広 (7) 第 8 7 7 号 報 か い づ か ~人権協だより~ 平成24年12月 問合せ先 貝塚市人権啓発推進 委員協議会事務局(人権政策課 内) ☎433-7160 貝塚市人権啓発推進委員協議会は、市民一人ひとりの人権意識の確立と高揚を図ることを目的に、昭和54年 に設立されました。 現在は各町会や自治会から選出された委員などが中心になり、5月には「憲法週間市民のつどい」、12月は 「人権を守る市民のつどい」などの開催や、「人権セミナー」などの研修会や広報活動を通じて、人権尊重の まちづくりを進める啓発活動を行っています。 5月19日、基本的人権の尊重について考える、「憲法週間市民のつどい」が行われました。 今年は、金子みすゞ記念館館長で児童文学者の矢崎節夫さんにご講演いただきました。その一部を紹介します。 金子みすゞ著作保存会提供 【大漁】 朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽鰮(いわし)の 大漁だ。 浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮(いわし)のとむらい するだろう。 この詩を読んだときに、完璧に僕の まなざしはひっくり返されました。そ れまで「大漁」と聞くと、大漁節しか 知らなかったんですね。人間側からし か見ていませんから、「いわしは沢山 獲れてうれしい」という喜びしか知り ませんでした。でもみすゞさんは、わ ずか10行の中でいわしの方からも見せ てくれたんです。「浜は祭りのよう だ」の後に「海のなかでは何万のいわ しのとむらいするだろう」という、い わし側から見せられた時に「私といわ し」が「いわしと私」に変わりまし た。私が生きるためにはいわしは食べ られて当たり前だったんです。でもそ の時に初めて「私は、私以外の命に よって、生かされてたんだ」と気付い た時に、「私といわし」が「いわしと 私」になりました。つまり「私という 存在は、私以外の命によって生かされ てたんだ」って気づいた時に、自分中 心のまなざしが変わりました。金子み すゞさんという人は、「私とあなた」 ではないんですね。「あなたと私」と いうまなざしの人なんです。 この「大漁」という詩を読むと、一 番わかるのはこの世の中は全て「二つ で一つ」だということです。「浜の喜 び」と「海の悲しみ」です。「喜び」 と「悲しみ」で一つなんです。必ず誰 かが喜んでいるということは、誰かが 悲しんでいるんです。必ず二つで一つ です。でも、それは永遠ではありませ ん。必ず位置が逆転するようになって います。その時その時で変わります。 それから、「目に見えるもの」と 「見えないもの」で一つです。実は、 目に見えないものが圧倒的に多いの に、私たちは目に見えるものが全てだ と思いがちです。そしてもう一つ、 「命」です。つまり、「生きること」 と「死ぬこと」で一つです。生きると いうのは、私以外の命によって生かさ れているわけですから、他のものは亡 くなるということです。つまり、「大 漁」を読むと、この世の中は全て「二 つで一つ」だという根源的なことに気 づかせてくれます。 【こだまでしょうか】 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 在であり、依存し合って生きている存 在なんだという、人間の根源的なこと に気付いたという事だと思います。 かつて私たちの周りにいてくれた素 敵な大人の人は、「こだます」ことの 基本を知っていましたから、キチッと こだましてくれました。例えば、僕が 転んで「痛い」と言った時に、僕の父 や母は「痛いね」って言ってくれまし た。だから僕の痛さは半分になりまし た。おじいちゃん、おばあちゃんは もっと上手に「ああ、痛いね痛いね、 かわいそうだね、痛いね痛いね、かわ いそうだね。」何度も何度もこだまし てくれて、痛さを半分に半分に半分に 半分にしてくれて、その後で初めて自 分の言いたいことを言いました。「泣 くのやめようよ」とか、「我慢しよう よ」って言ってくれました。 でも残念なことに大人はある時か ら、こだましなくなりました。自分の 言いたいことを言うことが、先に言う ことがいつの間にか正当なことだと 思ってしまったんです。 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 【私と小鳥と鈴と】 こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。 私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、 地面(じべた)を速くは走れない。 あなたがいないと「遊ぼう」とも言 えないですし、「ばか」とも言えない です。私たちは、言葉を発するために もまず、聞いてくれるあなたがいて初 めて成り立つんだってことを、あの 「こだまでしょうか」が震災の後CM で流れた時に、沢山の人が無意識に気 づいたんです。それまで多くの人が、 「私はもう一人で生きていける」と 思ってたんです。でもあの大きな災害 があって、あの「こだまでしょうか」 がCMで流れた時に、「ああ、私は一 人では生きていけないんだ」って。 かつて私たちの周りにいてくれた人 達は、みんなこだましてくれました。 「こだま」というのは、あなたという 存在を丸ごと受け入れるところから成 り立ちます。人権の基本は「こだま」 です。否定をしないということです。 私達が今まで「私は私で生きていけ る」と思っていた中で初めて社会的存 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように たくさんの唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 「みんなちがって、みんない い。」っていうのは、「それぞれが素 晴らしいんだ」とか、「みんなの個性 が大切なんだ」とかいう事ではあるけ れども、もっと大切な事は、その一行 前にあるんです。出来ないことと出来 ること、みんなそれぞれにあるんだっ て気付いたのは「私」です。でも、気 付かしてくれたのは「あなた」です。 だから、一行前は「私と小鳥と鈴と」 が、「鈴と、小鳥と、それから私」っ てちゃんとあなたと私に変えたんで す。まなざしを変えなければ「みんな ちがって、みんないい。」は、絶対に ならないんです。自分優先のまなざし を変えましょう、それが人権の基本で すから。基本はあなたがいて私がい て、どちらも大切という事です。だか ら、「あなたが辛い時は、私も辛いん だ」って思わなきゃいけないし、「あ なたの喜びは 私の喜びでもある」と 思わなければいけないという事でもあ ります。 そして、この詩がすばらしいのは、 もうひとつ、つい私達は動植物や人間 は同じ命だから、「命あるものはみん な尊くて大切だよね」っていうのはわ かります。でもみすゞさんはその前に 「鈴」を書いていることです。「無機 物の命なきものも同じく大切」って書 いてあるんです。「一つとして無用な ものはない」って書いているんです。 そしてもう一つは、皆さんは二つで 考える時に「できること」と「できな いこと」って考えますか。「できない こと」と「できること」って考えます か。僕はついこの間まで「できるこ と」と「できないこと」って考えてた んですよ。「見えるもの」と「見えな いもの」って考えたんです。「知って ること」と「知らないこと」って考え たんです。 「私と小鳥と鈴」は、できないこと から唄ってるんですよ。私が両手を広 げても、お空はちっとも飛べないって 言ってるんです。で、あの小鳥は地べ たを速く走れないって言ってるんで す。できないことがあって、それがで きることがあるから、喜びがあるんで す。 ※出典は「金子みすゞ童謡全集」 (JULA出版局より)
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