第十三章 奥野 健男

絶対文感 【忘 却篇】
第十三章
奥野
健男
陽羅
義光
「絶対文 感」 の目的 とする とこ ろは、 文 学はまず 文章 、とい うこと を口
を酸っぱ くし て、ス トーカ ーよ りもし つ こく延々 と、 小説家 や文芸 評論
家の作品 、で きれば 代表作 や名作 を例 に だして、 詳述 するこ とであ る。
むろん 文章 のうま さ、ま ずさ のみな ら ず、個性 や魅 力を導 きだし 、そ
の作者な らで はの文 体、そ の文 章を一 節 読めば作 者が わかる くらい の個
性、個性 とい っても 魅 力の みな らず、 駄 目なとこ ろ下 手なと ころ、 だら
しないと ころ も含ん だ、「それ らすら 個 性」の見 極め をねら ってい る。
わたし が「 ダメな 文章だ 」と 断言し た からとい って 、その 作品の 魅力
を消滅さ せる 力もな いし、 わた し自身 そ のつもり もな い。魅 力は魅 力、
人気は人 気、 筆力は 筆力、 そう いうも の を認めな いな んてこ とはな いの
だ。それ でも 小説の 第一義 は文章 、そ の 信念がゆ らぐ ことは ない。
けれど も【 追悼篇 】と【 忘却 篇】だ け は些か趣 が異 なる。 くくり が違
うだけに 当然 違うの だが、 同じ 志向の 部 分もあっ て、 それは 文章の 問題
のみなら ず、 その作 家 を惜 しむ 気持が 、 どこか隅 っこ であれ 、こめ られ
るところ であ る。冷 淡な書 き方 をして い ても、本 音は ちがう ところ にあ
ると自己 弁護 したい 。
今回は 奥野 健男( 19 26~ 199 7 )であ る。
『現 代文学 の基軸 』
『文
学におけ る原 風景』 など、 奥野 は優れ た 評論集や エッ セイ集 を残し てい
るが、太 宰治 作品の 愛読者 から 見れば 、 あくまで も( 太宰文 学の入 門書
であり解 説書 である )
『 太宰治 論』の 文芸 評論家で ある。従って 太宰 治が
相変わら ずの 人気を 持続し 続け れば、 奥 野健男の 名前 や著作 も忘れ 去ら
れること はあ るまい 。
と考え るの は早計 で、奥 野の 後進 が 奥 野よりも 立派 な太宰 治論を 発表
したなら 、忘 れ去ら れる運 命に あると い える。そ れは 例えば 、夏目 漱石
論で著名 だっ た作家 や評論 家が 、江藤 淳 の登場に よっ てすっ かり忘 れ去
られたの と同 様に。 いや江 藤淳 の夏目 漱 石論ほど に立 派でな くとも 、町
田康、又 吉直 樹ら話 題の作 家が あれこ れ 太宰に就 いて 触れる と、そ れだ
けでも過 去の 遺物と して忘 れ去ら れる 危 険性は孕 んで いる。
さて、 かく いうわ たしも 『太 宰治新 論 』なる本 をだ してい るのだ が、
いまざっ と目 を通し てみる と、 奥野の 『 太宰治論 』か らはほ とんど 引用
をしてい ない 。それ は引用 する 価値が な い からで はな く、奥 野の『 太宰
治論』は 当時 の定説 として 君臨 するも の であって 、そ れはす べてわ たし
の頭のな かに はいっ ている 上での 、新 論 なのであ るか ら。
太宰治 の小 説に感 動した 者の 多くは 、 奥野の『 太宰 治論』 にも感 動し
たであろ う。 わたし もその うちの ひと り である。 格別 こうい う箇所 に。
【ぼくら が今 日の文 学の状 況を 観る時 、 彼が日本 にお ける純 粋の意 味で
の最後の 芸術 家であ ったと いう ことを 痛 切に感ぜ ざる を得ま せん。 そし
てぼくの 彼に 対する 批判も まさ にその 点 にあるの です 。ぼく らは現 代の
現実に対 する 立場か ら、彼 を批 判し、 彼 を正当に 復活 させね ばなり ませ
ん。太宰 治は ぼくた ちのた めに 、負の 十 字架にか かっ たキリ ストで すら
あったの です から】
これは 奥野 特有の いわば〈誉 める ため の偽悪的 な文 章〉
( 絶 対文感 )で、
なぜなら キリ スト信 者(奥 野) がキリ ス ト(太宰 )を 批判で きるは ずが
ないから であ る。実際『 太宰治 論』のど こ にも太宰 批判 は見当 たらな い。
それでも 、否 だから こそ太 宰ファ ンは 嬉 しい。
【実際問 題と して、 弱い者 の味 方とし て 太宰に何 が出 来ただ ろうか 。革
命運動、 社会 事業、 生活改 善、 とんで も ない。生 きる ための 本能さ え不
足してい る彼 、社会 との有 機的 な繋が り が実感と して わから ない彼 、自
己の日常 生活 すら満 足に営 めな い生活 無 能者の彼 に、 他人の 生活の 実際
の救済な ど出 来るわ けがあ りま せん。 け れど太宰 はそ のため に必死 の努
