフマディネジャードが 63%弱、ムーサヴィが 34%弱という
ことで、ほぼダブルスコア、投票率は 84.77 というイランの大統領としては歴代、最も高い
数字になった。
イランの場合、選挙の数字というか投票率を水増しすることが常にあり、何故そうなのか
というと、人々が投票に行っていないことがわかってしまうと、体制に対する信頼がないと
世間に認めてしまうようなことになるからだ。大体、倍くらいに水増ししている。今回は、
その倍の水増しがあったかどうかはともかくとして、少なくとも以前の大統領選挙などより
多くの人が、投票所に実際に足を運んでいたということが現象として確認されている。
こういう結果になった訳だが、そもそも大統領選挙を行うにあたり、ハーメネイ最高指導
者の志向はかなりはっきりしていた。最高指導者なので、大所高所から様々なパワーをバラ
ンスさせる形でこれまで動いてきたのが彼の役割でもあり、逆にいうと得意技であった。今
回は選挙前、ほぼ 1 年前から、アフマディネジャードの再選を望んでいる、そしてそれを支
持するというような動き、発言を続けていた。ハーメネイの立場は今回、かなり明確に出て
いた。一応、演説のときには、自分には特定の意中の候補者がいたとしてもそれはいわない
ということで断りを入れるのだが、20 分ぐらいしゃべらせると、そのうちの 15 分ぐらいは
アフマディネジャードのことを話しているとわかるような内容だった。普通イランの選挙は
国内の問題に終始することが多いのだが、今回は、当初アフマディネジャードが 4 年間に行
ったばらまきの是非をめぐる、経済政策を中心に議論が進むかと思われていた。ところが選
挙前のテレビ討論では、外交政策、特に対外イメージがどういうものであるかを巡り、アフ
マディネジャード候補とムーサヴィ候補との間で非常にはっきりした対立が生じた。要は国
際社会との間で対決路線をとることが是か非か、それによってつくり出されるイランのイメ
ージがイランの国益を損なうのか、あるいは国益に適っているのかということでの対立だ。
そういう点ではアフマディネジャードは強硬派といわれるように、どちらかというと対外的
な摩擦が多い。国内でも摩擦が多いが、対外的にも摩擦をたくさんつくり出してきた人なの
で、彼の外交路線というものがイランの権益や国益を著しく害するものだというムーサヴィ
氏の主張と、そうではなく、自分たちが正しいと思ったことをやるのが正しい、そしてそれ
が理解できないという、あるいはそれをもってイランを孤立させるというのであれば、それ
は諸外国の方がおかしい、というかなり一方的というか主観的な立場から、イランの外交を
語るアフマディネジャードということで対立があった。
そしてもう 1 つは世代交代、
世代対立がある。
1980 年代に首相をやっていたムーサヴィは、
当時はもっと若かった訳だが、ホメイニ師に非常にかわいがられていた。そして今のアフマ
ディネジャード大統領は、もちろんその当時も政治活動を始めてはいたが、まだまだ表舞台
や第一線級に来るような人ではなく、あくまでもホメイニ没後、ハーメネイの時代になって
から徐々に頭角を現した政治家だ。要はホメイニ時代の革命の闘士か、それを継承した者か
という対立だ。ここでもう 1 つ、今まで生じなかったことがある。テレビ討論を通じて明ら
かになったのだが、タブーが破られたということだ。何がタブーだったのかというと、革命
の時代、特にホメイニ師が生きていた時代の重要な政策決定を今更蒸し返し、
「あれが良かっ
た」
、
「悪かった」ということはこれまで普通しなかった。なぜかというと、ホメイニ師が生
きていて、最終的には彼が何らかの形でそれを承認しているか追認しているはずなので、そ
2
れを改めて後世の人間が批判することはタブーだった。しかしながら、アフマディネジャー
ドとムーサヴィのテレビ討論では、イラン・イラク戦争、これは 1980∼88 年のことだが、
このときの政策決定に関し、アフマディネジャードが、当時のムーサヴィのやり方に噛みつ
いた。これはいってみれば、ホメイニ師に可愛がられていたムーサヴィ、すなわちムーサヴ
ィの政策であるとすればホメイニ師もある部分了承していたことで、そこに踏み込んだ、こ
れまで見られなかった領域に政治抗争が入ったということだ。
イラン社会、有権者については元々1970 年代からいわれていたことだが、イランには都市
部の中産階級の考え方と地方農村部との間で相当大きな隔たりがある。極端にいえば、1 世
紀分の時間軸上の隔たりがあるぐらい違う世界の人たちだということはよくいわれていた。
それは極端な言い方かもしれないが、やはり都市部と地方では若干の違いがある。今回はそ
れに加え、ここで申し上げた外交路線上の対立ということでも重なるが、より主観にだけ頼
って、要は正義と厚生を主張する。その結果、孤高のイスラム共和国になってもそれが正し
い道であると主張するアフマディネジャード対、より普通の国、いってみればイランも地域
社会、国際社会の一員であり、その融和の中で生きていくしかないという、こういったイラ
ン、これはむしろ客観的な見方だが、こういう主観を主張する側と、客観的なイランを見よ
うとする側、この両者の間の対立があった。当然それぞれに投票した有権者も、どちらかに
与していた訳だ。つまり突っ張っていて、世界ののけ者、あるいは孤立しようとも、自分た
ちの誇るべきイランであって、その状態についてとやかくいうべきではないということを望
む有権者、そしてそうではなく普通の国になって、自分たちも国際社会、あるいは周辺国へ
出かけていったときに、イラン人だということでさげすまれたり、馬鹿にされたりしたくな
いと考える人たちの間の差だった。
先ほどのハーメネイがなぜ踏み込んだのかということだが、今回の選挙ではアフマディネ
ジャードを含めて 4 人の候補者がいた。しかしながらその 4 人の中で、ハーメネイ師にとっ
て唯一受け入れることができるのはアフマディネジャードだった。そしてもう 1 つは、ハー
