PDF - 公益財団法人宮城県伊豆沼・内沼環境保全財団

3. ため池の魚類相とその生息状況
(2) 遺伝的評価
斉藤憲治(中央水産研究所)
特にゼニタナゴやシナイモツゴといった小型の希少魚は,本来の生息地である湖沼では絶滅し,
ため池でしか生息していないケースが多い.
しかし,そのため池でも外来種の侵入や管理放棄による水環境の悪化により,
個体群の消失が今も続いている.ため池に生息する希少魚の生息状況を,
その分布・遺伝子・食性や水環境から評価し,
希少魚の保全に必要な知見を提示する.
いわゆる外来生物法の施行以来,ブラックバスなど外来魚の駆除活動が盛んになった結果,
魚類としては,コイやフナ類の大型の日本産淡水魚のみしか生息しない水域ができるようになった.
このような場所のなかには,かつては希少魚が生息していたところがあるに違いない.
希少魚の生息地は今では分断されていて,多くの場合,
外来魚が駆除された空白域に直ちに移動して再定着することが難しい状況になっているであろう.
空白域に希少魚を移植放流することは,地域の豊かだった自然を取り戻す方法として有効である.
では移植放流をする際に生物学的な面でどのような配慮が必要だろうか.
■自然再生とは進化の歴史の再生である
希少魚に限らず,淡水魚のほとんどは海を渡ることができず,また,川や湖など淡水域のつながりを通じてしか
分布域を広げることができない.このため,海や陸地で隔てられた淡水域の間で淡水魚の遺伝的分化が促進され,
種分化が頻発して種の数が増える.こうして,地球上の水域がたたえる水のわずか 0.01%しかない淡水域に,魚
類の種の 42.7%もが生息している(Nelson 2006).生息域が狭く種の数が多いということは同時に,ひとつひとつ
の種が少数の個体からなり,希少魚となりやすいことを意味する.また,淡水魚は,それぞれが現在のかたちにな
り特定の地域に分布するようになるまでに,幾多の危機を幸運にも乗り越えた歴史を持つことを意味する.
その歴史はしばしばとても長く,例えば,ここで話題の中心に据えるシナイモツゴとゼニタナゴが属するコイ科の
祖先は約1 億4500 万年前に当時の北半球全体で 1 つの大陸だったローラシア大陸東南部に生じ,約1 億2500
万年前に現在のコイやフナにつながる系統とその他の系統の 2 つに分かれた(Saitoh et al. 2011).後者の系統
からゼニタナゴの祖先(タナゴ亜科の祖先)が 1 億年余り前に,シナイモツゴの祖先(カマツカ亜科の祖先)が約
8400万年前にアジアの温帯域でわかれた.その後の各亜科内部のシナイモツゴやゼニタナゴの近縁種との系統
関係もかなりの程度にわかっているが(Tang et al. 2011, Okazaki et al. 2001),その年代については詳しくは
わかっていない.同種内では,約 1800 万年前に分かれた地域集団の例がある(Setiamarga et al. 2009).いず
れにせよ,シナイモツゴ,ゼニタナゴともに長い歴史を背負っていることは確かである.希少魚を守ることはすなわ
ち,その種が経てきた進化の歴史を未来に引き継ぐことでもある.
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■ため池に生息するシナイモツゴとゼニタナゴの遺伝的評価
外来魚を駆除したあとに,希少魚の放流により豊かな自然を取り戻したいが,その前にやっておくべきことはある
だろうか?希少魚をその進化の歴史ごと取り戻してこそ自然再生.最も近い天然分布域から移植するのが簡単な
原則だが.
近隣の生息地は互いによく似ている傾向がある - ゼニタナゴの事例.
その希少魚は天然分布? ‐ 移植元の調査と種苗管理の重要性.
遺伝的調査の重要性 ‐ ため池などに残存する希少魚は水域ごとに遺伝的に分化している.
外来魚の駆除によってできる空白域は自然再生候補地としての資源である.
