- 1 - [A]選挙制度~内閣の組閣 A 党…168 議席 B 党…85 議席 C 党

付録②[バカでもわかる政治学]
[A]選挙制度~内閣の組閣
(1) 現在と明治時代の選挙制度の違い
さて,政治についてまったく無知の君たちに,優しくわかりやすく説明していきましょう。
まず,選挙が行われ,有権者(選挙権を持っている人)が投票所に行き,自分の支持する候補者,又は政党に投
票をします。今現在では,20 歳以上の男女全てに選挙権が与えられ,20 歳を過ぎたら君たちも選挙に行って投票
ができるようになっています。ところが,明治時代では,現在のように 20 歳を超えたら誰でも選挙権がもらえる
わけではありませんでした。少し,現在とその初めて選挙が行われた明治時代 1890 年との選挙権の違いを見てみ
ましょうか。
現在の選挙制度
1890 年の選挙制度
20 歳以上の男女全て
25 歳以上の男子で税金を当時で 15 円以上納めている者のみ
随分と違いがありますね。1890 年当時に,選挙に投票しに行くことができた人は,上のように税金を 15 円以
上納めている男子だけでした。ちなみに,この税金 15 円というのは当時では非常に大金で,全人口でこれだけの
税金を納めていた人はたったの 1.1%にしか過ぎませんでした。このように,1890 年当時では,全ての人が選挙
権をもらえるのではなく,
「税金を 15 円以上納めている男子」という条件を備えていないといけなかったのです。
こうした何かしらの条件で,選挙権をもらえる人を制限した選挙方式を制限選挙と言います。それに対して,今
現在では,「税金をいくら納めているか」などは関係なく,20 歳を超えれば誰でも選挙に行くことができます。
このような誰でも選挙に行くことが出来る選挙方式を普通選挙と言います(このような普通選挙に変わったのは
民主主義的な風潮が民間の間でも浸透するようになった 1925 年でした。ただし,この時のものは普通選挙とは言
っても選挙権が与えられたのは男子だけで,女子には与えられませんでした)。ちなみにこれらの選挙方式は漠然
と決まっているわけではなく,ちゃんと法律として定められています。それが衆議院議員選挙法と呼ばれる法律
です。
(2) 内閣の組閣
さて,本当は明治時代の選挙,そして政治の仕組みについて説明したいのですが,なにぶんにも政治について
無知な君たちのために,まずは現在の仕組みをお話します。
衆議院と参議院があるのはいいですね。それぞれの議員を決めるために選挙が行われます。それが君たちもよ
く聞くであろう衆議院議員選挙であったり,参議院議員選挙であったりするわけです。さて,では実際に選挙が
行われたとしましょう。そして以下のように選挙結果が出たとします(実際の議員の議席数とは異なりますが,わ
かりやすくするため,ここでは総議席数は 300 とします)。
[衆議院]
A 党…168 議席
B 党…85 議席
C 党…37 議席
D 党…20 議席
[参議院]
A 党…173 議席
B 党…69 議席
C 党…52 議席
D 党…16 議席
※総議席数はわかりやすいように
どちらも 300 議席とする
さて,選挙が終わりました。この選挙で,一番議席を獲得した政党を第一党と言います。ですから今回はA党
が第一党になりますね。そして,この際重要になってくるのが,第一党の議席数が全議席の過半数(2 分の 1 以上)
を超えているか,ということです。衆議院では 300 のうちの 168,参議院でも 300 のうち 173 ですので過半数は
超えているのでOKですね。でも,もし,これが以下のような結果になってしまったらどうでしょう?
[衆議院]
A 党…136 議席
B 党…117 議席
C 党…37 議席
D 党…20 議席
[参議院]
A 党…127 議席
B 党…115 議席
C 党…52 議席
D 党…16 議席
-1-
※総議席数はわかりやすいように
どちらも 300 議席とする
付録②[バカでもわかる政治学]
この場合でもA党が第一党となっていますが,衆議院では総議席 300 のうちの 136,参議院では総議席 300 の
127 となっていて,過半数を超えていないですね。これではまずいんです(なぜ,過半数を超える必要があるのか
は後で詳細に説明します。ここでは,過半数を超えることが重要なのだということを知っておいて下さい)。そこ
で自分たちA党と考えの近い政党に協力してもらうのです。この場合であればB党・もしくはC党のどちらかに
協力してもらえば過半数を超えますよね。そこで,今回A党はC党に協力を頼みました。これによって第一党の
A党にC党が協力するという形の連立内閣(二つ以上の政党で構成された内閣)と呼ばれるものが出来上がるので
す。ただ,この連立内閣というのは違う政党が協力している状態なので,連帯性は単独内閣(一つの政党だけで構
成された内閣)よりは弱くなります。その理由は簡単なことで,それぞれその政党が自分たちの主張を通そうとす
るので,まとまりが効かなくなっちゃうんですね。だから,歴史的にも連立内閣というのは,あまり長く政権を
保つことはないんです。最近の事例で言うと,民主党政権が誕生した時,国民新党・社会民主党と連立内閣を組
みましたが,普天間基地移設の問題をめぐって社会民主党が連立から離脱しましたよね。
さて,話を戻しましょう。とにかく今回の選挙によってA党が第一党になりました。そして,このA党の中で
一番トップの人間が内閣総理大臣に就任します(その政党のトップは“総裁”や“代表”などと呼ばれる)。その
後,内閣総理大臣(首相)は自分の自由に各大臣を任命していくのです(例えば財務大臣とか外務大臣,厚生労働大
臣などいろいろありますね)。これを,内閣を組閣するなんて言います。これによって出来上がった総理大臣をト
ップとし,その下に各大臣が組織された内閣が出来るわけです。
内閣総理大臣
任命
内閣という
財務大臣
外務大臣
財務省
外務省
司法大臣 厚生労働大臣
司法省
厚生労働省
文部科学大臣
……大臣
文部科学省
……省
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付録②[バカでもわかる政治学]
[B]内閣~法案・予算案の審議
(1) 官僚
ここまでは選挙制度から内閣の組閣までの話をしました。ところで,少し話を変えてみましょう。よく君たち
も内閣,内閣という言葉を耳にすると思いますが,実際この内閣って何をするところなのかわかりますか?…意
外とよくわかっていない人が多いんじゃないかと思います。簡単に言えば,この内閣とは政治を行う機関(これを
行政機関といいます)にあたります。具体的に言えば,財務省(旧大蔵省)とか外務省とかのことです。そこでは財
政に関することや外交に関する対応をしていくわけですけど,その省庁のトップに,総理大臣は国会議員(国会議
員でなく民間人でもよい)たちを各大臣に任命していくんです。じゃあ少し問題を出しましょう。「僕(根本)が運
よく知恵と金と権威とコネを使って総理大臣に指名されました。そして,ギャグで君たちの誰かを外務大臣に任
命してみました。また,僕の好みから堀北真希を財務大臣に任命しました。」さて,外務省と,財務省は機能する
でしょうか,しないでしょうか?
