13.危機管理・リスクマネージメント

13.危機管理・リスクマネージメント
13 危機管理・リスクマネージメント
事例13-1
98 年の暴動
関連情報
1.企
業
の
業
種
建設業
2.問 題 の あ っ た 時 期
1998 年 5 月頃
3.体験の際の職種・職務
チーフアドバイザー
4.場 所 ( 州 又 は 都 市 )
ブカシ市
A.困難事例の概要
当時、当社はジャカルタから東へ高速道路を使って 30 分位の所で、料金所の近
くにある店舗を使い、業務を営んでいた。
当日はデモに対する問題意識向上の一環から、
従業員にラジオを聞かせていた。
昼の 12 時過ぎ、
突然男のアナウンサーが泣き叫んでいた。
「祖国が燃えている。
」
と…。それも暴徒は、あちらこちらから雲霞のごとく発生。どっちへ向かってい
るのか分わからない。
そこでジャカルタの地図を取り出し、地図上に虫ピンを使って暴動が発生した
場所に印を付けた。そして行き先を感じとったら血の気が引く思いをした。なぜ
なら特にコタ地区を始め、ジャカルタの主だったところがすべて暴徒に覆われて
いたから。
そうこうしている時に暴徒が当社まで 2km の地点に来ているとのこと。
普通に歩くと 30 分。走ってきた場合…!
急遽、店じまいをして逃げる段取りをした。
B.対処概要
従業員の機転により、
会社の入り口に横幅 30cm のイスラム教の看板のようなも
のを貼り、車には各車イスラム教のステッカーを貼って各自避難した。
私を始め、日本人も近くのホテルに避難したが、そこも危険だという情報が入
り、さらに東へ車で 30 分のホテルに避難するが、夜になってから従業員にここも
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13 危機管理・リスクマネージメント
危ないと言われた。近くに軍隊が警備しているエリアがあり、そこにホテルがあ
ると言われ、そちらのホテルに移動した。
その後、スハルト大統領の退任放送を聴いた。
1 週間ぐらい、仲間と一緒にほとぼりがさめるまで近くのゴルフ場にいた。そ
の後会社に戻ったが、驚いたことに当社は無傷で、他社はガラスを始めシャッタ
ー等がメチャメチャに破壊されていた。
C.教訓(知っておくべき情報・知識など)
1.多分「知識」は私たちが上、ここインドネシアで生きる「知恵」は現地イ
ンドネシア人の方が上、運命共同体だと感じた。
2.問題または危険かな、と思ったらその場所に近寄らない。
3.逃げるが勝ち。だがどこに逃げるかが問題。
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13 危機管理・リスクマネージメント
事例13-2 98 年 5 月の暴動
関連情報
1.企
業
の
業
種
製造業
2.問 題 の あ っ た 時 期
1998 年 5 月頃
3.体験の際の職種・職務
現地法人の社長
4.場 所 ( 州 又 は 都 市 )
タンゲラン県
A.困難事例の概要
私の会社は、ジャカルタから高速道路で約 1 時間西へ走ったところの工業団地
の中にある。その工業団地には日系企業が 7 社あった。ジャカルタでは 5 月に入
ってから、学生のデモが頻発し、交通麻痺が時々起きているというニュースが報
じられていた。そして 13 日にジャカルタで大規模なデモが起き、警備隊の発砲に
より学生側に死者が出て、市内のあちこちで火の手が上がっているという話が守
衛から知らされた。
B.対処概要
情報を得るために、現地マネージャーにラジオでニュースを聞かせ、同時に団
地内の日系企業とも連絡を取り合った。工場の従業員にも何となく情報が伝わっ
て、皆そわそわしだし、団地事務所からは「暴徒化した市民がトラックに乗って
この工業団地に向かっている。
」との情報も流されてきたので、午前中で作業を止
めることにした。
昼食後、一般従業員は帰宅させた。暴徒に侵入されないように工場の門をしっ
かりと閉じ、工場内の鍵のかかるところはすべて施錠した。幸い暴徒が来るとい
