の詩人の童話における代表作である。 戦後の混乱した 世相の中から

ラ イ ウ リー
いう こと ば に象 徴 さ れ て 読 者 の感 動 を 誘 う 。 詩 人 の 戦
て 巣 立 って い く こ の 一編 の童 話 は 、 ﹁ア ・キ ラ キ ラ ﹂ と
世 相 の中 か ら 、 子 ど も た ち が未 来 への 光 明 を 見 いだ し
の詩 人 の 童 話 に お け る 代 表 作 で あ る 。 戦 後 の混 乱 し た
け る。 で な け れ ば 彼 は 複 眼 の感 光 板 を も って ゐ る ら し
て ﹁彼 の 視 角 は 一で は な い。 二 方 に も 三 方 にも 眼 を 向
編 ま れ て いる 。 序 で 白 秋 は 與 田 凖 一の詩 的 感 性 を 評 し
そ の 他 に発 表 し た 昭 和 六 年 ま で の作 品 八 一編 を も って
から 捉え られ た絵 画性 と音楽 性、 暗 示と象 徴性 は、 與
露 さ れ て い る の が特 徴 的 と いえ る 。 ま た 感 性 の奥 深 く
育 ・児 童 文 学 研 究 家 。 大 阪 生 ま れ 。 大 阪 学 芸 大 学 卒 業
ネ
後 、 大 阪 で 小 学 校 教 員 と し て文 学 教 育 ・読 書 指 導 の 実
萬 屋 秀 雄 は欝 や 一九 三 五 ∼ (
昭 10 ∼
大系27﹄
ほる ぷ出版 )
(
吉田定 =
後 の 出 発 を 飾 る に ふ さ わ し い 秀 作 で あ った 。 ど の童 話
田 文 学 に み ら れ る 表 現 の 特 色 で あ る 。六 七 年 、﹃与 田 凖
践 研 究 、 児 童 文 学 の評 論 研 究 に 取 り 組 む 。 一九 七 六 年
︻
参 考文献︼吉田定 一 ﹁
與 田凖 一解説﹂(一九 七八 ﹃
日本児童文学
一全 集 ﹄ が 刊 行 さ れ 、 全 六 巻 を も って 完 結 、 サ ン ケ イ
よ り鳥取大 学 に移 り、 教育 学部 教 授。 主著 に ﹃
文学 教
い﹂ と の べ て いる の は 興 味 深 い。
児 童 出 版 文 化 賞 大 賞 を 受 け た 。 こ れ ま で の 童 謡 ・詩 ・
にも 詩的 発想 を深く 内在 さ せて、 豊 かな詩 的精 神を 流
童 話 の主 要 作 品 が 網 羅 さ れ て お り 、 與 田文 学 の 全 容 を
﹃
幼 児 の世界 と童 話﹄ (
八 〇 )な ど 。 (
上田信道)
育 の 実 践 ﹄(一九 七 四 )、 ﹃現 代 児 童 文 学 の展 開 ﹄(七六 )、
) 文学 教
一)、 ﹃
童 謡覚 書﹄(
四三 )、 ﹃詩 と 童 話 に つ い て ﹄(七六 )、
一九 三一
二∼
カ イ ロ生 ま れ の イ ギ リ ス 人 作 家 。 児 童 文 学 の創 作 の ほ
ラ イ ヴ リ ー ペネ ロピ 勺Φコ巴oOΦピ凶
くΦξ
ラ
知 る こと が で き る。 ま た 評 論 集 に ﹃子 供 への構 想 ﹄(四
ま た 長 男 の言 語 記 録 を 主 に し た ﹃幼 児 の言 葉 ﹄ (四三 )、
エ ッセ イ 集 に ﹃赤 い鳥 ・
青 い鳥 ﹄ (
八 〇 )があ る 。 全 集 第
五 巻 のあ と が き に ﹁芸 術 二 王 (
白 秋 と 三重 吉 )に 仕 え る 幸
運 を え ﹂ た と 記 し て あ る よ う に、 與 田 凖 一は 近 代 児 童
文 学 が 生 み 落 と し た 最 も 正 統 的 な 嫡 出 子 で あ った と い
えよ う。
ホ ホ
[
旗 ・蜂 ・雲 ] 劔硫.はち. 與 田 凖 一の 第 一童 謡 集 。 一九
ホ ホ ネ
三 三 年 、 ア ル ス刊 。挿 画 恩 地 孝 四 郎 、棟 方 志 功 。序 文 、
北 原 白 秋 。 二 五 年 六 月 の ﹁赤 い 鳥 ﹂で 始 め て 活 字 に な っ
ホ た 童 謡 か ら ﹁近 代 風 景 ﹂ ﹁コ ド モ ノ ク ニ﹂ ﹁チ チ ノ キ ﹂
