干潟にくらす

「干潟にくらす」 平安啓乃
干潟にくらす
∼北九州曽根干潟の専業漁師∼
平安啓乃
北九州市立大学
文学部人間関係学科
要
旨
北九州市曽根干潟で専業漁師をしている山田氏は、天然ウナギ漁をはじめとする多く
の漁業に携わっているベテランの漁師である。山田氏が行なっている漁業の全てには干
潟の地形や環境に合わせて様々な工夫があり、伝統的な方法に自らの経験を加味しなが
らの、日々の思考錯誤があった。古くから漁業を営む場として地域の重要な役割を果た
し て き た 曽 根 干 潟 は 、豊 か な 水 産 資 源 を 提 供 し 、そ こ で く ら す 人 々 の 生 活 を 支 え て い る 。
しかし、都市近郊にありながら多くの絶滅危惧種が生息し、ズグロカモメをはじめとす
る渡り鳥が毎年越冬に訪れる曽根干潟は、近年、新北九州空港の建設などにより危機的
状況にあるとされ、環境保護の観点から注目を集めている。季節ごとに漁法を変え、旬
の魚を採捕してきた山田氏は、干潟を知り尽くした存在であり、漁業に携わるようにな
って40年の経験からくるそれらの知識は、干潟を保護する上でも必要なものではない
だろうか。曽根干潟の専業漁師の漁労活動を通して、その漁獲物の消費などから、漁業
者と周辺地域の結びつきを考えると共に、今後の曽根干潟の保護のあり方はどうあるべ
きかを考察したい。
目次
はじめに
3−3
カキの養殖
第一章
曽根干潟について
3−4
ウナギ漁
1−1
曽根干潟の概要
①
シバ漬け漁
1−2
豊前海の漁業
②
竹筒漁
1−3
曽根干潟の漁業
③
ヤナ漁
1−4
干潟を守る地域の活動
④
地獄釣り
第二章
専業漁師、山田恵次氏
⑤
延縄漁
2−1
山田氏について
⑥
掻きうなぎ
2−2
山田氏の一日
⑦
うなぎてご
2−3
季節の漁
⑧
穴釣り
2−4
漁師の気象予報
第三章
山田氏の行なっている漁業につ
⑨
かしばり
第四章
朝市
第五章
考察
謝辞
いて
3−1
定置網漁
3−2
カニ漁
か
の
田
れ
4
た
干
で
はじめに
「天然ウナギ漁をしている漁師がい
る」と聞いて、私は福岡県北九州市小
倉南区に位置する曽根干潟を訪れた。
曽 根 干 潟 は 、都 市 近 郊 に あ り な が ら ズ
グロカモメをはじめとする渡り鳥の
越 冬 地 と し て 知 ら れ 、絶 滅 危 惧 種 が 多
く生息する場として環境保護の観点
1
ら 注 目 を 集 め て い る 干 潟 で あ る 。町
人々や漁協を訪ねて紹介された山
氏 は 、干 潟 に 面 し た 曽 根 新 田 で 生 ま
育 ち 、漁 業 に 携 わ る よ う に な っ て 約
0年になるベテランの漁師であっ
。山田氏は、今年(2002)曽根
潟でウナギ漁をしている唯一の方
あ り 、年 間 を 通 し て ウ ナ ギ 漁 の ほ か 、
「干潟にくらす」 平安啓乃
定
漁
い
こ
そ
か
に
月
の
く鳥類がえさ場、休息場としていて、
南側はカブトガニの生息地となって
いる。
その沖合いで間島までの間は細か
い 砂 や 砂 泥 質 で 、シ オ フ キ ガ イ な ど 大
型の二枚貝やオサガニが多く生息し、
またズグロカモメやチドリ類がえさ
場としている。
間島の北側は礫の混ざった砂質で、
アサリやシオフキガイなどの二枚貝
の宝庫となっている。
また、間島の南側エリアは砂泥質で、
ユリカモメやツクシガモをはじめと
する多くの鳥類のえさ場となってい
る ( 註 2 )。
曽根干潟は絶滅危惧種のズグロカ
モ メ の 越 冬 地 と し て 、諫 早 湾 と と も に
全 国 的 に 知 ら れ て い る ほ か 、天 然 記 念
物 の カ ブ ト ガ ニ や 、そ の 他 の 絶 滅 危 惧
種である13種類の魚介類が生息す
る 場 と な っ て い る 。新 北 九 州 空 港 の 建
設や東九州自動車道の整備よって干
潟 の 形 状 が 変 わ り 、生 態 系 に 与 え る 影
響 が 懸 念 さ れ る 中 で 、こ れ ら の 自 然 を
保 護 し よ う と す る 活 動 が 、平 成 5 年 か
ら地元の曽根東小学校を中心に始ま
り 、現 在 で は 漁 協 や 自 治 会 の 参 加 す る
地 域 の 行 事 と し て 定 着 し て い る 。し か
し 、曽 根 干 潟 と そ の 後 背 地 を 埋 め 立 て
て 、新 北 九 州 空 港 を 核 に し た リ ゾ ー ト
タウンを造成するという周辺地域の
総合開発構想などが北九州市によっ
て 発 表 さ れ て お り 、曽 根 干 潟 で 暮 ら す
漁業者にとって危機的状況にある。
干潟に面した曽根新田には広大な
水 田 が 広 が っ て お り 、そ こ に 暮 ら す 約
220世帯のほとんどが農業を営ん
でいる。226世帯のうち、カキの養
殖と農業を兼業しているのが25世
帯 、漁 業 の み を お こ な っ て い る の が 現
在(2002年)5世帯である。間島
の 周 囲 は 多 く の 魚 介 類 が 生 息 し 、曽 根
新田に住む漁業者の主な魚場となっ
ている。
置網漁、カニ漁、カキの養殖、刺網
業などの様々な漁業に取り組んで
る専業漁師である。本稿は、干潟の
とを知り尽くした山田氏の漁法と
の 様 子 、朝 市 を 通 し て 漁 獲 物 の 流 通
ら見られる周辺地域とのつながり
つ い て 、2 0 0 2 年 の 9 月 か ら 1 1
ま で の 間 、週 に 2 回 の 頻 度 で 山 田 氏
もとへ通い、記録したものである。
第一章曽根干潟について
1−1
曽根干潟の概要
曽根干潟は北九州市小倉南区曽根
新 田 に 面 し て お り 、周 防 灘 の 西 端 に 位
置 す る 北 部 九 州 最 大 の 干 潟 で あ る( 図
1 )。 大 潮 の 干 潮 時 に は 海 岸 か ら 約 1 .
