SARS レポート∼謎の肺炎を追って - JOMF:一般財団法人 海外邦人

資料1.SARS レポート∼謎の肺炎を追って∼
「先生、広東省で肺炎アルヨ! 流行アルヨ!」
「肺炎が流行しているということだね。それ、インフルエンザじゃないの」
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3年1月2
4日、重症劇症肝炎の日本人患者(55歳)をチャーター便で、中国の大連から関西国際空港
に搬送した時の看護婦、呈さんとのなにげない会話。この時はあまり気にも留めていなかったが、これこ
そが世界中に恐怖を与えた謎の肺炎「SARS」の始まりだった。
そして、その後、私自身が SARS に関わるとは、夢にも思っていなかった。
日本国内での講演活動
3月9日、日本医師会の主催で、
「海外旅行と感染症」というシンポジウムが開催された。講師には、私
を含めて岩本愛吉教授
(東京大学医学研究所)
、木村幹男先生(国立感染症研究所感染症情報センター室長)、
甲斐明美先生(東京都立衛生研究所微生物部)の4人が出席したが、シンポジウム終了後に、参加者から
質問が出た。
「中国南部で肺炎が流行していますが、あれは一体何ですか」その質問者は、中国広東省から
一時帰国している日本人でした。私はこの瞬間、ピンと来た。前述のように、すでにこの肺炎の存在を聞
いていたためである。
「これはただならぬ新しい病気かも」という、嫌な予感がした。4年前、マレーシア
に出張中、突然遭遇した、ニパ・ウイルスのことが頭をかすめた。
3月1
2日、日本医師会危機管理対策室にオブザーバーとして呼ばれた日の帰路、専門家の先生たちと、
謎の肺炎について話をした。
「きっと、新しい感染症の登場だ」、という意見だ。この時点で、この肺炎は
中国ばかりでなく、ベトナムのハノイでも発生していたのだ。香港を旅行した中国系米国人が体調不良で
ハノイの病院に入院し、その後、患者に接した医療関係者ら40人近くが感染していた。
こうした会話が交わされた1
2日、世界保健機関(WHO)は原因不明の肺炎が集団発生し、ハノイで20人、
香港で2
3人が入院中であることを発表した。これは医療関係者の発病が多いことから、異例の警告を発し
たもので、この報告を受けて日本の厚生労働省も、14日には、都道府県や医師会に情報を流した。
3月下旬から、SARS のニュースは世界中を飛び回り、その原因についてもクラミジア肺炎やミクソウイ
ルスなど、さまざまな憶測と情報が乱れ飛んだ。そして、4月1
6日になってようやく、WHO が SARS の原
因がコロナウイルスであることを、電子顕微鏡写真と合わせて発表したのである。
4月1
6日、多くの情報と恐怖感が渦巻く中、私は東京商工会議所(東京丸の内)で「SARS 対策」につい
て講演を行なった。中国や東南アジアに事業を展開している企業の方々で、会場は満席だ。やはり、新し
いウイルスに対しての恐怖心が強いためか、質問のほとんどは有効な予防策に関するものだった。
流行地の中国(上海、北京)へ
東京に引き続き、SARS の流行地である上海と北京の日本企業から招かれて、現地で SARS の公演を行な
うことになったのは、1週間後のことだった。目的は、パニックに陥っている方々に SARS を正しく理解
をしてもらうことと、今後の対処方法などを説明することだった。
出発の4月2
3日。WHO の資料によるとこの時点において世界中で4,
288人が発病し、死亡者は251人(死
亡率5.
9%)
。中国国内では、2,
3
05人が発病し、106人が死亡(死亡率4.