うのは噂だけで、何事もなかったが、夕方になって我々が車で帰宅しようとして
幹線道路へ出たら、高速道路は閉鎖されていて通れないとのこと。仕方なくまた
工場へ戻った。
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13 危機管理・リスクマネージメント
団地内の駐在員に連絡を取ってみると、今夜は工場で泊まるより仕方がないと
いうことになり、事務所の中にダンボールを敷いてその上で寝た。明け方、現地
従業員が携帯電話で「高速道路は誰もいなくなり、今ならフリーで通れます。
」と
知らせてきたので、すぐに出発した。こうして自分のアパートへ無事戻った。
アパートのすぐ近くに大型ショッピングセンターがあったが、それが火を付け
られて燃えており、群衆がそこに集まっていた。彼らがアパートへ押し入ってき
たら防ぎようもないので、我々は心配になりジャカルタの大使館へ電話した。
「そ
こは危険だから大使館の近くのホテルへ来るように。
」とアドバイスされ、また車
で移動した。その時は幸い何事もなくホテルへ入ることができた。
しかしホテルは満室で、ロビーにも人が溢れていた。日本の親会社とは何回も
電話連絡を取り合ってはいたが、日本では事態をつかめないので、すべてこちら
に任せてもらった。大使館員からは、とにかくジャカルタを脱出したほうがよい
という説明を受け、翌日大使館が用意してくれたバスで空港へ行き、一時帰国し
た。
C.教訓(知っておくべき情報・知識など)
1. テレビやラジオの報道だけでは欲しい情報は得られないので、駐在員同士
の電話連絡と現地の人(従業員)との電話連絡が欠かせない。常日頃から情報
交換できる人を持つことがたいへん役に立つ。
2. 特に自分の車の運転手とは、日ごろから良い関係を作っておくことが肝要。
航空券はオープンで持っておいたほうが良い。混乱の中で航空券を買いに行っ
た人は半日以上行列した。特に家族も一緒の場合は絶対に必要。
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13 危機管理・リスクマネージメント
事例13-3
98 年 5 月の政変から
臨時便で帰国までの経験より
関連情報
1.企
業
の
業
種
製造業
2.問 題 の あ っ た 時 期
1998 年 5 月頃
3.体験の際の職種・職務
アドバイザー
4.場 所 ( 州 又 は 都 市 )
東ジャカルタ
A.困難事例の概要
98 年 1 月よりインドネシアでアドバイザーとしての活動を開始した。着任後、
関連企業の駐在員より教わったことは、
まず在ジャカルタ日本国総領事館に行き、
在留届を出すこと、ジャカルタ・ジャパン・クラブ個人部に登録すること、日頃
の情報収集に努めることであった。
それから 5 月 14 日に政変が起きた。私が属する関連企業の日本人は、家族で駐
在していた。彼らはこのような異常事態が起きた場合の対応を準備していたが、
私は何も備えていなかった。結局 14、15 の両日は、会社が借りてくれた家に帰る
ことができず、工場の応接室の床で新聞紙を敷いて寝た。
16 日の朝、会社のオーナーより様子が落ち着くまでジャカルタのホテルへ移る
ように指示があった。ホテルから現在の居場所を総領事館へファックスしておい
た。
18 日に総領事館から臨時便で帰国するようにとのファックスが入り、会社に戻
って航空券の手配を現地スタッフに協力してもらい、18 日の午後、ジャカルタ日
航オフィスへ行って航空券を入手した。18 日の夕刻 7 時までにインドネシア人の
友人、運転手と空港へ向かい、搭乗券を入手した。出国審査では再入国ビザが期
限切れのため、出国を拒否されたが、空港ではそのような事態を予測していて、
総領事館の方々の支援により空港内事務所で同ビザを臨時発行してもらい、19 日
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13 危機管理・リスクマネージメント
