ぶどうとワインのまち

2005(平成17)年 No.529
ぶどうとワインのまち
ズ⑤
シリー
育児を体験し、生命の尊さを感じ、人と人との関わりや自分自身の成長にもつなげたい
C O N T E N T S
主な内容
【夏休み企画】
ぶどう郷をめぐり新たな発見!
7月29日(金)に勝沼中学校の生徒が、ふれあい保健センターで「赤ちゃん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2∼5
ふれあい体験教室」を行いました。保健師やお母さんから子どもの育児を学ん
少年ジャンボリー ・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
アドベンチャークラブ
(公務実習)千葉県和田町へ ・・・ 7
だ生徒たち。
草塩万里菜さんは「赤ちゃんを実際に触れぬくもりを感じました。子育ては
とても大変だと言うことを聞きましたが、その反面子どもの笑顔が喜びとなり、
かけがえのない宝物ですよとお母さんが教えてくれました。自分自身も母親か
市町村合併を追って ・・・・・・・・・・・・・ 8∼9
らの愛情で育てられたことを改めて感じることができました」と笑顔で話して
《スポット》
くれました。
新しい農業委員を紹介 ・・・・・・・・・・・・・ 10
生後間もない赤ちゃんとのふれあいを通して、命のたいせつさや子育ての難
しさを体感した生徒たち。次代を担う子どもたちがいきいきと豊かな心を育ん
で欲しいですね。
Pick Up生涯学習の広場 ・・・・・・・・・・・ 11
が
ら
歩
い
て
も
ら
い
ま
し
た
。
地
域
の
か
た
と
ふ
れ
あ
い
な
長
・
副
会
長
︶
の
み
ん
な
に
、
内
四
小
学
校
の
児
童
会
︵
会
今
回
は
、
夏
休
み
中
の
町
産
が
点
在
し
て
い
ま
す
。
先
人
の
築
き
上
げ
た
大
き
な
財
四
つ
の
地
域
に
は
山
や
河
川
、
林
が
六
割
を
占
め
て
い
ま
す
。
面
積
三
十
六
・
二
四
H
で
、
山
地
域
を
知
る
。
勝
沼
町
は
、
総
を
め
ぐ
り
歩
き
、
自
分
た
ち
の
や
み
な
さ
ん
の
く
ら
し
の
様
子
﹁
勝
沼
町
﹂
。
勝
沼
に
残
る
名
所
④
②
大善寺
20
①
甲 上町
⑥
州
勝沼小 街
道
③
①鳥居焼
②勝沼トンネルワインカーヴ
(小野さん)トンネルの外は猛暑で36度だった
のに、中はとても涼しく白い息まで…。ひと
つひとつのレンガがとても歴史を感じました。
百年前に作られたとは思いませんでした。
役場
(宮原くん)鳥居焼から見下ろせ
る一帯を「鳥居平」って言うんだ
ね。眺めがすごくきれい!ぶどう
祭りは、ここから鳥居の形が浮か
び上がるんだぁ∼。
等々力
⑤
411
小野 茜さん
③勝沼富町の古樹甲州ぶどう
(鶴田くん)勝沼の甲州ぶどうの最高樹齢、今でも元気に
ぶどうが実ってる。栽培者の椚さんからお話も聞けました。 ④勝沼堰堤・祇園の滝
(宮原くん)この日は台風の後で、水の量も多かっ
たです。虹も見ることができました。さすが、国の
登録有形文化財!とてもきれいでした。工事現場の
大村さんにも、説明をしてもらいました。
⑥旧田中銀行博物館
(鶴田くん)明治時代の建物なのにおしゃ
れな感じ。ボランティアのかたから麦茶と
お菓子をいただきました。
ちょっと難しかったけど「藤村
鶴田修平くん
式建築の近代化遺産」ということでした。
─2─
⑤等々力歴史道
(小野さん)このあたりはお寺がいっぱい。
石畳を普段は、何気なく歩いていたけど、
歴史をあらためて感じました。
宮原史東くん
わ
た
し
た
ち
の
ふ
る
さ
と
前田裕太くん
三枝真子さん
辻 毅くん
①メルシャン葡萄酒
資料館
①-1(前田くん)宮光園は、
明治のワイン醸造家宮崎光太
郎さんの名からつけられたそ
うです。今でも残る建物など、
貴重な文化遺産がここで目に
することができました。
①-2(辻くん)案内してくれ
た岩田部長さん。明治37年、
中央線の開通により、ワイン
の大量出荷が可能となり、生
産を増やすために建設された
醸造所。今は、資料館として、
貴重なワインなどが展示され
ていました。
②中央自動車道
(辻くん)夏休みで車もかなり走っていました。
東京などから観光客がきているんだろうな。
①-3(三枝さん)ワインの樽って
こんなに大きんだぁ∼。
④土屋龍憲セラー
③氷川神社
(三枝さん)長い階段を登り、赤い屋根の
拝殿と神楽殿が並んで建ち、本殿はきれい
な彫刻がされていました。夏の暑さも忘れ
静かで、自然いっぱいなところでした。
(前田くん)明治の時
代から残されているセ
ラーで、中をのぞくと
ワインの樽がありまし
た。ここから勝沼のワ
インの歴史が始まった
のかな…。
①
⑤上岩崎出荷所
(前田くん)デラウェア
の出荷最盛期。いっぱ
いのぶどうと甘い香り
がしていました。どん
な人がこのぶどうを食
べるのかな?働く人は
汗を流しながら選別し
ていました。
─3─
④
祝小
⑤
20
③
②
中央自動車道
→勝沼I.C
②葡萄工房「ワイングラス館」
五味英昭くん
吉 祐登くん
鶴田光樹くん
②-1(吉Tくん)館内は、おしゃれなグラ
スや焼き物がいっぱい!見ているだけで優
雅な気持ちになれました。
①小佐手水上公園
(五味くん)実際見てみると広い。まだ、
工事中でしたが、早く整備されて僕たち
の遊び場になったらいいな。アメンボや
いろんな昆虫がいました。
②-2(五味くん)わぁ∼、世界のワインラ
ベルがいっぱい。ひとつひとつ、すごく個
性的…。
ぶどうの丘
①
健康福祉
センター
東雲小
③安国山立正寺
②-3(鶴田くん)店員さんに教えてもらい、
手作りで「アクセサリー作り」に挑戦しまし
た。きれいな石やビーズで、携帯ストラッ
プ。お母さんにプレゼントしようかな… ^ ^
回
の
体
験
を
通
し
て
、
人
と
の
ふ
れ
き
、
自
ら
考
え
た
児
童
た
ち
は
、
今
き
の
声
が
聞
か
れ
ま
し
た
。
自
ら
歩
こ
ろ
が
あ
っ
た
ん
だ
!
﹂
と
い
う
驚
﹁
わ
た
し
た
ち
の
地
域
に
も
こ
ん
な
と
参
加
し
た
子
ど
も
た
ち
か
ら
は
を
育
み
ま
す
。
向
上
が
、
子
ど
も
た
ち
の
豊
か
な
心
と
な
っ
た
地
域
づ
く
り
へ
の
意
識
の
子
ど
も
と
家
庭
、
地
域
社
会
が
一
体
地
域
を
め
ぐ
り
歩
い
た
児
童
た
ち
。
た
と
ふ
れ
あ
い
な
が
ら
自
分
た
ち
の
夏
休
み
を
利
用
し
て
、
住
民
の
か
(吉Tくん)タイムスリップしたように、静かで広いお寺。
まず、目に止まったのは数え切れないほどの「底の抜けた
ひしゃく
柄杓」。このお寺は、安産と子育ての祭り地蔵と子安地蔵
が祀られているそうです。子安祭りも勝沼の代表的なお祭
りで、僕も毎年来ています。
学
ぶ
楽
し
さ
未
来
へ
つ
な
げ
た
い
④JAフルーツ山梨「東雲支所」
(鶴田くん)JAのかたに説明をして
もらいました。忙しいのにすみません
…。機械で桃の選別がされて、全国各
地に配送されるそうです。
(五味くん)桃をいただき食べました。
甘くて、と∼ってもおいしかったです。
─4─
山区
②
③
④
②ワイナリー
①勝沼町ぶどうの丘∼今年で30年∼
(小林くん)菱山にあるワイナリー。
樽の中からなにか聞こえてくるぞ!
