2012 2012 年 3 月 11 日 東日本大震災1 東日本大震災1周年祈念礼拝 聖書: 聖書:ルカ 10 章 38- 38-42 節 「一番大切なもの 一番大切なもの」 なもの」The Most Important Thing 序 論 ●2012年 2012年3月11日 11日、金曜日、 金曜日、世界中を 世界中を震撼させた 震撼させた大震災 させた大震災が 大震災が、500キロメートルにも 500キロメートルにも及 キロメートルにも及ぶ東日本 太平洋沿岸一帯 太平洋沿岸一帯を 一帯を襲った。 った。 ●あの日 あの日から、 から、日本は 日本は勿論大きく 勿論大きく変 きく変わった。 わった。世界にもエネルギー 世界にもエネルギー問題 にもエネルギー問題を 問題を中心に 中心に大きい影響 きい影響を 影響を与えた。 えた。 ●あの日 あの日、皆様は 皆様は、いつ、 いつ、どこで、 どこで、どのようにして、 どのようにして、あの惨事 あの惨事のニュースを 惨事のニュースを知 のニュースを知られただろう られただろうか だろうか? そし て、そのときどのようにそれを受 そのときどのようにそれを受け止め、次の瞬間に 瞬間に何をしたか覚 をしたか覚えてお えておられるだろうか? られるだろうか? ●私は、いつものように、 いつものように、あの朝 あの朝、センターの センターの金曜日の 金曜日のプログラムである「 プログラムである「小羊キッズ 小羊キッズ」 キッズ」に参加するため 参加するため に準備をしていた 準備をしていた。 をしていた。私は、大抵、 大抵、教会に 教会に行く前に、その朝 その朝のニュースをインターネットとテレビで確 ニュースをインターネットとテレビで確 かめるのが かめるのが通常 るのが通常の 通常の習慣である 習慣である。 である。 ●その朝 その朝もそうであった。 もそうであった。そのとき、 そのとき、あの驚愕 あの驚愕の 驚愕のニュースが耳 ニュースが耳と目に飛び込んできた。 んできた。テレビの映像 テレビの映像を 映像を 見ながら、 ながら、あの9 あの9・11の 11の米国の 米国の同時テロ 同時テロ事件 テロ事件のときと 事件のときと同 のときと同じように感 じように感じた。家々が、建物が 建物が、船が、 車が、津波に 津波に流されていくようすは、 されていくようすは、まさにまるでハリウッドの まさにまるでハリウッドの映画 ハリウッドの映画でも 映画でも見 でも見ているようであった ているようであった。 であった。不 謹慎な 謹慎な言い方であるが、 であるが、現実なのに 現実なのに現実 なのに現実と 現実と感じられないほどに、 じられないほどに、絵に描いたような情景 いたような情景であった 情景であった。 であった。 ●出発の 出発の時間がすでに 時間がすでに来 がすでに来ていたので、 ていたので、すぐにそばにあった すぐにそばにあったアンテナで そばにあったアンテナで入 アンテナで入る携帯用のテレビを 携帯用のテレビを抱 のテレビを抱えて教会 えて教会 に向った。 センターに集 集まって来 った。センターに まって来られた、 られた、お子様連れのお 子様連れのお母様方 れのお母様方は 母様方は皆すでにこの出来事 すでにこの出来事を 出来事を知っておら れ、当然のことながらその 当然のことながらその話 のことながらその話で持ちきりとなり、 ちきりとなり、前述のテレビを 前述のテレビを見 のテレビを見ながら、 ながら、プログラムどころではな い雰囲気で 雰囲気であった あった。 ●それでも、 それでも、暫くして「 くして「とにかくやりましょう」 とにかくやりましょう」ということになり、 ということになり、プログラムを始 プログラムを始めたものの、 めたものの、間もな く Local の NBC を始めとして、 めとして、センターを訪ねて来たいくつかの地方の TV 放送局の取材が入り、 プログラムどころではなくなったことを覚 プログラムどころではなくなったことを覚えている。 えている。 ●しかし、 しかし、時が経てば経つほど、 つほど、日本で 日本で起こったこと、 こったこと、起こっていることが、 こっていることが、どんなに深刻なこと、 なこと、底 知れないほど恐ろしいことであるかを ろしいことであるかを知 であるかを知るようになっていたことを、 るようになっていたことを、どなたも昨日のことのように覚 のことのように覚 えておられるのではないだろうか。 