Ⓒ1988 日本児童文学学会
ラ イ トソ ン
ユー モ ア あ ふ れ る ﹃ト ー マ ス ・ケ ンプ の幽 霊 ﹄ (一九 七
∼ ソ ビ エト の エ ス ト ニア 共 和 国 の、 代 表 的 児 童 文 学
ラ ウ ド エノ ・M ωぎ ζ 9冨 臣 畠 籌 ℃9着 一九 二八
﹃
時間の
童 話 ﹃§
ミ奪 ミ ミqoミ§ 春 ﹃ ミぎ Q
§ ζ
o魯 マ フと
作 家 。 愉 快 な 三 人 の小 人 の 冒 険 を 描 いた 三 部 作 の 長 編
か 、評 論 や 大 人 の 小 説 の執 筆 な ど 活 躍 は 多 岐 に わ た る 。
ノ ー ラ ム ・ガ ー デ ン の 館 ﹄ (
七 四 )や
三 )で カ ー ネ ギ ー 賞 を 受 賞 。 ﹃搴 鳴 き ミ怨 き >C§ §
や ぶ れ 靴 と も じ やも じ ゃ ひ げ ﹄ で、 ア ンデ ル セ ン賞 の
曾 § 謹
ぬ いめ ﹄(
七 六)な ど 、現 在 と 過 去 の か か わ り を モチ ー フ
ンタ ジ ー にあ ふ れ 幅 広 い人 気 を も つ。 ﹃ O馬
霆 蓬 象華
オ ナ ー リ ス ト に (一九七 四 )。作 品 は ロ マ ン と 冒 険 、フ ァ
(
早川敦子)
の話 。 自 伝 的 作 品 ﹃O Oさ 偽Q亀ミ§ 器 美 6
ミ § 09 暗 く
、§ 惷 孤 島 の灯 ﹄ (七 七 ) は 五 人 の少 年 の無 人 島 漂 流
マを 展 開 し て い る。 に し て 、 生 き る こ と の意 味 を 探 る と いう 一貫 し た テ ー
二 一∼ オ ー スト ラ リ ア の 女 流 児 童 文 学 作 家 。 教 育 雑
ラ イ ト ソ ン バ ト リ シ ア 勺讐 ﹁μ
o冨 亳 ﹃凶
σq算 ωoコ 一九
作 の 一つ ﹃ぼく は レ ー ス場 の持 主 だ ! ﹄(
六 八 )で も 知 恵
を 通 し て 、 現 代 社 会 を ユー モ ラ ス に 描 い て いる 。 代 表
姿 を 描 き 、 ﹃惑 星 か ら き た 少 年 ﹄(
六 五 )で は 宇 宙 人 の 目
で は 白 人 の 少 年 が 原 住 民 の文 化 、 伝 統 に 目 覚 め て いく
(
五 八 )を 発 表 。 ﹃寒 Q肉象 雰 9 き §塁 蜜 の 岩 ﹄ (
六〇)
ラ ブ ﹄(一九五 五 )、﹃搴 鳴切ミ塁 骨 き 貯 バ ニ ャ ップ の穴 ﹄
舎 の子 ど も た ち を 描 い た ﹃搴 鳴Gさ 簿 ミ ⑦謹 譜
話 劇 ﹃宝 船 ﹄(六一
二年 邦訳 上 演 )な ど を 書 く 。 代 表 作 は ﹃
四
る 。 パ リ な ど 旅 を し て 帰 国 途 中 シ ンガ ポ ー ル で 中 学 教
シヤオポリ
員 と な り 、 児 童 文 学 ﹃ニー ハオ ! 小 坡 ﹄(一九 三 四)、 童
校 長 な ど 教 職 に つく 。 ロ ンド ン に留 学 し 創 作 を は じ め
老 舎 雰 一八 九 八 ∼ 一九 六 八 中 国 の作 家 。 本
シュ
ウチンチュン
名 舒 慶 春 。北 京 に 生 ま れ 、北 京 市 立 師 範 卒 業 後 、小 学
羅 英 筋いー ←
第 一位 に 入 った 。 (
服部素子)
な った ま ち の灯 ﹄ (
六 七 )は 全 ソ 児 童 文 学 コ ン ク ー ル の
遅 れ の 少 年 の目 か ら 見 た 現 実 を 追 求 し て い る 。 評 価 の
世 同 堂 ﹄三 部 作 (
四五 ∼五 〇)。 ほ か に ﹃ち ゃお つう ゆ え ﹄
ルオトウオシアンズ
(
二 七)、 ﹃
駱 駝 祥 子 ﹄(四 一)、 ﹃う ん し ゅ い こ う ﹄(
五 一)
誌 ﹁ス ク ー ル ・マガ ジ ン﹂ の 編 集 に 携 わ り な が ら 、 田
高 い﹃
星 に 叫 ぶ 岩 ナ ルガ ン﹄(
七 三 )は 原 住 民 の 伝 説 上 の
