「伊倉を故郷と信じる私のふるさとへの思い」 1.伊倉の姓を意識した

「伊倉を故郷と信じる私のふるさとへの思い」
1.伊倉の姓を意識したきっかけ
○1973年 中学校を卒業し都内の T 学園(企業内高校)に入学した私は、それまで何
とも思わなかった伊倉(いぐら)の姓に興味を抱いた。
私の出身地は静岡県御殿場市仁杉で、50戸程の伊倉家が存在している。共同墓地の墓
石には「伊倉家」と刻まれたものが何基もある。私の小学生時代(6 クラス)や中学生時
代(8 クラス)には、クラスに同姓の伊倉がいたことから珍しい苗字との印象はまったく
なかった。しかし、関東一円を中心に新潟や福島など各地から生徒を募集している T 学
園では、伊倉の姓は私一人だけであり珍しい苗字であることを実感したのである。
そこで T 学園の図書室で人名事典を調べたところ、菊池一族の 7 代当主菊池隆定の子
に「伊倉定直」の名前を発見した。自分のご先祖様は、この人ではなかろうか? 熊本県
に興味を抱き国鉄の駅名に「肥後伊倉」の名を見たとき、いつか必ず訪れようと考えた。
○私の父親が60歳の時に記した「我が家の系図」によれば、本家庄屋から分家したのが
1650年頃という。1335年の竹之下の合戦から300年以上も後の話であり、本
家庄屋が何年くらい前に御殿場市仁杉に住み着いたかは不詳である。本家庄屋は昭和2
0年頃まで仁杉の浄土宗大乗寺南側に1500坪もの屋敷を構えていたという。その後
熱海市そして現在は清水町に移り住んでおられる。私の実家とは法事等で声かけしてお
り大家と分家の関係は365年経った現在も続いている。
2.1 回目の肥後伊倉訪問のチャンス
○1977年 会社に入って 2 年目に放送されたテレビドラマ「ルーツ」、西アフリカで生
まれた黒人少年クンタ・キンテを始祖とする、親子三代の黒人奴隷の物語である。当時
は全国的に自分のルーツ探しが流行った。私もご多分に漏れずおおいに興味を抱いた。
1978年職場の旅行会で幹事を仰せつかった私は、九州の旅を計画した。仕事の関係
で職場全員が一斉に休むことができないため、半分の 6 名で旅行に出かけた。詳細ルー
トは旅行会社にお任せしていたのだが、観光バスで熊本城に向かう途中で玉名を通過す
ることが分かった。旅行会社がチャーターした観光バスではあるが、乗客は自分のグル
ープ以外に 2 組で 10 名。我儘であることを承知の上でルーツ探しにチャレンジ。
そこで、前夜バスガイドさんに「伊倉の町に道路を挟んで2つの八幡宮があり、自分の
姓と同じ名前なのでぜひとも立ち寄りたい。」と申し出たところ、
「他のお客さんに同意し
ていただけるのでしたら、時間に若干の余裕があるので可能です。」との返事をいただい
た。 翌朝出発前に同乗しているお客様の同意が得られたことから、急遽観光スケジュー
ルの変更が認められた。
ところが私の運もここまで。当日玉名に到着する手前で事故による交通渋滞に巻き込ま
れてしまい、観光のメイン熊本城への到着時刻も予定時間を大きく過ぎてしまうことから、
伊倉八幡宮への参拝はあきらめざるを得なく実現できなかった。
残念!
3.複数回の肥後伊倉訪問のチャンス
その後九州を訪れる機会は 3 回ほどあったが、ルーツに対する興味も薄れており、いず
れも伊倉の町を訪れることはなかった。
①1986年 独身時代で最後の一人旅。国鉄の周遊券を購入し気ままな旅をおこなうも、
ルーツのことはすっかり忘れていた。
②1987年 新婚旅行(30 歳)では長崎に 3 泊しているが、熊本県に立ち寄ることもな
く広島 1 泊→京都 2 泊の国内旅行。
③2004年
鹿児島県川内市で行われた第11回「明日の環境とエネルギーを考える会」
に先輩と二人で参加。スケジュールに余裕はあったのだが、鹿児島市内の観光と桜島見
学でタイムアウト。
4.