放流は,いつでも,だれでも,何度でも可能なので,あわてないでゆっくり検討.
希少魚の移植放流により,外来魚駆除の結果生じた空白域に,進化の歴史をふくめて生息地を再生するにはど
のようにすべきだろうか.生物の持つ DNA にきざまれた遺伝情報は進化の歴史を反映して変化する.淡水魚は
淡水域の連絡を通じて分布を少しずつ広げ,近いところにいる者同士は交流することがあるので,昔に分かれた
遠い場所にいるものより,最近別れたかまたはたがいに交流している近いところにいるもののほうが遺伝的に似る
傾向がある.また,淡水魚がその分布を広げる過程で,その場所ごとの環境特性に適応した遺伝的性質を持つよ
うになる.そこから当然導き出される結論は,移植放流をする希少魚は,近い場所から持ってくるべきであるという
ことになる.このあまりにあたりまえの方針には,しかしながら,今回にプロジェクトでシナイモツゴとゼニタナゴに
ついて遺伝的な調査をした結果,実際に実現するうえで落とし穴がたくさんあることがわかった.
■シナイモツゴの例
宮城県内の 4 箇所からシナイモツゴを採集し,代表的な遺伝マーカーのミトコンドリア DNA(mtDNA)の配列を
読み取ったところ,すべての地点,すべての個体で全く同じ配列が検出された.これは 4 カ所の集団の間に,
mtDNAを指標とするかぎり遺伝的な差がまったくないことを示す.伊豆沼集水域の伊豆沼1ため池には,すでに
宮城県鹿島台町の桂沢ため池由来のシナイモツゴが放流され定着していたが,伊豆沼 1 ため池の隣の沢にある
伊豆沼 2 ため池から発見されたシナイモツゴとも区別できなかった.伊豆沼 2 ため池と桂沢ため池は直線で約 23
km 離れてはいるが,いずれも仙台平野の範囲内にあり,たがいに交流しやすいとみられるから,遺伝的に分化
していなくても不思議ではない.
しかし,マイクロサテライトマーカーで比較したところ,伊豆沼 1 ため池の集団は予想通り桂沢ため池のものに似
ていたが,伊豆沼 2 ため池のものはそれらとは明らかに分化していた(図 1,遺伝的分化の指標 Fst = 0.207~
0.291,遺伝的に分化していない集団を比べたときにたまたま左記の値が出てしまう確率 P < 0.003).
伊豆沼 2 ため池と桂沢ため池系との違いはマイクロサテライトマーカーの DNA 長の差異を考慮した遺伝的分化
の指標 Rst では Fst より大きな値をとり(Rst = 0.326~0.375,P < 0.003),アレル頻度の変化だけでなく,長さの
異なるアレルのレパートリーが変化していることを反映している(図 2).
122
2
図 1.マイクロサテライトマーカーの Fst 値を指標としたシナイモツゴの遺伝的分化
伊豆沼 1 ため池の桂沢由来移植集団と,桂沢ため池系の間に Fst で一部に有意な分化があったがその程度は
小さく(Fst = 0.044~0.048,P < 0.092),移植集団は
原産地の遺伝的特性をあまり変化させていないことが
Pp01806
120
わかった.Rst の値は Fst より小さく(Rst = -0.003~
伊豆沼2
100
0.021,0.380 > P > 0.04),これは集団間の差異が主
伊豆沼移植1
集団
桂沢
80
にアレル頻度の差によっており,集団特異的アレルが
60
少ないことを示し,移植先と原産地の差異の典型的な
桂沢上
40
秋田
例である.
20
一方,秋田県の集団は宮城県の 4 集団とは全く異なり,
0
mtDNA では配列を読み取った 446 塩基中 16 塩基の
236
置換が認められた.また,マイクロサテライトマーカーで
237
238
239
240
241
242
243
244
245
図 2.マイクロサテライトマーカーの Fst 値を指標
としたシナイモツゴの遺伝的分化.5 座調べたうち
のひとつを例として示す.