な ど 。 ユー モ ア 作 家 と し て 知 ら れ た 。
(
水上平吉)
ウ ェー 国 境 に 近 い ヴ ァ ル ム ラ ンド 地 方 で 生 ま れ 、 高 等
ル イ ン
ス ト ラ リ ア の フ ァ ンタ ジ ー を 確 立 し た 。﹃
氷 の 覇 者 ﹄(
七
精 と 岩 の怪 物 を 現 代 オ ー ス ト ラ リ ア に 登 場 さ せ 、 オ ー
∼ 一九 四 〇 スウ ェー デ ン の 作 家 、児 童 文 学 作 家 。ノ ル
ラ ー ゲ ル レ ー ヴ セ ル マ ωΦ巨 o い9σqΦ二αh 一八 五 八
ヘビ ク
七)、 ﹃
水 の 誘 い﹄ (
七 九)、 ﹃
風 の勇 士 ﹄ (
八 一)は 原 住 民
フ ァ ンタ ジ ー であ る 。 (
牟田 おりえ)
の 青 年 を 主 人 公 に 、成 長 、愛 、死 を テ ー マ に し た ハイ ・
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タ
ラ
て い る。 当 時 の 進 歩 的 女 性 解 放 論 的 潮 流 と は 一線 を 引
童 文 学 が 文 学 界 で 市 民 権 を 得 る よ う に な った と い わ れ
朴 な 人 間 性 と 善 良 さ の中 で 描 か れ 、 こ れ に よ っ て、 児
六 )は 、ス ウ ェー デ ン の北 か ら 南 ま で の 自 然 と 生 活 が 素
い る 。 世 界 的 に 有 名 な ﹃ニ ル ス の 不 思 議 な 旅 ﹄ (一九 〇
に 身 を 持 ち 崩 し た 主 人 公 のも と 牧 師 を 通 し て描 か れ て
世 末 の ヴ ァ ル ム ラ ンド 地 方 の 生 活 と 風 習 が 、 酒 と 情 熱
舞 台 。 ﹃ユ スタ ベー リ ン グ の伝 説 ﹄ (一入九 一)に は 、 中
を 独 身 で 過 ご し た 彼 女 の 作 品 の大 部 分 は 、 こ の故 郷 が
師 範 学 校 を 女 性 で は 最 初 に 卒 業 し 教 師 と な った 。 生 涯
ル ヘ ン の先 駆 を 成 す 。
(
谷本誠剛)
ンを 励 ま し て 書 か せ た 作 と い わ れ 、 イ ギ リ ス の創 作 メ
な った エ フ ィー が 一二 歳 の時 、 憂 う つ症 に病 む ラ ス キ
利・
王義 批 判 を 織 り 込 む 。 のち 、 ラ ス キ ン の最 初 の 妻 と
的 な 作 品 展 開 の中 に 美 と 愛 と いう テ ー マと 、 時 代 の功
作品に ﹃
黄 金 の 川 の 王 さ ま ﹄(一八 五 一)は 、 グ リ ム 民 話
ナ ウ ェー を 応 援 し た こ と で 知 ら れ る 。 唯 一の 児 童 文 学
イ ギ リ ス 一九 世 紀 の 代 表 的 な 批 評 家 。 絵 画 論 な ど の ほ
か に 、社 会 ・
王義 的 な 評 論 も 多 い 。と く に絵 本 作 家 グ リ ー
ラ ス キ ン ジ ョ ン }oぎ 閑昜 竃昌 一八 一九 ∼ 一九〇 〇
な ど が あ る 。 (
安藤美紀夫)
き 、 ロ マネ ス ク で感 傷 的 、 夢 想 的 な 人 間 の存 在 や 自 然
ェ コ ス ロ バ キ ア の画 家 、 イ ラ スト レー タ ー 。 民 話 や わ
ラ ダ ヨ ゼ フ }oω
駄 い鋤α餌 一八八 七 ∼ 一九 五 七 チ
向 け の 童 話 を 書 いた 。 ま た 長 い間 風 刺 画 家 と し て も 貢
へ の愛 を 語 る も の が 多 い。 一九 〇 九 年 ノ ー ベ ル文 学 賞
﹃
トミ ミさ §馥 譜 ミ リ リ イ ェク ロー ナ 家
﹄ (= )な ど
が あ る。 (
柳 沢重也)
し い靴 屋 の家 に 生 ま れ 、 一九 〇 一年 に室 内 装 飾 を 学 ぶ
献 し て い る 。 プ ラ ハ近 郊 の フ ル シ ツ ェと いう 農 村 の貧
