イエメン العـربيـــــة English Français Deutsch Español Русский язык Italiano Bahasa Indonesia Bahasa Melayu Türkçe イエメン n 概要 面 積 : 55万5000km²(平方キロメートル) 人 口 : 約2300万人(2008年) 人口密度 : 1km²(平方キロメートル) あたり41人 政 体 : 共和制 首 都 : サヌア 近隣諸国 : サウジアラビア王国(北接)、 オマーン国(東接) イエメンはアラビア半島の南に位置しており、西は紅海、南はアデン湾、東 はアラビア海に面する2000キロメートル以上の海岸線を持つ、地理的な 条件に恵まれた国である。 また、 アラビア半島においてイエメンのみが豊富な降雨量を誇り、他国で は見られない自然環境の多様性と特徴的な自然遺産を持ち、数千年に渡 り東西の交易と文化の要衝であった。 イエメンは民主国家であり、全ての国民が投票権を持つ。現国家元首は、 アリー l アブダッラー l サーレハ大統領。イエメンの憲法では、人権の尊 重と憲法で認められた権利を、 すべての人民に保障している。 同じく全政 党に対しても、社会の中で政治的、文化的、社会的な役割を果たすよう機 会平等な活動の場が与えられている。 n 古代文明 イエメンにおいて、3000年以上遡った石器時代初期の文明の証拠を見つ けることができる。 当時イエメンは貿易ルートの要衝であったため、継続し た商業活動を通してイエメンは長年に渡り隆盛と発展を遂げた。 ローマ人 は、 「アラビア・デザルタ (不毛なアラビア)」 とは対照的なその国に、 その栄 華を称して 「アラビア・フェリックス (幸福のアラビア)」 と名づけた。数世紀 に渡り歴史が変化していく中で、伝説的な王朝、 サバやアウサーン、 ヒミヤル といった強大な文明が現れ、今日でもその治世時代に残る豊かな建築物 は人々の賞賛を受け続けている。 かつて、 イエメンを侵略、 占領しようと多くの試みが企てられた。 ローマ帝国 は、 紀元前24年にイエメン侵略を企てたが、 マーリブの城塞壁の 外側まで にしか達することができず大敗した。 5世紀には、 エチオピア人がビザンテ ィン皇帝の支援を受け 「幸福のアラビア」 を支配したが、50年以上続くこと はなかった。 その後ペルシャ帝国の支配を受けた後、7世紀にはイスラム教 が流入し、 イエメンは都市と要塞の発達によって繁栄を享受した。 バグダッドのカリーフ・アッバスィー ・アッバースィーの衰力をきっかけに、 ザビードのズィアディ朝、 シバーム・コウカバン地方のヤッフーリィー州、 サ アダの ザイディー州、 サヌアのスライヒー州、 そしてジブラやタイズのラスー リ州などといった 小独立国家が勃興した。 イエメン オスマン帝国が最初にイエメンを支配したのは1538年に遡り、1635年 までの約100年の間続いたが、誇り高きイエメン人民 の蜂起でその幕を 閉じた。1839年、南イエメンにあるアデンのイギリス帝国による占領に続 き、1872年にオスマン帝国による2度目の支配が北イエメンで始まった が、 オスマン帝国は1918年に、英国は1967年にイエメンから撤退し、 そ れ以降この稀有な古代文明と自然遺産を有するイエメンの地が外国から 侵略されるたことはない。 南北に分かれていたイエメンは、1990年にアリーlアブダッラーlサーレハ 大統領によって統一され今に至る。 n イエメン特有の遺産 イエメンには、多様な古代文明やイスラム教流入以前の社会が存在してお り、 それはいまもなお人々を魅了し続けている。 アルlルブlアルlハーリー砂 漠から緑の谷が続くラズィアーン地帯にかけての美しい自然にあふれた風 景が、 イエメン人の特色としての独立精神と伝統を重んじる考え方を育ん だといえる。 イエメンの中では最も新しくユネスコの世界遺産に指定された ソコトラ群島は、3000メートルに達する中央台地の山々など自然の美しさ に満ち溢れており、 中東で最も重要な自然遺産と考えられている。 イエメンには、 サナア、 シバームlハドラマウト、 ザビードというユネスコの世 界遺産リストに登録された3つの都市があり、 そこはまるで大きな野外博 物館のようだ。数世紀を経た今もなお、普通のスークや古くから残る寺院 の中に、当時の建造物や自然の美しさがそのままに残されている。 この驚 くほど魅力的な国に旅すると、過去と現在の狭間をさまようような信じが たい特別な体験をすることで冒険心が呼び覚まされるだろう。 イエメンに は、歴史的な場所や町がたくさんある。