未明の臨時便で無事帰国した。
後日分かったのだが、同グループ内の駐在員の人々はそれぞれ決まった国へ避
難していた。ある人はシンガポール、別の人は日本へ帰国していた。
B.対処概要
現地企業の責任者(オーナー、社長)
、スタッフの指示により行動したので、別
に不安なく対応できた。臨時便の航空券の入手に当たっては、電話回線が混雑し
ている中数名の現地スタッフの協力で電話を掛け続けてもらったため予約ができ、
運転手の好意でジャカルタ日航オフィスまで取りに行くことができた。
再入国ビザの期限切れについては、出国審査場で判明後、領事館の方々の支援
で臨時に発行してもらい難を逃れることができた。
C.教訓(知っておくべき情報・知識など)
1.インドネシアに 3 ヵ月以上滞在する場合は、リターンチケットを必ず用意
する。
2.再入国ビザは期限切れのないように常に更新しておく。
3.携帯電話は持っていると便利。
4.航空券、パスポート(6 ヵ月以上の有効期間があること。
)
、現金(300US ド
ルか 300 万ルピアくらい。)
、国際クレジットカードは常時携帯が望ましい。
5.運転手以外に頼れる友人(現地インドネシア人)がいると安心。
6.居住地が変わった場合、常に在留届を更新しておく。
7.異変の場合、企業の最高責任者の指示に従うのが安全。
8.海外からの情報収集ができる短波ラジオ、パソコンを持っておく。
9.少しでも現地語が話せると心強い。(異変の際は周囲に英語の分かる人がい
なくなる。
)
10.インターネットで内外のニュースを常時得られるようにプロバイダーに加
入しておく。
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事例13-4 1998 年 5 月暴動時の教訓
関連情報
1.企
業
の
業
種
製造業
2.問 題 の あ っ た 時 期
1998 年 5 月頃
3.体験の際の職種・職務
財務担当取締役管理部長
4.場 所 ( 州 又 は 都 市 )
ブカシ県
A.困難事例の概要
暴動発生時、会社はジャカルタより 45km 東に位置した工業団地にあったため、
その状況はよく分からず、テレビと電話での情報収集に限られていた。このよう
な状況下で、日本人学校のスクールバスが学校からの帰路に暴徒に阻まれ、子供
達が家に帰れなくなり、連絡が取れなくなった。私自身も、夕方頃から高速道路
が閉鎖されたため、帰宅できなくなってしまった。
結果として、家族は 3 ヵ所(会社、自宅、学校)に離れ離れとなり、とても不
安な時間を過ごすこととなった。
B.対処概要
1.暴動発生の情報が入った際に、ちょうど出張者が 2 人いたこともあり、すぐ
に近くのホテルの予約をしたため、通常価格で 2 部屋を確保できた。この 2 部
屋が、結果としては日本人駐在員のその日の宿泊地となった。午後には宿泊料
金が 3 倍に高騰した。
2.会社がジャカルタから離れた日系の工業団地内にあったため、危険は全く感
じなかったが、至る所で交通の往来に支障が出ているとの情報があった。まず
は従業員の安全確保のために 3 時間ほど早く帰宅をさせ、トラブルに巻き込ま
れることはなかった。
3.当時の総務課長に、情報の収集を依頼し、駐在員にかかわる情報は HP(携帯
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13 危機管理・リスクマネージメント
電話)で連絡をさせた。
結果としてこれが夜中の 2 時に高速道路を通行できるという情報入手につな
がり、駐在員を帰宅させることができた。ただし、出張者は道路状況が分から
ないため、ホテルにとどまらせ、安全確認をした後にジャカルタのホテルに移
動させた。
4.子供達と直接の連絡は依然として取れなかったが、全員が学校におり、教室
に新聞紙を敷いて寝ているとの情報が入り、無事に早く帰れることを祈った。
帰宅が 3 時前であり学校に子供を迎えに行くために、一度は家を出たものの、
