相互独立的自己観と相互協調的自己観の 発達についての臨床心理学的研究 甲子園大学大学院人間文化学研究科 概 松岡 恵 要 本研究の目的は,現代日本人の自己観の発達と,子どもが認知する父親像,母親像 との関連について検討することにより,臨床場面への効果的な関わり方を探求するこ とである。 他 者 との関 係 における自 己 の捉 え方 について,Markus&北 山 (1991)は,「相 互 独 立 的 自 己 観 」「相 互 協 調 的 自 己 観 」という2つの概 念 区 分 を 提 示 している。これら自 己 観 の形 成 には ,日 本 的 親 子 関 係 及 び親 の養 育 態 度 の影 響 が大 きいと思 われる。そのため本 研 究 では,これら2つ の自 己 観 に注 目 し,それらの発 達 の様 相 を明 らかにしようと考 え た。 筆 者 は,青 年 期 から成 人 期 における親 の養 育 態 度 に関 する認 知 を 通 し て親 イ メージを 明 ら かにすることは,実 際 の親 からの養 育 態 度 と,子 どもの受 け取 り方 ,記 憶 がくい違 っていたとして も,そのこと自 体 が臨 床 的 に意 味 のあることと考 えている 。臨 床 上 では,成 人 期 に至 っても父 親 や母 親 に対 する葛 藤 が大 きい場 合 ,人 間 関 係 に問 題 を抱 え るという報 告 が多 いが,調 査 研 究 で,成 人 を対 象 にした父 親 像 ,母 親 像 についてのものは少 ない。そこで本 研 究 では,相 互 独 立 的 ・相 互 協 調 的 自 己 観 と ,親 の養 育 態 度 (親 からど のように養 育 され たかの記 憶 ・受 けとめ )と の関 連 性 ,及 びその人 がその時 期 に直 面 している課 題 と ,その後 親 に対 する認 知 の変 容 がい かにして生 じ,自 己 観 とそれはどのように関 連 しているかを明 らかにすることを目 的 に ,調 査 研 究 と事 例 研 究 の両 面 から検 討 と考 察 を行 った。 まず,青 年 期 か ら 老 年 期 に わ た る 相 互 独 立 的 自 己 観 と相 互 協 調 的 自 己 観 の発 達 と ,親 の養 育 態 度 の認 知 との関 連 について実 証 的 に明 らかにするため ,横 断 的 調 査 研 究 を 行 い ,そ の内容について,第 2 章で述べた。 対 象 者 は 高 校 生 か ら 80 歳 代 の 高 齢 者 ま で の 196 名( 男 性 56 名 , 女 性 140 名 )で あ っ た 。全 年 代 の 対 象 者 へ の 質 問 紙 調 査 で は ,相 互 独 立・相 互 協 調 的 自 己 観 尺 度( 高 田 ・ 大 本・清 家 ,1996)を 用 い た 。相 互 独 立 性 と 相 互 協 調 性 各 々 10 項 目 計 20 項 目 か ら 構 成 1 さ れ ,7 段 階 評 定 で あ る 。併 せ て ,質 問 紙 検 査 で あ る 親 子 関 係 診 断 尺 度 EICA( 辻 岡 ・ 山 本 ,1976)を 行 い ,子 ど も か ら 見 た 父 親 ,母 親 そ れ ぞ れ の 養 育 態 度 に つ い て ,3 件 法 で回答を求めた。 その結 果 ,(1)相 互 独 立 性 ,相 互 協 調 性 共 に性 差 は認 められなかった。(2)相 互 独 立 性 得 点 と相 互 協 調 性 得 点 との間 には ,有 意 な負 の相 関 が認 められた。(3)相 互 独 立 性 ・相 互 協 調 性 の年 代 別 にみると,40 歳 未 満 までは相 互 協 調 性 が相 互 独 立 性 を凌 ぐが ,40 歳 以 上 では得 点 が逆 転 した。(4)年 代 間 の得 点 差 をみるため ,年 代 別 4群 ×性 別 の分 散 分 析 を相 互 独 立 性 と相 互 協 調 性 に対 して行 った。