森さん

第5回「ハンガリー旅の思い出」2008年コンテスト作品
C賞 森さんの作品
「地平線まで続く麦畑」
2008年5月、4人の仲間とルーマニアとの国境近くの町、ナジラクからキシュテレクまで歩く旅をした。私
たちは、ワンゲルOB会のメンバーで、ロンドンから東京までの約2万キロを、徒歩でつなごうという活動
を進めてきた。1996年にロンドン近郊のグリニッチ天文台から徒歩旅行をスタート、2007年秋に中国の
西安城、西門である安定門へトレースが届いた。
しかし、今回のハンガリー第4区間が未歩行だったため、気がかりとなっていた。
<歩行の旅・第1日目 ナギラク~マコ>
今回、歩行開始の基点となったマコは、中心部に数軒のレストランや商店が並びこじんまりした街だっ
た。しかし、ルーマニアの国境から繋がる43号線が中心部を通っているため、大型トラックの交通量は
多い。
早朝のマコ駅は入り口が閉まっており、脇の錆びた鉄の扉を開け構内に入った。一組の若い男女がい
たが、男はベンチに寝ていた。側線に停まった客車は一面に落書きされているし、本線も見て分かるく
らい線路がゆがんでいる。列車発着の時刻表示も無い。ホームに入ってきた人に聞くと、時刻どおりナ
ギラク行きの列車が来るようで少し安心した。
ナジラクの小さな集落を抜けて、ルーマニアとの国境
へ。日本の高速道路で見かける料金徴収所のような
ゲートがあった。その向こうにもルーマニア側の検問所
があるのだろうが、これまで国境ではろくなことが無かっ
たので、それ以上は近づかないこととした。
おりよく越境してきた若者に、我々の写真撮影を英語
で依頼する。これまで、私は1997年と1999年にハンガ
リーを単独旅行したが、田舎では英語がほとんど通じな
かった。民宿では、中学生の女の子が通訳してくれ助
かったことがあったが、10年間で英語事情はかなり変
わったように感じた。
空気は乾燥しており気持ちよい天気だ。4人1列で国道
沿いを歩くが、頻繁に来る大型トラックには要注意だ。荷
台の車輪は、片側に4つ以上並び日本のトラックの2倍は
長い。
突然、目の前に警察の車が停車し、日焼けした男からパ
スポートの提示を求められた。早速、ハンガリー語で書
かれた「歩行説明書」を見せる。
大体、国道沿いを歩いている人間は、「金が無く何かを
たくらんでいる怪しいやつ」と思われても当然なのだ。2
回目のハンガリー歩行で、キスケンフレチハザのペン
ションに泊まったときには、そこのマダムが宿代をタダに
してくれ、昼のパンも貰ってしまったほどだ。きっと貧しく
金もないと思われたのだろうと今でも思っている。
歩行説明書を見た警察官は、信じられないといった顔で両手を広げ、「車に気をつけて」の一言。折角
なので、「一緒に写真を撮らせてくれ」というと、「仕事中だから・・・」。
我々が警察の車を背景に写真を撮っていると、車から出てきて我々の後ろに登場し、「HPには掲載しな
いでくれよ」。
やがて国道の両側は、果てしない緑の麦畑になった。ところどころに見える木立の連なりは、国道に繋
がる横道だった。まだ穂の出ていない畑から、すでに色づき始めた畑まで、多少の濃淡はあるものの、
壮大な眺めである。しかも、ほとんど平らなのだ。北海道の畑もこの大平原の麦畑に比べたら、ちまちま
してしまう。農産物の国内需給率を議論するなら、この風景を見たうえですべきであろう。
夜は2軒あるレストランのもう一方へ足を運ぶ。時間が早
いせいか、客が誰もいない。ワインは若い娘が薦める
“セクサールド”にしたら、なんと巨大な1.5リットル瓶が出
てきた。これには一同にんまり、味も上々だった。料理
は、前夜の経験から2人前を4人でシアーすることとし、そ
れでも量的に満足した。
<歩行の旅・第2日目 マコ~ビラモシュザラシュ>
翌日は、2人づつ2組に分かれ歩くことにした。私ともう1人はホテルから歩き出しセゲドへ、残る2人はタ
クシーでセゲドの先まで先行し、セゲドに戻ってくることとした。
そのタクシーだが、前夜にホテルで聞いてもらうと、セゲドの先までで14000Ft。ディスカウントはしないと
のことだった。
セゲドへの先行組がバスで行く決心をして出て行こうとしたら、タクシーは7000Frで行くこととなった。弱
みを見せない交渉の成果だった。
タクシーで先行した2人は、私の3年先輩で両方とも69歳、山歩きも時々している。今日の私のパート
ナーは同期で、高校の元生物教師である。ルートは車の多い国道を離れ、ティサ河の右側の農道を行
くこととした。国道から離れ、民家の並ぶ道に入ると、赤いサクランボや紫色のプラムが実る並木になっ
た。人々の豊かさを感じる眺めである。
間もなく、左手にティサ河の作る柳やクルミからなる樹林帯、右手は果てしない麦畑という風景に変わっ
た。ガチョウの養鶏場に近づくと犬にほえられた。
日差しは強く汗がにじむが、日陰に入ると空気が乾燥しているため涼しい。休憩を入れ1時間、5kmの
ペースで歩く。連れは、珍しい草花を見つけると立ち止まり、鳥がいたといっては双眼鏡を出して、研究
に余念が無い。付合っていてはきりが無いので、私は一定スピードで進んでいると、後から走って追い