(狩野さん)ここはわたしたちの町のシンボル「ぶどうの丘」。
観光客もいっぱい。ワインもいっぱい!私のお父さんの勤めて
いる会社のワインもありました。景色も素敵だし、ワインにつ
いて学びました。
③JR勝沼ぶど
う郷駅
④勝沼ゴルフコース
(小林くん)きれいな芝生ですごく広くてきもちいい。
ゴルフしてみたいなぁ∼。
(武井くん)ここ
は、勝沼の玄関口
のひとつ。今日は、
特急電車も止まっ
て観光客がいっぱ
い降りてきたぞ。
車掌さんと記念写
真を撮りました。
④
フルーツライン
⑤源氏坂
⑤
(武井くん)この坂は、僕の通学
路で、とても急です。何気なく
歩いているけど、歴史や言い伝
えがあることなんて知りません
でした。
菱山小
③
JR中央線
①
狩野和泉さん
小林真成人くん
武井紘哉くん
─5─
い
き
た
い
も
の
で
す
。
②
め
る
快
適
な
ま
ち
づ
く
り
を
進
め
て
め
に
豊
か
な
自
然
と
豊
か
な
心
を
育
え
、
次
代
を
担
う
子
ど
も
た
ち
の
た
は
、
地
域
の
こ
と
は
地
域
全
体
で
考
す
ば
ら
し
い
こ
と
で
す
。
こ
れ
か
ら
ち
、
学
ぶ
楽
し
さ
を
発
見
で
き
れ
ば
常
生
活
の
中
で
地
域
へ
の
関
心
を
も
子
ど
も
か
ら
、
お
年
よ
り
ま
で
日
な
が
り
ま
す
。
り
、
生
涯
学
習
の
ま
ち
づ
く
り
に
つ
を
知
る
こ
と
﹂
へ
の
き
っ
か
け
と
な
を
、
み
ん
な
で
守
る
こ
と
が
﹁
地
域
ふ
る
さ
と
勝
沼
町
の
大
き
な
財
産
じ
た
よ
う
で
し
た
。
あ
い
、
自
然
、
歴
史
な
ど
を
肌
で
感
少年ジャンボリー
し
た
の
で
は
な
い
で
し
ょ
う
か
。
の
便
利
さ
か
ら
離
れ
た
生
活
で
一
回
り
成
長
と
て
も
よ
い
経
験
が
で
き
ま
し
た
。
な
友
情
を
深
め
合
っ
た
子
ど
も
た
ち
。
普
段
活
は
少
し
不
便
も
感
じ
ま
し
た
が
、
自
然
の
中
で
規
律
を
守
り
集
団
生
活
で
大
き
教
え
て
く
れ
ま
し
た
。
テ
ン
ト
の
生
二
泊
三
日
の
キ
ャ
ン
プ
生
活
を
通
し
て
、
ね
え
さ
ん
も
や
さ
し
く
、
い
ろ
い
ろ
し
ょ
に
楽
し
い
思
い
出
を
つ
く
り
ま
し
た
。
を
使
っ
た
炊
飯
な
ど
指
導
し
な
が
ら
、
い
っ
が
、
子
ど
も
た
ち
に
テ
ン
ト
張
り
や
飯
ご
う
学
校
の
生
徒
に
よ
る
ジ
ュ
ニ
ア
リ
ー
ダ
ー
カ
ー
︶
、
大
学
生
カ
ウ
ン
セ
ラ
ー
、
勝
沼
中
ラ
ン
タ
リ
ー
・
ユ
ー
ス
・
ソ
ー
シ
ャ
ル
ワ
ー
今
年
は
山
梨
県
V
Y
S
連
絡
協
議
会
︵
ボ
場
で
行
わ
れ
ま
し
た
。
ら
二
十
五
日
︵
月
︶
ま
で
大
滝
山
キ
ャ
ン
プ
ジ
ャ
ン
ボ
リ
ー
が
七
月
二
十
三
日
︵
土
︶
か
四
小
学
校
の
六
年
生
を
対
象
に
し
た
少
年
昭和44年から続くジャンボリーは、子どもたちの健全育成
の場となっている
中
学
生
の
ジ
ュ
ニ
ア
リ
ー
ダ
ー
の
お
豊
か
な
自
然
に
囲
ま
れ
な
が
ら
、
し
む
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。
理
や
キ
ャ
ン
プ
フ
ァ
イ
ヤ
ー
な
ど
楽
が
、
仲
良
く
な
っ
た
お
友
だ
ち
と
料
あ
っ
と
い
う
間 望月世奈さん
の (東雲小)
三
日
間
で
し
た
みんなで協力し、テン
トをつくる。テント生
活も子どもたちにとっ
て、とても楽しい3日
間となった
団結力を結集し、
ひとつの目標へ
山梨県VYS連絡協議会(山梨県
青少年団体連絡協議会加盟)
会長 鈴木光将さん(菱山)
「ジュニアリーダーとはなにか」の説明もそこ
そこにはじまり2カ月。中学生たちは自分たちが、
何をするべきかを考え取り組みました。はじめは、
何をしたらよいのかもわからない様子でしたが、
ジャンボリーの日が近づくに連れ団結力が強ま
り、ひとつの目標に向け懸命に取り組む姿に、ジ
ュニアリーダー一人ひとりの成長を垣間見ること
ができました。
限られた時間のなかで内容を決め、ゲームなど
みんなで実践したり、ダンスも汗だくになりなが
ら練習。個々の役割を果たし計画が進められてい
きました。
ジャンボリーの3日間、元気にキャンプ場内を
走りまわる子どもたちを指導しながら、リーダー
として、また、優しいおねえさんとして班をまと
め、楽しい時間をいっしょに過ごしていました。
ジュニアリーダー結成後、準備期間が短い中、ジ
ャンボリーの成功をめざし、リーダーとしての役
割を十分に果たしてくれたと思います。きっと、今
回参加したキャンパーも最高の思い出になったこ
とでしょう。次は、今年のジュニアリーダーに出会
った子どもたちが、クラブの一員に加わり、さらな
る楽しいジャンボリーになることを期待します。
2日目は菱山小学校で
ドッチボール
た
よ
い
夏
の
思
い
出
と
な
り
ま
し
た
。
た
。
こ
の
三
日
間
は
、
と
て
も
充
実
し
い
せ
つ
さ
も
学
ぶ
こ
と
が
で
き
ま
し
し
く
で
き
ま
し
た
が
、
食
べ
物
の
た
炊
く
こ
と
で
し
た
。
な
ん
と
か
お
い
一
番
の
思
い
出
は
、
ご
飯
を
火
で
な
る
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。
に
生
活
を
通
し
て
、
自
然
と
仲
良
く
か
心
配
で
し
た
。
で
も
、
い
っ
し
ょ
な
い
学
校
の
人
と
友
だ
ち
に
な
れ
る
ジ
ャ
ン
ボ
リ
ー 内田真太くん
は (菱山小)
、
は
じ
め
知
ら
来年、中学校で
顔を会わせる
小学生たちは
中で友情を深
、自然の
め、お互いに
協力すること
を学んだ
─6─
広報
公務実習を終えて…
子どもたちを指導する立場にいな
がらも、私も多くのことを子どもた
ちから学んだように思います。初め
て会った仲間とも協力し、助け合っ
ていた一生懸命な子どもたちの姿は
私の心に深く残っています。子ども
永池香葉子さん たちと過ごした3日間は忘れません。
お世話になった勝沼町のみなさん、
やったぁ∼、スイカ割れたよ。
お見事!