その結 果 ,相 互 独 立 性 では青 年 期 と若 年 成 人 期 ,中 年 期 との 間 に有 意 差 はなく,老 年 期 が青 年 期 ,若 年 成 人 期 より有 意 に高 かっ た。一 方 ,相 互 協 調 性 は, 中 年 期 と老 年 期 の間 では有 意 差 はなかったが,その他 の年 代 間 ,すなわち青 年 期 と若 年 成 人 期 ,若 年 成 人 期 と中 年 期 との間 で有 意 差 があり ,年 代 が上 になるほど得 点 が低 かった。(5)親 の養 育 態 度 の認 知 では,母 親 の養 育 態 度 を受 容 型 と認 知 している者 が全 年 代 で最 も多 く ,青 年 期 でやや拒 否 型 が多 く ,若 年 成 人 期 と中 年 期 で受 容 型 に次 ぎ自 律 型 が多 かっ た。一 方 父 親 の養 育 態 度 の認 知 に関 して受 容 型 が多 いのは老 年 期 のみで ,他 の年 代 は拒 否 型 ,自 律 型 , 受 容 型 に分 散 していた。(6)認 知 された父 親 ・母 親 の養 育 態 度 それぞれを「拒 否 型 」と「受 容 型 」 に分 け,相 互 独 立 ・相 互 協 調 性 得 点 との関 係 を見 たところ ,父 親 の養 育 態 度 を「受 容 型 」とした 人 の相 互 協 調 性 は,「拒 否 型 」とした人 よりも有 意 に高 かった。また ,相 互 独 立 性 では,父 親 母 親 それぞれの養 育 態 度 の認 知 による有 意 差 は認 められなかった。 以 上 の調 査 研 究 結 果 から ,青 年 期 と若 年 成 人 期 の相 互 協 調 性 の高 さは ,他 者 との違 いに 意 味 を見 出 すよりも,同 世 代 から浮 いた存 在 になっていないかを気 にする現 代 の若 者 の特 性 を 示 していると 考 え た。相 互 独 立 性 と 相 互 協 調 性 が中 年 期 を 境 に逆 転 し ,老 年 期 に両 者 が高 く なることについては,中 年 期 に両 極 性 の偏 りを減 じる方 向 へ向 かい ,Erikson のいう統 合 に到 達 することを示 していると考 えられる。 また,自 分 と異 なる価 値 観 を持 つ他 者 と社 会 的 に関 わ りながら相 互 独 立 性 を高 めつつ,時 に 相 手 と折 り合 いをつけるという力 を養 うことが人 格 の成 熟 への方 向 と考 えるなら,社 会 とつながる 役 割 の大 きい父 親 を肯 定 的 に認 知 することと,子 どもの相 互 協 調 性 の高 さとの関 連 は大 きいと 考 えた。 第 3 章 で は ,筆 者 の 自 験 例 か ら 臨 床 ケ ー ス と し て 不 登 校 青 年 期 男 子 と う つ 状 態 の 中 2 年期女性 1 例ずつと,健常の若年成人女性の事例を提示し ,相互独立・相互協調的自 己観が,ライフイベントや周囲の人たちとの関係性の中で相互に影響を受け ながら, どのような発達経過をたどり,人格的発達と心身の回復へつながっていったのか,そ して親の養育態度の認知はどのように関連しているかについて検討と考察を行った。 青年期男子の事例では,父親は独裁的で,父親と母親の養育態度は対立しており, 青年は父親に対して自分は受容されていないと認知していた。青年の自己肯定感は低 く,自発性に乏しい状態にあった。相互協調性は,第 2 章で述べた筆者の調査研究結 果によれば,同世代の平均値であったが,この相互協調性得点の高さは,その時期の 事例の臨床像からは,周囲と協調して適応している状態を表しているとは言えず,む しろ周囲からの評価を気にし過ぎた「同調」の意味合いが強く,自己評価の低い人も 高い得点を示したものと思われた。