英語 1 第 2 章 Introduction FOOD Shunichi Ikegami 若く活発な寿司職人が、日本という狭い領域を脱し、南米のペルーやアルゼンチンで修行を積んだのち、 米国へと移っていった。度重なる困難が彼を失敗に追い込むが、そうして挫折に直面するときはいつでも、 自らの持つ自信が一からのスタートを可能にしていた。そのうち彼の独特な日本料理のスタイルは、彼の並 外れて優れた営業能力や社交能力との相乗効果もあって、ロバート・デ・ニーロなどのハリウッドスターた ちの関心を引き寄せ、手厚い保護を受けるに至った。彼のレストランは突如注目を浴びるようになり、多く の賞を受けた。その一方で彼自身も突然有名人になり、数多くの雑誌やテレビ番組で特集を組まれている。 いまや、世界中で彼のレストランを見つけることのできる場所は多く、ニューヨーク、ロンドン、ラスベガ ス、ロサンゼルス、東京、パリ、ミラノなどである。これは、ノブ、つまり松久信幸の成功の物語である。 もちろん、目を見張るべきノブの人気を私は知っていた。しかし、彼の評判は、ラテンアメリカの感性と 日本の寿司の伝統とを融合し、まるで皿の上の象眼細工のように料理を美しく盛り付けることで、ヨーロッ パやアメリカの消費者の外国好みに合うよう上手くへつらった結果であろうと思い込んでいた。また、すば らしく新鮮な魚介を食べることの目新しさが、彼の成功の一因でもあるとも考えていた。つまり、日本料理 については何も知らず、調理の質や実際の料理の味ではなく体験の新鮮さに惹かれてしまった外国人がノブ を好んでいるのであって、ノブの人気も実に刹那的なものになるだろうと予想していたのだ。 数年前に起こった出来事で、私は考えを変えてノブの料理を食べたいと思うようになった。イタリアでイ タリアの食文化の歴史について調べている時に、私はフレスコバルディ公爵家をインタビューのために訪れ た。フレスコバルディ家はイタリアの有名な貴族である。彼らは高級ワインとオリーブ油の生産し、世界中 へ輸出していることでも有名である。私がカメラクルーとともに、花の都フィレンツェのサント・スピリト 教会のそばにある彼らの豪華な邸宅を訪れたとき、ボナ・フレスコバルディ侯爵夫人は以下のような話を教 えてくれた。 2000 年 6 月 17 日の土曜日に、一家はフィレンツェ東に位置する、彼らの城の一つの再オープンを祝った。 この城ニポッツァノは千年以上の歴史を持っている。これを祝うため、盛大な宴会を開き世界中の有名人が 招かれた。500 人のゲストの中には、米大統領のビル・クリントンやイタリア大統領のカルロ・チャンピを はじめとする、政治、経済、映画、ファッション、料理、食品業界、それにメディア、といった様々な世界 の第一人者たちが多く含まれていた。世界を代表する 4 人のシェフがこの特別な行事のために選ばれ、料理 の腕をふるった。その日のテーマは「四季」となっていて、各シェフが各々の季節に基づき、創造的で実に 繊細な「作品」を提供した。ノブの担当は「春」であった。彼は自らの「春」の表現として、手を込めたシ ーフードとロブスターのサラダにシュガートマトのドレッシングを添えて用意したが、それは非常に熱心に 受け止められた。 イタリア人というのは、伝統からあまり外れすぎず、シェフ個人の才能のみにかかっている料理を好む傾 向がある。ひどく風変わりな料理や、目新しい材料、変わったソースは必ずしも好まれるとは限らない。さ らに、フレスコバルディ家はイタリアの食文化の伝統を保存する役割を中世からずっと果たしてきたことを 非常に誇りに思っている。この、保守的なイタリア食文化の典型がノブを選んだことは、彼の料理が単なる 表面上の美しさと目新しさだけのものではなく、魂と肉体の実に深いところに至るまで人間を満足させるも のであることを意味するのだ。彼の料理は真の意味での料理であるに違いない、と私は感じた。 私は、彼の店の一つに行くという夢をようやく実現させることが出来た。六本木の店を訪れると、ノブの 作った多くの有名な料理が少しずつ詰まっている弁当を注文した。