山形県立博物館ニュース 。EWANA ISSN 0918-8045 No.143 ヤマガタダイカイギュウ全身骨格(レプリカ) 創鵬、タイカイギコウ怯慨ラ? 滝川市で発見されたタキカ ワカイギュウと福島県 Dusisiren dewana (下シシーレン ・デワナ〕。 高郷村で発見されたアイヅタカサトカイギ、ュウが これは、 ヤマガタダイカイギュウの学名です。 今 あります。 これらは、 いずれもヒドロダマリス亜 号よりリニューアルされた博物館ニュースの名称 科という、 海牛の中でも寒冷な海に適応し独自の のíDEWANAJはここからきています。 ヤマガ 進化をとげてきた仲間であることが明らかになっ タダイカイギ、ユウが発見されたのは1978 年の夏。 ています。1995年に戸沢村で発見された山形県で 今年で発見から23年目を迎えようとしています。 2例目の海牛の肋骨化石もヤマガタダイカイギ、ユ 今日、 日本の海牛化石に関わる研究も一層進ん ウの子孫に相当するヒドロダマリス属の化石です。 できています。 ヤマガタダイカイギ、ユウが発見さ 小さな発見がきっかけで、 後に大きな成果が生 れるまで1例しかなかった発見例が、 今では日本 まれることがあります。 第一展示室で来館者を 各地から20 数例の報告があります。 真っ先に迎えるダイカイギ、ユウの全身骨格は、21 ヤマガタダイカイギュウは、 新種として記載さ れた日本で最 初の海牛化石です。 他には、 北海道 雲喜善弱謹Q�2! 霊童霊霊童三主主主主主主霊言 世紀を様々な期待をこめて見つめています。 (神保 功) 望書言語華麗主主主聖書主主主 理璽聖重量重量iiiiiiii童謡言語??警護 山形県立博物館ニュース143号 (1) 咽 fUUち ゃん、ばあちゃんの子供陣代j 官 長 割当E主言語童謡言語室長言語iríllJ迅速:誕生頃記長主主E露 祖父母の子供時代~生活綴方文集から~ 目新道 の関川さん の家に行って、 たのん できまし 「じいちゃん 、ばあちゃん の子供時代」には、 生 た。 … (略)・ 活綴方運動が展開され、 多くの小学校で文集が編 僕は大山工場で金銀を書いたり、 桂馬を書いた 集、 出版されていました。 天童尋常高等小学校の りしています。僕は入った時は30 銭ばかりでした 学校文集 「いてふの木J 第1 号 (昭和 3 年)の巻 が、今度は少しなれてきたので、金は 1円50 銭等、 頭の言葉でも 「綴り方は心の歴史であります。 私 2円50 銭 等と今はもらっています。 たちの心のうつりかはりの記録であります。 それ だけ綴り方は、 見たこと、 聞いたこと、 考えたこ それをつかわないで郵便局に貯金しておいて、 後でそのお金を出してつかおうと思います。 …」 とを正直にそのままくはしく書かなければなりま せん 。」 とあるように、 その当時の子ども達の生活 がありのままに表現されています。 (1いてふの木」第12号昭和11年) .家在自分・進学 主主主後ののぞみ」稲葉 きぬ 尋六 (現小 6 ) 「私は今年落第しないで卒業できたら、ねえさん と同じように、 高等科に入学しようと思います。 けれども、 家の都合で入学できなくなるかもしれ ません 。 その時は家の手伝いをして、 蚕も飼った り、回、畑に出て仕事をしなければならないでしょ う。 家のお手伝いするようになったら、 私は姉妹 の内で一番できる妹を、 女学校か、 師範学校にま で進ませたいと思います。J 学校文集rL\てふの木」 (1いてふの木」第 3 号昭和 4 年) しかし、 軍国主義にともなう思想統制により、 廃棄、 焼却された文集も少なくありません 。 展示 ながとろ 予定の前出の「いてふの木」 と東根市長瀞尋常高 等小学校、 国分一太郎学級文集 「もん ペの弟」 か ら、 子どもだ、った祖父母がどん な体験をし、 どん なことを感じ、 考えていたのか探ってみます。 .働寺子ども 言j扇 _"f'音量 今野 薫 高 ー (現中 1 ) 「僕は隣の家に子守に行って、夜のごはん は隣の 長;静小想画「繭もぎ」 児玉キン(昭和6 年作) 家で食べています。 