本当にありがとうございました。
子どもとの共同生活、地域のかた
との触れ合いなど普段の生活では体
験できない充実した3日間でした。
キャンプファイヤーで子どもたちが
見て見て!浜辺の砂でつく
りました。今回、いっしょ
に参加してくれたジュニア
リーダーたち
夢中で踊ったり歌ったりする姿や笑
顔はとても印象的でした。子どもた
森 綾乃さん
ちの夏休みの思い出のひとつに加わ
ることができ、とてもうれしく思い
アドベンチャークラブ
ます。
子どもたちと3日間を共に過ごし、
一日一日が本当に充実した実習とな
りました。子どもたちから溢れる笑
顔はとてもまぶしく、印象に残って
います。また、和田町の海や山の多
くの自然に触れ、私自身も子どもた
山口麻衣子さん ちから多くの事を学びました。この
3日間の貴重な経験を、将来に生か
していきたいと思います。
めったに見ること
のできないくじら
の解体にみんなの
目はくぎづけ
3日間、みんなどんな思い出ができたか
な?(写真:海ほたるにて)
何
を
感
じ
た
の
で
し
ょ
う
か
。
─7─
ン
プ
生
活
を
通
し
て
、
実
習
生
は
子
ど
も
た
ち
と
の
交
流
や
キ
ャ
レ
ポ
ー
ト
し
て
も
ら
い
ま
し
た
。
だ
き
、
子
ど
も
た
ち
と
の
生
活
を
さ
ん
の
三
名
に
参
加
し
て
い
た
ん
、
森
綾
乃
さ
ん
、
山
口
麻
衣
子
大
学
の
三
年
生
永
池
香
葉
子
さ
公
務
実
習
生
と
し
て
、
山
梨
学
院
公
共
団
体
で
公
務
を
体
験
す
る
し る ま 日 海
今 た 千 で ︵ 洋 ア
回 。 葉 の 土 体 ド
、
県 三 ︶ 験 ベ
市
和 日 か キ ン
町
田 間 ら ャ チ
村
町 、 八 ン ャ
役
で 友 月 プ ー
場
行 好 八 が ク
な
わ 町 日 八 ラ
ど
れ で ︵ 月 ブ
月
の
ま あ
︶ 六 の
甲 州 市「 市 章 」
応募数1,535作品
山梨県内からの応募768作品
が決定しました
ら
れ
ま
す
。
上
と
よ
り
よ
い
ま
ち
づ
く
り
の
た
め
に
、
今
後
も
協
議
、
検
討
が
進
め
甲
州
市
誕
生
の
十
一
月
ま
で
残
さ
れ
た
期
間
、
行
政
サ
ー
ビ
ス
の
向
州
市
市
章
検
討
委
員
会
﹂
の
ひ
と
属
し
て
い
ま
す
が
、
ま
さ
か
﹁
甲
僕
は
塩
山
高
校
の
美
術
部
に
所
最優秀賞作品
笛吹市一宮町 飯島悦夫さん
開
し
て
欲
し
い
﹂
と
あ
い
さ
つ
を
し
ま
し
た
。
産
業
、
豊
か
な
自
然
を
持
つ
三
市
町
村
が
、
輝
け
る
ま
ち
づ
く
り
を
展
甲
州
市
に
誇
り
と
輝
き
を
求
め
て
=
市
章
検
討
委
員
と
し
て
=
市
長
が
本
協
議
会
の
会
長
も
退
任
。
三
枝
会
長
は
﹁
歴
史
遺
産
、
果
樹
ま
た
、
八
月
十
五
日
で
塩
山
市
長
職
の
任
期
を
終
え
る
三
枝
剛
塩
山
協
議
さ
れ
了
承
さ
れ
ま
し
た
。
の
発
表
、
行
政
組
織
機
構
の
報
告
、
地
域
自
治
区
設
置
条
例
︵
案
︶
が
会
が
開
催
さ
れ
ま
し
た
。
甲
州
市
の
市
章
の
採
用
作
品
︵
最
優
秀
賞
︶
八
月
四
日
︵
木
︶
に
塩
山
市
民
文
化
会
館
で
、
第
十
一
回
合
併
協
議
応募者によるデザイン趣旨
塩山市や大和村とゆかりのある武田家の
武田菱をモチーフに、また、勝沼町を中心
とした葡萄の特産地であることを考え、葡
萄の実と色をイメージしてデザインされた
市章です。
こ
と
で
は
な
い
で
し
ょ
う
か
。
づ
く
り
が
で
き
れ
ば
す
ば
ら
し
い
村
の
特
色
を
生
か
し
、
輝
く
ま
ち
を
も
ち
、
市
章
の
よ
う
に
三
市
町
思
い
ま
す
。
自
分
の
地
域
に
誇
り
ん
な
に
喜
び
親
し
ま
れ
る
こ
と
と
て
、
こ
の
市
章
デ
ザ
イ
ン
が
、
み
十
一
月
に
甲
州
市
が
誕
生
し
思
っ
て
い
ま
す
。
と
て
も
貴
重
な
経
験
が
で
き
た
と
り
し
て
し
ま
い
ま
し
た
。
し
か
し
、
も
す
ば
ら
し
い
作
品
が
並
び
目
移
や
デ
ザ
イ
ン
な
ど
、
ど
れ
を
見
て
と
感
じ
ま
し
た
。
僕
自
身
も
、
色
意
見
や
見
方
が
あ
る
の
で
大
変
だ
は
、
委
員
み
な
さ
ん
そ
れ
ぞ
れ
の
の
中
か
ら
絞
込
む
と
い
う
作
業
の
個
性
あ
る
作
品
ば
か
り
で
、
こ
─8─
応
募
作
品
千
五
百
三
十
五
点
も
ま
せ
ん
で
し
た
。
り
と
し
て
参
加
で
き
る
と
は
思
い
佐藤勇紀さん(勝沼)
県立塩山高校2年
広報
再
編
に
取
り
組
み
ま
し
た
。
新
た
な
地
域
づ
く
り
を
行
っ
て
い
り
を
継
続
す
る
た
め
自
治
組
織
の
し
、
活
力
と
個
性
あ
る
ま
ち
づ
く
で
あ
ろ
う
“
行
政
力
”
を
カ
バ
ー
め
、
合
併
す
る
こ
と
で
低
下
す
る
で
活
発
な
地
域
自
治
活
動
を
進
し
か
し
、
合
併
前
か
ら
ユ
ニ
ー
ク
の
﹁
新
上
越
市
﹂
と
な
り
ま
し
た
。
︵
吸
収
︶
合
併
し
、
二
十
一
万
人
組
み
を
残
し
な
が
ら
、
合
併
後
に
働
で
町
の
個
性
や
今
ま
で
の
取
り
こ
と
な
ど
に
よ
り
、
行
政
と
の
協
や
地
域
活
動
の
事
業
運
営
を
行
う
指
定
管
理
者
と
し
て
の
管
理
業
務
O
法
人
を
組
織
し
、
公
共
施
設
の
③
町
民
の
八
割
が
加
入
す
る
N
P
つ
の
町
内
会
と
し
て
ま
と
め
た
。
な
っ
た
研
修
で
し
た
。
考
え
る
き
っ
か
け
の
ひ
と
つ
と
地
域
自
治
区
の
あ
り
方
に
つ
い
て
も
勝
沼
ら
し
さ
を
残
し
な
が
ら
、
さ
ん
の
意
見
を
伺
い
合
併
後
な
り
