の考えをご紹介します。本稿は、( )第一法規が 発行している幼児教育の

平成 24 年 11 月 1 日
編集;森の贈り物研究会
(http://www.bdvision.co.jp)
東京都中央区東日本橋 3-8-1
東日本橋コーポラス 1F
48 号
寄席文字
澤登
健氏
目
主宰
花岡 崇一
E-mail:[email protected]
幼児期に育てるべき規範意識の芽
次
○横浜はいじめなどの問題を隠さないという姿勢
Ⅰ社会を強くする「学び」
でした。・・子どもが集まるところには、その未熟
○教育から
「いじめ問題」Ⅱ
℡ 03-3249-0421
p.1
p.3
モンセニ・アカデミー視察
さゆえにトラブルがつきものです。誠心誠意子ども
に向き合って、起こってしまうことについては、そ
れをいかに子どもたちにわからせ、成長の役に立て
るかという視点のほうが大事だと思うのです。
○市町村から
「伊達市→見附市児童移動教室」報告 7
p.4
○中学生にどう向き合っていかれたのですか・・い
じめられている子はなかなか話しません。まずは、
その子の立場に立って、信頼関係をつくりながら、
Ⅱ里山宇宙
オックスフォード通信 vol.07
p.5
バンクーバー便り
p.6
状況を聴いていくというのが第一歩です。私の経験
で、幼馴染に20万円恐喝された子がいました。
ある一定範囲までは、子どもたちも親や先生に気
づかれないように一生懸命隠すのです。だんだん
追いつめられてくると子どもの表情が変わった
「いじめ問題」Ⅱ
り、周りの子から「あいつかわいそうだよ」とい
情報が入ってきたりします。それでも、「何かや
“いじめ”問題について、子育て世代の方々から捨
られたのか」と聞いても、「ノー」と言い続ける
ててはおけない問題としておたよりをいただきまし
わけです。でも、やっぱりおかしいというところ
た。異口同音に『自分の子どもをしっかり見ていく』 で、保護者にも話をして学校を休ませることにし
と合わせて、
『先生方はもっと強く出ていいのでは』 たのです。休ませる以上、家庭で授業をやるから
というご意見でした。今回は、横浜市教育委員会部
と言って、学年の先生たちが空き時間に行ってあ
長(生徒指導担当)
・教育センター長・高校校長を経
る程度の自習をさせながら、私や生徒指導の担当
て、今年玉川大学客員教授に就かれた近藤昭一さん
はその問題の核心に入っていくわけです。そうこ
の考えをご紹介します。本稿は、
(㈱)第一法規が
うしているうちに、ちらっ、ちらっとしゃべり始
発行している幼児教育の情報誌「ようほ
ほっと
めて、安心感の中でようやく話してくれるので
ライン19号」に掲載された近藤さんと港北幼稚
す。この時は、1週間かかって、20万円分の被
園・ゆうゆうのもり幼稚園の渡邉英則理事長の対
害を全部話してくれました。いじめは、自分でつ
談記事から、本研究会の講師でもある近藤さんの
くってきた人間関係が破たんしている状態です
考えを一部抜粋したものです。
よね。人間関係って自分のものでしょ。その自分
p.1
の破たん状態を、他人に語るには勇気がいることで
○大人は・・どんなに言動や行動がひどくても、「こ
す。
いつ、いいやつだよな」って、最初から思ってしま
うんです。相手に通じるためにはそれしかないじゃ
○先生が思っている「いじめ」とは・・優位なもの
ないですか。それでも、裏切られるのはしょうがな
たちが、下位の1人、もしくは尐数の者たちに対し
い話。相手が未熟なんだから仕方ないんですよね。
て、いわれなき攻撃をずっとしていって、人間性を
もっというと、その未熟さをどこか許していて、た
壊すような動きをすること。
とえば、たばこを吸っていても「こいつ、根はいい
やつだよな。でも、吸っちゃいけないんだよ」と思
○いじめる側の子・・いじめの中心になるようなタ
う感じですかね。別の言い方をすると、「この子は
イプの子どもには、何というのですかね、寂しさと
必ず自分の力でこの課題を乗り越えていく力がある