5キロメートル沖合いにある間島付
近 ま で 潮 が 退 き 、干 満 の 差 は 最 大 4 メ
ー ト ル に な る 。沖 合 い の 周 防 灘 に は 羽
島 が あ り 、そ の 後 方 に は 建 設 が 進 め ら
れている新北九州空港の人工島があ
る。
曽 根 地 域 は 、大 昔 は 奥 深 く 海 が 湾 入
し て い た も の と 考 え ら れ る 。記 録 に 残
された最も古い干拓は、寛永の頃(1
6 2 4 ∼ 1 6 4 3 )に 細 川 忠 興 が 行 な
った旧国道内側の干拓(約80ha)
である。その後、1780年代から1
960年代までの間に次々と干拓が
進 め ら れ て 、そ の 面 積 は 約 5 0 5 h a
と な り 、こ の 3 0 0 年 間 に 約 5 8 5 h
aの面積が干拓により造成された。
干 潟 の 面 積 は 約 5 1 7 h a で あ り 、地
盤高は干潟北部が南部よりもおおむ
ね 約 5 0 c m 高 く な っ て い る 。間 島 西
側 の 砂 州 は 西 の 方 向 に 延 び て お り 、最
も高い干潟面は大野川河口付近の砂
州 で あ る 。干 潟 を 形 成 す る 沖 積 層 の 厚
さ は 、干 潟 中 央 の 岸 か ら 約 5 0 0 メ ー
トルの地点で約8cm程度である。
干潟に流入する河川は北から竹馬川、
大野川、貫川、朽網川の4本である。
これらの河川から供給される淡水の
量 は 、年 間 約 7 千 万 ㎥ と 推 計 さ れ て お
り 、最 も 多 い の は 竹 馬 川( 3 6 .5 % )、
継いで朽網川(21.2%)である。
ま た 、竹 馬 川 に 放 流 さ れ て い る 曽 根 浄
化センターからの排水量が淡水流入
量 の 2 4 .3 % を 締 め て い る( 註 1 )。
曽 根 干 潟 は 、そ の 底 質 や 低 生 動 物 の
分 布 か ら 、大 き く 4 つ の エ リ ア に 分 け
ら れ る 。干 拓 地 と 海 の 接 点 の 岸 付 近 は 、
地 質 は 泥 質 。北 側 に は チ ド リ 類 を の ぞ
1−
曽
する
の漁
見て
部に
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58
大小
2
2
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位
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置
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7
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潟
県
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た
し
で
の
の
前海の漁業
は 、瀬 戸 内 海 の 西 部
の 豊 前 海 に あ る 。曽
に 、豊 前 海 の 漁 業 に
い 。豊 前 海 は 瀬 戸 内
、比 較 的 単 調 な 1 0
、北 東 方 向 に 開 い た
海 で あ る 。こ の 豊 前
河 川 が 流 れ 込 み 、そ
に
根
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海
9
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海
の
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「干潟にくらす」 平安啓乃
周
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屈
し
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水
を
と
が
か
重 ね た 結 果 、ノ リ 養 殖 に 代 わ る も の
し て 、 昭 和 57 年 に カ キ の 養 殖 の 話
持 ち あ が り 、現 在 は カ キ の 養 殖 が さ
んである。
ま た 、曽 根 新 田 に 暮 ら す 6 つ の 経 営
体によって一年を通して定置網漁が
行 な わ れ て お り 、春 に は カ レ イ 、イ カ 、
夏はスズキ、アナゴ、秋や冬にはヒイ
ラギやフグ、エビなど、季節ごとに
様々な魚介類が生産されている。
カ ゴ 漁 業 で は 、ガ ザ ミ( カ ニ )が 多 く
とれ、特産品「豊前本カニ」として多
く出荷されている。
こ れ ら の 漁 獲 物 は 生 鮮 魚 と し て 、毎 朝
7時から開催される朝市に出荷され、
地元を中心に流通している。
辺には広大な干潟が広がっている。
の沖合いには砂泥で覆われ水深1
mの最深部まで穏やかに傾斜して
る。干満の差は最大4mあるが、全
的 に 流 れ は 穏 や か で あ る 。こ の よ う
発達した干潟と砂泥質の海底を持
豊前海は、アサリ、エビ、カニ、カ
イなどの資源に恵まれると供に魚
類の幼稚魚の生育場として重要な
割を果たしている。
北九州市田野浦から築上郡吉富町
かけての豊前海沿岸には17漁業
同 組 合 が あ り 、約 1 0 0 0 人 が 漁 業
従事し、一年間に6568トン(平
7年)の生産をあげている。このう
、漁 船 漁 業 が 5 0 8 1 ト ン の 生 産 で
半を占め、養殖漁業は、1487ト
の生産である。
漁 業 種 別 生 産 で は 、小 型 底 曳 き 網 が
も多く、次いで採貝、かご、小型定
網、刺網の順で、これら5業種で漁
漁 業 生 産 の 大 半 を 占 め て い る 。養 殖
業 と し て は 、ノ リ の 養 殖 と カ キ の 養
が 営 ま れ て お り 、生 産 量 は ノ リ が カ
を 若 干 上 回 っ て い る が 、最 近 で は ノ
の 生 産 量 が 減 り 、カ キ の 生 産 が 増 え
いる。
魚 種 別 生 産 で は 、ア サ リ が 最 も 多 く 、
い で シ ャ コ 、ガ ザ ミ 、タ コ 、カ レ イ 、
ウイカ類の順で貝類、甲殻類が、上
を 占 め て い る 。中 で も ガ ザ ミ は 全 国
指 の 生 産 量 を 誇 っ て お り 、特 産 品 と
て「豊前本ガニ」という名前を付け
り 出 し て い る( 福 岡 県 水 産 農 林 務 部
産 振 興 課 『 豊 前 海 の さ か な 』)。
1−4
干潟を守る地域の活動
広い曽根新田と縦横に流れるクリ
ー ク 、北 部 九 州 最 大 の 曽 根 干 潟 な ど の
豊かな自然に囲まれた北九州市立曽
根 東 小 学 校 で は 、こ れ ら の 地 域 環 境 を
生 か し 、環 境 教 育 を 地 域 と 共 に 展 開 し
ている。
曽 根 東 小 学 校 の 校 内 に は 、曽 根 干 潟
に 関 す る 標 本 や 書 籍 、野 鳥 観 察 の 道 具
な ど を 展 示 し た「 曽 根 干 潟 の 部 屋 」や 、
曽 根 干 潟 の 魚 を 水 槽 に 入 れ た「 い そ ね
水族館」があり、市内や県外からも見
学者が訪れている。
平 成 5 年 9 月 に 、く ち ば し に 釣 り 針
のささった野鳥をみつけた小学生が
「曽根干潟の野鳥や生き物を守ろう」
と干潟周辺のごみ拾いを始めたこと
から「曽根干潟クリーン作戦」と呼ば
れ る 活 動 が は じ ま り 、今 年 で 9 年 目 に
なる。2年目から漁協、自治会、大浜
保 育 所 な ど が 参 加 す る よ う に な り 、現
在では地域行事として定着した(註
3 )。
これらの活動との関係は不明であ
る が 、過 去 6 年 間 で 2 3 ∼ 7 3 つ が い
しか曽根干潟に産卵に訪れなかった
カ ブ ト ガ ニ が 、2 0 0 1 年 度 に は そ の
三 倍 に 増 加 し 、全 国 で 最 も 多 い 2 3 3
つ が い が 産 卵 に 訪 れ た ( 註 4 )。
全 国 的 な 規 模 で 展 開 さ れ て い る「 野
鳥を守る会」から発足した「曽根干潟
を守る会」では、1997年に諫早湾
が 締 め 切 ら れ た 4 月 1 4 日 を「 干 潟 を
守る日」として、曽根干潟で野鳥の観
察やピクニックなどのイベントを行
な い 、諫 早 湾 の 回 復 と 各 地 の 干 潟 や 湿
地の保全の輪を広げていくためのキ
1−3
曽根干潟の漁業
曽 根 干 潟 は 、古 く か ら 漁 業 を 営 む 場
として地域の重要な役割を果たして