日曜日などは、 朝家でたべて ,窃子ともに凶た怖のことでも一 昼と 夜のごはん は隣の家で食べました。 そうして 言 ロラ ク ぐ っ 」 王手;-E:=3 宏 尋三 (現小 3 ) おば あ さ ん ズ ック ぐ っ あた た か か っ た つめたく なく てあ そんだ 今 日だ か ら うん と ほ こ っ て あ そ ん だ (2)山形県立博物館ニュース143号 ズ ック ぐ つ は い た ら あ っ た か い て、 お母さん に言ってみますと、 お母さん は矢野 ズ ック ぐ つ は い た れば るから、僕は駒むきに入ったらよかろう。』とd思つ いいな で僕は『兄が (将棋の)駒書きに行って働いてい 、A E斗ノ こ りh 』 4 d ・ ナ J4M kvtv 子守は、 あがったりとなってしまいました。 そこ お れ ち ゃば か り か つ て く れ た ん だ (隣の家の子供が成長して歩けるようになると) なんでも き く からな もきらさないで、つかっています。 … (略)・・・ ( ほこ ってH さわ いで) 僕はその時買ってもらった長ぐつを、 まだどこ おば あ さ ん 子守をして、 長ぐつを買ってもらったりしました。 永瀬 「もんペの弟J (昭和10年)より 2001.6.15 .企画展の趣旨と展示構成 綴方文集で紹介した子ども達は、 消費生 活、 子 (3)昭和初期の授業風景 尋常小学校一年生 の教室を復元します。 また、 守、 大家族、 地域社会、 中等教育への進学など、 珍しい温飯器、 火鉢も展示します。 様々な面で今の子ども達とは全く異なった生 活を、 (4) r長瀞小想画」でみる子供時代 家庭、 地域、 学校で過ごしていました。 「長瀞小想画」は、 昭和初期に東根市長瀞小学校 昭和30年代の高度経済成長を経て、 日本の社会 の児童が描いた生 活画です。 当時の自然と社会を は物質的には豊かになりました。 一 方、 その弊害 生き生きと表現しています。 戦前の児童画の多く も多く指摘されています。「じいちゃん 、ばあちゃ が消失しているなか、 質の高い900点を超える作 ん の子供時代」 を振り返り、 祖父母と孫、 親と子 品 が保存されており、 東根市有形文化財に指定さ で話し合うきっかけになればと思います。 れています。 また、 「長瀞小想画」 と描いた作者、 展示構成は、 以下のようになっています。 (1)昭和初期の社会 祖父母 が子供時代を過ごした社会がどのような 作者の家族写真、 生活用具も合わせて展示します。 (5)チャレンジコーナー ノートが使用されるまで、 低学年を中心に学校 ものであったか、 「写真週報」、 新聞スクラップ帳、 で使われていた石盤・石筆を体験してください。 当時の児童図画作品 、 習字作品などで表現します。 当時のオサライ帳等から問題を作成し配布します0 .おわりに 連日報道される青少年の事件を前に、 新聞等で は、 多方面から現代の社会の特質について分析さ れています。 地域社会の崩壊、 産業構造の変化、 急激な情報化、 少子化、 国際化…。 その中に、「中景」の喪失 が大きな特徴であると いう指摘がなされています。自分自身に関わる「近 「写真週報J (昭和16年"-'18年) 景」 が強く自己主張され、 遠い古代のロマン に夢 をはせる 「遠景」 がよく話題にされる一方、 家族 (2)昭和初期の教育 どのような教育 がなされていたか、 小学校無欠 席児童調、 皆勤賞・精勤賞等の賞状、 通知票、 「小 学校心得j等を展示します。 関係も含めた数世代に及ぶ血縁関係、すなわち「中 景J が失われつつあるというものです。 劇的に変化してきたこの半 世紀、 日本の社会が 失ったもの、 その中で子や孫に伝えるべきことは 何なのでしょ うか? (高野 昌二) 「じいちゃん、ばあちゃんの子供時代」は、ちょ うど和服がらJ洋服へめ転換期と重なります。時 代を追うことによっで?服装、 髪型、h履き物の 蛮化を見ることができます。 またし同じ時期に' 2001.6.15 山形県立博物館ニュース143号 (3) 県立博物館開館30周 年を記念するとともに、 第 1 3回全国生涯学習フェスティバル協賛事業とし て、 特別展 「山形の扉風絵展」 を開催します。 