獣と呼ばれたい 女性にとって「ひどい男」とはどんな男だろう。 嘘つきな男

獣と呼ばれたい
女性にとって「ひどい男」とはどんな男だろう。
嘘つきな男、不潔な男、暴力的な男。
3K、という言葉を見聞きした。
「キツイ」
「汚い」
「危険」である。最近は「差
別用語」という事で、刈り取られてしまったかもしれない。
3Kという言葉には角度を変えてみれば男っぽい。
「汗の匂い」がする、男っ
ぽさを好む女性も居れば、「大嫌いな」女性も居るだろう。
最近は、強く野性的な男は好かれないのだろうか。キャリアウーマンと呼ば
れる女性たちに「年下の男を愛でる」ことが流行っている。
女達は仕事に邁進している。結婚はしばらく置く、という人も居る。薄化粧
の似合いそうな年下の男を好むのは自然なことかもしれない。誰もが若さの美
しさを知っている。女達は「庇護されることから、庇護する喜び」に移行して
いるとも言える。
嘘つき、不潔、暴力は男性にとっても厭な存在だけれど、
「開拓者」は何時の
時代も3Kではなかったろうか。女に嘘をつき、金を巻き上げ、風呂にも入ら
ずにセックスを迫り、腕力に物を言わせて支配しようとする、獣のような男は
排除されるのは当然だ。お洒落で、優しい男達が女性たちにちやほやされてい
る。優男達を横目に眺めて、女達に「この獣」と叫ばせたい気持が湧く。
私は日頃、せっせと彼女らに奉仕しているのだもの。女達も心のそこでは「獣
を」求めているかもしれない。
私には麻子という恋人がいる。
「今日、パパに会えて、嬉しかったです。そして、ご馳走様でした。ひととき
でも、パパとのお時間は幸せです。お互い色々な思いがあっての離れての旅。
明日は何でも聞いてください。じゃないといや。時に、パパは心のすべてを、
私に言っているの?て感じる時があります。パパは私なんかより、大人なのだ
からって、言い聞かせています。又、泣かないうちに、メールを閉じます。」
麻子と付き合い始めてから二年目ほどのやり取りだ。
一緒になる事を望んでいる。躊躇している。結婚・同棲するには歳が離れす
ぎている。結婚・同棲に両親や子供が賛成するだろうか。結婚も、同棲も私が
早く歳を取るので将来不安である。同棲でも両親や子供が賛成するだろうか。
私は妻と別れることができるか。歳をとっての一方的な離婚。妻の将来の生活
を保障できるか。長男なので兄弟や親戚の手前がある。麻子や子供達の経済的
なすべての面倒は見られない。母親の相手が度々変わっては子供達がかわいそ
う。二人ともまだ大人ではない。離婚交渉に精神的に耐えられるか分からない。
麻子の気持ちが万一私から離れてしまったら。客観的に見れば麻子は私以外の
人間とでもやり直せる。麻子にとって何が一番の幸せか結論を出せない。秘密
の恋人の関係を続け、情況の変化を待つ。時の流れに任せて、現在の愛を守り
通すか、愛が消えてしまうか。今後予想される危機が多い。たとえば麻子か私
が病気になる。
お互いに別の相手が出来ること。私が歳を取り動きにくくなること。
麻子が夫と過ごせない心境になること。二人の秘密が知られてしまうこと。
お互いはなれて生活することに耐えられなくなること。
「パパ、昨日はすてきな一日をありがとうございます。私はパパを信じて愛し
ていきます。パパを大切にしていきます。そして自分も磨いていきます。昨夜
の家の居間には一平含めて七人のスポーツ仲間が賑やかに。びっくり。亜矢子
まもなく帰り少し、話をして、休みました。ほっぺ、の皮膚の為、今日はプー
ルお休みします。又、パパに会える日があるから、私、がんばります。パパ、
麻子を愛してくれて、本当に、本当にありがとう」
麻子からのメールが届く。私は卑小な自分をつくづくと感じる。
「パパと出会って、愛し合ったことで私の心は決まったわ。同居人と五年後、
