成田達輝さんインタビュー(PDF:245.0 KB )

成田達輝さんインタビュー
~ 成田さんの素顔に迫ります ~
■大垣では、自分の誕生日の日に、何か新たな出発点になるような演奏会 に
したいですね。
■この楽器を使うようになって(グァルネリ・デル・ジェス)、ベートーヴェンを
やりたいと思うようになりました。
■中野さんという本当に素晴らしいピアニストの方と、お互いが「火花を散ら
すような演奏をしたいと思っています。
プライムコンサート Vol.3 に向けて、出演者 ヴァイオリニスト成田達輝さんにお話を伺いまし
た。世界最難関と言われる「エリザベト王妃国際ヴァイオリンコンクール」から 3 年、パリを本拠
地に世界中で活躍している若きヴァイオリニスト 成田さんの「現在」やこれからのコンサートにか
ける思いを聞きました。
Q
A
高校を卒業されてから、パリに渡られてもう 5 年ですね。
高校を卒業したその年に、初めてフランスに行き、1 ヶ月滞在しました。その時は「学校に入る」という
ことではなく「フランス文化そのものにふれたい」という思いがあって、個人レッスンを受けながら一人で
生活してみたわけです。18 歳のときですね。 5 月に 1 ヶ月パリに住んでみて、最終的にパリのアパート
に入ったのが 8 月。9 月に入学試験を受けようとしたのですが、ちょっと様子が変わっておりまして・・・
まず第一にすでに憧れていたジャン・ジャック・カントロフ先生が教えていらっしゃらない、もう一つです
ね、直前に入学試験の要項が変更されまして、音楽院の試験の前に、まず「フランス語の試験」に受からな
ければならない・・・ということになったのです。そんなこともあって、10 月に区立の 13 区にある区立
の音楽院に入学しました。
Q
A
いきなりパリ音楽院に入学されたもの・・・と思っていました。
入れなかったんです。それで「どうしよう」となりまして、1 年浪人して放浪するわけにもいかないの
で、
「とりあえず学校に入って勉強しなきゃあ」ということで、フランス語を勉強しながら、13 区音楽院の
フローリン・シゲティ先生にヴァイオリンを習うことになったのです。
これは本当に偶然なのですが、14,5 歳のとき初めてインタビューを受けた時に「好きなヴァイオリニ
ストはどなたですか」という質問がありまして、そのとき、
「カントロフ」と「ジョセフ・シゲティ」とい
って 13 区のフローリン・シゲティ先生の祖父にあたる方・・・のお二人の名前をあげていたんですね。
それで、13 区の音楽院へ行って、その方にお会いしたとき「ピッ!」としまして(笑)・・・その年は 13
区で勉強して翌年「パリ音楽院」へ入学しました。
僕がシゲティ先生から学んだことは本当に大きかったで
す。実は、中学生のころから右腕をけがしていまして、痛くてあまりヴァイオリンの練習ができない・・・
という問題を抱えていたのですが、シゲティ先生とお会いして基本的なフォームや弓の使い方とか、レッ
スンを受けて全くその痛みがなくなりまして、私にとっては神様のような先生です。シゲティ先生との出
会いがひとつのターニングポイントのような気がしています。
Q
A
翌年からはパリ音楽院へ行かれることになったのですね。
実は、パリ音楽院で習ったのは、カントロフ先生のお弟子さんだった方なんです。フランス国立放送管弦
楽団、通称「ラジオフランス」のコンサートマスターで、スヴェトリン・ルセフさんという方に習うことに
なりました。
話が飛んでしまうんですが、今月の 21 日、22 日、もうすぐですけれども、サントリーホールでルセフ
先生と、指揮者のチョン・ミョンフンさん、桐朋学園の学長であられた堤剛さん、僕がセカンドを弾いて、
ピアノクインテットを演奏することになっているのでとても楽しみにしてるんです。
Q
コンクールのお話を聞かせてください・・・この間に、ロン=ティボー、エリザベト国際と二つの大き
なコンクールを受けられたわけですね・・・。
A
今思うと「なんであんなことをやったのだろう」と思いますが、8 月にパリのアパートに入って、二つコ
ンクールを受けたんです。8 月にパリに着いて、
一週間でジェノバへ飛んで、パガニーニコンクールですけど、二次予選で落ちてしまって・・・ダメだったの
で「くやしい!」ということで、その年の 11 月にロン=ティボーコンクールを受けて第 2 位をいただきま
