地域に根ざした 文化と教育のつながり

地域に根ざした
文化と教育のつながり
─南太平洋の叡智─
コナイ H. ターマン
クック諸島の小学生
( トンガ )
「持続可能な開発のための教育(ESD)に向けたホリスティック・アプローチ」
(2007年8月5日、日本ホリスティック教育協会、ACCU共
催)
(詳細は本誌第364号)と題される国際シンポジウムの基調講演者として来日された、南太平洋大学のコナイ・H・ターマン教授に、同地
域における教育の現状を踏まえ、教育の真の在り方に向けた抱負を伺った。
Konai Helu Thaman
南太平洋大学 (USP) ※ 1 において、
「教
員養成及び文化」をテーマに扱うユネ
スコ講座※ 2 の責任者。約 30 年間にわ
たり、同地域においてカリキュラム作成
や教師教育などに携わる傍ら、土着の
知識体系の重要性を提唱する。草花や
大地の恵を題材にしたターマン氏の数
多くの詩は、太平洋の子どもたちの間
で広く親しまれている。
環境と子どもたちが暮らす地域社会の文
行うべきと考えます。トンガやサモアは母
化との間には大きな隔たりがあり、生徒
語での初等教育が可能な数少ない例外
に即さない抽象的な内容が教えられるこ
地域です。一国内に複数の言語が混在す
とが、進学を妨げる要因です。状況の改
る太平洋地域では、多くの困難を子ども
善には、教師が生徒の生活環境への意
たちに強いながらも、英語による授業が
識を高め、学習内容との溝を埋めるべく
行われています。分かりやすい事例や比
様々な工夫を凝らすことが不可欠です。
喩を示し、それぞれの生徒の背景に考慮
私が関わるユネスコ講座では、現職の
した魅力的な授業を実施することが打開
教員や教員志望の学生を対象に、上述の
策として重要でしょう。
問題意識を啓発し、
「文化に配慮した民
主的な学習環境」※3の構築を目指してい
─南太平洋地域の伝承文化の重要性を以前
ます。植民地時代に端を発する教育制度
よりご指摘されていますね。教育において、
やカリキュラムを改革する努力は各地で
土着の知識体系はどのように受け入れられ
行われていますが、最善のカリキュラムが
ているのでしょうか。
備わっても、それを実行する現場の教師
過去一世紀にわたる近代学校教育の
の力量が最終的には問われるでしょう。
もと、土着の知識体系の価値は否定され
てきました。家庭や地域社会などインフォ
─「文化に配慮した民主的な学習環境」
ーマルな場では、冠婚葬祭等の儀式を通
の成就に向けて、母語による教育の妥当
じて、子どもたちは他者との位置関係を
性については、どのようにお考えですか。
─まず、南太平洋地域における教育の現
学習者が理解できない言語で教育を
状や課題について、教えてください。
実 施することは、反民 主的な典 型例で
良い成績を修め、高等教育への進学を
す。日本の皆様にはご想像されにくいと
学校に期待する両親の立場から申し上げ
存じますが、太平洋地域では、生徒ばか
れば、南太平洋の教育の現状は決して十
りか教師側にも英語運用能力が欠如して
分とは言えません。パプアニューギニアや
いる場合があり、双方にとって外国語ま
バヌアツなど一部の国を除き、初等教育
たは第2言語である英語を介し授業が行
は統計上、すべての人に普及しています
われるという、おかしな状況が見受けら
が、特に7∼8年生以後、途中退学するケ
れます。
ースが目立ちます。
私自身、トンガで生まれ育ち、初等教育
生徒の母語でない英語を介して授業
は母語のトンガ語、中等教育は英語で受
が実施されていることをはじめ、学内の
けましたが、学びの基礎はやはり母語で
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ACCUニュース No.365 2008.1
野外での理科の授業風景
習得し、行動規範を身に付けてきました。
─なぜ土着の知識体系は大切なのですか。
しかし、外界からの情報の摂取が急速に
また、持続可能な開発のための教育(ESD)
拡大した今日、長老らの教えを学ぶ機会
との関係について教えてください。
が減り、自然な形での文化継承が危機に
先程の調査結果でも見られたように、
瀕しています。したがって、学校がその責
「持続可能な開発」という用語は地元の
務を担うべきというのが私の持論です。
人々は使いませんが、文化の継承が彼ら
文脈から抜き出しては、文化は伝授でき
にとって大切であることがわかります。土
ないという批判もありますが、学校だけ
着の知識体系は、私たち先住民の世界観
で教えるのではなく、周辺のコミュニティ
に基づき、ホリスティック(全体的)に繋が
とパートナーシップを構築するのです。土
っていて、物事を細分化しないという点で
着の知識に造詣の深い人々を積極的に
貢献が期待されます。
教育に取込むことは、彼らが元来有して