きた。しかし、乱獲や干拓などによる
魚場環境の変化などにより漁業資源
が 減 少 し 、漁 獲 収 入 の 低 迷 が 大 き な 問
題 に な っ て い る 。さ ら に 北 九 州 市 に あ
る た め 、漁 業 以 外 の 就 業 に 恵 ま れ て お
り、若者の漁業離れが著しく、漁業の
不活性化を招いている。
曽根干潟では、桝網漁業、カキの養
殖が主要漁業で、他に刺し網漁業、カ
ゴ漁業などが行なわれている。
かつてさかんだったノリの養殖は、
全国的な過剰生産に伴い経営体が減
少、品質の悪化などにより、現在曽根
干 潟 で は 行 わ れ な く な っ た 。冬 季 の 漁
獲収入を向上させるため漁協で協議
3
「干潟にくらす」 平安啓乃
ャ
貴
鳥
ー
際
録
る
ン ペ ー ン 活 動 を 行 な っ て い る 。ま
重なズグロカモメを始めとする
を 保 護 し よ う と 、曽 根 干 潟 を ラ ム
ル 条 約( 特 に 水 鳥 の 生 息 地 と し て
的 に 重 要 な 湿 地 に 関 す る 条 約 )の
湿地にしようとする動きもみら
。
ことはわからない」と山田氏は語る。
ま た 、曽 根 新 田 に 住 む 他 の 漁 業 者 が
行なっているのは主にカキの養殖や
定置網漁で、刺し網漁業や、ウナギ漁
などの雑魚漁業を営んでいるのは山
田 氏 だ け で あ る 。い わ ば 新 田 に 住 む 漁
業者の中で最も熱心に漁業に取り組
んでいる人と言える。たとえば、平成
二 年 に 開 催 さ れ た「 福 岡 県 漁 村 壮 青 年
婦人研究活動実績発表大会」では、曽
根 漁 協 壮 青 年 部 の 代 表 に 選 ば れ 、カ キ
の養殖について発表した経験を持つ。
現在では、干潟や漁業について、小学
校で子ども達の一日講師を勤めたり、
「 曽 根 干 潟 ク リ ー ン 作 戦 」に も 参 加 し
ている。
しかし、山田氏は「曽根干潟を守る
会」による、曽根干潟のラムサール条
約登録湿地への動きには反対してい
る 。曽 根 干 潟 が ラ ム サ ー ル 条 約 の 登 録
湿 に な る と 、杭 を 一 本 立 て る に も 国 へ
の 申 請 が 必 要 に な り 、そ こ で 漁 業 を 営
む こ と が 難 し く な る た め で あ る 。山 田
氏 に と っ て は 、絶 滅 危 惧 種 の 野 鳥 で あ
っ て も 、時 に は 魚 を と る た め の 餌 を 食
べ ら れ た り 、漁 獲 物 を 奪 っ た り す る 漁
業 の 邪 魔 者 で あ り 、「 野 鳥 に と っ て 干
潟 が 貴 重 で あ る こ と や 、開 発 に よ っ て
危機的状況にあることは理解してい
る 。こ う い う 議 論 に は 右 も 左 も あ る こ
と だ が 、漁 業 で 生 活 を 営 ん で い る 自 分
らは反発を覚える」と山田氏は語る。
朝 市 が 終 わ る と 、山 田 氏 は 主 に 刺 し
網 漁 業 の 網 を 編 ん だ り し て 過 ご す 。
「カレイなら、カレイの大きさ。カニ
なら、カニの大きさ。網目の大きさも
形 も 違 う 。」 と 話 し な が ら 、 山 田 氏 は
テキパキと慣れた手つきで網を編ん
でいくが、その編み方は、父親がして
いた頃に見よう見真似で覚えたもの
だ と い う 。「 漁 に 関 す る 知 識 も 、 手 伝
い を し な が ら 覚 え た ね 。は っ き り 何 か
を教わったことはないよ。ただ、漁師
になって80年くらいになる大先輩
がいて、わからないことがあると、そ
の人に昔からよう聞きに行っていた。
し か し 、ほ と ん ど 自 分 の 経 験 に よ る も
の だ ね 」 と 山 田 氏 は 語 る 。「 意 地 悪 で
教 え な い わ け で は な い ぞ 。た く さ ん 魚
が取れる方法をみんなに教えてしま
ったら、自分の漁ができなくなるし、
天候や風向きは24時間変わるから、
100%これだといえる方法はない。
昨日、たくさん魚が居た場所に、今日
た、
野
サ
国
登
れ
第二章 専業漁師、山田恵次氏
2−1
山田氏について
山 田 恵 次 氏 は 、昭 和 2 2 年 5 月 1 0
日生まれで、現在55歳。曽根新田で
生 ま れ 育 ち 、漁 業 に 携 わ る よ う に な っ
て約40年になる。
山 田 氏 は 、漁 師 で あ っ た 父 親 の 漁 に 、
小学校に上がる前からついて行って
いた。中学生になる頃には、当時行な
われていたノリの養殖や定置網漁な
どの漁を手伝うようになった。
2 0 代 の 頃 に は 、曽 根 新 田 を 離 れ て
数年間サラリーマンを経験したこと
が あ り 、「 サ ラ リ ー マ ン が 安 定 し て い
て1番いい。漁師は大変だ」と山田氏
は 語 る が 、父 親 の 後 を 継 い で 漁 業 に 携
わ る よ う に な っ た の は 、幼 い 頃 か ら 慣
れ親しんでいた漁に対する楽しさを
知 っ て い た こ と 、「 男 な ら 勝 負 を し た
かったからだ」と、語る。
2 8 歳 の 頃 、現 在 の 妻 で あ る ケ イ 子
さんと結婚。その後、漁協の様々な資
格 審 査 を 受 け て 正 組 合 員 と な り 、漁 業
者として独り立ちした。
妻 の ケ イ 子 さ ん は 、山 田 氏 と 共 に 毎
日 漁 に 出 て い る が 、貫 山 の 出 身 で あ る
ケイ子さんは海や漁に不慣れであっ
たため、結婚当初は船酔いに困り、台
風 が 来 れ ば 、定 置 網 や カ キ の い か だ へ
の影響が心配で眠れない日が続くな
ど、大変な苦労をしたという。
山 田 氏 は 、曽 根 新 田 に 6 0 0 坪 の 畑
を 所 有 し て い る が 、他 の 住 人 の よ う に
農 業 と の 兼 業 で は な く 、漁 業 の み で 生
活 し て い る 。年 間 を 通 し て 定 置 網 漁 業
を 行 な っ て い る ほ か 、冬 は カ キ の 養 殖 、
夏はイカやあなご、アミ、秋から冬に
か け て カ レ イ な ど の 刺 し 網 漁 業 、カ ニ
をとるカゴ漁業など様々な漁を行な
っ て お り 、夏 に は 昔 か ら の 方 法 で う な
ぎ 漁 も 行 な っ て い る 。山 田 夫 妻 が 漁 を
休むのは台風などで海が荒れて漁に
出 ら れ な い 日 に 限 ら れ て お り 、年 間 を
通して10日から14日ほどしかな
い。
「毎日海に出ていないと、魚の
4
「干潟にくらす」 平安啓乃
も
風
こ
た
る
あ
っ
が
魚
し
と
買
い
て
れ
た
ん
っ
り
ぞ
さ
山
魚
あ
て
が
い
の
漁
を
楽
分ける、という作業を繰り返し、1時
間 以 上 か け て 定 置 網 漁 を 終 え る と 、カ
ニ漁へ向かう。
暗 い 海 の 中 を 、カ ニ 漁 が 仕 掛 け て あ
る 場 所 ま で 移 動 す る 。カ ニ 漁 の ポ イ ン
トにつくと、縄を二人でたぐりよせ、
カ ニ カ ゴ を 一 つ 一 つ 引 き 上 げ て 、え さ
に誘われて仕掛けの中に入ったカニ
を、専用の箱にふるい落とし、空にな
っ た カ ニ カ ゴ は 再 び 海 に 投 げ る 、と い
う 作 業 を 繰 り 返 す 。漁 場 を 2 つ 回 る 頃
には、もう午前5時をまわっている。
港 に 帰 り 、漁 獲 物 を ト ラ ッ ク に 乗 せ
て朝市が開催される公設市場へ行っ
て、それらを一時保管する。それから
6時までの間、家へ帰り、お茶を飲ん
だ り 、軽 く ご 飯 を 食 べ た り し て 一 休 み
する。6時過ぎには再び市場へ行き、
漁獲物をいくつものとろ箱に分けて
い く 。横 取 り し よ う と 野 良 猫 が た く さ
ん 集 ま っ て く る の で 、魚 を 盗 ま れ な い
ように夫妻は仕分けをしながら気を
張り詰める。
6 時 半 を ま わ っ た こ ろ か ら 、朝 市 に
参加する人々が徐々に集まってくる。
7 時 に な る ま で の 時 間 は 、漁 業 者 と お
客 さ ん の 雑 談 の 時 間 で あ る 。セ リ に は
定置網漁をしている4つの漁業者が
出 荷 し 、7 時 に 始 ま っ て 7 時 半 に は 終
わる。
朝 市 が 終 わ る と 、奥 さ ん は そ の 他 の
漁 業 者 と 共 に 、セ イ ロ を ホ ー ス の 水 で
洗 っ て 片 付 け 、市 場 に 水 を 流 し て そ う
じ。山田氏は一足先に家へ戻り、焼酎
を飲みながらテレビを見る。