ま
す
。
民
福
祉
課
・
児
童
福
祉
が
担
当
に
局
︵
現
勝
沼
町
役
場
庁
舎
︶
の
市
担
当
窓
口
は
、
勝
沼
地
域
総
合
②
廃 ③ し 対 す 口 医
④ ま に 求 止 個
担 す つ ︵ さ 人 十 止 個 ま 象 。
︵ で 療 国 国
当 。 い 十 れ 負 一
人 す 者 十 の 機 保 保
窓
負 。 に 一 支 関 加 加
て 一 ま 担 月
口
は 月 払 に 入 入
担
は 月 す 金 診
は
、 一 い 受 者 者
金
従 以 。 七 療
勝
受 日 は 診 は は
七
来 前 旧 百 費
沼
給 診 無 し 、 窓
百
ど の 町 円 助
地
者 療 料 た 甲 口
円
お 診 村 の 成
域
証 費 の 場 州 で
の
り 療 制 徴 金
総
を よ 予 合 市 無
徴
徴 費 度 収 分
合
交 り 定 、 内 料
収
収 分 の は よ
局
付 ︶ で 窓 の
は
し ︶ 請 廃 り
安塚区における地域づくり
やまちづくりの取り組みに
ついて意見を交わした。
「甲州市」もよりよい地域
自治を築き上げたい
タ
ー
︶
の
各
部
屋
の
使
用
料
が
、
十
中
央
公
民
館
︵
勤
労
青
年
セ
ン
各
部
屋
の
使
用
料
が
有
料
に
タ
ー
︶
か
ら
︼
︻
中
央
公
民
館
︵
勤
労
青
年
セ
ン
十
三
万
人
の
上
越
市
に
編
入
辺
十
三
町
村
と
と
も
に
人
口
旧
安
塚
町
は
、
今
年
、
周
察
研
修
を
実
施
し
ま
し
た
。
﹁
勝
=新沼
住
町
民潟地
の県域
自上自
主越治
自
区
立市研
とを究
行視会
政察﹂
の
協研
働修
=
限
ら
れ
た
中
で
町
民
の
み
な
合
併
ま
で
残
さ
れ
た
期
間
の
金
で
使
う
こ
と
が
で
き
ま
す
。
な
ど
も
参
考
に
し
な
が
ら
、
山
市
や
大
和
村
の
施
設
も
市
民
料
塚
区
︵
旧
安
塚
町
︶
に
お
い
て
視
ど
で
有
名
な
、
新
潟
県
上
越
市
安
テ
ィ
バ
ル
﹂
を
開
催
し
た
こ
と
な
を
運
び
﹁
後
楽
園
ス
ノ
ー
フ
ェ
ス
や
ダ
ン
プ
カ
ー
四
五
〇
台
分
の
雪
を
商
品
化
し
た
﹁
雪
の
宅
配
便
﹂
豪
雪
地
で
全
国
初
の
雪
そ
の
も
の
治
区
研
究
会
で
は
、
日
本
有
数
の
七
月
二
十
五
日
︵
月
︶
地
域
自
時
に
二
十
八
あ
っ
た
自
治
会
を
九
運
営
に
支
障
が
あ
る
た
め
、
合
併
は
役
員
の
担
い
手
や
地
域
行
事
の
②
高
齢
化
な
ど
で
小
さ
な
集
落
で
め
財
産
を
持
て
る
よ
う
に
し
た
。
雪
機
な
ど
を
自
由
に
利
用
す
る
た
し
、
合
併
後
も
集
会
場
や
小
型
除
を
﹁
地
縁
団
体
﹂
と
し
て
法
人
化
そ
の
内
容
は
、
①
町
の
全
集
落
こ
と
で
す
。
あ
り
方
だ
と
感
じ
ら
れ
た
と
い
う
取
り
組
ん
で
い
け
る
住
民
自
治
の
テ
ィ
ア
・
子
育
て
・
環
境
な
ど
に
民
が
自
由
に
イ
ベ
ン
ト
・
ボ
ラ
ン
こ
れ
ら
の
自
治
の
組
織
体
制
が
住
け
る
実
行
組
織
を
作
り
上
げ
た
。
察
研
修
で
の
安
塚
区
の
取
り
組
み
と
な
る
予
定
で
す
。
合
併
後
は
塩
本
町
に
お
い
て
も
、
今
回
の
視
称
は
﹁
甲
州
市
勝
沼
中
央
公
民
館
﹂
は
、
全
額
が
免
除
さ
れ
ま
す
。
名
育
委
員
会
が
適
当
と
認
め
た
と
き
た
市
内
の
社
会
教
育
団
体
等
で
教
─9─
催
、
ま
た
は
共
催
す
る
場
合
、
ま
合併でこう変わります〈1〉
対
象
が
拡
大
わ
り
ま
す
。
新
た
に
収
納
代
理
金
融
機
関
に
加
合
併
後
は
、
山
梨
信
用
金
庫
が
れ
る
予
定
で
す
。
乳
幼
児
の
医
療
費
り
そ
な
銀
行
甲
府
支
店
が
収
納
代
対
象
に
み
ず
ほ
銀
行
甲
府
支
店
、
農
協
町
内
各
支
所
お
よ
び
、
町
税
を
前
三
月
の
診
療
費
ま
で
に
拡
大
さ
五
歳
の
誕
生
日
か
ら
六
歳
の
就
学
通
院
医
療
費
助
成
の
対
象
年
齢
が
︻
が ① 事
十 拡 通 業 乳
一 大 院 か 幼
医 ら 児
月
療 四 医
一
費 つ 療
日
助 の 費
の
成 お の
診
の 知 助
療
対 ら 成
費
象 せ 金
分
年 ︼ 支
よ
給
齢
り
用
金
庫
塩
山
支
店
、
フ
ル
ー
ツ
山
梨
行
、
山
梨
県
民
信
用
組
合
、
甲
府
信
︻
収
納
代
理
に
つ
い
て
︼
理
金
融
機
関
と
な
っ
て
い
ま
す
。
勝
沼
町
で
は
現
在
、
山
梨
中
央
銀
日 前 使 午 十 で 一
ま を は て の は
た す 納 塩 い か 、 こ は 九 用 後 二 す 月
だ 。 め 山 ま た 減 れ 六 時 料 六 時 。 一
て 市 せ か 免 ま 百 か は 時 三 午 日
し
い な ん ら 規 で 円 ら 、 か 十 前 か
市
た ど で は 定 の と 午 そ ら 分 九 ら
や
時
だ と し 料 を 使 な 後 れ
教
ぞ 午 か か 有
く 同 た 金 適 用 る 十 れ 後 ら ら 料
育
こ 様 が を 用 料 見 時 二 十 午 正 に
委
と 、 、 い し に 込 ま 百 時 後 午 な
員
に 使 合 た 、 つ み
会
で で 円 ま 五 、 る
な 用 併 だ 町 い す の 。 で 時 午 予
が
り 料 後 い 民 て 。 全 午 の 、 後 定
主
新しい農業委員のみなさんを紹介します。
氏名
(敬称略・議席番号順)
佐 野 勲
(上岩崎・67)選
風 間 算 宏
(勝沼・62)選
市 川 正 文
三 橋 可 幸
(菱山・53)選
中 村 達 彦
(勝沼・61)選
雨 宮 求
(等々力・56)選 (下岩崎・68)選
佐 藤 好 和
(菱山・57)選
い
せ
つ
な
役
割
を
も
っ