した。高校を卒業した年、18 歳のときですね。
Q
A
そんな状況の中で 2 位をとられたということですね。
確かにひどい状況でした。アパートのドアは閉まらないし、雨漏りはするし、そのころ色々ありすぎて多
分必死だったんだろうと思います。忙しすぎて手の痛みも忘れていました。
でも、このロン=ティボーのコンクールを受けたことは、その後のパリでの生活や勉強、演奏活動にとて
も生きていると思います。 学校で色々な音楽家の友達ができましたし、色々な人とのつながりを助けてく
れました。また、ロン=ティボーコンクールの本選ではオーケストラ伴奏していただいたんですけど、その
時のコンマスがルセフさんでして、その翌年からそのルセフさんに習うことになるわけですが、「すでにコ
ンクールでお会いしました」
・・・ということになったんですね。
Q
その 2 年後の受けられたエリザベト・コンクールと言えば、世界的に著名な「超難関」のコンクールで、
若手の登竜門といった印象がありますが・・・。
A
当時は全く、そういうことを考えていなくて「この後コンクールだ。頑張るぞ!」ということで、本当に
根を詰めて練習したのは 2~3 週間前でしたね。
こういうと「ないものねだり」みたいですけど、18 歳のコンクールの時はアパートがグチャグチャで、
20 歳のエリザベトコンクールの時は楽器が手に入らなくて「楽器をどうしよう」という話で・・・。ロン
=ティボーを受けた時は、日本の楽器店から楽器をお借りしたのですが、その後、東日本の震災の影響があ
って、楽器を返却したのですね。確かコンクールの翌年の 3 月だったと思います。それから楽器がなくて・・・。
Q
A
エリザベト・コンクールの時の楽器はどうされたんですか?
パリの弓職人の方に試奏用の楽器を紹介していただきました。倉庫の中に投げ入れてあるようなものが
二台ありまして、そのうちの一つが「こっちはすごくピュアな音がして、これなら何かできそうだな」と思
ったのですね。それを一週間ほどお借りして弾いてみて決めました。それは無名の楽器でフランスの楽器か
イタリアのものかもわからなかったのですが、その時は震災の影響もあって、楽器も返却して弾く楽器とい
うのが本当になくて、人の家に行って、借りて練習するという感じでしたので・・・
その楽器は、スイス人のコレクターの方が所有していたものだそうですが、どういう楽器であるかは結局
わかりませんでした。この楽器でコンクールを受けたのですが、コンクールに行ってみると、セミファイナ
ル 24 人の中にストラディバリウスが 4~5 人、
グァルネリを弾く人も 2 人いて、
「えっ?」
という感じで・・・。
Q
A
成田さんは、倉庫で埃をかぶっていた無名の楽器で・・・
ラジオでは「日本人 成田さんのあの楽器はおそらくイタリアンでしょう」とか「い
やいやイタリアンじゃなくてフレンチでしょう」とか・・・大体「イタリアの 19 世
紀の楽器だろう」と発表されたらしいですね。誰も本当のところは知らないのですが。
コンクールの結果については、もちろん 2 位よりは 1 位のほうが嬉しいですが、その場で体得できたもの
という点で、このコンクールの意味は大きかったですね。本選の一週間前「シャペル・ミュージカル」とい
って、音楽院生の尞に閉じ込められて過ごすんですね。そこの生活が僕には合っていて、朝・昼・晩の食事
を興味深い音楽家たちと同じテーブルで共にして、食事のあと、ミントティーをもって部屋に戻って練習す
るのですが、一日の流れがとてもシンプルだったですね・・・食事と練習と散歩と・・・ということで。将
来、自分もそういう空間を持ちたいなと憧れました。
Q
A
楽器のお話が出ましたので、今お使いのグァルネリのお話を聞かせてください。
1738 年のものですからバッハが生きていた頃の楽器です。今からおよそ 270 年前になります。このグ
ァルネリの楽器をお貸しいただいたのは、丁度 1 年ぐらい前、カナダのトロントにお住まいの個人の方から
です。
あの時は、コンサートの日に、突然メールが来まして・・・僕のエリザべトコンクールの本選のパガニーニ
の演奏の映像を YouTube で見て貸してくださったのです。突然、どこか知らないところからメールがポン
ときたのです。
「えっ!これは何かの間違いでは」と本当にびっくりしました。
最初は「どこかでお会いできれば光栄です」と書いて下さって、次に、メッセージを送らせていただいた
