インドネシアにおけるカカオ産業の危機と変容、1887

衰退か、それとも復活か?
――インドネシアにおけるカカオ産業の危機と変容、1887~2014――
千葉大学 妹尾 裕彦
http://orcid.org/0000-0001-8249-8196
要旨
インドネシアのカカオ産業は現在、生産面での危機と、加工面での構造転換の只中にあ
る。本稿ではまず、インドネシアのカカオ生産が危機に陥るに至った経緯とその実態を理
解するために、この国のカカオ生産史を振り返る。次いで、この危機への対応を整理した
上で、危機の原因を理解する上で有用なフレームワークの意義と限界を検討する。その上
で、このフレームワークをふまえながら、19 世紀末~21 世紀初頭までのインドネシアのカ
カオ生産の興亡史を検討し、その実態を探る。また、主産地の農民が現在の危機にどのよ
うに対応しているのかを描き出す。こうして、歴史的パースペクティブからインドネシア
のカカオ生産の危機に関する含意を導き出し、また加工面の構造転換も踏まえながら、こ
の国のカカオ産業の危機と今後の変容の方向性を示す。
1:インドネシアにおけるカカオ生産の発展と危機
インドネシアは、コートジボワールとガーナに次いで、世界 3 位のカカオ生産量を誇っ
ている。同国が、世界のカカオの主産地の一角を占めるようになったのは、1990 年代以降
のことに過ぎないが、その生産の歴史は決して短いわけではない。
インドネシアにカカオが最初にもたらされた時期や場所については、諸説が入り乱れて
いるものの、遅くとも 18 世紀初頭にはマルク諸島やジャワ島で栽培されていたことは、確
実である(e.g., 芳賀[1925:10]; Dand[2011:17]; Durand[1995:316]; Clarence-Smith[1998:97])。ま
た 19 世紀以前のインドネシアでのカカオ生産で注目すべきは、東インドネシア(マルク諸島
やスラウェシ島)において、フィリピン向けのカカオ生産・輸出ブームが 1820 年代~1880
年頃にあったことである。往時の生産量は 500 トン未満と推計されているが、このブーム
は 1880 年代には急速に縮小した(Clarence-Smith[1998])。なお、この推計は東インドネシア
限定であり、ジャワ島を含んでいない。
他方で、蘭印およびインドネシア政府の統計では、インドネシアのカカオに関して、1884
年以降の生産量と、1921 年以降の生産面積を確認できる(1945~46 年を除く)。ただし、1920
年以前と 1941~47 年のデータについては、ジャワ島に限定されている。これ以外の時期に
ついては外島も含まれているが、1925~40 年についてはジャワ島・外島という大括りのデ
ータであり、州別に細分されていない。また 1963 年以前については、大農園に限定されて
おり、小農園がカバーされていない。
以上の制約を踏まえた上でデータを追うと、同国のカカオ生産史は、2 つの時期に大別で
きる。すなわち、(1)生産量が 3 千トン未満で増減していた 19 世紀末~1973 年(第一期)と、
(2)生産大国に伸し上がりつつも近年減退を見せている 1974 年~現在(第二期)、である。
第一期には、1887 年以前に 1 トン未満だった生産量が、1888 年に 29 トン、1891 年に 222
トン、1895 年に 966 トンと右肩上がりで増加し、1903 年には 1,102 トン、1908 年には 2,087
トンと伸びていった。また、この世紀転換期には、ジャワ島の生産量が外島を上回ったと
1
思われる。だが、同国の生産量は、おそらく 1908 年をピークに以後 65 年もの長きに渡っ
て低迷し、じつに 1973 年に至るまで、2,000 トン未満に留まった1。
他方で、
第二期に入ると、
1974 年に生産量は 3,400 トンと上向きになり、
1981 年には 12,800
トンに乗せた。その後 1989 年には 10 万トンの大台を突破し、さらに 1994 年には 24 万ト
ン超を記録して、ブラジルを抜いて世界 3 位に浮上した。豊作だった 2005/06 年度には、56
万トンと史上最高を更新しており、これは世界生産量の約 15%にあたる。
図 1:インドネシアのカカオ生産量(1974-2011)
(トン)
900,000
(1)BPSのデータ
(2)ICCOのデータ
800,000
700,000
600,000
500,000
400,000
300,000
200,000
100,000
0
1
9
7
4
1
9
7
7
1
9
8
0
1
9
8
3
1
9
8
6
1
9
8
9
1
9
9
2
1
9
9
5
1
9
9
8
2
0
0
1
2
0
0
4
2
0
0
7
2
0
1
0
注 : (1) の 生 産 量 は BPS(Biro Pusat Statistik or Badan Pusat Statistik) 、 (2) の 生 産 量 は
ICCO(International Cocoa Organization)による。ただし、(1)は暦年形式であるが、(2)はカカオ
年度形式なので、(2)については、たとえば「2010/11 年度」(2010 年 10 月~2011 年 9 月)の
場合にこれを「2011 年」と読み替えて、(1)と(2)の表記の統一を図っている。
出所: BPS[various years b]; ICCO[various years].