奥 さ ん が 戻 っ て く る と 、朝 食 で あ る 。
その日の朝に海から取ったもののほ
か、目玉焼きにハム、キャベツの千切
りとコーヒーなどの洋風な食事風景
であることが多い。その時は、飼い犬
も部屋へ上がって夫妻と共にご飯を
食べる。一家団欒の時間である。
朝食後、山田氏はテレビを見たり、
主 に 、刺 し 網 漁 業 に 使 用 す る 網 を 編 ん
だ り し て 過 ご す 。カ ニ 籠 に 仕 掛 け た え
さ が 無 く な っ て く る と 、そ の 準 備 を す
る こ と も あ る 。カ ニ 漁 に は 鯖 の 稚 魚 を
使うが、業者からそれを買った後、カ
ニカゴにしかける作業をこの時間に
することがある。山田氏には、読書や
パ チ ン コ な ど の 趣 味 が あ る が 、こ の よ
う に 、漁 に 出 て い な い 日 中 も 準 備 な ど
で 忙 し く 、趣 味 に つ い や す 時 間 な ど な
い よ う に 思 わ れ る 。「 漁 師 は 個 人 事 業
た く さ ん 居 る と は 限 ら ん の よ 。こ の
向 き の 時 に は 、こ う 魚 が 動 い た と か 、
う い う 天 候 の あ と は 、こ こ に 魚 が い
と か 、い つ も 考 え な が ら 漁 を し て い
が、それでも、たくさん取れる日も
れ ば 、 そ う で な い 日 も あ る の だ 。」
また、山田氏は、自らの性格を「ざ
く ば ら ん 」 だ と 言 う 。「 漁 師 は 経 費
かかる。網やカキのいかだ、えさ。
が取れるまでにたくさん先行投資
なければいけない。だけど、長いこ
漁 師 を し て い る か ら 、機 材 や え さ を
う と こ ろ の 業 者 と は 、み ん な 知 り 合
だ 。う ま い 魚 が と れ た 時 に 少 し 持 っ
い く の よ 。だ か ら み ん な 安 く し て く
た り 、時 に は 仕 入 れ 値 で 譲 っ て く れ
り す る こ と も あ る 。俺 は ざ っ く ば ら
な 性 格 だ か ら な 。言 い た い こ と を 言
て、自然に付き合う。この前も、知
合いにただで車を譲ってもらった
。飼い犬だってそうだ。他にもたく
ん あ る ぞ 。人 と の 縁 は 大 事 だ 。」と 、
田 氏 は 語 る 。「 し か し 、 一 番 う ま い
は 人 に は や ら ん 。絶 対 自 分 で 食 べ る 。
ま り 人 に は 言 え な い が 。な ん と 言 っ
も、これが楽しみだからな。だから
ん ば れ る と い う の も あ る 。ど ん な 高
料 亭 で も 、こ ん な に 新 鮮 で う ま い も
を 出 す 店 な ん て 、絶 対 に 無 い か ら な 。
師の特権よ」と、山田氏は新鮮な魚
つ ま み に 焼 酎 を 飲 む こ と を 、日 々 の
しみとしている。
2−2
山田氏の一日
こ こ で は 、1 0 月 か ら 1 1 月 の 山
氏の一日について書く。
山田さん夫妻の1日は午前3時に
まり、夕方7時に終わる。冬季のカ
の 収 穫 期 に は 、明 る く な っ て か ら 収
に 出 る た め 、起 床 時 間 は 5 時 頃 と な
起 床 時 間 は 、潮 の 満 ち 干 き に よ っ て
∼ 3 時 間 前 後 す る こ と も あ る が 、漁
出 て 、朝 市 に 出 荷 す る の に ち ょ う ど
い 3 時 に 起 床 す る こ と が 多 い 。夫 妻
平 日 も 祝 日 も 関 係 な く 、海 が 荒 れ て
に 出 ら れ な い 日 を の ぞ い て 、毎 日 漁
出ている。
山 田 夫 妻 は 、午 前 3 時 に 起 床 す る
トラックで漁港へ行って船に乗り
み 、定 置 網 に か か っ た 魚 を 採 り に 行
定 置 網 の あ る 場 所 に つ く と 、海 に 捨
ら れ る 雑 魚 を 狙 っ て 、た く さ ん の カ
メやスナメリが船の周りに寄って
る 。夫 妻 は 網 を 引 き 上 げ 大 量 の 魚 を
田
始
キ
穫
る。
2
に
良
は
漁
に
と、
こ
く。
て
モ
来
仕
5
「干潟にくらす」 平安啓乃
主だ」と語る山田氏は、年中無休な
である。
日 中 の 作 業 が 終 了 す る と 、夕 方 5
ご ろ 夕 御 飯 を 食 べ 、食 後 は 天 気 予 報
見 る な ど し て 、夫 妻 は 七 時 に 就 寝 す
山田夫妻の一日はこのうようにし
過ぎる。
2−
山
最も
以
間の
3
田
多
下
漁
氏
く
は
期
南風
南風は方言で「マジカゼ」と読む。
暖かい風で、魚が活発に動くので、定
置 網 や 刺 し 網 に も か か り や す く 、魚 が
よくとれる好ましい風といわれてい
る。夏によく吹く風だが、冬に吹くと
アミがよく取れる。
の
時
を
る。
て
季節の漁
は 、年 間 を 通 し て 曽 根 干 潟 で
の漁を行なっている。
、山田氏に話しを聞いて、年
をまとめたものである。
桝網漁業 定
刺網漁業 ア
ア
カ
カゴ漁業 カ
イ
雑魚漁業 ウ
養殖
カ
置
ミ
ナ
レ
ニ
カ
ナ
キ
網
漁
ゴ
イ
漁
漁
ギ
養
漁
4/20∼ 12/20 頃
8 月 ∼ 11 月
漁
8 月 ∼ 11 月
だ て 10 月 末 ∼ 2 月 初 旬
3 月 ∼ 11 月
6 月∼7 月末
漁
5 月 ∼ 10 月 初 旬
殖
11 月 下 旬 ∼ 3 月
2−4
漁師の気象予報
その日の漁は風向きや天候によっ
て 大 き く 左 右 さ れ る 。「 住 ん で い る 地
方の明日の天気が予想できなければ
漁師はつとまらない。漁師は皆、各々
が 住 む 地 方 の 気 象 予 報 士 だ 。天 気 予 報
よ り 当 た る こ と が あ る く ら い だ 。」 と
山 田 氏 は 言 う 。「 冬 と 夏 で 収 穫 に 大 き
な 差 が あ る が 、そ れ は 気 温 が 違 う か ら 。
季節に関係なく風が違えば収穫量は
毎日違う。魚の道(魚がたくさんいる
場所)は、風の影響を受けるからだ」
と 山 田 氏 は い う 。1 5 メ ー ト ル ほ ど の
差 で 、大 量 に 魚 が い る 場 所 と 全 く い な
い 場 所 に 分 か れ る こ と も あ り 、そ の た
め山田氏は天候や風向きに敏感であ
る 。自 ら の 経 験 か ら 得 た も の も 多 い が 、
曽 根 干 潟 で 昔 か ら 伝 え ら れ て き た
様 々 な こ と わ ざ な ど が あ る 。以 下 は そ
れらをまとめたものである。
1
風
東風
東風は、方言で「コチ」と読む。曽
根新田では瀬戸内海からの風になり、
東風が吹くと海がにごると言われて
い る 。海 が に ご っ て 魚 の 視 界 が 悪 く な
る た め 、定 置 網 や 刺 し 網 に 魚 が た く さ
ん か か る 。そ の た め 台 風 の 前 後 な ど の
海 が 荒 れ た 日 も 、漁 を す る に は 好 ま し
いとされる。
西風
西風は方言で「ニシ」と読む。曽
新 田 で は 陸 側 か ら の 風 に な り 、海 が
れいになって透明度があがるとさ
る 。魚 の 視 界 が 良 く な る の で 定 置 網
刺 し 網 に か か る 魚 が 少 な く 、漁 に と
て好ましくない風である。
根
き
れ
や
っ
北風
北
であ
ば魚
ため
魚が
しく
風
る
の
定
取
な
は
た
動
置
れ
い
感
け
の
も
ま
2
貫山
湿
が高
消え
翌日
雲
、
度
い
な
は
足立山に雲がかかる
が 高 く 、翌 日 は 雨 が 降 る 可 能 性
。また、飛行機雲が一分くらい
い 時 も 、同 じ く 湿 度 が 高 い た め 、
雨が降る。
冷
め
き
網
な
風
た く 、魚 は 温 度 変 化 に 敏
、夏 で も 冷 た い 北 風 が 吹
が 鈍 く な っ て し ま う 。そ
や 刺 し 網 、そ の 他 の 漁 で
い と さ れ て お り 、最 も 好
である。
風雲(カザクモ)
風 向 き を 知 る た め の 行 為 の こ と 。雲
が ど の 方 角 に 流 れ て い く か で 、明 日 の
風 向 き を 知 る 。北 極 星 の 周 り に あ る 雲
を飛雲(トビクモ)といい、山田氏は
朝方、飛雲の流れる方向を確認する。
その雲が流れる方向にその日の風が
吹く。
「九日、十日は明け暮れたとえ」
「 た と え 」と は 方 言 で 満 潮 の こ と を
いう。旧暦の九日と十日は、朝と夕方
