(退職勧奨)事件(京都地裁 平26.2.27判決)PDF

M社(退職勧奨)事件(京都地裁 平26.2.27判決)
うつ病(私傷病)に罹患していた労働者に対する退職勧奨が、①解雇の可能性を⽰唆
してなされたこと、②退職しない姿勢が⽰されているのに繰り返し⾏われたこと、③
⾯談が⻑時間に及んだこと等を理由に違法とされ、当該退職勧奨によりうつ病が増悪
したものとして業務起因性を認め、休職期間満了に伴う退職扱いを無効と判断した事
例
掲載誌:労判1092号6ページ
※裁判例および掲載誌に関する略称については、こちらをご覧ください
1 事案の概要
本件は、被告(以下「Y社」)から退職勧奨を受けた直後に休職し、当該休職期間の満
了により退職扱いとされた原告(以下「X」)が、退職勧奨が違法であると主張して慰謝
料の⽀払いを求めるとともに、うつ病の悪化は違法な退職勧奨に起因し、退職扱いは無効
であると主張して、労働契約上の地位確認および未払賃⾦等を求めた事案である。
[1]本判決で認定された事実
概要は以下のとおり。
年⽉⽇
H19.3.1
事 実
X、Y社に⼊社。
裁量労働対象社員としてコピーライターの業務を⾏っていた。
H21.3
H21.8.17〜
H22.2.28
H22.3.1
X、うつ病と診断される。
主治医の指⽰により、Xが休職(第1回休職)。
医師から復職可能と診断され、Xが復職。
X・Y社は、復職の際の勤務条件について、以下の内容の覚書(本件覚書)を交わ
す。
勤務時間:午前10時から午後5時まで(休憩時間1時間)
業務内容:コピーライターのアシスタント業務
賃⾦:休業前の75%(年俸271万8000円、⽉額22万6500円)
H23.6.2
X・Y社、第1回休職と同様の勤務条件で新たに契約締結。
その後、Xは、第1回休職と同様の条件の下で、うつ病の治療を継続している状況
では処理できない業務が割り振られたため、体調が悪化。
H23.7.5
X、チームリーダーのAに対し業務量の軽減を訴えた。
数⽇後、Xは、カンパニー⻑のBから、Aへの訴えについて、顧客に迷惑が掛かる
ようなことであれば解雇もあり得る旨⾔われ、Xの体調はさらに悪化。
H23.7.14・
X、横浜への出張・取材業務に⾏かなかったり、無断で遅刻してY社の30周年記念
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の神社祈願に参加しなかったりした。
これ以前から、Xは朝・昼を問わず机に伏して寝ていることが多い状況であった。
H23.8.22
A・BはXに対し、これ以上の体調悪化が⼼配という理由で退職勧奨(第1回⾯
談)。
H23.8.24
B・Y社総務部⻑C、Xと約1時間⾯談(第2回⾯談)。
X、Cからの退職勧奨に対し、仕事を続けたい旨述べた。
Cは、退職勧奨に同意しない場合は解雇である、選択肢としては基本的に退職か解
雇かの⼆つである旨述べた。
H23.8.26
B・C、Xと約2時間⾯談(第3回⾯談)。
Xは、⾃分から辞めるとは⾔いたくない旨繰り返し述べたが、B・Cは、解雇とな
ると解雇理由が次の働き先に通知され損である、体調のことを考えると業務を続
けられないなどと述べて退職を説得した。
また、Xは、⾃分ができる範囲の仕事をしながら体調回復をして仕事を続ける旨の
希望も伝えたが、Cはそれは無理である旨述べた。
H23.8.29
B・C・X、再び⾯談(第4回⾯談)。
Xは、退職の意思表⽰はしないと述べた。
H23.8.30
Y社代表者・X、約1時間⾯談(第5回⾯談)。
Y社代表者は、「これ以上何もなければ解雇はしない」などと⾔った。
H23.8.31
H23.9.1
X、さらに体調が悪化し、うつ病により3カ⽉の休養加療を要すと診断された。
X、Y社から以下の記載のあるH23.9.1付の休職通知書の交付を受け、再び休職開
始(第2回休職)。
「あなたの私病による休職について申し出を受けましたため、当社の就業規則第9