守衛から「4 時頃学校から一斉にバスが出るとの情報があるため、一人で迎え
にいくのは危険だ。
」と制止され、帰りを待つこととした。
(早朝 5 時頃子供が
バスで帰宅した。
)
5.翌日は食料、飲料水等を確保するために、開いている店を探したがすべて閉
店しており、知人のつてで、ようやく日本食スーパーを一時的に開けてもらい、
食料等の確保をした。銀行も取り付け騒ぎと暴徒を避けるため、閉店となって
いて、現金が不足してしまい、知人に借りることで一時しのぎをする始末であ
った。
6.出国のための情報収集をしたが、空港へのアクセスが危険でできないため、2
~3 日は空港にすらたどり着けない状況が続いた。発生から 4 日目にようやく
軍が出動し、アクセスができるようになった。
7.取引先の大手商社が臨時便の席を確保してくれたため、家族の帰国が可能と
なった。一方、私を含め駐在員 3 名は本社側からの一時帰国指示がなかったた
め、やむを得ずジャカルタに踏みとどまることとなった。
C.教訓(知っておくべき情報・知識など)
1.海外駐在の場合は、家族全員が HP(携帯電話)を所有することが望ましい。
また、電話会社は全員同一会社とせずに、2 社以上とすること。所有の1社の
回線がつながらなかった場合、致命傷となる。暴動時にはありがちなことであ
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13 危機管理・リスクマネージメント
り、HP は最重要な連絡手段であるため、発展途上国においては安全確保のため
の必需品である。
2.オ一プンチケットを持っていれば、予約さえできれば緊急時の出国が円滑に
できるため、不安な場合は 1 年のオ一プンチケットを持っていたほうがよい。
3.この時もそうであったが、暴動発生時は 3~4 日程度、家から出ずに嵐が去る
のを待つのが望ましい。すぐに出国行動を起こすとトラブルに巻き込まれる可
能性が格段に高くなる。これは当地駐在者への格言といっても過言ではないか
と思う。
261
13 危機管理・リスクマネージメント
事例13-5
工場隣接地に発生する自然発火火災
関連情報
1.企
業
の
業
種
製造業
2.問 題 の あ っ た 時 期
2004 年 9 月
3.体験の際の職種・職務
ディレクター
4.場 所 ( 州 又 は 都 市 )
パスルアン
A.困難事例の概要
2004 年 9 月 8 日正午前に発見された「野火」
(工場裏側にある空地で発生した
火災)を工場団地管理会社へ通報し、消防隊の出動を要請したが、処置が遅れ、
火災はその時の強風によって大きく成長した。工場建物がその火に覆われるほど
になったため、全従業員に退去を指示した。20 名で消火隊を編成し、緊急に対処
しようとした。一部の火が天井の隙間から工場家屋内に侵入したため、機械防塵
用のプラスチックシートが被害を受けた。天井の断熱シートの隙間にたまってい
る埃等に延焼し、火の玉のようになって落下することが分かったため、外部から
天井を一部はがし、中の確認などを行わざるを得なくなった。その後、裏の空地
の火災は鎮火され、保険会社担当者の到着と共に被害状況について立会い確認を
行った。その後二次災害などの要素はなくなったと判断し、ディレクター(私)
も帰宅した。
B.対処概要
第一 火災経緯
1.12:00 空地の火災そのものについて、当社警備員から工場団地管理会社に
対して通報し、消防隊の出動を要請した。その時には火災はだいぶ大きく成長
していたが、当社工場までにはまだ距離があった。
2.12:30 警備員・人事担当者らにより、工場家屋周辺の状況を確認した。管
262
13 危機管理・リスクマネージメント
理会社に二度目の消防隊要請を行った。
3.12:35 スタッフの独自の判断で、工場の主電源を切断した。特に集塵機の
停止確認が行われた。この時には裏側空地の火災が、強風にあおられて工場建
物を覆いつつあった。
4.12:40 人事部から三度目の消防隊出動要請を行った。しかし時の人事部責