「いくら」を訪ねて との出会い
○2012年 私の実家は現在老夫婦二人住まいのため、23km離れた静岡県駿東郡長
泉町に住んでいる私は、親夫婦の様子を窺いにちょくちょく帰省している。そんなある
日、母親から伊倉雅晴さんの書いた【「いくら」を訪ねて】を譲り受けた。実家にはもう
1冊あり、私のために母が 1 冊用意してくれていた。家に帰りパラパラとページを捲っ
ているうちに、つい引き込まれていく自分に気がついた。そうだ、ルーツだ。私の記憶
の奥深くで眠っていたルーツ探しの想いが40年の時空を超えて蘇った。それからは、
事あるごとに「伊倉ネット通信」にアクセスしルーツへの想いを増幅してきた。
2012年4月の第1回伊倉サミット、2013年5月の第2回伊倉サミット、そしてい
つの日か開催されるであろう第3回伊倉サミット。夢は膨らむ。
私の母親は、
【「いくら」を訪ねて】のp65に登場している庭掃除をしていたお婆さん
である。
「伊倉を訪ね町の歴史と文化に触れた思い」
5.故郷でのひと時 感動のもてなし
○2014年6月 雇用切り替え(退職扱い)に伴うリフレッシュ休暇を利用して、自分
の人生を振り返る旅を計画。6月7~15日までの9日間。前3日間は10年前に東京
で一緒に仕事をしていた時の後輩3人が、札幌で慰労会を計画してくれるとのことで甘
えてご馳走になった。6月10日~15日はマイカーでの気ままな一人旅。まだこれま
で旅をしたことのない山陰地方は、是非とも行っておきたい場所であった。いま考えれ
ば随分と強硬なスケジュールであったと思うが・・・
○鳥取大砂丘→出雲大社→秋吉台(秋芳洞)→そしてルーツを探るため伊倉の町へ!その
前にどうしても会いたい人がいる。東京で独身時代の飲み友達。現在は年賀状のやり取
りだけ。吉野ヶ里遺跡の近くに住んでいるとのことで、ダメもとで秋吉台のホテルから
電話してみた。30年ぶりの再会である。会うことを快諾してくれたので、彼の住む家
の近くのホテルを聞きさっそく予約した。大きな楽しみができた。その勢いで、熊本に
住んでいる T 学園時代の同級生にも電話してみた。この友人とは、同部門・同業種で付
き合いは長い。ただし、2年前に会社を退職し現在は熊本市内の警備会社に勤めている
とのことで、会えるか不安であったが、こちらも快諾。彼の住む家の近くのホテル予約
し、再会を約束した。
680年前の故郷を訪れる大きな目的の前後でサプライズな友人との語らいの場が設
定できた。ふるさと伊倉の町で素晴らしい出会いを予感させる出来事であった。
○2014年6月13日 30年ぶりの飲み友達との再会で若干寝不足気味ではあったが
宿を8時半に出発し、
【「いくら」を訪ねて】を持って JR 肥後伊倉駅に到着。記念の切符
を買いたくて駅員さんに声をかけた。「伊倉の名前が入った切符を記念に購入したい
が・・・車で来ており、実際に電車に乗るわけではないのだが」『それならば、子供運賃
で隣の玉名まで普通乗車券を発券します。100円です。』
「どうもありがとう」
『もしか
してあなた伊倉さん?』
「そうですが、どうしてわかりました?」手に持っていた冊子を
指さして、
『ここにもそれと同じものがあります。ちょっと待ってください。その本に関
わりのある人に電話してみますから。』奥で電話している様子がうかがえる。
しばらくすると『連絡がとれました。松本さんです。』と受話器を渡された。
「もしもし
初めまして、私伊倉と申しますが突然すみません。」
『今出先なのだが、時間があればお会
いしたい。冊子の最後のページに折り込みの地図があり、中央の光専寺に行って待ってい
てもらいたい。お寺の坊守さんが話し好きで相手をしてくれるから。』
「あ、ハイわかりま
した。それでは光専寺に伺いお待ちしております。」
○初めての場所で、まだお会いしたこともない松本さんに、電話で案内された光専寺とは