条第1項第1号に基づき、休職を認めます。」「休職期間は就業規則第10条第1条
第1号の通(ママ)3ヵ⽉です。従って、休職期間は平成23年9⽉1⽇から平成23
年11⽉30⽇までとなります。」「休職期間満了⽇(ママ)し復職させられないと
きは、休職満了⽇をもって⾃然退職となります。」
H23.12.1頃
Y社、Xに対し、「平成23年11⽉30⽇をもって休職期間満了による退職となられ
ましたので、念のため通知いたします。」などと記載されたH23.12.1付「休職期
間満了による退職および退職に伴う諸⼿続について」と題する書⾯を送付。
※Y社の就業規則には、下記の定めがあった。
(休職)
第9条 社員が次の各号の⼀に該当した場合には休職にします。
(1) 業務外の傷病により⽋勤が3ヵ⽉以上にわたる場合(次号以下省略)
(休職期間)
第10条 休職期間は次のとおりとします
(1) 前条第1号の場合 3ヵ⽉(次号以下省略)
(退職)
第13条 社員が次の各号の⼀に該当するときは、その⽇を退職の⽇とし、社員としての
地位を失います。(1号ないし3号省略)
(4) 休職期間が満了し、復職させられないとき
[2]主な争点
本件の争点は、①Y社のXに対する退職勧奨が違法か、②Xが休職期間の満了によりY社
を退職したといえるか、③損害額、④未払賃⾦額、の4点である。
以下では、①および②に絞って紹介する。
2 判断
[1]争点①:Y社のXに対する退職勧奨の違法性
「退職勧奨の態様が、退職に関する労働者の⾃由な意思形成を促す⾏為として許容され
る限度を逸脱し、労働者の退職についての⾃由な意思決定を困難にするものであったと認
められるような場合には、……労働者の退職に関する⾃⼰決定権を侵害するものとして違
法性を有し、使⽤者は、……不法⾏為に基づく損害賠償義務を負う」との⼀般論を提⽰し
た上、本件への当てはめとしては、(a)退職勧奨に応じなければ解雇する可能性を⽰唆
するなどして退職を求めていること、(b)Xが退職勧奨に応じない姿勢を⽰しているに
もかかわらず、繰り返し退職勧奨を⾏っていること、(c)Xが業務量を調整してもらえ
れば働ける旨述べたにもかかわらずそれには応じなかったこと、(d)第2回⾯談が約1時
間、第3回⾯談が約2時間と⻑時間に及んでいることなどの諸事情を総合考慮すれば、
(e)退職勧奨の理由がXの体調悪化に起因するものであること、(f)Y社代表者が退職
勧奨はするが解雇はしないと述べたことを勘案しても、退職勧奨はXの「⾃⼰決定権を侵
害する違法なもの」とした。
[2]争点②:Xが休職期間の満了によりY社を退職したといえるか
「精神障害を発症している労働者について、その後の業務の具体的状況において、平均
的労働者であっても精神障害を発症させる危険性を有するほどに強い⼼理的負荷となるよ
うな出来事があり、おおむね6か⽉以内に精神障害が⾃然経過を超えて悪化した場合に
は、精神障害の悪化について業務起因性を認めるのが相当である」との⼀般論を提⽰した
上、本件への当てはめとして、「平成23年8⽉22⽇以降のY社のXに対する退職勧奨は、
Xが退職の意思のないことを表明しているにもかかわらず、執拗に退職勧奨を⾏ったもの
で、強い⼼理的負荷となる出来事があったものといえ、これによりXのうつ病は⾃然経過
を超えて悪化したのであるから、精神障害の悪化について業務起因性が認められる」とし
て、第2回休職の期間満了をもってXを退職扱いすることはできないとのXの主張を認め
た。
3 実務上のポイント
[1]退職勧奨の適法性について(争点①)
退職勧奨の適法性に関する判断(争点①)の⼀般論および考慮要素は、おおむね従前の
裁判例の傾向に沿うものである。
⼀般論は、⽇本アイ・ビー・エム事件(東京⾼裁 平24.10.31判決 労経速2172号3
ページ)とほぼ同⼀であるし、前掲2[1]争点①の判断に挙げた(a)〜(d)の当ては
