DMT の視点を通じた観光地評価の試み

DMT の視点を通じた観光地評価の試み
屈博煒、吉澤由美子、トム・アレンツ、曹琬、鄒德郡(法政大学大学院)
Keyword: DMT、観光政策、中国、キルギス、ベルギー
【研究目的】
少子高齢化が進んでいる今、地方の経済が疲弊
している。観光産業は、雇用を創出し、投資を促
進し、交流人口を増やす効果をもたらすため、地
域活性化の施策として専門家からも注目されてい
る。各自治体も積極的に観光の政策や仕組みを作
り、
「地方創生」の一環として重視するようになっ
てきた。 今後観光産業を地方経済の基盤とするこ
とも、日本の「観光立国」としての実現にもつな
がるのであろう。
しかし、観光産業を地域活性化の戦略の一つと
して位置付けることに対し、日本の各自治体は表
層的であり、さらに「ゆるキャラ」等の安易な従
来の「観光作り」に甘んじている現状がある。本
来であれば、顧客となるべき観光客層を明確にし、
観光客のニーズやウォンツに訴求するコンテンツ
を提供して他の観光地との競争優位を得る戦略が
必要だと説かれ、その理論的な根拠として、DMT
(Destination Management Theory)がある。
本研究では、DMT に即して地域の観光戦略づく
りを進めるために、観光客に訴求する誘客要因が
何か、そしてその誘客要因は何故観光客を呼び込
んでいるのかを明らかにする。事例として、中国、
ベルギー、キルギスの代表的観光地域を選択し、
DMT に即して、誘客要因を検討することとした。
【研究内容】
観光地を擁する国がどのような市場経済化の
状況にあるかに応じて観光の態様が変化してい
る可能性がある。国際比較をする点から言えば、
同じような市場経済化状況にある国を比較する
ことも、異なる市場経済化状況にある国を比較
することもできる。
本研究は、市場経済化の端緒にあるキルギス、
著しい成長過程にある中国、成熟した段階にあ
るベルギーを研究対象として取り上げ、Crouch
氏の Determinant Destination Competitiveness
Attributes に 提 示 さ れ た 項 目 中 、 Core
Resources & Attractors のうち 6 個のパラメー
ターを基準とし、各種のデータを踏まえて誘客
要因を分析する。(表1参照)
(表1:Chrouch2007 を参考に筆者作成)
【研究方法】
3カ国の中で代表的な観光地を選定した。中
国は西安市、キルギスはイシククリ州、ベルギー
はリンブルグ州である。
これら3地域の観光要因を客観的データにそ
くして分析した。用いたデータは、観光統計、観
光ガイドブックなどである。客観的データの分
析を通じて得た結論に対して、各研究者が参与
観察に基づいてその妥当性を主観面からさらに
検討した。
【研究結果】
先進国の観光産業は必ずしも成熟した段階に
あるとは限らない。また、途上国の観光産業は必
ずしも未熟なものとは言えない。観光産業の成
熟度は単に一国の経済発展レベルによるのでは
なく、地理的要素、文化など様々な面に依存して
いる。
経済発展の段階が異なる 3 つの地域に共通し
て”Superstructure”と”Special Events”に
対する取り組みは十分ではなかった。
1、 中国
西安を訪れる観光客は、広く中国の各地から
来ている。西安市の観光誘客要因は”Culture
and History”、”Entertainment”である。
【Culture and History】
(客観的分析)
「文化・歴史の観光地」を来訪目的にした観光
客は西安に来た観光客の 30.6%を占めた。
(2014
年・「陝西省観光産業における経済発展報告
書」)
(主観的観察)
西安は昔、中国の諸王朝の都となった長安で
あり、歴史教科書や国語教科書で取り上げられ
る地名や名所は今の西安でも見られる。町中を
散歩するだけでも、歴史の重さを感じるができ
