第 26 話 ロバの背で詩作にふける 日中故事ことわざ雑記 ロバだけが愚かなわけではない けん ろ “黔驴之技”(Qián lǘ zhī jì ― 黔驢の技),或いは“黔驴技穷” (Qián lǘ jì qióng ― 黔驢技窮まる )という成語は,見かけは強 そうだが,実際は思ったほどの能力のないたとえとして使われ る。 ここでのロバは後足で虎を蹴りつけるという軽はずみな行動 に出たために一命を落としてしまうのであるが,このロバに限 らず,人間であっても,同じような境遇に身を置いたなら, きっとこれと似た反応を示すに違いない。―というわけで, ロバだけが限りなく軽率で,この上なく間が抜けていて……, ということにはなっていない。 ロバの背に揺られて 「黔驢の技」の話は柳宗元の『三戒』という文章の中で「黔 之驢」と題して紹介されている。 柳宗元(773-819) は中唐の文学者で,古文復興を主張,唐 宋八大家の一人として知られる。 同じく唐宋八大家の一人に数えられる文章家に韓愈(768- か とう 824)がいる。例の賈島(779-843)との「推敲」の故事はどな たもご存じであろう。実はこの故事の中にもロバが登場する。 唐の時代に賈島という詩人がいた。若い頃,都の長安へ科挙 の試験を受けに行った。ある日,賈島がロバの背に乗って大通 84 りをゆっくりと行きながら,詩句を練っていた。…… 『唐詩紀事』という唐代の詩人伝の中に紹介されている話だ が,この時代にロバが交通手段として使われていたことがわか る。この話の中でのロバはわき役に過ぎないが,特に不名誉な 役割を押しつけられているわけではない。 推す? 敲く?―「推敲」の故事 主題(というほどの御大層なものではないが)から離れるが, 「推 敲」の話の続きを紹介しておこう。 ロバの背に揺られながら詩の文句を練っていた賈島は「鳥宿 池中樹,僧敲月下門」(鳥は宿る池中の樹,僧は敲く月下の門)と いう句を得たが,句中の「敲」の字をこのままにしようか,そ れとも「推」に改めようかと思い悩み,手で門をたたくしぐさ と推すしぐさをしきりに繰り返していた。 ごん けい いん ちょうどそこへ権 京 尹(首都の代理長官) である大文学者の 韓愈が威風堂々とした儀仗隊に取り囲まれながら,大通りを やってきた。「推」がよいか「敲」がよいか,ロバの背で夢中 で考えにふけっていた賈島は,韓愈の儀仗隊にぶつかってし まった。 “浑蛋 !”(Húndàn! ― 無礼者めが!)ロバから引き降ろされ 韓愈の前に連れて行かれた賈島は,罪を謝するとともに事の次 第を一通り話した。 ところが,思いも寄らないことに,韓愈は賈島をとがめな かったどころか,賈島の詩句におおいに興味を示し,一緒に検 討しはじめた。しばらく考えたすえに韓愈は,“作敲字佳矣 ” (敲のほうがよかろう)と言った。 85 その先ですか? 意気投合したふたりはくつわを並べて(と 言っても,賈島はロバ,一方の韓愈は馬でしょうね),文学論でも交 わしながら歩を進めたのでしょう。 詩や文章を作る時,最適の字句を求めて考えを練り上げるこ とを「推敲」というのは,上の故事にもとづく。 「この文章は推敲の跡が見えない」,「君の文章はまだ推敲の 余地がある」などと不名誉な指摘を受けることのないよう,推 敲に推敲を重ねたいものだ。 増田渉先生(六) 原著を超えた『中国小説史略』 張良沢さんが在学中,日本語の練習にと,先生に勧められ て魯迅の『中国小説の歴史的変遷』という講演筆記を翻訳し たことがある。 張さんがまず日本語に訳し,次にわたくしが文章を整えて 先生に提出する。それに先生が大量の朱を入れてくださると いうものだった。真っ赤になった原稿は,今も張さんが保存 しているはずである。 ある雑誌に載せてもらって完結したが,後日,先生の魯迅 『中国小説史略』(下)の改訳が出る時に付録として収めてく ださるとのことだった。 この『中国小説史略』こそ,原著に「何か」を加えるべく, 先生が渾身の力を注がれた力作であるが,惜しいことに下巻 の改訳は出ずじまいであった。 師の影を踏む 26 86
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