めにおいても、(a)解雇の可能性を⽰唆している点、(b)退職勧奨に応じない姿勢が
⽰されているにもかかわらず、繰り返し退職勧奨を⾏っている点、(d)退職勧奨が⻑時
間に及んでいる点等に⾔及し、従前の裁判例と同様の要素を考慮している。
(b)勧奨の回数(本件は5回)および(d)勧奨の時間についていえば、従前の裁判例
を⾒ると、①約4カ⽉間、30数回にわたり退職勧奨がなされ、中には約8時間にわたると
きもあったという事例(全⽇本空輸事件〔⼤阪地裁 平11.10.18判決〕労判772号9ペー
ジ)、②短いときで20分、⻑いときは2時間15分の退職勧奨が11回ないし13回⾏われた
事例(下関商業⾼校事件〔最⾼裁⼀⼩ 昭55.7.10判決〕労判345号20ページ)などがあ
る。
また、(c)会社による業務量の軽減の拒否という点は、従前の裁判例には⾒当たらな
い要素である。
本判決は、Xがうつ病に罹患していたことをも考慮要素に明⽰して退職勧奨の違法性を
肯定したわけではないが、Xがうつ病に罹患していたことが判断に事実上影響した可能性
がある。
精神的疾患を有する労働者に対し退職勧奨を⾏う際には、通常の退職勧奨では必要とさ
れない慎重な配慮が必要である。
具体的には、(i)産業医に退職勧奨の可否・⽅法・時期などを相談し、場合によって
は産業医も退職勧奨の場に同席させる、(ii)労働者の近親者に退職勧奨の場への同席を
要請する、(iii)まずは労働者を休職させ、状況をみる、といった対応が望まれる。
[2]休職期間満了による退職の成否について(争点②)
平成23年に制定された「⼼理的負荷による精神障害の認定基準について」(平
23.12.26 基発1226第1)は、「退職の意思のないことを表明しているにもかかわら
ず、執拗に退職を求められた」ことを、⼼理的負荷が「強」となる具体例としていること
から、従前より、退職勧奨により精神的疾患が惹起され、ひいては労災認定を受けるリス
クが指摘されていた。
従前の裁判例でも、退職勧奨により精神状態が悪化したことにつき使⽤者の安全配慮義
務違反を認めた事例があったが(⽇本通運事件 ⼤阪地裁 平22.2.15判決 判タ1331
号187ページ)、本件は、私傷病である精神疾患が退職勧奨により悪化したことにつき業
務起因性を認めた珍しい事例である。
[3]本件の意義
本件は、精神的疾患を有する労働者に対する退職勧奨には特に配慮が必要であるととも
に、不適切な退職勧奨が労災認定につながるリスクを浮き彫りにする⼀事例である。
【著者紹介】
宇賀神 崇 うがじん たかし 森・濱⽥松本法律事務所 弁護⼠
2012年東京⼤学法科⼤学院卒業、2013年弁護⼠登録。
◆森・濱⽥松本法律事務所 http://www.mhmjapan.com/
■裁判例と掲載誌
①本⽂中で引⽤した裁判例の表記⽅法は、次のとおり
事件名(1)係属裁判所(2)法廷もしくは⽀部名(3)判決・決定⾔渡⽇(4)判決・決定の別
(5)掲載誌名および通巻番号(6)
(例)⼩倉電話局事件(1)最⾼裁(2)三⼩(3)昭43.3.12(4)判決(5)⺠集22巻3号(6)
②裁判所名は、次のとおり略称した
最⾼裁 → 最⾼裁判所(後ろに続く「⼀⼩」「⼆⼩」「三⼩」および「⼤」とは、
それぞれ第⼀・第⼆・第三の各⼩法廷、および⼤法廷における⾔い渡しであること
を⽰す)
⾼裁 → ⾼等裁判所
地裁 → 地⽅裁判所(⽀部については、「○○地裁△△⽀部」のように続けて記
載)
③掲載誌の略称は次のとおり(五⼗⾳順)
刑集:『最⾼裁判所刑事判例集』(最⾼裁判所)
判時:『判例時報』(判例時報社)
判タ:『判例タイムズ』(判例タイムズ社)
⺠集:『最⾼裁判所⺠事判例集』(最⾼裁判所)
労経速:『労働経済判例速報』(経団連)
労旬:『労働法律旬報』(労働旬報社)
労判:『労働判例』(産労総合研究所)
労⺠集:『労働関係⺠事裁判例集』(最⾼裁判所)