任者は、昼食を取ってから出動することを一方的に通告された。
5.12:40 から 14:00 約 20 名の消火隊を編成し、建物の外部で火勢を監視
した。当初は、他の従業員を全員退避させたが、その後退避を解除して建物
内部の確認をさせた。
6.13:40 工場団地管理会社の消防隊到着。彼らの消火活動は 14:20 まで行
われた。
7.14:00 保険会社に連絡し、現場確認を依頼した。
8.16:00 保険会社担当者が到着し、17:25 まで現場で立会い確認を行った。
9.20:00
警備員、人事と今夜のお互いの連絡先を確認し合い、警戒項目を
夜勤警備員に申し聞かせて、全員帰宅した。
第二 後始末とその後
1.この工業団地では、毎月日系企業代表者の情報交換会が開催されているた
め、9 月の情報交換会でこの火災の経緯を説明し、まずは工業団地管理会社
に対し、併せて管理会社と提携関係にあった日本の大手商社担当部門に対し
て、管理強化要望書を提出することで意見が一致した。そのため、実際の被
害があった当社が代表として要望書を作成した。10 月 21 日付けの要望書を
完成し、12 名の日系企業代表者のサインをもらい受けて、各社に郵送した。
2.工業団地管理会社からの回答があったものの、当日の野火は裏側空地だけ
でなく、他にも発生しており、各所の対応にほんろうされていたために措置
が遅れたこと、消防車を改装することなどを教示するものであって、野火発
生予防・対応の本質を示しているものではなく、その後も一切何ら対応策に
263
13 危機管理・リスクマネージメント
ついては通知されてこなかった。
3.工業団地内での空地には、雑草・雑木が点在しており、周辺住民が家畜を
引き入れ放牧している様子が度々観察されている。今回の原因が「自然発火」
、
「タバコの不始末」、「周辺住民による野焼き」のいずれであるのかは、結局
は解明できなかった。
C.教訓(知っておくべき情報・知識など)
1.日本商社が関与する工業団地管理会社であることから、各日系企業代表が
サインをした要望書は、それなりに扱われるのは当然と考えたのは誤解であ
った。日本大手商社が関与しているというだけで安心感があったが、工業団
地管理会社は周辺住民の立入りを規制できておらず、隣接地の空地に発生し
た野火や、恐らくはその他の危険などに対しても、各社が独自に自己防衛す
る必要があることが再確認された。一部の工場は既に野火の危険性を認識し
ており、防護塀をより高く作り直すなどして対応していたが、当社の場合野
火に対する認識が甘かった。諸般の状況を想定する必要があった。
2.工業団地管理会社との協約書を再確認したが、表現のあいまいさが目立つ
だけで、締結された文章の効果的利用は難しいと考えられた。より具体的ケ
ースで協約締結文章を作成するべきであった。
3.結局、管理会社の効果的対応は望めないものと分かったが、要望は要望と
して提示するというプロセスは、決して無駄ではなかったと考えている。
264
13 危機管理・リスクマネージメント
事例13-6
工場への一部住民乱入事件
関連情報
1.企
業
の
業
種
製造業
2.問 題 の あ っ た 時 期
2000 年 6 月頃
3.体験の際の職種・職務
Development Manager
4.場 所 ( 州 又 は 都 市 )
バンテン州
A.困難事例の概要
地元住民の一部に工場に乱入され、事務所のガラスや備品、自動車の窓ガラス
等を破壊されて従業員が1名負傷した。
工業用樹脂フィルムを製造しているが、
その製品のほとんどが日本向けであり、
顧客からの製品規格が非常に厳しい中で、でき上がった製品にオフスペック品が
発生した。廃品とはいえ、用途を限定しなければ、例えば「ぬいぐるみの中綿」
等に再利用価値の大きな製品であった。会社としては、用途開発を含めてコスト
的に見合わないため、従来からいわゆる廃品業者からの要請に対して廉価で引き
渡してきた。廃品業者(軍関係者のサイドビジネスであったり、地元業者であっ
たり。