土着の知識体系は、知識について述べ
いた師匠としての社会的権威の復興にも
るだけでなく行動の領域にも及びます。
─最後に、ご自身が描かれる、50年後の南
役立ちます。
様々な知識を得るだけでなく、何のために
太平洋地域の未来像をお聞かせ下さい。
母語による教育や土着の知識の推進に
用いるのかが問われるのです。私にとって
南太平洋の知識体系が大切にされ、
対して、進学試験や就職など実利面で不
の教育とは、正に行動変革です。冒頭に、
関連分野のリサーチが継続されることに
利益を被るのではとの両親の危惧が表明
教員の役割について強調しましたが、知
より、初等中等教育、大学、教員養成校
されてきました。
ところが、
「我が子に学校
識や技術の伝授に止まらず、行動変革を
のカリキュラムに土着の知識が統合され
で何を勉強して欲しいか」と独自の手法で
促進し得るという観点からも、教師の在り
れば、より豊かな学びが可能となるでし
両親に訊ねた最近の意識調査からは、正
方は大切です。
ょう。太平洋地域以外の学習を否定して
反対の結果が出ています。英語や簿記な
ESDと土着の知識体系との繋がりにつ
いるのでは、決してありません。それは大
ど実務的な科目は依然必要とする一方、
いてお話ししましょう。私たちは、過去、現
変、非現実的なことです。
文化継承に絡む知識の重要性を唱える声
在、未来を区別せず、循環的思考をしま
「相乗効果」という概 念を示すため
が見られたのです。
す。また、歴史、地理、数学というような科
に、織り物の喩えが思い浮かびます。融
目にも分けず、包括的な知識を有します。
解してしまうのではなく、個々の存在を保
─地元の人々の伝承文化への意識が次第
もちろん、分類をする背景には個々の専
ちながら、互いに協力する姿が理想像で
に高まっているという証拠でしょうか。
門分野をより深く探求するという目的あっ
す。違う文化から良いものを吸収して、自
1986年当時、私はトンガ教育省で勤務
てのことでしょうが。ユネスコが作成した
らの文化に織り込んでゆくことで、より豊
していましたが、同国の初等中等教育の
文書では、環境、経済、社会がE SDの3
かな社会が構築されることを願います。
教育課程にトンガ研究を必修科目として
本柱として挙げられていますが、私たちの
他を学ぶことにより、偏見を持たなくなる
設置し、土着の知 識体系を盛り込む作
間では環境や経済を区別せず、これらの
ことは非常に大切です。
業に携わりました。このような取組みに
概念を個別に示す用語自体が存在しない
現在、多くの太平洋の人々にとって学
より、人々の土着文化への意識が徐々に
のです。
校教育は自らの文化と切り離されたもの
変容したということもできます。一方で、
土着の知識体系から、例えば木につい
と捉えられていますが、自分たちの誇れ
人々の意識は変わらないが、本質の姿を
てご説明しましょう。ソロモン諸島やパプ
る学校で、実感を持って学ぶことのでき
抽出するための調査手法が以前は整って
アニューギニアなどのメラネシア、ポリネシ
る日が来ることを心より願います。
いなかったという見方もできるでしょう。
ア、ニュージーランドのマオリ族などの間で
(聞き手:教育協力課 河野 真徳)
いずれにしても、私が知る限り土着の
は、木を伐採する前にある儀式が執り行
(写真は南太平洋大学教育学部提供)
知識体系が公教育で導入されているの
われます。木は同胞であり、その同胞を傷
は、トンガとサモアのみです。政府による
つけることに対し、森の精霊に許しを請う
支援体制が確立されることは同時に、教
のです。このように、人間以外の生命との
員資格など新たな要件が課されることと
繋がりを見出し、人々は自然と一体化しま
なり、正規の教員免許を持たない地域の
す。人々が土地を所有するのではなく、土
長老などが、教育現場から除外されてし
地が人々を所有するという格言があります
まう危険性を孕んでいることにも留意す
が、私たちの思想をよく表していると思い
る必要があります。
ます。
美術・工芸の授業に参加する南太平洋大学の学生
※1:1968年に設立された南太平洋大学(USP)は、
太平洋地域における屈指の高等教育機関であ
り、クック諸島、フィジー、キリバス、マー
シャル、ナウル、ニウエ、サモア、ソロモン
諸島、トケラウ諸島、トンガ、ツバル、バヌ
アツの12か国が加盟する。
※2:「UNESCO Chair in Teacher Education and
Culture」
http://www.usp.ac.fj/unescochair/
※3:原文英語「culturally democratic learning
environment」の仮訳。
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