メネイがこの 20 年間、最高指導者としての地位をつくり上げるに際して、いろいろな国内の
政治勢力に貸し借りの関係をつくってしまった。それをうまくやりくりしていくうえでは、
今回もアフマディネジャードの再選を促すこと、あるいは担保することが、こういった貸し
借りの関係をうまく遂行していくうえでも非常に重要だと考えていた。
選挙に先立ち、本来であれば保守系のウラマー、これはイスラム法学者だが、イスラム法
学者の組織がアフマディネジャードを強力にバックアップすると思われていたが、実はここ
が分裂し、アフマディネジャードの組織票の一部が欠ける見込みがあった。それは、アフマ
ディネジャードの勝利が危うくなるということだった。では誰が台頭するかということにな
り、残る 3 人の候補者のうち最もハーメネイが苦手とするのがムーサヴィだった。ムーサヴ
ィ元首相が 80 年代に仕えていたというか、彼の上にいたのが、大統領としてのハーメネイだ
った。ハーメネイも国民に直接選出された大統領で、当時の憲法の規定では内閣は大統領が
指名した首相が組閣することになっていた。その結果、ムーサヴィが国会の信任も厚く、ホ
メイニ師の覚えもめでたかったために、首相となり 7 年間を過ごす訳だ。
しかし実はハーメネイ師には当時から、ムーサヴィと対立があった。最初はそうでもなか
ったようだが、ムーサヴィ首相がハーメネイ大統領の頭越しにいろいろな政策を動かし、さ
らにホメイニ師とツーカーになったことによって、ハーメネイ師の居場所がなくなってしま
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った。それも相当、あとの関係を悪くする要因になったかと思われる。こうやって見ると、
ムーサヴィが再び大統領になる、しかも今の大統領というのは、ハーメネイ師が大統領だっ
た当時とは異なり、実権を握っているので非常にやりづらくなる。このためムーサヴィが大
統領に当選する可能性を嫌った。
もう 1 つ、アフマディネジャードのことを支持してきたといったが、彼の路線、特に外交
路線、先にいったように孤立を恐れない、あるいはイランの尊厳などを非常に大事にしよう
とする路線、これは元々、最高指導者たるハーメネイ師がいっていたことだ。それをアフマ
ディネジャードが受け売りか、あるいは信奉しているのかはともかく、実際に実行しようと
している訳なので、アフマディネジャードが負ければ、それが否定されてしまうことになる。
そうなると自分の威信にも傷がつく、権威も下がるということで、ハーメネイにとっては結
果としてアフマディネジャードの再選以外は受容できなかった。
選挙後、13 日に暫定結果が出た際には、早速アフマディネジャードの再選を祝福するよう
なメッセージを出してしまったがために、その後、撤回したり修正することが無理になった。
実際に選挙後、多くの人たちが街頭デモに繰り出して、不正を叫び、糾弾しようとした。ど
ういうところで不正が感じられたのかというと、例えば私が見る限りでは、開票速報が途中
計 12 回ほど発表されたが、その間、刻々と変化するはずの数字がほとんど変化しなかった。
大体、アフマディネジャードが 2 万票乗せるとこちらが1万票乗せるということで、得票率
がほぼ一定して動いていた。これは全国区で競っているので、州により開票が早かったり遅
かったり、また州により人口によって投票者数が違う、というようなことも含め、また本来
であれば人気に地域差があっても然るべきなのだが一定していた。全国的にどこを切っても
2 対 1 で、テヘランでアンケートをとろうと、田舎の村でアンケートをとろうと、3 人に聞け
ば 2 人はアフマディネジャードといい、1 人はムーサヴィという、その比率に変化が一切な
かったというようなことを意味し、明らかにおかしい。
そして 85%に届くような勢いの高い投票率だが、これも過去に例がない数字だ。4 人いた
候補者のうち、最も泡沫候補に今回なってしまったキャッルービという元国会議長がいる。
彼は前回、2005 年の大統領選のときにも大統領候補として出ていて、そのときには 7 人いた
候補者のうち、三番手につけ、得票率は 17%だった。それが今回は 1%にも満たないことで、
ものすごく票が少なく、前回の票は何だったのかと疑問に思わざるをえなかった。そして選
挙の運営上の問題だが、有権者が 4620 万人というときに、投票用紙を予備分も含めて 5900
万刷っている。なぜこういう必要があるのかというとイランの場合、大統領選挙のときには
自分の住んでいるところで投票しなくてはいけないという縛りがない。その週末というか金
曜日に投票するのだが、その金曜日にどこか地方へでかけるか、あるいはどこかの町に多く
の人たちが民族大移動のように集まり、そこでわっと投票してしまえば、確かに局地的には
投票用紙が足りなくなることは起こりうる。したがって大体どこでも、10∼15%ぐらいの予
備分が残るように鯖を読んでつくっている。しかし今回はそれ以上に、5900 万も刷っていて、
この鯖の読み方も大変なことだが、さらに驚くべきことは 6 月 12 日に投票が始まり、投票を
行っている間に投票用紙の不足が発生したところがいくつか地方で出てきたことだ。これは
どういうことかというと、ここで刷っていたはずの予備分がどこに消えたのかわからない。
そしてさらにこのとき足りなかったということで、増刷までしている。いったいどれぐらい
増刷したのかは、全く明らかになっていない。もちろん 5900 万をどの州へどういう形で振り
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分けたかも明らかになっていないのだが、当日に投票用紙が不足したというとき、本来であ
ればどう対処するのかというと近隣の町からかき集めるというのがおそらく一番合理的なは
ずだ。何故かといえば、投票用紙のようなものはそこら辺のコピー機でどんどん刷り増す訳
にはいかず、きちんとした、いわゆるお札を刷るような設備の輪転機があるところでしかで