)間での商機を狙うつばぜり合いはそれまでもあったが、会社しては競争入
札方式を採ると同時に、地元地域への還元の一環として、周期的に一定ポーショ
ンは地元業者への割当てを優先するなどして、配慮してきた。
(地域との共生につ
いては、従業員や臨時要員での雇用はもちろんのこと、モスク建設寄付や病院建
設寄付、イスラム犠牲祭や地元少年達の割礼時への寄付活動等々、積極的に行っ
てきていた。
)
ところが、それまでの割当てを全部地元へ回すよう、ある地元業者が要請して
きた。会社としてはもとより、廃品販売で利益を得る意図はなく、地元の各業者
や各関係者に配慮しつつ割り当ててきていたが、この業者は商機を独占しようと
の動きであった。
265
13 危機管理・リスクマネージメント
この業者が動員した一部地元住民約 70 名が、朝から会社正門前に集まり、会社
に交渉を要求してきた。アポイントメントがないため、当然門守衛に止められ、
「担当者が不在だ。
」
、
「誰か出せ。
」等の押し問答をするうち、次第に興奮した住
民が、正門の鉄門扉を押し倒し、工場内に乱入してきた。角材や刀(三日月刀の
ような刀)を振りかざし、事務所周辺で暴れた。自動車数台の窓ガラス、事務所
の窓ガラス、器具等が破壊された。会社としては、従業員に抵抗しないよう指示
したが、事務所 1 階にいて器具を守ろうとしたインドネシア人男性従業員 1 名が
頭を角材で殴られ、頭蓋骨陥没の重傷を負った。押し問答中に不穏な雰囲気を察
しての通報により現場に駆け付けていた警察官数名(武装)も、暴挙の間中、傍
観するのみで、威嚇発砲等の制止行動は起こさなかった。
(後日、
「群集からの帰
り討ちを恐れた。興奮した群集が警察署を焼き討ちしたケースも他所で発生して
いたこともあり…。
」との警察コメント。
)
興奮した住民の中には、2 階の工場長(日本人)室目前まで刀を持って迫る者
もあった。
一通り破壊した後、やや落ち着きを取り戻した暴徒に、駆け付けた総務担当役
員(インドネシア人)が代表者との話合いを持つということで、暴徒を場外へ出
した。
その後、夕刻までの話合いと、数回の話合いで判明したのは、地元業者間での
つばぜり合いだった。従来の地元業者ではなく、首都ジャカルタから職無く戻っ
てきた若者達を中心に、新グループが発生し、従来の村長ら旧来のグループと袂
を分かち、新たな商機(彼らからは利権)を拡大させるべく、扇動したことが原
因であった。
B.対処概要
種々のやり取りがあったが、競争入札方式は維持した。次のルール等を関係者
合意の下、実施した。
1.入札だけでなく、各々の価格を関係者立会いの下でオープンし、決定する。
266
13 危機管理・リスクマネージメント
2.どの関係者に決まっても、一定額あるいは購入額の 3%のいずれかを、地元
自治体に寄付する。
「工場を、従業員を守る」ことに関しては、次の事項等を実施した。
1.ハード面
工場の 2 重門化。工場門扉の重量&電動化。管理事務所の製造敷地からの分
離(内門と外門との間に移転。)検討。守衛要員の増強。近傍の陸軍共済会と
の連携により、守衛員への派遣と、緊急時ホットラインによる警備増強依頼。
2.ソフト面
地元(自治体幹部、警察、軍、宗教集団、マスコミ等)との日常のコミュニ
ケーションラインの強化。
C.教訓(知っておくべき情報・知識など)
1.興奮、激情すると、見境ない行動に出る「群集心理」や「amok(元々インド
ネシア人に見られた精神的錯乱状態。
)
」に、十分に注意する。
2.イスラム教義のザカート(喜捨)
、激しい貧富差等を背景に、
「持てる者は持
たざる者に与えるのは当然。
」、「与えざる者は批判非難、ときに攻撃の対象と
なることもある。
」
、
「ときに驚くほどストレートな利権追いの primitive な行
動にでる。」
、「冷めやすくも熱しやすい情緒、扇動に乗りやすい感情。」等々、
特有の価値観、気質も、想定しておく。
3.地方分権の進展、浸透により、
・州、県、村、組、等の自治体首長や議会