の 6時∼8時は満潮であるという意味。
「 春 の 夕 焼 け 桶 を す け 、秋 の 夕 焼 け カ
マを研げ」
春の夕焼けがキレイだと翌日は雨
が降る。秋の夕焼けが美しいと、翌日
は 晴 れ る の で 、稲 刈 り の た め に カ マ を
研いだほうがいいという意味である。
6
「干潟にくらす」 平安啓乃
ら
よ
さ
こ
っ
は
ス
な
こ
れ た り す る 姿 や 、口 元 が 笑 っ て い
う に 見 え る 顔 な ど が 愛 ら し く 、山
ん夫妻はスナメリが来ると必ず
へ雑魚を投げるなどしてかわい
て い る 。定 置 網 漁 を し て い る 経 営
他 に 4 つ あ る が 、他 の 漁 師 仲 間 か
ナメリの話を聞くことはほとん
く 、山 田 夫 妻 の 定 置 網 に し か 寄 っ
ないのではないかと思われる。
定 置 網 漁 業 は 、カ キ の 収 穫 期 を の
いて通年行なわれている。
第三章
山田氏の行なっている漁業
について
3−1
定置網漁
曽根干潟で定置網漁が行なわれる
の は 、間 島 の 後 方 、東 側 の 範 囲 で あ る 。
そ の 中 で 、現 在 山 田 氏 の 定 置 網 は 間 島
か ら 北 東 に 行 っ た 所 に あ る が 、沿 岸 の
好漁場を長期間にわたって独占して
操 業 す る の で 、免 許 に あ た っ て は 地 元
の漁業協同組合などの団体に優先し
て 免 許 す る 方 針 が と ら れ て い る( 金 田
1 9 9 5 )。 そ の た め 、 漁 協 で は 不 公
平 の な い よ う に 、毎 年 く じ 引 き を し て
場所を決める規則になっている。
山 田 氏 が 行 な っ て い る の は 、小 型 定
置網の桝網である。垣網、囲網および
囲網の屈折した角に取り付けた複数
個の円錐形の長袋網の3部からなる。
この長袋網の中に2∼3個の漏斗網
を 取 り 付 け 、い っ た ん 入 っ た 魚 は 確 実
に逃げられないような工夫がしてあ
る。網具は干潮時には干潟となり、満
潮時には海水が差してくるような場
所 に 設 置 さ れ 、満 潮 時 に 陸 岸 に 近 寄 っ
た 魚 介 類 が 、干 潮 時 沖 へ 退 く 際 に 網 目
に 刺 さ っ た り 、袋 に 入 っ た り し た も の
を 採 捕 す る も の で あ る 。漁 獲 に あ た っ
て は 、漁 師 1 ∼ 3 人 が 数 個 の 長 袋 網 の
張網を緩めて袋網を順次揚げて魚を
捕獲する(金田
1995、野村
2
0 0 0 )。
定置網にはカレイ、ボラ、アナゴ、
フ グ 、ス ズ キ や ク ロ ダ イ な ど 様 々 な 季
節 の 魚 が か か る 。定 置 網 の あ る 場 所 に
つ く と 、奥 さ ん が 引 っ 掛 け 棒 で 網 の 一
端をとり、船のへりにひっかける。山
田さんがその縄を手繰り寄せて網を
つかみ、海から引き上げて、網にひっ
かかっているカニや魚をふるいおと
し な が ら 、尻 す ぼ み に な っ て い る 網 の
奥 へ 魚 を 追 い 込 ん で い く 。そ の 作 業 を
数 回 繰 り 返 し 、最 後 に 魚 の 詰 ま っ た 尻
の 方 を 船 に 引 き 上 げ る 。底 の 結 び を 解
くと、大量の、様々な魚が船の上に出
てくる。ガガ(ヒイラギ)は大量にか
かるので、専用の丸いカゴへ入れる。
フ グ や カ レ イ や ア ナ ゴ な ど 、1 匹 で 高
値 の つ く も の は 、船 の 中 の い け す に 入
れる。カニは大きな箱へいれる。まだ
小 さ い 魚 や 、死 ん で い る 魚 は 海 に 返 す 。
分 類 し 始 め る と 、雑 魚 を 捨 て る こ と を
知っているカモメがたくさん船の側
までやってきて、さかんに鳴く。スナ
メ リ も 寄 っ て 来 る が 、時 々 雑 魚 に 逃 げ
る
田
そ
が
者
ら
ど
て
ぞ
3−2
カニ漁
カニ漁は、カゴ漁業に分類される。
カ ゴ 漁 業 と は 、1 本 の 幹 縄 に 枝 縄 を つ
け 、そ の 先 端 に カ ゴ 等 を 結 着 さ せ て 海
底に設置し、餌、またはそだ等により
魚介類をかごの中に誘致して陥落さ
せ て 採 捕 す る 漁 業 を い う( 金 田
19
9 5 )。
山田氏がカニ漁の魚場としている
の は 、定 置 網 漁 の あ る 場 所 か ら 間 島 を
挟 ん で 南 側 で あ る 。そ こ は 少 し 深 く な
っ て お り 、「 身 の 詰 ま っ た 大 き な カ ニ
が取れるから」と山田氏は語る。カニ
漁 で は 、通 称 ワ タ リ ガ ニ と 呼 ば れ る ガ
ザミを対象として行われている。
山 田 氏 は 1 1 月 か ら 3 月 に か け て 、定
置 網 漁 を 終 え た 後 カ ニ 漁 へ 向 か う 。山
田氏が船を運転し、奥さんは立って、
船の明かりと頭につけた懐中電灯で
海面を照らし、暗い海の上で、カニ漁
が仕掛けてあるポイントを示すウキ
を探す。ウキの側まで来ると、棒でウ
キをたぐりよせ、船にひっかける。山
田 氏 と 奥 さ ん の 二 人 で 縄 を 引 き 、山 田
氏がカニカゴのついた縄をつかむと、
奥 さ ん は 縄 か ら 手 を 離 す 。山 田 氏 は カ
ニ カ ゴ を 引 き 上 げ て フ タ を 空 け 、エ サ
に誘われて仕掛けの中に入ったカニ
を、専用の箱にふるい落とし、空にな
っ た カ ニ カ ゴ は 再 び 海 に 投 げ る 。時 々 、
フ グ が か か っ て い る こ と も あ る 。箱 に
お と さ れ た カ ニ は 気 が 立 っ て い て 、と
に か く 触 れ る も の を 挟 も う と す る 。脱
皮から日が浅く甲羅が柔らかいカニ
は 、他 の カ ニ に 挟 ま れ て 死 ん で し ま う
こともある。
こ う し て 、約 2 0 ∼ 3 0 個 の カ ゴ を
たぐりよせてはカニをカゴから出す
と い う 作 業 を 繰 り 返 し 、カ ニ カ ゴ を 仕
掛けた漁場を2つ回って港へ帰る。
身の詰まり具合や大きさにもよる
が、朝市での価格は、とろ箱1つ(カ
7
「干潟にくらす」 平安啓乃
ニ5匹∼10数匹)につき、2千円
ら5千円である。
曽根干潟の位置する豊前海は全
有 数 の ガ ザ ミ の 産 地 で 、全 国 屈 指 の
産漁を誇っており、特産品として「
前 本 ガ ニ 」と い う 名 前 を つ け て 売 り
している。
ー
1
付
や
ゴ
と
し
け
か
国
生
豊
出
3−3
カキの養殖
曽根干潟でカキの養殖が始まった
のは、1983年(昭和58年)であ
る。
干 潟 で は 、冬 季 の 漁 獲 が 少 な い た め 、
それまではノリの養殖がさかんに行
な わ れ て い た が 、全 国 的 な 過 剰 生 産 と
低 品 質 等 の 理 由 で 収 益 が 低 下 し 、経 営
体数が減少した。昭和57年に、カキ
の 養 殖 の 試 験 養 殖 が 行 な わ れ 、そ の 結
果 、他 の 主 要 生 産 地 よ り も む し ろ 成 長
や 味 の 良 い も の が で き た た め 、昭 和 5
8年から本格的に行なわれるように
な っ た ( 参 考 資 料 1 )。
カ キ い か だ が 並 ぶ の は 、周 防 灘 の 羽
島 周 辺 か ら 、新 北 九 州 空 港 が 建 設 中 で
あ る 人 工 島 の 近 く ま で で あ る 。山 田 氏
の カ キ い か だ は 二 つ あ り 、羽 島 の 南 側
にある。
いかだの大きさは1つ約20畳ほ
ど に も な る が 、山 田 氏 は こ の い か だ も
自 分 で 作 っ て い る 。業 者 に 頼 む と 費 用
が 1 0 0 万 円 近 く か か り 、台 風 な ど で
破損があるたびに多額の出費となる
からだ。
準備期間は3月から5月にかけて
で あ る 。2 本 の ロ ー プ を 寄 り 合 わ せ た
「 双 子 ロ ー プ 」を 3 ∼ 4 メ ー ト ル の 長
さ に 切 り 、1 本 に つ き ホ タ テ ガ イ の 殻
を12∼3個つける。それを、カキい
かだに無数に吊り下げて置いておく
と、カキの卵がホタテガイに付着し、
11 月 下 旬 の 収 穫 期 に は 大 粒 カ キ が 獲
れる。
カ キ い か だ は 大 変 滑 り や す く 、深 夜
の 収 穫 は 危 険 で あ る た め 、朝 の 6 時 ∼
8 時 頃 に 収 穫 さ れ る 。カ キ の 養 殖 を 行