きない。しかしそういう設備は当然、全国各地にある訳ではなく、テヘランなどごく限られ
たところにしかない。テヘランから遠く離れた地方で投票用紙が不足した際に、それをわざ
わざテヘランで刷り直し、もう 1 回運ぶということはオペレーション上、無理がある。本来
であれば周辺からかき集めればよい、しかしそれができなかったということは、予備分がど
こに使われていたのかと疑わざるをえない。
そして前回、2005 年の選挙のときにもあったのだが、投票の前々日に世論調査結果という
ものが官製のメディアによって流された。世論調査というのはあまりきっちりしたものが
元々イランにはないのだが、前回、2005 年の選挙のときに何が起きたかというと、選挙の 2
日前まで泡沫候補にしか過ぎなかったアフマディネジャードが、この世論調査結果で突然、2
位につけ、あれよあれよという間に決選投票に持ち込んで、決選投票ではラフサンジャニを
ひっくり返して当選した。今回も何らかの指針となるようなものが出るのかと思っていたら、
出た。出たのは何かというと、いろいろな官制メディアがあるが、大体おしなべて 2 対 1 で、
アフマディネジャードがムーサヴィを下すという結果だった。そしてもう 1 つは、この世論
調査というものがどの機関によって行われたのかということを、どのメディアも 1 つとして
報じなかった。皆そろって、それぞれが「信頼できる調査機関の結果によれば、
・・・」とい
う数字を出した。その数字は皆微妙に異なっていたが、実際にどの機関が、いつ、誰を対象
に行ったという情報は一切ないまま、2 対 1 という数字が先に出てくる。それは先ほどいっ
たように、最終結果と極めて近いものだった。
そしてもう 1 つ、問題がある。2005 年の大統領選挙の第 1 回投票では、投票総数が 2700
万であまり多くなかったのだが、そのときに何人かの候補者、つまりラフサンジャニ、キャ
ッルービ、モイーン、メフルアリーザーデという 4 人はどういう人たちかというと、少なく
ともアフマディネジャードとは正反対か、かなり遠い政治的志向を持つ人たちだった。この
ときは、キャッルービ、モイーン、メフルアリーザーデの 3 人は明らかに改革派といわれる
陣営で、ラフサンジャニは改革派ではないが、アフマディネジャードとは極めて遠い関係に
あった。この 4 者の票を足していくと、1700 万ぐらいだった。2700 万のうちの 1700 万と
いうのはかなりの数で、過半数を超えている訳だが、それと今回の数字を比べるとどういう
ことになるかというと、ムーサヴィという候補と、今回も出ているキャッルービの 2 人が少
なくとも改革派か改革派に近い立場なのだが、この両者を合わせても 1500 万に満たない、
1400 万にも届かない状況だった。
総投票数は 3900 万で、前回の選挙より 1200 万人も多くが投票所に足を運んだということ
だ。イランのこれまでの傾向では、投票率が上がる、あるいは投票者が増えると大体、改革
派に有利になる。すなわち浮動票が改革派に流れるか、投票に行かない人たちが出てきて改
革派に票を投じることになるので、改革派の票が本来、伸びるはずだ。前回より 1200 万人も
多くの人間が投票に来ているにもかかわらず、
この改革系の候補者の総得票数が 1400 万にも
届かなかった。つまり、前回より票が 300 万も減っている。これも変な話だということにな
る。ということで、極めて不自然な数字がこうやって明らかになる。これをどう読み解くか
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というと、私が考えているところは先ほどいった理由から、とにかく再選させなければいけ
ない、再選以外にはないのだということがハーメネイの頭、他の連中の頭にあった。その再
選も決選投票にもつれ込んでの再選ではなく、第 1 回投票ですんなり決着をつける必要があ
るほどの再選、要するに圧勝が必要だった。
なぜ圧勝が必要なのかというと、先ほどのハーメネイの権威の失墜と面子の問題と同じだ
が、仮に第 2 回投票、決選投票で再選されたとしても、再選が 1 回目で確定しなかったとい
うことは、国民の半分が現行路線に対して意義を唱えているという意味になってしまうから
で、それは受け入れられない。なぜ受け入れられないかについては、先ほどの外交路線、イ
メージのことで申し上げたが、もう 1 つ 2005 年の選挙のときよりも今の方が問題になって
いるのは、核開発疑惑へのイランの対応の仕方だ。今回は前政権のハータミ政権と異なり、
国際社会と極めて明確に対決することもいとわないような立場で対峙してきているので、そ
の路線も対決姿勢の中に入ってしまい、そしてそれを国民の半分、あるいは半分以上が支持
していないというメッセージを与えてしまう。そうなると国内だけの問題ではなく、対外的
にこの選挙を通じてイランの立場、あるいはイラン政府が主張しているこのプログラムは国
民の強い支持の下で進められているので、政府の一存では撤回できないのだという論拠も崩
れてしまう。それを担保するため、最終的に何が行われたかというと、ムーサヴィの実際の
得票に応じて、アフマディネジャードの票を一定のマージンを築くような形で積み上げてい
ったのだろうと思う。
そしてもう 1 つおかしかったのは、普通、投票というのは数えながら進むので、ブレイク
ダウンされた数位があり、それが集計所にもたらされて積み上げられ、最終的に 3900 万の票
がこういう形に割れている、と出てくるのだが、ブレイクダウンされた数字が 1 週間、発表
されなかった。再三再四にわたる要求にもかかわらず、今回の選挙では先に総数と、それぞ
れの候補者の得票数が出て、どの州で何票それぞれの候補がとった、あるいはどの投票所で
どういう風に票が割れたというブレイクダウンされた数字が出なかった。これは何か、集計
作業が間に合わなかったなどということで説明できる話ではなく、先にそれが終わっている
からこそ最後の数字が出てくる訳であり、いかにもその間に一生懸命鉛筆をなめて数字をつ