て
い
ま
す
。
も
に
、
農
業
者
の
利
益
代
表
機
関
と
し
て
、
た
法
な
ど
に
基
づ
く
農
業
行
政
を
執
行
す
る
と
と
内 田 知
小 越 建 次
(等々力・58)選
武 井 幸 男
(休息・57)選
武 藤 忠 夫
(中原・69)農
雨 宮 春 彦
(上岩崎・66)選 (下岩崎・65)選
ん 自 政 村
ま 業 経 優
ま す の 営 良 毎 だ ら 委 ご 農
た 。 構 力 農 月 代 が 員 と 業
造 の 地 の 表 選 で に 委
、
改 強 の 定 を 挙 あ 設 員
農
革 化 確 例 中 に り 置 会
地
や 、 保 会 心 よ 、 さ は
法
農 担 、 、 に っ 農 れ 、
や
業 い 農 研 構 て 業 る 市
農
振 手 地 修 成 選 者 行 町
業
興 の の 会 さ
経
に 育 有 な れ
営
取 成 効 ど て
基
り な 利 を い
盤
組 ど 用 通 ま
強
ん 地 の じ す
化
で 域 促 て 。
促
い 農 進
進
、 、
三 森 徹 弥
(菱山・61)議
海 沼 世 紀
(勝沼・62)選
堀 内 喜 彦
(休息・61)改
山 下 正 樹
(山・58)選
農
業
の
代
表
者
命
さ
れ
ま
し
た
。
会
長
代
理
に
は
野
田
征
榮
さ
ん
︵
勝
沼
︶
が
任
─ 10 ─
な
お
、
会
長
に
は
雨
宮
璋
さ
ん
︵
下
岩
崎
︶
、
野 田 征 榮
(勝沼・66)選
内 田 孝
(菱山・58)選
石 原 正 寿
(藤井・67)山
小 泉 元 春
雨 宮 璋
選
=選挙
議
=議会推薦
農
=農協推薦
山
=山梨中央農業
共済推薦
改
=笛吹川浴岸土
地改良区推薦
(下岩崎・67)選
三 澤 健 治
(綿塚・62)選
久保田 静雄
(小佐手・60)選
藤 田 匠
野田 眞佐夫
(勝沼・63)議
大 澤 昇
(山・64)議
辻 博 夫
(上岩崎・55)議 (等々力・62)選 (小佐手・57)選
て
い
き
ま
す
。
は
合
併
時
に
失
職
し
、
新
市
で
新
た
に
推
薦
し
年
一
月
三
十
一
日
ま
で
で
、
推
薦
に
よ
る
委
員
委
員
の
任
期
は
、
在
任
特
例
に
よ
り
平
成
十
八
推
進
に
ご
尽
力
い
た
だ
き
ま
す
。
選
挙
に
よ
る
、
合
計
二
十
七
名
の
み
な
さ
ん
に
農
業
行
政
の
か
ら
そ
れ
ぞ
れ
一
名
が
推
薦
さ
れ
ま
し
た
。
梨
勝
沼
ブ
ロ
ッ
ク
、
笛
吹
川
沿
岸
土
地
改
良
区
山
梨
中
央
農
業
共
済
組
合
、
J
A
フ
ル
ー
ツ
山
二
〇
名
が
決
ま
り
ま
し
た
。
議
会
推
薦
の
四
名
、
会
委
員
選
挙
が
行
わ
れ
、
無
投
票
で
農
業
委
員
任
期
満
了
に
と
も
な
い
、
勝
沼
町
農
業
委
員
在
任
特
例
に
よ
り
来
年
一
月
末
ま
で
選
挙
に
よ
る
委
員
の
任
期
は
広報
のぶ
美ど
しう
い棚
歌の
声下
がで
響坂
い本
た冬
美
さ
ん
し 勝 の 手
た 沼 下 の
。 の で 坂
ワ テ 本
イ ー 冬
マ
ン 曲 美
の を さ
ん
味 熱
が
を 唱 訪
楽 。 れ
し 坂 、
ん 本 ぶ
で さ ど
い ん う
は
ま 、 棚
町
に
も
訪
れ
ま
し
た
。
当
日
は
、
演
歌
歌
企
画
さ
れ
、
日
本
全
国
を
巡
回
し
、
勝
沼
N
H
K
が
放
送
八
〇
周
年
を
記
念
し
て
れ
ま
し
た
。
で
す
﹂
が
町
内
の
ぶ
ど
う
園
で
生
放
送
さ
ラ
ジ
オ
番
組
﹁
こ
ん
に
ち
は
!
八
〇
チ
ャ
ン
七
月
二
十
七
日
︵
水
︶
に
N
H
K
旅
す
る
=
ぶ
ど
う
棚
の
下
美
し
い
歌
声
響
く
=
﹁
こ
Nん
に
Hち
Kは
放
送!
八
八〇
〇チ
周
年ャ
ン
で
す
﹂
安全と安心な生活環境をつくり、犯罪のない町へ
て
い
き
た
い
で
す
﹂
と
話
し
て
く
れ
ま
し
た
。
と
連
携
を
図
り
、
防
犯
活
動
の
輪
を
広
げ
、
活
動
を
展
開
し
が
明
る
く
安
心
し
た
住
み
よ
い
ま
ち
に
な
る
た
め
に
警
察
署
い
連
絡
会
会
長
の
飯
島
義
満
さ
ん
︵
中
原
︶
は
﹁
地
域
住
民
れ
地
域
の
防
犯
活
動
な
ど
に
取
り
組
ん
で
い
ま
す
。
ふ
れ
あ
ふ
れ
あ
い
連
絡
会
は
町
内
四
地
区
、
そ
れ
ぞ
れ
に
組
織
さ
れ
あ
い
連
絡
会
議
が
行
わ
れ
、
意
見
交
換
を
し
ま
し
た
。
四
地
区
の
駐
在
所
、
菱
山
地
区
の
か
た
が
参
加
し
、
夏
の
ふ
連
絡
会
が
開
催
さ
れ
ま
し
た
。
塩
山
警
察
署
の
堀
之
内
署
長
、
七
月
二
十
七
日
︵
水
︶
に
菱
山
財
産
区
会
館
で
ふ
れ
あ
い
=
ふ
れ
あ
い
連
絡
会
開
催
=
住
民
連
携
で
﹁
防
犯
活
動
﹂
の
輪
を
KATSUNUMA
おいしい料理ができました
で
き
ま
す
。
C
A
T
V
で
放
映
さ
れ
リ
ク
エ
ス
ト
も
ラ
ン
の
啓
発
と
実
践
も
兼
ね
て
お
り
、
会
を
め
ざ
す
か
つ
ぬ
ま
ヒ
ュ
ー
マ
ン
プ
今
回
の
番
組
は
、
男
女
共
同
参
画
社
ま
た
、
こ
の
日
、
学
芸
員
の
実
習
生
目
を
輝
か
せ
な
が
ら
待
っ
て
い
ま
し
た
。
く
っ
た
土
偶
や
土
鈴
が
焼
き
あ
が
る
の
を
い
ま
す
。
ち
び
っ
こ
た
ち
は
自
分
の
つ
し
て
み
よ
う
﹂
と
夏
休
み
に
企
画
さ
れ
て
し
み
な
が
ら
つ
く
っ
て
い
ま
し
た
。
緒
に
ニ
ョ
ッ
キ
や
デ
ザ
ー
ト
な
ど
を
楽
子
ど
も
た
ち
は
、
食
生
活
推
進
員
と
一
し
て
、
四
人
の
小
学
生
が
ゲ
ス
ト
出
演
。
た
。
今
回
の
収
録
は
、
夏
休
み
企
画
と
行
わ
れ
ま
し
た
。
物
館
で
夏
休
み
企
画
﹁
縄
文
体
験
!