・軍、警察、宗教集団
等の勢力地図が塗り変わる時期があり、各勢力との適切な距離感を保ちなが
らのコミュニケーションのパイプ維持は大切。またこうした各種勢力は、許認
可・監督等行政面だけでなく、種々のサイドビジネスを持っており、日系企業
の日常の事業活動に種々な影響を持ってくることを認識しておく。
法体系の未整備、法と運用実態との乖離、行政官個々で大きく異なる裁量権
267
13 危機管理・リスクマネージメント
等を背景とし、地方政府と中央政府との間で行政判断上の食い違い、判断の論
理矛盾がある実態を把握しておく。
(スハルト体制崩壊後、民主化の落し子)
局面によっては、少なからず、法治国家ではなく人治国家の横顔を見せるこ
とを認識しておく。
4.事態発生の経緯、適法性の有無によらず、
「ムシャワラ」と呼ばれる当事者間
の話し合いが、時にこの国の常識のベースとなり、解決手段となり、場合によ
っては法を軽々と超える価値観として存在する。このことをインドネシア人幹
部からの背景説明・解決案として提示された場合に、判断者として認識してお
く。
総じて日本とは異なる価値体系を認知し、自衛し、共生することを肝に銘じ
る。
268
13 危機管理・リスクマネージメント
事例13-7 地域住民のデモ
関連情報
1.企
業
の
業
種
製造業
2.問 題 の あ っ た 時 期
2003 年 5 月頃
3.体験の際の職種・職務
総務担当
4.場 所 ( 州 又 は 都 市 )
タンゲラン市
A.困難事例の概要
地域住民(約 300 人)が工場正門に集まり、工場からの排煙に関する抗議行動
(デモ)を行った。
B.対処概要
1.デモの時間と規模について前日までに情報が入ったため、正門に警官隊を配
備し、行動がエスカレートすることを防いだ。
2.住民代表だけを工場内に入れて会社代表が会った。
(工場内で住民代表と話し
合っている間にデモ隊は自然解散していった。
)
3.よくよく彼らの話を聞いてみると、環境(排煙)問題はきっかけに過ぎず、
彼らの要求の中心は「製品屑の取扱いに対して地元業者へ優先権を付与するこ
と。
」
、
「雇用について地元の住民を優先すること。
」であることが分かった。
C.教訓(知っておくべき情報・知識など)
1.工場排煙・排水などの環境対策については万全を期すこと。
(特に外部の目に
触れる部分)法定の基準値を上回らないことは当然であるが、基準値以下でも
外部の目に触れると、抗議活動のきっかけ(口実)となり得る。
2.地域住民との的確なコミュニケーション、動向の把握。工業団地内の立地で
あれば工場団地管理会社が代表して地域住民との折衝に当たることができるが、
269
13 危機管理・リスクマネージメント
当社のような単独立地の場合は自社での対応が必要になる。当社の場合、長年
の事業活動の中で地域住民並びに地方行政と良好な関係を維持してきたと(少
なくとも日本人は)考えていたが、地域住民代表の中で権力闘争があり、当社
が代表と認識して関係を維持してきた人物がいつの間にか排斥されていたこと
を十分把握できていなかった。
※ 具体的には、新しい設備のスタートアップの際に(2003 年 1 月)
、外部の
目に見える形でかなりの排煙が一時的に出てしまったが、その経過説明をこの
従来の代表を窓口として実施することだけで済ませていた。(「地域住民は理
解・納得済み。
」と報告を受けていた。
)その後、住民自治会の執行部が総入れ
替えになり、1 月の排煙を理由に地元住民が集められ、新執行部主導による 5
月のデモにつながった。
3.優秀なインドネシア人スタッフの確保。地元住民との話合いはインドネシア
人に任せる部分が多い。経営の立場に立って毅然とした態度で交渉できる人物
を社内に確保することが必要である。
4.なお、こうした場合、警察・行政に対しては、
「暴力行為の抑止」以上の調整
機能を期待することは一般には難しい。
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