正解は,ちゃんと機能するんです。そもそも,よく国会議員の経歴とかには,外務大臣とか財務大臣を歴任し
ているなんて人もいます。でも,実際その人がちゃんと外交の知識・財政の専門的知識を持っているわけないで
すよね。…そう,彼らは大臣には任命されるものの,実際にその省庁をリードできるだけの専門的知識を有して
いるわけではないんです。じゃあ,実際にその政策を行っている人は誰なのかというと,それがよく君たちも名
前だけは知っている官僚と呼ばれる人たちなんです。だから,外務省で実際の政策にあたっているのは外務大臣
ではなく,その下の外務省にいる官僚なんです。同じく財務省でも,実際の政策にあたっているのは財務大臣で
はなく,財務省にいる官僚なのです。実際に政策を考えるのは官僚であり,国会から来た大臣さんは,その決ま
った内容にハンコを押してくれるだけの「お客さん」でいいわけです。例えば,新大臣が就任した際,官僚が新
大臣には「おめでとうございます」と挨拶するそうです。本来であれば,これから自分たちの上司となるわけで
すから,「よろしくお願いします」が正しいハズですよね。だから,大臣は無能であってもまったく支障はありま
せんし,逆に口やかましくいろいろギャーギャー言ってくる大臣の方がウザかったりするんですね。つまり,彼
ら官僚からしてみれば大臣はただの置き物みたいなものなんです。
(2) 予算案の成立
内閣と省庁,官僚について簡単にお話をしました。さて,内閣が組閣されて,この内閣の各省庁(大蔵省・外務
省など)が実際に政策を行うわけですが,何だかんだで非常にお金がかかりますよね。そこでその年の予算を決め
るのです。この予算の配分に関しては,まず内閣で決められます。例えば「今年の外務省の予算は 1000 億円でお
願いします」「財務省は 2000 億円でお願いします」といった内容が各省庁から出されるんです。これで,内閣の
中で予算案の配分がいったん決定します。
しかし,これを実際に承認するのは内閣ではなく,衆議院であり,参議院に権限があるんです。つまり,内閣
から「この予算案でどうですかね?」と予算案が国会に提出され,衆議院と参議院で予算案を審議するわけです。
そして,この際に衆議院と参議院のどちらも過半数以上の賛成が取れれば予算案は了承されるのです。よく「予
算案が衆議院を通過しました,参議院を通過しました」とニュースで言っているのはこの事なんですよ。
ここで,「もし過半数以上を取れなかったらどうするんですか?」と思いますよね。でも,そんなことは滅多に
ありません。[A]でも述べたように内閣総理大臣を出したA党は首相の味方ですよね。しかも,その人数も既に
過半数を超えているのですから,内紛でも起こらない限り,まず予算案は通過するのです。先ほど「過半数を超
えなければならない」と言っていたことが,これで分かりましたね。
賛成が取れれば,
賛成が取れれば,
予算案は通過
予算案は通過
予算案 の成立
総議席の過半数の
終了
[参議院]
総議席の過半数の
審議
審議
[衆議院]
終了
提出
(
)
……大臣
……大臣
……大臣
……大臣
内 閣 政府
……大臣
予算案
総理大臣
※基本的に衆議院も参議院でも過半数を超えた議席をA党は持っているので通過する
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付録②[バカでもわかる政治学]
(3) 法案の成立
さて,予算案はこれで理解できたでしょうか。この予算案の他にも,内閣(政府)が新しい法律を作りたいとし
ます。例えば,一番身近な例でいくと,「郵政民営化法案」などといったものが,最近注目を集めたので,「郵政
民営化法案」という法律を作りたいとしましょう。ただし,これも法“案”にしか過ぎないので,やはり「この
法案どうですかね?」と内閣から法案が提出され,これを衆議院と参議院で話し合うわけです。この場合も過半
数の賛成があれば,法案は議会を通過します。つまり,予算案とまったく一緒ですよね。
賛成が取れれば,
賛成が取れれば,
法案は通過
法案は通過
法案 の成立
総議席の過半数の
終了
[参議院]
総議席の過半数の
審議
審議
[衆議院]
終了
提出
(
)
……大臣
……大臣
……大臣
……大臣
内 閣 政府
……大臣
法案
総理大臣
※基本的に衆議院も参議院でも過半数を超えた議席をA党は持っているので通過する
結局は予算案も法案も過半数以上の賛成があればいいわけですね。ただし,一つだけ過半数以上でも成立しな
いものがあります。それが日本国憲法の中身を改正したい場合です。では,これはあくまでも常識のことなので
すが,「さて,憲法を改正したい場合は,総議席の何分の何の賛成が必要になるでしょうか?」
この場合は 3 分の 2 以上の賛成が必要になります。これは,あくまでも常識ですよ(笑)。
(4) 内閣総辞職・解散総選挙
こういった予算案や法案といったものは,内閣を出している政党が過半数を超えているのですから,通常は簡
単に通過します。ところが,その内閣(首相)が行過ぎた政策や不可解な政策を行えば,当然敵の野党からも不満
が出ますし,悪ければ仲間であるハズの与党からも不満が出ます。こうした首相にとって他の政党や仲間の議員
が協力しない場合(別にいつでも出来るのですが),首相のとることの出来る選択肢は二つあります。
まず,一つが総辞職。「私にはもう首相は務まりません。だから,私も大臣も皆辞めます」というものです。つ
まり,これは敗北宣言ですね。それに対して,もう一つが「諦められるか,もう一回議員決めなおして決戦だ」
という解散総選挙です。つまり,内閣は一回辞めるのですが,自分たちの勢力を回復するために,衆議院議員を
全員クビにして,もう一回選挙を行うわけです。この選挙で勝てれば,そのまま内閣は継続しますし,負ければ
総辞職するというわけです。
(5) 三権分立
ここまで見てきて,政治の大まかな仕組みがつかめたとは思います。ただ,少しだけ確認しておきたいことが
あります。よく三権分立なんていって,「行政・立法・司法はそれぞれ独立する」なんてことを聞いたことがある
と思いますが,この違いって何だかわかりますか?この質問をすると,決まって「司法ならわかりますよ。裁判
のことですよね」という答えが返ってきます。それは正解です。ところが,「じゃあ,行政と立法ってどう違うの?」
というと,考え込んでしまう子がほとんどなんです。実際に,僕も受験生の頃はよくわかっていませんでした。
そこで,それぞれの違いに関して,下にまとめておきました。
三権分立
①行政…政治を行うこと。つまり,政策を行う内閣・省庁のことを指している
②立法…法律を立てること。つまり,法律・予算を審議して立法化(法律化)する国会のことを指している
③司法…裁判を行うこと。つまり,裁判所を指している
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付録②[バカでもわかる政治学]
行政(政治を行うこと)とは内閣とその省庁のことを指しています。また,立法(法律を立てる)とは法律を成立
させたり,予算を審議するわけですから,国会のことを指しています。また,司法は,その法律を行使して裁判
を行う裁判所のことを指しています。まあ,これは小学生で習った内容(!)なので,今さら話す必要はないかと
思いますけどね。
ただ,今回説明して実際に判明したことが一つあります。それは,日本は三権分立とは言っているものの,実
際には三権分立してはいませんよね。なぜなら,内閣で作成された法案といったものは,国会で審議されるわけ
ですが,この内閣は国会とつながっているからです。先に説明したように,内閣から法案が提出された場合,国
会で審議しますが,内閣は国会で多数を占める政党で構成されたわけですから通常は必ず(例外を除く)通過する
わけです。だから,例えば国民には不利益な法案で,世論が大反対している場合でも,この過半数を占めている
ことを利用して,強行採決してしまうこともしばしばあるんです(ex.1960 年の安保改定・1997 年の消費税率 5%
引き上げなど)。つまり,日本の三権分立は形式上な要素が強く,実際には二権分立といえますね。
(6) 内閣(行政機関)・国会(立法機関)
ところで,ここまで噛み砕いて説明しても,内閣と国会の違いがイマイチわからないという質問がたまにある
ので,わからない人のために例え話をしましょう。あくまでもタイトルは「バカでもわかる政治学」ですからね
(笑)。
君たちが学園祭の出し物を何にするか話し合っている時のことを考えてみてください。まず,君たちクラスに
40 人程度いたとして(国会議員と思ってください),その 40 人の中から学園祭実行委員というのを選びますね(こ
の学園祭実行委員が大臣たちだと思ってください)。この各クラスから選ばれた学園祭実行委員が学園祭をどう運
営していくか,予算はどのくらいかかるのか,それぞれのクラスが何の出し物をしたいと言っているのかをまと
めていきます。そして,そこで決まった内容をクラスに持ち帰って,クラスで賛成・反対の議決をとり,賛成が
過半数を超えれば,クラスの出し物が正式に決定しますよね。
つまり,この学園祭実行委員が 10 人程度の大臣で構成された「内閣」という組織。この内閣を構成する大臣た