えておられるのではないだろうか。 ●あれから一年 あれから一年が 一年が経った。 った。被災地の方々にとっては長くも、 くも、また短くもあった一年 くもあった一年であった 一年であったと であったと思う。ど ちらの感覚 ちらの感覚が 感覚が実感であったとしても 実感であったとしても、 であったとしても、それが、 それが、その方 その方々にとって、 にとって、苦難の連続であったことには であったことには間 には間違 いない。 いない。 ●今日もう一 もう一度、深い同情をもって 同情をもって、 をもって、慰めと励ましを祈 ましを祈るとともに、 るとともに、微力ながらこれからもできること ながらこれからもできること を、この地にあってもお にあってもお互いに励まし合いながら実行 いながら実行していきたいと 実行していきたいと思うのは私 のは私だけではないと思う。 ●そんな中 そんな中で、この一年 この一年を 一年を振り返るとき、 るとき、この大 この大悲劇と大惨事の 惨事の中で、被災者の方々を中心に 中心に多く聞い たことばがある たことばがある。 ある。それは、 それは、このような窮地に追い込まれたとき、 まれたとき、即ち、一瞬にして 一瞬にして、 にして、何もかもが もかもが、 もが、即 ち、人の命も、財産も、目の前から消えていくとき、 えていくとき、更には、 には、そのような中 そのような中で、人々の多くの助けを 経験していくときに、 していくときに、「人生で、結局、何が一番大切なのかを考え、知るようになった」ということであった。 ということであった。 ●その意味で、震災から 震災から1 から1周年を 周年を迎えた今日、私たちは、 たちは、もう一 もう一度、この「人生で一番大切なもの」とい うことについて考えてみたい。 たい。 ●開いて頂きたい聖書 たい聖書は 聖書は、ルカによる福音書 10 章 38- 38-42 節である。 である。中心聖句は、41-42節で ある。 ある。その 2 節をいくつかの日本 をいくつかの日本語訳聖書で 聖書で読み比べたい。 たい。 (1)新改訳「マルタ、 ルタ、マルタ、 ルタ、あなたは多くのことを心 くのことを心配して、 して、気を使っています。 っています。しかし、 しかし、どうしっ ても必要なことはわずかです。 かです。いや、 いや、一つだけです」。 つだけです」。 (2)新共同訳「マルタ、 ルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 している。しかし、 しかし、必要なこ とはただ一 とはただ一つだけである」 つだけである」。 (3)口語訳「マルタよ ルタよ、マルタよ ルタよ、あなたは多くのことに心 くのことに心を配って思い煩っている。 っている。しかし、 しかし、無くて ならないものは多くない。 くない。いや、 いや、一つだけである」 つだけである」。 1 ●イエス様 イエス様は、ここで無くてならないもの、 くてならないもの、人生で一番大切なもの 一番大切なもの、 なもの、一番必要なものについて語ってお られる。 られる。 本 論 Ⅰ.皮肉であるが、私たちは、人生で大切にしてきたもの、少なくともそう信じてきたものを失ったときに、「人生で 本当に一番大切なもの」が何であるかを学ぶ。 A.悲しい事実ではあるが「喪失」は人生の常である。 1.即ち、人間はみな、どこかで、人生が決して同じところに留まることはない。いつか必ず今 もってい っているものは失われるときが来るという「無常観」であり、「喪失感」をもってい っている。 2.有名な平家物語の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」 きあり」、また、方丈記の「よどみに浮 ぶうたかたは、 ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」 まることなし」等は、日本人が如何にこの人 生の真理を古くから身にしみるように味わってい っていたかを表している。 3.