扉風絵の歴史は古く、 奈良時代の宮廷には大陸 様式に学ん だ唐絵と呼ばれる筆 法で描かれた扉風 絵があったと伝えられています。 大陸との国交が 途絶え、 文化の和様化が進展した平安中頃になる と、 貴族の邸宅にはわが国の自然や風俗を主題と したやまと絵と呼ばれる筆法によるみごとな扉風 山形県指定文化財 青山永耕筆「紅花扉風」 (山寺芭蕉記念館蔵) 絵や障子絵が数多く生まれ、 その後扉風絵は時代 がありますが、 本展展示の扉風はすべて六曲一双 を超えてわが国の代表的な伝統芸術作品として今 のもので本県にゆかりのある素封家に伝わってい 日まで継承 されております。 るものです。 大部分が県指定有形文化財の指定を 扉風は、 室内において、 風よけ、 目隠し、 間仕 受けている作品であり、 江戸後期以降の山形の感 切りや装飾用として立てられる可動式折りたたみ 性豊かな知的生活 と接客の心、 併せて美の世界を 形式の調度具です。 本展では、 主に江戸時代の名 堪能していただきたい。 主、 庄屋といった有力者や上級農民の家の接客室 などに用いられた扉風絵を選んで展示します。 民家でみられる扉風には6枚折りの六曲扉風、 4枚折りの四曲扉風のほか、 2枚折りには高 さ6 なお、 本展では江戸後期に活 躍した東根出身の 絵師青山永耕と長井出身の菅原白竜の筆による扉 風絵も展示しますので、 多くの県民の皆さん に鑑 賞を楽しん でいただきたいと思います。 尺程度の二曲扉風と高 さ2尺5寸程度の枕扉風等 2000年の6 月頃、 当時平凡社の久田肇氏より 「山形県最上川石橋Jとキャプション のある一枚の 古い写真があるので、 橋の名前を知りたいとの照 会 があった。 その写真は、 駐イタリア公使バルボラーニ旧蔵 の「大日本全国名所一覧」という写真帳を、マリサ・ (菊地 善教) デ、ィ ・ルッソ氏 (元東京外語大客員教授)が所蔵 されているとのことであった。 バルボラーニは、 イタリアが日本に派遣した三 人目の駐日全権大使である。明治 1 0年 5月1 0日か ら、 明治14年 3月5日まで滞日し、 帰国の際北海 道 から沖縄にいたる1,268枚からなる日本の風景 を写した写真帳を記念に持ち帰った。 従って、全ての写真は明治14年 3月以前に撮影 されたことになる。 照会 の写真の名前を割り出すのに多少時間がか かった。 これは、 明治11 年8 月竣工の坂巻 の常盤 橋であり、 山形十景の名所のーに数えられ、 錦絵 や高橋由ーの彩色石版画や油絵の画題となってい る。 明治23年6 月須川大洪水により流失した。 当時を語る明治初期の貴重な写真である。 (佐々木洋治) (4)山形県立博物館ニュース143号 2001.6.15 資純紹合〈民俗〉 山形県蚕業試士験場関係資粧 平成13年 3月に、 山形県立農業試験場蚕糸部 (元山形県蚕業試験場) より受け入れた蚕糸関係資 料 について紹介します。 山形県 内では、 置賜地方で古くから養査が行わ れていましたが、 江戸時代中頃、 米沢藩主上杉治 蚕卵匹子標本 憲 (鷹山)が養蚕の振興に努めたことをきっかけ に、 本格的 に発達しました。 明治時代に入り、 政 府の殖産興業策によって製糸業がわが国の基幹産 を終えることになりました。 このたび受け入れた資料は、 38点にのぼる貴重 業となり、 養蚕も一層盛ん になりました。 山形県 な蚕糸関係資料です。 その資料には、ワラマブシ・ においても積極的な蚕糸業振興策がとられ、 養蚕 繭毛羽取機などの養蚕道具類、 繭の品種標本・生 戸数・繭生産量も増大し、 明治中期から昭和30年 糸標本・天蚕繭 などの標本・見本類、 蚕病 予 防図・ 代にかけて、 全国有数 の主要蚕糸生産県に発展し 蚕業普及便りなどの資料 類が含まれますが、 特に ました。 試験場において使用された多くの検査・検定機器 県蚕業試験場は、 大正2 年 (1913)に山形市横 類が注目されます。 