ちが,国会議員の中から選ばれた選抜メンバーで,政治・外交・経済など「行政」の政策方針を決定していきま
す。ただし,全てのことを勝手に自分たちで決定して実行していくことはできません。そこで,クラス(国会)に
持ち帰り,クラス生徒(国会議員)たちに「こんな出し物(法案)をやりたいんですけど,あとこのくらいお金(予算
案)がかかるんですけど,いいですかね」と尋ねるわけです。そして,クラス生徒(国会議員)の過半数の賛成で正
式に決定する。このクラスが「国会」という組織で法案や予算案を話し合い,そこにいる国会議員たちにより法
律が出来上がる。これこそが「立法」です。
だから,国会議員の選抜メンバーの「内閣」が「行政機関」として政治を行い,それらを国会議員が「国会」
で「立法機関」として法案・予算案を正式に認める,ということになるわけです。
お疲れさまでした。これで,現代の政治の簡単な仕組みは終了です。この後は明治時代の議会の仕組みをお話
しましょう。基本的には予算案や法案などは現代と同じなのですが,一部現代とは異なる点があるので難しいか
もしれません。一休みしたら,明治時代の説明に入りましょう。
-5-
付録②[バカでもわかる政治学]
[C]明治時代の内閣制度
(1) 首相の選出
まず,最初に断っておきますが,近現代(明治~戦前)の立憲政治と,現代(戦後~現在)の立憲政治の機構は大
きく異なります。ちなみに立憲政治とは憲法に基いて行われる政治ということです。先ほど学習した内閣の機構
などももちろん憲法に規定されているわけです。
さあ,明治時代になりました。まずは内閣から見たいのですが,この内閣こそが現代とまったく異なる点の一
つなのです。現代では総議席数の最も多い政党が内閣を組閣しますが,明治憲法(大日本帝国憲法)はそんな民主
的な憲法ではありません。内閣総理大臣も各大臣も全ては天皇が指名するのです。つまり天皇の独断と偏見,そ
れだけで首相は決まってしまうわけです。…でも待って下さい。天皇にそれだけの知識があると思いますか?…
ないですよね。手を振るだけが仕事の彼に,首相に誰がいいのかなんてわかるわけありません(笑)。そこで天皇
を裏から支え,「この人が次の首相にいいですよ」と推薦する人達がいるわけです。彼らのことを元老と言います。
ちなみにこの元老であった人物は明治国家建設に貢献のあった大物たちばかりです(元老ははじめ伊藤博文・井上
馨・山県有朋・大山巌・黒田清隆・西郷従道・松方正義の7人で,後に桂太郎・西園寺公望・大隈重信が加わっ
た)。
彼ら元老の推薦に基いて天皇が首相を任命し,そして同じく各大臣(これをまとめて国務大臣という)も天皇が
任命するのです。現代ではこういった各大臣は首相が任命するわけですが,明治憲法ではやはり天皇が任命する
わけですね。ですから,各大臣は首相に任命されたわけではなく,天皇によって任命された形になるので,天皇
に対して個別に責任を負うことになるのです(例えば,外交に関する事柄は,天皇から任命された外務大臣が全
ての責任を負うわけです)。ですから,総理大臣はある国務大臣が自分とまったく違う考えであったとしても,天
皇自身から任命された各大臣を罷免することはできないのです(現代では各大臣は総理大臣が任命するので,総
理大臣が各大臣を罷免することができます)。だから,そのお互いの意見が食い違って収拾できない時は,総辞職
せざるを得ないのです(これを閣内不統一といいます)。
総理大臣
首相を任命
……大臣
……大臣
……大臣
……大臣
……大臣
各大臣を任命
)
天皇
(
首相を推薦
内 閣 政府
元老
まぁ,とにかくこうして内閣が組閣されると,後は現代と同じように,内閣の中で予算案や法案が決められ,
衆議院などで審議がされるわけです。
(2) 明治時代の選挙
内閣の機構が現代と異なったように選挙,そして議会の様子も現代と多少異なります。まず,現代の衆議院と
参議院ではなく,明治時代は衆議院と貴族院の 2 つであるということです。衆議院議員は今と同じように国民に
よる選挙で決められますが,貴族院は華族と呼ばれる家柄のよい人物たちから,天皇が決める形態をとっていま
した。そして,この貴族院は華族という,言わばずっと上の世界にいた人間ですので,保守的な人間ばかりでし
た。つまり,新しいやり方を模索するようなタイプの人間ではなく,現在の体制を維持していこうとするタイプ
の人間です。ですから,貴族院とは政府の政策に対して,ほとんど反対するような人間はいない政府支持側だっ
たのです。
では衆議院を見ていきましょう。最初の[A]で述べたように,この当時選挙権を与えられた人物は税金を 15
円以上納めている超リッチな人物だけでした。彼らによって 1890 年に最初の選挙が行われ,次のような結果が出
ました。
-6-
付録②[バカでもわかる政治学]
[衆議院]
立憲自由党…130 議席
民党(反政府支持の政党)
立憲改進党…41 議席
大 成 会…79 議席
吏党(政府支持の政党)
そ の 他…50 議席
※総議席数は 300 議席
結果は,立憲自由党が 130 議席,立憲改進党が 41 議席を獲得しました。これら二つの政党は政府の政治に対し
て不満を持っている側の人間達であり,このような反政府支持の政党を民党と言います。それに対して大成会の
ような政府支持の政党を吏党と言います。
でも,この状態は非常にまずいんです。なぜか?反政府支持の政党(民党)の議席数が総議席 300 のうち 171 議
席(130 議席+41 議席)となるため,過半数を超えてしまっていますよね。反政府支持の政党が議会の議席の過半
数を占めてしまっているわけです。
ですから,内閣(政府)から予算案や法案が提出されても,国民に都合の悪い政策や法令であれば,この衆議院
で過半数を持つ民党(反政府支持の政党)によって否決されてしまうわけです。ちなみに,この後行われた初期議
会では,政府側と民党側の争いが繰り広げられていきます。こうした政府は法案・予算案を通したいけど,国会
で過半数を占める政党によってそれが否決されてしまうという押し問答みたいなものが展開されていくわけで
す。これが講義で扱っていく初期議会の争点になります。この後,議会がどの様に展開されていったかは講義を
お楽しみに。
推薦
天皇
宮内大臣(宮内省は宮中事務を担当)
内大臣(天皇の常侍輔弼)
宮中
府中
賛成が取れれば,
賛成が取れれば,
法案は通過
法案は通過
公選議員
皇族・華族・勅選議員
(選挙により選出)
高額納税者より選出
)
-7-
法案 の成立
総議席の過半数の
終了
[貴族院]
総議席の過半数の
審議
審議
[衆議院]
終了
提出
……大臣
……大臣
……大臣
……大臣
内 閣 政府
……大臣
法案
総理大臣
(
元老
付録③[バカでもわかる経済学]
[A]不換紙幣と兌換紙幣
(1) 貨幣
唐突な質問ですが,「あなたの持っている(持っていない人はごめんなさい)1 万円札は,本当に 1 万円もの価値
があると思いますか?」
いきなりこんな質問をされると少し戸惑うかもしれませんし,もしくは質問の意図もわからないといった場合
もあるかもしれません。君たちから言わせると,「何言ってんだ。1 万円は 1 万円じゃねえか。1 万円の価値があ
るに決まってるだろ」って話だと思います。
しかし,実際その答えはイエスでもあり,ノーでもあるんです。つまり,“1 万円札は 1 万円の価値があるとも
言えるし,1 万円の価値はないとも言える”んです。その理由は後述しますが,それを理解するためには“貨幣
とはどういうものなのか”を理解しないと納得することはできません。ですので,少し貨幣とはどういうものな
のかについて説明していきましょう。
(2) 兌換紙幣
人々が売買をするときに用いるもの,それが貨幣ですね。その貨幣というものにおいて,最も重要になってく
るのが“信用度”というものです。少し抽象的すぎるので具体的にお話しましょう。
古代においても貨幣の代わりとして用いられていたものがあります。それが米・布・絹です。例えば,何かし
らほしい品物があった場合,その品物に見合った分の米などを,代金の代わりとして支払うのです。例えば米 100
gで支払ったり,布・絹 1mで支払ったりして,その品物を購入するわけです。こういった米や布・絹などの物
品が貨幣としての機能を果たす場合,これを物品貨幣といいます。このように,古代においては米・布・絹など
が貨幣の代わりとして用いられていたわけですが,何故これらが貨幣の代わりの役割を果たすことができたので
しょうか?それは,こういった米や布・絹は誰もが必要とする物であり,それだけの価値があると考えられてい
ます。ですから,これらは貨幣として用いられるわけです。つまり,米や布・絹にはそれだけの“信用度”があ
るから,貨幣として用いることが出来るわけですね。
ところが,経済の流通が発達して取引が活発化してくると,たくさんの品物を売買するわけですから,それだ
け多くの貨幣が必要になってきます。そうすると品物をいっぱい購入したい場合には,たくさんの米・布・絹を
持ち運ばなければなりません。ですので,取引が活発化してくると,物品貨幣では持ち運びが不便になってしま
うわけです。
そこで,米・布・絹などのようにかさばらないで,なおかつそれらに代わるだけの“信用度”がある物質が貨
