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堀内 浩太郎さんを偲んで
2016年4月23日
永海
ご略歴
1926年 東京生まれ
1950年 東京大学工学部卒業 専門は航空工学
1950年 横浜ヨット(株)に入社
巡視艇、観光船、水中翼船、プロペラ船、そりなどを設計
1952年より1年半 岡村製作所へ出向し、軽飛行機の開発に従事
このとき 山名正夫先生(元東大航空工学教授)の下で働く。
山名先生の飛行機デザイナーとしての姿勢や思想に惹かれ、その後の
堀内さんの設計に大きく影響。
山名先生著の「飛行機設計論」は堀内さんの愛読書
1960年 日本楽器製造(株)(現在のヤマハ(株))に入社。ボート事業の立ち上げに参画
その後 ボート事業は 1964年に ヤマハ発動機へ移管
1974年-1993年 ヤマハ発動機の取締役として 主に マリン、ボート部門を担当
1985年-1992年 アメリカズカップ技術チーム 担当重役(兼務)
1984年-1992年 堀内研究室(先行商品研究) 室長兼務
1996年10月
ヤマハ発動機(株)の常任顧問を退職され、鎌倉へ転居
(2002年10月5日 浜松名鉄ホテル)
2003年5月
勲五等瑞宝章受章記念祝賀会 (浜松)
2014年12月9日
堀内さん米寿のお祝いの会
(浜松にて)
社内ボート設計者向け 技術読本
開講にあたって (狙い)
・愉快にやってクレイジーになろう
・ボートデザイナーほど素敵な商売はない
1985年6月-1986年6月
246ページ
・おもしろがれば パワーは無限
・夢は夜ひらく
・信頼関係を (明るさ、礼儀、成果を大切に)
・トレーニングとは (しきい値を超えたアピール)
・世界に通用するボートデザイナーになってほしい
1998年6月-1999年3月 417ページ
出版図書
1987年(昭和62年)8月出版
2002年(平成14年)4月出版
「あるボートデザイナーの軌跡2」に掲載
・波照間
自分の船だから、思い切ってわがまま勝手な船を
作ってみた
・快速小型ヨット「ツインダックス」
高速でディンギーの群をスイスイ縫っていく水中翼
ヨットの夢を見た
波照間
・競漕艇の7つの工夫
ボートレースに道具で勝つための奥の手7つ
・「マリンジェット」の開発
運動性を楽しむ水上オートバイが欲しかった
・高速人力ボート
今 人力ボートは漕艇より遥かに速く、20ノット目前
マリンジェット
高速人力ボート
・無人ヘリ 「R-50」
ただ一つ、100機の無人ヘリが活躍する国
無人ヘリ 「R-50」
・水中動力遊具 「ドルフィン」
水中エンジンと水中遊具の拡がり
ドルフィン
・水中翼船「OR51」
競艇で水中翼船が走ったらおもしろかったと思う
・水中翼船
「OU90」「OU96」
水中翼のマリンジェットとマイクロバス
「OU90」
・水中翼船「OU32」
長年の夢の運動性を実現した水中翼船
「OU32」
「OU96」
・高性能軽飛行機「OR15」
90馬力で330km/h航続距離4800km 次世代の軽飛行機
・リーンマシン「OR49」
地球の負荷と渋滞をなくする全天候2輪車
高性能軽飛行機「OR15」
・クレストランナー物語
波を突っ切って走るボートの運命
リーンマシン「OR49」
・「パスポート17」と「フィッシャーマン22」
石油ショックで生まれた重量半分馬力1/3のクルーザーと
プレジャー用釣り船のパイオニア
・水中発電機の夢
ネパールの奥地に電気と水を届けたかった
クレストランナー
・高速モーターセーラーの構想
セーリングと30ノットの機走 それにハンドルだけで
搬送する至福のボートの構想
水中発電機
・ソーラーボート「OR55」
20年間 燃料補給なしで使える音無しボート
フィッシャーマン22
ツインダックス
・ツインダックスの快走
学生の手で夢の水中翼ヨットが実現した
・ソーラーボート「OR55」
・快速シーカヤック
30%抵抗が少なく転覆しない安全で速い船
・FRP自動車 「OU68」
一生ものの超低公害車をFRPで造る
パスポート17
・FRP自動車
「OU68」
堀内さん
ありがとうございました