6%)という状況だった。
成田国際空港は、SARS を恐れて海外渡航が控えられているためか、旅行者は少なく、驚くほどの静けさ
だ。やがて到着した上海浦東空港では、通関手続きの前に「健康チェック」があり、問診表を記入するこ
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とで混乱していた。
成田空港出発時、SARS 流行にて、空港内に人影は少なかっ
た。開港以来初めてのことだった(2003年4月23日)
上海では、4月2日に1人の感染者が確認され、伝染病病院で隔離治療が行なわれた。また、17日に2
人目の感染者が現れ、1人目の患者の肉親であることが発表されていた。私が到着した2
3日には、SARS
の疑い例が1
6人と増え(結果的には、いずれも SARS ではなかった)、流行地はさぞパニックになっている
だろうと想像していたものの、空港を出るといつもと変わらない上海の姿がそこにあった。
市内ではマスクを着用して、感染予防をしている人は少なく(一説によると、マスクが不足しているら
しい)
、中国の人々はあまり恐怖心や危機感を抱いていないようだった。
むしろ、SARS に対して過剰なまでの反応を示していたのは、現地の日本人だった。講演会は、上海の国
際貿易中心の大講堂で開催したが、1
20人を超える日本企業の代表者が出席し、およそ6割の方がマスクを
していた。
講演を手伝ってくれたスタッフもマスク姿。
(上海国際貿易
センタービル)
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03年4月23日)
講演の後、多くの質問を受けた。
「SARS の検査方法と日本での検査機関はどこか」「中国から帰国した駐
在員に対して、どのような指示を出せばいいか」
「SARS だと判明、もしくは疑わしい社員が出た場合、社
内の措置はどのようにとるべきか」
「ローカルスタッフも含め、現地企業で SARS 患者が発生した場合、現
地駐在員にはどのような指示を出すべきか」などだ。
さまざまなウワサが飛び交い、日々不安にさらされていた参加者に対して、正確な情報に基づいて説明
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をできたことは、大きな意義があったと思う。
上海から北京そしてソウルへ
翌4月2
4日、上海から北京に移動した。日増しに感染者数と死亡者が増えている北京では、上海と異な
り緊張感が漂っていた。機内の乗務員はすべてマスクを着用し、ビニール製の手袋を使用していた。乗客
もほとんどがマスクをしていた。
機内で健康質問表に記入し、通関の際に係員に手渡すだけの簡単なチェックだったが、乗客がすべて降
りた後で防疫班が消毒液をもって、機内に入っていく姿が見られた。
北京市内はマスクだらけ。スーパーマーケットは、買いだめをする人々で食料品不足に陥っており、特
に保存食と米類が欠乏していた。マスクや消毒液を求めて、薬局の前は客の列でごった返している。日本
企業は、人が集まる地下鉄やバスによる通勤を自粛するように通達し、近距離なら自転車出勤を呼びかけ、
遠方の人には送迎車を出した。
北京では日頃、日本人が多く利用する中日友好医院を訪れた。閑散としており、外来患者はいない。消
毒の臭いが充満し、中に入るのを断られた。というのも、昨日も院内感染で数名の医師が入院したため、
外部からの来訪を禁止しているということだった。
日本の外務省が、
北京市内に渡航自粛勧告をだしていたため、このような深刻な中で講演に参加する人々
はとても深刻だった。参加者の中には、北京市内の講演会場に来るのに時間がかかる者もいるというので、
急遽講演を2回に分けて実施した。1回目が6
0人、2回目が50人くらいの出席で、参加予定者の2/3ほど
だった。道路封鎖があり、北京市内に入れなかったためだ。
北京で講演を終えた後、韓国のソウルにも立ち寄り、SARS に対する反応を調査した。こちらは入国時に
「健康調査書」の提出と「体温測定」が実施されており、危機管理が徹底的に行なわれていることに感心さ
せられた。まだ、国内での発症例がない中で、韓国では SARS に関する特番を放送(KBS)するなど、情報
がきちんと伝えられていた。
北京脱出する日、空港は大混雑(2003年4月24日)
休むまもなく香港へ
上海、北京での SARS 講演が終るやいなや、5月13日、香港日本人クラブからも講演依頼が届いた。香
港は、SARS の感染源となったメトロ・ポール・ホテル、院内感染を起こしたプリンス・オブ・ウエールズ
病院、マンション内集団感染となったアモイガーデンなど、SARS の中心地ともいえる場所である。この講