私が、人生で最初に「喪失」を経験したというか、 したというか、感じたのは、 じたのは、私が小学校一年生のときだっ たか、 たか、家で飼い始めた「 めた「ハッピー」と名づけたスピッツ種の子犬が、産まれてわ まれてわずか6ヶ月か、 少なくとも一年 なくとも一年足らずで死んでしまったときである。 んでしまったときである。(その次 その次は、手乗り文鳥のつがいが一 のつがいが一晩 のうちに二羽とも死んでしまったときであった んでしまったときであった) 4.私たちは、 たちは、人生でいろいろな大切 でいろいろな大切な 大切なものを失う。 (1)ある方 ある方々にとって、 にとって、それは、 それは、愛する動物であり、 であり、ペットを ットを失うことであ うことである である。 (2)また、 また、ある方 ある方々にとっては、 にとっては、自分が貯めた財産であり、 であり、築いた地位を失うことである うことである。 である。 (3)また、 また、ある人々は、自分のキャリヤを失うことである。 ●つい先日 つい先日、 先日、インディアナ・コルツと言 インディアナ・コルツと言うアメリカン・フットボールの うアメリカン・フットボールのチームの ・フットボールのチームの名 チームの名コーターバ ック、 ック、ペイトン・マニングが ペイトン・マニングが、そのチームを去 そのチームを去ることになった。 ることになった。そして、 そして、離任というか 離任というか、 というか、と にかくチームを去 にかくチームを去る、辞めるにあたっての記者会見 めるにあたっての記者会見をした 記者会見をした。 をした。彼は、そもそも大学 そもそも大学を 大学を出てプロ 入りして以来 りして以来、 以来、14 年間ズーッとそのチームでプレーしてきた 年間ズーッとそのチームでプレーしてきた生 ズーッとそのチームでプレーしてきた生え抜きであった。 きであった。彼も言っ ているが、 ているが、彼の成人としての 成人としての生活 としての生活のすべて 生活のすべては のすべては、このチームの中 このチームの中にあった。 あった。彼は、自らがメイ ン・コーターバックになるや、 ン・コーターバックになるや、当時まだ 当時まだ弱 まだ弱く、余り注目もされないような 注目もされないような弱小 もされないような弱小チームであっ 弱小チームであっ たコルツを、 たコルツを、率いて、 いて、6 回以上も 回以上も年間最優秀選手に 年間最優秀選手に選ばれ、 ばれ、チームを常 チームを常にトップクラスに、 にトップクラスに、 しかも、 しかも、2 回スーパボールに導 スーパボールに導き、その内一回 その内一回はチャンピオンを 内一回はチャンピオンを勝 はチャンピオンを勝ち取った。 った。米国フットボ 米国フットボ ール界 ール界では、 では、常に New England Patriot の Tom Brady と並んで1 んで1、2を争う名 QB と 評価されてきた 評価されてきた。 されてきた。彼ほどの QB は、そういないと、 そういないと、誰もが彼 もが彼を QB、 QB、フットボールプレーヤ ーとして尊敬 ーとして尊敬してきた 尊敬してきた。 してきた。そんな彼 そんな彼が、まだまだプレーができると思 まだまだプレーができると思われてい われていたが ていたが、 たが、昨年、怪 我というか首 というか首・肩の不調から 不調から一年間 から一年間プレーをしなかった 一年間プレーをしなかった。 プレーをしなかった。詳しいことは分 しいことは分からないが、 からないが、体調 は快復していると 快復していると言 していると言われていたが、 われていたが、すでに 37 歳という彼 という彼の年令と 年令とやはり彼 やはり彼の体調に 体調に関する 将来の 将来の見込みへの 見込みへの多少 みへの多少の 多少の不安からか 不安からか、 からか、チームは彼 チームは彼を切ったのである。 ったのである。彼の記者会見は 記者会見は「泣き 声」であった。 であった。そして彼 そして彼は言った。「 った。「私 。「私はこのチームを、 はこのチームを、オーナーを、 オーナーを、この町 この町とファンを愛 とファンを愛し てきた。 てきた。本当に 本当に感謝している 感謝している。 している。これからもそうであろう。 これからもそうであろう。でも今 でも今このチームを去 このチームを去ることが、 ることが、 私にも、 にも、チームにもよいことだと思 チームにもよいことだと思うに至 うに至った。 