主要現地旅行社による手配が可能 ないくつかを以下に紹介する。 n サヌア:護られた街 イエメン共和国の首都サヌアは、 イエメン平地の中央、標高2000メート ルに位置しており、 アル l スライテド山に接し、 ヌグム山の西側に接してい る。 サヌアは、古代建築様式を現代にそのまま継承した“生きた博物館”と して世界中で有名な都市である。 サナアの旧市街はユネスコの世界遺産に 登録されており、 アラブ世界の中でも最古の街のひとつである。 この高層建 築の独創性は他に類をみない。玄武岩の黒石煉瓦と泥土で建てられたイ エメン様式は、実に見事なコンビネネーションを象徴している点で秀逸で ある。外壁の窓々には、雪花石膏の窓ガラスがはめ込まれており、 それには 白い漆喰で塗られた精巧な装飾が施されている。最もすばらしい家は、各 階がそれぞれ別の用途として使われる5~6階建ての建物だ。 サヌアの街 は、 ノアの箱舟の大洪水が治まった後、 ノアの息子のシェムが建立した街 であると言われており、千年以上前に建てられた14000以上もの建築物 が一同に会する歴史的価値のある景観を見せてくれる。 イエメン 市の中心部から出発して半径500mを歩き回っても、複雑に入り組んだ迷 路のような街路と商業エリアを発見することはあっても、 どの方角にも近代 的建物をひとつとして見ることはないだろう。 旧市街の大きなスークの中には、 あらゆる品物を見つけることができる。美 しい宝石、 きらめく衣装、芳しい香水、多種類に富んだスパイスl l l。 そして 大きくカーブしたジャンビーアを忘れてはならない。 ジャンビーアはイエメン 男性にとって男らしさと誇りを象徴する短剣である。50以上のモスク、 ミナ レット (尖塔)、豊かな庭園、 ハンマーム (大衆浴場)、珍しいマーケットの存 在する古い街サナアは、伝説的なこの国の旅を始める出発点として、一粒 の宝石のようなところだ。 n シバームlハドラマウト シバームは、 3世紀のシバ王国滅亡後、 ハドラマウト地方の首都となった町 だが、 ここは訪れる全ての人々の予想を遥かに越えた場所だ。 この町は、 しばしば“砂漠のマンハッタン”と呼ばれる。16世紀にはすでに防御壁に囲 まれ、 5階から7階建ての高層建築群が、半径500メートル以内のエリア に、約500軒集中して建っている。 シバームは、 アルカントとセイユンの間で の覇権争いの境界となり、19世紀にイギリスの植民地になるまで続いた。 シバームの建築者達により完成された塔の建築技術は、後に世界中でそ の技術が使われるようになった。市街門では、今でも泥煉瓦を作る工場を 訪れることができる。 この不思議な街をそぞろ歩けば、狭い道に並ぶ華麗 な象眼装飾の扉に心が躍り、群生するヤシの木立から昔の静けさと詩的な 雰囲気を感じることだろう。 n ザビード ザビードは、イエメンの中で最も古い都市であり、 アルフダイダ市(アルホ デイダ) から100キロメートル南にある紅海に沿ったティハーマ地域にあ る。 ザビードは、貴重な歴史を持つ卓越した文化の町であり、素晴らしい図 書が数多くある。 サビードのアルlアスハ大学では、今日の代数学の基礎と なる、 「アルlジャブル」 と呼ばれる数学様式が819年に発明されている。 こ の頃ザビードは栄華を極め、236もの堂々としたモスクは町の誇りであっ たが、今日ではその多くは失われている。 ザビードの一般家庭の建築は、 内 装が贅沢に装飾されていて、簡素な外側の壁からは予期しえない対照をな している。 かつての建造物は、所有者の財産を隠すことを目的として特有の 様式が発達した。 その魔法のような町の魅力により、世界的に有名なイタ リア人映画監督ピエールlパオロlパゾリーニ氏が70年代に撮影した、 「千 一夜物語」 の映画舞台となった。 ザビードを訪れた人は、現代社会から大 きくかけ離れた世界に身をおいているような強烈な衝撃を受けるだろう。 イエメン n n シバーム シバームは、 シバームlアクヤーンとしてシバ王国の碑文にも記載のある歴 史的に知られた場所である。 2~3世紀の間、 サマーlテリヤードとして知ら れる重要な歴史的な中心地であったが、 その古代都市も今や廃虚と化し てしまった。現在の町は、 ヤフリード朝(829年~1001年) に始まり、 9世 紀頃にはヤフリードの首都だった。後にヒムヤル王がその町をシバームと 名づけたが、古代の碑銘にはワシバームlヤーフールという名で記録が残っ ている。 この町は標高2300mにあり、町の中で最も歴史的な遺産は9世 紀にムハンマドlイブンlヤフールによって建てられた、大モスクと古いスー クそして市街門である。 