1
CBS[various years]には、1912 年のインドネシアのカカオの生産量が 2,273 トンと記されて
いる。だが、このうち 1,216.6 トンと過半を占める Soerakarta での前年(1911 年)の生産量は
433.2 トン、翌年(1913 年)の生産量は 418.4 トンなので、1912 年の 1,216.6 トンという値は不
自然であるように思われる。そこで、この年の Soerakarta の生産量を、前年や翌年と同程度
の 420 トンと仮定すると、
1912 年のインドネシアのカカオの生産量は 2,273 トンではなく、
1,473 トンとなる。
同様に、1915 年の 2,092 トンという生産量も疑わしい。なぜなら、このうち 1,066.2 トン
と過半を占めている Kediri での前年(1914 年)の生産量は 108.8 トン、翌年(1916 年)の生産量
は 107.3 トンに過ぎないからであり、この 1915 年の 1,066.2 トンという値は、おそらく 1 桁
ずれていると見なすべきだろう。すなわち、この年の Kediri の生産量を 106.6 トンと考える
と、1915 年のインドネシアのカカオの生産量は 2,092 トンではなく、1,133 トンとなる。
2
図 1 は、第 2 期のインドネシアのカカオ生産量の推移である。ここで注意すべきは、BPS
統計の値(1)と、ICCO 統計の値(2)が、2001 年以降は大幅に食い違っていることである。図 1
の注に記した表示期間のズレでは説明できないほどの大きな食い違いであるが、ICCO 統計
のほうが実態に近いと推察される。その理由は第一に、ICCO 統計は、輸入国側の輸入量等
からある程度裏打ちされているからであり、第二に、業界団体であるインドネシア・カカ
オ協会(ASKINDO)の発表する推計値が、ICCO 統計の値に近いからである。したがって、
ICCO 統計に全面的に依拠したいところだが、あいにく ICCO は、生産面積はもちろんのこ
と、州や農園規模別の生産量も公表していないので、これらについては、BPS 統計に依拠
せざるを得ない。また単収を算出する際も、生産面積と生産量のデータが必要なので、同
様に BPS 統計に依拠する2。
第 2 期の生産量の拡大は、1980 年代以降に主としてスラウェシ島で、従としてスマトラ
島で作付が拡大したことによる。スラウェシ島では、まず南スラウェシ州で 1970 年代にカ
カオの生産がじわじわと増え始めたが、先にカカオブームが生じたのは南東スラウェシ州
であり、1981 年には南スラウェシ州の生産量を凌駕した。しかし、このブームはすぐに南
スラウェシ州にも波及した結果、1985 年以降は、南スラウェシ州の生産量が再び勝るよう
になった(BPS Provinsi Sulawesi Selatan[various years]; BPS Provinsi Sulawesi Tenggara[various
years])。
スラウェシ島でのカカオブームを主導したのがブギス人だったことは、有名である。こ
の 20 世紀後半のスラウェシ島でのカカオ生産「復活」のきっかけは、南スラウェシにも拠
点を置いていた反政府組織ダルル・イスラムが、活動資金源となりうるカカオについて学
ばせるために、4 人をマレーシアのサバ州へ送り込み、然る後に彼らがカカオ・ポッドを持
ち帰ってスラウェシ島で作付を始めたことにあった(1958-59 年)。そして、元兵士達が定住
した地へ 1970 年代に移住したブギス人が、その移住先でカカオに遭遇し、これで成功を収
めた結果、ブギス人の間で移住を含めたカカオブームが生じたのであった(Ruf, Ehret and
Yoddang[1996:215-21])。また田中も、もともとスラウェシ島で道路建設や森林伐採に携わっ
ていたブギス人が、1970 年代半ばから、新しく作られた道路沿いの土地を開墾し入植して
いったことや、彼らは入植当初は丁子などを作っていたが、やがてカカオに転換していっ
たことを、明らかにしている(田中[1993])。このブギス人の入植経緯は、後述するように、
インドネシアのカカオ産業の今後を展望する上で重要なポイントとなる。
こうして始まったスラウェシ島でのカカオ生産増であるが、1990 年代後半からは、中部
スラウェシ州でも生産増が顕著になり、2000 年には、先行した南東スラウェシ州を超える
ま で に 至 っ た (BPS Provinsi Sulawesi Tengah[various years]; BPS Provinsi Sulawesi
Tenggara[various years])。これは、1997~98 年のアジア通貨危機でインドネシアルピアが暴
落し、生産者価格が 7 倍に急騰した(Ruf and Yoddang[1999:248])ことをうけて、ブギス人た
ちによる中部スラウェシ州への移住・生産ブームが生じたためである。
さて表 1 は、このように発展してきたインドネシアのカカオ生産面積と生産量、ならび
に単収に関する近年の動向を、農園規模別にわけて示したものである。これをみると、2006
2
FAO[2014]のデータは BPS 統計と同じであり、これによればインドネシアのカカオ生産量
は世界 2 位となっている。しかし、ICCO 統計によれば世界 3 位である。
3
年には 582.5kg もあった単収(kg/ha)は、2009 年には 510.1kg、2011 年には 411.1kg と大きく
落ち込んでいることがわかる。
この単収の低下傾向こそは、この国のカカオ生産をめぐる大きな課題の一つであり、そ
の原因は、未熟な農園管理や樹齢の老化のほか、ココア・ポッド・ボーラー(CPB)と呼ばれ
る病害虫や、ブラックポッドなどの病気にある。カカオは、管理が適切でないと、作付後
早くも 10 年程度で収量が低下しはじめ、また樹齢の老化に伴って病害虫や病気にも弱くな
るが、インドネシアでカカオ生産量が大きく伸びた時期は 1990 年代であったため、単収の
低下が早くも各地で現実化しているのである。かくしてインドネシアのカカオ生産は近年、
危機に陥りつつある。
表 1:インドネシアのカカオの生産量・生産面積・単収(2006-2011)
BPS 統計
2006
2007
2008
2009
2010
2011
(1) 生産量 (トン)
769,400
740,000
803,600
809,600
837,900
712,200
a. 大農園
67,200
68,600
62,900
67,600
65,100
67,500
b. 小農園
702,200
671,400
740,700
742,000
772,800
644,700
(2) 生産面積 (ha)
1,320,800 1,379,300 1,425,200 1,587,100 1,650,600 1,732,600
a. 大農園
101,200
106,500
98,400
95,300
92,200
94,300
b. 小農園
1,219,600 1,272,800 1,326,800 1,491,800 1,558,400 1,638,300
(3) 単収 (kg/ha)
582.5
536.5
563.9
510.1
507.6
411.1
a. 大農園
664.0
644.1
639.2
709.3
706.1
715.8
b. 小農園
575.8
527.5
558.3
497.4
495.9
393.5
cf. ICCO 統計
2005/06
2006/07
2007/08
2008/09
2009/10
2010/11
(4) 生産量 (トン)
560,000
545,000
485,000
490,000
550,000
440,000
出所: BPS[various years b]; ICCO[various years].