幣として用いられるようになります。それが金や銀を用いた金貨や銀貨です。ところが,この金貨や銀貨の場合
も問題を抱えることがあるんです。先ほど言ったように,取引が活発化してくると,それに対応した分の金や銀
を採掘しなければいけませんよね。ですので,金や銀がそれほど採掘できなければ,貨幣として機能するのは難
しいわけです(金や銀の採掘量が増えるのは戦国時代以降から。それゆえに,江戸時代初期にはそれに対応できる
だけの金や銀が採掘できたので,金貨や銀貨が発行された)。
こうして江戸時代には金貨や銀貨が用いられるようになっていったのですが,江戸中期以降になると,金や銀
の産出量が頭打ちになってしまい,あまり金や銀が産出できなくなってしまいました(なおかつ,この時期にはオ
ランダや中国との長崎貿易によって,日本から金や銀が大量に流出してしまった)。ですので,取引が活発になれ
ばなるほど,貨幣としての金や銀がたくさん必要になってくるのに,それがあまり採れない。そこで,登場した
のが紙幣や銀行券などの通貨なわけです。しかし,この通貨には 1 番の問題点があります。それが“信用度”で
す。例えば,新しく紙幣を発行するわけですが,そこには“1 両”と書いてあったとします。ところが,その“1
両”とは書いてありますが,実際にはただの紙切れにしか過ぎません。つまり,今まで“1 両”と書いてあった
小判には,ちゃんと素材自体に 1 両分の金が含まれているわけですから,それだけの価値があると判断できます。
しかし,新しく発行された紙幣には“1 両”と書いてあるものの,素材は所詮紙切れ。だから,どう考えても 1
両の価値があるとは思えませんよね。つまり,紙幣だと“信用度”がないわけです。
そこで,その紙幣に“信用度”を持たせるために,銀行に持っていけば,その紙幣と 1 両分の金貨や銀貨(金貨
や銀貨をまとめて正貨という)と兌換(無条件での交換のこと)できると約束してあげるのです。つまり,その 1
両紙幣は“1 両分の金貨 or 銀貨との引換券”だと思ってくれればわかりやすいですね。こうした金貨,又は銀貨
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付録③[バカでもわかる経済学]
と交換できる紙幣のことを兌換紙幣といいます。その際に,その紙幣が金貨と交換できる制度であれば,それを
金本位制といいます。それに対して,その紙幣が銀貨と交換できる制度であれば,それを銀本位制というわけで
す。ですので,先ほど正貨という言葉が出てきて,金貨 or 銀貨のことを言うと記しましたが,金本位制の場合の
正貨は金貨のことを指し,銀本位制の場合の正貨とは銀貨を指すことになります。
(3) 金本位制・銀本位制
そして,これら金本位制,もしくは銀本位制のような兌換制度のもとでは以下のような原則があります。
兌換制度の原則
①紙幣の発行量は,その国の正貨(金貨 or 銀貨)の保有量に制限される
②海外との貿易取引の決済は正貨(金貨 or 銀貨)で行われる
まず,①は少し考えてみれば当たり前の話です。その国が発行する紙幣は必ず正貨と交換できなければいけな
いわけですよね。だから,自分の国が持っている正貨の保有量よりも多くの紙幣を発行してしまったら,紙幣と
正貨が交換できることが嘘になってしまいます。ですので,自分の国の正貨保有量よりも多くの紙幣は発行して
はならないのです(兌換制度を採用している場合のみ)。
次に②。外国からしてみれば,日本でしか使われていない紙幣を貿易の際に手渡されても困りますよね(“円”
が現在のように国際的に信用されている場合は別ですが)。だから,貿易を行う際には,紙幣ではなく国際的に信
用度のある正貨(金貨 or 銀貨)で支払うわけです。
(4) 不換紙幣
さて,ここまで兌換紙幣のお話をしましたが,これを行うにはある条件があります。それは,その国が兌換で
きるだけの正貨(金貨 or 銀貨)を保有していなければいけないということです。だから,自国に正貨(金貨 or 銀貨)
が少ない場合や,あるいは貿易の輸入超過が続いて自国の正貨(金貨 or 銀貨)保有量が減少してしまった場合(先
ほど説明したように,外国との取引は正貨で支払わなければならない。ゆえに,輸入超過が続くと,その分だけ
正貨で支払わなければならないため,自国の正貨保有量が減少する),正貨との兌換ができなくなってしまいます。
そのような場合は,もはやしょうがありません。正貨(金貨 or 銀貨)と交換できない紙幣を発行せざるを得ません。
そのような正貨(金貨 or 銀貨)と交換できない紙幣のことを不換紙幣といいます。
さて,この正貨(金貨 or 銀貨)と交換できない紙幣を不換紙幣と呼ぶといいましたが,一つ疑問が残ります。今
まで物品貨幣の時にも,金貨や銀貨,そして兌換紙幣の時にも,これら貨幣において重要なのは“信用度”であ
ると再三再四述べてきました。しかし,不換紙幣の場合は,正貨(金貨 or 銀貨)と交換できないわけですから,何
が“信用度”の基準になってくるのでしょうか?
不換紙幣の場合は,その“信用度”は全て政府(または不換紙幣を発行する銀行)の政策にかかってくるのです。
…と,言ってもイマイチよくわからないと思うので具体的に説明しましょう。兌換紙幣は発行する紙幣の量が正
貨保有量に制限されますが,不換紙幣は兌換紙幣とは違い,国家の保有量にかかわらず紙幣を発行できます(正貨
の保有量に制限されないわけですから,紙幣の発行量に制限はありませんね)。ですから,不換紙幣をどれくらい
発行するかは,すべて政府がコントロールするのです。つまり,国内で行われる取引に見合った分だけの紙幣流
通量を,政府がバランスよく調整していくわけです。
だから,ちゃんと今現在の流通量に見合った分だけの紙幣が出回っているのであれば,不換紙幣であってもち
ゃんと信用されるわけです。しかし,不換紙幣の場合は,先ほども述べたように全ては政府が紙幣流通量をコン
トロールします。ですから,そのコントロールがうまくいかなくなってしまう場合もあります。例えば,以下の
ような場合ですね。
①国内での紙幣流通量が少なくなりすぎてしまった場合
②国内での紙幣流通量が多くなりすぎてしまった場合
-9-
付録③[バカでもわかる経済学]
まず,①のように国内での紙幣流通量が少なくなりすぎてしまった場合。この場合,国内に紙幣が出回ってい
ないわけですから,皆が紙幣をあまり持っていないという状態になりますね。ですから,紙幣に希少価値が出て
紙幣の価値は上がるようになります。そして,皆がお金を持っていないのであまり商品を買わなくなってしまう。
そこで,企業や店は品物の値段を下げて,商品が売れるようにします。このような物価安の経済状況をデフレー
ションといいます。
それに対して②のように国内での紙幣流通量が多くなりすぎてしまった場合。この場合は,国内に紙幣が出回
っているわけですから,皆が紙幣を多く持っているという状態になりますね。ですから,紙幣に希少価値がなく
なり,紙幣の価値は下がります。そして,皆がお金を持っているので,商品の値段を高くしないと割りにあわな
くなってしまいます。そこで,企業や店は品物の値段を上げるわけです。このような物価高の経済状況をインフ
レーションといいます。
こうしたように,政府の政策によって紙幣の価値は上がったりも下がったりもします。そうした値段が上がっ
たり下がったりするのは,全ては政府が紙幣流通量をコントロールすることにあります。ですから,不換紙幣の
“信用度”は,その政府の紙幣流通量の調整にかかってくるわけですね。
では,最初の質問にあった内容に話を戻します。現在の紙幣は不換紙幣です。ですので,紙幣流通量がほどよ
く政府よって調整されている状況であれば,1 万円札は 1 万円の価値がちゃんとあります。しかし,紙幣の流通
が多くなり,紙幣の価値が下がってしまったりすることもあります。ですから,最初の答えはイエスでもあり,
ノーでもあると述べたわけです。
- 10 -
付録④[バカでもわかる主義・思想]
[A]思想の大枠
(1) 主義・思想
君たちは「主義・思想」と聞いて,どんなものを想像しますか?おそらく「資本主義」「社会主義」「共産主義」
「民主主義」などが思い浮かぶところだと思います。でも,思想といったものは数を挙げればキリがないくらい
に存在するんです。今挙げたもの以外にも「国家主義」「全体主義」とか,はたまた「社会民主主義」や「国家社
会主義」なんて訳のわからないものまであったりするんです。
こうしたたくさんある思想を,逐一言われても頭がこんがらがってしまうと思いますので,まずは思想の基本
から理解していきましょう。その思想の基本となるものが以下の 4 つのものです。
思想の中心
①「資本主義」(経済的な考え)
②「社会主義」(経済的な考え)
③「民主主義」(政治的な考え)
④「国家主義」(政治的な考え)
4 つ挙げてみましたが,一見すると難しそうですよね。しかし,実はこの 4 つの思想は,①の「資本主義」と
②の「社会主義」を“経済的な考え方”,そして③の「民主主義」と④の「国家主義」を“政治的な考え”の 2
つに分けることができるんです。つまり,これらは,①と②の“経済的な考え方”と,③と④の“政治的な考え
方”の 2 つにそれぞれ分けて考えると理解しやすくなるんです。では,その違いを説明していきましょう。