蚕卵恒子標本、 蚕卵の色名見 町字東原に山形県原蚕種製造所が設置され、 原蚕 本、 蚕病原菌標本、 繭測定器、 分銅秤、 測風器、 種の製造配付、 試験調査等の業務を開始したこと 検尺器、 繭検定袋など16 点で、 いずれも長年にわ に始まります。 その後、 大正11年 (1922)に山 たって試験研究や繭検定などの業務に使用されて 形県査業試験場と改称し、 試験研究等の拡充強化 きたものです。 が図られました。 昭和14年 (1939)に山形市 小 県内の養蚕農家は、 戦後、 昭和28年 (1953) 白川町に移転され、 東北地方でも最新を誇る施設 の約3万3千戸をピークに減少の一途をたどり、 になりました。 さらに、 昭和45年 (1970)には、 平成10年 (1998)には1 00戸を割っています。 か 村山市楯岡に移転して、 試験研究、 蚕業技術者の つての養蚕県山形の面影はうかがえない状況に 養成などに力を入れ、 本県の蚕業振興に大きな役 なっていますが、 近 代以降の産業発展に果たした 割を果たしてきました。 その後、 蚕糸総合研究セ 蚕糸業の役割をもう一度見直してみる必要がある ンターに改組し、 さらに山形県立農業試験場に統 と思われます。 (遠藤 合されて蚕糸部になり、 平成13年 3月にその役割 蚕病原菌標本 2001.6.15 正淑) 繭測定器 山形県立博物館ニュース143号 ( 5) @øtltゆ@ゅ@ IJ�申響盤@帯;目編網3jEt 山形県立博物館では、 平成7 年からの第2第4 企画展 「じいちゃん 、 ばあちゃん の子ども時代」 6月30日(土) ""' 9月 9 日(日) 土曜の学校休業にあわせて入館料を免除してきま した。 そして、 昨年度からは、 山形県内在学の小 おじいちゃん 、 おばあちゃん といっしょに来てく 中学生 については、 平日も入館料が免除されるよ ださいね。 うになりました。 窓口で学校名と氏名を書くだけ の簡単な手続きで入館できます。 ところが、 意外にこのことが知られていません 。 宣伝属 望室翠埠 7月29日(日)琵琶沼自然観察(1 ""'3年) 本館でも、 いろいろな機会に広報しているのです 7月31日(火)昔の遊び・学習体験(3""'4年) が、 来館して初めて無料であることを知ったとい 8月1日(水) 化石学習とレプリカづくり(3"-'6年) うお子さん が少なくないのが現状です。 8月 2日(木) 昔の遊び・学習体験(3""'4年) 今学校では、 総合学習という、 新しい学習が始 まっています。 知識を一方的に教えがちであった 8月 3日(金)化石学習とレプリカづくり(3"-'6年) 8月5日(日) 琵琶沼自然観察(4""'6年) ※いずれも定員は20名です。 教育から、 自ら学び、 自ら考える、 自己学習を高 める教育へと転換し、 子ども一 人ひとりの良さや 可能性を伸ばそうというものです。 夏休みにはぜ ひ、 自分で調べたいことを持って博物館に来てみ てください。 自分では調べられなかった植物、 昆虫、 岩石など また、 本館では、 体験コーナーを7月中旬のス の名前を一緒に調べてみましょう。 タートをめざして準備中です。 いろいろな資料に さわってみたり、 昔の遊び体験したりしながら、 体験教室、 自由研究相談の申し込み方法などくわ 博物館に親しん でもらいたいと考えています。 友 しいことは、 山形県立博物館までお問い合わせく だちとさそいあって、 自然や歴史について学ん で ださい。 みません か! 転 出 副 館 長 学 芸 員 自動車運転技士 退 職 専門嘱託 専門嘱託 託 嘱 転 入 主 幹 企画情報専門員 研 究 員 自動車運転技士 新 任 専門嘱託 専門嘱託 託 嘱 Eモ 嘱 島貫 本間 稲毛 大場 義和(新圧農業高校へ) 正明(酒田北高校へ) 実(県体育館へ) 線、 ) 11瀬 同 大谷 昭男 菊地 善教(県高校教育課より) 道夫(県立図書館より) 拓司(北村山高校より) 浩信(県立図書館より) 中川 八鍬 仁藤 伊藤 暁 修 金山 耕三 安彦 恵美 鈴木 (6)山形県立博物館ニュース143号 2001.6.15
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