2:悪化する危機の実態とその対応
近年のインドネシアにおけるカカオの単収の低下傾向を、もう少し詳しく見てみよう。
まず、農園規模別にみると(表 1)、大農園では改善しているにもかかわらず、小農園での低
下が著しい。したがって、小農の生産のあり方に、大きな問題があることが明らかである。
また、国際的にみると(図 2)、インドネシアの単収は、これまでかなり高い値を示してきた
ことが知られているが、2011 年には 411.1kg と大きく落ち込んだ結果、ついに世界平均を下
回るようになった。さらに、州別にみると、ばらつきが非常に大きく、平均以下の州が圧
倒的に多い。たとえば、2010~2011 年にかけて 2 年連続で全国平均を上回ったのは、北ス
マトラ州(585.4kg)、南スラウェシ州(584.0kg)、南東スラウェシ州(499.6kg)、中部スラウェシ
州(466.9kg)のわずか 4 州に過ぎない(2011 年)。
直近の状況は、さらに悪化している。国際ココア機関(ICCO)は、2013 年 2 月の時点で、
2012/13 年度のインドネシアのカカオ生産量を 47.5 万トンと予測していたが、2013 年 5 月
にこれを 45 万トンに修正したのち、8 月には 43 万トンに、さらに 11 月には 42 万トンへと
下方修正を繰り返した。同様に、ASKINDO も、当初 45~50 万トンとしていた 2013 年の同
国の生産量の予測を、前年比 6%減の 43 万トンへと修正した。ICCO の 42 万トンという推
計値は、2003/04 年度の実績値と同じであり、2005/06 年度および 2009/10 年度には 55 万ト
ン超だった実績からすると、明らかに見劣りしている。
4
図 2:カカオの単収(kg/ha)の国際比較(1990-2011)
コートジボワール
インドネシア
(kg/ha)
ガーナ
世界平均
1,200
1,000
800
600
400
200
0
1
9
9
0
1
9
9
2
1
9
9
4
1
9
9
6
1
9
9
8
2
0
0
0
2
0
0
2
2
0
0
4
2
0
0
6
2
0
0
8
2
0
1
0
出所: FAO[2014].
こうした下方修正の原因は、CPB などの病害虫や病気、そして豪雨であった(Reuters, Nov.
4, 2013)。特に CPB は、いまや国内全域に被害が及んでおり、インドネシアのカカオ生産の
最も深刻な課題となっている。もとより、インドネシアの CPB は、近年になって突然に始
まった問題ではなく、1990 年代から政府の積極的な対応を求める警告がなされていたのも
事実である(Akiyama and Nishio[1997:115])。
インドネシアのカカオ生産に関しては、これら以外に、農家が収穫したカカオ豆を発酵
させないまま出荷するので品質が低いという問題も、よく知られている。そしてこれらの
諸課題――単収の低下、病害虫と病気、低品質――は、かねてより関係者に共有されてき
た。
このため、これら諸課題の改善に向けた取り組みが、多様な主体によって進められてき
た。たとえば、アメリカの国際開発庁(USAID)は、スラウェシ島の 10 万人のカカオ農家に
対して、病害虫への対策や農地管理の研修を行なう SUCCESS(Sustainable Cocoa Extension
Services for Smallholders)プロジェクトを、2000~2005 年にかけて、米国の NGO とともに展
開 し た (Neilson[2007:240]) 。 ま た オ ラ ン ダ 外 務 省 の 資 金 援 助 に よ る PSOM(Programma
Samenwerking Opkomende Markten = Programme for Cooperation with Emerging Markets)は、オ
ランダの Masterfoods Veghel と共に、南スラウェシ州ルウ県で、病害虫への対応に関する農
民向けの教育訓練プログラムである PRIMA(Pest Reduction Integrated Management)プロジェ
クトを、2003 年から実施してきた(Perdew and Shively[2009:375])。
さらに、オーラム・インターナショナルなどのカカオに関わる多国籍企業やインドネシ
ア政府などによって、2006 年に組織された「ココア・サステナビリティ・パートナーシッ
5
プ」(Cocoa Sustainability Partnership)も、改良農法の普及と収量向上を目的とした活動を続け
ているし(Reuters, May 7, 2013)、カーギルは 2015 年までに、新設する農民学校において、自
社が調達するカカオ農家 1,300 人へのトレーニングを行なう予定である(The Jakarta Post,
May 10, 2013; The Jakarta Post, Dec. 5, 2013)。もちろん、インドネシア政府も手を拱いている
わけではなく、2010~2012 年には 3.5 億ドルを費やして、カカオ産業復活に向けた 3 カ年
プログラム――小農への改良技術の普及など――を実施してきた(Reuters, Nov. 4, 2013)。
しかしこれらの取り組みは、局所的には成果を上げているにしても、インドネシア全体
としてみれば、単収増や病害虫・病気の克服を実現するまでには至っていない。実際、
ASKINDO によれば、2014 年のカカオ生産量は 40 万トンとなる見込みであり、その原因は
例によって、天候不順ならびに CPB などの病害虫と病気である(Bloomberg, Feb. 7, 2014)。
2005/06 年度のピーク時(56 万トン)と比較すると、近年の減少幅は 25%を超えており、危機
的な状況は深刻化しつつあるように思われる。