コーカバン 標高2800mにあるコーカバンは、美しい建築的デザインが特徴的な要塞 化した砦の町だが、古代歴史の中心地であり、15世紀にはバニー lシャラ フlアルディーンの首都であった。 かつてほとんどの家屋が壊されたが、後日 再建されている。 コーカバンは音楽学校の評判が高いことでも有名であっ た。 コーカバンの名前の由来は、貴重な石で飾られたため 「星(厳密には惑 星)」 と呼ばれていた二つの宮殿から、 2つの星を意味するコーカバンと名 付けられた。 n n n n n シャハーラ この村は標高2600メートルのシハーラ山の頂上に位置するシャハーラ は、 イエメンの中で最も防備賢固な村の一つであり、 オスマン帝国への抵 抗運動の基点として重要な役割を果たした。 またこの村は石造りの橋でも 有名である。 サアダ イエメンの最北の州で、 ザイド派発祥の地であり、 イエメンlイスラム哲学の 最も重要な宗教学校がある。 ホダイダ 紅海を見晴らす近代的な町。旅行者に最も人気があるのは市の南にある 漁港で、伝統的なイエメンの船や、 サメ、 エイなどのさまざまな魚が市場で 売られているのをみることができる。 マナーハ マナーハは市の中心地から90km離れていたハラーズ山上に位置する 重要な町である。標高2200mにあるライステラスの中央部に位置してお り、 山に囲まれた美しいパノラマ風景が見られる。 タイズ イエメンで最も古い首都の一つ。 ラスーリ時代からのモスクと活気溢れる 市場がある伝統的な地域として名高い。 イエメン n n n n ジブラ: 古代からある町で、季節によって雨水が流れる二つの川の合流地点となる 素晴らしい場所に位置する。女王アルワのモスクとコラーン学習学校があ ることで有名。 マーリブ: サヌアの東に位置するマーリブは、古代シバの首都であり、紅海を通り各 地に運ばれる香料貿易の商隊の基点であった。 マーリブはイエメンで考古 学上最も重要な場所の一つで、 月の神殿の女王ビルギースの玉座や、 シバ 統治王国の力の源泉になっていた巨石積みのダムがある、大変魅力的な 地である。 ベイトlアルlファキーフ ザビードから37キロメートル離れたこの町は、 イエメンで最も有名な市場 を持つ。 この市場は18世紀にコーヒー貿易の中心地として誕生し、陶器や 衣類、籠、 そしてラクダの売買など、 さまざまなイエメンの特産物が扱われ ており、 買い付けをする人々の熱気に包まれている。 ムカッラー インド洋に面した重要な中央漁業市場であり、 モスクと、全世界の考古学 的発見物が収蔵されている博物館が有名である。 10 n n アデン 過去から現在に至るまで、 イエメンの中で最も重要な港である。 また紀元 前1世紀頃ヒムヤル人によって造られたといわれる貯水地が有名である。 ソコトラ (汚れのない島) スコトラは、 アラビア海に面するイエメンの海岸から500キロメートル離 れていたインド洋に浮かぶ、面積3600km²の島で、 つい最近旅行者に解 放されたばかりの、手つかずの自然が残るたぐいまれな島である。 ここは、 海を見渡せる山があり、 ヤシの木や竹やぶが茂る平地とその向こうには浜 辺があり、石灰岩の台地と深い狭谷があり、千変万化に富んだ自然に溢れ ている。島の珍しい動物や植物には、古代の原始的な自然を見ることがで きる。 ソコトラでは、800種以上の植物の種が確認されているが、 中で最も 有名なのが 「竜血樹」 である。 この 木の幹に切り込みを入れるとその中か ら赤い樹脂が流れ出ることからその名前がつき、古代信仰では竜の血液だ と言われていた。鳥類は140種類以上確認されているが、毎年そのリスト は更新されている。小さな島を含める全ての群島が、 イエメンの自然保護 発展機関の保護下に置かれており、島を 「自然保護区域」 として宣言した。 同時に、 イエメン政府観光局 (YTPB) との協働により、 エコツーリズムが導 入されている。島には、 フレンドリーでホスピタリティにあふれる35,000人 の島民が暮らしており、独自の言葉と文化を持っている。島の海岸エリアに 11 イエメン はアフリカ系の漁師達が多く住んでいる。 スコトラ島は海を愛するものにと ってはまさしくエデンの園である。深海では800種以上の珊瑚があり、 同様 に魚類や甲殻類、 貝類も数千種類が確認されている。水深3.5~25メート ルの間には、信じられないほど色彩に富んだきれいな珊瑚を見つけること ができる。 シュノーケルをすれば、 おびただしい魚の数と珊瑚に出会うこと ができる。 紅海とアラビア海洋の素晴らしいダイビングとイエメン山岳のトレッキン グ 紅海とアラビア海は、世界でも最高のダイビングスポットだと言われてい る。 