なっている経営体は全部で25世帯
あ り 、冬 季 の 漁 港 に は 収 穫 に 向 か う ト
ラ ッ ク が 多 数 止 っ て い る 。ほ と ん ど の
経 営 体 は 、3 人 以 上 の 家 族 で 収 穫 に 出
か け る が 、山 田 夫 妻 は 他 の 漁 と 同 じ よ
う に 、山 田 氏 と 奥 さ ん の 2 人 で 収 穫 に
向かう。
夫妻はいかだの上に敷いた板の上
に イ ス を 並 べ 、吊 り 下 げ て い る 双 子 ロ
双
も
0
キ
う
る
2
な
周
「
と
朝
て
直
注
送
回
に
法
8
ら
3
ら
1
販
円
る
プを1日に平均20本ほど上げる。
つ の ホ タ テ ガ イ に 、い く つ も カ キ が
着 し て お り 、す で に 死 ん で い る も の
、付着物を棒で叩いて取り除き、カ
に 入 れ て い く 。カ キ の 殻 を 破 損 す る
、見栄えが悪くなり、値が下がって
ま う た め 、収 穫 の 際 に は 気 を つ け な
ればならない。
3∼4時間かけて収穫したカキは、
子ロープ1本につき8キロ前後に
な り 、1 日 に 少 な く と も 2 0 0 ∼ 3
0キロの収穫となる。
カ キ の 収 穫 期 に な る と 、漁 業 者 が カ
の収穫に赴く時間と重なってしま
た め 、朝 市 は 週 に 3 回 の み 行 な わ れ
よ う に な る 。朝 市 が 終 了 す る 1 2 月
0日以降も山田氏は定置網漁を行
っており、その水揚げは、曽根新田
辺に訪問販売などをしている。
カ キ の 収 穫 期 に は 、新 田 で 赤 や 青 の
カ キ 直 売 店 」と 書 か れ た 旗 が い た る
こ ろ で 見 ら れ る 。収 穫 さ れ た カ キ は
市 に 出 荷 さ れ る こ と は な く 、旗 を 見
訪 ね て 来 る 人 や 、通 り す が り の 人 に
接 販 売 さ れ て い る ほ か 、漁 協 に く る
文を受けて北海道から沖縄まで発
さ れ て い る 。こ れ ら の 注 文 な ど を 上
る 収 穫 が あ る 経 営 体 は 、遠 く の 市 場
赴 い て 出 荷 す る な ど 、そ れ ぞ れ の 方
で販売している。
カキの価格は大粒のものが1キロ
00円、5キロで4000円。中く
い の 粒 が 1 キ ロ 7 0 0 円 、5 キ ロ で
5 0 0 円 で あ る 。大 粒 の も の と 中 く
いのものを半分づつ混ぜたものは、
キ ロ 7 5 0 円 、5 キ ロ 3 7 5 0 円 で
売 さ れ 、小 粒 の も の が 1 キ ロ 5 0 0
、5 キ ロ 2 5 0 0 円 で 販 売 さ れ て い
。
3−4
ウナギ漁
山田氏の父親がウナギ漁をして
た 約 5 0 年 前 に は 、一 日 平 均 3 0 ∼
0 キ ロ の 収 穫 が あ り 、ウ ナ ギ 漁 の み
生 活 す る こ と も 可 能 で あ っ た が 、年
ウ ナ ギ が 減 少 し て き た た め 、現 在 で
かつての10分の1ほどの収穫し
望 め な く な っ た 。山 田 氏 は 収 入 の た
ではなく、自分が食べたい時や、時
の空いたときなどに趣味としてと
て い る 。そ の た め ウ ナ ギ は 朝 市 に 出
さ れ る こ と は な く 、ま と ま っ た 量 が
れ た 時 に は 、希 望 す る 地 元 住 民 の 電
予 約 制 で 売 買 さ れ て い る 。相 場 は 1
8
い
4
で
々
は
か
め
間
っ
荷
取
話
キ
「干潟にくらす」 平安啓乃
ロ(3∼4匹)3千円である。
山 田 氏 の ウ ナ ギ 漁 に は 、昔 か ら の
法 が 用 い ら れ て い る 。ウ ナ ギ に は 様
な 習 性 が あ り 、そ れ に 応 じ て 漁 の 方
も工夫を凝らしたものである。
以下は、山田氏が現在利用してい
「 シ バ 漬 け 漁 」、「 竹 筒 漁 」 の 他 、 曽
干潟でかつて行なわれていた方法
つ い て 山 田 氏 に 話 を 聞 き 、ま と め た
のである。
この方法も、シバ漬け漁と同じく、
時 間 の 調 節 が 可 能 で 、餌 も 使 用 し な い
た め 、山 田 氏 は 現 在 も こ の 方 法 を 利 用
してウナギ漁をしている。
方
々
法
③ヤナ漁(石倉漁)
物と物の隙間を寝床とするうなぎ
の習性を利用した方法である。
ヤ ナ と は 方 言 で 石 の こ と を 指 す 。う
なぎは泥砂の中に身を潜めることを
好むので、引き潮時の干潟で、海底が
泥砂に覆われていなくてウナギの潜
む 場 所 の な い 所 を 選 ん で 、漁 場 と す る 。
大 小 さ ま ざ ま な 石 を 積 み 重 ね て 、高 さ
7 0 セ ン チ か ら 1 メ ー ト ル 、直 径 1 メ
ー ト ル 5 0 cm ∼ 2 メ ー ト ル の 小 山 を
作る。数日間放置し、退き潮時に小山
の 周 り を 網 で 囲 ん で 石 を 取 り 除 き 、隙
間に入っていたうなぎを網ですくっ
て捕まえる。
か つ て は 相 当 な 漁 獲 が あ っ た が 、石
を取り除いてうなぎを捕獲するまで
少 な く と も 3 時 間 は 要 し 、日 中 の 引 き
潮 時 に 漁 の 時 間 が 限 ら れ る た め 、現 在
では山田氏は行なわなくなった漁法
である。
る
根
に
も
①シバ漬け漁
シ バ 漬 け 漁 と は 、枯 れ 枝 に 絡 み つ く
う な ぎ の 習 性 を 利 用 し た も の で 、全 国
で見られる漁の方法である。
シバ漬け漁には、葉が落ちにくく、
腐 食 し に く い と さ れ る ハ イ の 木( 別 名
「 う な ぎ シ バ 」) の 枝 を 用 い る 。 ハ イ
ノ キ( S y m p l o c o s m y r t a c e a )の 枝 を 、
長 さ 約 1 メ ー ト ル の 長 さ に 切 り 、葉 を
つけたまま数本束ねて直径80セン
チ ほ ど の 太 さ に す る 。こ れ を 全 長 約 1
キロメートルの長さの浮きと浮きの
間に7∼8メートル間隔で20∼3
0 個 ほ ど つ け て 海 に 沈 め る 。数 日 間 放
置した後、ゆっくりと引き上げて、水
面 に 近 く な っ た ら 網 で 受 け 、水 か ら 離
し て 束 を 振 り 、枝 に 絡 み 付 い て い る ウ
ナギを捕まえる。
引き上げるシバの量は自分で決め
ら れ る た め 、時 間 の 調 節 も 可 能 で あ り 、
手 間 を 要 し な い た め 、山 田 氏 は 現 在 も
この方法を用いている。
関西ではハイの木ではなく笹が用
い ら れ て い る た め 、笹 漬 け 漁 と も 呼 ば
れている方法である。
②竹筒漁
竹 筒 漁 は 、暗 く て 狭 い 場 所 を 住 み
とするうなぎの習性を利用した方
である。
約1メートル20センチほどの長
に 切 っ た 真 竹 を 、節 を 取 っ て 直 径 約
5 ∼ 2 0 セ ン チ の 筒 状 に す る 。そ れ
三 本 束 ね 、海 か ら 引 き 上 げ る 時 に う
ぎ が 逃 げ て し ま わ な い よ う に 、両 端
ヒモを取りつけて水平を保つよう
する。それを30個ほど用意し、シ
漬け漁と同じ形で5日∼10日間
間海底に沈めておく。
数 日 間 定 置 し た 後 、竹 筒 を 海 面 ま
水 平 を 保 つ よ う に に 引 き 上 げ て 、中
入 っ た ウ ナ ギ を ふ る い 落 と し 、そ れ
網で受ける。
④地獄釣り
地 獄 釣 り は 、餌 を 用 い て う な ぎ を 釣
る方法である。満潮時、水深が約5メ
ー ト ル の 時 に 行 わ れ る 。長 さ 約 3 0 セ
ンチの糸にミミズなどの餌を無数に
つ け て 丸 め 、長 さ 約 3 メ ー ト ル ほ ど の
竿 の 先 端 に つ け る 。 山 田 氏 い わ く 、
「ウナギの通り道」という道があり、
ウナギが同じ場所に多く潜んでいる
場 所 が あ る と い う 。そ の 上 に 船 を 固 定
し 、餌 を つ け た 竿 を 船 の へ り か ら 沈 め
て 海 底 に つ け 、う な ぎ が 噛 み 付 く と 引
き 上 げ て 捕 ま え る 。う な ぎ の 通 り 道 は
日 に よ っ て 異 な り 、わ ず か 数 メ ー ト ル
の差で収穫に大きな差が出るためポ
イ ン ト 選 び が 重 要 で あ る が 、毎 日 ウ ナ
ギ漁をしていなければ見極めること