くっていたとしか思えない状況だった。
今回、不正を行った人たちの最大の誤算は何だったかというと、多くの人間が実際に投票
に来てしまい、それによって投票用紙が足りなくなるという本来であれば起こりえない状態
が発生し、おかしいところが増えたことだ。水増しされていた票、つまり 1300 万ぐらい余分
に刷っている訳なので、その票を全部重ねれば、下手すると、投票率が 100%を超えたかも
しれないという危険性すらあった。実際に、3900 万の人間が投票していた。そしてさらに、
それとは別個、1300 万あった予備票を何らかの形で既に投票箱に叩き込んでいたのであれば、
足したら 5200 万になってしまう。ということで、とんでもない事態を迎えかねなかった。そ
こからぼろが出たのかという感じだが、このような不正、あるいは不正の尻尾が見えると、
私は今までイランの大統領選挙で、結果がひっくり返るような不正はやっていないだろうと
思っていたのだが、実は 2005 年、前回の大統領選挙でラフサンジャニとアフマディネジャー
ドが決選投票を行ったときだが、このときもひょっとしたら第 1 回投票で、ラフサンジャニ
の得票分を他の候補者にも付け替え、あえて決選投票を演出したということもあったのでは
ないかと疑いたくなるようなやり方だったと思う。
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2. アフマディネジャードの強権姿勢、閣僚人事
さて、選挙結果についてあれこれ文句ばかりいっても仕方なく、今後のことだが、要はこ
の選挙を通じて何が決まったかというと、1 つはアフマディネジャードが再選されたという
ことだ。彼は政権 1 期目に既に唯我独尊、強権姿勢が染みついていた訳だが、強権姿勢の方
は、1 期目は抑えていた。私も大統領に就任した当初はもう少し厳しいやり方をするかと思
っていたが、意外とおとなしかった。しかし今回は再選されたということ、そしてその再選
に対してデモも含めていろいろな形で内外からケチをつけられたこと、その 2 つをあわせて
今まで我慢してきた強権姿勢が表面化するのではないかと思う。実際に既にこれは出てきて
いて、政権 1 期目より相当に強硬な姿勢で反対派や野党をつぶす勢いだ。大統領選挙のとき
のテレビ討論では、ムーサヴィ氏の前で、アフマディネジャードは紙の束をバンと出し、こ
れが自分に対して寄せられたいわれのない非難で、自分は今まで 4 年間これに耐えに耐え抜
いた、しかし今後は容赦しない、というような含みを持たせた強気の発言をしていた。これ
がまさに今後、現実のものとなりそうな気配だ。
あと当然、彼は再選されて気をよくしているので、閣僚人事で自分のやりたいようにやる。
フリーハンドを得たということから、動く訳だ。もう 1 つは政権 1 期目のとき、これは 4 年
前の選挙のときだが、当初から国内外でアフマディネジャードはとんでもない強硬派だと見
られていた。そしてこれは誤報だったのだが、アメリカ大使館人質事件、1971∼81 年 1 月ま
で続いたものだが、このときの首謀者の 1 人だったということで写真がインターネットに出
て、彼は最初から相当ひどい目に遭った。それでひねくれたというか、少しすねたようなと
ころがあったのだが、今回は最初から正当性への疑問を突きつけられ、抗議デモを封殺した
ことによって国際的にも圧制者としてのマイナス・イメージがさらに加わった。大統領選で
勝ち上がったにもかかわらず、そのことを祝福する祝電や電話メッセージはあまり来なかっ
たという。これは来ることには来たのだが、アフリカの国やベネズエラ、大きな国ではロシ
ア、中国くらいで、ほとんどの国から無視され、国際的には孤独感、疎外感を前回以上に味
わった。ということで、対外路線に関しても政権 1 期目以上にピリピリしたものが出てくる
のではないかと思う。
アフマディネジャードが唯我独尊というのを先に示したが、彼は今回、再選されことを完
全に自分の実力と勘違いしているようで、人事をめぐって自分を助けてくれたはずのハーメ
ネイ師と早速、不協和音が生じている。政権末期、つまりアフマディネジャードの再選が決
まったのは 6 月末で、実際に 2 期目がスタートするのは 8 月冒頭で、この1ヶ月半あまりの
間に政権末期であるにもかかわらず、閣僚の交代が相次いだ。1 つは閣僚という立場ではな
いが、副大統領兼原子力エネルギー庁長官のアーガーザーデが交代になった。そしてエジェ
イという情報相が辞任させられ、文化イスラム指導相というマスメディアを統括する閣僚も、
やめそうになった。これは最終的にはやめなかったのだが、一旦は辞表を出したそうだ。と
いうことで、沈み行く船から逃げるように人が去っていくような状態が、そもそもあった。
これは何を表しているのかというと、実はアーガーザーデにしてもエジェイにしても、ハ
ランディにしても、ハーメネイと近い。アーガーザーデはラフサンジャニともパイプがある
が、一方でハーメネイとも関係がある。エジェイもハランディもそういう立場の人で、閣内
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からハーメネイと近い人間が結局、去っていった、あるいは追放したというような構図だ。
そして第 2 期目に向けて組閣準備に入る訳だが、いの一番に彼がやった人事は何かという
と、マシャーイという文化遺産担当の副大統領である人物で、日本にも来たことがあるのだ
が、彼を、閣議を主宰する権限を持つ第一副大統領に格上げしようとした。マシャーイは他
にも特徴が 2 つあり、1 つはアフマディネジャードと縁戚関係にあるということ、そしても
う 1 つは「イスラエルの国民はイランの友である」という発言をして、イランの宗教界と政
治界の両方から強い批判を浴びたことだ。そのとき既に、アフマディネジャード大統領に対
して各界から、
「マシャーイを解任しろ」という動議が起きた。そういう立場にある人で、今
