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平和と人権B 資料 ※ 10 月 20 日 原田正治さんによる講演のための資料です
和解への模索(http://www.cwjpn.com/kiji/3623/4p-harada.htm)
被害者遺族
原田正治さんに聞く
神から与えられた「いのち」の重みを見据えて死刑制度を考える――「被害者(家族)
の『いのち』を置き去りにしたまま、加害者の『いのち』の大切さだけを論じていては、
死刑廃止論の理解は広がらない」。これまで、死刑制度を考える上で、とかく「死刑囚の
いのちの救済」と「被害者(家族)の感情」は対立するものとして論じられてきたが、果
たしてそうなのだろうか。18年前に、弟を保険金殺人事件で失った原田正治さん(54)
は、「加害者を許したわけではない」が、死刑執行停止を求めて、地道に独自の“運動”
を行っている。一被害者家族の立場から、死刑についての率直な意見を聞いてみた。
生きてこそ償える
「あの事件から私たち家族の人生は一変しました。
もう2度とあの平穏な生活は戻ってこないでしょう。
事件から18年がたち、人生の3分の1を加害者と
共に生きてきました。残りの人生も加害者と共に生
きるしかありません。加害者が死んでも何も生まれ
ません。生きているからこそ、償えるのです」
原田さんは、こう物静かに語る。
温厚で柔和な物腰からは、とても凄惨(せいさん)
な事件の経験者とは想像できない。原田さんは、現
在、加害者である確定死刑囚の死刑執行停止を求め
て全国を走り回っている。死刑執行ではなく、被害
者(家族)と加害者(家族)が納得できる“もう1つの道”を探って、ささやかな“運動
”を行っているのだ。
「被害者(家族)と加害者(家族)が納得できる道を探りたい」と語る原田正治さん
当初は交通事故として処理
原田さん家族を苦しみと悲しみのどん底に突き落としたあの事件が起きたのは、198
3年1月末。原田さんの元に、末弟(当時31歳)が京都・木津川の河川敷で交通事故死
したという一報が入った。10トントラックで走行中、居眠り運転で堤防から河川敷に転
落し、脳挫傷で即死したという。正治さんは、真ん中の弟と車で四時間かけて現場に急行
した。
末弟の後頭部の損傷は激しく、顔もはれ上がり、とても原田さんの弟とは識別できぬ状
態だった。気立てが良く、人なつこかった弟は、見るも無残な姿で無言の帰宅をした。
母親は、自分が作った弁当を持って、仕事に出掛けた末息子の突然の死に泣き崩れた。
しかし過失による事故死と聞かされては、だれも恨むことはできない。残された家族は、
気持ちの整理をする日々を過ごした。
保険金目的の殺人事件と判明
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平和と人権B
資料
※ 10 月 20 日
原田正治さんによる講演のための資料です
ところが、翌年の5月、弟の事故は交通事故を装った保険金殺人事件と判明。主犯格が
共謀者と共に、79年から83年にかけて、原田さんの弟を含む3人の男性を殺害したこ
とが明らかになった。殺人の動機は、借金の返済。しかも、主犯格は原田さんの弟が勤め
ていた会社の社長だった。後頭部と首筋を何度もめった打ちにし、その後、トラックごと
転落させたという残忍極まりないものだった。
“交通事故”から、殺人事件だったと判明するまでの約1年間、当の会社社長は、弟を
殺害した上に、借用書もないのに弟に貸付金があったとして弁済要求をしてきたり、「お
金を貸してほしい」などと言って、たびたび自宅に乗り込んでは、原田さん遺族にお金を
