14歳からの哲学

「14歳からの哲学」を読んで
先 に 当 H P で フ ラ ン ス の 高 校 生 向 き の 哲 学 の 教 科 書 の 読 後 感 (「 雑 学 」 バ ッ ク ナ ン バ −
サ イ ト 書 籍 等 読 後 感 関 係 ( Ⅱ ) P 2005.03.11.
「『 哲 学 す る 』 っ て 、 ど う い う こ と ? 」: 参
照 )に記したように、哲学するって、どういうことか、今一自分なりに理解出来なかっ
た。
不器用な性格故か、気になり出すと知りたくなる。そうした折、新聞で書籍「14歳か
らの哲学−考えるための教科書−」が目に止まり、日本人の著者による中学生向きなら、
この自分には少しは解り易いかなと購読した。
確かに文章としては読み易かったし、哲学するってどういうことかは、少しは知ることは
できたような気がする。でも、著者曰く、哲学するって「考えて、知る」ことであって、
「読んで覚えることでない」という。あ∼ぁ、自分はまだまだダメか……。
著者によれば「自分の思っていることことが正しいことなのかどうか、常に『考える』
と い う こ と を す る こ と 」 で 、「 考 え る と い う こ と は 、 多 く の 人 が 当 た り 前 と 思 っ て 認 め て
い る 前 提 に つ い て こ そ 考 え る こ と で あ る 」 と い う 。 ま た 、「 生 き る こ と を 権 利 と 決 め て い
る法律はあるけど、生きることを義務と決めている法律はなく、だから人は『生きなけれ
ば な ら な い 』 で は な く 、『 生 き た い 』 と い う べ き で あ り 、 そ し て 『 何 の た め に 生 き る の だ
ろう』と考えるということは、ある意味で、自分との対話、ひたすら自分と語り合うこと
だ 。」 と い う 。
本 を 読 ん で 、「 何 か 答 え が 書 い て あ る と 期 待 し て 読 ん だ の な ら 、 肩 す か し を く ら っ た と
思うだろう。でも、もし肩すかしをくらったと思ったのなら、それこそが始まりなんだ。
君は、わからないということが解ったのだからだ。全然わけがわからなくなりましたって
言 う な ら 、 君 、 大 成 功 だ よ 。 わ か ら な く な っ た か ら こ そ 、 こ れ か ら 考 え ら れ る ん だ 。」 と
いうことのようなので、本を読んでも「生きる」ということがよくわからなかったという
ことを知っただけでもいいのかなぁ∼。
そ う い え ば 、「 無 知 を 知 る は 知 な り 」、「 我 思 う に 我 あ り 」 と い う 言 葉 も あ っ た っ け な ぁ
∼。
「生きるとはどういうことか」は、有史以来人類の永遠の謎への問いのよう。確かに、
こ の 瞬 間 を 「 生 き て い る 」 と 感 じ 、「 ど う 生 き る か 」 を 考 え る の は 、 こ の 自 分 以 外 の 何 者
でもないか…。なら、自分の謎への冒険者でありたいとも思う。
( 2005 年 4 月 20 日
記)