回よりによって、そのいわくつきの人物を第一副大統領に格上げしようとしたら、やはり痛
烈な批判があった。しばらくはアフマディネジャードもがんばったというか、無視していた
が、最終的にハーメネイから直々に手紙が来て、これを撤回せざるをえなくなった。
いずれにしても、ハーメネイとの間で選挙後、明らかに不協和音を発生させているのがア
フマディネジャードだ。特徴的だったのは、8 月の冒頭にアフマディネジャードが大統領の 2
期目を始めるにあたって最高指導者の下に行き、最高指導者から要は認証式として、大統領
としてのゴーサインを最終的にもらうのだが、そこでアフマディネジャードが授与をされた
後、ハーメネイ氏に近寄って抱擁しようとし、それをハーメネイが避けるという場面が、こ
れはテレビ映像にも出ていた。4 年前にはハーメネイはそのようなことはしておらず、アフ
マディネジャードを寄せて、抱擁している。同じことを今度はアフマディネジャードがしよ
うとしたら、ハーメネイがそれを拒否した訳だ。
さて、今後イランの中はどうなっていくのかだが、基本的に今まではいろいろな形で、ハ
ーメネイが右も左も、あるいは強硬派も穏健派も含めて、争点があるごとに、ある程度バラ
ンスをとりながらうまく差配してきた。ところが今回は、問題が 2 つある。1 つは、アフマ
ディネジャードが非常に強くなってしまった。あるいは本人の勘違いかもしれないが、ハー
メネイの意向すら無視しかねないほど強くなってしまった。もう 1 つ、その裏側では、アフ
マディネジャードの再選に一方的に与したということを国民の目の前に示したことによって、
ハーメネイのバランサーとしての役割、あるいはバランスをとるための仲裁者としての役割
がむしろ損なわれてしまったことになる。
第 1 期のアフマディネジャード政権下の 4 年間では、ハーメネイから見て、アフマディネ
ジャードが強くなってきたと思ったときに何をしたかというと、ラフサンジャニを使った。
大統領選挙で 4 年前に敗れたとはいえ、ラフサンジャニというカウンターバランスをうまく
使い、ラフサンジャニに体制利益判別評議会という機関を通じて三権に対する監督体制をひ
かせたり、あるいは強硬派による専門家会議支配を阻止させたりということでバランスをと
っていた。そしてあとは保守本流の陣営を活性化させることで、例えば他の人物を登用する、
あるいは外交評議会を設置して外交の基本路線をそこで決めてしまうということも試してみ
た。ということで、過去 4 年間のアフマディネジャードのカウンターバランスとして、ハー
メネイがこういうツールを持っていた。
次の 4 年間、第 2 期アフマディネジャードがどうなのかというと、彼にはラーリジャーニ
という兄弟がいる。3 人兄弟なのだが、1 人は今、国会議長をしているアリ・ラーリジャーニ
で、もう 1 人、最近、司法長官に任命されたサーデフ・ラーリジャーニというのがいる。こ
の両名が、いってみれば、三権の長のうち 2 つのポストをラーリジャーニ兄弟が占めている
8
状態にある。元々、ラーリジャーニとハーメネイは関係がよいといわれ、どうもこのラーリ
ジャーニを何らかの形でアフマディネジャードのカウンターバランスにしようとしているの
ではないかと思える。アリ・ラーリジャーニは 2005 年の大統領選挙のときも、大統領候補と
して立っていたし、第 1 期政権下では当初、国家安全保障最高評議会の事務局長の要職にあ
った。ここで欧州連合(EU)などとの核交渉を取り仕切っていた訳だが、路線対立をアフマ
ディネジャードとの間で起こしたことによって、更迭されてしまっている。国会議長になる
のはその後のことだ。
それから、あと可能性として考えられる中でいうと、大衆運動をうまく取り込むことだ。
今のところはアフマディネジャードとハーメネイで明らかに対応が違うのは、アフマディネ
ジャードは今回の大統領選挙の結末をめぐって騒いだ連中、すなわち大統領の対立候補であ
ったムーサヴィやキャッルービこういった連中も含めて取り締まれ、いってみれば監獄に送
ってしまえといっている。ハーメネイも当初はかなり厳しいことをいっていたが、ここへ来
てそのトーンが明らかに変わっており、こういった対立陣営に温情、理解を示している。と
いうことで、今はかなり様子が変わってきた。まだまだハーメネイ自身が極端に違う方向に
ぶれるということを示すようなところではなく、少なくともアフマディネジャードに対する
カウンターバランスをどういう風に設けるのかという程度の話だ。
国会の信任投票が先月 11 日に行われ、その結果から、いわゆる主要閣僚を何人分か出して
きた。これで何がいえるかというと、1 つは革命防衛隊の出身者、あるいは関係者が、ここ
だけでも 5 人いるということだ。もちろんアフマディネジャードもその関係者だ。5 人いて、
この 5 人が 5 人とも、
内閣の 21 ある閣僚ポストの中で重いポジションをきっちり押さえてい
る。内務大臣、情報大臣、国防・軍需大臣、石油大臣、そして文化イスラム指導者のように
メディアを統括するところだ。ということで、いわれてきたように、無血クーデターのよう
な、イスラム革命防衛隊(IRGC)の影が、イランの政界に忍び寄っているといえる。
そしてヴァヒーディという前回までは国防・軍需大臣の代理人の立場にあった人が、今回
大臣に繰り上がっている。
彼は 1994 年にアルゼンチンのブエノスアイレスで起きたユダヤ友
好協会の爆破テロ事件で、インターポールから重要人物として手配を受けている人だ。こう
いう人物を閣僚候補に挙げるということも、そもそも大問題だったと思うが、彼が 227 票と
いう最も多い票を集めて大臣に就任している。もちろん 54 というそれなりの反対もあるのだ
が、明らかに国会としてはイスラエルやアメリカ、ヨーロッパから文句をつけられることに
なると余計に燃えてしまい、何が何でも大臣として認めざるをえないというような状況にな
ったともいえる。このようにヴァヒーディが、最も多くの票を集めて大臣になっている。
あと何がいえるかというと、石油大臣、そして鉱工業大臣の両名については、賛成票がか
