面白い

新ヒラリ ズム
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面白い
陽羅
義光
「面」 が「 白」く なる。
「面白 い」 とは、 新しい 事象 や関係 性 を発見す るこ とによ って、 急に
目の前が 明る く開け る状態 を語源 とし て いる。
お笑い 芸人 のギャ グに笑 い転げ る「 面 白い」で はな い。
これは どち らかと いうと 、「 おかし い 」の語彙 が合 ってい る。
真の「 面白 い」は 、もっ と心の 奥で 感 じる、新 世界 の発見 である 。
日常的 なこ とでも いいの だが、 ここ で は小説を 例題 として あげる 。
「面白 くな ければ 小説で はない 」
こ の 言 葉は 松本清 張のみ ならず 、何 人 かの作家 が公 言して いる。
また編 集者 の代表 として 、幻冬 社の 見 城徹の言 葉も ある。
【小説 なん てたっ たひと つだ と思う の です。人 の営 みを描 いて面 白い
か面白く ない かだと 思いま す。 夏目漱 石 の『心』 もド ストエ フスキ ーの
『カラマ ーゾ フの兄 弟』も 人の 営みを 描 いて面白 いか ら成立 してい るん
だと思い ます 】
揚げ足 をと れば、 人以外 の動 物の営 み を描いて も、 面白い 小説に なる
のかどう か。
揚げ足 をと らなく とも 、
「面 白い」とい うのは、科学や 化学と 違っ て客
観的な発 見で はなく、あくま でも主 観的 な発見だ から 、誰もが「 面白い 」
と感心し ても 、君が 「面白 い」 と感動 し なければ 、君 にとっ ては面 白く
もなんと もな い。
尤も、 流行 作家や 商業主 義の 編集者 に とっては 、大 多数が 「面白 い」
と納得し てく れれば 、数人 の天 の邪鬼 が 「面白く ない 」と叫 んでも 、痛
くも痒く もな いとい うこと になる のだ が 。
だから、日常的 に「面白 い」が連 発さ れている ほど には 、
「面白 い」の
正体は曖 昧模 糊とし ている のだ。
とはい え、 小説の 場合に 於い ては、 純 文学、エ ンタ ーテイ ンメン トの
区別なく 、曖 昧模糊 であろ うと 何であ ろ うと「面 白く ない」 より「 面白
い」のほ うが いいわ けであ って 、作家 は 読者が多 かろ うと少 なかろ うと
(「お かしい」では なく )
「面白 い」を追 求 しなけれ ばな らない のであ る。
さてフ ィク ション の世界 で面 白くと も 、現実の 世界 で面白 くなけ れば
生きてい ても 面白く ない。
そこで 「面 」が「 白」く なる こと( も の)を懸 命に 探すの だが、 これ
は滅多に 向こ うから やって はこな い。
きっと 、
「面 」が「 白」く〈 なる 〉こ と を待って いる からい けない ので
あって 、「面 」を 「白」 く〈す る〉こ と をやる必 要が あるの だ。