った。残念だが 残念だが、 だが、人生でも 人生でも、 でも、スポーツでも、 スポーツでも、永遠に 永遠に続 くものはない くものはない( ない(Nothing lasts forever) forever)。すべてはいつかは変 すべてはいつかは変わる。 わる。」と。 ●彼自身も 彼自身も含めて、 めて、多くの人 くの人々が彼はズーッとインディアナ・コルツで最後 はズーッとインディアナ・コルツで最後までプレーすると 最後までプレーすると 思っていた。 っていた。彼が、コルツからいなくなることは想像 コルツからいなくなることは想像もできなかった 想像もできなかった。 もできなかった。しかし、 しかし、今、彼は去 っていこうとしている。 っていこうとしている。彼の「生涯」 生涯」は勿論、 勿論、彼のプロのスポーツ選手 のプロのスポーツ選手として 選手としての としての「キャリヤ」 キャリヤ」が 終わったわけではない。 わったわけではない。しかし、 しかし、彼の中には、 には、今、言うことのできない喪失感 うことのできない喪失感がある 喪失感がある。 がある。 (4)沢山の人々が、このような気持 このような気持ちを 気持ちを定年退職をするときに味わうのかもしれない。 わうのかもしれない。 ●長い間親しんだ しんだ同僚との別れであり、 であり、 ●仕事と職場との別れである。 れである。 ●築いたキャリア経験からの別れである。 である。 (5) (5)更に、私たちには、 たちには、愛する友人との別れがあり、 れがあり、親族、家族、特に、両親、兄弟、夫、 妻、そして子 そして子どもとの別れがある。 がある。これらほど これらほど辛いものはない。 いものはない。 (6)しかし、 しかし、これらの これらの喪失は、人生の常である。 である。 2 (7) (7)しかも、 しかも、それらはしばしば、 それらはしばしば、いつやってくるか分からない。 からない。9・11 の同時テロ 同時テロも テロも、3・11 の大震災も 大震災も、被災者たちにとって、 たちにとって、それは、 それは、ある日 ある日「突然」彼らの生涯に訪れた「 れた「喪失」で あり、 あり、悲劇であった。 であった。 (8)昨年の大震災が 大震災が、私たちにも たちにもう一度このことを思い起こさせた こさせた。 B.そして、私たちは、それらの大切なものを失うとき、即ち、「喪失」を経験したとき、初めて: 1.失ったものが如何に大切なものであったかに 大切なものであったかに気 なものであったかに気がつくのである。 がつくのである。 (1)よく言 よく言われるが、「 われるが、「親が死んでから、 んでから、親の有難さが分かる」 かる」と。人は、大切な 大切な親を失った とき、 とき、初めて親の大切さを 大切さを認識する。 する。 (2)また、 また、これもよく聞く話しだが、 しだが、しばしば夫は、妻の有難さ、また大切 また大切さを 大切さを、 さを、その妻が、 余命いくばくもなく、 いくばくもなく、死んでいこうとする病床で初めて気 めて気がつく がつくというのである というのである。 のである。 (3)そして、 そして、妻に対して感 して感謝の少なかったこと なかったこと、 たこと、冷たかったことを詫び、今更のように妻に 愛のことばをかけ、 のことばをかけ、一生懸命愛し、仕えようとするという えようとするという夫の話である。 である。即ち、 (4)人は、悲しいことであるが、 しいことであるが、それを失うまで、 うまで、或は、失うというギリギリなところ うというギリギリなところまで なところまで 追い込まれないと、 まれないと、その持 その持っているものの大切 っているものの大切さに 大切さに気 さに気がつかない。 がつかない。 (5)この大震災 この大震災で 大震災で、死亡確認された人、行方不明者を合わせて、 わせて、2 万人以上の人々の命と人 生が奪われた。 われた。私たちは、 たちは、このことを通 このことを通して、 して、人の命と人生が如何に大切で 大切で、かけがえ のないものであることをしみじみと味わったのである わったのである。 である。 2.