なり少なかった。イランの場合、国会定数は 290 なのだが、そのときの審議に実際に参加し
て投票した総数の半分を獲得しなければ信任を得ることはできない。ということで、147 対
136 で、6 票がこちらにずれたらミール・カーゼミ石油大臣は誕生しなかった訳だ。したがっ
て、白票の勝利というか、白票の信任になる。
メフラービヤーンもそれほどぎりぎりではないが、やはりかなりきわどかった。これで何
がいえるかというと、1 つはアフマディネジャードの経済閣僚については依然として、国会
は納得していないところが多いということだ。経済・大蔵大臣のホセイニのように、圧倒的
な数で信任を得て留任している人もいるが、これはむしろ例外で、こちらのパターンが、つ
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まりアフマディネジャードの経済政策に対しては今の国会も引き続き懸念を持っているとい
うことの現われだと思う。
3. 対外関係、核開発問題
もう 1 度、大統領再選に戻るが、これにどういう意味が含まれているのかということも考
える必要があると思う。2008 年のアメリカ大統領選挙では、オバマがチェンジを引っ下げて
当選を果たした。イランではそれに呼応したチェンジが発生するのかというのが 1 つの関心
事ではあったが、再選された。現行路線が続くということは、要はイランのチェンジを否定
したということだ。これについては内外共に、言明している。その中には当然、核開発問題
では現行路線を貫く、対米関係の修復についてもアメリカ側が降りてくるのだったらその交
渉を考えましょう、ということだ。そして中東和平など域内外の諸問題では、イランは首を
突っ込みたがるという少しお節介なところがあるのだが、そういった態度も今後も続けると
いうことだ。
なぜそういう結論に至るのかというと、オバマ政権がアメリカで誕生したことは、イラン
の見方からすると、イランが正しいという意味になる。なぜそのような理屈になるのかとい
うと、オバマが勝ったということは共和党候補が負けた、ブッシュ路線が完全に否定された
ということだ。ブッシュ路線ではイランをことさらいじめたので、つまりアメリカ国民がイ
ランいじめを間違っていると判断したことになる。だからこそ、今のイランの道は正しい、
という都合のよい理屈だ。そういう成り立ちで今、動いている。そしてイランの勝利とはど
ういうことかというと、ハーメネイが支持してきたアフマディネジャード路線の勝利に他な
らない。したがって、一方的にイランが勝ち名乗りを上げている訳だ。ただイランとしても
実利は得たい訳なので、アメリカ側がある程度、柔軟に動くのであれば、アメリカと、特に
オバマと対話をしないという訳ではない。オバマの就任以来、イランはずっとオバマの動向
を注視してきた。
オバマ政権誕生以来、この 8 月末に至るまでのアメリカとイランの動向を見ると、プラス
マイナスの最終的な清算はしていないが、まずはマイナスから入った。イランはイランに対
する軍事攻撃のオプションをアメリカが否定しない限りにおいては、受け入れられないとい
うことを前々からいってきた。イランのその路線をアメリカが認めない限りは、イランとし
て受け入れることはできないということだ。それについて最初から、スーザン・ライス国連
大使が厳しいことを言うことで、マイナスから入った。そしてさらにいえば、イランが最も
こだわっていた軍事オプションの排除も、アメリカ、ホワイトハウスが拒否しており、マイ
ナスから入っている。そしてその後はプラスマイナスの状態が続き、交互にいろいろなこと
が出てくる訳だが、これを見ていてイランがとまどってしまった。混乱と戸惑いが生じ、こ
れは何で生じたのかというと、イランはチェンジを期待していたためだ。しかしマイナスか
ら入り、無知が先に来た。その一方で、3 月にはイランの新年にあわせ、オバマ大統領がビ
デオ・メッセージをイラン国民とイラン政府に対して投げかけた。これをどうとってよいの
かということで、イラン側には戸惑いと混乱が生じている。
ここからは核開発の話に入るが、この夏にいくつか起きたことを中心にお話ししたい。1
つはア−ガーザーデ副大統領兼原子力エネルギー庁長官が辞任、更迭された。これは 6 月末
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のことだが、後任のサルヒーというのは、2003 年に国際原子力機関(IAEA)との交渉にお
いて、非常に大きな失敗をしでかしたことで更迭された大使だ。この人が今回はアーガーザ
ーデの後任になった。アーガーザーデは原子力の専門家でも何でもなく、元々は石油大臣を
80 年代から長くやっていた。彼がイランの核開発でどういう功績を残したのかというと、マ
ネージメントの分野でだ。今までのイランの核開発は少なくともいろいろな機関が適当なこ
とをバラバラにやっていて統制がとれず、きちんと進めることができなかった。それをアー
ガーザーデが原子力エネルギー庁長官になってから、比較的、系統立ってマネージメントを
行うことにより、かなり進展した。その人物を今回更迭したということが、まずあった。
それからイランは、核施設に対する軍事攻撃を禁じる新たな国際協約を提唱している。イ
スラエルによる軍事攻撃が行われるのではないかということをある部分、見越して、それを
外交的に抑止するということが多分あるのだと思う。この 9 月、まさに今行われようとして
いる IAEA の年次総会において、それを出そうということだ。既に 1990 年代に、1 回似たよ
うな決議が通っているそうだが、今回はよりそれを広範なものにしたいというのが、イラン
の狙いであるようだ。
あとは IAEA の問題になるが、IAEA が実はイランが核兵器開発を行っているという、あ
るいは核兵器開発に必要な情報を追求していたということを示す証拠を握っているにもかか
わらず、それを使っていない、公にしていないという記事をイスラエルの新聞が掲載した。