その経験について私がどう思っているか であるが、まあそれは驚きの連続であった。それが何を意味するかは、私の秘密ということにしておこう。 The Nobu Mathuhisa Story Nobuyuki Matsuhisa 高校を卒業後、松久は新宿の松栄寿司で寿司職人としての修行をした。1972 年、日系ペルー人のサラリー マンに、リマに移って伝統的な寿司屋を開いてみることを勧められた。 ペルーの魚は太平洋直送で質が良く、日本の伝統的な寿司職人としての修行を数年行ってから、彼はペル ーの料理スタイルも面白いということに気づいた。ニンニクやチリトウガラシといった興味深い味であふれ たその料理は、彼とって新しいものだったのだ。そして柑橘類の果汁で魚をマリネにする、南アメリカの生 魚の調理法を見つけた。 しかし、ペルーでの実りある刺激的な 3 年間の後、レストランでのパートナーが、食材を節約してレスト ランの経費を削減するよう頼んできたのだ。その対応として、松久はそこでの仕事を辞めアルゼンチンに移 った。しかし、アルゼンチン料理の中心は魚ではなく肉だった。彼が言うには「水を失った魚」のように感じ て、日本に戻ることに決めたという。それでも彼は新たな目標を求めていてもたってもいられなくなり、す ぐに再び海外で働いてみることに決めた。 松久は借金をして、新しい家族とともに、魚の質がすばらしいアラスカのアンカレッジに引っ越した。あ まり資金がなかったため、彼は料理の作業と同じくらい、レストランを建てる作業もほぼ一人でやり遂げた。 1980 年の終わりに、感謝祭を祝うために 1 日の休みを取った。 アンカレッジでは小雪が舞っていた。降り積もる雪で白銀に染まり、どんどん雪に閉ざされていくその町 で、橙色の炎が燃えていた。建物が焼け落ちるのを静かに見つめながら、私は降り続く雪の中で呆然と立ち 尽くしていた。友人宅でのパーティーから急いでき駆けつけたので、Tシャツ 1 枚しか着ていなかったが、 寒さも何も感じなかった。燃え上がる建物から灰が空中へと舞い上がり、私の頬に乗った。熱かったのだろ うが、そのときは熱さなんかに意識が回らなかった。 燃えているのは私のレストランだったのだ。オープンから 50 日しか経っていなかった。開店までの 6 ヶ月 間、私は自分でハンマーとのこぎりを持ち、建設を手伝いに行っていた。食材を調達する経路を確保し、メ ニューを考え、スタッフのトレーニングまでやっていた。レストランがオープンすると、評判は非常に良か った。来る日も来る日もレストランは常に客でいっぱいだった。 私は 50 日間全く休むことなく働いた。店を開くために借金が積もっていたが、ことの運びに私は元気付け られていた。日本に残してきた妻と娘がこちらに来て自分と一緒に暮らせるだけのお金は稼いでいると思い、 私は彼女らを呼び寄せることにした。 50 日目は感謝祭であった。その日はスタッフと自分自身が休むために店を閉めた。開店からそのときまで 私たちは働きずくめだったのだ。 その夜、レストランの仕事仲間からの電話を受けたとき、私はパーティーを楽しんでいる最中だった。「ノ ブ、レストランが燃えている!できるだけ早く来てくれ。」彼はあわてた声で言った。私は悪い冗談だと思 い彼にそう言ったが、彼は繰り返した。「火事なんだ、本当に。」電話で話していると、サイレンが聞こえ 始めた。 1980 年の感謝祭の日、松久のアラスカでの夢は灰になってしまった。彼が再び店を開くに至るまで、9 年 間の仕事を強いられることとなった。 私はロサンゼルスに移り、寿司バーで働き始めた。このとき、私はゼロからの出発ではなく、借金を背負 ったゼロ以下からの出発だった。「Matsuhisa」をロサンゼルスに開店したとき、アラスカでの事件から 9 年後だった。 私は「Matsuhisa」を理想の料理を作れる場所にしようと初めから決めていた。良質の魚を買うことをけち ったりしなかったので、食材費は常に高くついた。良い材料を使い、心を込めて良い料理を作ればきっとレ ストランは支持してもらえると確信していた。お客さんが満足してくれさえすれば、利益がなくてもいいと 思っていた。