﹂
が
七
月
三
〇
日
︵
土
︶
に
釈
迦
堂
遺
跡
博
委
員
会
と
協
力
し
、
C
A
T
V
番
組
﹁
旬
の
料
理
﹂
の
収
録
を
行
い
ま
し
食
生
活
改
善
推
進
委
員
会
で
は
、
か
つ
ぬ
ま
ヒ
ュ
ー
マ
ン
プ
ラ
ン
推
進
子
ど
も
た
ち
が
﹁
旬
の
料
理
﹂
に
挑
戦
!
夏
の
思
い
出
の
ひ
と
つ
に
な
り
ま
し
た
行
わ
れ
ま
し
た
。
─ 11 ─
も
参
加
し
、
楽
し
い
ゲ
ー
ム
も
が
多
く
﹁
粘
土
に
親
し
み
、
縄
文
を
体
験
釈
迦
堂
遺
跡
博
物
館
は
、
土
偶
の
出
土
縄
個文
土性体
偶的験
がな!
い土
っ鈴
ぱと
い
と
脱
水
症
に
な
り
や
す
い
と
言
わ
れ
て
い
ま
す
。
多
い
の
で
発
熱
や
下
痢
、
嘔
吐
を
す
る
に
比
べ
子
ど
も
は
、
身
体
の
水
分
量
が
す
い
環
境
に
あ
り
ま
す
。
ま
た
、
成
人
に
と
っ
て
熱
中
症
や
脱
水
症
に
な
り
や
て
、
平
均
気
温
も
高
く
な
り
、
子
ど
も
ま な で で り ど イ
以 す る し く ま の オ
前 。 な ょ れ す 水 ン
に
ど う れ 。 分 飲
比
の 。 ば 食 摂 料
べ
悪 そ 安 べ 取 、
、
循 の 心 な が ス
﹁
ポ
結 と い
今
な せ い べ
母
環 果 の か 多 ー ル 容
食
は
を
摂
り
な
ク
ら う
さ
い
に
ツ や 聞 取 ま
、 思 ら
気
い 事 ん
れ
相
こ
な
を
ド
食 い せ
候
き し し
っ 欲 も め と リ ジ 取 て た る 談 の あ た
も
ュ
ち
よ が で
て が あ て が ン
変
ー る い 。 う 、 す ま か
い な る 飲 わ ク
り
化
と
る
﹂
ス
に 寄 と 食 ら
き く の ん か な 、 ミ 内
し
麦
茶
な
ど
で
十
分
で
す
。
え
ま
し
ょ
う
。
普
段
は
、
湯
冷
ま
し
や
さに酒さこ
れは画れの
て葡報た冷
い萄﹂﹁蔵
た籠に甲庫
を掲州は
置載岩大
くさ崎正
木れ葡十
製て萄年
のおお十
棚りよ月
が、びに
配内葡刊
置部萄行
す
が
、
習
慣
的
に
使
用
す
る
こ
と
は
控
イ
オ
ン
飲
料
で
の
水
分
補
給
は
必
要
で
山
な
ど
に
出
か
け
る
な
ど
の
一
時
的
な
付
け
ら
れ
て
い
た
額
石
で
あ
の
荷
印
を
刻
む
入
り
口
に
取
り
冷
蔵
庫
﹂
と
三
重
丸
に
﹁
共
﹂
戸
外
に
出
る
と
き
や
長
時
間
、
海
や
に
割
れ
て
い
る
が
﹁
岩
崎
葡
萄
=近代農業施設のひとつ=
●●●●
︵
町
教
育
委
員
会
室
伏
徹
︶
共
通
し
た
特
色
で
あ
る
。
ほ
ど
の
道
が
整
備
さ
れ
て
い
る
の
も
て
い
き
ま
す
。
将
来
、
虫
歯
や
肥
満
の
原
因
に
な
っ
は
、
控
え
な
け
れ
ば
な
り
ま
せ
ん
。
期
に
甘
い
も
の
が
基
準
に
な
る
こ
と
て
い
ま
す
。
味
覚
を
育
て
て
い
く
時
飲
み
や
す
く
す
る
た
め
、
糖
分
が
入
っ
ら
の
飲
み
物
に
は
、
電
解
質
以
外
に
飲
む
も
の
で
は
あ
り
ま
せ
ん
。
こ
れ
文
字
を
読
む
こ
と
が
で
き
る
。
二
つ
て
お
り
、
散
乱
し
た
石
に
刻
ま
れ
た
い
る
。
よ
く
見
る
と
入
り
口
は
崩
れ
製
の
扉
を
取
り
付
け
た
跡
が
残
っ
て
入
り
口
は
狭
く
な
っ
て
お
り
、
木
に
空
気
抜
き
の
穴
が
開
い
て
い
る
。
中
央
一
カ
所
と
奥
の
壁
の
妻
の
部
分
み
合
わ
せ
た
天
井
が
あ
り
、
天
井
の
か
し
、
普
段
の
生
活
で
は
日
常
的
に
水
分
補
給
は
有
効
な
手
段
で
す
。
し
ン
飲
料
や
ス
ポ
ー
ツ
ド
リ
ン
ク
で
の
児
健
診
な
ど
で
お
て
い
ま
す
。
乳
幼
暑
い
日
が
続
い
質
や
塩
分
が
失
わ
れ
る
の
で
、
イ
オ
め
に
は
、
ナ
ト
リ
ウ
ム
な
ど
の
電
解
こ
う
し
た
脱
水
症
を
予
防
す
る
た
保
健
指
導
監
岡
澄
子
乳
幼
児
の
水
分
考補
え給
まを
し
ょ
う
⑪
長
く
割
り
、
合
掌
型
に
組
上
を
見
る
と
御
影
石
を
細
い
部
屋
に
な
っ
て
お
り
、
四
周
が
石
垣
積
み
の
細
長
室
が
あ
る
。
中
へ
入
る
と
、
カ
リ
と
口
を
明
け
た
地
下
向
き
の
崖
の
途
中
に
、
ポ
ッ
西
、
坂
下
川
に
面
し
た
北
下
岩
崎
の
交
差
点
の
北
勝
沼
の
葡
萄
冷
蔵
庫