か、埋められないものを抱えているように思いまし
んだ」と信じてかかわるということですよ。ただ、
たね。
同時に、「やったことの責任は取ってもらうよ」と
いう姿勢で対面することも大切ですね。
○今の社会と子ども・・今は、ぶつかり合うことや、
失敗することを許さない社会になっているでしょう。
※横浜の生徒指導で多くの修羅場をくぐってきた
だから、非常に子どもたちも個別化していますね。
近藤さんの言葉には命がある。最近、先進的な教育
中学生の暴力行為もそうです。昭和50年代は、1
に取り組んでいる中学校をお訪ねした。校内で暴力
件の器物損壊に対して4~5人でやっていた。対教師
事件があり、加害者の子どもたちの行動が収まらず、
暴力をやるにも、バリケードをつくるにも、5人、
研究発表会の当日もはっきりこの子たちかとわかる。
10人が束になって学校に反発したりして、「やっ
先生たちの心労はいかがかと思いやると、気が滅入
ちゃおうぜ」「おう、おう」とかいう調子でした。
ってくる。しかし、ここから出発するしかない。「清
でも、今は暴力行為1件当たりの加害生徒数は統計
掃」かなと思う。校内の整頓、刺激的な掲示物の撤
上1人ないしはそれ以下という数値になっています。 去、子どもたちから出た改善要求に応えること、そ
暴力も個別化しています。いわゆる「キレル」です。
して、授業。日本中の学校がどこでも抱えている問
題だ。「山」あり「谷」あり、落ちた時は昇るとき
○幼児の世界から・・人間同士のつきあいというか、
だと、現職の時よく自分に言い聞かせた。(花岡)
グループや仲間になって遊ぶ中で痛みがあって、そ
れで葛藤があったり、けんかがあったり、でも、優
しくされたりということがいっぱいあって、失敗し
て、泣いてわめいて、許してもらって謝って、ある
いは相手を許してという状態がたくさんないと、わ
からないんですよ、人の痛みなんて。子どもは、失
敗するのが仕事ですから、人との関係でもいっぱい
自分を出させて失敗させる必要があるんです。その
子がやったことについて自分を思い知らせていくと
いうことです。自分のよさや自分のだめさを思い知
らせていく経験が多いほど、中学生ぐらいになって
くると、人と共感するということができ始める。そ
のもとは、幼児教育なのだと思うのです。
本研究会でお話ししてくださる近藤先生
p.2
モンセニ・アカデミー視察
2012.10 ドイツ
宿泊施設、レストラン、市役所の出張所、図書館(休
館中)などで構成されています。
<荒野に建つ巨大なガラスの箱
モンセニ・アカデミー>
私たちが訪れた日は、初秋ながらも、気温 8~14℃
と肌寒い日でしたが、中は 18℃と心地いい環境でし
た。真夏や真冬に訪れるともっと分かりやすいそう
ヘルネかつてルール―工業地帯と呼ばれ、炭坑や
ですが、厳しい自然環境を自然の力を利用して、快
製鉄を中心としてドイツやヨーロッパ全域を支えて
適な空間に変える工夫が数多く仕掛けられています。
きた重工業地域にありました。石炭から石油へエネ
例えば、1.気候制御システムは外気の気温、天候
ルギーの変換により閉鎖された炭坑と建物など負の
などの情報に基づき窓の開閉(換気)は自動制御さ
遺産のみが残ったのです。20 世紀の終わりに「環境」
れています。2.太陽光発電は屋根・壁に供えられ
をキーワードとする都市再生プロジェクトを起こし
たソーラーパネルによる発電は 750kwh の電力を生
ました。その中の一つがモンセニ・アカデミーの IBA
みます。必要電気量を遥かに超えた値です。3.大
エムシャ-パーク構想でした。歴史の文化を観光資
面積の屋根に降る雤は地下の貯留槽に集められ、ガ
源とし、さらに環境事業への指標とするとはドイツ
ラス面の清掃とともに便所洗浄水など中水利用され
人ならではの発想でした。
ています。その他にも、大規模熱交換換気装置、廃
坑の地中熱利用、太陽熱集熱装置、廃坑から出るメ
タンガスを利用した地熱発電。など数々の試みがさ
れています。
10 年も前に建てら
れた建物ですが自然