どんな場所であろうか?松本さんという人はどんな人物なのだろう?お寺に行ってどう
挨拶をしたらいいのだろうか? 頭の中は???でいっぱいになってしまった。光専寺の
駐車場に車を停めた。「悩んでもみても仕方ない、なんとかなるさ。」気軽に行こうと車
のドアを開けた。
○すると坊守さんの高木伊都子さんが笑顔で出迎えてくれた。お寺の本堂に案内されたの
でそのまま足を運んだ。そこにはテーブルと椅子そして茶菓子まで用意されていた。
伊都子さんがお茶を持ってきてくれた。そこで私は今回の訪問に至った経緯や自分の
ルーツ探しを目的としてきたことなどを話した。伊都子さんは第2回伊倉サミットで御殿
場にいらしたことがあり、その時の思い出話などで尽きることなく時間の経つのもすっか
り忘れてしまうほどであった。
そうこうしている間に松本さんが本堂に来られた。間もなく住職の高木幸照さんも戻ら
れ、お二人に自己紹介をした。その後、今回の訪問目的など聞いてもらい伊倉の町の話も
伺った。伊都子さんが前日に作ったカレーとサラダ、スイカをご馳走になった。(昼食は
近くの食堂に行くつもりでいたのだが、近くに食堂は無いとのことで遠慮なくご馳走に)
午後から松本さんの運転する車に私と伊都子さんが乗せていただき、冊子の折り込みの
地図「歴史の散歩みち」を案内していただくことになった。木下順二氏の父祖と一門の墓
地→桜井川→船つなぎの銀杏→キリシタン墓地(工事中)→五社神社→岡松攻玉舎の学問
碑→最後に伊倉南八幡宮に参拝し、お札とお守りを頂いて帰ることに。・・・・・熊本市
に向かう途中で伊倉北八幡宮の参拝を忘れていたことに気づいた。(ショック!)でもこ
れで再度伊倉の町を訪れる口実ができた。
○伊倉の町を案内していただくときに、見覚えのあるような景観や空気の匂いに心安らぐ
懐かしさを感じたのはなぜだろう?ゆったりとした時の流れに、680年のロマンを全
身で受け止めた1日であった。
6.人の輪
○縁は異なものと言うが、こんなことがあった。故郷を訪ねる旅から戻った私は、6月2
2日実家の両親に土産話をするため立ち寄ったのだが、実家の近くに住む妹から、
「先ほ
どまで公民館で一緒にいたみどりちゃんから話があって、健さんの会社に東京の雅晴さ
んという人から、本が送られるみたいだよ。」と玄関先で声をかけられた。「え!どうし
て?」一瞬耳を疑ってしまった。冊子と一緒に送っていただいた手紙にその謎解きが書
かれていた。松本重美さんから雅晴さんのところに電話がいき、松本さんとの会話の中
で私が「続編」を欲していたことを伝えてくれたのだ。その話を聞いた雅晴さんが、松
本さんから名刺に書いてある職場住所を聞き、わざわざ送ってくださったのだ。大感激!
さっそくお礼の電話をしたら、会いたいので昼食でもどうかとお誘いを受けた。もち
ろん同意した。すると、サミット出席者にも連絡をとって皆で集まろうと、話がとんと
ん拍子で進んだ。開催日は私の都合に合わせていただき7月5日と決まった。前述の伊
倉みどりさんが関係者に連絡してくれて、店の予約まですべてを段取ってくれた。
当日の参加者は私を含め8名で、サミット未参加の私を温かく迎えてくれた。私とみど
りさんは、この時が初対面であった。
全国に向けてこの伊倉を発信出来る最大のチャンス
7.全国の伊倉(いくら、いぐら)さんへ
○肥後の伊倉は私たち伊倉の姓を名乗る者の故郷なのです。私がルーツを追い求め、やっ
とたどり着いた肥後伊倉。雅晴さん同様に私も伊倉の姓を名乗る全国の皆さんへ一言申
しあげたい。
「伊倉さんが伊倉を歩く不思議な喜び」をあじわうため、わが故郷肥後伊倉
にぜひとも足を運んでみてください。見覚えのあるような景観や空気の匂いに心安らぐ
懐かしさを感じられることでしょう。
静岡県駿東郡長泉町在住
伊倉(いぐら)健治