⑤ アイヌの原始・古代Ⅰ オホーツク文化の遺跡は、北海道の北部や東部、サハリン南部、南千島にひろがっ ています。これらの場所は、冬の1月から3月に流氷が流れつくところです。流氷 はたくさんの海獣や魚をもたらしてくれます。ですから、海のめぐみをとるオホー ツクの人びとにとって、こうした場所がすむのによいところだったわけです。 オホーツク文化の遺跡の場所は、海岸の砂丘の上や海をみおろすところにあります。 6~13世紀頃、オホーツク海沿岸地域にアザラシやオット セイ、クジラなど海獣狩猟業を生業とした人々の文化がオ ホーツク文化です。また、ブタやイヌも飼育され、オオム ギ、キビなどの種子も住居内から検出されています。巨大 な住居内には骨塚と称するクマなどの動物骨が残され、動 物儀礼(霊送り)が行われていました。 ⑤ アイヌの原始・古代Ⅱ 7世紀頃から、土師器 の影響を受けて、縄目 模様をつけず、木片で 表面を整える土器が登 場しました。この土器 を擦文土器(さつもん どき)と言います。 住居はサケ・マス漁が 行いやすい河口につく られ、サケ・マス漁が 生活の中心となりまし た。 ⑥古代から中世のアイヌへⅠ ○阿倍比羅夫の遠征(7 世紀)津軽蝦夷・能代蝦 夷・渡嶋蝦夷 蝦夷=アイ ヌではない。蝦夷とは大和 朝廷に従わない者を指して いた。 ○アテルイと坂上田村麻呂 との戦い(8世紀) 大墓公 阿弖利為 (たものきみ あてりい) ○俘囚の長 安倍氏・清原氏・奥州 藤原氏 ○蝦夷(えみしからえぞ) 悪路王首像・胆沢城(鎮守府) ⑦コシャマイン(胡奢魔犬)の戦い 1457年、現在 の函館市付近で、 和人の鍛冶屋が、 アイヌ人の少年を 殺したことに始ま る。渡島半島東部 の首領であったコ シャマインらが蜂 起。渡島12館の 内10館を攻め亡 ぼした。翌年、武 田信広が、コシャ マイン父子を弓で 射殺して鎮圧した。 武田信広は蛎崎 氏を継ぎ、後に 松前氏を名乗る ようになった。 アイヌの人と和 人との交易に関 する対立が原因 ⑧シャクシャインの戦いⅠ 全道のアイヌを率い、和人と戦った アイヌ民族の英雄シャクシャイン。銅 像の建つ真歌公園は、そのシャクシャ インが1669(寛文9)年、「寛文九年蝦 夷の戦い」で最後の砦とした場所。 蝦夷の戦いとは、交易時の不平等に 怒りを募らせたアイヌの首長シャク シャインが、全道のアイヌに呼びかけ 一斉に蜂起した争い。一時は道南地方 (現・長万部町)まで攻め寄ったもの の、松前藩の鉄砲隊に徐々に後退。最 期は和議の申し出という口実のもとに 謀殺され、砦も焼き払われたと伝えら れている。(現新ひだか町) ⑧シャクシャインの戦いⅡ 松前藩は、アイヌが支配する 地域(蝦夷地)のあちこちに商 場(交易所)を設け、そこで交 易する権利を、家臣に知行(給 料)としてあたえていた。【商 場知行制】 シャクシャインは、ほかの地 域のアイヌにもよびかけて、1 669年、和人・松前藩との戦 いを始めた。2000人余りが 参加して、商船19せきをおそ い、和人272人を殺した。幕 府の応援を受けた松前軍は、し だいにシャクシャインを追いつ めた。。
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