こうした苦境に至った原因として、まず指摘されるべきは、政府の対応力の弱さである。
というのは、病虫害や病気は一農家の農地を容易に超えるから、地域で一丸となった対応
が必要となる。つまり、改良農法の技術支援は海外から供与を受けるにしても、その普及
には、地域全体での取り組みが必須であり、それには政府の関与がもっとも効果的である。
ところがインドネシアの場合、政府がカカオ生産にあまり関与してこなかったため、改良
農法を農家に普及させる力が弱い。かつて秋山・西尾は、この国のカカオ生産拡大の成功
要因を、政府による無干渉主義――西アフリカ産地とは対照的な――にあるとしてこれを
賞賛した(Akiyama and Nishio[1997])。このことに異論はないが、まさにこの無干渉主義の徹
底ゆえに、政府の営農指導力も形成されてこなかったように思われる。つまり、かつての
成功要因が、まさに今日の苦戦の一因になっているのである。
だが、単に営農指導力の弱さだけで、インドネシアのカカオ生産の苦境を捉えるのは必
ずしも適切ではないかもしれない。じつは世界のカカオ生産史を振り返ると、生産量を大
きく伸ばした国が、ある時点を境にその量を大きく減少させていく傾向が、しばしば見ら
れる。また、Ruf, Yoddang and Ardhy[1995:366]は、スラウェシ島では新規のカカオ農地の開
拓ブームが見られつつも、1980 年代に開拓された地域での生産は 2000~2005 年には衰退し
始めるだろう、と 1990 年代半ばの時点で述べていた。現下の苦境を予言しているかにも見
えるこの驚くべき言明は、ルフが世界のカカオ生産を研究した結果、次のようなサイクル
を発見したことに基づいている。すなわち、カカオ生産に適した未開拓の処女地としての
熱帯雨林――病虫害や病気は少なく肥沃である――が伐採され、そこへの入植者(移民)によ
って、カカオの作付が増えていくが、やがて樹齢の老化や、病気の蔓延などによって生産
性が落ち込み、収益も少なくなって産業として崩壊する、というブーム&バーストのサイク
ルであり、その周期は概ね 20~25 年程度である。また、現在地で植え替えや接木を行なう
よりも、未開拓の熱帯雨林を伐採してそこで新規に栽培するほうが割に合うため、世界の
カカオ生産は、カカオ栽培の処女地であるフロンティアの拡大を常に伴う、という
(Ruf[1995])。つまり、カカオ生産の継続・拡大は、一面では森林破壊の歴史とも見なせるの
である。
ルフが提示したこのブーム&バーストのサイクルは、今日、世界各地のカカオ生産を見る
上での有力なフレームワークとなっている。ただし、このフレームワークでは、ブギス人
6
が今後、処女地としての熱帯雨林を求めてどこかへ移住していくのか、あるいは移住せず
にカカオ生産を止めてしまうのかは、判然としない。また、このフレームワークでは、フ
ロンティア拡大に重点が置かれているため、ある地域でのカカオ生産が衰退・崩壊した場
合に、その土地でその後にいかなる農業が営まれていくのかについては、必ずしも詳らか
ではないように思われる。
そこで、本稿では以下で 2 つの分析を行なう。まず、上記のフレームワークをふまえな
がら、19 世紀末~21 世紀初頭までのインドネシアのカカオ生産史を追跡して、興亡のサイ
クルを検出し、その実態を探る。次に、主産地の一角で、農民が危機にどのように対応し
ているのかを描き出す。こうした分析を経ることによって、現下の苦境の実態と、今後の
変容の方向性が、明確になるであろう。
3:インドネシアにおけるカカオ生産の興亡サイクル、1891-2011 年
既に本稿の冒頭で、1820 年代~80 年頃にかけて東インドネシアではフィリピン向けのカ
カオの生産・輸出ブームがあったものの、1880 年代には急速に縮小したとするクラレンススミスの研究成果について触れた。ただし、彼が論拠として示したのは貿易量のデータで
あって、生産量のデータではない(おそらく史料の制約のためであろう)。ここでは、量より
もむしろ、遅くとも 1860 年代には CPB の被害が報告されており、また 1890 年代までにそ
の被害は東インドネシア全体に広がったことから、CPB が当時のカカオブーム崩壊の主因
の一つと捉えられていることに注目したい(Clarence-Smith[1998:101,106], 関連して Durand
[1995:327]も参照)。また、そもそも 1850 年代にカカオ生産が拡大した背景として、ザンジ
バル産の丁子との競争激化があったことや、カカオブームの後にはコプラの生産が盛んに
なったことに、注意しておきたい(Clarence-Smith[1998:105,107])。
次に、生産量のデータを入手できる 1884 年以降の検討に移ろう。図 3 は、1891~1973 年
のインドネシアのカカオ生産量の推移である。グラフからは、幾つかの興味深い山と谷を
見てとれる。
図 3:インドネシアのカカオ生産量(1891-1973)
7
(トン)
2,500
2,000
1,500
1,000
500
0
1
8
9
1
1
8
9
6
1
9
0
1
1
9
0
6
1
9
1
1
1
9
1
6
1
9
2
1
1
9
2
6
1
9
3
1
1
9
3
6
1
9
4
1
1
9
4
6
1
9
5
1
1
9
5
6
1
9
6
1
1
9
6
6
1
9
7
1
注: 1912 年と 1915 年のデータは、筆者が補正している(詳細は、脚注 1 を参照のこと)。
出所: CCS[various years]; CBS[various years]; CKS[various years a][various years b][various years
c]; KPS[various years a]; BPS[various years a][various years b].
