「セミナリー基本的教義」8−第一原則と儀式 8. 第一原則と儀式 「わたしたちは、福音の第一の原則と儀式とは、第一に主イエス・キ リストを信じる信仰、第二に悔い改め、第三に罪の赦しのために水に 沈めるバプテスマ、第四に聖霊の賜物を授けるための按手であること を信じる。」(信仰箇条1:4) 信 仰 信仰とは「まだ見ていない真実のことを 待ち望む」ことです(アルマ32:21)。信仰 は賜物であり、信仰を増すには神の言葉を 聞き、正しい生活をする必要があります。信仰とは言われるままにた だ信じるのではなく、自分の生き方を通して表明するものです。 人を救いへ導くためには、イエス・キリストに対する信仰を持たな くてはなりません。イエス・キリストに対する信仰を持つということ は、主を完全に信頼するという意味です。主の無限の贖罪と力と愛を 信頼するのです。それには、主の教えを信じることも含まれます。た とえ自分たちはすべてを理解していなくと も、主はすべてを知っておられるということを信じるのです。 末日聖徒は、父なる神、聖霊、神権の力、そして回復された福音の そのほかの重要な事柄に対しても信仰を持っています。信仰によって 霊的、肉体的な癒しを受けることができます。信仰はまた、前進し、 苦難に立ち向かい、誘惑に打ち勝つ強さを与えてくれます。信仰によ って、平安が得られます。主はわたしたちの信仰に応じて、生活に奇 跡をもたらしてくださいます。 信仰により、人は罪の赦しを受け、ついには神とともに住めるよう になるのです。 悔い改め 悔い改めとは思いと心の変化です。悔い改めは、神や自分自身や世 界に対する新しい見方を得させてくれます。悔い改めには、罪を捨て、 赦しを求めて神に立ち返ることが含まれます。悔い改めは、神に対す る愛と、神の戒めに従いたいという心からの願いに動機づけられたも のです。 わたしたちは罪を犯すことによって汚れます。汚れた者は、天の御 父のもとへ帰り、天の家に住むのにふさわしくありません。しかし、 イエス・キリストの贖罪を通して、天の御父はわたしたちの罪が赦さ れる唯一の道を備えてくださいました(イザヤ1:18参照)。 悔い改めるためには、罪を犯したことを悲しみ、天の御父に告白し、また必要ならほかの人々 に告白し、罪を捨て、罪によって損なわれたすべてのものを可能なかぎり償い、神の戒めに従っ て生活する必要があります(教義と聖約58:42−43参照)。 バプテスマ 権能を持つ者によって水に沈められるバプテスマは、福音における 救いの儀式の第一のものであり、末日聖徒イエス・キリスト教会の会 員になるために必要な儀式でもあります。バプテスマは人が日の栄え の王国に入るためにも必要です(ヨハネ3:5参照)。 バプテスマという言葉は、「浸す」または「沈める」という意味のギ リシャ語に由来しています。水に沈めるというのは、人が罪深い人生 に終止符を打ち、生まれ変わって神と神の子供たちへの奉仕に献身し ながら霊的に生活していくことの象徴です。また、死と復活の象徴で もあります。 地上に生まれたすべての人がこの世で福音を受け入れる機会に恵まれるわけではないため、主 は死者のためのバプテスマを行う権能を授けてくださいました(1コリント15:29参照)。このこ とにより、霊界で福音を受け入れる人は神の王国へ入ることを許されます。 聖霊の賜物 人がバプテスマを受けた後、一人以上のメルキゼデク神権者がその 人の頭の上に手を置き、教会の会員に確認します。確認の儀式と呼ば れるこの儀式の中で、聖霊の賜物が授けられます(ヨハネ3:5参照)。 聖霊の賜物は聖霊の影響力とは違います。人は時折、バプテスマを 受ける前に聖霊の影響力を感じることがあり、そのような力を通して 真理についての証を受けます。聖霊の賜物を受けると、戒めを守るか ぎり、聖霊を常に伴侶とすることができるという権利が与えられます。
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