法と教育学会 第 7 回学術大会 第 7 分科会-③ 法教育における「多様性」概念 ─フランスの公立小学校の取り組みを通じて─ 金子敏子(パリ第2大学パンテオン・アサス法学博士課程) 本報告は、2015年11月に報告者が訪問したパリの二つの公立小学校の授業内容を紹介す るとともに、その市民教育(法教育)としての意義を検討するものである。 フランスの初等中等教育(日本の小1から高3にあたる)は、二つの役割を担う。一つは、共 和国市民の社会参加のための能力を育成する市民教育としての役割であり、もう一つは、大学等 の高等教育・研究で求められる学力または専門職に必要な能力を養成する役割である。フランス社 会において個人のこうした能力を測る国民的指標となっているのが、バカロレア(フランスの中 等教育修了〔高校卒業〕資格で大学入学資格を兼ねる)である。フランスの初等中等教育は、こ の国家試験合格水準を最終到達点としてフランス国民教育・高等教育・研究省の策定する螺旋式の 教育プログラムに則って行われる。つまり、国が主導する受験対策教育といえるのである。 そもそも、一度の試験で、市民教育の要素と学術的な要素を同時に測れるものだろうか。 この難題に挑み続けるフランスの驚異と苦悩は、日本の法教育を考える上で多くの示唆に富む。 またそれは、高校と大学の連続性や、既存の分野にとらわれない学び、という面でも考えさせら れる。本報告は、多様性概念を手掛かりに、この問いに向き合うものである。 訪問先の一つめは、 パリ16区にある小学校〔Ecole Boileau〕。 心理学者で精神分析家の Jacques Lévine の提唱する理論に基づく、フランスでも先駆的な授業「哲学のアトリエ」を紹介する(な お、哲学は高校の必修科目) 。もう一つは、20区の小学校〔Ecole Vitruve〕。児童の出自も言語 も多様で学級運営もままならなかった60年代に、同校の始めた①クラス分けを廃する、②縦割 りの委員会(Conseils d’enfant)を設けて子どもたち自身に校内の紛争の調停にあたらせる、と いった取り組みは、今では教育関係者やメディアの見学が絶えないほど成果をあげている。 以上の訪問で見えてきたのは、フランス公教育に普遍的ともいいうる一貫した学術的原則、す なわち、学術の才能を一つの主題(sujet)で測る、という方針である。この原則のもとでは、学 習者は日常的に、ある範疇の、ある主題または概念(notions)単位で、自己のもつ認識の枠組み (シェマ)を他者のそれと共有しながら、各々調節し、表現する。調節は他者(文献も含む)と の関係で揺らぎ(相互作用) 、かつシェマは相対性を伴う。そうして一方でそれは習慣化され、フ ランス社会で自己(個人)が他者(社会)と関わる際に必要とされる、人々に共通の体系的思考 (考え方)やコミュニケーション作法(話し方)を生んでいる。報告者はこの一見どこにでも見 られる学習方針、そこに連なる共和国の作法、しかるべき流儀(manière)に注目する。 (つまり、 学校教育に起因するハビトゥスを、一面では市民の社会参加へ寄与するものと評価するのである。 ) ここであらためて、学術性はある部分で市民性に等しいことがわかる。紹介する小学校の授業 もこの中心を貫いている。シェマが相対的である点は、法教育において多様性概念をどう扱うか、 という問題と密接に関係している。もとより多様性の語は多義的で、社会科学の学術用語として 十分な検討がなされてきたとは言い難い。同じことは「共生」概念にもあてはまる。フランス政 府が共和国の価値として前面に出す「Vivre ensemble」 (共に生きる)が“共に戦う”に変容する いま、その教育現場で多様性概念はどのように扱われていたか。そこから省察を試みたい。
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