つまり娘が大学を卒業して、家を出て行ったら、私も出てゆこうと思う。パパ
はそんな私の気持ちを固めてくれた存在だった。愛するパパと生活することは
私の夢だけれど、パパには奥さんがいるし、そのことはパパ自身が決めること。
たとへ、私の希望がかなわなくとも、パパを恨んだりしないわ。私は一人で生
きてゆく」
麻子の言葉に私は安心した。ひどく落ち込んだ。解決は更に延ばされたこと
の、安堵と、いつまでたっても物事に決まりがつかない落ち着きのなさが、私
を憂鬱にさせた。
私が望んでいた。麻子が子供達を引き連れて家を出ること。私と一緒に暮ら
すことを。現実の問題として可能だろうか。私の生活のレールは私自身がひい
ているではないか。老人に近づきつつある。社会的には年金生活者である私に
人生の多くの選択肢が残されているわけではないのだ。
上手な生き方、という言葉がある。上手な生き方とは何だろう。安全で、自
由で、人を傷付けない生き方。自分も傷つかない生き方が可能だろうか。何も
しない、保守的な生き方をしろということなのか。何も求めない。自らは何も
求めない。現にあるものだけ、与えられたものだけを大切にする。
「亜矢がステージで着るドレスを私が着て、私が何かステージで歌っているの。
パパのその鋭い視線の中。そして、セックスをしている」
夢の説明である。艶夢と言うのであろう。生々しい夢である。男と女の関係
には性が大きな比重を占めているのは当然なことであろう。私は艶夢を見るこ
とは無くなった。艶夢と性欲は比例するものだろうか。
麻子は見た夢を話す。そのことが二人の親密さの証しである。何もかも隠さ
なくて良い関係の安心のようでもある。媚態と甘えが無い混ざったものである
らしい。
二年の歳月が二人の間をどのように醗酵させてきたのか、考えることがある。
二年以前「二人は百回関係をもち、そうしたらその後どうするか考えよう」と、
私は言った。
七年の月日が過ぎている。麻子は言葉通りに男と別れた。私は自分の生活を
変えていない。3K、というどころではない。嘘つき、裏切り者、という事に
なる。
私にも考えが無いわけではない。言い分が無いわけではない。
麻子は未だに、私の存在を、家族に隠しとおしている。秘密は関係を持続さ
せる知恵である。私も知っている。七年間の間に二人の関係は誰も知らない。
親友にも何も話していない。話さなければ話題を提供する事も無いので、誰も
話さなくなる。「如何したのだろうね」「さあ、何も知らないな」で終わってし
まうはずだ。
麻子との結婚の意志は変わっていない。麻子が待っていてくれれば、の話で
ある。いつまで待てばよいのか、私にも分からない。私が幾つまで生きるのか
分からない。
待ちきれなくなった、麻子はべつの男を見つけるかもしれない。私から愛情
が離れる。悲しい事だが、良くある話だ。
私は孤独な生活が嫌いではない。友人も多いし、わいわいやるのは好きなの
だが、一人も好きだ。孤独な生活の中で一番心配なのは日々の食い物だけれど、
贅沢さえ言わなければ、食い物は手に入る。
孤独死も怖いとも、嫌とも思わない。死んだあとのことを考えても仕方ない。
私は一冊の小説集も出していないのは、死ぬ事に対する、死に対するロマンチ
ィズムが無いからだ。未来に希望をもつことに羞恥を感じる。
私は子供の頃から、自分が特別な存在だと感じていた。成長するに連れて幻
想だと分かった。
書くと言う行為の結果、作品は生まれるが、生まれた作品に特別な意味があ
るとは思えない。優れた作品であると信じているが、優れたものが残るとは限
らない。友人達は「同人雑誌」に書き散らしても、後世に残らないという。ほ
とんどが消えてしまう。
私の亡くなった友人は、身体が不自由だった。脊髄カリエスの後遺症を体に
