ケース 12. 1 スイス・イタリア 2 国間労働協定と 1964 年の改定 2 国間労働協定は、たいてい優勢な国と劣勢な国という支配・従属関係にあるパートナー 国家同士の間で結ばれ、労働者を送りだす国が従属的であり、移民受入国に対しての影響 力は小さい。ここで検討されるケースは、一方でイタリア人移民労働者とその家族に大き な利益をもたらし、他方で、スイスには、政治的にも社会的にも永続的な変化を与えるこ とになったものである。2 国間協定の改定は、スイスを移民国家へと変貌させることになっ たが、第二次世界大戦後にイタリア人移民労働者受入を再開し始めたころにはまったく予 想すらできなかったものである。 第二次世界大戦後、スイスは大量の外国人季節労働者を主にイタリアから再び受け入れ ることにした。季節労働者は、毎年帰国する義務が課せられていたが、許可証は毎年更新 することができたので、多くの労働者はスイスに戻ってきていた。しかし、スイス在住イ タリア人の宗教団体や労働組合、イタリア共産党 (PCI) やローマ・カトリック教会と関係 をもつ各組織のみならずイタリア政府も、スイスでのイタリア人季節労働者の扱いが問題 であるとして批判を開始した。大きな問題になったのは、季節労働者がスイスにいる間、 自分の家族と離れている期間が長いということであった。実際はどうかというと、家族は スイスで労働者に面会できる権利はあったが、会いに行った家族が不法滞在する傾向が強 まっていたのである。そして、イタリア人季節労働者の子供たちの教育がとくに問題とな っていた。 イタリア政府は、スイスへのイタリア人季節労働者の入出国・労働条件を規制する 1948 年に締結された 2 国間協定の見直し交渉を要請し始めた。この動きを生みだすうえで、ス イスのイタリア共産党の友好組織やその傘下の労働組合やカトリック教会が大きな役割を 果たした。イタリア政府は、この結果、海外在住者のイタリア内政への参加と代表を可能 にするための制度変更を行ったが、これは、多くの国に海外在住国民を抱える国々ではよ くみられることである。 多くの移民の故国は交渉において不利な立場に立つことが多いが、イタリアはその点で 異なっていた。イタリアは当時の EC 加盟国であるという点で交渉には有利な立場にいた。 イタリアは EC 創設当時よりのメンバーであり、スイスはそうでないという点を利用して、 イタリア政府は 1948 年の 2 国間協定改定のための秘密交渉にこぎつけることができた。 1964 年に公表された新しい協定は、5 年連続で季節労働に従事したイタリア人労働者は、 スイス政府から通年労働が可能な労働許可証をもらえる資格を獲得できるようにするとと もに、直近の家族メンバーが一緒に滞在できるようにしたのである。この条項が発表され ると、スイスの保守的な人々は驚き、スイスは移民国家になってしまうと不平を漏らし始 めた。そして、実際そうなったのである。この結果、スイスではメディアに派手に取り上 げられた、スイスへの合法移民者数の上限規制の導入や、移民の削減を問う一連の国民投 1 ケース 12. 1 スイス・イタリア 2 国間労働協定と 1964 年の改定 票が 1970 年代に行われるようになった。これらの国民投票は成立しなかったが、政府は外 国人労働者の雇用の削減に動いた。この国民投票にまつわる政治は、1980 年代の他のヨー ロッパにみられた移民排斥の政治の先駆けとして位置づけることが可能だが、その後もこ れは、スイス政治の中心的争点となっているため、世界に対するスイスのイメージを大き く変容させることになった。 2
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