これが本当かどうかはまだわからないが、その後に、非難されたエルバラダイ事務局長本人
は、イランの脅威自体がそもそも誇張され過ぎているということで、むしろそちらの方に警
鐘を鳴らしている。
今般、オバマ氏が、東欧配備の予定があったミサイル防衛システムの見直しを出した。こ
れ自体は本来、ロシアとの関係や、いろいろな別のファクターが主要因として入っている訳
だが、ある意味、イランの脅威がそこまで差し迫っているものではないということのベース
ラインがここでは共通していると考えられる。
あと、8 月末に IAEA の最新報告が出た。これでいくつかのことがわかる訳だが、特に注
目すべきは以下の 5 つの点だ。1 つは、遠心分離機の数、総数は増えており、今 8000 基ぐら
いをイランは持っていることになるが、実際に遠心分離を行っているのは 4500 ぐらいで、こ
の数は今年 5 月の段階から増えていないということだ。一方、そうはいっても、この動いて
いる遠心分離機で濃縮されているウランは、確実に増えるということで、六フッ化ウランの
状態で貯蔵されている低濃縮ウラン、ウラン 235 が 5%程度までのものだが、これは 1430
キログラムも貯蔵されているという。この数字をよく使って、イランは既に核爆弾 1 発分や
1.5 発分のウランを持っていると意訳される訳だ。この報告が出る直近の 2 カ月間、6 月と 7
月では六フッ化ウランの遠心分離機への導入というのはあまり増えていない。ペースは同じ
くらい、わずかながら改善はされているが、それほど効率性が上がったということではない
ようだ。
一方、IAEA に対してイランは、若干の譲歩を見せている。ナタンズの燃料濃縮設備、FEP
に対する査察強化に合意したことが今回、明らかになり、さらに建設中のアラークの研究用
重水路に対する現場査察をほぼ 1 年ぶりに受け入れている。ただ設計条項の事前開示につい
てはまだ、拒み続けている。この背景をいろいろ考えると、アラークの研究用重水路の立ち
上げは 2013 年ごろだろうといわれるが、
そろそろ現場サイトに核分裂物質を持ち込んだりす
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るのが近いのかという感じを受ける。イランは一応、これを 6 カ月前に申告すれば、IAEA
との間、つまり核不拡散条約(NPT)の保障措置上の違反にはならないという立場をとって
いる。だからそろそろイランがここへ核分裂物質を持ち込む準備が整ってきたということか
ら、現場の査察受け入れを今回、認めたのではないかと私は思っている。そしてあと、イラ
ンの兵器開発にかかわるような研究が行われていたことが疑われている、この疑惑の研究と
いう問題だが、これについては依然としてイランが情報を開示しないがゆえに進展はないと
いうことだ。
それほど目新しいものはなかったという今回の報告だが、それが出た後にイラン側が P5+
1、国連安保理常任理事国 5 カ国にドイツを加えたこの 6 カ国に、新たな交渉に対する新提案
を出すことを予告した。つい先日これは出た訳だが、2005 年の 5 月に一度それを出している
ので、ほぼ 1 年数カ月ぶりの新しいバージョンということになる。ただ、こういうものが出
てくることによって、実際問題、何が変わるのかというと、何も変わらない。中身は当初予
想されたとおり、スカスカというか、何の中身もなく紙の無駄、またイラン側からすると英
訳をしなくてはいけなかっただろうから、その翻訳をする手間をかけただけ無駄ということ
だ。内容を簡単にいうと、イランから見てこれが世界にとっての問題なのだろう、つまりグ
ローバル・イッシューというものを取り上げ、その解決に向けてイランと国際社会が協力し
ていく用意があるということを謳っただけだ。
冒頭、神の時代というか、
「神性に基づく新時代の到来にふさわしい」などと訳のわからな
いことが随分書かれていて、要はイラン側にとって都合のよいことしか書いていない。これ
を受け取った P5+1 は実際にまだ交渉についていない訳だが、交渉を蹴ってもおかしくない
ような内容だ。その一方で、10 月1日には次の交渉がトルコで開催されることが予定に入っ
てきている。
ヨーロッパとの交渉、あるいはアメリカのオバマ大統領が謳っているイランとの直接交渉
や協議という問題について、おそらく今回のイランの大統領選挙の後の混乱がやはりマイナ
ス要因になっている。一番の問題は、オバマが大統領選挙後の混乱に、とりあえずはコメン
トすることを避けていたことだ。これは非常に懸命な選択だったと思うが、自分のカウンタ
ーパートの正当性を自ら否定してしまっては交渉に臨む意味もなくなり、相手を怒らせるだ
けなので、慎重な物言いで避けてきた。最終的にオバマもアメリカの議会のいろいろな反発
もあったので、イランにおける弾圧も含めてコメントせざるをえなくなった。そして直接交
渉が大統領選挙後の騒乱によって影響を受けることも、本人が認めている。
この 6 月後半というのは、イタリアのトリエステで G8 サミットに向けた外相会議が行わ
れたときにあたり、春にも一旦あったが、イランのモッタキ外相がイランや周辺国、そして
アメリカを含めた国際社会の関心事となっているアフガニスタン問題を協議するため、G8 の
トリエステ会議に招待されていた。しかし欧米から選挙後の騒乱の取り締まりに対する批判
を浴びたがゆえに参加を拒否し、最終的に物別れ、喧嘩別れになっている。
オバマのイニシアティブで、アメリカの独立記念日のレセプションに在外のイラン外交官
を招くという通達が 6 月の段階で出ていたようだが、これも結局、実行されないままに終わ
った。あとはイランの騒乱の中で、イギリスなどいくつかの外国がこれを扇動したとイラン
が強く主張し、英国などとの関係が非常に険悪になった。またもったいないことだが、選挙
の前後に 2 回、オバマ大統領がハーメネイ最高指導者に宛てて親書を出しているそうだ。こ