力をした ので す。コ ミニズ ムの運 動に 加 わったの もそ のため です】
これも 奥野 特有の いわば〈贔 屓の引 き 倒し文章 〉
(絶対 文感 )で、弱い
者の味方 であ る弱者 を必死 に弁 護した い 気持はわ かる けれど も、い いか
げんなこ と( 証拠も なく説 得力 もなく 証 明もでき ない こと) を書い ては
いけない 。書 いたに しても 断言 しては い けない。 それ でも否 だから こそ
太宰ファ ンは 嬉しい 。
【 こ れ ら の交 友(註 /佐藤 春夫 、井伏 鱒 二、豊島 与志 雄、檀 一雄、 山岸
外史、木 山捷 平、亀 井勝一 郎、 田中英 光 、小山清 等々 )は、 少なく とも
直接には 太宰 文学に 影響を 与え ていな い ように思 われ るので す。文 体に
ついても 、文 学観に ついて も、 人生観 に ついても 、そ れを変 革させ るよ
うな大き な影 響は受 けなか った と言え ま す。太宰 の文 学は、 自己の 宿命
と性格に よっ てつく られた きわめ て独 自 な文学だ った のです 】
これも 奥野 特有の いわば〈決 め付け 発 想〉
(絶対 文感)で、つまり 文学
者が交友 とい うもの の影響 を受 けない と したなら 、そ れは太 宰にか ぎら
ない。そ し て 受ける として も、 それは 太 宰にかぎ らな いから である 。も
し太宰の 文学 が「自 己の宿 命と 性格に よ ってつく られ たきわ めて独 自な
文学」だ とし たなら 、川端 康成 の文学 で も、梶井 基次 郎の文 学でも 、稲
垣足穂の 文学 でも、 三島由 紀夫 の文学 で も、松本 清張 の文学 でも、 藤沢
周平の文 学で も、あ の作家 の文 学でも 、 この作家 の文 学でも 、そう であ
り、こと さら にいう 必要も ある まい。 そ れでも、 こと さらに いって くれ
て、太宰 ファ ンはこ よなく 嬉しい 。
これら いわ ば、
〈 誉める ための 偽悪的 な 文章〉や〈贔 屓の引 き倒 し文章 〉
や〈決め 付け 発想〉 によっ て、 奥野は 太 宰文学を 強調 し、太 宰文学 の宣
伝マンを あえ て演じ ている 気がし てな ら ない。好き な文学 者の ために は、
そこまで して あげた いとい う気 概はわ か る。奥野 は太 宰のた めに誠 心誠
意、いじ らし いほど 頑張っ たとお もわ れ る。
わたし らも そうい うこと があ るが、 み んなのイ メー ジを覆 すため に、
あるいは みん なの注 意を喚 起す るため に 、あれこ れ苦 心のイ カサマ 文章
テクニッ クを 使う。 自分の 文章 の誤魔 化 しに気づ かれ る恐れ よりも 、宣
伝マンと して の使命 のほう が大 きいか ら である。 けれ どもそ ういう こと
は、時間 の問 題で、 いずれ 遠から ずば れ る。
他 で も 書い たから ここで はひ とこと だ けにする が、 かつて わたし は奥
野と直接 対話 をした ことが あり 、その 際 に奥野を だい ぶ怒ら せてし まっ
た。わた しは 奥野を 誉めた つも りだっ た のだが、 奥野 のほう は揶揄 され
たとかん ちが いした らしい のだ 。その 際 にわたし が奥 野に対 して弁 解を
しなかっ たの は、こ のてい どで 怒る文 学 者なんて 、つ きあう に値し ない
と決め込 んだ からで ある。 だか らとい っ て、太宰 文学 PRに おける 奥野
の功績を 、な いがし ろにす るつも りは な い。
ところ で、 奥野健 男の『 太宰 治論』 や 江藤淳の 『夏 目漱石 論』に かぎ
らず、昔 も今 も、文 芸評論 家と いうも の は、功な り名 を遂げ た文学 者に
就いて書 いて 、ある いは村 上春 樹やよ し もとばな なな ど、人 気作家 に就
いて書い て、 己の名 を挙げ たもの が大 半 である。
そんな 情け ないつ まらぬ 話は ないと 、 まったく 無名 の作家 や詩人 を取
り上げる ぞ、 という 意気込 みの 文芸評 論 家は不思 議な くらい 現れな い。
そんなこ とだ から( 取り巻 きの 連中に だ けは大先 生と おだて られて も)
文芸評論 家の 位置は 文学の 世界の 中で 低 いまんま なの である 。
例えば 、
『松永 延造論 』や『大 泉黒石 論 』や『 永山 一郎論 』を 書いて 華々
しく登場 する 文芸評 論家を 、い までも わ たしは待 ち 望 んでい る。そ うい
う観点で は、 藤沢清 造をこ こま で日な た にもって きた 、西村 賢太は たい
したもん だな 。今日 の文芸 評論 家は、 西 村の(そ うと う汚れ ていた にし
ても)爪 の垢 を煎じ てのま なけれ ばな ら ないぞ。