る。
また、兵馬俑に代表される世界遺産などの有
形文化財が多数あり、西安市は、そのような文
化・歴史の遺跡を観光産業の資源として積極的
に活用している(現地調査による)
。
【Entertainment】
(客観的分析)
「休憩・買い物」を来訪目的にした観光客は西
安に来た観光客の 33.8%を占めた。
(2014 年・
「陝西省観光産業における経済発展報告書」)
(主観的観察)
西安市は陝西省の省都であり、
中国北西部最大
の都市である。映画館、レストラン、劇場、ショ
ッピングセンターなどが集中しており、
陝西省内
の他の地方都市の人々や陝西省に隣接した省の
人々を魅了している。それが誘客力である。
西安の大学の数は中国で三番目に置く。
全国か
ら来た 150 万人の大学生が西安市に生活してい
る。休日、夏休み、冬休みの時、彼らも観光客と
して、行動している。したがって、大学生たちも
西安観光に影響を与えている(現地調査による)。
2、キルギス
キルギスの 7 州のうち、イシククリ州の観光
ポテンシャルが最も高い。観光資源であるイシ
ククリ湖には旧ソ連時代に魚雷の試験場があり、
またイシククリ湖の周囲には多数の鉱山が存在
したため、外国人の湖畔への立ち入りは禁じら
れていた。しかし、キルギス独立後、イシククリ
湖は貴重な観光資源となった。特にカザフスタ
ンやロシアなどの元 CIS 諸国ではイシククリ湖
は認知度が高く、イシククリ湖の北岸のチョル
ポンアタ市を中心としたリゾート地へは湖水浴
や療養を目的として毎年多くの人々が訪れる。
イシククリ州のリゾートが人々を惹き付ける
理 由 を 検 証 し た 結 果 、 ”Physiography and
Climate”、”Mix of Activities”の 2 点に優
位性があった。
【Physiography and Climate】
(客観的分析)
首都ビシュケクから東へ 190km、南北に分か
れる天山山脈の中間に位置するイシククリ湖
はキルギス語で「暖かい湖」を意味し、標高
1,600m にありながら湖底の湧き水により冬場
も凍ることはない。塩水湖で水は青く(透明度
は世界第 2 位で、20m を超える)
、その美しさか
ら「中央アジアの真珠」と称される。 晴れた日
には湖対岸に氷河を頂く山々を一望に収める
ことができる(2010、
「JICA 報告書」
)
。
(主観的観察)
観光地として発展しているのは湖北岸の一
部地域であるが、南岸は手つかずのビーチが広
がり、水は北岸より澄んでおり、素朴なリラク
ゼーションの場を提供している。
また近隣諸国のスポーツチームの高地トレ
ーニングの場として活用されている(現地調査
による)。
【Mix of Activities】
(客観的分析)
チョルポンアタ市を中心に、イシククリ湖北
岸にはソ連時代に建設されたサナトリウムや
保養施設が多数存在する。利用者の大部分は同
様の施設に慣れ親しんだ地元キルギスや周辺
の旧ソ連国民で、特に高齢者が多い。施設内に
は温泉、泥、電気による治療機器や室内プール
が備わっているが、設備の老朽化が進んでい
る。宿泊客は定められた療養プログラムに基づ
いて行動する。最高級とされる「オーロラホテ
ル」は、ソ連時代には共産党幹部用施設だった。
現在でも、食事は全宿泊客同メニュー、館内標
記はロシア語のみである等、旧ソ連スタイルの
経営が続いている(2011、
「JICA 報告書」
)。
ソ連時代「労働」と「観光」は密接に関連し
ており、それらを国家が統制していた。国会議
員や医師は労働の報酬の一つとしてイシクク
リ湖のサナトリウム利用バウチャーを給付さ
れており、イシククリ湖での療養はステータス
であった。そのため、ソ連崩壊後も元 CIS 諸国
の人にとってイシククリ湖での療養は人気が
ある(Akmatobekova)。
(主観的観察)
シーズンになると、チョルポンアタ市付近に
はカザフスタンやロシアのナンバープレート