しかし、 しかし、同時に 同時に、私たちが大切 たちが大切だと 大切だと思っていたものを失ったときに、 ったときに、もう一 もう一つ知ることは、 ることは、 これとは逆に、「私たちが、 たちが、これまで大切 これまで大切だったと 大切だったと思っていたものが、 っていたものが、果たして本当 たして本当に 本当にそん なに大切 なに大切であったかどうか 大切であったかどうか」 であったかどうか」という事実 という事実である 事実である。 である。 (1)今回の津波で 津波で、自分たちの住んでいた家 んでいた家と教会とをす 教会とをすべて完全に流された牧師家庭があ る。シーサイドチャペルと呼ばれる教会 ばれる教会で 教会で、内藤という牧師一家である 一家である。 である。私も昨年訪日 の折に内藤先生ご 内藤先生ご夫妻にお会 にお会いしてき いしてきた てきた。そのご家族の 25 歳になる「 になる「野亜」という息子 さんが、 さんが、朝日新聞のインタビューにこのように答えている。 えている。「津波で私の父の運営する教 会と自宅が跡形もなくなりました。・・・・私物も全部失いましたが、これまで自分がこだわっていた ものが、実はたいしたものでなかったことに気付かされました。人とのつながりや、心のふれあいに 感謝しています」と。 (2)最初にお読みした聖書 した聖書とその 聖書とその背後の出来事をもう 出来事をもう一 をもう一度思い出していただきたい。 していただきたい。 ●姉のマルタは、 ルタは、イエス様 イエス様を接待するために、 するために、家の掃除に、部屋の装飾に、食事の準備 にと、 にと、色々なことを気 なことを気にかけ、 にかけ、計画し、夢中で準備した 準備した。 した。 ●一方、 一方、マリヤは、イエス様 イエス様が現れるや、 れるや、そのそばに座り込んで、 んで、熱心に神様のことを 聞くことを選んだ。 んだ。 ●マルタは、 ルタは、マリヤのその態度にイライラし、 イライラし、それについてイエス それについてイエス様 ついてイエス様に文句を言った。 った。 ●ところが、 ところが、イエス様 イエス様は、マルタの意に反して、 して、「マルタ、マルタ、あなたは、色々なことを心 配して気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」と 言われた。 われた。 ●今日は、この箇所からのメッセージではないので、 ではないので、この箇所について詳しくお しくお話し、 また説明できないが、 できないが、 ●イエスさまは、 イエスさまは、決して、 して、ここでマルタがしていたことを全面的に否定したのではない。 したのではない。 それらは、 それらは、普通の常識でいうなら大切 でいうなら大切なこと 大切なこと、 なこと、必要なことと思われることである われることである。 とである。(ま た、その意味で、マリヤを、ここに書 ここに書かれていない部分を含めて全面的に肯定したと 考える必要もない) ●しかし、 しかし、同時に 同時に、問題は 問題は、それらをどこまでやるかである。 である。ある意味で、それらは、 それらは、や り始めたら、 めたら、限(キリ)がないことである。 がないことである。 ●イエス様 イエス様が、ここで注意されたことは、 されたことは、マルタにしても、 ルタにしても、私たちにしても、 たちにしても、それらに 余りに夢中になり過ぎて、一番大事なことを 一番大事なことを忘れてしまう危険である。 である。 3 ●「Better は Best の敵」という表現がある。 がある。私たちの人生には、「 には、「あれがあったらいい 、「あれがあったらいい な」とか、「 とか、「これがあったらいいな 、「これがあったらいいな」 これがあったらいいな」と言うものが一 うものが一杯ある。 ある。それらは、 それらは、人生におけるい わゆる”Better”と言えるものである。 えるものである。 ●しかし、 しかし、私たちが、 たちが、それらに捕らわれている間 らわれている間に、即ち、Better、「 Better、「あったらいいな 、「あったらいいな」 あったらいいな」 「あるにこしたことは無いな」 いな」と思われるものを手に入れることに夢中になっている間 になっている間 に、Best、 Best、即ち、どうしても無くてならないもの、 くてならないもの、一番大切なものを 一番大切なものを忘れてしまう、 れてしまう、 なおざ なおざりにしてしまう危険があるというのである があるというのである。 