も,秋田県と宮城県の集団の間で共通のアレルは全く
なく,両者は亜種または種の違いに相当するほど離れ
ている.
■ゼニタナゴの例
宮城県,秋田県,岩手県の16地点から得たゼニタナゴ集団は,mtDNAのハプロタイプ頻度から,4群に大別さ
れた(図3,群間の Fst = 0.148~0.800,平均0.506,群内の Fst = -0021~0.308,平均0.057).ハプロタイプの
分布は,ほぼすべての集団に共通のタイプ-1 に,集団/グループ特異的なタイプが加わるという特徴を示した.秋
田県と岩手県の集団に属する個体のほとんどはタイプ-1 を持っていた.マイクロサテライトマーカーでは,伊豆沼
周辺水域の天然分布と思われる集団 + 秋田県の一部,伊豆沼周辺への移植集団 + 福島県の群が認められ,
その他の集団は,秋田県の秋田 4,秋田 3,秋田 5 を含め,それぞれ他とは分化していた(全 7 群,図 4,群間の
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Fst = 0.163~0.865,平均 0.443,Rst = 0.050~0.953,平均 0.438,群内の Rst = -0.002~0.481).とくに秋田
県の集団において,mtDNA とマイクロサテライトマーカーの結果が一致しないのは,最近のボトルネックの結果,
母親からしか遺伝しない mtDNA 組成が単純化しその後新たな突然変異が生じておらず,両親から遺伝するた
めボトルネック効果を受けにくいマイクロサテライトマーカーが多様性を保持したまま集団間で分化した結果と解
釈できる.
秋田2
1
2
a
3
4
a
5
6
b
7
c
b
0.05
図 3.mtDNA のハプロタイプ頻度(円グラフ)にもと
づくゼニタナゴ集団間のペアワイズ Fst による NJ
樹.秋田県と岩手県の変異性の低いグループ(a),
伊豆沼周辺の変異性の高いグループ(b),福島県と
伊豆沼周辺水域への移植集団(c)のグループと,特
有のタイプを持つ桂沢ため池由来移植集団が認め
られる.
図 4.マイクロサテライトマーカーのアレル頻度に
もとづくにもとづくゼニタナゴ集団間のペアワイズ
FstによるNJ樹.秋田県の集団の一部は伊豆沼周
辺水域のグループ(a)に含まれる.福島県と伊豆
沼周辺水域への移植集団は 1 つのグループ(b)を
つくる.
秋田県の 2 地点(秋田 1 と秋田 2)にはゼニタナゴの移植記録はなく,直線距離で 40 km 以上離れているが,
たがいに似ており(mtDNA の Fst = -0.021,P = 0.999,MS の Fst = 0.018,P = 0.052,Rst = 0.165,P =
0.099),これらはさらに脊梁山脈の反対側にある伊豆沼周辺の集団ともマイクロサテライトマーカーでは似ていた
(Fst = 0.019~0.144,P < 0.178,Rst = -0.019~0.128,0.939 > P > 0.003).このような遺伝的類似が天然集
団に生じることはありそうにないので,伊豆沼周辺水域の集団が天然分布だとすると,そこから,あるいは近隣の
集団からの移植であろう.ゼニタナゴでは 2 枚貝などの移植にともなう非意図的な移植が知られており(中村
1969),ゼニタナゴそのものの移植以外にもヘラブナなど何らかの動植物の移植に随伴したのかもしれない.
■分布と遺伝的調査の重要性
本研究の結果,シナイモツゴ,ゼニタナゴともに,ある程度地理的に離れた集団は,ほとんどの場合たがいに遺
伝的に分化していることがわかった.またシナイモツゴでは,分類学的に同一種と認められているものの中に種的
な分化がみられた.地理的な生物多様性を保全しつつ,外来魚駆除の結果生じる空白域にこれら希少魚の集団
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を再生させるためには,近隣集団を種苗とすることが必要であることは論を待たない.しかし,伊豆沼周辺におけ
るシナイモツゴとゼニタナゴの移植集団はいずれも,この当たり前の条件を満たしていないことがわかった.