を付けた車が多くみられる。国内からは政府機
関関係者とその家族をのせた多数の大型バス
がサナトリウムに到着する。イシククリ湖で夏
に湖水浴をするとその年の冬は風邪をひかな
いと信じられており、近隣諸国やキルギス国内
の人々でにぎわう(現地調査による)。
3、ベルギー
リンブルグ州はベルギーの西北に位置する州で
あり、首都のブリュッセル市、オランダのマースト
リヒト市とドイツのアーヘン市に囲まれている。
その市街化区域の中の自然が豊かであるため、リン
ブルグ州は「緑の肺」と呼ばれている。
2015 年、ベルギーを訪れた 1,584 万の観光客の
うち、約1割(126 万人)がリンブルグ州を訪問した。
観光客の9割はベルギー、オランダ、ドイツから
来訪し、平均3泊滞在する(ベルギー政府、
「Nationaal Bureau van Statistiek」) 。
【Physiography and Climate】
(客観的分析)
「緑の肺」には「高地ケンペン国立公園」と
「ボクリーク州立公園」など、自然豊かな公園
がある(2015 年の各公園来訪者は 100 万人であ
った)。
(主観的観察)
リンブルグ州はベルギー、オランダ、ドイツ、
の諸都市にとって「緑の肺」のような役割を果た
している。
【Culture and History 】
(客観的分析)
ボクリーク州立公園には中世の建物を展示し
ているボクリーク歴史野外博物館があり、年間
30 万人の入込がある。また、炭鉱博物館(年間
入込客 6 万人)とガリア・ローマ博物館(観客年
間入込客 15 万人)がある。
(主観的観察)
50 年前の炭鉱体験ができる施設のような文
化・歴史を追体験する設備が増えている。また、
リンブルグ州で撮影された映画、『闇を生きる
男』などの舞台風景を見たい観光客のようにコ
ンテンツツーリズムも盛んになりつつある。
【Mix of Activities】
(客観的分析)
リンブルグ州では長距離の乗馬、はだしでの
長距離散歩、サイクリングが注目される。それぞ
れに専用道路が敷かれている。 サイクリング専
用道路は約 1,860 キロメートルに及ぶ。サイク
リングロードがあたかもネットワークを構成し
ているかのようである。
このサイクリングロードネットワークは19
80年代の炭鉱閉山の時期から作られてきた。
当時の坑内で使われていた坑道のネットワーク
の作り方を参考にしてサイクリングロードの形
成に役立ててきた。このようなサイクリングロ
ードのネットワークはユニークであり、人気を
博している。2014 年のサイクリングロード利用
者は年間 212 万人と多数にのぼる(リンブルグ州
の人口は 86 万人)。
しかし、このサイクリングロードの形態は近
隣地域から模倣されるようになってきた。その
ため、ユニークさを増そうとする取り組みが行
なわれている。例えば、沼の中のサイクリングロ
ード、地上で梢が見えるようなサイクリングロ
ード、トンネルの中のサイクリングロードとい
った新しいコンセプトが作られている。
(主観的観察)
一年中様々な公園、博物館、遊園地を訪問する
ことができる共通パスカードが好評である
(2015 年利用者 5 万人)。
また、
「雨の保険」がある。天気予報で50%
以上の降雨確率が発表されたならば、翌日のイ
ンドア観光施設を入込客は無料で使用できる仕
組みである。
観光への影響
評価項目
中国
Physiography and
Climate
Culture and History
Tourism
Superstructure
Mix of Activities
Special Events
Entertainment
(表2:筆者作成)
キルギ
ス
ベルギ
ー
○
○
○
○
○
○
○
【研究考察】
中国
1、 西安観光の誘客要因が”Culture and History”
に偏る理由
中国の「国家歴史文化名城」に指定され、古く