ド ビ リ ア ン、 ミ ュー ジ カ ル の歌 手 、映 画 俳 優 、映 画 ﹃外
絵 にも 興味 を も ち 、〇 四 年 に は じ め て雑 誌 に線 画 が
た め に プ ラ ハに 出 た が 、 そ の後 製 本 術 に 変 更 。 同 時 に
ら べ唄 、 詩 な ど の挿 絵 を 多 く 手 が け 、 自 分 で も 子 ど も
ラ シ ェ ル レ ナ ー ト 幻窪 簿 o幻霧 o色 一九 二 二 ∼
を 受 賞 。 潯 ミ 器智§﹄ ∼吋 エ ル サ レ ム ﹄ (
〇 一∼ 〇 二)、
イ タ リ ア の 俳 優 、児 童 文 学 作 家 。ト リ ノ で 生 ま れ 、ボ ー
い 関 心 を 示 し 、 一九 五 八 年 に 最 初 の作 品 ﹃ち び く ろ お
套 ﹄ の 演 出 な ど を 手 が け る と 同 時 に 、 児童 文 学 に も 深
の 画 家 の中 で も 独 特 な も の で、 チ ェ コ の農 村 や 生 活 や
載 った 。 は っき り し た 線 で 輪 郭 を と った 画 風 は チ ェ コ
﹃私 の A B C ﹄(一九 一 一)で 、 そ の後 ﹃黒 ね こ ミ ケ シ ュ
風 俗 を ユー モ ラ ス に 描 い た 。 子 ど も 向 け の最 初 の 本 は
じ さ ん ﹄ を 出 版 し た 。 こ の煙 突 掃 除 夫 を 主 人 公 に し た
ユー モ ラ ス な ク リ ス マ ス 物 語 は 、 子 ど も た ち の 人 気 を
の ぼ う け ん ﹄(
三 四 )で 成 功 を 収 め た 。こ の童 話 に は 農 村
博 した。 ほか に ﹃
沁§ ミ§ ◎ §§ § ミ ミ § ミ§ 詩亀 レ
ナ テ ィ ー ノ さ ん は 、 日 曜 日 に は 飛 び ま せん ﹄(一九 六 〇)
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ラチ ヨフ
の 生 活 の 知 恵 や 子 ど も の こ ろ の 思 い出 が 描 か れ て い
∼ 一九 三 九 イ ギ リ ス の挿 絵 画 家 。 ロ ンド ン に 生 ま れ
に 携 わ る が 、 そ の後 、 本 の挿 絵 の分 野 で そ の本 領 を 発
る。虚 弱体 質 のた め学校 を中 退、 友人 とオ ー スト ラリ
揮し た。 長年 独習 で研鑽 を積 ん でき た線画 を基 本 に、
ア 周 遊 旅 行 の の ち 、ロ ン ド ン の火 災 保 険 会 社 に 勤 め る 。
国籌 ℃碧 9 一九 〇 六 ∼ ソ ビ エ ト の 絵 本 画 家 。 動 物 を
当 時 の最 新 技 術 で あ った 多 色 刷 り の技 法 を 駆 使 し て の
る。 そ のほ かにも ﹃
き つね も の が た り ﹄(
三 七 )な ど が あ
描 か せ た ら 当 代 一流 。 と く に 民 族 衣 裳 を 着 た 動 物 た ち
制 作 が は じ ま る 。 で き あ が った 作 品 は 、 いず れ も 豪 華
仕 事 の か た わ ら 、 ラ ン ベ ス、 ス レイ ド 両 美 術 学 校 で 絵
の絵 で 知 ら れ て いる 。 ロ シ ア 共 和 国 のト ム ス ク 市 の出
本 と な り 、 手 に 入 れ ら れ る 人 の 制 限 は あ った が 、 収 集
る 。 ハシ ェク の ﹃兵 士 シ ュヴ ェイ ク の冒 険 ﹄(二 一)の 挿
身 。 十 月 大 革 命 後 間 も な い 一九 二 〇 年 代 初 め か ら 絵 を
絵 は 世 界 的 に 有 名 。四 七 年 国 民 芸 術 家 の称 号 を 受 け た 。
学 び、 三 〇年キ エフの出版 所 クリト ゥーラ の美術 部 に
家 の 目 も 惹 き つ け る み ご と な 本 と な った 。 代 表 的 な 作
品 と し て は 、 バ リ ー の ﹃ケ ン ジ ント ン公 園 の ピ ー タ ー ・