①
葡萄地下貯蔵庫による低温長期保存 ● ● ● ●
蔵
庫
の
前
に
は
必
ず
馬
車
が
通
れ
る
藤
井
の
冷
蔵
庫
で
あ
る
。
ま
た
、
冷
の
は
昭
和
二
年
八
月
の
銘
が
あ
る
北
年
代
は
推
定
で
き
、
最
も
新
し
い
も
年
以
降
で
あ
る
か
ら
、
お
お
よ
そ
の
ト
が
使
用
さ
れ
始
め
る
の
は
大
正
三
り
、
勝
沼
町
の
工
事
で
コ
ン
ク
リ
ー
に
コ
ン
ク
リ
ー
ト
が
使
用
さ
れ
て
お
こ
こ
に
あ
る
、
冷
蔵
庫
に
は
天
井
竹
藪
に
な
っ
て
い
る
崖
の
中
で
あ
る
。
集
中
し
て
あ
る
の
は
、
日
川
の
左
岸
、
カ
所
ほ
ど
確
認
さ
れ
て
お
り
、
最
も
地
区
で
二
カ
所
、
祝
地
区
で
は
十
七
蔵
庫
の
名
で
築
か
れ
た
施
設
は
勝
沼
─ 12 ─
と
が
分
か
る
。
こ
の
よ
う
な
葡
萄
冷
く
木
製
の
棚
が
配
置
さ
れ
て
い
た
こ
れ
て
お
り
、
内
部
に
は
葡
萄
籠
を
置
び
葡
萄
酒
画
報
﹂
の
写
真
に
掲
載
さ
刊
行
さ
れ
た
﹁
甲
州
岩
崎
葡
萄
お
よ
こ
の
冷
蔵
庫
は
大
正
十
年
十
月
に
施
設
で
あ
る
こ
と
が
分
か
る
。
り
、
岩
崎
共
同
出
荷
組
合
で
築
い
た
入り口は狭いが、内部の天井は合掌
型に石垣積みされ広さを感じる
広報
昭和19年、
1年間ジャングルでの
生活。
写真は21歳の時の雨宮さん
月
で
全
島
を
制
圧
さ
器
を
使
っ
て
約
一
カ
と
言
わ
れ
、
近
代
兵
米
軍
は
五
万
名
以
上
百
隻
以
上
の
艦
船
で
輸
送
船
を
含
め
て
五
て
き
た
戦
艦
巡
洋
艦
二
カ
所
よ
り
上
陸
し
練
が
続
い
た
。
昭
和
十
九
年
二
月
に
渡
満
し
て
、
毎
日
き
び
し
い
訓
満
州
北
安
の
四
十
九
連
隊
で
三
月
十
三
部
隊
へ
入
隊
。
本
隊
は
、
北
か
ら
、
輸
送
船
に
乗
り
込
み
三
月
鮮
の
﹁
釜
山
﹂
へ
着
い
た
。
こ
こ
車
の
﹁
貨
物
﹂
に
乗
車
し
て
、
朝
戦
友
た
ち
と
話
し
合
っ
て
輸
送
列
だ
、
が
ん
ば
っ
て
行
こ
う
!
﹄
と
思
っ
た
が
﹃
こ
れ
も
お
国
の
た
め
た
の
で
無
事
で
は
帰
れ
な
い
と
自
分
は
、
重
機
関
銃
隊
で
あ
っ
七
月
二
十
一
日
、
東
海
岸
の
射
撃
が
四
十
一
日
も
続
い
た
。
日
か
ら
米
軍
の
空
爆
と
艦
砲
っ
た
が
、
し
か
し
、
六
月
十
場
か
と
不
思
議
な
思
い
で
あ
二
十
八
度
⋮
。
こ
こ
が
、
戦
星
の
見
え
る
島
で
平
均
気
温
が
、
静
か
で
あ
た
た
か
く
南
十
字
員
の
百
二
十
六
隊
員
で
あ
っ
た
岸
の
警
備
を
命
じ
ら
れ
た
。
中
隊
命
令
に
よ
り
、
グ
ア
ム
島
西
海
「戦争は悲しいです」と話す
艦
で
横
須
賀
の
九
里
浜
へ
上
陸
し
年
十
一
月
、
旧
日
本
海
軍
の
海
防
よ
り
収
容
さ
れ
た
。
昭
和
二
十
一
し
い
生
活
が
続
い
た
が
、
終
戦
に
月
ま
で
一
年
間
ジ
ャ
ン
グ
ル
で
苦
か
っ
た
。
以
来
、
昭
和
二
十
年
八
た
が
幸
い
軽
い
け
が
で
命
は
た
す
涙 繰 ン れ
自 し り 山 た
分 た 返 と 。
も 。 さ 言 我
れ う 々
足
、 山 の
を
七 を 中
伯
〇 中 隊
撃
名 心 は
砲
が に 、
で
戦 激 マ
や
死 戦 ン
ら
し が ガ
れ
も
、
戦
死
し
た
多
く
の
戦
友
た
ち
に
、
自
分
が
元
気
で
い
ら
れ
る
の
れ
て
い
る
。
平
成
と
言
う
時
代
に
は
、
勝
沼
出
身
者
が
六
名
含
ま
わ
れ
て
い
る
。
こ
の
戦
死
者
の
中
で
日
本
軍
の
戦
死
者
二
万
人
と
言
カ
に
な
っ
て
い
る
が
、
あ
の
戦
い
が
今
で
は
新
婚
旅
行
の
メ
ッ
る
も
の
で
あ
る
。
つ
ま
で
も
続
く
こ
と
を
心
か
ら
祈
戦
争
の
な
い
平
和
な
世
の
中
が
い
く
ら
い
の
悲
惨
な
も
の
で
あ
る
。
戦
争
は
、
言
葉
で
は
語
れ
な
い
は
な
い
だ
ろ
う
か
。
が
守
っ
て
い
て
く
れ
て
い
る
の
で
サラダうどん
勝沼町食生活改善推進員会
●材料(4人分)
4玉
2個
4枚
8枚
少々
4個
二
十
一
日
出
動
命
令
が
出
て
、
新
二
十
一
日
、
中
部
太
平
洋
の
グ
ア
CATV放映中!
