アメリカの桜 アメリカにも桜の木があることを知っていますか? その計画

アメリカの桜
アメリカにも桜の木があることを知っていますか? その計画は 1885 年に始まりました。 米国地理学協会の女
性初の役員となった エリザ シドモア が彼女の家族のものとして何本かの樹を植えることになりました。 彼女は
さくらが大好きであったため 24 年以上をかけてより多くの樹を移植する計画を進めました。
(エリザ シドモア)
(デイビッド フェアチャイルド)
1905 年、彼女は初めての桜を観るパーティ(花見)を開催し、緑茶をふるまいました。
1906 年、グラハム ベルの養子であるデイビッド フェアチャイルド が横浜から 1000 本の樹を輸入しました。
1907 年、ワシントンDCのチェヴィー・チェース地域に 300 本の樹が寄贈されました。
1908 年、エリザ シドモアは植樹の日(4月 10 日)にDC地区の学校へ桜を植樹しました。
1909 年 4 月 8 日、大規模なワシントンDCへ桜の寄付が阻まれましたが、
この計画を聞いた、アドレナリンを発見し後の第一三共となる三共を創設した科学者、
高峰譲吉博士や、ニューヨーク駐在の水野総領事はどうにかこの問題を解決したいと考えました。
そして彼らは今まで行われてきた個人的な寄付ではなく大々的な寄付を東京都へ提案しました。
この後、東京が国際親善として 2000 本の樹を寄付することをDCの日本大使館がアメリカ国務省へ伝えました。
1910 年、高峰譲吉博士がアメリカへ 2000 本の桜の樹を送る手配をしました。
しかしながら、その桜の樹は病気にかかり、朽ちてしまいました。それから彼はアメリカ農務省の
デイヴィッド フェアチャイルド博士、エリザ シドモアそしてファーストレディのヘレンタフトと協力して
1912 年に樹を送る手配をしました。
国際親善とたくさんの人の協力により、初めての国際桜まつりが開催されることになりました。
(高峰譲吉博士)
(ファーストレディのヘレンタフトと大統領タフト氏)
1912 年 2 月 14 日、12 品種 3020 本がシアトル、ワシントンへ到着し、3 月 26 日、ワシントンDCの植樹祭へ
送られました。
1912 年 3 月 27 日、ワシントンDCの西ポトマック公園で初めての国際桜まつりが開催されました。タフト夫人と
大使のシンダ夫人が最初の2本の樹をともに植えました。
それから毎年、日本は桜の樹を送り、アメリカはバラやハナミズキなどその他の樹を送っています。
1935 年、市民団体がこのイベントのスポンサーを助け始めました。
第二次世界大戦のため 1942 年から 1946 年までは祭りは開催されませんでした。
戦争が終わって 1952 年、アメリカは桜の樹やつぼみを復興の助けとなるように日本へ送りました。
1982 年、より多くの樹やつぼみが北海道(千歳)へ 1981 年の8月におきた洪水からの復興の為、送られました。
最初の記念行事から 100 年の記念の年が 2012 年、2017 年が祭りの 90 周年記念の年です。
(ポトマックに沿った桜の樹の景色)
(100 周年記念式典の公式ロゴ)
私たちの姉妹都市であるマサチューセッツのアマーストには金ケ崎に寄贈された桜の樹があります。また、マサ
チューセッツ大学アマースト(UMASS)にも桜の樹があります。
(UMASS キャンパス)
(横浜にあるシドモアの碑)