パ ン﹄(一九 〇 六 )、﹃グ リ ム童 話 集 ﹄(一九 〇 〇 )、ア ー ヴ ィ
ホ
ン グ の ﹃リ ップ ・ヴ ァ ン ・ウ イ ン ク ル﹄ (
〇 五)、 グ レ ー
タ i ・バ ジ ェ ット ﹂ の ス タ ッ フ に 加 わ り 、 挿 絵 の 仕 事
入る。 三 〇年代後 半 から モ スク ワの児童 図書 出版 所 に
ア ム の ﹃た の し い川 べ﹄ (
四 〇)へ の挿 絵 が あ る 。
画 の基 本 勉 強 を 続 け る 。 や が て雑 誌 ﹁ウ ェ スト ミ ン ス
バ シ ュキ ュー ル民 話 集 ﹄ (一九 四 七)、 ﹃寺 9§ 馬ら
春契ミ
ホ
ロ シ ア 民 話 集 ﹄ (六 〇)、 ク ル イ ロー フ の ﹃黥 § 寵寓 話 ﹄
(
保 川亜矢子)
(
六五 )な ど 次 々 と 大 作 を 発 表 す る 。 ラ チ ョ フ の 絵 の 最
ラ チ ョ フ エウ ゲ ー ニー ・M 団胃 窪 愚 ζ 戔 愚 き -
大 の魅 力 と 特 長 は 民 族 衣 裳 を つけ た 動 物 た ち だ が ﹁た
会 ﹂ が 結 成 さ れ 、 一九 五 七 年 (昭和 32)六 月 に 創 刊 さ れ
(
中野節子)
ホ
ら ・て ・れ 童 謡 雑 誌 。 都 築 益 世 を 中 心 に ﹁ら て れ の
﹃黥 ミ零§ 奚 龕 奚§ さ
だ 装 飾 的 に 美 し く 見 せ る た め で は な く 、 そ の動 物 の 中
て ・れ ﹄。 童 謡 は 、文 学 と し て は 詩 を 、形 態 に は 音 楽 を ﹂
た 。 ﹁ラ ジ オ の ら 、 テ レ ビ の て 、 レ コ ー ド の れ 、 ﹃ら ・
移 り 精 力 的 に制 作 に 励 み 、 戦 後
で民 族性 を 強調し動 物 が表現 しよ う とし て いる人間 的
性 格 を 強 調 す る た め ﹂ と いう 彼 の 意 図 は み ご と に 生 か
三 号 を も って 終 刊 。 創 立 同 人 に は勢 〆信 義 、 高 田 三 九
ホ
ホ
三 、 安 藤 徇 之 介 、 青 戸 か いち 、 羽曽 部 忠 、 武 鹿 悦 子 ら
と 創 刊 号 の 巻 頭 に う た わ れ て い る。六 四 年 (
昭 39 )、第 三
され て いる。 ラチ ョフの絵本 は 日本 でも かなり 紹介 さ
(
内 田莉 莎子)
れ て い る が ウ ク ラ イ ナ 民 話 ﹃て ぶ く ろ ﹄(五 一)が 最 も 知
ら れ て いる 。 ラ ツカ ム ア ー サ ー ﹀誹げ霞 力餌o評ゴ鋤ヨ 一八 六 七
Ⓒ1988 日本児童文学学会
ラム キ ヨ ウ タ
}Φ穹 αΦピ9
。閃oコ・
が 同 人 に参 加 。 ﹃ら て れ 代 表 作 品 選 集 ﹄が 会 か ら 出 版 さ
二 〇 名 。 のち に 小 春 久 一郎 、 神 沢 利 子 ら ほ か 三 〇 余 名
の悪 だ く み に遭 い 一四 年 間 森 に 追 放 さ れ る 。 ラ ン カ ー
ラ 国 ダ シ ュラ 王 の嫡 男 ラ ー マ は 王 位 継 承 の前 日 、 義 母
そ の書 物 は ヒ ンド ゥi 教 の 聖 典 に な って いる 。 コー サ
さ れ た も の で ラ ー マ信 仰 の宗 教 性 が 加 味 さ れ て お り 、
ジ ャ ン ・ド
れ て いる 。 (
吉 田定 一)
わ れ た ラ ー マが 、 ハヌ マ ン な ど 猿 軍 の救 援 で 激 戦 の 末
島 (ス リ ラ ンカ )の魔 王 ラ ー ヴ ァ ナ に 妻 の シ ー タ 妃 を 奪
ラ ・フ ォ ン テ ー ヌ
ニ ュ州 シ ャト ー チ エリ に 生 ま れ 、 父 親 と 同 じ 治 水 営 林
即 位 す る 物 語 。 イ ンド 人 の 理 想 像 と し て 敬 愛 さ れ 現 在
魔 王 を 殺 し 、 シ ー タ を 救 出 し て 凱 旋 し コー サ ラ 国 王 に