というのである。 (3)シャルル・ペローの作 ローの作と言われるが、 われるが、「三つの願 つの願い」という題 という題の童話がある。 がある。一人のきこ りが切 りが切った木 った木から出 から出てきた妖 てきた妖精が、助けてくれれば、 けてくれれば、何でも願 でも願いを三 いを三つ聞くと言 くと言った。 った。 喜んで家 んで家に帰ったきこりは、 ったきこりは、奥さんと三 さんと三つの願 つの願いについて興奮 いについて興奮して 興奮して相談 して相談する 相談する。 する。しかし、 しかし、 丁度腹がすいてたまらなかったきこりは思わず、いつも食べたかった特大のソーセージ を思い浮かべ、それを願 それを願ってしまった。 ってしまった。途端に 途端にソーセージが出てきた。 てきた。それを見 それを見た奥さ んはカンカンになって怒 んはカンカンになって怒り、主人を呪い、罵り始めた。 めた。それに対して今度は主人が激怒 し、「お前のような奴 のような奴にはこのソ にはこのソーセージがくっついちまえばいいんだ」 がくっついちまえばいいんだ」と言った。 った。その 途端その 途端その通 その通りになった。 りになった。困り果てた夫婦は、「どうかこの 、「どうかこのソ どうかこのソーセージが取れるようにして ください」 ください」とお願 とお願いした。 した。そして言 そして言った。「 った。「さー 。「さー、 さー、もうこんな過ちをしないで、 ちをしないで、慎重にお 願いをしよう」 いをしよう」と。しかし、 しかし、そのとき、 そのとき、実はもう三 はもう三つの願 つの願いは終 いは終わっていたのである わっていたのである。 のである。 (4)この童 この童話が教えることは えることは、私たちが色々な目の前の欲しいもの、 しいもの、人生の Better を追い求 めたり、 めたり、それに関 それに関連して、 して、あれがいやだ、 あれがいやだ、これが良 これが良いと言 いと言っている間 っている間に、あっと言 あっと言う間 に人生というチャンスは ンスは終わってしまうという わってしまうという教 という教訓である。 である。 (5)即 (5)即ち、気をつけないと私 をつけないと私たちも「 たちも「あったらいいな」「 あったらいいな」「あるにこしたことはない 」「あるにこしたことはない」 あるにこしたことはない」なという Better を追い求めている間 めている間に、人生における Best のチャンスを見 ンスを見失ってしまうという 警告である 警告である。 である。 (6) (6) 先の内藤野亜くんが言 くんが言った言 った言葉をもう一 をもう一度思い起こしていただきたい。 こしていただきたい。彼は、家が流さ れ、自分の持っていたもの全部を失い、一切のものが無くなってしまったとき、今まで自分が 欲しいとしがみついていたもの、こだわっていたものが、「実はたいしたものでなかったことに気付 かされ」たと証 たと証しされているのである しされているのである。 ある。 (7)確かに、 かに、家も大事である 大事である。 である。仕事も大事である 大事である。 である。私たちが努 たちが努力して築き上げたキャリヤと しての地位も大切である 大切である。 である。また、 また、一生懸命働いて貯めたお金 めたお金も、あらゆる財産、所有物 も大切であ 大切である である。 (8)彼は、それらを現実 それらを現実に 現実に目の前から失ったとき、 ったとき、それらが果たして人生で本当に 本当に一番大切 なものであったのかを考えさせられたのである。 えさせられたのである。 ●それらは確 それらは確かに大切 かに大切なものであった 大切なものであった。「 なものであった。「あったら 。「あったら良 あったら良いな」 いな」と思っていたものであった。 っていたものであった。 ●しかし、 しかし、彼は、全部を失ったとき、 ったとき、それらは、 それらは、本当に 本当に無くてはならないもの、 くてはならないもの、どうし ても必要なものではなかったことに気 なものではなかったことに気づいたのである。 いたのである。 (9)イエス様 イエス様は、このことについてはっきりと このことについてはっきりと言 はっきりと言われた。