一方相互独立性は,同年代と比べ,かなり低い値 であったが,心理療法を経て,適応状態が好転した時期には,得点の上昇が認められ た 。そ し て 父 親 に 対 す る 認 知 も ,EICA の「 拒 否 的 統 制 型 」で あ っ た も の が , 「平均型」 へ変化が認められた。 中年期女性の事例では,幼少期,両親から十分な基本的信頼感を獲得できず,自己 肯定感が低いうえに不幸なライフイベントが重なり,うつ状態にあったクライエント を取りあげた。心理療法を経て,成人期の発達課題である「生殖性」に伴う自己観を 発達させ,職場や家庭での適応が改善された。来談時には相互独立性が優位で ,相互 協調性が低かったと見受けられたクライエントであったが ,終結に近い時期には相互 協調性も上昇しており, 「 信 じ て 待 つ こ と の 意 味 」へ の 気 づ き ,息 子 の 言 葉 が き っ か け となり,物事の捉え方の転換がおこり,他者の捉え方の変化と,置き去りにしていた 相互協調的自己観の発達が認められた。 若年成人期の事例では,相互協調的自己観は高く,父親の養育態度は「拒否的統制 型」と認知していた女性が,両親からの独立をめぐる家族の問題を契機に,自分自身 の自己観を見つめる中で葛藤と危機を経験し,夫婦で乗り越えた一例であった。両親 への平和的独立宣言が成功した時期には,事例が同世代の平均より低い得点であった 相互独立性自己観が伸長していたと推察された。このケースは今後,相手に合わせる だけでなく,自分の考えに自信を持ち,それを周囲の人に理解してもらえるよう働き 3 かけるという中年期にふさわしい相互協調性と相互独立性の発達に取り組んでいくと 思われた。 総 合 考 察 に お い て は ,( 1 ) 青 年 期 か ら 老 年 期 に か け て の 相 互 独 立 的 自 己 観 と 相 互 協調的自己観の発達過程について(2)中年期の意味について(3)青年期から老年 期にわたる子ども側の自己観と,子どもが認知している親の養育態度との関係につい て( 4 )人 格 発 達 と 心 身 の 回 復 過 程 の 検 討 の 4 点 に つ い て 以 下 の よ う に 考 察 を 行 っ た 。 ( 1 )青 年 期 に お い て 相 互 協 調 性 の 高 さ と 相 互 独 立 性 の 低 さ が 顕 著 に 見 ら れ た こ と は , 現代の日本の青年期が他者指向的な時期であることを示しており ,相互独立性が適度 に発達していることがこの時期に自律性を発揮し,進路を探索していくエネルギーの 基盤として必要であると考えた。 ( 2 )中 年 期 は Gould(1978)の 言 う ト ラ ン ス フ ォ ー メ ーション(変態)できる可能性が秘められており,現代日本の成人が真の成人性を達 成する入口は,今回の調査研究で明らかになった相互独立性が相互協調性と逆転して 高 く な る 40 歳 前 後 で あ ろ う と 述 べ た 。( 3 ) 父 親 像 は 母 親 像 よ り 心 理 的 な 受 取 り 方 が 反映されやすいため, 「 拒 否 的 」と 認 知 し た 人 は ,実 際 よ り ネ ガ テ ィ ブ に 父 親 の 養 育 態 度を受け取っている可能性があると考え,他者との関係性においても相互協調性が高 く な い 人 が 多 い の で は な い か と 考 え た 。( 4 ) 第 3 章 の 事 例 で 示 し た よ う に , 心 理 療 法や,相手の力を信じ待ちながら導く存在との出会いによって ,成人後も自己観や他 者への認知に変化をもたらし,自己観の成長が期待できると考えた。また,相互独立 性の発達が促進されるにあたって,父親の存在は大きく,さらに言えば夫婦の関係性 がポジティブにもネガティブにも子どもの父親像に影響し,子どもの自己観の発達に おいて重要であると考えた。 4
© Copyright 2024 Paperzz