(2) 思想の違い(経済的な考え方)
まずは“経済的な考え方”である①の「資本主義」と②の「社会主義」の違いを簡単に説明しましょう。背景
などの詳しい内容は[B]で後述しますが,ここでは 2 つの簡単な違いを説明します。
まずは,「資本主義」から説明していきますが,極端な言い方をすれば金持ちと貧乏人の差が出るのが「資本主
義」です。ひと昔前の日本では想像しにくいのですが,今の日本は格差社会が顕著ですよね。また,アメリカを
想像してくれればわかりやすいと思います。例えば,会社の社長さんみたいにいっぱい稼ぐ金持ちもいれば,一
般家庭のような一般 people,そして,スラム街などに住んでいる人のように,経済的に余裕のない貧乏な労働者
など,いろいろな階層がありますよね。こういった経済的に貧富の差が出るのが「資本主義」なんです。
ところが,この「資本主義」という中で生活するのに苦しい人たちがいますよね。そう,貧しい労働者たちで
す。金持ちの人たちは,豪華な生活を送っているのに,自分たちはその日の生活がままならない状況だったりす
る。確かに働かなかったらしょうがないかもしれませんが,一生懸命働いても一向に生活が上向かない場合は,
おもしろくないですよね。「何だよ…,何で自分たちはこんな生活苦しいんだよ。金持ちの奴等は楽な生活してる
のに…。どうせなら,みんな金持ちとかの差がない平等な社会になればいいのに…」と考えるようになる。それ
が「社会主義」です。つまり,“貧富の差が生まれる社会”である「資本主義」に対して,“金持ちも貧乏人もな
い平等な社会”という考え,それが「社会主義」なんです。こうしてみると,「資本主義」と「社会主義」の違い
が“経済的”な違いであるのがわかりますよね。
「資本主義」と「社会主義」は“経済的”な考え方の違い
「資本主義」…資本家は金持ち,労働者は貧乏など貧富の差が発生する社会
「社会主義」…資本家も労働者も貧富の差のない平等な社会
(3) 思想の違い(政治的な考え方)
これら「資本主義」と「社会主義」とは別に,③の「民主主義」と,④の「国家主義」という考え方がありま
す。これは先ほどの「資本主義」や「社会主義」とは,別の方向性にあるものです。先ほどの「資本主義」と「社
会主義」は“経済的”な考え方だと言いましたが,こちらの 2 つは“政治的”な考え方のものなんです。
簡単に「民主主義」と「国家主義」の違いを言うと,その国の政治が“国民の利益のために行われる”か,そ
れとも“国家の利益のために行われる”か,ということです。まず,「民主主義」というのは,前者にあたる “国
- 11 -
付録④[バカでもわかる主義・思想]
民が主権を持ち,国民のために政治が行われる”というものです。つまり,国民が第一優先にあると考えるもの,
これが「民主主義」なんです(「民主主義」に関する正しい知識に関しては[補足コラム]を参照)。
[補足コラム(「民主主義」)]
国民の意見を尊重するものが「民主主義」であるが,正確には少し異なる。国民の意見を尊重するというも
のの,すべての国民の意見を尊重することは不可能である。人それぞれには考え方に違いがあるため,全ての
国民の意見を反映することはできない。そこで,出来るだけ国民の意見を尊重するために「民主主義」で採用
されるものが“多数決の原理”である。一番多い意見を中心に行うことで,最も国民の意見を尊重すると考え
るのが「民主主義」なのである。それに対して,その“多数決の原理”によって,押し出されることになって
しまった個々の少数派の意見も尊重していこうとするものが「自由主義(個人の自由を尊重する)」や「個人主
義」である。
こういった国民の意見を尊重する「民主主義」に対して,国民ではなく“国家の権威と意思こそが絶対的”と
考えるものが「国家主義」なんです。つまり,国家を第一優先に考えるということですね。今説明したように,
この 2 つは国民を優先して政治が行われるのか,それとも国家を優先して政治が行われるのかという“政治的”
な違いになりますね。
「民主主義」と「国家主義」は“政治的”な考え方の違い
「民主主義」…国民が主権をもち,国民の利権を優先する
「国家主義」…国家の利益を優先する
(3) 思想のベクトル
以上の内容が,思想の中心となるものです。続いて,思想のベクトルというお話をしたいのですが,ここは少々
テクニカルな話になってくるのと,できれば紙面に残したくないので,講義において説明しようと思います。こ
の箇所に関しては飛ばして[B]の社会主義を読み進めてください。
- 12 -
付録④[バカでもわかる主義・思想]
[B]社会主義
(1) 資本主義の確立と社会主義の発生
「資本主義」という思想がいつ確立したかわかりますか?この「資本主義」という思想が確立したのはちょう
ど明治時代中期の産業革命が起こった時期と重なるんです。
今現在の日本も「資本主義」ですよね?「資本主義」というのは経営者(資本家)が利益を多く享受して,労働
者は資本家よりは少額の利益を享受するということ。ちょっと難しいことを言いましたけど,簡単なことです。
会社の社長さんは,会社を経営している経営者(資本家)です。だから,会社の社長さんは多くの給料をゲットで
きる。それに対して,君たちのお父さんお母さんは,その会社で働いている労働者になるわけです(親が会社の社
長の場合は除く)。そして,その労働に見合う金額として給料が手渡されるわけですね。でも,その場合の給料に
関しては,大部分が生活していける金額だし,特に文句は出ないと思います。これが今現在の資本主義が通用し
ている重要な点です。
ところが,それは現在のお話。少し明治の時代に遡ってみましょう。明治時代の日清戦争前後(1894 年前後)か
ら,日本にも産業革命というものが訪れました。今まで商品の生産というのは,人力で行うために大量の商品を
生産することはできませんでした。ところが,この産業革命のおかげで商品の生産は機械によって行われるよう
になり,大量の商品が生産できるようになったわけです。これが産業革命です。そのため,商品が売れに売れる
ようになって,生産が追いつかなくなる。…ということは,経営者(資本家)はめちゃめちゃ儲かりますよね。そ
こで,儲けるためにどうするか?労働者を低賃金で長時間労働させるんです。特に,当時のほとんどの工場では
一日 12 時間労働,それもひどいところでは一日 15 時間 or18 時間労働をさせていたんです。そんなの体が壊れち
ゃいますよね。しかも,その賃金がもっとひどい。それだけ働いて給料が何と今の額で言うところの 3000 円ぐら
い。「それだったら,そんな会社辞めちゃえばいいじゃないか!」って思いますよね。ところが,それが出来なか
ったんです。当時そういった工場で働いていたのは女工と呼ばれる農村出身の 12~15 歳ぐらいの若い少女たちで
した。なぜ彼女達がそこで働いていたかというと,農村じゃ生活できないから,やむなく家の生活費を稼ぐため
に,そして口減らし(生活費を減らすために,親が子供を奉公や養子に出すなどして,家族の人数を減らすこと)
により工場に働きに来ていたんです。だから,生活費を稼ぐためには,地元に帰ることもできず,工場を辞める
ことはできない。なおかつ,そこで病気になっちゃったりしたら,即クビ。それだけ大変な状況だったんです。
労働者としてはこんな状況耐えられないですよね。「何で自分たちはこんなに苦しい生活をしなきゃいけない
んだ。こんな不平等な世の中じゃなくて,資本家も労働者も貧富の差のない平等な社会になればいいのに…」っ
て考えるようになります。そう,それが「社会主義」という考えなんです。つまり,
「社会主義」の定義はこうい
うものです。“貧富や階級差のない皆が平等な社会を実現しようとする考え”,これが「社会主義」です。じゃあ,
「社会主義」の考えに立つと,資本家はどうなるんでしょうか?もちろん,皆平等な社会だから,会社の社長=
資本家なんていなくなります。「そうしたら,工場を経営する人がいなくなっちゃうじゃないか!」って思います
よね?だから,その工場は社長ではなく,政府が経営するようになるんです。つまり,会社は政府が運営する国
営工場となるわけです。そうすれば,その工場は国が営業することになり,今までは経営者がいっぱいもらって
いた給料を労働者に割り振ることが出来ますね。これによって,皆平等に賃金をもらえるという構図が出来上が
るわけです。
資本主義
社会主義
民営企業
政府
経営者
経営
労働者 労働者 労働者
経営
経営者(資本家)はなく
なり,政府が工場を経
営する国営工場となる
国営企業
労働者 労働者 労働者
では,簡単にまとめましょう。「資本主義」というものが生まれると,必ず経済的な格差(貧富の差)が生まれる。
そうすると,労働者側はそれに耐えかねて,皆平等の社会を望むようになる。それが「社会主義」です。つまり,
「資本主義」が生まれると,必ず貧しい労働者階級の人間たちから「社会主義」という考えが生まれるわけです
ね。
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付録④[バカでもわかる主義・思想]
(2) 社会主義の発達(国家社会主義・社会民主主義)
さて,これで「資本主義」と「社会主義」の違いはわかったと思います。では「社会主義」の話を続けていき