「 われた。「どうしても 。「どうしても無くてならないものは 多くない。 くない。否一つだけである」 つだけである」と。 Ⅱ.さて、それでは、無くてならないもの、どうしても必要なもの、一番大切なものとは何か? A. 多くの人は、人生において、一体、何が一番大切なものだと思って生きているだろうか? 1.少なくとも、 なくとも、頭ではほとんどの ではほとんどの人々が、「物 、「物」「財産」や、「地位」や、「名誉」が、人生で一番大 切なものだとは思っていない。 っていない。(しかし、 しかし、現実にはそれらに 現実にはそれらに振り回されているのであるが) 2.「命あっての物 あっての物種」と言う言葉がある。 がある。命あってこそすべてが可能 てが可能になる 可能になる。 になる。死んでしまったら 何もならない。 もならない。何よりも命が大切だという 大切だという意味であり、 であり、勿論、 勿論、それは肉体 それは肉体の 肉体の命である。 である。 B. しかし、昨年の大震災で人々が経験したことは、命よりもっと大切なものがあるということだった。 4 1.前述の 前述の内藤野亜くんは、 くんは、それについてこのように言 それについてこのように言っている。「 っている。「これまで 。「これまで自分がこだわって いたものが、 いたものが、実はたいしたものでなかったことに気 はたいしたものでなかったことに気付かされました。 かされました。人とのつながりや、心の ふれあいに感謝しています」と。 2.この大震災 この大震災を 大震災を経験され、 され、被災、罹災された方 された方々からしばしば聞いたことは、 いたことは、このことであっ た。「人と人の触れ合い、つながり」 つながり」「人の心のやさしさ」 のやさしさ」「愛の言葉」「愛の行い」が、支給さ 支給さ れる「 れる「物」以上に多くの人々を慰め、励まし、 まし、力づけたのである。 けたのである。 3.しかし、 しかし、同時に 同時に、その人の「心の優しさ」 しさ」さえ届 さえ届かないときがある かないときがある。 ときがある。届かないだけではない かないだけではない。 だけではない。 人の心の優しさが、 しさが、時とともに、 とともに、事情の 事情の変化とともに、 とともに、変わってしまうときがある。 わってしまうときがある。傷つ けられることもある。 けられることもある。裏切られることもある。 られることもある。 4.もう一 もう一つ、震災後、人々が、これから前 これから前に進んで行 んで行こうとするときに、 こうとするときに、よく言 よく言われたことが ある。 ある。それは「 それは「希望」 希望」であった。 であった。 (1)皆が希望を 希望を見いだし、 いだし、もう一 もう一度、どん底からでもやり直 からでもやり直そうということであった。 そうということであった。 (2)しかし、 しかし、一人の老人は言った。「 った。「みんな希望 んな希望、 希望、希望と 希望と言うが、 うが、私はもう年 はもう年寄りだ。 りだ。私が少 しでも若 しでも若けりゃ けりゃ、今からでももう一 からでももう一度やり直 やり直そうという希望 そうという希望をもった 希望をもったかもしれない をもったかもしれない。 かもしれない。し かし、 かし、こう年 こう年とってちゃ とってちゃ、今からやり直 からやり直せたって、 せたって、無理だし、 だし、遅すぎる」と。 (3)人間的な希望が 希望が持てない人も一杯いる。 いる。 5.確かに私 かに私たちが今回の震災で 震災で経験したことは、 したことは、人間の命より大切 より大切なものがあることであった 大切なものがあることであった。 なものがあることであった。 (1)それらは、 それらは、人の心の優しさや、 しさや、希望であった 希望であった。 であった。 (2)しかし、 しかし、それらはいつも限界があった。 があった。 (3)即ち、人間が与える優 える優しさや希望 しさや希望にはいつも 希望にはいつも限界があるのである。 があるのである。 6.事故による頚骨損傷 による頚骨損傷で 頚骨損傷で、首からしたの機能 からしたの機能を 機能を失うという重 うという重度の障害を 障害を抱えて生きておられる 星野富弘氏が 富弘氏がいる。彼が口で書いた詩にこういうのがある。 