は 難 し い 。収 穫 量 は 漁 師 の 勘 に 大 き く
左右される。
か
法
さ
1
を
な
に
に
バ
の
⑤延縄漁
餌 を 用 い た 漁 の 方 法 で あ る 。約 1 キ
ロメートルの長さの浮きと浮きの間
に、3∼4メートル間隔で、餌を仕掛
け た 釣 り 針 を 沈 め て お く 。餌 に は エ ド
ジャコ、貝類、イワシや小魚などを用
いる。うなぎの他にアナゴもかかる。
で
に
を
9
「干潟にくらす」 平安啓乃
つける。それを水中にたらし、地面
固 定 し て 一 晩 お い て お く と 、ウ ナ ギ
ナマズがかかる。
山 田 さ ん の 少 年 時 代 に は 、こ れ ら
方法でウナギを捕まえてはおやつ
わりに食べていたという。
⑥掻きうなぎ
日 中 の 引 き 潮 時 に 行 な う 。水 深 約 3
0センチ∼1メートルの深さを歩き、
うなぎが地面にもぐった時にできた
穴 を 探 し 、「 う な ぎ 掻 き 」 と 呼 ば れ る
約2メートルほどの大きな熊手のよ
う な も の で 穴 の 周 囲 を 掘 り 、出 で き た
うなぎを網ですくって捕まえる。
また、夜掘り(夜漁)と呼ばれる方
法で、夜間に行なわれる方法もある。
主に夕方7時頃から深夜12時頃に
多 く 行 な わ れ 、懐 中 電 灯 で 海 を 照 ら し
ながら、掻きウナギで使う「ウナギ掻
き」で、潮が満ちてくる際に波と一緒
に泳いでくるウナギを引っ掛けて捕
まえる方法である。
⑦うなぎてご
餌を用いた仕掛けを使ってうなぎ
を 捕 ま え る 方 法 で あ る 。長 さ 役 8 0 セ
ン チ 、直 径 1 5 セ ン チ ∼ 2 0 セ ン チ の
筒 状 の も の を 用 意 す る 。プ ラ ス チ ッ ク
でも、木でも竹でもかまわない。中央
に餌を仕掛けて、両端にもどり(また
は 「 か え し 」) を つ け て 、 一 度 入 っ た
ら 出 ら れ な い よ う な 仕 組 み に す る 。こ
れ を 2 0 個 ∼ 3 0 個 ほ ど 用 意 し 、約 1
キロメートルの長さの浮きと浮きの
間に7∼8メートル間隔でつけて海
底 に 沈 め て お く 。満 潮 時 に 行 な わ れ る 。
⑧穴釣り
穴 釣 り 漁 と は 、川 で う な ぎ を 捕 ま え
る 方 法 と し て 曽 根 新 田 で 、か つ て 一 般
的 に 用 い ら れ た 方 法 で あ る 。川 の 水 が
引く引き潮の時に行なう。釣り針や、
なければ木綿針をろうそくの火であ
ぶって釣り針のような形にしたもの
にミミズを通す。潮が引いた後、川岸
のあらわになった石垣の隙間に餌を
つ け た 針 を も ぐ り こ ま せ 、鋭 い 嗅 覚 で
嗅ぎ付けたうなぎが噛みついてきた
と こ ろ を 捕 ま え る 。現 在 で は 川 壁 の ほ
とんどはセメントでウナギの入る隙
間 が あ い て お ら ず 、数 も 激 減 し て し ま
っ た た め 、現 在 こ の 方 法 で ウ ナ ギ を 捕
まえることは難しい。
⑨かしばり
穴 釣 り と 同 じ く 、池 や 川 の 周 辺 で う
な ぎ を 捕 ま え る 方 法 と し て 、昔 か ら 一
般 的 に 用 い ら れ て き た 方 法 で あ る 。長
さ1メートルほどの釣り竿を用意し、
釣り糸の先端に餌をつけた釣り針を
10
に
や
の
代
第四章
朝市
朝 市 は 、曽 根 新 田 に あ る 公 設 市 場 で
行なわれる。ここでは、大きな市場で
見られる「移動競り」ではなく、とろ
箱 と 呼 ば れ る 箱 に 魚 を 入 れ 、一 つ 一 つ
台 の 上 に 乗 せ て 行 な う 昔 な が ら の「 台
競り」を見ることができ、毎朝地元住
民と漁業者の交流の場として賑わい
を見せている。
朝 市 は 、毎 年 カ キ 養 殖 の 準 備 が 終 盤
に 入 る 4 月 の 2 0 日 頃 に 始 ま り 、カ キ
の養殖がさかんになる12月の20
日頃まで開催される。
漁 業 者 は 6 時 半 頃 に 市 場 へ 行 き 、出 荷
す る 漁 獲 物 を 仕 分 け す る 。カ ニ で あ れ
ば 、甲 羅 の 柔 ら か い カ ニ と 固 く て 身 の
詰 ま っ た カ ニ 、大 き い カ ニ と 小 さ い カ
ニ と い う 具 合 で あ る 。7 時 近 く に な る
と 徐 々 に 人 々 が 集 ま っ て き て 、次 第 に
賑やかになっていく。
現 在 、朝 市 に 参 加 す る 権 利 を 持 つ 仲
買 人 は 全 部 で 9 4 人 お り 、そ の う ち 6
0 人 は 曽 根 新 田 の 住 人 で 、毎 朝 決 ま っ
た顔ぶれが訪れる。
台の上に立ち、競りを仕切る「競り
子」と呼ばれる人は、誰が何を競り落
としたのかをメモする書記の役目も
同 時 に こ な し て お り 、朝 市 が 終 わ る と 、
競りの様子を録音したカセットテー
プ を 聞 き な が ら 伝 票 を 作 成 し 、そ の 日
の9時までに漁協に持っていくこと
が仕事である。
6年ほど前までは、
書 記 と 競 り 子 に 別 れ て い た が 、4 年 前
か ら 、現 在 競 り 子 を 勤 め る 奥 田 冨 江 さ
んが両方を同時にこなすようになっ
た。
競 り に 参 加 す る に は 、曽 根 漁 協 に 口
座 を 作 り 、仲 買 人 に 申 し 込 ま な け れ ば
ならない。口座を持ち、曽根新田の住
人 で あ る 場 合 は 、競 り 落 と し た 金 額 を
3 日 以 内 に 直 接 、漁 協 へ 支 払 い に 行 く
決 ま り に な っ て い る 。曽 根 新 田 の 住 人
で な い 場 合 は 、口 座 か ら の 引 き 落 と し
になる。そのため、曽根新田の住人で
な い 人 が 仲 買 人 に 申 し 込 む 際 は 、新 規
の口座に5万円と曽根新田に住む住
「干潟にくらす」 平安啓乃
人
ら
振
い
加
る
物
の
の
お
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か
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に
朝
が
つ
台
び
権
漁
と
て
か
立
箱
り
元
の 保 証 人 が 必 要 と な っ て い る 。そ れ
は10日間単位で漁業者の口座に
り込まれるというしくみになって
る。
仲買人の資格を持たずに競りに参
す る こ と は で き な い が 、朝 市 の 始 ま
前 に 、漁 業 者 と 直 接 取 引 を し て 漁 獲
を買うこともできる。また、漁獲物
主 な 流 通 は 朝 市 で あ る が 、山 田 夫 妻
自 宅 に は 、「 * * が 取 れ た ら 取 っ て
い て く れ 」「 ( い く ら ) で * * を 買
たい」など、予約や注文の電話がか
っ て く る こ と が 度 々 あ り 、競 り に 出
れずにやりとりされる漁獲物も少
く な い 。ウ ナ ギ は こ の よ う な 電 話 予
によってのみ取引されている。
仲 買 人 は 、競 り 落 と し た 漁 獲 物 を 家
で 消 費 す る ほ か 、親 戚 や 友 人 に 販 売
たりしている。
7 時 前 に な る と 、次 第 に 人 が 集 ま っ
き て 市 場 は 賑 や か に な っ て い く 。
この前あんたのところから買った
ニ、やわ(身が詰まっていない、柔
かいカニ)だって言っていたけど、
くさん身が詰まっていておいしか
た よ ー 」「 こ の 前 は あ ん な に 安 く し
く だ さ っ て 、あ り が と う ご ざ い ま し
」と、たくさんの人が山田夫妻に話
掛 け て く る 。仲 買 人 同 士 で 世 間 話 に
を 咲 か せ る 人 も い れ ば 、仕 分 け を す
漁業者の後ろから漁獲物を覗き込
だり、触れたりする人もいる。この
市 が 開 始 さ れ る 前 の 数 分 間 は 、仲 買
に と っ て 、漁 業 者 や 周 辺 地 域 の 人 々
コミュニケーションをとる時間で
あ り 、ど こ の 漁 師 の 何 を 競 り 落 と す
を 、あ ら か じ め 決 め る 時 間 で も あ る 。
7 時 に な る と 、競 り 子 さ ん が 台 の 上
立 ち 、「 * * 年 * * 月 * * 日 、 7 時 、
市始めます!」の号令をかけ、セリ
始まる。台を取り囲む人々は、目を
けていた魚介類の乗ったとろ箱が
の上に出されると口々に値段を叫
