マルコ 12:28~34 「最も大切なこと」 鶴見教会牧師 高松牧人 「あらゆる

2012 年 2 月 5 日 礼拝説教(要約)
マルコ 12:28~34 「最も大切なこと」
鶴見教会牧師 高松牧人
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」。一人の律法学者が主イエスに尋ね
ました。当時のユダヤにはたくさんの律法があり、モーセの十戒は 613 の掟に細分化
されていて、そのうちどの掟を重視するかということは律法学者の間でも大問題であっ
たようです。そこで、この律法学者は自分たちの最も関心のある問題を主イエスに問い
かけました。
この問いは私たちにとってもたいへん興味あるものです。私たちにとっては、旧約聖
書も新約聖書もどちらも欠くことのできない神の言葉です。ということは、旧約聖書に
記されている律法も神の言葉として与えられているということで、キリスト者として律
法をどのように考え、どう読むのかということは大事な問題となるからです。そこで、
主イエスご自身はどのように律法を読んでおられたのか、律法の中心をどのように考え
ておられたのかを知ることは注目すべきことです。
主イエスのお答えは次のようなものでした。
「第一の掟は、これである。
『イスラエル
よ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、力を尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。
『隣人を自分のように愛
しなさい。
』この二つにまさる掟はほかにない」(29~31 節)。神を愛することと、隣人
を自分のように愛すること、これが主イエスの律法理解の中心です。主イエスは厖大な
律法を、この二重の愛の掟によってまとめられました。
この主イエスのお答えから大事なことを聞き取っておきたいと思います。最初に、律
法学者は「どれが第一でしょうか」と尋ねたのに対して、主イエスは申命記 6:4~5
を引かれ、しかもそこで終らずにただちにレビ記 19:18 を引かれました。どうしてで
しょうか。一つにまとめがたいということでしょうか。二つとも大切で甲乙つけがたい
ということでしょうか。そうではありません。主イエスは二つの掟を一つのものと考え、
まとめて律法の第一とされたのです。神を愛するという信仰の関係と、隣人を自分のよ
うに愛するという倫理の関係とを、一枚の銀貨の裏表のように、切り離すことのできな
いものとして位置づけ、語っておられるのです。
また、主イエスは申命記から引用されるにあたって、「イスラエルよ、聞け、わたし
たちの神である主は唯一の主である」という言葉から始めておられます。これは、私た
ちが愛するということに先立って、イスラエルを選び、私たちを招かれるただ独りの神
がおられるということ、この神を神とし、この神のご支配と約束のもとで、私たちは愛
に生きることができるのだということをあらわしています。主イエスは、私たちが何か
をなすべきところからではなく、私たちを招いておられるただ独りの神がおられるとい
う私たちの存在の原点から第一の掟を語ろうとしておられるのです。
主イエスの最も大切な掟についての答えは、ちょうど十戒の構造と対応しています。
十戒は、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した
神である」という神の宣言から始まります。神がイスラエルの人々を、エジプトの国、
奴隷の家から救い出されたから、その恵みの中で人々はこの神にのみ仕え、隣人に仕え
ることが命じられるのです。主イエスが「イスラエルよ、聞け」ということから始めて、
神を愛することと人を愛することを切り離しえない一つのこととして語られたことは、
まさに全律法の出発点である十戒の簡潔な要約となっているのです。
さらに、隣人を自分のように愛しなさいとありますが、自分を愛することと隣人を愛
することがどのように両立するのかということが問題となります。自分を愛するという
ことも、当たり前のようでいて、自明のことではありません。自分を愛するとは、おご
り高ぶることでも、卑屈になることでもないからです。自分を愛しえず、自分を見失っ
ているがゆえに、隣人を愛し得ない私たちの現実があります。けれども、自分を正しく
知らず、自分を愛し得ない、そんな自分を愛してくださる神がおられます。その神を仰
ぐところで、私たちは「隣人を自分のように愛する」者とされるのです。
この律法学者は、主イエスの答えに鋭く素直に反応しました。彼は主イエスの言葉を
ただ鸚鵡返しに答えたのではありませんでした。まず、
「『神は唯一である。ほかに神は
ない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽
くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献
げものやいけにえよりも優れています」。彼は、主イエスの引かれた第一と第二の掟を
切り離すことのできない一つのこととしてまとめ、さらに、それらがどんな祭儀や犠牲
にもまさるものであることを、自分の言葉で正しく答えているのです。
そこで主イエスは彼に、「あなたは、神の国から遠くはない」と言われました。なぜ
「神の国はあなたのものだ」と言われなかったのでしょうか。頭で理解したけれども、
まだそこに生きていなかったからかもしれません。けれども、この律法学者は、主イエ
スの確かな愛と招きを聴きとったのではないでしょうか。
主なる神を愛することと隣人を自分のように愛すること、これが最も大切なことだと
言い切られた主イエスは、まさにその最も基本的な愛に私たちが生きることができるよ
うに、十字架に向かっておられるのです。神と人とを愛しえない、否、憎む方向に傾い
ている私たちのためにご自身をささげられるのです。主イエスを知る私たちは、主がは
っきりと指し示してくださったこの愛の教えの御言葉に、できてもできなくても、喜ん
で、黙々と、聴き従っていきたいものです。