第一に、1891 年からの急拡大であるが、この背景には 2 つの出来事があった。その一つ
は、当時ジャワ島のコーヒー栽培が錆病で壊滅的な打撃を受けていたことであり、もう一
つは、病害虫と病気に強いフォラステロ種のカカオが、ベネズエラからジャワ島に持ち込
まれたことである3。19 世紀末~20 世紀半ばまでインドネシアでカカオ栽培が最も盛んだっ
た中部ジャワでは、カカオの作付はコーヒーからの転換として取り組まれるのが一般的で
あった(Roepke[1917=1925:2,35])。したがって、ジャワ島では 1870 年代~20 世紀初頭にかけ
て、耕地とプランテーションの拡大により森林破壊が急速に進んだのだが(大木
[1988:476-77])、この時期のカカオ生産の拡大が大規模な森林伐採を伴ったわけではない、
と思われる。また、ジャワ島では 1895 年頃に CPB が広がりはじめ、1900 年前後には CPB
とヘロペルティスと呼ばれる病害虫が、この地のカカオを存亡の淵に追い込んだとループ
ケは述べている(Roepke[1917=1925:132-33])。このことから、この時期の生産量の落ち込み
――1899 年や 1902 年、そしておそらくは 1904 年も――は、これら病害虫の被害によるも
のであろう。
第二に、1908 年をピークに生産量が減少し、特に 1912 年以降にこの傾向が強まっている
が、これはこの時期にインドネシアでゴムの作付ブームが高まり、特に東ジャワでカカオ
からゴムへの転換が進んだためである(Roepke[1917=1925:5-6])。なお、図 4 はこの間の地域
別の動きであるが、特に東ジャワにて、ブーム&バーストのサイクルが明瞭にみてとれる。
ゴムの作付ブームは、1890 年前後から作付が急拡大していたカカオの樹齢が老化しつつあ
3
持ち込まれた時期としては、1886 年という説(e.g., Roepke[1917=1925:26])と、1888 年とい
う説(e.g., Dand[2011:17])がある。
8
る最中に到来したため、農家にとっては転換のまたとない好機だった可能性が高く、それ
ゆえに、カカオに見切りをつけてゴムに転換する動きが広がったと思われる。
図 4:中部ジャワおよび東ジャワにおけるカカオ生産量(1893-1921)
(トン)
1,400
中部ジャワ
東ジャワ
1,200
1,000
800
600
400
200
0
1
8
9
3
1
8
9
5
1
8
9
7
1
8
9
9
1
9
0
1
1
9
0
3
1
9
0
5
1
9
0
7
1
9
0
9
1
9
1
1
1
9
1
3
1
9
1
5
1
9
1
7
1
9
1
9
1
9
2
1
出所: CCS[various years]; CBS[various years].
第三に、1920 年代末から上向き始めた生産量は、1939 年に 1,738 トンを記録したあと、
1942 年以降に急減した。これは、1942 年に日本軍がインドネシアに侵攻し、各種の商品作
物の生産を統制したためである。したがって、カカオ生産に特有の問題があったわけでは
ない。ただし、秋山・西尾は、1936 年に東ジャワでは CPB のためカカオ栽培が放棄された
と述べているので(Akiyama and Nishio[1997:100])、この年の落ち込みについては、CPB の影
響であろう(被害は東ジャワだけとは限らない)。
第四に、独立直後の混乱期を経て回復した生産量は、1956 年に 1,478 トンを記録するも
のの、60 年代に入ると急減し、特に 1962~63 年には 600 トン台まで落ち込んだ。これは、
この時期のインドネシア経済が、財政赤字やインフレ、西側諸国との関係悪化などで混乱
したためである。つまり、40 年代と同様に政治経済上の問題であり、カカオ以外の各種商
品作物の生産が停滞したことも、共通している4。
しかし、実はこの時期に主産地が移動していたという事実を見過ごしてはならない。19
世紀末以降、インドネシアで生産量が最も多かったのは中部ジャワ州だったが、1950 年代
末からこの地での生産量が減少する一方で、東ジャワ州での生産が伸張した結果、1962 年
には両者の生産量が逆転した(図 5)
。なお、この間の経緯として、かつて CPB の被害があ
ったため、カカオの木を根こそぎにすることで被害を収束させていた東ジャワ州において、
4
生産面積は、1928 年の 5,541ha から 1963 年の 7,400ha まで、一貫して 5,000~7,000ha 台で
安定しており、1960 年代には微増傾向でさえあった。つまり、政治経済上の混乱期には単
収が極度に低下していたことがわかる。これは、おそらく投入量の減少のためであろう。
9
1961 年にカカオが再度植えられた一方で、中部ジャワ州では、存続していたカカオ栽培地
で CPB の被害が発生していたことを指摘できる(Wood and Lass[2001:404])。図 5 に見られる
中部ジャワの興亡は、こうした文脈で解釈されるべきであろう。
図 5:中部ジャワおよび東ジャワにおけるカカオ生産量(1948-1972)
(トン)
1,200
中部ジャワ
東ジャワ
1,000
800
600
400
200
0
1
9
4
8
1
9
5
0
1
9
5
2
1
9
5
4
1
9
5
6
1
9
5
8
1
9
6
0
1
9
6
2
1
9
6
4
1
9
6
6
1
9
6
8
1
9
7
0
1
9
7
2
出所: CKS[various years c]; KPS[various years a][various years b]; BPS, Seksi Statistik Perkebunan
[various years]; BPS, Seksi Statistik Tanam[2]-an Perdagangan[various years a][various years b].
最後に、第二期についても検討しよう。この時期には、力強い生産拡大基調が続いてき
たので、局所的にブーム&バーストのサイクルがあったとしても、国全体のデータではこれ
を検出できない。また、比較的最近になって拡大基調に入った地域では、そもそもまだサ
イクルが完結する時期が到来していないであろう。
ここで注目すべきは、北スマトラ州であろう。というのも、スラウェシ島が産地として
台頭するまで、スマトラ島はジャワ島に次ぐ生産量を誇っており、そこでの主産地は一貫
して北スマトラ州であった。つまり同州は、スラウェシ島の諸州よりもカカオ生産の歴史
が長い。また、1986 年には生産量で東ジャワ州を超えて州別で全国一となったように、単
に早くから拡大基調に入っていただけではなく、相応の規模を伴ってきた地域でもある
(BPS Provinsi Jawa Timur[various years]; BPS Provinsi Sulawesi Selatan[various years]; BPS
Provinsi Sulawesi Tengah[various years]; BPS Provinsi Sulawesi Tenggara[various years]; BPS
Provinsi Sumatera Utara[various years])。しかも北スマトラ州では、PTPN(国営農園会社)を主
とする大農園が長らくカカオ生産を主導してきており、しかも農園規模別のデータもある。
そこで、図 6 が同州の農園規模別の生産量であるが、2000 年以降の大農園の生産減は、
同じく大農園中心だった中部ジャワ州のかつての興亡に通じるものがある。また、小農園
の生産量も、ブーム&バーストのサイクルを描きつつあるように思われる。
10
図 6:北スマトラ州における大農園と小農園のカカオ生産量(1985-2011)
(トン)
40,000
大農園
小農園
35,000
30,000
25,000
20,000
15,000
10,000
5,000
0
1
9
8
5
1
9
8
7
1
9
8
9
1
9
9
1
1
9
9
3
1
9
9
5
1
9
9
7
1
9
9
9
2
0
0
1
2
0
0
3
2
0
0
5
2
0
0
7
2
0
0
9
2
0
1
1
出所: BPS Provinsi Sumatera Utara[various years].
