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中部学院大学・中部学院大学短期大学部卒業生の活躍を紹介する
PLUS
2013. JUNE
vol.
5
Paulownia とは中部学院のシンボルである「桐」の英語表記で、
かつては大学祭を「ポローニア祭」と呼び、学生に親しまれてきました。
プロバスケットボールコーチ
上田 康徳
さん
2008年度人間福祉学部人間福祉学科卒業
2008年度 人間福祉学部 人間福祉学科 卒業
プロバスケットボールコーチ
う え だ や す の り
上田 康徳 さん
1986(昭和 61)年 福井県あわら市生まれ。小学 5 年からバスケットボールを始める。名門・北陸高校(福井市)
卒業後、2005 年中部学院大学人間福祉学部人間福祉学科入学。在学中は男子バスケットボール部学生コーチ
として、全日本大学選手権(インカレ)初出場に貢献。卒業後、2009 年から 1 年間、プロバスケットボールチーム・
レラカムイ北海道(現レバンガ北海道)のアシスタントマネジャー。2011 年から 1 年間、レバンガ北海道マ
ネジャー。2012 年 7 月から翌 5 月までドイツのプロチーム「ケムニッツ 99」のアシスタントコーチを務めた。
最初の転機は
プレーヤーからチームマネジャーへ
プロというトップレベルへ
夢を持ち続けることが大切と実感
バスケットボールを始めたのは小学校 5 年生から。
卒業を控え、進路を考えた時に、「教えていくの
それまで軟式野球をしていましたが、守備などで
にはもっとレベルアップしたい」と強く思い、イン
じっとしているのが苦手で、姉の影響もあってそれ
ターンシップ生という立場で、北海道のプロバス
からはバスケ一筋。今では切っても切れない存在に
ケットボールチーム「レラカムイ北海道(現レバン
翌年には、ロイブル氏が以前コーチを務めていた
なっています。高校進学の時は「うまくなりたい」
「レ
ガ北海道)」のアシスタントマネジャーとして 1 年
ドイツのプロチーム・ケムニッツ 99 のアシスタン
ベルアップしたい」という一心で、強豪の北陸高校
間チームに帯同しました。コーチ、マネジャーと選
トコーチとしてチームに加わる機会に恵まれまし
に進学しました。最初の転機は 3 年の春。監督、チー
手の間に立ち、いろいろ話を聞いていく中で、コー
た。「ドイツに行きたい」と学生時代に抱いた夢が
ムメイトからマネジャーになることを勧められまし
チの言いたかったことが意外と選手には伝わってい
実現した喜びとともに、夢を持ち続けることの大切
た。最初は葛藤がありましたが、指導者になりたい
ないことがわかりました。試合でプレーに反映され
さをあらためて実感しました。ドイツでは、自己主
という思いもあったので、発想を転換し、次に生か
ていないことの多くはここに要因があったといって
張の強い選手も多く、国籍もドイツ、アメリカ、日
せるようにと、スコアをつけたり、監督の指示を伝
もいいかもしれません。時には言わなくてよいこと
本などバラバラ。しかし、一番大切なことは、選手
達したり、審判をするなど精力的に経験を積みまし
もあります。私のようにワンクッションはさんだ立
がいかに気持ちよくプレーできるようにするかで
た。全日本選手権では高校生初のベスト 8 という快
場で見えてくることが多々ありました。それらを
す。究極を言えば、すべては人と人との関係です。
挙も達成し、充実した 1 年になりました。
トップレベルで体感できたのは最大の収穫でした。
選手、コーチとどのように関わり、お互いが思って
全国大会出場の立役者
大学コーチとしてチームをけん引
インターンが終了し、その後 1 年間はバスケット
いることをつなぎ、どのように伝えていくかを大切
ボールを離れましたが、「バスケに携わりたい」「一
にしました。幸い、選手やスタッフから「モチベー
流と呼ばれるコーチになりたい」という思いは強く
ションを上げてくれる」というお礼の言葉ももらい、
体育教師を目指して進学を考えていましたが、思
なるばかり。再び縁があり、レバンガ北海道のマネ
励みになりました。
うような結果を残せず、姉の友人が進学していた中
ジャーとしてチームに復帰しました。偶然にも大学
部学院大学の一般入試を受けて入学しました。当時
時代に衝撃を受けたロイブル氏がヘッドコーチに就
のバスケットボール部は東海学生リーグ 3 部で、強
任し、技術力、コーディネート力、マネジメント力
物事には「なぜ」が必ずある
失敗しても挑戦し続けてほしい
化し始めたころでした。チーム力は乏しく、まだま
を学びました。この時、トップコーチの指導力に感
これまでの人生を振り返ると、多くの人に出会い、
だ発展途上の部活動といった感じで、淡々と時間が
銘を受け、あらためてコーチの道に進みたいと強く
その人たちのおかげで人生は大きく変わってきまし
流れていきました。衝撃が走ったのは 3 年次に、ド
思いました。
た。今は恩返しするターニングポイントだと思って
イツで活躍していたトーステン・ロイブルコーチが
います。今は日本に帰国し、ジュニアの育成などに
岐阜を訪れ、氏の指導法を聞いた時です。どうやっ
も力を入れています=写真。物事には「なぜ」が必
て相手を抜いたり、守ったりするかをていねいにわ
ずあり、バスケットボールのプレー一つひとつにも
かりやすく指導してくれました。「すぐにドイツに
「なぜ」があります。子どもたちには「なぜ」をわ
行って学びたい」と思いましたが、まずは身近にあ
かりやすくしっかり伝えていきたいと思っていま
る部活動のコーチとして、マネジャーとして、トレー
す。将来は海外のヘッドコーチを目指し、もっと高
ナーとして、自分自身ができることから始めること
レベルで失敗しても挑戦し続けて夢を実現したいと
が大切だと思いました。監督が本当に伝えたかった
思っています。後輩の皆さんにも「今しかない」こ
真意を監督の代わりに選手に伝えたり、選手の本音
とをいっぱい感じて、まず自分自身がやってみるこ
を聞き取りながらチームの調和を図ったり、つなぎ
役に徹しました。また、新しい伝統を作り上げてい
とが大切だと思います。若いうちは大いに失敗して
ジュニアの指導にも力を入れている上田さん=岐阜市内
自分の意思で人生を切り開いてほしいと願います。
く楽しさがあり、チームの変化をかみしめられる喜
びもあり、全日本学生選手権(インカレ)初出場と
いう結果も残せました。まさにコーチング人生の原
点が大学時代にありました。
夢にチャレンジを!
男子バスケットボール部
福手 登成 監督
上田君はとても明朗であり、誰とでもすぐに打ち解けることができます。卒業して4年が
経過しても多くの先生方が彼のことをよく覚えていらっしゃることからも、彼のひととなり
がわかると思います。現在、男子バスケット部をコーチしてくれているところですが、豊富
な知識と経験、その人柄で部員たちから大きな信頼を得ています。
上田君は夢を思い描き、それにチャレンジしているのでとても活き活きとしています。こ
れまでに、彼にとってさまざまなチャンスや幸運がありましたが、それらを掴んでこられた
のも、しっかりと自分の人生に向き合い、ちゃんと前を向いていたからだと思います。つら
い時期もあったようですが、そんなことであきらめてしまう程ちっぽけな夢を追いかけてい
るわけではない彼の姿に私自身も元気づけられます。「世の中に失敗というものはない。チャ
レンジしているうちは失敗はない。あきらめた時が失敗である。−稲盛和夫」。今の学生たち
にも彼のように夢に向かってチャレンジし、活き活きと歩んでほしいと思います。