は中国の諸王朝の都となった長安であり、宮殿や
遺跡などの有形文化財が数多く残っている。その
中、兵馬俑や秦始皇帝陵、漢の未央宮遺跡なども
世界遺産に登録されるなど、有名な文化財が多く
集積しているためである。
2、西安観光の誘客要因が”Entertainment”に偏
る理由
陝西省の省都であり、1992 年 7 月に開放都市に
指定され以来、ユーラシア大陸の連絡路として中
国北西部最大の都市となっている。西安に来た国
内観光客の発地は、陝西省内の各地方都市及び、
河南省、山西省、四川省などの隣接した西、中部
の諸地域である。西安は西部の最大の都市として、
周辺の地域と比べ、娯楽施設が多いた
め、”Entertainment”が西安観光の誘客要因にな
った。
世界の工場と言われている中国は今、人件費の
高騰などの要因で、製造業に関連する雇用が急速
に減少している。雇用を増やすため、観光産業が
期待されている。しかし、西安市における観光産
業は遺跡に代表される有形文化財に依存しすぎて
いる。それを改善しない限り、西安の観光産業は
国内観光客に向けた道半ばの状況であり続けるお
それがある。
キルギス
元 CIS 諸国から観光客がキルギスに来る理由は
イシククリ湖での湖水浴とサナトリウムでの療養
による自然環境を利用したリラクゼーションによ
るものである。イシククリ州の観光課題と観光政
策の方向性を以下の通り示す。
1、ヨーロッパ等他国からの観光客の需要に対応で
きるホテルのマネジメントなどを含む観光人材の
育成が不足しており、人材育成が急務である。ま
た現状ではロシア語以外の外国語に対応できる人
材が少ないため、英語をはじめとしてドイツ語や
フランス語ができる人材の育成も必要である。
2、イシククリ湖が観光資源であるが、シーズンが
3 か月弱と短く、それ以外の時期は観光客を引き
付けるアクティビティがないことからも、地域の
観光による収入は限定的である。冬季のスポーツ
チームのトレーニングの場として誘致を強化する、
または冬季のアクティビティを開拓することが望
ましい。
3、イシククリ湖周囲の一部地域のみリゾートが整
備されている。湖周囲の各地域のユニーク性を活
かしたリゾートを開発し、観光客が滞在する場所
の選択肢を増やすことが望ましい。
4、他国と比較して歴史的建造物等が少なく、伝統
的なスポーツやお祭りが開催されていない。シル
クロードの各諸国との連携や民族性を打ち出した
イベントなどを戦略的に実施することが望ましい。
ベルギー
リンブルグは大都市に囲まれている都市であ
る。
リンブルグが他の大都市と連携できるのであれ
ば、そうした大都市からの観光客はリンブルグ
をより訪れる可能性がある。大都市からの観光
客の訪問動機は自然公園でのサイクリング、乗
馬と散歩の体験である。そのようなエコロジカ
ル志向の観光動向は、リンブルグの観光産業を
促進する可能性を秘めている。
【研究課題】
市場経済の成熟度に拠らず、観光客誘因には
欠けている点があることを本研究は示した。そ
の事実を提示するために、中国、キルギス、ベ
ルギーの各地域をケースとして用いた。 結
果、経済発展の段階が異なる 3 つの地域に共通
して"Superstructure"と"Special Events"に対
する取り組みが必要と観察できた。 今後、各
地域の観光が発展するために”
Superstructure”と”Special Events”という
課題を解決する方策を検討することがこれから
の研究の課題なる。
【引用・参考文献】
・UNWTO(2015),”Compendium of Tourism
Statistics”
・Crouch, Geoffrey (2007).”Modelling
Destination Competitiveness”. Melbourne:
La Trobe University.
・加藤 準(2015) 「観光地域作りにおける DMO
の役割」