とどう向き合い、ど
う対処するかすべて
機械化されていく世
の中に新しい道標を
炭坑の跡地に建てられたガラスの箱は 62m×
160m×16m の大空間です。驚くことには、この建
示しているように思
えます。
物は木による大架構で造られていることです。樹齢
150 年といわれる 56 本のドイツ唐檜と木造トラス
で構成される大空間は壮観です。とても厳つい空間
森の贈り物研究会 桒嶋
に思えますが、雰囲気は地中海の街のようです。そ
の空間の中には木造 3 階の建物があり、研修施設、
p.3
文部科学省復興教育支援事業
「伊達市→見附市児童移動教室」報告 7
10 月、柱沢小学校→新潟小学校、小手小学校→見附第二
小学校で、今年度予定のすべての「移動教室」が無事終了し
ました。
新潟小学校庭にはなみずきが交流記念に植樹されました。
第二小学校のお別れ会で合唱されたビリーブ「たとえば君が
傷ついて くじけそうになった時はかならずぼくがそばにい
て ささえてあげるよその肩を 世界中の希望をのせてこの
地球はまわっているいま未来の扉を開けるとき・・」の歌
声は、子ども達の気持ちそのままかと思いました。
「きっと、
見附の子たちを伊達に迎える」伊達の先生の言葉が胸に
つきささりました。(花岡)
p.4
いくつかの学校を見て、一番日本と大きく異なり
里
~考えと考え
山
仕事と仕事
宇
宙
人と人をつなぐ~
興味をもった点は、授業中はすべてグループ学習で、
英語の授業ひとつとっても、両隣の人と意見交換を
したり、グループで討論したり、座席の配列も整理
オックスフォード通信
vol.07
アーキテラス一級建築士事務所 石井ひろみ
街角はすっかり晩秋の様相で街路樹の葉のほとん
どが落ち葉になりました。日暮れはこのところ急激
に早まり、18:00にはすっかり暗くなります。
また朝も07:30ぐらいまで暗く街灯がついてお
り、気候と日照の急激な変化に驚くばかりです。
さて、オックスフォードでは10月に私立の名門
されているというよりはぐちゃぐちゃに机と椅子が
何となく輪になって並んでいますが、先生も子供も
そんなことは全く気にせずに子供達は熱心にたとえ
イヤー1(小学1年生)でも、子供同士質問しあっ
て議論を掘り下げ子供自らが気付きを得たり、グル
ープで議論をしたり、先生と積極的な意見交換をし
たりと・・・答えよりもその過程を考え自分の言葉
にするということに重きをおいて授業が進んで行き
ます。また、先生と生徒の対話も、とても距離が近
く発表するというよりは、語り合うという雰囲気で
皆リラックスしているように感じました。
小中学校がこぞって「オープンスクール」を開きま
した。これは入学希望者向けの地域開放イベントで、
子供達が授業を受けている時間に日常的な学校の様
子を垣間見れるチャンスでした。
日本とは授業の進め方の文化の違いが大きく、な
るほどグループ学習の机の配列もオープンスクール
の形態にも真の意味があるのだと、あらためて感じ、
日本の従来の授業の進め方でどんなにオープンスク
ールやコモンゾーンとしてのワークスペースを建築
的に提案しても、コンセプトに合致した使い方がな
イギリスの学校の体系は日本と大きく異なる点が
多く、公立学校以外は横並びの画一的なものは存在
せずに私立学校はそれぞれ学校独自の運営をしてお
り、1クラスあたりの生徒数も違い、入学試験も入
学式もないところが多く、学校によって入学年齢も
異なり、プログラムや学習進度も異なります。また、
私 立 ボ ー デ ィ ン グ ス ク ー ル( 寮 制 校 )と言って、
ハリーポッターの魔法学校のように、小さいうちか
ら寮生活を送る学校もあります。
かなかなされないのは仕方がないことだなあ納得す
る部分もありました。
教えられて上手にできる子ではなく、はじめは失
敗してもいいから自分で考えてできる子・・・イギ
リスの教育は低学年からこれを目指しているようで、
友達や先生と調整しながら自分でさまざまな答えを
導き出してみることに重きを置いていることが、教