後に、とても長い文章をいただいてその中に、「自分は今、この楽器をもっていて、若い演奏家に貸与した
いと思っていて、実はエリザベトコンクールでのパガニーニのカデンツァの部分を見ました・・・とても素
晴らしい!」と書いて下さっていて本当にびっくりしました。その 2 週間後、トロントにお借りしにいった
んです。というか、楽器を見にいきまして、その時に、その方のお顔を存じあげないのに、トロントの空港
までお迎えにきていただいて、お話しているうちに、その方とすごく仲良くなって「もしこの楽器が君に合
っているようだったら、貸したいと思っているんだけど・・・」と言われました。弾いてみると、とにかく
すごくいい楽器でしたので、お借りできることになり、とても嬉しく思っています。
通常、財団などからお借りする時は契約書を書いて、貸与期間というのもあるんですが、今回は個人的な
ものなので、何というかファミリーの一員のようになって、長くお貸しいただけることになりました。実は、
弓もお貸しいただいていて、そういう点では、エリザベトコンクールを受けた時に比べたら、今すごく自分
のやりたいことが一番深く探せるし、表現することができるようになっていると思います。
Q
来年、成田さんのお誕生日の日に大垣に来ていただけるということで、とてもうれしく思っていますが、
どんなコンサートになりそうですか。
A
今、23 歳の自分ができる限りのことを尽くしたいと思っています。コンサートによってまちまちですけ
ど、プログラムノートを自分で書きたいと思っています。なかなか無いじゃないですか。演奏家が書くなん
て。演奏をさせていただく自分がその曲とどのようにかかわってきたのか・・・思い起こすような形でエッ
セイを書きたいと思っています。より分かり易くお客様に浸透するような工夫をしたい。やはり演奏家がど
う思うか・・・ということが大切なので、自分でノートを書きたいと思っています。
Q
A
来年 3 月、大垣ではどんなプログラムになりそうでしょうか。
今年はフランスの作曲家の作品ばかり演奏しました。来年に入ったら、できる限りフランスを抜け出し
て、ドイツものに取り組みたいですね。ベートーヴェンのソナタを一つは入れたいと思っています。今ツア
ー中ですので、今回のツアーが完全に終わってから決めたいと思います。来年は、ドイツ音楽を中心にロシ
ア音楽も一緒にやりたいと思っています。
Q
A
来年は大きく変わっていきそうですね。
これから自分が演奏家として、色々な思いを背負って、生きて、ステージに立って演奏していくというこ
とで、来年の大垣では、自分の誕生日に何か新たな出発点になるような内容で演奏出来たらいいと思います。
楽器も変わって、自分の中の傾向というか、曲にどのようなアプローチで取り組むかということ、あとは、
この作曲家を中心に・・・というようなことが生まれつつありますので・・・。それは本当に不思議なので
すが、この楽器を弾くようになって、ベートーヴェンの音楽は必ずやりたいと思っているんです。
ヴァイオリンソナタの何番にするかはまだ決まっていませんが、中野さんという本当に素晴らしいピアニ
ストの方と、もし出来るのなら、お互いが「火花を散らすような」第 9 番の「クロイツェルソナタ」もいい
と思いますし、今一応絶対に弾こうと思っているのは、ラヴェルの「ツィガーヌ」、チャイコフスキーの「ワ
ルツ・スケルツォ」
、ポンセの「エストレリータ」という小品などです。もう少し考えればひとつのプログラ
ムとして方向性が見えてくるでしょうし、自分もこれからエッセイを書きながら、決まってくると思います。
大垣の皆さんへ一言・・・
大垣の皆さん、初めまして。ヴァイオリニストの成田達輝です。来年の 3 月 5 日に、ピアニスト中
野翔太さんと一緒にリサイタルをさせていただきます。実は、とても個人的なことなのですが、3 月
5 日は私の 24 回目の誕生日でして・・・といっても、ステージ上で「ハッピーバースデイ」を弾く
ようなことはやりませんが、何かとても「サプライズ」に溢れたプログラムと最近とても興味をもっ
ている「詩の朗読」など、色々なアプローチで皆様に素晴らしいステージをお届けできたら、と思っ
ていますので、ぜひお楽しみください。
訪問日:平成 27 年 10 月 10 日
会 場:大阪いずみホール
インタビュー:大垣市文化事業団事業課