シナイモツゴの場合,伊豆沼周辺水域に天然分布と思われる集団が存在し,それが近交弱性の傾向を示してい
ない現時点では,移植による伊豆沼周辺の自然再生のための種苗として,天然分布と思われる集団と遺伝的に分
化している桂沢由来集団は最適ではない.伊豆沼 1 ため池への移植に先立って伊豆沼 2 ため池におけるシナイ
モツゴ集団が発見されていれば,移植の判断は違ったものになったかもしれない.事前の分布調査は重要である.
ただし,シナイモツゴは近縁種モツゴと共存できないので(小西・高田 2005),モツゴが多数生息する伊豆沼 1 の
下流域へ遺伝子汚染を引き起こすリスクはほとんどない.
ゼニタナゴについては,近隣集団を種苗としたと伝えられる移植集団が,近隣集団ではなくて遠方のものと遺伝
的に近かった.種苗の入手から放流,定着に至るどこかの段階で,種苗の取り違えなどが起きたのであろう.また,
移植記録のない生息地に移植の疑いのある集団や個体がみられた例があることから,分布調査結果からだけで
は判断を誤る可能性もある.移植による自然再生を試みる前に,事前に周辺水域を含めたできるだけ広範な分布
調査と,種苗の由来の確認を含めた遺伝的調査が必要である.遺伝的調査の実施にあたっては,専門の機材や
設備が必要で,結果の解析や解釈にも専門性が求められることから,実績のある専門家の協力を仰ぐ必要があ
る.
■空白域は資源である
外来魚を駆除した後にできる空白域は,自然再生のための希少魚放流適地である可能性を秘めており,その点
で資源とみなすことができる.空白域に,希少魚の種苗が適切に放流され,定着すれば,その資源は有効に活用
されたということができる.希少魚の競争者,例えばシナイモツゴに対してモツゴが入り込んだとしたら,それは資
源が失われたことを意味する.ゼニタナゴに対するタイリクバラタナゴの場合は,両者の共存は不可能ではないが,
ゼニタナゴに多大な影響があるので,資源価値が損なわれたことを意味する.しかも,私たちは現時点でモツゴ
やタイリクバラタナゴに対する駆除技術を持ち合わせていないので,これらの例では資源の再生が不可能である.
遺伝的にかけ離れるなど,不適切な種苗が放流されて定着した場合はどうだろうか.この場合,より適切な種苗の
放流機会が失われるという点で,資源が消費されたとみなすことができる.またこの場合も資源の再生は不可能で
ある.外来魚の再侵入の場合には,多大な労力がかかるとはいえ,駆除が可能なので,この場合は資源の再生が
可能である.しかしいずれにせよ,希少魚放流候補地という資源は,確保が難しく損なわれやすいので,その活
用に当たっては慎重でありたい.
■むすび
ここで話題の中心に据えた,シナイモツゴやゼニタナゴは,県レベルの地理的な範囲に複数の生息地があり,
野生絶滅やそれに近いほどの希少種ではないので,移植候補地への移植種苗の選択が可能である.また,これ
らは人工飼育や繁殖技術が確立されているので,そのための設備と技術を導入すれば,いつでも,だれでも,何
度でも移植を試みることができる.だからこそ,移植を検討する時点で,将来の調査や知見集積の可能性を考慮し
た,移植自体の是非を含む検討が必要である.なぜなら,いつでも,だれでも,何度でも移植することのできる魚
種においては,移植しないことによる不利益を,不適切な移植により移植候補地という資源が消費されてしまう不
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利益が上回るからである.日本魚類学会の「生物多様性の保全をめざした魚類の放流ガイドライン」(日本魚類学
会 2005)ではその要約の冒頭に,放流の是非そのものの判断が必要であることを強調している.
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