最も美しい珊 瑚礁は紅海の南、 まさしくイエメンの先端にある。 イエメ ン沿岸のたくさんの島々には、世界でも屈指の目を見張るほど多種多様な 海洋生物が存在している。 イエメン周辺の紅海とアラビア海をクルーズで 巡れば、暖かい水と新鮮な海産物を存分に楽しむことができる。 また20ヶ 所ものダイビングスポットがあり、エイやタコ、 ウツボ、巨大イカ、魚の群 れ、 サメ、 イルカなど実に多くの変化に富んだ海の世界を満喫することがで きるので、 ダイビングファンをきっと興奮させるだろう。 イエメンはまた、 トレッキングにも適した場所である。 ハラーズ連山やアル lマハウィートはトレッキングに理想的な環境であるだけでなく、山岳民族 の温かいホスポタリティと普段触れることのできない彼らの歌や伝説に接 することができる。 12 トラベルインフォメーション n パスポート (旅券) と ビザ (査証) 全てのイエメンへの入国者は、 ビザの取得が必要。空路、海路、陸路いれず の入国の場合も、 アライバルビザの取得が可能。 また、EU、 ノルウェー、 ア メリカ、 日本、 カナダ、 ロシア連邦、 スイス、韓国、 ホンコン、 マレーシア、 シン ガポール、 ニュージーランド、 そしてオーストラリア各国では、在外イエメン 大使館にて事前にビザを取得ができる。 n n n 時差 グリニッジ標準時間+3時間 (日本時間-6時間) 電力 110~220ボルト。米国方式のコンセントアダプター、 または変圧器携 行を勧める。 通貨 米国ドルとユーロ通貨はどこでも両替できる。 同様にイギリスポンドも広く 流通している。ATMはかなり少ないが、 クレジットカード類はホテルであれ ばほとんど使用可能。近年はレストランやお店でもクレジットカードの取り 扱いが増えている。 単位はイエメンlリヤル (YR) USD1 (アメリカドル) =202リヤル EUR1 (ユーロ) =291リヤル GBP1 (英国ポンド) =291リヤル (スコットランド及び北アイルランド紙幣 の両替は不可) 13 イエメン n n n n 季節と気候 イエメンの気候は、夏の季節風の影響をうけた亜熱帯性気候である。北部 高原では夏でも気候は温暖。気温の変化(較差) が高く、 6月から9月にか けて度々午後の雨に見まわれる。南部では夏期の気温は高温である。 この 地帯の気候はとても乾燥しているが、海岸側は湿度が高い。 イエメンを旅 行するベストシーズンは一般的に10月から4月までとされている。 n 言語 アラビア語が公用語。英語は広い範囲で第二言語として使われている。 n 衣服 カジュアル。 日暮れ後は肌寒くなるので、 ジャンパーなどの上着の持参もお すすめ。 履きなれた歩きやすい靴。 n 航空会社 イエメン航空は国営企業で、ロンドンやEUの複数のハブ空港から直行 便が週に2便ある。 より詳細なフライト情報はウェブサイトを参照。www. yemenia.com Felix Airwaysは中東で最も新しい航空会社で、 中東各地を結ぶ広大な路 線網を提供している。 より詳細な情報はウェブサイトを参照。 www.felixairways.com 14 観光旅行 現地旅行会社は、四輪駆動車利用も含めた、幅広いツアーの提供が可 能。スタンダード能スタンダードクラスからラグジュアリークラスまで、 安心して利用できる心地よいホテルも多数。 1週間(北部のみ) から2週間 (北部、南部、東部などの周遊) の旅行日程がお薦め。 また、典型的な10~ 11泊の旅程であれば、 サヌアでの数日間の滞在に加えて、 1週間のソコト ラやその他都市を周遊することができる。 通信 世界中にアクセス可能な通信ネットワークがイエメン全土をカバーしてお り、 国際電話をはじめ、 ファックスサービス、 インターネットの利用も可能。 携帯電話 提供されている携帯のサービスはGSMとCDMAの2種類。携帯がどちら かのサービスに対応しているものであればほとんどのイエメンの都市では 利用可能。 GSMとCDMAのサービスは 国全体の半分以上に広がってい る。 現地用のSIMカードは、 イエメン国内ならどこでも安価にて入手可能。 15 Republic of Yemen - Ministry of Tourism - Yemen Tourism Promotion Board Tel. 009671-251033/5/6/7 Fax 009671-251034 P.0.BOX 5607 E-mail: [email protected]
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