せびっていた。事件の真相を知った原田さん家族の怒りは、悲しみを通り越してとどまる
ところを知らなかった。
「被害者家族たちは、突然この身に起こった殺人事件に、打ちのめされ、動揺していま
す。被害者救済制度はあるのか、どこに相談したらいいのかなどと、冷静に考える頭さえ
ありません。今、振り返れば、あのときに、弁護士のような知識のある人、そして宗教者
のような人に、ケアをしてもらいたかった。被害者家族がどんなに苦しんでいても、事件
の初めから最後まで、被害者家族は無視され続けます。そうした状態ですので、死刑囚の
人権だけを主張する運動家と被害者家族の間の溝はますます深まる一方。なぜ、加害者の
いのちと被害者のいのちが切り離されてしまい、同じいのちと考えてもらえないのでしょ
うね」と、原田さんは素朴な疑問を投げ掛ける。
加害者から届いた謝罪の手紙
その後、主犯格は一審(1985年)、二審(87年)共に死刑判決を受け、93年に
死刑が確定し、「確定死刑囚」となった。加害者(主犯格)からは、毎月2、3通の手紙
が、原田さんの元に届いた。最初は目を通さず、破って捨てた。読む気もしなかった。事
件を受け止めきれず、飲めない酒におぼれたこともある。公判の度に、抑えていた憎しみ
の感情がよみがえりムカムカした。
ところが、逮捕から6年たった90年ごろからその手紙が気になりだし、読み始めたの
だ。そして読んでいるうちに、加害者に「なぜ弟を殺したのか」「殺したことをどう思っ
ているのか」と直接聞いてみたい衝動に駆られてきた。
「交通事故の示談などの場合は、被害者と加害者が直接会って、話し合うのは当たり前
のことです。しかし、殺人事件の場合は、加害者と被害者家族が面と向かって話し合う場
はありません。公判のときに、目を合わせるぐらいで、言葉を交わすことは一切できない。
両者が会えたら、そこから人間同士の会話が始まり、謝罪や罪を償う場が生まれるはずで
す。私は被害者家族が加害者に会ってもいいという権利を認めても良いように思うのです」
と原田さんは語る。
原田さんは2年前に、脳幹出血とくも膜下出血で手術を受け、手足に後遺症が残る。
「健
康面を考えると、今しか動けない」と、仕事の合間をぬって、自分なりの“運動”を始め
ているのだ。
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平和と人権B
資料
※ 10 月 20 日
原田正治さんによる講演のための資料です
上申書
高村法務大臣殿
名古屋拘置所在監死刑囚
長谷川敏彦
右の者について、一被害者遺族の立場から上申します。
被害者遺族・原田正治
東西文化の交わる愛知県・名古屋市、その名古屋市から南に伸びる知多半島の入り口に
私どもの住む東浦町があります。
思い起こせば十八年前の昭和五十八年一月二十四日未明、事故、いや事件は起きました。
場所は京都府相楽郡木津町、私の弟原田明男は長谷川敏彦君(当時は竹内敏彦)経営の運
送トラック運転手として雇われていました。この日、関西方面へ仕事で出掛ける途中での
出来事です。交通事故に見せかけた保険金搾取の為に私の弟・原田明男は長谷川敏彦君・
井田正道君(平成十年執行)・森川健太郎君等の手によって無惨にも殺害されました。そ
の後、長谷川君においては、平成五年の秋、最高裁にて死刑の確定判決を受け現在名古屋
拘置所に収監されています。井田君においては二審においてやはり死刑判決を受け、残念
ながら死刑執行を受けています。尚、森川君については有期刑を受けています。全世界を
見渡せば、死刑と云うものの存在を考え直すと云う時期に来ているのではないでしょう
か?