こうした現実を踏まえれば、北スマトラ州でのカカオ生産がなぜ、どのように衰退・変
容しているのかが、問われなければならない。早くから生産を拡大させたこの州のカカオ
生産の衰退・変容を理解することは、後発のスラウェシ島の諸州での実態や今後の方向性
を考える上で、きわめて有用なはずである。しかも北スマトラ州は、単収がインドネシア
で最も高い州なので5、ここで何らかの生産上の課題があるとすれば、それは、他の産地で
も、より深刻な形で共通している可能性が高い。
ところが、北スマトラ州でのカカオ生産に関する先行研究は、きわめて少ない。インド
ネシアのカカオ産地に関する研究としては、主産地のスラウェシ島を取り上げたものが圧
倒的に多く(e.g., Ruf and Yoddang[1999]; Li[2002])、スマトラ島を取り上げたものはもともと
少ない。よって、この地の実態を見ることは、研究史の空白を埋める点でも意義があるだ
ろう。以下では、この北スマトラ州でのカカオ生産をめぐる近年の実態に焦点をあてる。
4:北スマトラ州におけるカカオ生産の衰退と変容――ヒアリング調査から
北スマトラ州でのカカオ生産に関する近年の実態を把握するための一環として、2013 年
8 月に、Binjai 市および Deli Serdang 県において、ヒアリング調査を行なった。以下では、
まずこのヒアリング内容を紹介したうえで、その内容について考察していく。
5
北スマトラ州で単収が高い理由としては、自然条件を挙げる向きもあるだろう。しかし
我々は、かつてメダン市近郊の PTP IV が高収量で病虫害に強いカカオの改良種を開発し、
これがのちにスラウェシ島にも展開されていった(Durand[1995:319])、という経緯を想起し
ておきたい。また、国営農園会社を含む大農園のほうが、小農園よりも高い単収を誇って
いることも鑑みるに(表 1)
、この地では、生産ノウハウに優れた国営農園会社の存在が地
域全体の単収に好影響を与えてきたと推察することが、可能であろう。
11
(1)カカオ生産をめぐる実態
ヒアリング相手は、いずれも自作農ではあるが兼業農家であり、カカオ以外にはコメや
果物などを生産していた。こうしたカカオ農家の声を簡潔にまとめると、以下のようにな
る。
・ カカオの栽培を始めたのは、21 世紀に入ってから。キャッサバやコメ、あるいはラン
ブータンなどを作っていた畑を、カカオに転換した。
・ カカオの栽培方法は、近所の人に教えてもらったり、本を読んで試行錯誤しながら身
につけた。公的機関からアドバイスを受けたことは、ない。
・ カカオの収穫期は、2 月~4 月と、9~11 月の年 2 回で、1kg あたり 16,000~17,000 イ
ンドネシアルピアの値段で、買付にやって来る小ブローカーに売り渡している。収穫
したカカオ豆を、ヒープ法やボックス法で発酵させることは、していない。
・ カカオの流通ルートは、
「農家→小ブローカー→大ブローカー→工場」となっていて、
農家は工場へは直接出荷できない。
・ カカオの生産には、あまり満足していない。その理由は、一つはカカオの病気で苦労
しているからであり、もう一つは、出荷価格がさほど高くないからである。
・ 病気の対処方法は、よくわからない。かつては農薬を使っていたが、効いたり効かな
かったりで、うまく病気に対応できないので、現在は農薬を使っていない。なお、農
薬の使い方についても公的機関から指導を受けたことはなく、農薬ブローカーから教
えてもらった。
・ これまでカカオを栽培してみて、この畑の土壌は、どうもカカオの栽培にはあまり向
いていないのではないかと思っている。
・ こうした事情ゆえに、数年前からカカオの栽培を減らしており、今後も徐々に、カカ
オの栽培は減らしていくつもりである。また、近くの PTPN ではかつてはカカオを
3,000ha も栽培していたが、ここが数年前からカカオの栽培を減らしており、これを
見た近隣の農家もカカオの将来性に疑問を持つようになって、栽培を減らしたところ
が多い。
・ 数年前から、カカオの代わりに、アブラヤシの作付を増やしている。とにかくアブラ
ヤシのほうが儲かるので、これの作付をもっと増やしたい。またランブータンについ
ても、再び取り組んでいる。
(2)考察
こうしたヒアリング内容から浮かび上がる論点として、以下 3 点を指摘しておきたい。
第一は、カカオ豆の品質や収量を高める努力が十分になされておらず、営農指導も行な
われていないことである。農薬の効果を確実に実感できていないように、病気の原因と対
処法とが明確に把握されておらず、対処に手こずっている。また CPB の発生リスクを高め
るランブータンを植えているあたりは、病虫害や病気についての知識の欠如を窺わせる。
第二に、カカオへの/カカオからの作付転換が積極的に行なわれており、しかもそのペ
ースが速いことである。カカオに生活を賭けるといった気迫は窺えず、このことと第一の
点とをあわせて考えるに、(1)営農レベルが高くない→(2)低品質・低収量となりがち→(3)低
品質ゆえ出荷価格は低めで、得られる所得もあまり魅力的ではない→(4)カカオにあっさり
12
見切りをつける、といった悪循環に陥りがちであるように思われる。本来的にはカカオ生
産に適した地域でありながら、公的機関による営農指導もなされていないため、ポテンシ
ャルが活かされていない。インドネシア産カカオの品質と価格が低いことは、国際的にも
よく知られているが、その原因が各農家の徒手空拳的な営農実態――政府の営農指導が広
範に存在しているガーナとはまったく異なる――にあることは、明らかだ。
見方を変えれば、品質や単収を政策的に高めていく余地が十分にあるとも言えるが、現