刻み付けていた。幼い頃抱いていたコンプレックスも克服していた。とても立
派な人物だった。友人は来世や霊魂を信じていたし、何度か霊的な体験をして
いた。何故、霊魂や来世を信じるのか、の私の質問に「だってこのままでは詰
まらない」と、言った。
私は虚無主義者ではないが、虚無的になる事がある。小さい頃は虚弱だった。
青年の頃は勉強が苦痛だった。作家を志したが売り出すごとが出来なかった。
サラリーマンになっても仕事は嫌いだった。定年になって退屈で寂しい。
朝の目覚めに幸福と不幸を感じるものだ。どちらが多かったのか。
生活と虚構は切り離されたものでしない。私は那須の山奥で、眠り、目覚め、
食べて、単調な生活をしている。意味の無いものをせっせと書いている。熱心
にやっているわけでもない。書く以外にこれといってする事は無い。
家の周りの草取りや、押し寄せてくる竹やぶと戦う気も無い。
家内がたまりかねて、業者を入れた。数時間で庭は綺麗になった。ふたりの
作業員を相手に私は機嫌よくベランダで昼食を取った。ふたりはあまり喋らず、
穏やかな顔だった。
この頃はベランダに一日中落ち葉が舞い散る。舞散った落ち葉は、風であち
らこちらに吹き寄せられ、叉散る。物が置いてあれば、側に溜まる。
毎日、一二枚の原稿を書けば、義務がすんだとばかり、ぼんやりと過ごして
いる。
ぼんやりと過ごしていると、部屋の隅に秋の虫が見えることがある。外は寒
いので、紛れ込むらしい。鈴虫に似た黒い虫が居る。手を伸ばすと、跳ね上が
る。何という虫だったか、思い出せない。
蚊でなければ虫はなるべく殺さない。秋の蚊はしつこい。寝室に入り込み、
真夜中に私の指や、額に取り付き、血を吸う。痒いので目を覚ます。階段を駆
け下りて、戸棚の薬を塗る。
スタンドの明かりの中に、蚊を探す。壁に小さな影を探し、叩き潰す。白い
壁に小さな赤い染みが出来る。安心して眠りにつく。
最近は眠ってばかりいる。早く床に着き、たっぷりと眠る。蚊に悩まされな
くとも眠りが浅く、夢ばかり見る。
サラリーマン時代の夢なのか。私は劣悪な環境で働いている。倉庫のような
暗いオヒィスだ。同僚は昔の知人らしい。私は無給で勤めているらしい。働く
なら金を要求しようか、と悩んでいる。
何時までも大学を卒業できない夢も見る。授業を受けていないし、受講を申
請しても居ない。私はもう中年らしい。今更大学に行ってもはじまらないと思
うが、悩んでいる。
ぬるい風呂に入っている。うっかりして背広姿である。脱がなければと、努
力するが衣服が体に巻きついて思うようにならない。
那須の朝は寒いので、ベッドから起き上がる気にはなれない。腕を伸ばし側
のガスヒーターのスイッチを入れる。静まり返った部屋にヒーターの唸りと、
温風が満ち溢れる。
やっと起きだして、雨戸を開けると、目の前の庭に落ち葉が敷き詰められて
いて、裸樹の間から朝日が差し込んでいる。壁に着いた私の血の染みを濡れた
たティシュペーパーでふき取る。
階段を駆け下り、キッチンでコーヒーを造る。ふと足元を見ると、黒い虫が
死んでいる。触手が動いているから、死にかけているのだ。私がスリッパで踏
み潰したらしい。キッチンのスイッチの下に居たのだ。私は虫に気がつかなか
った。
虫の死骸を捨てて、私はテーブルでぼんやりと目覚めのコーヒーを啜った。
私は立ち上がり、書斎のパソコンに向かう。青い画面が広がる。
「獣と呼ばれ
たい」とタイトルを付けたが、相応しくない、と考え直す。タイトルはいつも
悩む。友人の相良が、ヘミングウェーの殺人者を連想させる、優れた小説、
「庭
仕事」を書いた。相良は繊細なので私はメールで「老人と海」を読んでいると
言った。解ってくれたろう。
私は獣と呼ばれたい。