、最 も 高 値 を つ け た 人 が そ れ を 買 う
利を得る。
曽 根 漁 協 で は 、と ろ 箱 を 引 き 寄 せ て
獲物を間近で見るための「かぎ棒」
呼ばれる先の曲がった棒を販売し
お り 、競 り に 参 加 す る 人 が 多 い 時 は 、
ぎ棒を持っている人々が最前列に
つ こ と が あ る 。目 を つ け て い た と ろ
が 台 の 上 に 出 る と 、値 段 を つ け る よ
も 早 く 、複 数 の 人 が か ぎ 棒 で 自 分 の
へ引き寄せ合う姿が見られること
11
が あ り 、最 も 活 気 に 満 ち た 時 間 に な る 。
競 り は 3 0 分 ほ ど で 終 わ り 、そ の 後 、
フグやエイなどの魚をさばく人々の
姿 が 見 ら れ る が 、漁 業 者 に よ る サ ー ビ
スではない。仲買人のほとんどは、フ
グ を さ ば く 免 許 を 持 っ て お り 、免 許 を
持 た な い 人 は 、競 り 落 と し た 後 に ど こ
かの魚屋に持っていくという。
朝市に訪れて漁獲物を購入する仲
買 人 は 、毎 朝 ほ と ん ど 同 じ 顔 ぶ れ で あ
る が 、小 売 店 や 業 者 に 卸 し て い る 人 は
い な い と い う 。仲 買 人 の 資 格 を 持 た な
い知人や友人に頼まれることも少な
く な い が 、仲 買 人 は 主 に セ リ 落 と し た
漁 獲 物 を 家 庭 で 消 費 す る ほ か 、曽 根 新
田周辺に住む親戚や友人に販売して
い る 。山 田 夫 妻 や 他 の 漁 業 者 の 生 産 し
た 漁 獲 物 は 、仲 買 人 を 通 し て 曽 根 新 田
の 周 辺 地 域 に 広 が り 、消 費 さ れ て い る 。
第五章
考察
都 市 近 郊 に あ り な が ら 、多 く の 絶 滅
危 惧 種 が 生 息 し 、ズ グ ロ カ モ メ を は じ
めとする渡り鳥が毎年越冬に訪れる
曽 根 干 潟 は 、新 北 九 州 空 港 の 建 設 な ど
に よ り 危 機 的 状 況 に あ る と さ れ 、環 境
保護の観点から注目を集めるように
なった。しかし、干潟の保護をすると
いうことの意味とは何だろうか。
現 在 、日 本 の 干 潟 の 4 3 % が 危 機 的
状 況 に あ る と さ れ て い る 。お も な 干 潟
は全国で37ヶ所あり、このなかで、
環境庁がとくに野鳥のために重要だ
と公表しているのが千葉県利根川河
口 を は じ め と す る 曽 根 干 潟 な ど 、1 3
ヶ所の干潟である。その中で、将来に
わたっても確実に残せる形になって
い る の は 、ラ ム サ ー ル 条 約 登 録 湿 地 の
千葉県谷津干潟だけである。また、こ
れ ら 1 3 ヶ 所 の 干 潟 の 中 で 、開 発 事 業
などにより危機的状況にあるとされ
て い る の が 7 ヶ 所 も あ る 。曽 根 干 潟 は 、
沖 合 い の 新 北 九 州 空 港 建 設 に よ り 、こ
れら危険な状態にある7ヶ所の干潟
に 含 ま れ て い る ( 註 5 )。
山 田 氏 は 、曽 根 干 潟 で 専 業 漁 師 を 営
む ベ テ ラ ン の 漁 師 で あ る 。山 田 氏 が 行
なっている漁業の全てには干潟の地
形や環境に合わせて様々な工夫があ
り 、伝 統 的 な 方 法 に 自 ら の 経 験 を プ ラ
ス し て 、日 々 思 考 錯 誤 し な が ら 漁 に 出
て い る 。季 節 ご と に 漁 法 を 変 え な が ら
様々な旬の魚を採捕してきた山田氏
「干潟にくらす」 平安啓乃
は
漁
経
保
だ
こ
た
周
山
漁
さ
養
ん
キ 」を 生 み 、人 々 の 生 活 を 支 え て い る 。
環 境 保 護 に あ た っ て は 、そ こ で 生 活
する人々のくらしの保護について考
え な け れ ば な ら な い 。新 北 九 州 空 港 の
建 設 が 進 む 中 で 、ラ ム サ ー ル 条 約 の 登
録 湿 地 へ の 動 き が 見 ら れ る が 、曽 根 干
潟 を 生 活 の 場 と し て い る 漁 業 者 や 、干
潟の豊かな資源によって支えられて
きた周辺地域の人々の生活について
考 え 、今 後 の 曽 根 干 潟 の 保 護 に つ い て
模索していかなければならないだろ
う。
、干潟を知り尽くした存在であり、
業に携わるようになって40年の
験からくるそれらの知識は干潟を
護する上でも必要なものではない
ろうか。
また、曽根干潟の豊かな自然は、そ
で営まれる漁業に大きな恵みをも
ら す 一 方 で 、多 く の 魚 介 類 を 提 供 し 、
辺地域の人々の生活を支えてきた。
田氏や他の経営体の生産するする
獲物は、地元を中心に流通し、消費
れ 、さ か ん に 行 な わ れ て い る カ キ の
殖 で は 、い く つ も の 河 川 か ら 流 れ 込
だ 豊 富 な 栄 養 分 が 特 産 品 の「 一 粒 カ
謝辞
本
宿泊
て多
て頂
く感
曽
の皆
や行
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竹川
多大
皆
稿
、
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根
様
事
文
大
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を
漁
な
た
の
漁
に
な
の
介
援
の
作
や
迷
上
意
業
は
ど
作
教
助
ご
成するにあたって、たくさんの方々のお世話になりました。自宅で
朝市へ同行させてくださった山田夫妻、親族の方々に長期間にわた
惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。貴重なお話を聞か
、参考文献もお貸ししてくださり、誠にありがとうございました。
を表したいと思います。
協同組合の方々、朝市で競り子をなさっている奥田冨江さま、仲買
貴重なお話を聞かせていただきました。新垣さまには曽根新田の歴
、参考になるお話を聞かせていただきました。
成にあたっては、参考文献を貸してくださり、ご指導してくださっ
授に感謝致します。今田文さまには、曽根新田の地図作成にあたり
を受けました。ゼミ生の皆様には、最後までお世話になりました。
厚意に深く感謝致します。
の
っ
せ
深
人
史
た
、
参考・引用文献
福 岡 県 水 産 林 務 部 水 産 振 興 課 『 豊 前 海 の さ か な 』 (財 )福 岡 県 豊 前 海 漁 業 振 興 基 金
金田良禎之
著
1995
「日本の漁業と漁法」
和田
吉弘
著
2000
「人と魚の知恵くらべ」
廣瀬
慶二
著
2001
「うなぎを増やす」
津谷
俊人
著・画
塩野米松
2001
鳥越浩之
編
雄山閣出版
篠原徹
野村正恒
編
1995
「日本の漁師」
1997
1998
著
「図説
2000
成山堂
成山堂書店
魚の生産から消費」
成山堂書店
新潮社
「試みとしての環境民俗学
「現代民俗学の視点
「最新
岐阜新聞社
第一巻
漁業技術一般」
12
琵琶湖のフィールドから」
民族の技術」
成山堂書店
朝倉書店
「干潟にくらす」 平安啓乃
参
協
連
1
2
考
賛
合
9
0
資料
福岡県漁協青壮年協議会
福岡県有明海区研究連合会、福岡県漁協婦人部
会
福岡県水産団体指導協議会
90
「第23回
福岡県漁村青壮年婦人研究活動発表」
福岡県
01
「北九州市水産要覧」
北九州市経済局農林水産部水産課
参考・引用HP
註1
北九州市ズグロカモメホームページ
( http://www.city.kitakyushu.jp/ k2602010/sosiki/kanri_ka/shizen/zug/ind
ex.htm)
註2
関門見聞録
曽根干潟シリーズ2
曽根干潟の生き物
( http://www.navitown.com/kanmon/259.html)
註3
もったいない通信
環境ヒーロー特集
曽根東小学校
( http://www.mottainai.gr.jp/past/sone.htm)
註4
毎日新聞ニュース
「生きる化石」カブトガニ謎のベビーブーム
( http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/nature/topic/news/200109
/06-01.html)
註5
各地の干潟
( http://www.nacsj.or.jp/database/higata/higata-index.html)
13
「干潟にくらす」 平安啓乃
図1
14