状としては、品質が高まらないのみならず、生産量と単収がともにジリ貧となる道を歩ん
でいるようであり、実際、近年の北スマトラ州の単収(kg/ha)は、2006 年の 776.4kg をピーク
に低下している。アブラヤシへの転換が活発に見られることは、こうした文脈のなかで理
解するべきであろう。
第三に、カカオと他の農作物との代替関係である。北スマトラ州では近年、カカオの作
付面積が減少傾向にある一方で、小農によるアブラヤシの作付面積は増加している。また
メダン市に本部のある PTPN IV が、2007 年に傘下の農場のカカオの大半をアブラヤシに転
換したので(PTPN IV[2012:174])、アブラヤシへの転換は、農園規模の大小を問わない傾向と
見てよい。問題となるのは、この転換を規定している要因であって、アブラヤシによって
得られる収入の高さが作付転換の一因であるのなら、この転換は、パームオイルの国際価
格の影響も受けていることになる。
そのパームオイルの世界生産量は、FAO によれば、2012 年時点で、インドネシア(47%)
とマレーシア(37%)の 2 国で 8 割以上を占めているものの、他のカカオの主要生産国でも生
産が拡大している。ただこれら諸国でも、2003 年~2012 年の 10 年間で生産量を大きく伸
ばした国もあれば(ブラジル:2.4 倍、カメルーン:2.0 倍、コートジボワール:1.8 倍、パプ
アニューギニア:1.6 倍)、ほとんど伸ばしていない国もある(ガーナ:1.1 倍、ナイジェリア:
0.9 倍)(FAO[2014])。アブラヤシの果房は、収穫後 24 時間以内に搾油工場へ運び込まれる必
要があるので、アブラヤシの作付は搾油工場の立地なしには広まりにくく、また搾油工場
を併設できる大規模農園が、作付拡大の初期には主力になりやすい(Rai[2010:48,50])。こう
した特性もあってか、スラウェシ島でのパームオイルの生産量は未だ少なく、カカオがこ
れに取って代わられる明瞭な傾向はスラウェシ島では今のところ見えないものの、断片的
にはこうした動きが既に生じているので(Reuters, Oct. 15, 2012)、注視が必要であろう。
もちろん、転換の可能性はアブラヤシだけに限られない。カカオと代替性があるのは、
トウモロコシ、米、キャッサバ、丁子、コショウ、コーヒー(ロブスタ種)、タバコ、ココヤ
シ、ナツメグ、大豆、サトウキビ、ゴムなど、実に多岐に渡る。これらの作物との関係に
も、目配りする必要性があろう。
5:結論――インドネシアのカカオ産業をめぐる構造転換
最後に、これまでに見てきたインドネシアのカカオ生産の興亡サイクルおよび北スマト
ラ州でのカカオ生産の実態から導かれる含意と、今後の変容の方向性について、指摘して
おこう。
第一に、インドネシアのカカオ生産は、細かく見ていくと、興亡を幾度も繰り返してき
たことがわかる。興亡の地域やその生産量は異なるものの、(1)サイクルの期間、(2)拡大の
相対的規模(ピーク時には、サイクル開始当初の数倍程度の生産量が記録される)、(3)病虫害
13
や病気、ならびに他の商品作物(ゴムやアブラヤシ)の作付ブームによって生産が落ち込む、
といった共通点が認められる。本稿では扱えなかったが、県・市レベルのデータを用いれ
ば、こうしたブーム&バーストのサイクルを、より体系的かつ精緻に描き出せると思われる。
第二に、生産量の最も多い州が、中部ジャワ州(1961 年まで)→東ジャワ州(1962~1985
年)→北スマトラ州(1986 年)→南スウラェシ州(1987 年以降)と移り変わってきたように、主
産地は不変ではなく、常に興亡を伴って移動する6(BPS Provinsi Jawa Timur[various years];
BPS Provinsi Sulawesi Selatan[various years]; BPS Provinsi Sulawesi Tengah[various years]; BPS
Provinsi Sulawesi Tenggara[various years]; BPS Provinsi Sumatera Utara[various years])。この観点
からすると、インドネシアのカカオ生産の変容の方向性を展望するにあたっては、まず、
スラウェシ島のなかでもいち早くカカオ栽培を開始した地域、たとえば南スラウェシ州の
ルウ県や、南東スラウェシ州の北コラカ県などの動向が重要となるし、そのルウ県で実施
されてきた PRIMA プロジェクトの成果が大きな意味を持っていることも明らかだろう。ま
た、スラウェシ島とこれに先行して生産を拡大させたスマトラ島との比較も、有用であろ
う。ここで特に注意を促したいのは、近隣州の動向である。かつて Ruf, Yoddang and
Ardhy[1995:366]は、ブギス人がイリアンジャヤへ 2005 年以降に移住し、そこでカカオ生産
が盛んになる可能性を示唆していた。現時点では、この地域でカカオの増産が大きく進ん
でいる兆候は見えないが、他方で、西スマトラ州ではカカオの生産が大きく増えており、
アチェ州でも同様の傾向が出ている(生産面積では、2010 年に西スマトラ州が北スマトラ州
を逆転した)。つまり、生産拡大で先行した北スマトラ州の近隣で増産の動きが見られる以
上、スラウェシ島の諸州の近隣でも今後同様の事態が生じる可能性はまだ否定できない。
第三に、カカオへの/カカオからの作付転換についてである。これまでのインドネシア
の経験では、丁子、コーヒー、ゴム、アブラヤシが主な転換作物となってきた。しかし今
後の展望にあたっては、経験則で推し量るのではなく、商品市況を含む世界経済情勢はも
ちろんのこと、各作物の特性や栽培地の経済状況などの諸変数とその相互関係から、論理