ついてくる。律儀な男である。学生時代からその律儀さはちっとも変わっていないのが可笑しい。
大型トラクターの横で作業をしている2人の大男に出会っ
た。「ヨーナポット、キバノック」と挨拶。ついでに「ソミヤッ
シュ」と言ったら、1リットルのペットボトルを手渡してくれ
た。10年前に憶えた、サバイバル単語が通じた。しかし、
折角くれたペットボトルはガス入りで、慣れない私たちに
はお荷物になってしまった。
暑さにへばりながら、やっと渡船場に到着。ティサ河の流れは100mほどの川幅だ。釣りをする男たちと
話しているうちに、対岸からフェリーがやってきた。
クラシックな服装でひげを蓄えた男に、「写真を撮ってもいいかと」聞いたが「No」。トルコや中央アジア
では、カメラを出すと率直に喜んで我勝ちに並んでくれたのとは大違いだ。
暑さに耐えながらやっと“ティサホテル”を探し当てる。通された部屋はクラシックな作りだが清潔で気持
ちよい。先輩2人組はすでに戻っていて、開催中のワイン祭りでご機嫌になっていた。
ワイン祭りの賑わいを見物に出かけると、橋の上は食べ
物や衣類、食器類などあらゆる店が並び大賑わいだっ
た。女性たちはほとんどが胸元まで開いたシャツで、胸
をゆさゆさしている。若い娘はへそ出しが多く、この国で
は太っていることが美人の条件のようだ。
結局、このティサホテルがハンガリー滞在中一番値段が
高く、約10,000Ft/人だった。
<歩行の旅・第3日目 ビラモシュザラシュ~キシュテレク>
3日目のセゲド駅。列車の出発時間が、インターネットで確認してきた時間と違う。うろうろしているうち
に、その普通列車は出発してしまった。仕方なく、特急列車でキシュテレクへ行き、荷物を預けそこから
ビラモシュザラシュへ歩くよう計画変更とした。
キシュテレク駅で荷物を預かってくれるよう、赤い帽子をかぶった駅長さんにお願いする。初めは難色を
示したが、例の「歩行説明書」を見せると、どこかへ電話し結局預かってくれることになった。
ビラモシュザラシュを目指し15km、緑の木陰に日差しを避けながらひたすら歩く。この間の国道は高速
道路と並行しているせいか、車が少ないのが助かる。途中で、父親と自転車に乗った息子が追いつい
てきて、父親が盛んにハンガリー語で何か話す。「家に寄って行け」と言っているようだった。身振り、手
振りと雰囲気から「家が貧しく子どもが多いので金を恵んでくれ」と言っているようだった。
途中のバス停で戻りのバスの時刻を確認したが分から
ず、結局、時間の分かっていた列車で戻ることとした。し
かし、そのためには歩行距離7kmに対し、1時間しかな
い。
これまでの何回かの歩行で、これほど必死で急いだこと
は無かった。汗が目にしみるのに耐え、やっと目的駅へ
10分前に到着、ところが無人駅で時刻表も無い。ここで
もまた、時刻どおり列車が来るのかどうかが気になった。
キシュテレクでは、たった一人の駅長さんがにこやかに
我々を迎えてくれた。駅長さんありがとう!
この旅行の締めは、ブタペストでのオペラ鑑賞とした。プチホテルの娘さんが取ってくれた席は中央前の
ほう。日本円にすると8000円に近い。そこでふと疑問が湧いた。我々の服装や履物は登山スタイルに近
く、「最上の席にどんな服装で行けばいいのかなあ?」。
ホテルの娘さんが我々4人の服装をチェック、その場では1人のみ合格、半そでシャツや半ズボン組は
不合格となった。
国立オペラ劇場は、格調の高いクラシックな建物で、一同多少緊張しながら入場。周りを見回すとおしゃ
れをした女性から、ノーネクタイの男性やジーンズ姿の男もいて、気楽になった。この日の公演は「ドン・
カルロ」で、ストーリ-は誰も知らない。入場案内からスペイン宮廷の話のようだと理解した。
舞台での言葉は全く分からす、登場人物の動作と服装
に見とれる。2幕目、宮廷の女官や役人、兵隊など100人
近い登場人物が勢ぞろいし、これがエンディングフィナー
レのようだった。ぞろぞろ出る人たちの後ろに続きホール
にでて、クロークへ。係の女性が不審そうな顔で我々の
荷物を出してくれた。案内を見直したところ、4幕まである
ではないか。
船上での夕食の誘惑に勝てずに、我々のオペラ鑑賞は
幕とした。
10年前のブタペストは、廃墟みたいなビルが多く誇りっぽい街だった。しかし、街は一新され、人々の顔
つきや服装も明るくなったように思う。これもEUへ加入した効果なのだろう。
10年前に予定路線だった高速道路はすでに完成し、大型トラックの通行も飛躍的に増大していた。た
だ、自由市場で購入したトカイワインは3倍の値段になっていた。
しかし、人々の優しい笑顔や親切な心は、前と変わっていない。同行の3人も、美味しい食事とワイン、
歴史と温かい人々との触れ合いに満足していた。
歩く旅は、人との触れ合いの旅でもあるのだ。
「歩行説明書」をハンガリー語に翻訳していただいた、茂木さんに感謝します。
補足
東京都立大学ワンダーフォーゲル部 OB会 ユーラシアを歩く会の活動は以下を参照してください。 http://www.tmuwvob.com/eurasia/neurasia.htm
2008年11月