ましょう。こうして「社会主義」という思想が生まれたわけですけど,その背景にあるのは「資本主義」という
思想があったからでしたね。つまり,その国が「資本主義」の国家であるがために,「社会主義」という思想が生
まれたわけです。ということは当然,「社会主義」思想を実現するためには,今現在の「資本主義」という考えを
覆さなければいけない。じゃあ,どうやって,その「社会主義」を実現させればいいんでしょうか?それには以
下の 4 つの方法論があるんです。
「社会主義」を実現するための手段
①「国家社会主義」(国家主導による社会主義の実現)
②「社会民主主義」(民間多数による民主的な社会主義の実現)
③「共産主義」(民間多数による革命的な社会主義の実現)
④「無政府主義」(民間多数による革命的な社会主義の実現)
まず,①の「国家社会主義」。これは,“国家が自ら社会主義を実現する”というものです。普通の状態であれ
ば国家は「資本主義」のハズですね。それは何故かというと,その国を牛耳っている人間たちがリッチな人間(政
治家・資本家)であるからです。でも,そういうリッチな人間達が,自らその国を皆平等な社会主義にしようとす
るわけないですよね?だから,こんな考えはたとえ浮かんだとしても,絶対に実現不可能なわけです。ゆえに,
この「国家社会主義」というものは,ある条件を満たさない限り発生することのない思想なんです(具体的には[C]
の軍国主義の台頭のところで後述する)。
今説明したように,社会主義を実現しようと思ったとしても,国家(政府)が自ら社会主義にしようとする「国
家社会主義」が実現される可能性はゼロに近い。それだったら,政府ではなく“民間の人間が中心となって社会
主義を実現”していけばいいですよね。それが②の「社会民主主義」や,③の「共産主義」,④の「無政府主義」
という考え方なんです。つまり,違いを簡単にまとめると下のようになります。
国家(政府)が主体となって社会主義を実現する=「国家社会主義」
民間の人間が主体となって社会主義を実現する=「社会民主主義」・「共産主義」・「無政府主義」
こういった民間の人間が主体となって社会主義を実現する中で,まずは,②の「社会民主主義」から説明して
いきましょう。これはどういう考えかというと,“社会主義を民主的な方法によって実現しよう”という考え方で
す。…って言われても,よくわからないですよね。具体的に説明しましょう。
そもそも民主的な方法ってのがよくわからないと思うんですけど,普通に考えてみましょう。民主的な方法と
は,「民主主義」の“多数決の原則”で,自分たちの代表である国会議員を選ぶ選挙のことを指しています。つま
り,その選挙において,社会主義の人間に票をどんどん集めて国会議員に当選させていく。そして,それが巨大
になれば社会主義の人間で,議会の過半数の議席をとることが出来ますよね。議会の過半数の議席をとれば,そ
の議会の第一党となって政権を取って,その国を社会主義に変えていくことが出来ます。これならば,ちゃんと
憲法の条項を守ったまま民主的な方法で社会主義を実現することが出来ますよね。これが「社会民主主義」です。
だから,この考え方は穏健的なものであり,なおかつ合法的な方法で社会主義を実現しようとするものなんです。
「社会民主主義」とは,社会主義の考えを持った人間を国会議員に当選させて,
議会の過半数の議席を獲得することで,民主的に社会主義を実現しようとする思想
しかし,実はこの「社会民主主義」は非現実的なもので,実現できる可能性は低いんです。何故かというと,
この「社会民主主義」を実現するためには,そもそも社会主義者に投票するための選挙権が必要ですよね。とこ
ろが,この社会主義者自体が,実は選挙権を持っていなかったのです。付録③[バカでもわかる政治学]でも説
明したように,明治時代の頃は税金を 15 円以上納めているリッチな人しか選挙権を持てない制限選挙でした。で
すので,たとえ「社会民主主義」という民主主義に沿った人間がいっぱい居たとしても,彼らは貧乏な労働者ば
かりで選挙権を持っていないため,実現するのは難しかったんです。
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付録④[バカでもわかる主義・思想]
[補足コラム(普通選挙法)]
明治時代及び大正時代までは,この「社会民主主義」は実現性が低いため,そこまで流行らなかった。しか
し,加藤高明内閣の 1925 年,普通選挙法が施行され,選挙権の納税額が撤廃され,25 歳以上の男子なら誰で
も選挙に投票できるようになった。
そのため,「社会民主主義」思想を持つ人々は政党を結成するようになり,こうした労働者や農民を代表し
た無産政党(労働者や農民を代表した政党,つまり社会主義の考えをもった政党)がいくつか結成された。なお,
無産政党とは政党名ではなく,いくつか結成された社会主義政党の総称。
(3) 社会主義の発達(共産主義・無政府主義)
今説明したように,こういった「社会民主主義」のようなやり方では社会主義は実現できそうにないですね。
だから社会主義を実現するためには武力による“革命”しかない,…と考えるようになっていくんです。つまり,
革命(クーデター)を起こして,現在の国家(政権)を倒し社会主義を実現しようということです。こういった“革
命(クーデター)を起こすことによって,現在の政権(または王朝)をブッ倒して,社会主義の政府を成立させよう”
って考えるのが「共産主義」や「無政府主義」というものです。つまり,この「共産主義」も「無政府主義」も
社会主義の思想の中の 1 つなわけですね。
「共産主義」・「無政府主義」とは,社会主義の考えを持った人間が,
現在の政府を武力などの革命によって倒し社会主義を実現しようとする思想
でも,「そんな革命なんて起こすの無理に決まってる」と君たちは思うことでしょう。しかし,この「共産主義」
による革命が実際に起きた国があるんです。それが有名な 1917 年のロシア革命です。もともと,ロシアはロシア
帝国という皇帝が治めている国でした。ところが,1917 年レーニンの主導による武装蜂起によって,当時のロシ
ア皇帝ニコライ 2 世は皇帝を退位させられてしまったのです(その後殺害される)。これにより,ロシア帝国は滅
亡し,そのロシア帝国に代わってソヴィエト連邦という「社会主義」の国が出来上がったんです。これがロシア
革命です(詳しくは[補足コラム(ロシア革命)]を参照)。こういった武力による革命を起こして「社会主義」を
実現するのが「共産主義」なわけですね。
[補足コラム(ロシア革命)]
1613 年,ミハイル=ロマノフがツァーリ(ロシア皇帝のこと)に選出されたことによって,ロシアにおいて
ロマノフ王朝が誕生した。そして,このロマノフ以降続く王朝のことをロマノフ王朝と言う。
そのロマノフ王朝の最後の皇帝として有名なのがニコライ 2 世である。彼は専制的な政治を進めていき,
東アジアの中国や朝鮮へ積極的に進出していった。しかし,そのロシアの南下政策に日本は最も脅威を抱い
ていた。その結果,日本とロシアとの関係が悪化して起こったのが,1904 年の日露戦争である。この戦争は
激戦となったが,日本有利な情勢で進んでいった。しかし,ニコライ 2 世は戦争を継続しようとしたため,
これに民衆が反対し,1905 年 1 月 22 日の日曜日に広場に集まって,戦争の断念と皇帝の専制を抑えるため
の議会の開設を要求した。ところが,これに対しニコライ 2 世は軍隊を送り,3000 人近くを射殺してしまっ
た(これを血の日曜日事件という)。その結果,ニコライ 2 世は国民からの信頼を失い,国内で革命勢力が広
がっていくことになった。そのため,ニコライ二世も戦争の継続を断念し,1905 年ロシアは日本との間にポ
ーツマス条約という講和条約を結んだ。これにより,ロシアは東アジアへの進出を諦めることになる。
ロシアは東アジアへの進出が阻まれてしまったので,今度はその矛先をバルカン半島に転じる。ところが,
今度は西に進出しようとしたことによって,当時勢力を伸ばしていたドイツとかオーストリアと対立してし
まう(その当時ドイツは,勢力を急激な勢いで伸ばしていた)。そこで,ロシアはそのドイツの躍進に脅かさ
れていたイギリスと接近することで,対抗しようとした。ここに,ロシア・イギリスにフランスを加えた三
国協商と,ドイツ・オーストリアにイタリアを加えた三国同盟という対立関係が発生する。そして,1914 年
のサラエボ事件(オーストリア皇太子がサラエボの青年に殺害された事件)を契機に,三国協商 VS 三国同盟を
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付録④[バカでもわかる主義・思想]
中心とした第一次世界大戦が勃発することになる。
三国協商…ロシア・イギリス・フランス
三国同盟…ドイツ・オーストリア・イタリア(イタリアはのち三国協商に寝返り)
しかし,ロシアではこの戦争のため,国の財政は破綻してしまい,食糧も物資も足らなくなってしまった。
物が足らなければ当然,皆がその品物を求めるようになるわけだから,需要が増して品物の値段が高くなる
(こうした物価高のことをインフレーションという)。その結果,極度のインフレ(物価高)となり,ロシア国