3 ぎ Φ 一六 二 一∼九 五 フ ラ ン ス の 詩 人 。 シ ャ ン パ ー
行 政 官 の 職 に あ った が 財 務 卿 ブ ー ケ の庇 護 を も 受 け
に 語 り 継 が れ 、 祭 り な ど で 圧 倒 的 人 気 を も って 上 演 さ
た 。 ブ ー ケ 失 脚 後 は オ ル レ ア ン大 公 妃 、 晩 年 は ラ ・サ
プ リ エ ー ル夫 人 、 死 の直 前 は デ ルヴ ァ ル夫 人 の 庇 護 を
ワヤ ン(
影 絵 芝 居)の 演 目 に な る ほ ど 親 し ま れ て い る
が 、 日 本 に は 漢 訳 仏 典 で 伝 わ っ て いる も の の そ れ ほ ど
れ る。 古 く か ら ア ジ ア 各 地 に伝 播 し イ ンド ネ シ ア で は
知 ら れ て いな い。 子 ど も 向 け 再 話 に ﹃ラ ー マー ヤ ナ ﹄
受 け 、 物 質 面 、 精 神 面 で 大 いに 援 助 を 受 け た 。 新 旧 論
は 近 代 派 に も 受 け 入 れ ら れ る 素 地 を も って い た 。 作 品
ら れ た も の が あ る 。 争 に お い て は 古 典 派 に組 み し た が そ の自 由 自 在 な 詩 句
は ﹃コ ン ト ﹄(一六六 五 ∼七 四 )と ﹃
寓 話詩﹄(
六 八 ∼ 九四 )
が・
王た る も の で あ る 。 ﹃
寓 話 詩 ﹄は イ ソ ップ や 民 話 に 取
ラ ム 姉 弟 舷 噴 ζ 餌煢 >8
ピ9ヨσ (一七 六 四 ∼ 一
(
鈴木千歳)
(一九 五〇 )、 ﹃
少 年少 女世 界文 学全 集﹄ (
六 〇)に お さ め
べら れ 、 こ の ジ ャ ン ル の 最 高 傑 作 と 認 め ら れ る も の で
材し は した が、後 半 には彼独 自 の人 生観 や モラ ルが述
ス の 作 家 。 弟 ラ ム は 詩 人 ・批 評 家 と し て も 知 ら れ 、 は
八 四 七)・0げ鋤二Φωピ鋤ヨ げ (一七七 五 ∼ 一八三 四 )
イギリ
じ め 詩 作 に 没 頭 し て いた が 、 散 文 や エ ッ セイ に も 手 を
あ る 。 彼 が 一二 巻 のそ の寓 話 詩 を 宇 宙 を 舞 台 の 一〇 〇
染 め 、 と く に ﹃エリ ア 随 筆 集 ﹄(一八 一三二、三 三 )は 有 名 。
(
牧 野文 子)
会 の 縮 図 で あ る 。 過 労 のた め に 狂 気 に陥 った 姉 メ ア リ ー の保 護 者 と し て
幕 の 劇 と 称 し て い る よ う に、 こ れ は 当 時 の フ ラ ン ス 社
詩 。 七 編 二 万 四 〇 〇 〇 頌 (一頌 は 二 行 )か ら な る 英 雄
でも 名 を は せ た 小 説 家 W ・ゴ ド ウ ィ ン の勧 め で 、 メ ア
終 生 独 身 を 通 し た 。 児 童 文 学 の分 野 で は 、 児 童 書 出 版
ラ ー マー ヤ ナ 幻鋤ヨ 鋤く9
。墨 古 代 イ ンド の 長 編 叙 事
ラ ー マ王 子 の 行 状 記 。 作 者 のヴ ァ ー ル ミ キ は お そ ら く
リ ー と と も に ﹃シ ェイ ク ス ピ ア 物 語 ﹄ (
〇 七)を 上 梓 し 、
編 者 で、 前 四 世 紀 ご ろ か ら 二 世 紀 に か け て ほ ぼ 現 在 の
型 に な った と いわ れ る 。 第 一編 と 第 七 編 は の ち に付 加
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ラー ル ソ ン
と な った 。 姉 弟 は 同 じ く 共 同 で ﹃レ ス タ ー 先 生 の学 校 ﹄
に 生 か す こ と に よ って 児 童 文 学 史 上 の 記 念 碑 的 な 著 作
を 損 な う こ と な く 、 シ ェー ク ス ピ ア の 詩 的 世 界 を 存 分