被害者遺族として彼等に対し望み要求要望する事は決して死刑執行ではなく謝罪、償い
だと考えます。生きる存在があるからこそ、そこに謝罪、償う意識が生まれるのではない
かと考えています。そして以前には名古屋拘置所の温情ある取り計らいにて接見の場を与
えられてはいましたが、現在においてはその事すらなくなりました。
現在、名古屋拘置所においても、今後、接見交流の場さえ無くなる可能性の者もおりま
す。接見交流の場が与えられると云う事は少なくとも、加害者が被害者に対し謝罪し、償
いをする意識を増幅できる場だと思っています。世界の中でも有数の水準を持つ我国日本
の権威ある判断に対し反論すべき事ではありませんが、死刑を執行すると云うことの意味
を深く再考頂きたく、ここに上申致します。
私、一被害者遺族としまして加害者に対し必ずしも死刑を望むものではありません。
加害者を死刑にする事によって、本当に被害者が救われるものなのでしょうか・・・・
死刑によって何も解決しない、そして何一つ得られるものがないと思っています。
加害者に確定判決が下ると接見できなくなる現状があるという事、ご存知かと存知上げ
ます。つきましては、加害者・被害者との接見、また、確定囚との接見交流のできる場を
希望しております。このような理由から、死刑、接見交流について上申します。
愛知県知多郡東浦町○○○○
原田正治
印
平成十三年四月十八日
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平和と人権B 資料 ※ 10 月 20 日 原田正治さんによる講演のための資料です
http://www.asmik-ace.com/DeadManWalking/
デッドマン・ウォーキング
衝撃を超えた真実の感動
DEAD MAN WALKING
その瞬間、誰よりもあなたは人間の顔をしていた。
■ 1996 年第 68 回アカデミー賞主演女優賞-スーザン・サランドン
■ 1996 年第 46 回ベルリン国際映画祭主演男優銀熊賞-ショーン・ペン/全キリスト協会審査員
賞・作品賞
■ 1996 年第 11 回インディペンデント・スピリット賞主演男優賞-ショーン・ペン
■ 1996 年映画俳優組合賞主演女優賞-スーザン・サランドン
■ 1996 年日刊スポーツ洋画大賞受賞
彼女の「透明な愛」は、彼の「凶暴な魂」を救済した。
全世界で惜しみない賞賛を受けた衝撃の感動作!
カトリックのシスター、ヘレン・プレイジョーンはある死刑囚から文通相手になってほしいと
依頼される。囚人はマシュー・ポンスレット。10 代のカップルを惨殺した容疑で死刑を求刑
されていた。ヘレンは文通を始め、面会を重ねるうちに、死におびえて反抗しながらもなお無
実を主張する男に心をつき動かされるようになる。事件の遺族や刑務官たちとの出会いは、ヘ
レンの当惑をさらに深めた。彼女は自問する。目の前のこの男が本当に殺人を犯したのだろう
か。そして死刑という暴力を繰り返すことで何を得られるのか、と。それは自らの信仰の試練
でもあった......。
【キャスト】 スーザン・サランドン 『テルマ&ルイーズ』『ロレンツォのオイル』『依頼人』『若草物語』
ショーン・ペン 『カジュアリティーズ』『俺たちは天使じゃない』『カリートの道』
ロバート・プロスキー 『ブロードキャスト・ニュース』『34丁目の奇跡』『スカーレット・レター』
レイモンド・J・バリー 『7月4日に生まれて』『フォーリング・ダウン』『クール・ランニング』
R・リー・アーメイ 『フルメタル・ジャケット』『セブン』『リービング・ラスベガス』
スコット・ウィルソン 『冷血』『太陽の年』
【スタッフ】 監督/脚色/製作総指揮 ティム・ロビンス 『ボブ・ロバーツ』
原作 シスター・ヘレン・プレイジョーン (徳間文庫刊)
撮影 ロジャー・A・ディーキンズ 『未来は今』『ショーシャンクの空に』『ファーゴ』
音楽 デイヴィッド・ロビンス 『ボブ・ロバーツ』(サントラ盤:ソニー・レコード)
主題歌 ブルース・スプリングスティーン/エディ・ヴェダー&ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン
1995年アメリカ/ポリグラム・フィルムド・エンターテインメント提供/ワーキング・タイトル、ハヴォック・プロ作品
カラー/2時間3分/ヴィスタサイズ
日本版字幕:戸田奈津子/提供:アスミック、日本ヘラルド映画/配給:日本ヘラルド映画
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