室のレイアウトや学校建築の計画からも読み取れま
す。
p.5
未だ謎のまま。今回の探検の目的の一つは、フラン
第 38 回「バンクーバー便り」
クリン隊一行が辿ったと思われる道のりをトレース
することで、探検史に残る大量遭難に至った先人の
2012 年 10 月 22 日・番場 健司
足跡を探るものでもありました。今回の角幡・荻田
氏の壮絶な北極探検行の詳細と合わせて、ストーリ
今回は、以前のこのコーナー第 18・23 回の「バ
ーはフランクリン隊の末路へと言及されてゆきます。
ンクーバー便り」
(それぞれ平成 23 年 3 月 1 日、8
この本の説得力は、角幡氏が実際に 165 年後のその
月 1 日発行)でも紹介した話題です。角幡 唯介氏が
現場に立ち実体験を通して独自の推察を展開してい
「カナダ北極圏・探検行」での取材をもとに執筆し
ることに他なりません。アグル―カとはイヌイット
た書籍が発刊となりましたので、そのご案内をいた
の言葉で「大股で歩く男」を意味します。背が高く、
します。
果敢な性格の人物に付けられることが多く、かつて
タイトルは「アグルーカの行方 -129 人全員死亡、 北極にやってきた何人かの探検家がこの名前で呼ば
フランクリン隊が見た北極-」(集英社刊)。昨年に
れていたとのこと。アグル―カが最期にみた風景は、
私がバンクーバーからサポートした角幡 唯介・荻田
角幡氏の瞳にもはっきりと映ったのか? 私として
泰永両氏のカナダ北極圏での徒歩による探検行をも
は、自分自身の 12 年前の北磁極行の経験と重ね合わ
とにストーリーは進んでゆきます。二人は昨年の 3
せて面白く読みました。もちろん極地の経験などな
月 16 日にカナダヌナブット準州レゾリュートを出
くとも 165 年以上前のミステリーも含めて角幡氏の
発し 103 日間にわたる約 1,600km の徒歩行により
世界に引き込まれること間違いなしです。
最終目的地であるベーカーレークに到着。前半のレ
角幡氏は、デビュー作「空白の 5 マイル -チベッ
ゾリュートからジョアヘブンは、約 100kg の重さの
ト、世界最大のツアンボー渓谷に挑む-」で一昨年
ソリを腰に付けたロープで引きながら、凍った北極
の「第 8 回開高 健ノンフィクション賞」と昨年の「第
海の上を 60 日間で 1,046km を歩行。後半はジョア
42 回大宅 壮一ノンフィクション賞」、「第 1 回梅棹
ヘブンからベーカーレークまで、バックパックで雪
忠夫 山と探検文学賞」をトリプル受賞。その次作「雪
解けのツンドラを徒歩とゴムボートにより 43 日間
男は向こうからやって来た」では今年、
「第 31 回新
で 565km を踏破しました。このルートの一部は、
田次郎文学賞」を受賞しています。最近は執筆に限
1845 年にカナダ北部に東洋への新航路を開拓すべ
らず活動の場を広げ
く訪れたイギリスのフランクリン探検隊が遭難した
ています。また来月に
ルートでもあります。ジョン・フランクリン隊長率
は「厳冬期のカナダ北
いる 129 名の探検隊は、エレバス号とテラ 1 号とい
極圏」を見るべく、バ
う二隻の帆船で東洋への新規航路である「北西航路」
ンクーバー入りして
の開拓をめざして 1845 年にロンドンを出帆。カナ
準備をした後に再び
ダ北部キングウィリアム島周辺で海氷の圧力により
北極圏へと向かう予
二隻の帆船は破壊され、そこまでに生き残っていた
定です。ご興味がある
105 名の隊員は海氷上を徒歩により南下し、かつて
方は、是非ブログをご
存在していたトレーディングポスト(交易所)をめ
覧ください。
ざして進みますが全隊員が死亡したと考えられてい
ます。フランクリン隊遭難後にいくつかの捜索隊が
派遣され、一行が残したメモ書きや隊員の墓、いく
つかの骸が発見され、イヌイットの目撃証言から彼
角幡 唯介(かくはた ゆうすけ)ブログ:
http://blog.goo.ne.jp/bazoooka
らの足取りは大まかに推測されていますが、全容は
p.6