内では皇帝に対する反対運動が高まっていった。そして,こうした運動の高まりに軍隊も同調して,ついに
ニコライ 2 世は皇帝の座を追われることになり,ソヴィエト連邦という国家が成立することになった(これが
3 月に起きたので,3 月革命と言う)。
これによって,今までのニコライ 2 世に代わってブルジョワジー(ブルジョワ階級の人間)中心の臨時政府
が出来上がった(つまり,この時点では皇帝によるロマノフ王朝は滅んだものの,その後に出来上がった臨時
政府はブルジョワジーと呼ばれる上層階級の人間中心の政府だったわけである)。それゆえ,このブルジョワ
ジー中心の臨時政府はブルジョワ階級本位の政策を進めたため,レーニンらボリシェヴィキ勢力(労働者を中
心とした勢力。つまり,ブルジョワジーとは対立的な関係にある)はついに 1917 年 11 月武装蜂起した。この
結果,武装蜂起は成功し,ブルジョワジー中心であった臨時政府に代わり,レーニンを議長とする新政府が
発足した。これを 11 月革命といい,3 月革命からの一連の流れをロシア革命という(こうした社会主義を実
現するために起こした革命を社会主義革命やプロレタリア革命という)。
しかし,その翌年に開かれた国会選挙で,ボリシェヴィキ勢力は反対勢力に敗れ第二党となってしまった。
そこで,レーニンはこういった国会の存在は政策遂行の妨害になるとして,国会を解散し,ボリシェヴィキ
をロシア共産党と改称した。これにより,ソヴィエト連邦は共産党による独裁体制が確立されたわけである
い。
こうして共産党によるソヴィエト連邦が出来たわけが,国民の代表であるわけだから当然国民の望む戦争
の中止を実行する。そこで,ソヴィエト連邦は第一次世界大戦中の最中に,他の国に何も報告ナシにドイツ
や,その同盟国と勝手に講和条約を結んでしまった。その講和条約をブレスト=リトフスク条約という。そ
して,その後,こうした共産主義を広めるために,コミンテルンという組織をつくって,各国で共産主義を
広める活動を行った。その結果,西ヨーロッパではドイツ・イタリア・フランスなどで共産党が成立し,ア
ジアでも 1921 年に中国共産党,1922 年に日本で日本共産党が結成されるようになる。そして,これら各国
の共産党はコミンテルンの統制下のもとに活動をしていったのである。
(4) 共産主義・無政府主義の 2 系統
[補足コラム(ロシア革命)]で説明したように,革命を起こして社会主義を実現するのが「共産主義」という
ものです。ただし,たとえ革命を起こして「社会主義」を実現したとしても,そのあと「社会主義」を継続して
いく必要がありますよね。実は,その革命によって「社会主義」を実現したあと,社会主義を維持していくため
の形態が 2 つあるんです。それが先ほどから説明した「共産主義」と,「無政府主義」の 2 つです。
「共産主義と無政府主義」
①「共産主義=マルクス・レーニン主義(ボルシェビズム)」
②「無政府主義(アナルコ・サンディカリズム)」
まずは①の「共産主義(ボルシェビズム)」から説明しましょう。これは,マルクスという人が提唱した理論で,
“人類の歴史は,階級社会が出来上がったことにより,資本家などの支配者側と,賃金労働者などの被支配者側
に分けられた。そして,賃金労働者が働いたことによって生まれた利益は,資本家がただで獲得している。
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付録④[バカでもわかる主義・思想]
つまり,そういった利益を資本家側が搾取しているのである。ゆえに,大工場の中で共に働いており団結力を強
めている労働者階級は,そういった搾取のない平等な社会を実現するために革命を起こす必要があるのだ。”とい
うものです。まぁ,要は“平等のためには貧乏人は革命を起こせ”ってことですね。そして,このマルクスが唱
えた理論を,レーニンが実行に移したのがロシア革命なわけです。ですので,この共産主義を,マルクスが確立
して,レーニンが発展させたというこで「マルクス主義」や「マルクス=レーニン主義」と呼ぶこともあります。
それに対して,②の「無政府主義(アナルコ=サンディカリズム)」というのは,その名の通り“政府などの政
治権力を排除して,労働組合が指導する社会の実現をめざす”ものです。つまり,国における国家権力(政府)も,
議会も,そして政党もいらないというわけです(“アナーキー(無秩序)”という言葉の派生語として,これを“ア
ナーキズム(無政府主義)”と呼ぶ)。でも,政府さえもいなくなったら,国をまとめていく存在がいなくなってし
まいますよね。そこで,労働者が皆で集まり,労働組合を結成して,そこで皆で話し合っていこうとするわけで
す。つまり,政府などの存在がないため,個人個人がそれぞれ独立して協調しあって生きていくというわけです
が,これは完全に理想論に過ぎませんよね(例えば,もし犯罪が起きたりしたら,警察などの国家権力もないため,
自分たちで自警団などを組織したりしなければいけなくなってしまいます)。ですので,この「無政府主義」は中
心人物であった大杉栄(さかえ)が甘粕事件で殺害されてしまった後は衰退してしまいます。
簡単にまとめると,①の「共産主義=マルクス・レーニン主義(ボルシェビズム)」も,②の「無政府主義(アナ
ルコ=サンディカリズム)」もどちらも,革命を起こすことには変わりはありません。しかし,その革命を起こし
た後,その国をまとめていく必要があります。「共産主義=マルクス・レーニン主義」の場合は,共産党が政府の
中心となって国の政治を動かしていく形をとっています。それに対して「無政府主義」の場合は,政府の存在も
必要なく労働組合が中心となっていくわけです。つまり,簡単に一言でいってしまえば,革命を起こした後に,
政府がそのまま存在するのが「共産主義=マルクス・レーニン主義」,政府自体存在しないものが「無政府主義」
ということになりますね。
マルクス主義
無政府主義
政府
政府
共産党
指導
国民(労働者)
労働組合
指導
国民(労働者)
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付録④[バカでもわかる主義・思想]
[C]軍国主義の台頭
(1) 国家社会主義の発生
昭和時代になると,新しく「国家社会主義」という思想が活発化していきます。実は,この「国家社会主義」
は[B]の(1)で既に一度出てきた語句で“国家自らが社会主義を実現する”ものだと説明しました。しかし,国
家を牛耳っているのは政治家や資本家などのトップの人間であるので,国家を牛耳る彼らが自ら,貧富の差のな
い社会主義を実現しようとするなど現実的にはあり得ないことです。だから,この思想はある条件を満たさない
限り発展することはないものだと既述したのです。そして,そのある条件というものが,この昭和時代に満たさ
れ「国家社会主義」が台頭してくるのです。では,その条件と,その条件が満たされるようになった背景を説明
していきましょう。
第一次世界大戦が終了するまでの日本は,好景気が続き活況でした。しかし,1920 年代になると,戦後恐慌(第
一次世界大戦終了の反動により 1920 年に起きた恐慌),震災恐慌(1923 年の関東大震災による恐慌),金融恐慌
(1927 年に起きた銀行をめぐる恐慌)といった相次ぐ恐慌のため,かつてない不況に陥っていました。例えば,農
村では餓死者が出たり,街中は失業者で溢れかえっているという状況だったのです。ところが,そういった惨状
にもかかわらず,政治家や資本家の生活は相変わらずリッチなものでした。しかも,本来はその不況をどうにか
克服するために尽力すべき政治家も,財閥などの資本家と癒着しているという有様だったのです。ビンボーで苦
しんでいる農村や労働者からすれば,ムカついてしょうがないですよね。そして,その中でも特に不満を抱いて
いたのが,陸・海軍の青年将校という若い幹部候補生たちでした。彼ら青年将校は農村出身者がほとんどだった
ので,自分たちの故郷の農村が不況で苦しんでいる…,父ちゃん・母ちゃんの故郷である農村が悲惨な状況にあ
る…,それにもかかわらず,未だにのさばっている政治家や財閥が許せなかったわけですね。
そういった中で「それなら,今の政治家とか財閥みたいな腐りきっている連中を排除して,国家を建て直そう
じゃないか」と考える北一輝(きたいっき)や大川周明といった人たちが出てきました。彼らは,今の政府の中枢
を担っている政党や財閥を排除して,天皇を中心とした社会主義を実現する「国家社会主義」というものを唱え
ました。これは「現在,国家を形成している勢力は政党(政治家)・官僚・財閥・軍部である。でも,政党(政治家)・
官僚・財閥は私利私欲に走り腐りきっている。こんな奴らに国を任せておくことはできない。国家権力の中で期
待できるのは軍部ぐらいだ。それなら,軍部によるクーデタを起こして,政党・官僚・財閥らを全員ブッ殺して
しまおう。そして,軍部が実権を握り,軍部から首相や大臣たちを任命し,軍部内閣をつくろう。その軍部内閣
が,天皇を中心として,国民みんなが平等な社会主義にしていけばいいんだ。」ということです。ですので,この
「国家社会主義」が受け入れられたのは,国家を変えていくための旗頭となる軍部だったわけです。そして,先