的に捉えるべきだろう。その変数としては、(1)懐妊期間(作付してから収穫が可能になるま
での期間のことで、たとえばゴムは約 7 年とカカオよりも遥かに長い)、(2)樹木 1 本あたり
の収益性(ゴムはカカオの 3 倍程度と言われている)、(3)現金収入の得られ方(収穫の期間や
出荷の頻度によって決まり、カカオは収穫が一時期に集中しないので、収入が安定的だと
される)、(4)営農様式(主食を作っているか否か、あるいは専業農家か否かなど)、(5)農家の
経済状況(現金収入の安定性をどの程度重視しているかなど)、が挙げられる。また、こうし
た作付転換をふまえてルフのフレームワークを拡張することも、今後探求されるべきだろ
う。
ところで、インドネシアでは近年、カカオの磨砕設備の増強が続いている。これは、カ
カオを豆のまま輸出するのではなく、国内で加工して輸出することを促す税制――2010 年
4 月からカカオ豆に対して課されている最大 15%の輸出税や、磨砕設備への投資減税措置
――が導入されたことによって、国内企業の設備投資が活発になったためであり(The
Jakarta Post, Sep. 9, 2011; Reuters, Sep. 18, 2013)、さらにバリーカレボーやカーギルといった
6
2000 年代後半に中部スラウェシ州が最多になったが、その後、南スウラェシ州が再びト
ップに返り咲いた。
14
外資系企業による設備投資と工場の新規稼動も相次いでいる7。かくして ICCO によれば、
2009/10 年度には 13.0 万トンだったインドネシアのカカオ磨砕量は 2012/13 年度には 25.5 万
トンと、急激に増加の一途を辿っている。
この結果、ICCO によれば、2009/10 年度には世界 3 位の 45.2 万トンを数えた同国のカカ
オ輸出量は、2010/11 年度には 27.5 万トン、2011/12 年度には 18.4 万トンと急減し、ナイジ
ェリアを下回って世界 4 位に転落した。同国の輸出量は 2012/13 年度も減少して 16.5 万ト
ン程度になる見込みであり、カメルーンやエクアドルの輸出量も下回ってトップ 5 からも
転落する可能性が視野に入ってきた。ASKINDO は、2013 年のインドネシアのカカオ輸出
量が 14 万トンに、
2014 年には 10 万トンにまで減少すると推計している(Reuters, Nov 4, 2013)。
同国のカカオ産業は、生産面のみならず加工面においても、明らかに岐路に立っている。
こうしたインドネシアのカカオ産業の変容の影響を、世界で最も大きく受けている国は、
マレーシアである。マレーシアのカカオ加工業は、2003/04 年度から大きく飛躍し、いまや
世界でも有数の加工量を誇っている。2012/13 年度の 29.3 万トンという同国の磨砕量は、日
本の実に 7 倍以上にも及んでいる。このマレーシアのカカオ加工業への原料供給を大きく
支えてきたのがインドネシアであり、ICCO によれば、2007/08 年度には、インドネシアは
カカオ豆輸出の 6 割以上にあたる 20.3 万トンをマレーシアに輸出していた。
しかし、2011/12
年度には、これが 10.6 万トンまで落ち込んだ。この結果、マレーシアはインドネシア以外
からの調達増を迫られ、同国の最大のカカオ輸入相手国は、ガーナになった。インドネシ
アは依然として、マレーシアにとっての第二のカカオ輸入相手国ではあるものの、マレー
シアはコートジボワールやナイジェリアからの輸入を前年度比で倍増させたほか、エクア
ドルやウガンダなどからの輸入も増やしている。
したがって、インドネシアのカカオ産業の変容――生産量の漸減と磨砕量の急増、そし
て輸出量の急減――は、マレーシアの加工業に対して輸入元のグローバル化を迫っている
と同時に、マレーシアのアジアのナンバーワン磨砕国としての地位も脅かしていることに
なる。かつてマレーシアは、カカオ生産量を急増させたのち、それを一気に減らしてアブ
ラヤシへの転換を図りつつ、カカオについては加工業を発展させてきた。インドネシアは
この隣国の後を追うようにカカオとアブラヤシの増産を図った結果、1993 年にはカカオの
生産量で、2006 年にはパームオイルの生産量でマレーシアを上回った。そしていま、カカ
オの磨砕量でもマレーシアを凌駕しそうな気配を漂わせている。
果たして、インドネシアのカカオ生産は、局所的にはブーム&バーストのサイクルを繰り
返しつつも、国全体としては復活できるのだろうか?
その場合、スラウェシ島のカカオ
農民は、どこか別の地域で熱帯雨林を開拓するのだろうか?
それとも、インドネシアの
カカオ生産は衰退して、別の作物への転換が進むのだろうか?
そのとき、急発展してい
るこの国のカカオ加工業に、原料のカカオ豆を供給するのは、どこの国なのだろうか?
7
バリーカレボーは 3300 万ドルを投じて、南スラウェシ州に地元企業との合弁で加工工場
を新設することを 2011 年 11 月に発表し(Reuters, Nov. 18, 2011)、2013 年 9 月に操業を開始
した(ConfectioneryNews.com, Sep. 3, 2013)。またカーギルは 1 億ドルを投じて、同社にとって
アジア初となるカカオ加工工場の建設を 2013 年 5 月から東ジャワ州にて開始し、これは
2014 年半ばから操業開始の予定である(Reuters, May 7, 2013; The Jakarta Post, May 10, 2013)。
15
文献
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