ゆでうどん
トマト
レタス
ロースハム
乾燥わかめ
たまご
し
い
部
隊
が
編
成
さ
れ
た
。
ム
島
へ
上
陸
し
た
。
塩
油
めんつゆ
た
(ストレートタイプ)
酢
れ
ごま油
少々
少々
400㏄
大さじ6
大さじ2
●作り方
①ボールにたまごを割り
ほぐし、塩を少々入れ
て混ぜる。フライパン
に油を中火で熱し、弱
火にしてからたまごを
1人分:430kcal
流し入れ、はしで大き
く混ぜながら炒め、炒りたまごを作る。
②トマトはへたを取り8等分のくし型にす
る。レタスは洗い、手で小さくちぎる。
③ハムを半分に切り、細切りにする。わかめ
は水で戻しておく。
④たれをつくる。ボールにたれの材料を入れ
て混ぜ合わせておく。
⑤うどんをざるに入れ、水またはお湯でほぐ
す。水気をきり、器に盛り、その上にレタス、
トマト、ハム、炒りたまご、わかめをのせる。
⑥たれをかけて出来上がり。
─ 13 ─
で
あ
る
。
さ
ら
に
、
こ
の
島
終戦…あれから60年
昭
和
十
八
年
二
月
、
甲
府
の
六
ぎ
、
今
、
思
え
ば
夢
の
よ
う
私の戦争体験
∼この平和、いつまでも∼
あ
れ
か
ら
六
〇
年
が
過
た
。
四
年
ぶ
り
で
あ
っ
た
。
雨
宮
徳
造
さ
ん
︵
八
二
・
勝
沼
︶
仲間から国旗の寄せ書きが雨宮さんに送られた
8月
No.529
封印された絵はがきに戦争の影
行
で
公
開
し
ま
す
。
ぜ
ひ
ご
覧
く
だ
さ
い
。
発行/勝沼町役場 編集/まちづくり推進室
〒409-1392 山梨県東山梨郡勝沼町勝沼756-1
勝
沼
町
長
三
枝
武
人
の
ほ
か
の
絵
は
が
き
も
整
理
が
済
み
し
だ
い
、
田
中
銀
二
十
五
日
ま
で
町
立
図
書
館
で
展
示
し
て
い
ま
す
。
そ
た
絵
は
が
き
は
二
千
五
百
枚
ほ
ど
あ
り
ま
す
が
、
こ
の
う
ち
戦
争
に
関
す
る
も
の
約
百
三
十
枚
を
選
び
、
今
月
確
に
見
え
て
く
る
よ
う
な
気
が
し
ま
す
。
◆
見
つ
か
っ
り
を
進
め
て
い
く
過
程
で
、
真
の
平
和
と
は
何
か
、
明
が
必
要
で
す
。
合
併
を
機
に
、
よ
り
積
極
的
に
地
域
づ
く
﹁
平
凡
﹂
を
維
持
し
て
い
く
た
め
に
は
﹁
非
凡
﹂
な
努
力
り
返
し
か
も
し
れ
ま
せ
ん
が
、
か
け
が
え
の
な
い
こ
の
代
償
が
大
き
過
ぎ
ま
し
た
。
平
和
は
平
凡
な
日
々
の
繰
平
和
を
手
に
す
る
こ
と
が
で
き
ま
し
た
が
、
余
り
に
も
気
が
し
て
な
り
ま
せ
ん
。
敗
戦
に
よ
っ
て
、
結
果
的
に
き
は
、
私
た
ち
に
平
和
の
尊
さ
を
教
え
て
い
る
よ
う
な
以
上
の
歳
月
が
過
ぎ
て
、
再
び
陽
の
目
を
見
た
絵
は
が
て
の
ほ
か
と
い
う
こ
と
だ
っ
た
よ
う
で
す
。
◆
七
十
年
に
突
入
し
て
い
く
な
か
、
観
光
絵
は
が
き
な
ど
は
、
も
っ
さ
れ
ま
す
。
満
州
事
変
勃
発
の
年
で
し
た
。
戦
時
教
育
し
昭
和
六
年
、
こ
の
絵
は
が
き
が
箱
に
納
め
ら
れ
封
印
材
と
し
て
、
内
外
の
地
理
を
学
ん
だ
よ
う
で
す
。
し
か
た
。
旅
行
な
ど
行
け
な
か
っ
た
時
代
、
絵
は
が
き
を
教
勝
地
な
ど
さ
ま
ざ
ま
な
風
景
が
映
し
出
さ
れ
て
い
ま
し
風
景
を
は
じ
め
、
県
内
や
国
内
、
さ
ら
に
は
海
外
の
景
て
の
絵
は
が
き
が
大
量
に
見
つ
か
り
ま
し
た
。
勝
沼
の
理
を
し
て
い
た
と
こ
ろ
、
明
治
か
ら
昭
和
初
期
に
か
け
ご
ろ
勝
沼
小
学
校
で
、
改
修
工
事
に
伴
い
図
書
室
の
整
か わ い い 瞳
お誕生
地 区 氏 名 今
年
は
節
目
の
年
と
あ
っ
て
、
テ
レ
ビ
や
新
聞
な
ど
で
も
戦
争
を
テ
ー
マ
に
し
た
特
集
が
目
立
ち
ま
す
。
◆
先
十
年
前
の
夏
も
同
じ
よ
う
に
暑
か
っ
た
と
い
い
ま
す
。
暑
さ
を
助
長
し
ま
す
。
猛
暑
が
続
い
て
い
ま
す
が
、
六
日
差
し
の
な
か
、
ミ
ー
ン
、
ミ
ー
ン
と
鳴
く
蝉
の
声
が
◆
青
い
空
と
真
っ
白
な
雲
、
じ
り
じ
り
と
照
り
つ
け
る
み ん な 元 気
保護者
げん
毅・由貴
勝 沼 萩原 玄
る る ね
和人・安子
〃 大澤 流音
ご結婚
地 区 夫 妻
等々力 上田 秀樹 雨宮奈津子
TEL 0553 - 44 - 1111 FAX 0553 - 44 - 0001
E-mail:[email protected]
おくやみ
いつも楽しませてくれるすみれ
ちゃん♪これからも元気に家族み
んなを癒してねと、
父・洋一さん、母・玲子さん。
地 区 氏 名 年齢 届出人
勝 沼 雨宮 碩哉 59
雨宮 康順
山 甘利 千代 91
甘利 功
平成17年7月1日∼7月31日届出(敬称略)
た
︱
︱
︱
︵
H
︶
も
た
ち
の
笑
顔
を
見
な
が
ら
感
じ
日
々
を
⋮
。
プ
ー
ル
帰
り
の
子
ど
い
つ
ま
で
も
平
和
と
笑
顔
の
忘
れ
て
は
い
け
ま
せ
ん
。
か
し
、
歴
史
を
語
り
継
ぐ
こ
と
は
薄
れ
、
美
化
さ
れ
が
ち
で
す
。
し
し
た
か
た
の
話
は
時
代
と
と
も
に
熱
く
な
り
ま
し
た
。
戦
争
を
体
験
ら
話
し
て
い
た
だ
き
、
私
も
胸
が
涙
⋮
﹂
と
、
当
時
の
写
真
を
見
な
が
る
よ
。
苦
し
み
、
戦
友
と
の
別
れ
、
マ ジ レ ン ジ
ャーがだいす
きな
康輔くん。ア
ンパンマンの
だ
い
すきな蒼太く
ん。いつも仲
良
し
の
ふたり…。こ
のままずっと
仲良し
な兄弟でいて
ねと、
父・洋一さん
、母・朋子さ
ん。
⋮
。
今
も
ま
だ
鮮
明
に
覚
え
て
い
人のうごき 平成17年8月1日現在(前月比)
ちびっこフォトでは、元気なお子さんの写真を募集しています。ご両親のコメントを添えて
広報担当までお申し込みください。
た
だ
、
ひ
た
す
ら
お
国
の
た
め
に
春
の
日
々
を
戦
火
の
中
で
生
き
た
。
ん
の
話
で
﹁
か
け
が
え
の
な
い
青
取
材
さ
せ
て
い
た
だ
い
た
雨
宮
さ
り
前
に
感
じ
て
い
ま
す
。
今
回
、
私
た
ち
は
、
平
和
な
生
活
が
当
た
▼
さ
て
、
今
年
は
戦
後
六
〇
年
。
世帯数2,995戸(+9)
で
も
あ
り
ま
せ
ん
︵
笑
︶
。
題
に
追
わ
れ
て
い
た
の
は
言
う
間
け
。
八
月
が
終
わ
る
頃
に
は
、
宿
す
。
も
ち
ろ
ん
勉
強
は
そ
っ
ち
の
操
、
昼
は
山
へ
カ
ブ
ト
ム
シ
を
探
が
思
い
浮
か
び
、
朝
は
ラ
ジ
オ
体
き
な
が
ら
、
自
分
の
小
学
校
の
頃
人口9,571人(−2)
れ
合
い
ま
し
た
。
こ
の
記
事
を
書
町
内
を
歩
き
、
町
民
の
か
た
と
触
今
月
の
広
報
で
子
ど
も
た
ち
と
で
は
な
い
で
し
ょ
う
か
。
さ
れ
て
い
る
親
御
さ
ん
も
い
る
の
連
れ
て
行
っ
て
!
﹂
と
お
ね
だ
り
男4,642人(+2)
子
ど
も
た
ち
も
夏
休
み
。
﹁
ど
こ
か
▼
も
う
、
す
っ
か
り
夏
で
す
ね
。
編
集
後
記
ち
ょ
っ
ぴ
り
長
い
女4,929人(−4)