ほどの陸・海軍の青年将校たちに絶大な影響を与えたのです。
「国家社会主義」とは,国家の中枢にいる政党や資本家を排除し,
天皇を中心にした国に立て直し,平等な社会の実現をめざすもの
このように,「国家社会主義」とは,その名の通り「社会」主義を実現しようとするんですけど,それを「国家」
自ら実現させようとするものなんです。ただし,その「国家」自らが「社会」主義を実現させるためには,それ
に反対するであろう政党や官僚・財閥は排除しなければいけません。そして,彼ら政党や財閥を排除した上で,
軍部による国家のもと,社会主義を実現していくわけです。ゆえに,「国家社会主義」とは“政党や財閥を打破し,
天皇を中心に国を立て直し,平等な社会の実現をめざす”ものであるわけです。
つまり,「社会民主主義」や「共産主義」は政府に対抗していく,“外から社会主義を実現しようとする”もの
ですが,この「国家社会主義」は政治家や資本家などに牛耳られた国家を建て直して,軍部の人間によって“内
から社会主義を実現しよう”とするものなわけです。ですので,「国家社会主義」では,国家の中から変えていく
ということで,国家改造という言葉が頻繁に唱えられるようになるんです。
国家
天皇
政党
官僚
財閥
軍部
①クーデターで政党・官僚・財閥を排除
②天皇を中心とした社会主義を実現
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付録④[バカでもわかる主義・思想]
(2) 国家社会主義の実践
こういった「国家社会主義」が軍部の青年将校に浸透していく一方で,不況の方はまったく回復する気配はあ
りませんでした。それどころか,1929 年のアメリカのニューヨークウォール街の株価が大暴落したことで起きた
世界恐慌の影響により,もっと不況が深刻化してしまったのです。これを昭和恐慌といいます。
もうこれ以上耐えるのは不可能ですよね。青年将校の故郷である農村で自分たちの家族が餓死してしまうかも
しれない…。そういった状況から青年将校たちがついに動きます。まず,1930 年に橋本欣五郎中佐を中心として,
軍部の中に桜会という秘密結社を結成します。そして,その桜会を中心にクーデターを起こして,陸軍の宇垣一
成大将を首相にして軍部の独裁政権の樹立を計画しました。これが 3 月事件というものです。ところが,宇垣一
成は陸軍の中では穏健派の人物で「そんなことはやめるべきだ」と反対したため,これは失敗に終わります。そ
れでも,桜会の連中は諦めません。再び,今度は陸軍の荒木貞夫中将を首相にしようと計画します。これが 10
月事件です。しかし,これも未然に発覚してしまったため失敗に終わります。
こうしたクーデターは失敗に終わりましたが,これが後に実行に移されます。それが 1932 年に犬養毅首相が海
軍の青年将校に暗殺された 5・15 事件です。こうした事件から,政治家たちは軍部に文句を言えば殺されてしま
うかもしれないという恐怖感を抱くようになっていきます。それを逆手にとり軍部はますます発言力を強めてい
って,軍部が台頭していくんです。
(3) 全体主義(ファシズム)
ところが,その後軍部の暴走の結果,日本と中国の間に日中戦争(1937~1945)が起きてしまいます。戦争には
絶対に負けられないですよね。ですので,こういった戦争においては,個人や皆の意見よりも,国こそが最優先
になっていきます。この時点で,日本は[A]で述べた“国家を第一優先とする”「国家主義」へと固まっていく
わけです。だから,このような戦争の時期において,個人の考えとか主張といったものは全て抑えられるように
なっていきます。そりゃあ,国をあげて戦争をしているわけですから,「俺の意見はこうなんだよね」なんて言え
るわけないですよね。
ですので,「国家主義」へと固まっていくにもかかわらず,それらと異なる思想を主張する者(社会主義者・共
産主義者・民主主義者・自由主義者)は,邪魔者ですよね。そこで,彼らを捕まえて,獄中で拷問にかけたりして
思想を変えさせていったのです。こういった社会主義者や共産主義者などの思想を変えさせることを転向といい
ます。
つまり,この頃になると日本は「社会主義」や「共産主義」,はたまた「民主主義」や「自由主義」の人間の思
想を変えさせて,「国家主義」に集めていったわけです。こうした“全体(国家・民族)の絶対的優位のもとに,他
の集団も一つにまとめて,その方向性に一元化する思想”のことを「全体主義(ファシズム)」といいます。少し,
難しいことを言いましたが,要するに,“本来は個人個人でいろいろ持っているはずの思想を,すべて全体(国家)
の思想と同じものにまとめてしまう”というものです。つまり,国民の考えをすべて国家主義という一つの方向
にまとめてしまうわけですね。そのために,先にも述べたように,思想の違うものを拷問にかけて「国家主義」
に転向させていったわけです。そして,その国民は「国家主義」にまとまるわけですから,国という全体のため
に尽くさなければならないのです。ゆえに,このファシズムは「国家主義(国を第一優先に考える思想)」の極端
な考えということが出来ますね。
こういったファシズムの考えを持つようになった国が,日本と第二次世界大戦で共に戦ったドイツやイタリア
だったわけです(ファシズム国家である日独伊でしたが,そのパターンは少し異なります。日本の場合は思想の違
うものに対して転向を推し進めましたが,ドイツやイタリアの場合は,異なる思想の者は次々と弾圧して処刑し
ていきました。それが有名なドイツのナチスによる弾圧だったりします)。そして,そのドイツではナチス党が,
イタリアではファシスト党が他の政党を排除して,一国一党政治を行うようになりました。つまり,ドイツには
ナチス党以外の政党は存在していなくて,イタリアにもファシスト党以外の政党は存在しないわけです。つまり,
一国に一つの政党しかない,これが一国一党政治というものです。本来であれば,政党がいくつかあると,いく
つもの意見が出て国の意見はまとめにくいものがあります。しかし,こうした一国一党体制というのは,その他
の政党がないため,ナチス党だけ,もしくはファシスト党だけの意見で,国民の意見を統一しやすいんです。そ
こで,それにならって,日本でも 1940 年頃から一国一党体制をめざす新体制運動というのが始まっていきます。
その結果,1940 年に今までの政党が全て解散し,ここに日本の政党は消滅することになりました。そして,日本
には大政翼賛会という全国的な国民組織が誕生したのです。
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付録④[バカでもわかる主義・思想]
[D]社会主義思想のまとめ
ここまで「社会主義」の思想を紹介しましたが,4 つもの社会主義の系統が出てきてしまったので,最後にま
とめておきましょう。いま自分が「貧富の差が激しい資本主義」の真っ只中に生きていると仮定して,自分の思
想がどれにあたるか試していってみてください。
今の自分の生活は苦しい。もうこんな生活はまっぴら
だから,経済的な格差のない世の中になってほしい。
YES
あなたは「経済的な格差のない平等な社会」を望む
社会主義思想の持ち主のようです。下へ進みなさい。
NO
あなたは「経済的な格差が生まれる競争社会」を望む
資本主義思想の持ち主のようです。…空気読めよ。
「平等な社会」にするためには国家に頼るのではなく
国民が自ら行動を起こしていくしかないと思う。
YES
まだ 20 歳になっていない自分は選挙権を持っていな
いし,どうせ選挙で社会主義の政党に票を入れても,
選挙では社会主義政党は勝てないと思う。だから,今
の政府をブッ倒すためには貧乏人みんなで武器をと
って立ち上がるしかないと思う。
NO
あなたは「国家が主体となって社会主義を実現する」
国家社会主義思想の持ち主のようです。でも,今の
政府にそれは期待できないので,軍部がクーデタを起
こして政治家・財閥を排除して政権を握り,社会主義
を実現してくれるのを期待しましょう。
YES
ロシアでは「共産党」という組織が革命に成功したそ
うだが,革命に成功したとしても,その「共産党」に
国の政治を任せるのはイヤだ。というか,政府とか国
会,警察みたいな国家権力が全部ない方が面白いと思
う。
NO
あなたは「議会の過半数を社会主義者で埋め尽くし,
社会主義を実現する」穏健的な社会主義者,社会民
主主義思想の持ち主のようです。でも,まだ選挙権
がないので,選挙権がもらえるようになるまで辛抱し
て活動ください。
YES
あなたは「革命を起こして今の政府をブッ倒した後,
国家権力全ていらない」という過激な会主義者,無
政府主義思想の持ち主のようです。このリーダーで
ある大杉栄さんについて行くといいでしょう、この人
政府にどさくさ紛れに殺されちゃいますけどね。
NO
あなたは「革命を起こして今の政府をブッ倒した後,
共産党が国を治める」という過激な会主義者,共産
主義思想の持ち主のようです。見事に成功したロシ
アのコミンテルンという組織があるので,いろいろそ
の実践方法を聞いてみるといいでしょう。
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