2707 アイヌ(ウタリ)の歴史 津島人権学習講座 資料②

⑤
アイヌの原始・古代Ⅰ
オホーツク文化の遺跡は、北海道の北部や東部、サハリン南部、南千島にひろがっ
ています。これらの場所は、冬の1月から3月に流氷が流れつくところです。流氷
はたくさんの海獣や魚をもたらしてくれます。ですから、海のめぐみをとるオホー
ツクの人びとにとって、こうした場所がすむのによいところだったわけです。
オホーツク文化の遺跡の場所は、海岸の砂丘の上や海をみおろすところにあります。
6~13世紀頃、オホーツク海沿岸地域にアザラシやオット
セイ、クジラなど海獣狩猟業を生業とした人々の文化がオ
ホーツク文化です。また、ブタやイヌも飼育され、オオム
ギ、キビなどの種子も住居内から検出されています。巨大
な住居内には骨塚と称するクマなどの動物骨が残され、動
物儀礼(霊送り)が行われていました。
⑤ アイヌの原始・古代Ⅱ
7世紀頃から、土師器
の影響を受けて、縄目
模様をつけず、木片で
表面を整える土器が登
場しました。この土器
を擦文土器(さつもん
どき)と言います。
住居はサケ・マス漁が
行いやすい河口につく
られ、サケ・マス漁が
生活の中心となりまし
た。
⑥古代から中世のアイヌへⅠ
○阿倍比羅夫の遠征(7
世紀)津軽蝦夷・能代蝦
夷・渡嶋蝦夷 蝦夷=アイ
ヌではない。蝦夷とは大和
朝廷に従わない者を指して
いた。
○アテルイと坂上田村麻呂
との戦い(8世紀)
大墓公 阿弖利為
(たものきみ あてりい)
○俘囚の長
安倍氏・清原氏・奥州
藤原氏
○蝦夷(えみしからえぞ)
悪路王首像・胆沢城(鎮守府)
⑦コシャマイン(胡奢魔犬)の戦い
1457年、現在
の函館市付近で、
和人の鍛冶屋が、
アイヌ人の少年を
殺したことに始ま
る。渡島半島東部
の首領であったコ
シャマインらが蜂
起。渡島12館の
内10館を攻め亡
ぼした。翌年、武
田信広が、コシャ
マイン父子を弓で
射殺して鎮圧した。
武田信広は蛎崎
氏を継ぎ、後に
松前氏を名乗る
ようになった。
アイヌの人と和
人との交易に関
する対立が原因
⑧シャクシャインの戦いⅠ
全道のアイヌを率い、和人と戦った
アイヌ民族の英雄シャクシャイン。銅
像の建つ真歌公園は、そのシャクシャ
インが1669(寛文9)年、「寛文九年蝦
夷の戦い」で最後の砦とした場所。
蝦夷の戦いとは、交易時の不平等に
怒りを募らせたアイヌの首長シャク
シャインが、全道のアイヌに呼びかけ
一斉に蜂起した争い。一時は道南地方
(現・長万部町)まで攻め寄ったもの
の、松前藩の鉄砲隊に徐々に後退。最
期は和議の申し出という口実のもとに
謀殺され、砦も焼き払われたと伝えら
れている。(現新ひだか町)
⑧シャクシャインの戦いⅡ
松前藩は、アイヌが支配する
地域(蝦夷地)のあちこちに商
場(交易所)を設け、そこで交
易する権利を、家臣に知行(給
料)としてあたえていた。【商
場知行制】
シャクシャインは、ほかの地
域のアイヌにもよびかけて、1
669年、和人・松前藩との戦
いを始めた。2000人余りが
参加して、商船19せきをおそ
い、和人272人を殺した。幕
府の応援を受けた松前軍は、し
だいにシャクシャインを追いつ
めた。。