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演でも、参加者の多くから SARS に関する情報の確認や、対処法などの質問がなされた。
講演の翌日は、SARS の舞台となった上記の場所を訪れてみた。
SARS 感染の広がりは、ちょっとしたことから始まった。広東省広州市の病院で肺炎の治療にあたって
いた6
4歳の医師が、自ら SARS に感染していることを知らずに旅行し、2月21日に香港のメトロ・ポー
ル・ホテルに宿泊したのである。ここで症状が悪化した医師の痰、嘔吐物などの排泄物は、トイレや部屋
の床に飛散したものと想像され、ホテル従業員は彼のトイレを清掃した同じ器具で、別室を清掃したので
ある。そこから別室に宿泊していたシンガポール人、カナダ人、ベトナム人に感染したと思われる。彼ら
がやがて、母国に SARS を持ち帰り、世界へと拡がった。
また、同じホテルで感染した中国人が、プリンス・オブ・ウエールズ病院に入院し、これが院内感染の
感染源となった。
さらに、同病院で人工透析中の男性に感染し、この男性がアモイガーデンに宿泊し、マンション内の集
団感染を引き起こしたのである。
これら感染の舞台となった場所を訪れてみると、改めて謎の肺炎の恐ろしさを実感させられた。
SARS の感染爆発の舞台となったメトロ・ポー
ル・ホテル(香港)
。
手前はマスク姿の筆者と通訳
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3年5月1
5日)
マンション内感染を起こした巨大
なアモイガーデン前にて(香港)
(2003年5月15日)
SARS ウイルス感染源となったマ
ンション外壁の下水道管
院内感染を起こしたプリンス・オブ・ウェールズ
病院表玄関(香港)。外来患者はいず、閑散として
いた(2003年5月15日)
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肺炎発祥地を振り返る
肺炎発祥地、広東省仏山市は、中都市である。1999年、海外邦人医療基金の仕事で、中国南部の医療事
情を調査した。当時、この仏山市でコレラが大流行。このため、サシミ禁止令が出て、美味しい日本料理
を食いそびれた恨みがある。
仏山市は、養豚家が多く、豚ばかりでなく、ニワトリ、アヒルなども同じ家屋で飼っている人が多い。
家屋内は、残飯、汚物が散乱し、異常な臭いがした。人と同居することから、いろいろな感染症が出るの
は不思議ではない。
広東省は「食の広州」ともいわれ、食材にあふれた都市だ。市場に入ると、ニワトリ、アヒル、ハト、
野鳥、カエル、ウサギ、ネズミ、蛇、リス、タヌキ、犬が売られていた。しかも、中国原産ではないと思
われるジャコウネコ、アルマジロまで路上で売られているのが目に付いた。それこそ2002年11月、発病し
死亡した2
0歳の男性は、生肉を扱う野生鳥獣料理店(野味店)のコックだったのだ。これらの動物が持つ
ウイルスをもらってもおかしくない風土があるといえる。
ジャーナリストのリチャード・ションズによる広州市の生肉マーケットの手記。
「とある露店のオー
ナー、チェン。手は傷だらけ。よくリス、ジャコウネコに咬まれる」という。
「酷く咬まれると医者にいっ
て注射してもらう。注射しに行かないと病気になる人もいる」という記事が目に付いた。これこそ、今回
の動物から人への SARS 感染を暗示するものではないかという気がするのだ。
SARS 発生の地、仏山市。水鳥が飛来する。野鳥と
家畜(ニワトリ、アヒル、ブタ)が交差する地域
でもある。
仏山市はニワトリ、アヒル、ブタなどと人間が同居している。
終わりに
近頃、新しい感染症が続々登場してきている。死亡率の高いマレーシアのニパ・ウイルス(1
998年)
、ア
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メリカで発症した西ナイル脳炎(1
9
9
9年)、中国を中心に広がった SARS(2002年)
、そして鳥インフルエ
ンザの発生(2
00
4年∼)などである。
また、地球温暖化の影響で、多くの伝染病を媒介する蚊の生息域が広がっている。
今や、世界中が飛行機で結ばれ、誰でも簡単に旅行できる時代となり、これらの感染症もいつどこから
日本に入ってくるかわからない。
これからは、海外での医療危機管理体制を整え、国内でも感染症に対処できる知識と方法を身に付けて
おくことが求められる。
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