チ ャー ル ズ は悲 劇 を 担 当 し た 。 こ の作 品 は 原 作 の 香 り
を 文 筆 に 打 ち 込 ん だ 。 六 八 年 の生 涯 で数 百 冊 の著 作 を
ンド ンに 出 て ジ ャ ー ナ リ スト と な る が、 並 行 し て 生 涯
ルー ス大 学 を 経 て オ ック ス フ ォー ド に学 ぶ 。 そ の 後 ロ
一ニ ス コ ット ラ ンド 生 ま れ の作 家 。 セ ント ・ア ンド
ラ ング ア ン ド ル ー ﹀巳 お 乏 いき σQ 一八 四 四 ∼ 一九
飛 行機事 故 で死 亡。
(
二上洋 こ
(
〇 八 )、 ﹃
象 職建 誉 丶 ら
ミ ミ ミ§ 子 ど も の た め の詩 ﹄ (
〇
も の し 、そ の領 域 は 、詩 作 、 翻 訳 、 昔 話 や 童 話 の再 話 、
九 )を 著 し た 。な お ﹃ユリ シ ー ズ の 冒 険 ﹄(
〇 八)は チ ャー
ル ズ 独 り の 手 に な る も の で あ る 。 (
定松
歴 史 研 究 、 小 説 執 筆・
と 、 実 に 広 範 囲 に及 ん だ 。 児 童 文
正)
ラ ー ル ソ ン カ ー ル Ooニ ピ9。﹃ωωoづ 一八 五 三 ∼ 一九
﹃赤
九)に は じ ま る 、色 の つ い た 童 話 シ リ ー ズ で あ る 。以 後 、
一九 一〇 年 の ﹃ラ イ ラ ック ﹄ で 完 成 し た 。 同 時 に ホ メ
学 の分野 でとく に名高 い のは、 ﹃
青 色 の童 話 ﹄ (一八八
有 名 であ る 。 ダ ー ラ ル ナ 地 方 の自 宅 と 家 庭 生 活 を 題 材
ロ ス の ﹃オ デ ュ ッセ イ ア ﹄ (一八 七 九)、 ﹃イ ー リ ア ス﹄
一九 ス ウ ェー デ ン の画 家 。 ス ト ック ホ ル ム に あ る ナ
に 、 温 か い タ ッチ で 多 く の絵 を 描 き 、 そ れ を 一冊 に ま
(
八三 )を は じ め 多 く の 古 典 を 翻 案 再 話 し 、 イ ギ リ ス 民
シ ョナ ル ・ミ ュー ジ ア ム の ホ ー ルを 飾 る フ レ ス コ画 が
と め た 作 品 ﹃肉黛 譜 § 家 庭 ﹄ (一八 九 九)は 、 今 も 世 界
﹄ (
九 〇 )、 ﹃み ど り ﹄ (
九 二)、 ﹃
黄﹄(
九 四 )と 続 き 、
各 国 で 親 し ま れ て いる 。 知 人 の 子 ど も た ち の 肖 像 画 と
俗学会 設立 (
七 入 )に も 尽 力 し た 。
(
三宅忠 明)
家 。本 名遠 藤敏夫。 東京 三 田 に生ま れ、 東京 高等 工業
蘭 郁 二郎 耽 じろう
ド の評 論 を 書 いた り 、 第 一次 世 界 大 戦 中 は 、 記 者 と し
出 か け 、釣 り や 狩 猟 を 楽 し ん だ 。高 校 を 出 て か ら のち 、
ホ
出版社 で働 きな がら 文筆 活動 を はじめ 、ボ ーや ワイ ル
生ま れ。幼 少時 から 、父 親 ととも に北部 の湖水地 方 へ
∼ 一九 六 七 イ ギ リ ス の 児 童 文 学 作 家 。 ヨー ク シ ャー
﹀答ゴ霞 菊穹 ωoヨΦ 一八 八 四
ラ ン サ ム アーサ ー
学 校 電 気 科 を 卒 業 。 一九 三 五 年 ﹁探 偵 文 学 ﹂ 創 刊 と と
て 戦 地 へ赴 き 、 ま た 、 ロ シ ア や 中 国 へも 精 力 的 に 取 材
よ そ の子 ども た
エ ッセ イ を ま と め た ﹃毎§ミ§
オ ﹂の廃 刊 に よ って 、 科 学 小 説 、 冒 険 小 説 に 転 じ 、 ﹃
地
も に同 人 と な り 、 ﹃夢 鬼 ﹄を 発 表 し た 。 三 八 年 ﹁シ ュピ
に 出 か け た 。 忙 し い中 に も 、 暇 を み つけ て は 、 懐 し い
曾§
ち ﹄ (一九 一三)も 美 し い絵 本 で あ る 。
(
木村由利子)