私自身はどうにか暮らしていくことができ、スタッフの給料も払うことができた。ヴェバリー・ ヒルズのレストランで、ペルーでは単なる善意で終わってしまった夢を実現させようと私は決心した。 「Matsuhisa」はノブ・マツヒサの世界的に有名な数々のレストランの最初の一つだった。今日では、「ノ ブ流」の料理は、世界中にある松久のレストランの基調をなすものである。彼のベストセラーの料理本で、 ノブ流とは何なのかを解説している。 料理は私の人生であり、この本は私の人間として、料理人としての人生を率直で正直に表現したものだ。 私は料理のしかたを隠さず教えるし、それぞれの料理がレストランで実際にどのように作られ、出されるの か説明している。一般人にこれらのレシピを公開することを疑問視する友人もいる。そういう人はおそらく、 プロの秘伝を晒してしまうことで私の商売に何らかの悪影響があるはずだと心配しているのだろう。しかし、 料理はそんなものではない。食べ物には料理人の感情や個性が込められている。たとえ私の指導に忠実に従 い、全く同じ材料を正確な量だけ使っても、私が作るのと全く同じ味や食感を完璧に再現することは不可能 であると確信している。なぜなら、私はいつも料理に特別なもの、つまり心(日本語で言うところの「kokoro」) を込めているからであり、あなたももちろん自分の料理には自分の心を込めなくてはならない。 厨房に立つとき、私はある基本的な欲求で動かされている。お客さんを喜ばせ、満足させ、すばらしい料 理を楽しめたという声を聞きたい。技術や芸術性において私よりも優れている料理人がたくさんいるのは分 かっている。しかしその一方で、私の料理には魂があることも知っている。私にとって料理で最も大切なの は、隠れた味について気づいてもらえるような小さな驚きをお客さんに与えることである。それは私が作る 料理の一つ一つを通して私の心を伝えることである。あなた方がこの本を読んでレシピのいくつかを試して みようという気になり、自分の料理について新たな視点が生まれたとしたら、その嬉しさはこの上ない。な ぜなら、それもまた料理を通して心を伝える方法であるからだ。 よく私の料理がなんたるかを決めるよう頼まれる。私は「ノブ流」の料理と呼ぶことにしている。日本料 理、基本的には寿司を固い基盤としているが、南北アメリカの影響もある。私の意図としては、常に日本料 理の良いところを私独自のスタイルに活かすことである。そのようなこともこの本のねらいであり、そんな 理由から私はレシピを作る際に使う材料について妥協は一切しなかった。非常に新鮮で質の良いシーフード、 日本でしか手に入らない多くの材料。ノブ流の料理は、新鮮なシーフードのよさや野菜そのものの甘さと食 感を引き出すものだ。魚は生で食べられるくらい新鮮でなくてはならない。貝、エビやカニ、タコは理想と しては生きたままのものを買うのがよい。どんなに絶妙な調味料を使ったとしても、本当の新鮮さにはやは りかなわないからだ。違いは自分の舌で味わってみて欲しい。 基本というものは料理の技術を支える土台しか与えてくれないのは言うまでもない。残りは本当に自分次 第なのである。そして、自分に独特な味を発見するより楽しいことがあるだろうか。ノブ流の料理は寿司を 基本としている。私は米を上手く料理する方法も、最も良い魚を選ぶ方法も、それを料理して出す方法も知 っている。しかしそこで終わったりはしない。大切なのは、料理に限らず言えることだが、基礎を適用し応 用し、新しいアイデアを実験し続けることだ。このようにして、ノブ流の料理は今も進化を続けている。始 めは上手くいかなくても心配しないでほしい。何度も何度も挑戦して、トロをウェルダンとレアのどちらで 焼くのが好きなのか、自分自身で確かめて、自分の味覚に合った塩やスパイスの正確な加減を探してほしい。 そのうち、この本にあるレシピのどれもが、誰にも真似できないあなただけの料理へと進化することだって あるのだ。 そしてたっぷりと心を込めることを忘れないで欲しい。
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