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の内容は私もまだ確認していないが、いずれにしても、イラン側は応じていない。そしてよ
うやく 10 月と期日が決まったが、この夏の間も結局、P5+1 との交渉は、成立することなく
来ている。
まとめになるが、今後のイラン像を考えていくと、イランは今までのイスラム共和国と彼
らがいってきたような政体とはかなり変わってきたということだ。何が変わったのかという
と、今回の大統領選挙における介入というか、マニピュレーションというものから明らかな
ように、当座の安定というものを重視しているがゆえに、彼らが大事にしてきた民主主義、
つまり中東で最も自分たちこそが民主的な選挙を行っているという看板を自ら降ろすような
ことになってしまった。そして最高指導者が仲裁者や調停者として、今まで活躍してきたそ
の立場すらも失うような状況に入っている。
まだアフマディネジャードの第 2 期目が始まったばかりなので、何か特別なことが発生し
ない限り、今後 4 年間、彼が大統領であり続ける。1 つ考えなければいけないのは、2001 年
にハータミが再選されたとき、まず考えたのはハータミ後に何が起きるかということだった。
イランの場合、再選は 1 度しか認められていないので、必然的にアフマディネジャードはこ
れが、最後の 4 年間ということになっている。では 4 年後に誰が出てくるのかということを
考えなければいけないときに早くも入ってくる訳だが、基本路線としてやはりアフマディネ
ジャードをつくり上げているイランの権力構造というものが変わらない限り、その後継者の
路線は、同じようにポピュリストを装いながらも強権的な性質を強く持った人物であろうと
いうことを想像せざるをえない。
それはどういうことかというと、アフマディネジャードのように、あるいはそれ以上に、
IRGC、革命防衛隊との距離が近い人が、もちろん軍服ではないが、選挙というメカニズムを
通じて国民に選ばれたということで大統領になる、そのケースが非常に強くあると思う。一
方で、今回の騒乱を通じて何がいえるようになったかというと、私はおそらくこの体制はあ
と 20 年ぐらいが限界だということだと思う。今までイラン・イスラム共和国体制はいつまで
続くかという質問を受けたとき、
「50 年ぐらい続いてもおかしくない」と私はいっていた。
いってみれば、誕生から 80 年を迎えるぐらいまで続くかもしれないということだ。それはわ
からないが、相当まだ長期間続くという言い方をしていた。しかし今回の対応の仕方を見て
いると、やはりもう少し短いという印象を受けた。反対勢力の声や運動というものを、アフ
マディネジャードの言葉を借りると、これは塵や埃になってしまう。それをやはりうまく内
部で処理できない体制は、基本的に力で抑え込むしかない。先ほど挙げたように、イランが
不安定期日に入るということを含め、この先それほど長くは続かない、前に私が考えていた
50 年というタームではもはや持たないだろうと今は考えている。
そして核開発自体は、依然として進んでいる。イラン国内の天然ウランの生産量、あるい
は採掘量といってよいかもしれない。それがあまり伸びていないこともあるので、ひょっと
したら思っていたほど、核開発が技術的に進んだとしても、実際に爆弾を持っていたりする
ことには拡大しないのではないかという楽観的な見方も一方ではある。ただ技術的な進捗が
まだ進むということは当面のところ、間違いない。その下で、国際社会、特にアメリカやイ
スラエルは、イランにより厳しい姿勢をとる、少なくとも追加制裁というような話には当然
なってくる。今のところ、今回の大統領選挙後に祝電や祝福メッセージを送った国の中に、
中国とロシアが含まれているということから考えると、追加制裁の合意は、安保理ではそれ
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ほどすぐには達成できないという感じだ。ただ対照的に、アメリカの議会は上院、下院共に、
イランの制裁強化について準備を進めている。オバマ大統領がいう、対話にまだ期待という
か、何らかのチャンスを与えようということで、最後のトリガーは引いていないが、準備だ
けはするとし、虎視眈々と制裁強化の機会を窺っている。
問題が 1 つあり、アメリカ議会が今用意しているガソリンをイランに輸出する企業を懲罰
にかける、あるいは二次制裁にかけるというようなやり方は、確かにイランにとっては困る。
必要量の 3 割から 4 割ぐらいのガソリンをイランは今、輸入しているので、それが入らなく
なれば、特に輸送機関がかなりの打撃を受けることは確かだ。その効果はわかるが、その目
的を考えると、これまでのアメリカの制裁、そして安保理制裁ももちろんだが、これはかな
り制裁の対象が絞られていた。大量破壊兵器開発、そしてその運搬手段であるミサイル、そ
れにかかわるいわゆるデュアル・ユース・テクノロジー、軍民両用技術、これを網にかける
ということを対象にしてきたが、ガソリンをイランに入れない、あるいはイランにガソリン
不足を発生させるということは、確かにイラン経済は困るが、そのときの目的はもはや軍用
や軍民両用ではなく、イラン国民生活をもターゲットにしているということで、これまでの
制裁の枠組みや狙いとは相当違うものに入っていくことになる。これがいつ発生するのかだ。
オバマ大統領は、
「今年いっぱいは交渉だ」ということをネタニヤフ首相にいっているし、
ここ最近の言い方では、国連の今年の総会、国連総会のときまでに 1 つの回答を得たいとい
うようなこともいっている。しかし、そのような時間はもう残っていない。ということで、
いつものことだが、この先の見通はあまり明るくないということで終わりたいと思う。
(以上)
※敬称略/役職等は発表当時のものです。
※固有名詞等の表記は、報告者によって異なる場合があります。
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