図 にな い島 ﹄ (一九 三九 )、 ﹃脳 波 操 縦 士 ﹄ (四 一)な ど を
湖 水 地 方 を 訪 れ た ラ ン サ ム は 、 子 ど も た ち が 楽 し い休
一九 = 二∼ 四 四 (
大 2 ∼昭 19 ) 作
(
四三 )な ど が あ る 。 四 四 年 報 道 班 員 と し て 台 湾 に 赴 き
出 版 。 少 年 も の に は 、 ﹃地 底 大 陸 ﹄(
三 六)、 ﹃
海 底 紳士﹄
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リー ウ オ ヌ
暇 を 思 う 存 分 過 ご す 様 子 を 、 実 に リ ア ルに 、 生 き 生 き
と 描 き 出 し た 。 そ れ が 、﹃ツ バ メ 号 と ア マゾ ン号 ﹄(一九
三 〇 )か ら ﹃シ ロク マ号 と な ぞ の鳥 ﹄ (四七 )ま で の 一二
冊 で あ る 。 六 作 目 の ﹃ツ バ メ 号 の 伝 書 バト ﹄(
三 六)が そ
ズ に は 、解 放 さ れ た 子 ど も た ち の喜 び があ ふ れ て いる 。
の 年 に 創 設 さ れ た カ ー ネ ギ ー 賞 の 初 の受 賞 作 と な っ
ネ
た 。 いわ ゆ る 休 暇 物 語 に新 風 を も た ら し た こ の シ リ ー
行 動 を と も に し て いる 感 を 起 こ さ せ る 。 子 ど も の 世 界
い観 察 眼 で つぶ さ に 描 き 、 読 者 に物 語 の主 人 公 た ち と
も つよ う に な った 。 動 物 細 密 画 か ら 風 景 画 に 転 じ 、 生
番 目 に 生 ま れ 、 病 気 や 父 の破 産 な ど で 屈 折 し た 内 面 を
イ ギ リ ス の ナ ンセ ン ス詩 人 、 画 家 。 二 一人 兄 姉 の 二 〇
リ ア エ ド ワー ド 国血耄霞 α いΦ費
リ
の 真 実 を あ り のま ま に 描 く こ と の 重 要 さ を 示 し 、 そ の
一八 一二 ∼八 八
後 の児童文 学 に多大 な影響 を与 え た点 で、 ラ ンサ ムは
涯 独 身 でイ タ リ ア 、 エ ジ プ ト 、 中 東 な ど を 放 浪 し た 。
あ り ふれ た平 凡な 子ども たち の、 日常 的な事 実を 、鋭
一九 三 〇 年 代 のリ ア リ ズ ム を 代 表 す る 作 家 と いえ る 。
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子 ど も た ち に 即 興 の 絵 と 短 詩 リ メ リ ック を つく り ﹃ナ
兮 適翕 滑 稽 抒 情 詩 集 ﹄ (
七 七 )な ど 独 特 の造 語 を 駆 使 し
ン セ ン ス の本 ﹄(一八 四六 )に ま と め た ほ か 、﹃
卜o鼕
日本 に は六〇年 ご ろから 訳出 され はじ め、 六七年 から
た ナ ン セ ン ス詩 や 物 語 や ア ル フ ァ ベ ット の本 と 旅 行 記
﹃ア ー サ ー ・ラ ン サ ム全 集 ﹄ 全 一二 巻 が 刊 行 さ れ た 。
︻
参考 文献︼瀬 田貞 二 ・猪熊葉 子 ・神宮輝夫 ﹃
英米 児童文 学史﹄
一九 一四 ∼
朝 鮮 民主 主 義
(
吉田新 一)
(一九 七 一
研究 社)
(
谷 口由美子)
劉 ヌ 司廻 ♀
が あ る 。 李 園 友
一九 三 〇 年 義 州 普 通 学 校 卒 業 後 、 農 学 校 に 入 る 。 三=
人 民 共 和 国 の 児 童 文 学 作 家 。平 安 北 道 義 州 郡 の 生 ま れ 、
年 ﹁プ ロ レ タ リ ア 児 童 文 学 会 ﹂ 結 成 後 、 カ ップ の 影 響
下 で創作 に励 む。 朝鮮 作家 同盟 中央 委員 、児 童文 学 分
トッ
キチァングン
科 委 員 会 委 員 長 歴 任 。代 表 作 に 長 編 童 話 ﹃斧 将 軍 ﹄(一
Ⓒ1988 日本児童文学学会