レヴァント・アナトリア地域における装飾頭蓋骨に関する一考察

2011 年度 優秀卒業論文要旨
レヴァント・アナトリア地域における装飾頭蓋骨に関する一考察
田代 恵美(たしろ めぐみ)
現在のトルコ、シリア、パレスチナ、イスラエル、ヨルダン、レバノン、
イラク、イランなどを含む西アジア地域において、先土器新石器時代(前
8300 ~前 6000 年ごろ)より実物の人頭骨をベースにその顔面部にプラス
ターを塗りこみ、目鼻立ちを再造作(リモデリング)した装飾頭蓋骨が製
作されるようになった。装飾頭蓋骨の容貌は遺跡ごとに異なり、貝による
象嵌で目を表現したものもあれば、アスファルトによって髪の毛や髭など
が表現されたものもある。これらの装飾頭蓋骨は、その特異な容貌から多
くの研究者の関心を集めており、「祖先崇拝」に用いられていたものである
と解釈されているが、現在でもその製作目的および用途は不明瞭である。
図 1:装飾頭蓋骨(イェリコ出土)
(Strouhal 1973)
本論では、装飾頭蓋骨に加工された人物が集落の中でどのような人物であったのか、また製作され
た装飾頭蓋骨はどのような場面において、どのような目的で使用されていたのか、装飾頭蓋骨の年齢・
性別および出土状況をまとめ、考察を行った。
分析・考察
本論では西アジアの中でもレヴァントおよびアナトリア地域の 10 遺跡(イェリコ、テ・ラマド、ベ
イサムン、ナハル ・ ヘマル、アイン・ガザル、カファル・ハホレシュ、テル・アスワド、ユフタヘル、キョ
シュク・ホユック、チャタル・ホユック)から出土した装飾頭蓋骨計 99 個体を分析対象とした。以下
自己の分析方法について紹介する。 先にも触れたが、装飾頭蓋骨の容貌は遺跡ごとに異なる。そのた
め、装飾頭蓋骨の特徴を「プラスター頭骨」・「アスファルト・ビチュメン頭骨」・「彩色頭骨」・「動物
性油脂頭骨」と装飾に用いられる素材ごとに分類し、その他目の表現における「象嵌」の有無、
「下顎骨」
の有無の確認を行った。
装飾頭蓋骨の年齢・性別に関しては、遺跡ごとに解剖学者や人類学者によって分析が行われている
ため、その分析結果に基づいて装飾頭蓋骨の年齢・性別ごとの割合を出した。しかし、同一の資料であっ
ても研究者によって分析結果が全く異なるケースがしばしばみられたため、その場合は、従来の解剖
学的分析に加え、CT スキャンや顕微鏡分析、X 線分析、DNA 分析などの科学的分析を行っている M. ボ
ノゴフスキーの分析結果を中心に年齢・性別の分類を行った。
出土状況に関しては、装飾頭蓋骨がまとまった状態(「キャッシュ」)で出土していたかどうか、出
土場所などをまとめた。
その結果、年齢・性別の分析からは、一部の遺跡を除いて、装飾が施された頭蓋骨に性差は見られず、
子供の頭蓋骨も装飾を施す対象であったことが分かった。また、装飾頭蓋骨は若年層の頭蓋骨を多く
用いているという傾向も見られた。出土状況からは、レヴァント地域とアナトリア地域において大き
く異なること、男女による出土状況の差は見られないということが分かった。
これも先に触れたことであるが、装飾頭蓋骨はその出土数が極めて少ないため、現代の民族事例を
援用して解釈される。民族事例のひとつとして、環太平洋地域の人々の事例が挙げられる。この地域
の人々は集落の中でも有力な人物の頭蓋骨に装飾を施し、それを祀ることにより、死者の力や恩恵に
授かろうとする頭蓋骨儀礼の習慣を持っている。西アジア地域の装飾頭蓋骨に関する従来の研究では、
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このような民族事例を参照して、装飾頭蓋骨の希少性を指摘した上で、集落の中でも特別な人物の頭
蓋骨のみが装飾頭蓋骨として「祖先崇拝」に用いられてきたと考えられてきた。
しかし、本論の分析結果からは、一部の遺跡を除いて、装飾が施される頭蓋骨は老若男女問わず選
ばれていることから、レヴァント・アナトリア地域の先土器新石器時代(一部土器新石器時代含む)
の装飾頭蓋骨は、集落の中でも特定の人物の頭蓋骨のみを対象に製作されていたわけではなかったと
いうことが言える。また、「祖先崇拝」を推測させるような出土状況が明確には見られないことや、装
飾を施される頭蓋骨が、成人人骨の中でも骨化しても頑丈な状態であったであろう若年層のものに多
く見られたということから、装飾頭蓋骨は、環太平洋地域に見られるような祖先の頭蓋骨を利用した「祖
先崇拝」儀礼のために製作されていたというよりも、集落から出てきた頑丈な頭蓋骨をなんらかの「道
具」として利用するために製作されていたのではないかと推測する。
図 2:全遺跡から出土した装飾頭蓋骨の年齢・性別分析結果
今後の課題
本論をまとめるにあたって、以下 2 点の問題点を感じた。まずひとつは、資料を扱う上で多く遺跡が、
出土した埋葬人骨全ての分析をしている状態ではなく、出土した人骨の基本的分析が不十分であると
感じた。埋葬もしくは儀礼全体の位置づけを行うためにも遺跡から出土した人骨の基本的分析は必須
であろう。
ふたつめに、本論では先土器新石器時代(一部土器新石器時代を含む)のレヴァント・アナトリア
地域から出土した装飾頭蓋骨のみを分析対象としたため、それ以前から見られる頭蓋骨儀礼やその他
の埋葬人骨もしくは埋葬址との関連をみることが出来なかった。これらの関連性は今後の課題とした
い。
主要参考文献
Bienert, Hand-Dieter 1991 Skull Cult in the Prehistoric Near East Journal of Prehistoric Religion vol.5
Goteborg : Paul Astroms Forlag pp.9-23 ・Bonogofsky, M. 2006 Complexity in Context: Plain, Painted and
Modeled Skulls from the Neolithic Middele East Bonogofsky, M. (ed.), Skull Collection, Modification and
Decoration BAR International Series 1539 Oxford,England:Archeopress pp.15-28
常木 晃・松本 健編 禿 仁志 1995 「第 6 章 祭りと埋葬 - パレスチナにおける事例を中心に -」『文明の原点を探る - 新
石器時代の西アジア -』同成社 118-145 頁
常木 晃 2010 「頭蓋骨埋葬の二態」『歴史人類』第 38 号 筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻 85-113
頁
長坂一雄編 禿 仁志 1994「頭骨はいかに取り扱われたか - 先土器新石器イェリコにおける頭骨埋葬と頭骨崇拝に関する
覚え書き -」『日本と世界の考古学 - 現代考古学の展開 -』岩崎卓也先生退官記念論文集 雄山閣 370-383 頁
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