野上キリスト福音教会 ◎礼拝説教:2016 年 1 月 17 日 ◎説教者:山崎浩作 牧師 ◎タイトル:パラダイスにいます ◎今日の聖書:ルカ福音書23 章 39∼43 節 39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、 「あなたはキリストではな いか。自分と私たちを救え」と言った。 40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。 「おまえは神をも恐れないの か。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。 41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪 いことは何もしなかったのだ。 」 42 そして言った。 「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してく ださい。 」 43 イエスは、彼に言われた。 「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともに パラダイスにいます。 」 ◎宣教 人は、極限状況に至るときには自分の本性が出てくるものである。死刑を告げられて十字 架にかけられた三人が、まさにその極限状況であっ た。イエスは、指導者や祭司のことを「父 よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。 」 (23: 34)と天の父に言った。赦 しを願ったの である。イエスは罪や悪とは一切関係のないお方 である。しかし 世の現実は、罪びとが罪びとを赦さないで殺してしまう。すべてが滅び、消 える方向に進んでいる世なのだ。 十字架にかけられていた犯罪人の一人がイエスに悪口を言う。イエスについて自分自身を 救えない救い主として、小馬鹿にし ている。高慢である。一方、もう一人の犯罪人は神を恐 れ、罪のないイエスを知り、自分は報いを受けていることを知っていた。 さらに、 「イエ スさ ま。あなたが御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。 」 (23:42) と、 私を救え ではなく、謙遜に 「思い出してください。 」という。なぜここまで謙遜にな れたのか。それは、自分をとことん見つめ、自分を愛するという真実が、イエスとい う真理 に触れ、神への道がはっきり見えたのだ。先の犯罪人は、他人を馬鹿にする高慢さに心を奪 われ自分自身を見ていない。真剣に自分を愛 していない。だから罪がわからない。悪人のま まだ。 一方の犯罪人は良心があった。だから死刑で捨てられ消えることもわかった。だから自分 の 罪がわかった。つまり、良心は神との接点となった。だから謙遜になれた。だからイエス を信頼することができた。これらのことは、このような状 況の中で、自分以上にイエスを愛 し、信じていなければできることではない。これが信仰である。イエスから返答が戻ってき た。 「まことに、あな たに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。 」 (23:43)世から捨てられた犯罪人が天の御国の第一号となるのです。彼はどれほどうれ しかっただろう。 一方の犯罪人は滅び 、一方の犯罪人は永遠に生きる。そうだとしたら、何が問題なのか。 悪口の犯罪人は、周りに気を取られている。自分の罪に気付かない。他方の犯罪人は自分を 見て、自分を裏切らずに愛しぬく、がゆえに自分のすべてが消え ようとも真理に期待して信 じぬく、愛しぬく勇気があった。すると、人格を持った神が確信に満ちて返答してくれる。 「あなたはきょう、わた しとともにパラダイスにいます。 」 わたしたちは、 私たちを愛してくださる真理なる神様に向かって愛し、 信じぬきましょう。 たとえそれが人生最後の数分、 数時間であったと しても、 神を信じることができたのならば、 この犯罪人のように完全な救いの中に入るのです。
© Copyright 2024 Paperzz