にこういうのがある。「命が大切だと思っていたとき、生 きるのがつらかった。命より大切なものがあると知ったとき生きるのが嬉しかった」。 7.星野さんは、 さんは、今のこの地上に生かされている人生がすべてだと思っていたとき、 っていたとき、その人生が 大切だと 大切だと思えば思うほど、 うほど、希望をもって 希望をもって生きようと思えば思うほど、 うほど、特に障害を 障害を持って生 きる自分の命と人生が重たかった。 たかった。生きることの重 きることの重みで辛くさえあった。 くさえあった。 8.しかし彼は変えられた。生きることが嬉しい人生へと。いつ? いつ? なぜ? どのようにして? どのようにして? (1)それはキリストとの出会 それはキリストとの出会いであっ 出会いであった いであった。キリストとの出会 キリストとの出会いが 出会いが彼を変えた。 えた。 (2)キリストは彼に命より大切 より大切なものがあることを 大切なものがあることを教 なものがあることを教え、それを与 それを与えられた。 えられた。それは何 それは何か? (3)それは、 それは、第一に永遠の 永遠の命であった。 であった。 ●この地上の命がすべてではない。 てではない。 ●それは、 それは、人によってみんな違う。長い人もいれば、 もいれば、短い人も。五体満足の人もいれば そうでないひ そうでないひとも。 とも。 ●でも、 でも、それがすべてではない。 てではない。それよりももっと大切 それよりももっと大切なもの 大切なもの、 なもの、永遠の 永遠の命がある。 がある。 (4)また、 また、命より大切 より大切なもの 大切なもの、 なもの、それは愛である。 である。 ●愛があるとき、 があるとき、人は何がなくても、 がなくても、たといどんなに不 たといどんなに不自由な体であっても幸 であっても幸せになれ る。 ●でも、 でも、愛がないとき、 がないとき、たとい人は五体満足であっても、 であっても、決して幸 して幸せになれない。 せになれない。命よ り大切なもの 大切なもの、 なもの、それは愛である。 である。その愛はどこにあるか? はどこにあるか? ●裏切らない愛、永遠に 永遠に続く愛、神様は、その愛を、御子イエス様 イエス様が十字架にかかるこ 十字架にかかるこ とによって私 とによって私たちに顕 たちに顕し、与えられた。「 えられた。「ここに 。「ここに愛がある」 がある」と聖書は 聖書は言う。 (5) (5)命より大切 より大切なもの 大切なもの、 なもの、それは永遠 それは永遠の 永遠の命であり、 であり、永遠に 永遠に変わらない愛である。 である。星野さんはそ れをイエス様 れをイエス様に教えられ、 えられ、イエス様 イエス様から頂いたとき、 いたとき、生きることが嬉 きることが嬉しくなった。 しくなった。 結 論 5 ●日本を 日本を襲った未曾 った未曾有の大震災から 大震災から一年 から一年が 一年が経った今日、もう一 もう一度、犠牲者を思い、ご遺族のお慰めを祈 めを祈 りましょう。 りましょう。またその痛 またその痛みと苦しみの中に、なお壊滅 なお壊滅的な被災から立 から立ち上がろうとしている方 がろうとしている方々の復 興の努力のために、 のために、また日本 また日本全体のために祈 のために祈りたいと思う。 ●同時に 同時に、それらの中心 それらの中心に 中心に、心の問題があることを 問題があることを忘れないで祈 れないで祈りたい。 りたい。そして、 そして、多くの人々が、この 世で与えられている命の大切さ 大切さ、即ち生きていること、 きていること、生かされていることの大切 かされていることの大切さを 大切さを今一度噛みし めると共に、 ●この世 この世の命にまさる命があることを知 があることを知り、この世 この世の命よりもっと大切 よりもっと大切なものがあることを 大切なものがあることを知 なものがあることを知って、 って、そ れを求 れを求めて生きることができるように祈 きることができるように祈りたい。 りたい。 ●無くてならないものは多くない。 くない。いや、 いや、一つだけ。 つだけ。それはキリストにある命である。 である。アーメン 6
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